テレビ画面の向こうで、屈強なプロヒーローが揉みくちゃにされている。
『烈怒頼雄斗、週刊新春の報道は事実なんですか!?』
『ネット上ではおしゃぶりヒーローなんてあだ名が定着していますが!?』
『あ、えー……これはもう私の不徳の致すところでして……。本当にお恥ずかしい話ですが事実なので、もうなんと呼ばれても仕方がないと思ってます……ハイ』
顔面にマイクを押しつけられながら、どうにか絞り出すようにして質問に答える切島。しかし事実と認めてしまった以上、報道陣は収まるどころかますます加熱する。まるでミツバチの熱殺蜂球に囚われたスズメバチのようだと、観賞する死柄木弔は思った。
「ハァ……ヒーローもマスコミにかかりゃこんなモンか」
爆心地の陰に隠れてはいるが、烈怒頼雄斗とて功績・知名度ともに申し分ない実力派ヒーローである。その辺のチンピラヴィランでは到底太刀打ちできなかろうに、ガタガタしゃべるしか能のないマスコミ相手にはひたすら困り果てるしかない。そんな光景、何度も目の当たりにしてきたけれども、そのたび自分たちのやってきたことはなんだったのだろうという思いがよぎる。まあいちばんの憎悪の対象たるオールマイトなどはスキャンダルと無縁だったので、まったく無意味とは思わないが。
そのままぼんやり画面を追っていると、真向かいから「ねえ、ちょっと!」と抗議めいた声が届いた。
「猫背やめてよ。行儀悪いし、腰曲がっちゃう……」
我に返れば、まるで鏡に映したかのような自分の姿。だが左右逆転していない、つまり現実の存在である。その器の中には島乃真幌という女の精神が入り込んでいて、自分はその真幌の身体を借りている。つまり、スワップ。
今、ふたりは真幌の部屋にいた。ひとまずは逮捕しないという約束を轟焦凍はたがえなかったのだ。ただ信用されているわけではまったくなく、轟の部下の女性刑事が監視についている。彼女の身に何かあれば即座に連絡がいく仕組みらしい、原理は不明だが。
「は、そういうおまえも猫背じゃん」
「~~ッ、だって腰痛いんだもん!あ、痛たたた……」
そんなことを言っていたら、今度は首のあたりが痒くなったのだろう。かきむしるのは良くないと思ってか、べちこーんといい音がするくらいの勢いで叩いている。滑稽だと嘲ってやりたくなったが、よくよく考えれば自分の身体なのである。
「まったくもう、どーなってんのよこの身体……。なんか常に倦怠感あるし……」
「……それが加齢なんだよ」
「四十そこらでここまでなんないでしょフツー……」
「不摂生が祟ったかな。はははは……ハァ」
身体がこんなだと、気力も萎える。あれほど燃え上がっていた憎悪の情念も年月とともに擦り切れるものなのだ──そんな現実、知りたくはなかった。
*
画面はスタジオに切り替わり、局のアナウンサーとコメンテーターが真面目くさった顔であれこれしゃべっている。
ヒーロー爆心地代理というおそらく永遠に聞かないであろう肩書きを得ている緑谷出久は、所長室のテレビでその光景を観ていた。溜まっている事務作業を続けながら、であるが。
案の定、切島は面白おかしく責めたてられている。プライベートにおいてほんの一時期アブノーマルな一面を覗かせたというだけで、まるで彼のヒーローとしての姿がすべて虚像であったかのように主張して憚らない。いくら公人だからといって、そこまで言われなければならないものだろうか。
自覚はなかったがこのときの出久、誰が見ても中身が別人だなどとは思えないほどに"爆心地"らしい表情を浮かべていた。その拳もまた、力強く握られている。
と、備え付けの内線が前触れなく鳴る。唇をきりりと引き結んだまま、彼は素早く受話器をとった。
『爆心地、警視庁の方がお見えです』
「……通せ」
内心、こんなぶっきらぼうな物言いでごめんなさいと手を合わせる。テレビ出演をきっかけに自然と勝己の演じることができるようになってきたが、心根まで変わるわけではないのだ。
程なく所長室に、客人が姿を現した。
「失礼する」
勝己に負けじとぶっきらぼうな男。紅白に分かたれた頭髪に切れ長のオッドアイがよく映える。それらの特徴に後れがちだが顔立ちは整っていて、同性の出久も見とれてしまうような美しさがあった。
「ええと、ようこそ轟さん……なんて僕が言うのも変ですよね、はは」
苦笑いを浮かべる出久だが、轟焦凍はくすりともしない。そもそも聞いてすらいないかのようなフラットな表情、勝己とはまたベクトルが異なるとっつきにくさを感じる。
「今日は報告に来たんだが、爆豪は学校か?」
「え、ええ。あの、僕でよければ伺いますけど……」
「………」
一瞬考えた様子の轟だったが、三秒後には鞄から書類を取り出していた。
「実際に動くのはあんただしな、問題もないか」
「はは……」
ソファーに通し、話を聞く。根幹となる入れ替わりの首謀者につながる情報のほかに、彼は勝己から依頼されたと言って細々とした情報も持ってきた。そんなことまで、と言いたくなるようなものも。
「……警察って、こんなに情報もってるんですか」
「警察というか、公安がな。当然使いどころは選ぶが」
淡々と応じる轟。ヒーローを夢見ていた少年の頃は、警察官といえば交番にいるお巡りさん・戦場でヒーローをサポートしたり倒したヴィランを連行している、という程度のイメージしかもっていなかった。しかし市民がどう思っていようと、彼らは国家の平和を守るために様々な分野で活動している。それが日のあたらない場所であっても──
大人になって、拘りと引き替えに視野を得た出久にはそれがまぶしく思えた。
「ところで、切島は大丈夫なのか?」
「えっ?」
「誠意をもって釈明したところで、バッシングが収まるとは限らない。長期化したとき、あいつの気力がもつのか……そこも含めて、よく考えたほうがいい」
感情のうかがえない口ぶり。しかしそれは警察官としてではなく、かつて同級生だったがゆえの助言と出久には感じられた。
「ありがとうございます、かっちゃんにも伝えておきます。……あの、ひとつ訊いてもいいですか?」
「……俺がなぜヒーローにならなかったのか、だろ?」
「!」
呆気にとられていると、彼はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「俺の前歴を知った人間は、絶対にそれを訊く。知ったところで、何の冥利もないだろうに」
「……すみません。でも轟さん、凄かったなぁって。一年生のときの体育祭、かっちゃんと張り合ってるの、思い出してしまって」
轟焦凍の姿を見たのはそれが最初で最後だった。平和の象徴が失われる前、ただしもうヒーローやその卵たちを純粋な憧憬だけでは見られなくなっていた頃ではあったけれど──それでもあの華麗な姿は、鮮烈に記憶に刻みつけられていた。
「……張り合えたのは、後にも先にもあのときだけさ」
「えっ……」
皮肉っぽく口許をゆがめて、轟は自嘲した。
「爆豪は……いや爆豪だけじゃない、皆、めきめきと実力を伸ばしていった。那歩島の事件で何ヶ月も入院してたやつも含めてな。……俺だけが、取り残されたんだ」
「どうして……ですか?」
「"舐めプ"だったから。爆豪に言わせればな」
「舐めプ……?」
轟はす、と視線を落とした。元々どこか鬱屈とした表情に、より深い翳が差す。その視線は、自らの左手を見下ろしていた。
「俺の個性は、"半冷半燃"。右で凍らせ、左で燃やす。だが俺は、右しか使わないつもりだった。左なんて……あんなヤツの力なんて、絶対に使いたくなかった……!」
あんな、ヤツ。
「もしかしてエンデヴァー……お父さんから受け継いだ?」
では"右"は、母親から遺伝したのだろうか。──そこまで考えて、はたと思い起こされる記憶があった。
(そういえばエンデヴァーって……家族へのDV、報道されてたような……)
あれはオールマイトの死後、彼が繰り上がる形でNo.1になって程なくだったか。妻に暴力を振るい、子供たちを個性で差別し続けた。一時期どこもかしこもそのニュースで持ちきりになっていたから、ヒーロー断ちをしていた出久の耳にも否が応なく入ってきた。ただ見たくもない話題、努めて遠ざけていたらばいつの間にか聞かなくなった。あれは結局、どう決着したのだろう。彼はオールマイトのように永遠のNo.1ではなかったが、それが原因で失脚したというわけでもなかったように思われる。
出久の心中などお構い無しに、轟はヒーローになれなかった直接の理由を吐き出した。
「俺は結局、仮免すらとれなかった」
「……!」
大人たちは、轟焦凍の意地を認めなかった。当時は別にして、自分自身大人と呼称するほかない年齢になった今、それは当然のことだと思う。自分自身、仲間、市民──守るべきものが危機に晒されているなかで、半分の力しか使わないなんてありえない。ヒーローはそんな甘い覚悟で務まる職業じゃない。
「今ならわかる、あの頃の俺はどうしようもない、ただの了見の狭ぇガキだったんだって。……でもそれなら、俺はどうすれば良かった?あの男の仕打ちなんて忘れて、何事もなかったように左も使えば良かったのか?もしそうだってンなら俺の……俺たちの苦しみは、どこに持っていけばいい?」
轟の澄んだオッドアイが、次第に歪んでいく。それは怜悧な雰囲気を崩さずにいたこれまでの彼からは、想像もつかない姿。どちらが本当の彼なのかは考えるまでもなくわかる。人間、成長するにつれて、立場や体面に縛られ本性のまま振る舞うことなどできなくなる。爆豪勝己ですらそうであったように。
轟は不意に、深々と吐息をこぼした。
「……喋りすぎたな。帰る」
「あ……」
再び心を閉ざしたような表情に戻ると、轟はすくりと立ち上がった。そのまま所長室を出ていく──背姿が、あまりに寂しく思えて。
「──それは、きみの力だよ!!」
「!」
轟の足が止まる。
「……どういう意味だ?」
「あ、えっと……だって、"個性"だよ?もちろん遺伝はしてるのかもしれない、でも結局は自分にしかない、自分にしか使えない力じゃないか。そう考えればさ。お父さんを許せないままだって……自分のやりたいことのために、使ったっていいんじゃないか、な……」
次第に語尾が萎んでいく。期せずして燃え上がった心が冷えていく、同時に羞恥めいた感情が浮かび上がるのを出久は自覚していた。
「……すみません、偉そうなことを。でも……でも僕はそう思いたい。僕が無個性なことを、お母さんに謝ってほしくなんてなかった。だから……」
「……俺の母親も、謝ってばかりいた」
痛々しい火傷痕の残された左目を、轟はそっと撫でた。
「そういうモンなのかもしれねえな、母親って」
「………」
振り向いた轟の表情が、不意に柔らかなものに変わる。出久には知るよしもなかったが、それは科警研で切島が目撃したのと同じだった。
「……今日は有意義な話ができた。ありがとな、緑谷」
「!、あ、いや……その、こちらこそ」
出久が一礼している間に、轟は颯爽と去っていく。生まれてこのかたの鬱屈が嘘のように、今、彼の心は澄みわたっていた。
誰にも理解されないと思っていた。でもほんとうは、わかってほしかったのだ。轟の中から消えない泣いている子供に、はじめて手を差し伸べてもらった。出会って間もない、元同級生の幼なじみだという男に。
(……今、俺のすべきことはひとつだ)
何も変わらない。だがその意気は、警察官としての職務を越えたものになりつつあった。それはずっと昔に忘れてしまった、純粋な熱情と言うべきものだったのだ。