【完結】僕らの英雄王   作:たあたん

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土曜日曜は連続で投稿したい…。


災邂

 

 禍福は糾える縄の如し、という諺がある。

 

 幸福と不幸は表裏一体。捻れて複雑に絡みあい、些細な出来事がきっかけでどちらに転んでもおかしくはない。

 人格を除いては完全無欠、No.1に上り詰めるのが遅れたことを鑑みても誰もが羨むような人生を送ってきた爆豪勝己だが、彼にとってもこの言葉は例外なく適用される。過去においても──そして、未来においても。

 

 このときの彼はそんなことも忘れ、ただ刹那的な気慰みに身を委ねていた。事務所のそれを凌ぐ高級なソファを玉座代わりとし、周囲にパーティドレスに身を包んだ美女たちを侍らせている。

 

「今日は前祝いだから、なんでも好きな酒飲んでいいぜ」

 

 そう告げてやると、女たちはきゃあきゃあと黄色い悲鳴をあげて喜んでいる。文字通り現金なものだ。ただ、ここは自分のような地位ある人間専用の高級クラブであり、相応の値段の代わりに行き届いたサービスと秘密厳守が約束されている。女たちもただ見目が良いばかりでなく、知的な含蓄のある者ばかりだ。

 

 それでも、ふと考える。少年時代の自分がこの光景を見たらどう思うだろう。酒池肉林を喜びはすまい、あの子供はどこまでも潔癖だった。

 もしも対話の機会があれば言ってやるつもりだ、「女は合法の麻薬だ」と。その味を知らなければ唾棄すべきものと映るが、一度知ってしまえば忘れることはできない。ただ、結婚だなんだと契約に縛られるのは煩わしい。昂った欲を発散するためのツール、それ以上のものになることは生涯ないだろう。

 

 では、傍らでやはり女たちに囲まれている切島鋭児郎も同じ穴の狢か。彼に限ってそうではあるまい、と思う。社会に出てからこっち、誠実な交際というものを彼は何度も繰り返している。それらが実を結ばないのは、プロヒーローという私を犠牲に成り立つ商売をしているというのももちろんだが、彼の中での最優先が勝己のことになってしまっているためだろう。「わたしと爆心地、どっちが大事なの」──別れ際、そう詰問されたことも一度や二度ではないと聞く。

 現にいまも、彼は高級酒に酔いながら女たちを口説くでもなくおいおいと泣き上戸を披露している。

 

「ひっく、ゆ、夢みたいだ……ばく、バクゴーがいよいよナンバーワン……ううっ」

 

 馬鹿が、と口の中でつぶやく。とはいえ、同業者の男にここまで惚れ込まれるというのは案外悪いものではない。なんだかんだ言いながらも二十年、彼とは苦楽をともにしてきた。他人に対して特別な感情を抱くことのほとんどない爆豪勝己だが、例外はいる。

 例外──何か、忘れているような気がする。果たしてそれはなんだったか、酔って鈍くなった頭でぼんやりと考えていると、懐の携帯電話が鳴った。舌打ち混じりにバイブレーションを続ける長方形を取り出すと、液晶に表示された秘書の青年の名前。

 

『島乃です』

 

 律儀に姓を名乗る活真青年。彼が幼児の頃を知っている身としては、名前のほうが通りはいいのだが。

 

『お楽しみのところすみません。……少し、まずいことになりました』

 

 活真の声はいつも通り落ち着いているが、困り果てたようないろが滲んでいる。どうやら少しどころではなく、かなりまずいことが起きているらしい。

 気づけば切島もまじめな顔になって、こちらに聞き耳を立てている。勝己は言葉少なに続きを促した。

 

『ブラスト・レッドが失言です』

「あ?」

 

 ブラスト・レッド──勝己が立ち上げた事務所に所属する若手ヒーローである。タレント化著しい昨今のプロヒーローの中では珍しい寡黙な実務家タイプの青年で、能力の高さとムダ口を叩かない性格を好んで拾ってやったのだ。それが失言?

 

「どこで何つった」

『ウホウホ動画の生放送で、"会社をクビになったくらいで死ぬようなヤツは根性なしのクズだ、バカ野郎"……と』

 

 ぴき、と額に青筋が浮かぶのが自分でもわかった。スピーカーに耳を寄せていた切島などは、目頭押さえて天を仰いでいる。

 

「マジかよ……よりによってこんな大事なときに」

「チッ……活真、そのバカとっ捕まえて事務所呼べ」

『既にプリンスホテルの部屋をとって放り込んであります』口調は冷静だが、言葉選びに感情が出ている。『事務所には既にマスコミが押し寄せていますし、お手数ですがこちらに来ていただいたほうが』

「チッ」二度目の舌打ち。「わぁった、切島とすぐ向かう」

『お願いします。……それともうひとつ。釈明は、期待しないでください』

 

 念押しするようなひと言の意味は、実際にホテルに到着してすぐに知ることとなる。

 

 

 *

 

 

 

「お待ちしていました。おふたりとも、こちらです」

 

 ロビーで待機していた活真と合流し、ブラスト・レッドを捕まえているという上階の一室に向かう。他の宿泊客に気取られぬよう道中感情を抑えていた勝己だったが、案内された部屋に入った途端、個性よろしく爆発した。

 

「おいコラくそガキィ……!どう落とし前つけンだア゛ァ!!?」

 

 怒鳴り散らしながら、ずかずかと踏み込んでいく勝己。切島が慌てて宥めようとするが、その必要はなかった。

 ブラスト・レッドの姿が、室内に見当たらないのだ。

 

「……おい活真、アイツどこ行った?」

 

 まさか、ふらりと出て行ってしまったのか?とすれば向かった先は上か、下か。最悪の想像が脳裏をよぎる。

 しかし、答える活真の声は静かだった。

 

「そこにいます」

「は?──!」

 

 あ、いた。

 

 ベッドとベッドの隙間に縮こまるようにして、ブラスト・レッドは三角座りをしていた。乱れた着衣。靴下は脱ぎ散らかされ、裸足を晒している。いつも燃えるような意志を露にしている瞳は濁り、焦点が定まっていない。

 

「……何やってんだ?」

 

 不可解な姿に、怒りは萎えてしまった。訝しげに訊くも返事はない、ぶつぶつと意味のない言葉の羅列が返ってくるばかりだ。

 

「ずっとその調子なんです」背後から、活真。

「だから、釈明は期待するな……って?」

「はい」

 

 困り顔で、活真は頷いた。

 

 

 *

 

 

 

 活真にブラスト・レッドから目を離すなと厳命し、勝己と切島は部屋を出た。

 

「流石にまずいぞ、今回の発言は」わかりきったことを言う切島。「マスコミに何書かれるか……」

「………」

 

 切島の言葉に反応する余裕はなかった。マスコミが厄介なのはわかりきったこと。これまで、実に学生の頃から悩まされてきたのだから。

 と、再び勝己の携帯電話が振動した。画面上に躍る名前に、今度は蛙の潰れたような声が漏れる。それでも、出ないわけにはいかない相手だった。

 

「……はい、爆心地」

『歯に衣着せぬ発言と、暴言は違うよ』挨拶もなしに、これである。『きみも散々揉まれて、学習したろう』

「………」

 

『爆心地は他人を傷つけるような暴言は決して許さない──その姿勢を、世間に見せなきゃ駄目だよ』

「わかってます。必ず収めます」

 

 長々と話すつもりはない。こちらの返答に相手が満足したところで、通話を打ち切る。

 

「チッ……」

「城山さんか?あの人おめェの携帯に直接かけてくんだもんなぁ……しょうがねえけどさ」

 

 城山は、爆心地ヒーロー事務所の大口スポンサーたる企業の代表取締役会長だ。勝己が25歳のとき、事務所を立ち上げたそのときから気前よく出資してくれている。それは有難い話なのだが、些事にまで口を挟んでくるのが玉に瑕なのだ。勝己の姿勢を買っていると言う割には、そのプライドへの配慮がない。

 

「ブラスト・レッド……どうすっか」

「決まってる、クビしかない。でなきゃ世間は納得しない」

「………」

 

「世間の納得、か」

 

 「世間が認めても、俺が認めてなきゃゴミなんだよ!」──彼がそう言い放ったのはまだ学生の時分だったか。すっかり変わってしまった相棒。しかしそのように導いてきた自分にも責任の一端はある。

 顔を歪めて頬を押さえるその姿を横目に、歯医者に行く時間がなくなってしまったなとぼんやり思う切島だった。

 

 

 *

 

 

 

 翌朝、表の社会が動き出す時間帯。

 中学校教師・緑谷出久はとある住宅街の一角を歩いていた。手にした書類には、ただいま向かっている家の子供のパーソナルデータが記載されている。紛失したら始末書では済まない。

 宇佐見駿、13歳。今春から担当することになったクラスの生徒だ。しかしその姿を直接見たことはない。

 

 不登校。今どき、珍しい問題でもない。出久のクラスでは彼ひとりだが、多いところでは三、四人いるとも聞く。子供でも大人でもない中途半端な年齢、人間の内面が、おそらくいちばん脆い頃。いじめ、無気力、挫折──そうしたネガティブに苛まれて、自分の殻に閉じ籠りたくなる気持ちは出久にもよくわかる。形は違えど、()()()の自分もそうだったと思うから。

 

 "宇佐見"と表札の掲げられた真新しい一軒家にたどり着く。意を決してインターフォンを押すと、抑えたような女性の応答が返ってきた。

 

「昨日連絡差し上げた緑谷と申します。駿くんのクラス担任の……」

 

 事前に約束をしている。相手はこちらを確認すると、すぐに玄関を開けてくれた。

 

 

「わざわざ申し訳ありません、先生。うちの息子のために……」

 

 駿の母親は出久より幾分か年上の、四十に差し掛かるくらいの妙齢の女性だった。美しく聡明な顔立ちと振る舞いは、良妻賢母という言葉がよく似合う。ただ、少しやつれているようにも見えた。

 

「いえ……それより駿くん、どうしてますか?」

「……部屋から出てこないんです。私や夫とも、ほとんど口をきこうとしなくて……」

 

 何故、そんなことになってしまったのか。駿は元々活発な生徒で、陸上部の短距離走者(スプリンター)として活躍していた。しかし数ヶ月前、練習中の事故で脚に大怪我を負って彼は一変してしまった。もう以前のようには走れない──その事実に絶望し、部屋に引きこもるようになってしまったという。ちょうど、今のように。

 

「陸上は、あの子の夢でしたから……」

「夢……」

 

 ぽつりとその言葉を復唱するのと、駿の部屋の前に到着するのが同時だった。

 

「駿、学校の先生が来てくれたわよ」

 

 返答は、ない。

 続いて出久が声をあげる。

 

「駿くん、おはよう。担任の緑谷です、はじめまして」

 

 やはり声も、物音も返ってこない。それは予想の範疇だった。他者と言葉をかわすには、想像以上のエネルギーが要る。

 

「今日は……その、挨拶に来たんだ。ついでだし、よかったら少しだけでも話ができると嬉しいんだけどな?」

 

 柔らかく、決して無理強いはしない。まだ信頼関係のできていない相手だ、そうしてゆっくりと距離を詰めていくしかない。

 その方法を教えてくれた、カウンセラーをやっている元恋人の顔が脳裏をよぎる。彼女は自分より六つも年下だったけれど、聡明で頭の回転も速く、時折姉のように感じることさえあった。彼女に弟がいることも多分に影響しているのかもしれないが。

 

 出久にとって計算外だったのは、この場が説得対象との一対一ではないということだった。

 

「何を悠長なことおっしゃってるんですか、緑谷先生!」

「え……?」

 

 その上ずった声音は、駿の母親から発せられたものだった。

 

「早く学校に行かせないと……!駿はどんどん駄目になってしまいますッ、力づくでもなんでもいいから引っ張り出してください!」

 

 必死な形相でまくしたてる母親。抗議というより、懇願するような様子だった。さしずめ家族ではどうにもならないから、親身な担任教師に過大な望みをかけていたというところか。こういう場面に遭遇するのは珍しいことではないので、冷静に分析する余裕が出久にはある。

 ただ、この母親は完全に平常心を失ってしまっている。

 

「駿、いい加減にして!走るのが無理になったんだからッ、せめてまじめに学校行って勉強しなきゃ破滅よ破滅!ニートの面倒なんてうちじゃ見られないわよ!?」

「お、お母さん落ち着いて」

 

 出久が宥めようとするが、興奮しきったこの女性の耳には届かない。我が子を罵倒する呪詛のような言葉が次々に飛び出してくる。母として心配する気持ちはもちろんあるのだろうが、頑なな息子に鬱憤が溜まってもいたのか。

 いずれにせよ、これは非常によろしくない。本当ならいちばん頼りたい、甘えたい存在に否定されるのがどれほど心を傷つけるか。いきりたった母親を鎮める方法を脳内で模索していると、不意に部屋の扉が開け放たれた。

 

「!」

 

 写真と同じ顔をした、パジャマ姿の少年。陸上の大会で貰ったのだろうトロフィーを、どうしてか抱えている。──まさか、

 

「黙れよッ、クソババア!!」

 

 ずしりとした黄金の杯を、力いっぱい振り上げる。

 

「危ないっ!」

 

 出久が咄嗟に割って入るのと、トロフィーが駿の手から解放されるのが同時だった。

 

 あ──

 

 目の前の光景が、スローモーションに見える。高所から転落したときちょうどこんな状態になると聞いたことがあるが、今も似たような状況だろうか。

 現実逃避のような思考に囚われるのも一瞬だった。刹那、出久は頭部に凄まじい衝撃を受けた。視界が明滅し、大きな星が点いたり消えたりしている。あれは彗星かな……?いや、違うな。彗星はもっとこう、バァーって動くもんな……。

 

 どこかで聞いた台詞を思い起こしながら、出久の意識は途絶えた。

 

 

 *

 

 

 

 奥歯の痛みが日増しに酷くなっている。

 

 市街の一等地に構えた己の城の前で報道陣に囲まれながら、No.1(予定)ヒーロー・爆心地こと爆豪勝己は懸命に顔が歪みそうになるのを堪えていた。

 これがNo.1の意気込みを語る場であれば、忍耐など何の苦にもならない。しかし現実は、いっそ笑ってしまいたくなるほど甲斐のないものだった。

 

「今回のブラスト・レッドの発言について、爆心地ご自身はどのようにお考えですか?」

 

 マイクを向けられた勝己は、能面のような表情で答える。

 

「誠に遺憾であり、ヒーローとして甚だ相応しくない発言だったと考えています」

「ブラスト・レッドご自身から釈明や謝罪がないのは何故ですか!?」

 

 別方向から質問が飛んでくる。

 

「自身の発言を悔いるあまり、憔悴しきっている状態です。落ち着き次第、当人からもコメントを出させます」

「今回の発言、SNS上でも炎上していますが!?」

 

 また別方向から。"炎上しているから"何なのだ、はっきりモノ言えや。

 内心毒づきつつ、表面上は落ち着いた口調でしゃべる。

 

「結果として多くの方に不快な思いをさせてしまったことは、彼の上司として誠に申し訳なく思っています」

「ブラスト・レッドについて、どのような処分が適切とお考えですか?」

「事務所としてはまだ検討中ですが、厳しい処分が必要と考えています。その後のことはヒーロー公安委員会の判断にお任せします」

 

 そこがヒーローの面倒なところだ、と勝己は思う。ヒーロー免許は公安委員会が発行しているもので、当然ながら事務所が勝手に取り上げることはできない。事務所をクビにしたとしても、ブラスト・レッドというプロヒーローの存在が消えてなくなるわけではないのだ。

 

 質問が途切れる。これを好機とみた勝己は、おもむろに逞しい背を折った。

 

「改めて申し上げます。この度は本当に、申し訳ございませんでした」

 

 次々にフラッシュが焚かれる。鬱陶しいが、わずかの辛抱だ。所詮は十数人いる所属ヒーローのうちのひとりが失言をしたにすぎない。責任者として形式的に謝罪し、然るべき処分を行っておけばこれ以上の大事にはなるまい。

 

「そんな形だけの謝罪で本当にいいんですかねえ?」

 

 なんの前触れもなく、粘着質な声が頭上から響く。反射的に顔を上げた勝己の視界に、気取った色眼鏡の若い男の姿が飛び込んできた。

 

(小中……!)

 

 小中──下の名前は忘れた。ただ、どこの会社にも属さないフリーの記者と自称していることは覚えている。いち記者の名前と身分が勝己の記憶にあるというのは余程のことだ。無論、良い意味ではなく。

 

「だいたい爆心地、今回の一件はあなたご自身が蒔かれた種なんじゃないですか?」

「……おっしゃっている意味がよくわかりませんが」

 

 眉間に皺が寄るのが自分でもわかる。

 

「あなた若い頃は口を開けば暴言、暴言、暴言のオンパレードだったじゃないですか。どこかの検索エンジンで"爆心地 暴言"で検索すればたくさん出てきますよ。見たことあります?」

「ないです。それに、私の過去の発言と今回のブラスト・レッドの発言にはなんの関係もありません」

「は?いやいやあるでしょう、数あるヒーローの中でわざわざあなたの相棒(サイドキック)になったわけですよ。あなたに感化されて、自分もああいうことを言っていいんだと勘違いしたんじゃないですかぁ?」

「……昔の自分の発言が適切だったとは思ってませんし、発言には気をつけるようサイドキックには教育してますけど」

 

 口調がぞんざいになりはじめている。一歩引いて見守る切島は、そろそろ潮時かと密かに嘆息した。徹夜でふたり想定問答を検討し、それにのっとって勝己は答えてきたわけだが……天敵の出現に感情が抑えきれなくなりつつあるらしい。無論、昔を知っている身とすれば、よく我慢していると褒めてやりたいところだが。

 いずれにせよ、選手交代だ。そう考えて一歩進み出るのと、勝己が左の頬を押さえるのが同時だった。

 

 

「!?、てぇ……ッ!」

 

 これまでにない激痛が走った。視界が一瞬ホワイトアウトし、忌々しい小中の狐面が明滅する。続けられる人格攻撃に近い質問も、まるでどこか遠い世界のことのように聞こえた。

 

(ンだよ、これ……ッ)

 

 質問に答えようと口を開こうとしても、ひゅー、ひゅーと荒い吐息がこぼれるばかりで言葉にならない。

 なんだ、これは。混乱の中で、思わず瞼を硬く閉じた瞬間──ふっと身体が浮かび上がるような感覚とともに痛みが、否、すべての感覚が消えた。

 

 

 *

 

 

 

 ザザ、というノイズのような音が、絶えず頭の中で響いている。

 

 ──……せい、先生。

 

 そこに混じる、女性の声。先生……政治家か?

 

 ──緑谷先生、

 

 緑谷……?

 

 そんなヤツが、俺の人生の中に存在していたような気がする。ぼんやりとそう思った矢先、よりいっそう鮮明な呼び声が響いた。

 

「緑谷先生っ!」

「!」

 

 はっと目を開けると、不安げに覗き込む年かさの女性の姿が視界に飛び込んできた。

 

「大丈夫ですか、緑谷先生……!?」

「……?」

 

 ……誰のことを呼んでいる?

 

 痛む頭を押さえて起き上がってみるが、自分と相手以外に人物の影は見えない。だいたい、この女は自分を凝視している。

 それに、

 

「ンだ……ここ?」

 

 つい今の今まで事務所の前でマスコミ対応に苦心していたはずが、どう見てもどこかの家の中にいる。

 自分の身体を見下ろした勝己は、そこで更なる違和感に襲われた。仕立ての良いオーダーメイドスーツを身に着けて路上会見に臨んだはずが、何度も洗濯に洗濯を重ねてよれた安物のワイシャツにズボンが身体を包んでいる。その身体というのも、服の上からでもわかるほど細く頼りないもので。

 

「……おい、あんた」

「!、は……はい」

「洗面所、どこだ」

「せ、洗面所ですか?」

 

 「階段を降りて、廊下を奥に進んでもらえばありますけど」──語尾まで聞かず、勝己は階段を駆け下りていた。

 

 

 *

 

 

 

 一方、緑谷出久。意識を取り戻した彼も、異様な状況に置かれていた。

 

 受け持ちの生徒宅にいたはずが、市街地で、マイクやカメラを持った大勢の人、人、人に囲まれている。その前面に立つ狐顔の男が、にやにや笑いながら口を開いた。

 

「どうしたんです、爆心地?質問に答えてくださいよぉ」

「ばく……しんち?」

 

 自分に言っているのか?爆心地といえば、No.2ヒーローの名。ヒーローに疎いと周囲から言われる出久でも、その程度のことは知っている。

 戸惑いがちに視線をさまよわせていると、彼を押し退けるようにして赤髪の男が前に出てきた。

 

「ハイ、ハイ!爆心地疲れてるみたいなんで、申し訳ないっスけど今日はここまで!」

「え……」

 

 この人は──確か、烈怒頼雄斗?

 ますます困惑を深める出久を、彼はビルの中に押し込んでいった。

 

 

「どうした、バクゴー?さっきからなんか変だぜ。歯痛、そんな酷ぇのか?」

 

 こちらを下から覗き込むようにして、烈怒頼雄斗は問いかけてくる。気遣わしげな瞳は不愉快なものではないが、今はそういう問題でもない。

 

「あの……烈怒頼雄斗、さん?」

「は?いやマジどうした……ンな他人行儀な呼び方」

「他人行儀も何も……爆豪って、僕のことですか?」

「………」

 

 黙り込んだと思えば、いきなり額に手を当てられる。

 

「熱は……ねえみたいだな」

 

 どうやら、本気で爆豪勝己だと思われているらしい。だが──身体に大きな違和感があるのも、確か。

 

「あの……トイレって、どこですか?」

「……ひょっとして記憶喪失か?なんかの個性にかけられたか?」

 

 気遣わしげながらも、彼は廊下の奥を指し示した。

 

 

──そして彼らは、己の身に起こった出来事を思い知ることになる。

 

 

「な、」

「な……」

 

 

「「なんじゃこりゃああああ──ッ!!?」」

 

 

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