ところどころ焦げた状態で、蜥蜴男が床にのびている。あわてて駆けつけた警備員らが寄ってたかって彼にまとわりつき、拘束する。そちらを気にかけつつ、勝己は自らの身体に駆け寄った。
「デクっ、怪我は?」
「あ、っと……僕は平気だよ」へらりと表情を崩し、「なんか変な感じだね、かっちゃんに心配してもらうなんて」
先ほどまでと打って変わってすっかりデクそのものの顔つきになったのを目の当たりにして、勝己は盛大に顔を顰めた。
「てめェの心配なんざ誰がするかっ、俺の身体だから訊いたんだよ!」
「ちょっ……大声出さないでよ、南先生に聞こえちゃう」
あわてて南のほうを見やる出久。と、そこで彼女の様子に違和感を覚えた。俯く南は、群衆たちのように状況についていけないという風ではない。怯えているというのとも、何か違う気がした。
「南……先生?」
爆心地の姿で声をかけるべきか否か躊躇っていたらば、隣の幼なじみが先んじて動いていた。
「先生、」
「あんた、──こうなることを知ってたな?」
「!」
ぎょっとしたのは出久と、あとを追ってきた活真だけだった。指摘された当の本人はしらを切ることもなく、何かに堪えるように拳を震わせている。
「……どうして?」
意図せず飛び出した問う言葉には、様々な意味が込められていた。まずもって応じたのは、やはり隣に立つ幼なじみで。
「文化祭でおまえを呼ぶって話を出して以来、彼女の様子はずっと変だった。罪悪感、躊躇いみてぇなもんが俺と顔合わせるたび漏れてたんだよ。それがきょう、おまえが来た途端ごまかしきれないレベルになった」
「………」
たしかに、久々に顔を合わせた出久でさえ違和感を覚えるほどには、彼女の振る舞いには不審なものがあった。
「あのヴィラン崩れ、あんたが手引きしたのか?」
「………」
「……あなたが悪いのよ、爆心地」
「……!」
顔を上げた南は、そう言って恨みがましい目を勝己へ向けた。"爆心地"ではない、緑谷出久の肉体に対して。
その答は、ひとつしかない。
「あんた、まさか」
──入れ替わりの事実を、知っている?
そのとき出久が、麻衣の身体に一瞬奇妙な光がよぎったことに気づいたのは、ほんとうにただただ偶然というほかないことであった。
光源をたどって振り向いた彼が見たのは、隣接する小学校の屋上から、こちらに長物を向ける男の姿。それは円筒形をしていて、先端部が禍々しく黒光りしていて──
その正体に思い至った途端、出久は動いていた。
「──危ないっ!!」
南に駆け寄りその身を押しやるのと、激しい破裂音が響いたのがほぼ同時。
──爆豪勝己は、みずからの肉体が血飛沫をあげるさまを目の当たりにした。
「……!」
それはスローモーションのような光景だった。ゆっくり倒れ伏すNo.2ヒーローの身体。壇上にどろりと広がっていく血。誘導にしたがって会場を出る途中だった人々もまた、呆気にとられたようにこちらを見つめている。
「──デクっ!!」
もはや取り繕うことも忘れて、勝己は己の身体を……そこに入り込んでしまった幼なじみを抱きかかえていた。手にべっとりと濡れた感触、出血が激しいことが五感に伝わってくる。
「デクっ、おいデク!!」
活真が救急車を手配しようと必死になって携帯電話に呼び掛けていることも、群衆たちの恐懼も、今の勝己の意識にはない。ただ激しい焦燥が、彼の心身を支配していた。
出久はというと、呼吸もままならないのか、ひゅうひゅうと漏れ出るような息を吐き出すばかりだった。──そんな状態でありながら、頬にうすく笑みをつくる。
「……かっちゃ……ん、ごめ……きみの、からだ……」
「ッ、うるせぇ!なにも喋んな!!」
今はそんなこと、どうでもいい──それは言い過ぎだと理性が主張する。しかし今このとき絶えず湧き出る感情は、己の肉体に向けられたものなどではなかった。
「しぬ、なら……じぶんの、からだ……で……」
勝己がそれ以上言い募るまでもなく、出久の声は途切れた。瞼がおもむろに閉じられ、全身から力が抜ける。
「デク……?おいデク、目ぇ開けろや……デク……!」
「デク────ッ!!」
*
仄暗いいろに染めぬかれた靄が、月を覆い隠そうとしている。
──間もなく頂に昇ろうという英雄が失われようとしている。その予兆を、象徴するかのような夜。
「もって、あと数時間でしょう」
医師の言葉が、冷たく廊下に響く。ガラスの向こうで眠っているような、しかし物々しい計器類に囲まれている姿は、まさしくそれを裏づけていた。
「………」
活真が各所へ忙しく連絡を入れている姿を尻目に、勝己は己の肉体をじっと睨んでいた。その童顔に、感情は現れない。現れていないだけで、内面では激しく渦を巻いていることを知る者は、この世にそう多くはない。
無為な時間がいたずらに過ぎるなか、不調法にも慌ただしく駆けつける足音が響いた。
「爆豪っ!」
来たか──顔を上げると、勝己はここに来てようやく慮外を露にした。
呼び出した親友であり相棒・切島鋭児郎の背後に、真幌、そして死柄木弔の姿があったのだ。
「……おまえ、ンでそいつらまで」
だいたい、よく外出許可が下りたものだ。監視の刑事だっていただろうに……まさかまた無断で抜け出したのでもあるまい。
「ふたりとも、どうしてもってきかなくてよ……」
真幌は出久、そして死柄木はなんと勝己の肉体を気にかけて居てもたってもいられなかったというのだ。監視を代わるという名目で公安を説得し、ここに連れてきたのである。
「……で、容態はどうなの?」
死柄木の問いに、勝己は小さくかぶりを振った。その意味するところは明らかで、念のためフードを目深に被って変装した真幌が茫然自失としている。
「ッ、緑谷……なんでこんな……!」
拳を握りしめる切島。中学校の文化祭というささやかなイベントで、なぜこんなことになったのか。いったい誰が、凶弾を放ったのか。
冷静なものなど誰ひとりとしていない、にもかかわらずひんやりした空気に覆われた廊下。そこに、勝己のもつ携帯電話が鳴動した。
『──俺だ。今、いいか?』
相手は公安の警視殿だった。
『今、部下が南麻衣の取り調べ中だ。おまえ……というか緑谷に襲いかかった蜥蜴男を校内に引き入れたのは、やはり彼女だった』
「………」
そういえば、そんなヤツもいた。あれで済めば記憶に残る忌々しい存在になっていたかもしれない、しかし現実にはあれは前座ですらなかった。……前座?
「……デクを撃ったヤツは?」
『そちらは知らないと言っている』
やはりか。──あの狙撃手が狙ったのは、出久……つまり爆心地ではなかった。南麻衣めがけて撃ち込まれた銃弾を、庇いに飛び込んだ出久が浴びたのだ。
『狙撃手は彼女を消そうとしていたってことか。おまえたちを入れ替えた連中と関係があるかもしれないな』
「かもじゃねえ、間違いねーわ。……あの女、俺とデクが入れ替わってることを知ってやがった」
『……そうか、とにかく聴取はまかせろ。我々はなんでもやる、人権侵害にならない範囲内でな』公安らしい不穏な言葉を放ちつつ、『──それと、脳波ジャックのオペレーターも捕捉している。こちらで操作すれば、いつでももとの状態に戻れるが……』
「………」
ふたりが今、どんな状態に置かれているか──把握していればこそ、轟は言いよどむ。対する勝己は暫しの沈黙のあと、「少し待ってろ」とだけ告げて通話を打ち切った。
「……ね、ねえ。どうする気なの、爆豪?」
真幌が恐る恐る、訊く。何も答えない勝己、その表情はひどく凪いでいた。彼がこういう顔をするとき……その覚悟は決まっているのだと、長きを彼とともに歩んでいた切島鋭児郎は知っていた。
「爆豪、おめェまさか……」
「……切島、今まで世話ンなったな」
「……!」
言葉を失う切島に代わるように、死柄木が「おいおい」と声をあげた。
「爆豪くんさァ……俺を失望させんなよ。きみは他のヒーロー連中みたいな自己マン自己犠牲にだけは走らないと思ってたのに。……生きろよその身体で、あの幼なじみくん踏み台にしてでも」
真幌の身体を借りているだけあって、表情、声音に死柄木のほんとうに思うところがあらわれていた。ヒーローは殺したいくらい憎くても、勝己のことは嫌いではない──その言葉は、たしかに本心だったのだ。
「こんな木偶の坊の身体で生き延びンのなんざごめんだわ。……木偶の坊には、デクがいちばんよく似合ってる」
「………」
「それより死柄木、わかってんだろうなァ。俺がいねーのをいいことにまァた悪さしやがったら、化けて出て地獄に引きずり込んでやる」
「はは……きみはやっぱり、そうでなくっちゃなァ」
寂しそうに笑う死柄木。それが彼の見送りの表情なのだと理解した勝己は、そのまま隣に立つ死柄木の姿をした女に目を向けた。
「真幌。デクはどんくせー無個性で自己評価ドン底でそのくせ自分がこうと決めたら他人の話なんざ聞きやしねえ石頭のサイコ野郎だ、そんなヤツと一緒ンなったら苦労じゃ済まねえぞ」
「………」
真幌は微笑みを浮かべた。
「……知ってるよ。でもわたし……出久を、愛してるから」
「……そうかよ」
可愛い妹分にここまで言わせて、デクがまだウジウジ迷っているならやっぱり化けて出てやる。これは当分成仏できないかもしれないと、古い宗教用語まで思い出して勝己は笑った。
──そのときだった。
「いやだ……!!」
絞り出すような青年の声が、廊下に響き渡ったのは。
「………」
振り向いた勝己が見たのは、大きな琥珀色の瞳に涙をいっぱいに溜めた真幌の弟だった。先ほどまで秘書として己の職分を果たしていたのが嘘のように、彼は子供の頃と変わらぬ姿を晒している。
「いやだよカツキ兄ちゃん……!死んじゃいやだ……!」
「……活真、」
こんな、子供のように泣きじゃくる活真を目の当たりにしたのは、彼が幼い頃無理やり部屋から引きずり下ろして以来のことだった。
でも、そうだ。彼はこういう、泣き虫の子供だったのだ。──それなのに意志の強さを覗かせる琥珀色の瞳が、むかしのデクにそっくりだった。だから余計に、放っておけなかったのだ。
「………」
泣きじゃくる活真に歩み寄ると、勝己はそっと彼を抱きしめた。十数年ぶりに触れた背中は思っていたより随分と逞しくなっていて、彼がヒーロー爆心地に仕える者としての誇りを大切にしていることに改めて思い至った。
「活真、おまえは俺が救けたかもしれねぇが……それ以上に、おまえには救けられた。──あんがとよ」
「……!」
おまえなら、どこでだってやっていける──この仕えにくい上司から与えられた最大限の賛辞に、活真はようやく泣き笑いを浮かべた。
「……もちろんです。なんたって僕は、ヒーロー爆心地の秘書ですからっ」
そして、最後に。
「切島、事務所のことはてめェにまかせる。入れ替わってからは実質てめェが切り盛りしてンだ、なんとかなんだろ」
「……ンな簡単なもんじゃねーって。おめェの存在は、おめェが思ってる以上に大きいんだぜ?」
「はっ、俺が思ってる以上なんざねーだろ。俺が唯一無二なのは知っとるわ、アホ」
「それでもおまえなら、新しい道を切り開けるって信じてんだ。あきらめて託されろや、──烈怒頼雄斗」
「ッ、……わかった。託されたぜ、次期No.1!」
その称号は、永遠のものとなって彼らの胸のうちに残る。それだけでこんな、穏やかな気持ちに今はなれる。
心残りを片付けた勝己は、再び轟に電話をかけた。ワンコールで繋がるも、流れるのは一瞬の沈黙。
「待たせたな。やれや」
『……ほんとうに、良いんだな?』
轟の声にも、珍しく感情がこもっていた。同級生をやっていた頃には"アイスマン"などとあだ名されていた彼だが、感情がないわけでないことは知っている。間違いなく嫌いだったのに、ごくまれに垣間見える彼の笑顔を見るのは嫌いではなかった。
「じゃあな、轟」
『……ああ』
通話を打ち切り、その場に座り込む。程なくして、"それ"はやってきた。
「────ッ!!」
とうに忘れていた奥歯の痛みが襲いかかる。明滅する視界で、集中治療室のベッドに横たわる出久もまた、目をみひらいて痙攣を起こしているのがわかる。
(デク、)
(おまえは、)
(おまえは、俺の──)
──そして、爆豪勝己の意識は闇に閉ざされた。