島乃真幌の借りているマンションの一室に、複数の影が迫りつつあった。
管理人を呼びつけて玄関のオートロックを解除させ、堂々と建物内に進入するスーツ姿の男たち。そんな芸当ができるのは、彼らが公的な身分をもつ者たちだからだ。
「──
『状況はどうか』
「室内点灯、人物あり」
『了解。総員用意が整い次第、突入せよ。標的は危険な個性をもつヴィランだ、警戒を怠るな』
「了解」
銃器を構え、廊下、ベランダ側の駐車場、屋上、階段──複数の位置に陣取る男たち。彼らは一様に腕章を誇示している。
そこには、"警視庁 捜査一課"と記されていた。
*
「課長、総員配置につきました」
部下からの報告を受けて、捜査一課長・塚内直正は満足げに頷いた。彼のデスクには二頭身サイズのオールマイトの人形が飾られている。彼がオールマイトこと八木俊典と友人関係にあったことは近しい者の間では知られた話なので、不思議に思う者はいない。
「では、指揮は引き続ききみにまかせる」
そう言って席を立とうとするので、部下が「どちらに?」と訊く。当然の質問なのだが、塚内の返答は飄々としたものだった。
「野暮用だ、すぐ戻る」
黒々とした瞳は、底知れない光を放っていた。
*
一課長室を出た足で塚内が向かったのは、庁舎の屋上だった。抜けるような快晴のもと、帝都の中心部に連なる建築群が四方をぐるりと囲んでいる。
この光景も、かつて警察が治安維持の枢要を占めていた名残でしかないと塚内は思う。社会の平和と安寧の守り手たるのはヒーローであって、現代の警察はその間隙を埋める存在にすぎないのだと。なればこそヒーローには、歴史と伝統を背負った警察が支えるにふさわしい存在であってもらわねばならない。
「待たせたね、──轟くん」
「いえ、こちらこそお忙しいときにお呼び立てして申し訳ありません」
目の前で小さく頭を垂れる男もまた、かつてはヒーローを志す少年であり、友人の教え子だった。しかし彼は大人たちに認められず、代わって胸もとに警察バッジを装着している。優秀な人間をひとり確保できたのだから、警察組織としては僥倖だったと言うよりほかないが。
「気にするな、と言いたいところなんだが……あいにくでかいヤマの真っ最中でね。申し訳ないが手短に頼む」
「……その点についてはご心配なく」
一瞬塚内の背後に気をやるようなそぶりを見せたあと、轟は改めて口を開いた。
「例の事件の容疑者を逮捕しました。といっても、主犯ではなく協力者ですが」
「ほう、それでも大きな一歩じゃないか。主犯にはたどり着けそうか?」
「ええ。少なくともその協力者に接触していた男については、判明しました」
告げると同時に、胸ポケットから一枚の写真を取り出す。写し出された人物を見せられた途端、塚内の表情が変わった。
「この男、誰かに似ていると思いませんか?」
「……くくっ、」笑みを浮かべ、「もうやめにしないか、そんな白々しい物言いをするのは。きみらしくもない」
「………」
轟が持ってきた──南麻衣が首謀者と指し示した写真に写る男は、塚内直正その人だった。
「お認めになるんですか」
「どうかな。今のところその容疑者が自白したというだけで、物的証拠もないんだろう」
「残念ながら。しかし、あなたがオールマイト記念財団の構成員であることはわかっている」
「ほう?」
塚内がはじめて驚いたような──否、感心した表情を浮かべた。
「いつの間に調べたんだ?容疑者を逮捕してからそんな時間があったとは思えないが」
「警察内部にも構成員がいる、とお伝えしたはずです。……あまり公安を舐めないでいただきたい」
ということは、オールマイト記念財団の事件への関与が浮上してから──いやそれよりもっと以前から、警察内部の調査をすすめていたということか。オールマイトの友人であり、学生時代に世話になった年長者相手にも、躊躇なく。
「きみは、良い警察官だな」
「………」
「──そろそろ出てきたらどうだ、きみたちも言いたいことがあるんじゃないか?」
ばれているなら、隠れている必要もない。
──塔屋の影から出てきたふたりのヒーローの姿を認めて、塚内はよりいっそう笑みを濃くした。
「轟警視、きみが呼んだのか?用意周到だな、それなら──」
と、またしても予想通り電話がかかってきた。──部下から。
「塚内だ、」
『課長、緊急事態です!標的がいません』
「………」
『室内に踏み込んだところ、公安の女捜査官が……課長?聞こえていますか?』
聞こえているが、そのまま通話を切る。今はこちらのほうが大事だ。
「……死柄木
「奴らは見舞いに行っています」
「はは……なるほど、そういうことか」
肩で笑う塚内。一方で勝己たちは、死柄木と真幌が監視の目から逃れることをあっさり許された理由に合点が行っていた。すべては
「落ちぶれたとはいえ凶悪なヴィランを野に放つなんてな、きみたちのほうがどうかしてるんじゃないか?」
「………」
その点については言い返すつもりもない轟。勝己たちはもうすっかりチームの一員のように扱っているが、轟自身は死柄木のことをまったく信用してはいない。まあ、そのほうが正しいのは勝己たちもわかっている。
いったん口を閉ざした轟に代わり、声を張り上げたのは勝己に同行した切島だった。
「なんでだよ塚内さん!?あんた、むかしからずっと俺たちのこと、助けてくれたのに……!」
「ああ。俺は警察官で、きみたちはヒーローだからな」
親しみのこもった声、表情。それはかつての少年たちの知る、塚内直正となんら変わりのないもので。
「でも爆豪くん、きみがNo.1ヒーローってのはさ……違うだろ?」
「……!」
だが、その黒々とした瞳にはなにもない。──虚無。
「──なあんて、俺がもし黒幕だったらそう言うかな?」
「ッ、まだシラ切るのかよ……!往生際悪ィぜ、塚内さん」
「証拠もないのに犯人扱いされて、きみら公安とヒーローの馴れ合いに付き合わされちゃあ堪らないからね」
「……証拠なら見つけますよ、我々が必ず」
一課長室や自宅、彼の行きつけのジムや定食屋に至るまで、公安の捜査官たちが調査に入っている。背信の代価は必ず払わせると、轟は感情を剥き出しにして告げた。
対して、
「ははははっ。やっぱりその表情、
「………」
明らかな挑発に、轟はもう反応しなかった。抵抗する様子のない塚内を駆けつけた部下たちに引き渡す。事を内密に運ぶために、取調室までは彼を自由の身にさせておくほかなかったが。
連行されていくかつての恩人──そのすれ違いざまに、勝己は初めて口を開いた。「待てや」と。
「ほんとうにそれだけか?」
「ん?」
「ただ俺をNo.1にしたくねえだけなら、もっと手っ取り早い方法が幾らでもあったろ」
確かにそうだと、はっとした顔で切島が頷く。勝己をNo.1ヒーローにさせないために何年もかけて入れ替わりを用意していたなど、迂遠にも程がある。
立ち止まった塚内は、なんでもない世間話をするかのような態度で口を開いた。
「霊魂は脳波の発するプラズマの残滓だっていう仮説、知ってるか?」
「は?」
突拍子もない話に、一同は一瞬言葉を失った。
「生前に残した情念が強烈であればあるほど、それは肉体の死後も現世に色濃く残り続けるんだそうだ。……とするならば、俊典──オールマイトの魂は、まだどこかを漂っていると考えられないか?」
「……!あんた、まさか……」
塚内が心底愉しげな笑みを浮かべ、天を仰ぐ。遠くに旅立った友人を回顧するように。
「今回のことは、実験だよ。生きた人間どうしの入れ替えには成功した。いずれは生者の肉体に死者の脳波を移しかえることができるようになるかもしれない。そのときこそ、オールマイトの真の再来さ!」
「そんな……狂ってる」
「おいおい、もしもの話と言ったろう。まあ褒め言葉と受け取っておこうか、犯罪者の視点は刑事に必須だからな」
あくまでそのスタンスを崩さない塚内。それでも訊きたいことは山ほどあったが、それは轟たちにまかせるほかない。
ただ、ひとつだけ。
「……なんで、デクだ」
「緑谷出久か。知りたいか、彼を選んだ理由」
「──間もなくわかるよ、嫌でもね」
意味深な言葉を残して、今度こそ塚内は公安の面々に連行されていった。
「………」
残された三人の間に、重苦しい沈黙が降りる。ようやく首謀者を捕らえたという喜びや達成感など微塵もありはしない。だって彼は警視庁の捜査一課長に上り詰めるほど優秀な警察官で、敵連合やその後継たる異能解放軍との死闘においてバックアップを続けてくれた恩人でもあった。その彼が。
「……気づいてやれなかったのかな」
切島が、ぽつりとつぶやく。心根の優しい彼は、塚内の闇に気づけなかったことに自責の念をもっている。それはヒーローとして、正しい姿勢なのかもしれない。
だが現実的に考えて、それはどだい無理な話だった。塚内とは年齢も違えば立場も違う。仕事上で緊密な協力関係にあるといっても、プライベートで付き合っているわけではない。彼の心の闇を消し去ることができるのはただひとり、もうこの世にいない八木俊典――オールマイトだったのだろう。
「すまなかった」頭を下げる轟。
「ンでてめェが謝ンだよ」
「おまえたちがここに来る必要があったわけじゃなかった。それでも呼んだのは……俺個人の、感情の問題なんだ」
事後報告でも良かった。それだって勝己たちは少なからずショックを受けるだろうが、豹変……否、よく知る振る舞いとなんら変わることのない塚内の悪意を目の当たりにすることはなかった。
──怖かったのだ。独りで、彼と対峙することが。
「けっ。てめェはむかしっから、ここぞとばかりに末っ子根性発揮しやがる」
眉を吊り上げて吐き捨てる勝己。しかし轟のそうした性根は言葉通りとうの昔から知っていて、今さら怒りを覚えるようなことではない。
「しょっぺえの」
その表情を見て、轟は思わず目をみひらいていた。舌を出し、嘲るようにわらっている勝己。緑谷出久の童顔には不似合いだが、そんなことはどうでもいい。嘲りといってもその大部分は悪意でなく、もっと柔らかいものに感じられた。
「……帰るぞ、切島」
「お、おう。──またな、轟!」
「ああ……また」
深い傷痕が、それぞれの胸のうちに残された。だからこそかつて同じ夢を目指した仲間どうしの絆を、色濃く感じる。最後までともに走ることのできなかった轟も、決して例外ではなかった。