入れ替わった幼なじみふたりがそれぞれの仕事?に邁進する中、轟は知恵の輪にかかりきりになっていた。
「ねえオジサンまだぁ?ボクお腹すいてるんだけどぉ、誰かさんがパンケーキ食っちゃったせいで~」
「ッ、黙ってろ!」
馬鹿ではない……というのはこれまでの経歴からして言うまでもないだろうが、轟は決して器用ではない。まして、知恵の輪など名称すら知らなかったのである。それをいきなり"解けないように作られた"最高難度のものに挑戦など、どだい無茶な話だったのだ。
「言っとくけど、力づくでぶっ壊したらだめでちゅからね~。パスワード、一生解けなくなっちゃいまちゅよ~」
あとで殺す、いやほんとうに殺しはしないが死んだほうがマシという目に遭わせてやる。その憤懣だけが轟の精神を支えているような状況。
とすれば、張り詰めた糸が切れる瞬間は容易く訪れるわけで。
──あ、無理だこれ。
そう悟った瞬間、轟は知恵の輪を空中めがけて放り出していた。涼やかな風貌にはおよそ似つかわしくない癇癪とともに。
天井に叩きつけられたそれは、重力に従い自由落下を開始する。一度目の衝撃から間を置かずして、硬いフローリングが輪と輪のメビウスに衝撃を与え──
「あ、」
「お、」
ばらばらと、それなりの重みあるオブジェクトが飛び散る音が響く。つまり、
「おおーーっ!解けた、解けましたよMr.ハーフアンドハーフ!」
何故か我がことのように喜ぶ青年。アクシデンタルなかたちではあったが、轟の努力があればこその結果。
その証拠に──巨大なモニターに、膨大な英数字の羅列が自動で入力されていく。
「……行ったか?」
「行きましたァ!」
「そうか」
このときの轟は、生涯でいちばんのどや顔を浮かべていたとか、いないとか。
*
ブツブツブツブツブツブツブツ。
助手席から漏れ聞こえる呪詛のような声に、ハンドルを握る漢気ヒーローは怯えていた。
「ちょ、緑谷……?」
へんじがない。ただのしかばね……ではないが。
いずれにせよ、出久のこんな姿を見るのは初めてだった。ただよくよく耳をそば立ててみればそれは意味のない言葉の羅列ではなく、勝己の個性や戦闘スタイルについて分析しているものだった。
(……そうか、これが緑谷なりの心の準備なんだな)
思い至った切島は、彼の邪魔はしないことにした。
そうして、戦場に車が近づいた頃。
「俺は爆心地俺は爆心地俺は爆心地俺は爆心地俺は爆心地俺は爆心地……よしっ!」
右の拳を左の掌に叩きつける出久。そのときにはもう、彼の表情は様変わりしていた。
「切島ァ、いくぞおらァ!!」
「お、おう!」
「ぶっ殺ォす!!」
「ぶ、ブッコロス!」
すっかり勝己……というかヒーロー爆心地になりきっている。今までしてきた自然な演技と一線を画しているのは、戦時のそれを再現しようとしているからだろう。
それでも、緑谷が決心を固めてくれてよかった──切島がほっと胸を撫でおろした矢先、"それ"は起こった。
「!?、うぐっ!」
突如口内にはしる、鋭い痛み。これはまさかと思った矢先、出久の意識は急速に薄れていった。
同じ頃、凄まじいデスボイスを発し続けていた勝己にも同じ現象が起こっていた。
「ガッ、グゴゴギギギ……!」
目を白黒させながら聞くに堪えないようなうめき声を洩らす。が、元々の歌が歌だけあって生徒たちは異変に気づかない。有り体に言ってしまえば彼ら、前時代の刺激的すぎるミュージックに引いていたのだ。
いったい、自分の身になにが起こっているのか。それを考える暇も与えられないまま、勝己はがくんと脱力した。
*
「……りや……緑谷、」
「緑谷っ、起きろって!」
「ッ!」
目を覚ますと、視界いっぱいを気遣わしげな切島の日に焼けた顔が塞いでいた。
「……きり、しま?」
「お、おう。大丈夫か……?」
なぜ、目の前に切島が?自分は生徒たちとカラオケボックスにいたはずなのに。
そこまで考えて目線を落とすと、学生時代から二十年、多少の改良はあれどずっと苦楽をともにしてきたヒーロースーツが目に入る。──これを着ているということは、つまり。
「……切島、俺だ」
「へ?」
「わかんねえのかッ、爆豪だよ!轟のヤツがやったんだ!」
「!!」
そこまで言って、ようやく切島の理解も及んだらしい。鋭い赤目を一瞬こどものように大きく見開いたかと思うと、その表情がぱあっと輝き──
「戻れたのかッ、バクゴーーー!!」
「だぁからそう言っとるだろーが抱きついてくんなッ」
一方で、出久も。
「──せんせー、どうしたの……?」
「……え?」
我に返れば、ようやく異変に気づいたのだろう生徒たちが皆、こちらを見ている。出久は混乱した。ここは、どこだ?自分は──
「緑谷先生?」
「!」
"緑谷"と呼ばれて、出久ははっとした。場所はどういうわけかカラオケボックスだが、生徒たちがいて、自分を本来の名で呼んだ。
「ちょ、ちょっとごめんっ」
歌を放り出して──そもそも歌っていた認識じたいないが──、部屋を飛び出す。そのまま化粧室に駆け込む。洗面台の鏡に映っていたのは、痩せた冴えない童顔の男で。
「……僕、だ……」
そのとき、携帯電話がぶるると鳴動した。慌てるあまり取り落としそうになりながらもポケットから出すと、画面に元?恋人の名前が表示されている。
「も、もしもしっ」声が上擦る。
『わ、わたし、真幌だけどっ!……出久?』
それはまぎれもない真幌自身の声だった。
「そうだよ!もとに戻れたんだ、僕たち……!」
『……!』
──やったあああああ!!
喜びの叫びが、同時に放たれる。自宅にいる真幌はともかく、カラオケのトイレといういちおうの公共の場所にいる出久の声はたまたま廊下を通りかかった他の客を脅かしてしまったのだが、この日までの忍従を思えば些末なことであった。
忍従といえば、幼なじみのクソナードボディーから解き放たれた爆豪勝己ことヒーロー爆心地はこの日、現場で鬼神のような暴れっぷりを見せつけたのであった。
*
「えー、では事件が無事解決したことを祝しまして……乾杯!」
活真の音頭を受けて、皆がグラスをかちんと鳴らしあう。
ところは真幌の部屋。もとに戻れたことを祝う会をやろうという彼女の発案で、事件の当事者たちが改めて一堂に介したのだ。招待を受けた轟に、ちゃっかり死柄木まで参加している。正真正銘男の身体に戻ったのに女性の部屋にいることについて皆から突っ込みが入ったのだが──とりわけ出久が不快感を示した──、彼は意に介していない様子だった。
「ぷはーーっ、やっぱ心配事が片付いたあとのビールはうんめぇ!!」ぐびりと飲み干しつつ、「おめェもよくやってくれたよ、活真。ほら呑もうぜ!」
「僕は運転がありますし……」
そう言いつつも、物欲しげにビール瓶に目をやったのを切島は見逃さなかった。
「代行頼めばいーって、バクゴーの奢りで!」
「ア゛ァ!?勝手になに言って……」
「……では喜んで♪」
「てめっ」
一方で、
「ハァ……やっぱ真幌の身体のほうが美味く感じたなァ」
ちびちびグラスに口をつけつつ、ごちる死柄木。そんな彼に対し、近くに座る数人がじとりとした視線を向ける。
「……ていうかあなた、なんで堂々と居座ってるんですか」
「おいおい冷たいなァ緑谷出久。俺とおまえの仲だろぉ?」
「どんな仲にもなった覚えはないです!」
馴れ馴れしく肩を組もうとしてくる死柄木を引き剥がしつつ、出久は席を立った。キッチンでは主催者の真幌が忙しくつまみを用意している。
「まほちゃん、手伝うよ」
「あ……ありがとう、出久」
微笑む真幌。口が裂けても口にはできないが、死柄木と入れ替わっている間ほとんど外に出ていないせいか少しふっくらとしたか。とはいえ元々が細身なのでより美しく、やさしげになったともいえる。こうやって笑みを浮かべているとそれがより際立つようで、出久は途端に彼女が愛おしく思えた。
ふと視線を感じ、振り返る。と、グラス片手に活真がこちらをじっと見つめている。何かと思えば、空いた左手がグッと親指を立てる。表情は無いので一瞬とまどったが、所作は至ってポジティブなものだ。すぐに答礼する出久なのだった。
*
酒宴は一時間もすれば、酔い出す者が現れるわけで。
「おいコラ半分こ怪人、俺の酒が呑めねえってのかてめェェ」
「怪人じゃねえ、真人間だ」
ずれた訂正をする轟の頬も赤い。その横では切島が「よかった、ほんとうによかった」と繰り返しながらおいおい泣いているという状況。彼ら三人とも雄英高校OBなのだが、酒が入ると箍が外れてしまうのも共通なのだった。
「事務所に入れていただいて三年になりますけど、こんなに羽目外す爆心地は初めてです」
「ふふ~。かっちゃん小さい頃はね~、結構ひとにちょっかい出す子だったからね~」
ふわふわとしゃべる出久もすっかりできあがっている。
「デクこらァ、ここぞとばかりに幼なじみ面してんじゃねーぞバカヤロー」
「だって幼なじみだもん~」
「いいなぁバクゴーをチビの頃から知ってるなんて、俺なんか高校からなのに……うっうぅ……」
「俺も俺も」
「てめェに知られたかなかったわ!!」
「ってか活真、ペース速くない……?大丈夫?」
「そう?僕いつもこんな感じだよ、姉さん」
かわいい顔をして島乃活真、とんでもないワクであった。
「ふ……、」
一方でどこまでもマイペースに飲酒しつつ、轟は頬を弛めていた。社会人として酒席は多少なりともこなしているが、こんな浮わついた気分になれたのは初めてだった。自分はなんだかんだで雄英に居心地の良さを感じていたのだと、改めて実感する。
と、不意に懐からの鳴動。──部下からの着信だった。そういえばまだ塚内の取り調べは続いていたななどと考えつつ、電話をとる。
「俺だ。………」
「──何?」
部下からもたらされた報告に、轟は酔いがすうっと冷めていくのを自覚した。
「………」
労いの言葉すら発することができず、沈黙のままに通話を終える。彼が表情をなくしたことに気づいたのだろう、今の今まで泣き上戸を披露していた切島が気遣わしげな視線を向けてくる。
「……轟?」
彼だけではない。皆、会話をぴたりとやめてこちらを見ている。それだけ動揺があらわれているのだと自覚するのに、轟は十数秒ほどを要した。
「おい、何があった?」
「轟くん、なんだったの?」
「………」
「……マスコミに、またスキャンダルが流された。今度は証拠付きで」
「うえっ!?マジかよ……また俺じゃねえよな?」
"おしゃぶりヒーロー"なる不名誉な称号は、切島の癒えぬ古傷となっていた。だいたい、二度目ともなればいよいよ烈怒頼雄斗の名声は地に落ちかねない。
──彼にとっては幸か不幸か、今回のスキャンダルは切島を標的にしたものではなかった。
「爆豪、」
「!」
名指しされた勝己。どくんと心臓が嫌な音をたてるのを、彼は自覚していた。切島のように女絡みなら、今さら轟もこんな、感情をなくしたようなか細い声を発することはあるまい。
そして、
「おまえ……緑谷をいじめていたか?」
──清算したと思っていた過去は、唐突に牙を剥いた。