轟のひと言は、当人以上にその周囲に衝撃を与えていた。
「いじめてたって……何だよ。どういうことだよ、轟?」
目に見えて動揺している切島だが、轟に訊いても詮無いこととはすぐに理解したのだろう、顔を上司でもある親友へと向けた。
「ち、違うよ切島くん、轟くんも!」
慌てて否定の言葉を発したのは、いじめられていた側――言うなれば被害者というべき緑谷出久だった。
「かっちゃんの言動が容赦ないのはほら、誰にだってそうじゃないか。僕にも、そうだったってだけで……」
「………」
切島も轟も……否、この場にいる者たちは皆、本音では出久の言葉を鵜呑みにしたかった。約一名例外はいるが。
しかし轟のもとに届いたメールは、その想いに楔を打ち込むもので。
「……公安が入手した音声ファイルがある。再生してもいいか、爆豪?」
是とも否とも言わず、勝己は俯いている。実際に轟が再生ボタンを押しても、彼が動くことはなく。
――それは、勝己の人となりを知る者たちからしても聞くに堪えないような暴言の嵐だった。しかも合間に挟まれる出久のものとわかるか細い反論をかき消すように、爆破の音が響く。
そして、終いには。
『来世は個性が宿ると信じて――』
――屋上からの、ワンチャンダイブ!
それは言い方から何から、悪意を憚ることなく露わにしていた。たしかに彼は死ね、殺すと平気で言う。でも、でもこんな――
「……これ、ほんとうなのかよ……爆豪」
音声だけなら、少年時代の勝己に似た声のフェイクともとれる。そんな可能性に一縷の望みを抱いて、切島は訊いた。自分の知っている勝己に輪をかけて意地悪で、狡猾な声色に聞こえたというのもある。
だが、勝己の答は決まっていた。
「ッ、なんでだよ爆豪!?なんでこんな……っ、脊髄反射で言うのとは訳が違ぇだろ!」
「……気に食わねえなら事務所辞めりゃいい。俺に愛想尽かして離れたってンならあとはどうとでもなるだろ」
「ッ、そういうこと言ってんじゃねえだろうが!!」
切島が、勝己の胸ぐらを掴んだ。その顔は憤怒に染まっている。酔いはすっかり醒めてしまったとはいえ、感情の箍は外れたままなのだろう。
ただ彼の心は、失望や愛想を尽かすだなんて単純なかたちで表現できるものではなかった。二十年ともに走ってきた男。切島にとっては既に半身であり、離れるなどありえない。だからこそ、御し難いのだ。
「落ち着いてください、烈怒頼雄斗!」引き剥がしにかかる活真。「……ここで爆心地を責めたって、なんにもならないでしょう」
「………」
切島や――仲間たちがどう受け取ろうが、最大の懸念は世論の反応なのだ。出久の演じていた"爆心地"の言動で上向きつつあった支持も、これで一気に霧散してしまうかもしれない。
重苦しい沈黙にしずむ一同を、ただひとり死柄木弔は冷めた目で見ていた。世論を伺うのは人気商売なのでわかるにしても、身内でまで揉めるような話とは思えなかった。中途半端な遠慮や良心の呵責に惑わされることのない勝己にしてみれば、それほどまでに緑谷出久のことが不愉快でならなかったというだけの話だろう。切島も轟も、勝己の傍にいたせいでかえって理解した気になって、そうやって創りあげた虚像を押しつけているだけではないか。
まあ、こういったケースにおいて今回稀なのは、加害者のすぐ目の前に被害者がいるということである。そいつは一体どういう面持ちでいるのか、関心をもった死柄木は意外なものを見た。
年齢にそぐわない童顔には大きな陰が落ち、楕円形の双眸は鋭く歪められている。加害者を前にした被害者としてはまったく正しい表情……一見すれば。
だがその、しずかな激情は加害者だという幼なじみではない、もっと別のところに向けられているようだった。――であるならば、このまま加害者が最後の最後に自分の過ちに足を掬われて顛落などという、因果応報の予定調和には終わらないだろう。
(最後まで楽しませてくれよ、ヒーロー)
死柄木弔の偽らざる本音だった。
*
初出から拡散に至るまで、ほんの一瞬だった。
白昼のワイドショーでは流出した録音が繰り返し放送され、そのたびに爆心地への非難という劫火は勢いを増していく。そんな状況下にあって、爆心地や爆心地事務所は沈黙を保っていた。音声などいくらでも加工できる、加工していないにしても声のよく似た別人だと。とにかく事実無根と主張しなければ、肯定したものとみなされる。ゆえに爆心地バッシングは際限なく勢いを増していく。
「率直に言って、非常に拙い状況です」
いちおう出勤は続けているものの、実質所長室に軟禁状態の勝己にとって、いつも通り淀みない活真の声は少なからず心を和らげる効能をもたらした。とはいえつむがれる言葉は、どれも芳しくないものであったが。
「ネット上では爆心地からヒーロー免許を剥奪しろという意見まで散見される有様です。公安委員会がそれを鵜呑みにするとは思いませんが、なんらかの処分が下る可能性も出てきています」
オールマイトが不動のNo.1に君臨していた時代に比べ、現在のヒーロー公安委員会は相当世論の向きに敏感になっている。それにアンチ爆心地の委員も相当数いると聞く。これを機に彼らがひと息に行動を起こすことは十分にありえた。
「それに、所属ヒーローの皆さん方の活動にも悪影響が出ています」
爆心地事務所のヒーローたちは精鋭揃いであり、所管地区のみならず広域における治安維持の要となっている。ゆえに彼らは表向き所長の不祥事など関係なきかのごとく職務に邁進しているのだが、彼らを見る一般市民・さらには同業者たちの態度は厳しいものだった。顔をひそめられる、嫌味を言われるくらいはまだかわいいもので、中には石を投げられたケースまで発生している。所長の、少年時代の暴言のために。
「烈怒頼雄斗が抑えていますが、皆さんの不満は相当蓄積しています。……このままだと、ほんとうに辞めてしまう方が出るかもしれません」
烈怒頼雄斗・切島鋭児郎自身、対外的には勝己を擁護する立場にいても、本心から納得しているわけではない。あれから勝己とは事務的なもの以外口もきいていないようなありさまで、それだけでも事務所内の雰囲気は最悪にも等しい状態なのだ。
「……おまえは、どうなんだ」
黙って報告を聞いていた勝己が初めて言葉を発した。もっともそこに、いつものすっぱり切り込むような鋭さはなかったが。
「正直言えば、あの発言は酷いと思うよ」
「………」
「ただ……勝己兄ちゃんが過去に何をしていようが、僕を救ってくれた事実は変わらない。何があっても僕は一生ついていく。それだけは……信じていてほしい」
静かな、しかし確固たる口調で断言した活真は、再び秘書の顔に戻って続ける。
「ヒーロー爆心地。打開策はこの際、ひとつしかありません」膝を詰め、「マスコミの前で公開謝罪をしましょう。緑谷さんに協力をお願いして」
「………」
「それしか、無いか」
「……そう思います」
半ば予想はできていたのだろう、瞑目したまま勝己は立ち上がった。そのまま窓際へ歩いていく。ブラインドの隙間を指で拡げれば、眼下には事務所前に集る報道陣の姿。−−ヒーローとして戦い続けるなかで、気づけば随分と多くの荷物を背負ってきた。それらに比べれば子供の我儘など無にも等しいものであった。
「……デクは無個性で、いちばんダメな奴だった」
自分でも意識しないうちに、呟きが漏れていた。
「そのくせ意思だけは誰より強かった。俺が何を言おうが……殴って爆破しようが、ビビるくせして何も改めねえ。そういうヤツだったんだ」
だからあの言葉に、なんの意味も効き目もない――言い訳じみた台詞だと自分でも思う。実際、出久は死を選んだりはしなかった。しかしちょうどその頃から、ヒーローになりたいと口にしなくなった。
「俺は二度も、あいつの夢を終わらせちまったんだな」
脳裏に二十年前の蒸し暑い夏の夜、血に濡れた神野の光景がよぎる。死に瀕したオールマイトの姿。自分が終わらせた、奪ってしまった。この世界の柱、平和の象徴。
誰に批難されようと、その座を踏み越え自らが英雄王に立つと誓ったのだ。
「――会見すんぞ、できるだけ早く」
「わかりました、調整を急ぎます」
「頼む。……デクには俺から連絡する」
禊を為すため、ヒーローとその秘書は動き出す。――それまでの一連の会話を、切島鋭児郎は部屋の外から聞いていた。報告のため訪ったのだが、勝己の独白がはじまったため入るに入れなかったのだ。
(爆豪……)
知り合う前の友人が放った言葉を許せない。でも自分が見てきて、好きになった彼もまぎれもなく本物で――切島は何より、ゆれる自分の心が情けなかった。自分よりはよほど付き合いの短い活真は、思うところありながらも勝己を信じてついていくと断言しているというのに。それはヒーローたるアイデンティティの根幹が勝己と出会うその前から形成されているがゆえの意地なのだけれども、そのために彼は苦しい立場に置かれていた。
一方の緑谷出久は、久方ぶりに戻った自宅マンションで勝己の電話を受けていた。
『……ガキの頃のことは、ほんとうに申し訳なかった。デ……出久』
「!、………」
電波を借りて差向けられた謝罪の言葉に出久はただならぬものを感じたが、努めて平静でいようとした。
『改めて直接謝罪をさせてほしい。……マスコミの前で』
「……かっちゃん」
『頼む……』
「………」
ヒーロー爆心地が生き続けるために必要なこと。しかし口先だけで謝罪を口にしているとは、出久は思わない。どうでもいいマスコミや顔の見えない大衆ならともかく、相手は世界でいちばん気に食わない木偶の坊の幼なじみだ。その結論に至るまで、彼の心中には相当な葛藤があっただろう。公開謝罪を思いついたのは活真か切島かもしれないが。
「……僕も今、出勤止められてるんだ。学校に記者が来たりして……どうやって特定したのか知らないけど」
『………』
「だから、かっちゃんがそれで良いなら……協力するよ」
暫しの沈黙のあと、「助かる」。感情のこもらない声で、勝己はそう言った。あれほどデクに助けられることだけは許せずにいた勝己が。入れ替わっている間だって、任せるとは言っても助かるだとかありがとうだなんてひと言も言ったことはなかったのに。
詳細の打ち合わせは決まり次第ということになり、通話は三分ほどで終了した。通話が終わり、静寂に包まれる一室で、出久はじっと息を殺していた。
「大丈夫、」
「このままにはしないよ……かっちゃん」
その決意の、矛先が向くのは。