──すごいなあ、かっちゃん!
──だいじょうぶ、たてる?
──これいじょうは、ぼくがゆるさなへぞ……!
──さよなら……かっちゃん。
*
二十年もの間目にしていなかった幼馴染の姿が今、鏡の中に存在している。
(間違いねえ、)
(こいつ、デクだ)
緑谷出久に対し、幼少期につけたあだ名。無個性で何もできない、木偶。
試しに拳をつくり、目の前に突き出してみる。鏡の中の"デク"も、寸分のラグなく同じ動きをしてみせる。
それで、確信した。──自分、爆豪勝己は、どういうわけか緑谷出久になってしまっているのだと。
この超常社会において、それはありえない話ではない。人と人とを入れ替える"個性"、そういったものが存在しないとは言い切れないのだ。
入れ替える……だとしたら自分の、勝己の身体はどうなっているのか。
「ッ!」
殆ど反射的に、勝己は邸宅を飛び出していた。
*
「な、なんで僕が……かっちゃんに」
緑谷出久もまた、困惑から抜け出せずにいた。鏡の中で、ピジョンブラッドのような深紅の瞳が揺らめいている。この顔がもっと幼いとき、一挙一動に慄いていた記憶が甦ってくる。
どうしよう、どうすればいい。対処法などわかるはずもない中で、流石幼馴染というべきか、まずもって思いついたのは自身の本来の肉体がどうなっているかを確かめることだった。
「あ……そ、そうだ、携帯」
勝己の持ち物らしいスマートフォンを懐から取り出し、電話番号を入力する。当然登録にはないが、自身の番号くらいは諳じることができるのが幸いした。
「発信、と……」
鬼が出るか、邪が出るか。
──どちらかといえば、前者だった。
『てめェの差し金か、デクゥ!!?』
「ひっ……」
大の男にしては高めの声が、耳をつんざく。しかしそのおかげで、自分の身体にもまた勝己が入っているのだと確信ができた。
「ひ、久しぶり……かっちゃん」
『何が久しぶりだてめェ、なに企んでやがる!?俺の身体乗っ取ってヒーローごっこでもする気か、ア゛ァ!!?』
「はあ!?」
そんなわけないだろと、出久は大声を出した。
「僕だって何がなんだかわかんないんだよ!大体こっちだって、今さらきみと関わりあいになんかなりたくないんだっ」
『ンだと……チィっ!』
売り言葉に買い言葉になるかと思われたが、意外にも勝己のほうが先んじて矛を収めた。
『おい、そっちに切島いんだろ』
「え……ああ、烈怒頼雄斗のこと?」
『代われ。俺から話す』
噂をすればというべきか、外で切島が「バクゴー!?」と逸っている。通話状態のまま、出久はドアを開けた。
「おいどうしたんだよ、大声なんか出して……」
「あ、あの、僕かっちゃ……爆心地じゃないんです!」
「は?」
困惑する切島の頬がいよいよ青ざめる。歯のこともあり、勝己の体調が思わしくないのかと本気で心配しているのだ、彼は。
「それで、今ホンモノの爆心地と電話繋がってますから……代わります!」
「お、おう」
スマートフォンを押し付けられ、切島は戸惑いがちに通話口に出た。
「……もしもーし」
『切島、俺だ』見知らぬ男の声。『単刀直入に言う。そこにいるそいつと
「誰だか知んねえけど……俺をからかってるわけじゃねえんだな?」
念押しするように訊いてくる。一笑に付したりはしないだけ、ましな反応だ。確証があれば信用もするだろう。
『チッ……先月女にふられたろ、てめェ。あれ何人目だ、十三人目だったか?』
「!!」
切島の目が見開かれる。
「……じゃ、じゃあ、爆心地に決まる前のおめェのヒーローネーム候補」
『高一んとき、爆殺王、爆殺卿。ミッドナイト先生に却下されて即ポシャった……まあ今思えば正解だけどな。ちなみに爆心地に正式決定したンは高二の夏』
「フロッグのマナミのスリーサイズ!」
『上から96・65・90。ただしありゃどう見ても偽乳だな。ケツもデカいだけで締まりがねえ』
「ああああバクゴーなんでそんなことに……!」
崩れ落ちる切島。一方の出久はただただ閉口していた。そんなものが判断基準になるとは、今の勝己はいったいどんな爛れた暮らしをしているのか。そういえば中学のときも、綺麗どころと付き合ってはすぐ別れるを何度か繰り返していたような気もするが。
『つーわけで、今そっち向かってる。着いたら所長室に通すよう守衛に伝えとけ。あと活真のヤツ呼び戻せ』
「わ、わかった、おめェの身体と所長室で待ってる。……あ、ここに入ってンのは結局誰なんだ?知らねえヤツか?」
『……いや、昔の知り合いだ。名前はデ──緑谷出久』
「どこの誰かはわかってンだな……不幸中の幸いか」
何が不幸中の幸いなものかと、勝己は舌打ちした。コイツと身体を交換されるくらいなら、その辺のモブのほうがまだマシだ……プライドの上では。
ただ現実に、悪用の心配がないというのも確かだった。散々デクを蔑み虐め抜いてきた割に、そういう妙な信頼感だけは残存しているのだ。デクの差し金と疑ったことは、すっかり忘却の彼方だった。
*
と、いうわけで。
「………」
「………」
二十年ぶりに再会した幼馴染同士は、何を話すでもなくテーブルを挟んで睨みあっていた。
「あのさ……何この空気?」
たまりかねた切島が訊く。勝己がここに到着するまでの間、ふたりが幼馴染であることは出久から聞き出していたのだ。尤も、その時点で彼があまりに言葉少なだったので、何か変だとは思っていたのだが──
(こいつら……もしかして不仲?)
だとしても十中八九、自分の親友に責任があるんだろうとは思う。何せこの性格だ、雄英高校に入学したての頃などはもっと酷かった。
なまじ自分も知らない過去のことであるため間にも入れず、居たたまれない心持ちでいると、控えめなノックの音が響いた。
「おう、活真か。入れ」
救いを得たような顔で切島が告げると、一礼とともに若者が入室してきた。
「失礼します。爆心地、緊急事態だと伺いましたが……」
そこで見知らぬ男の存在に気づいたのだろう、活真は目を丸くした。
「あ……お客様でしたか、失礼しました。えっと、ただいま名刺を──」
「いらん。つーか俺だわ、活真」
「は?」
「だから、俺がコイツでコイツが俺」
「……あの、おっしゃっている意味がよく……」
わかるわけがない、今の説明で。見かねた切島が口を挟んだ。
「つまり……
「………」
沈黙が、場を支配する。
ややあって活真は、眉をハの字にしたまま口を開いた。
「……個性事故、でしょうか?」
「いや素直だな!?」
切島のときとあまりに反応が違うものだから、出久は思わず突っ込みを入れてしまった。
「え、冗談なんですか?」
「い、いやマジマジ!な、バクゴー?」見た目勝己、つまり出久のほうを見て言う切島。
「俺ぁこっちだボケ」
「あっ、そうだった……」
不毛なやりとりを挟みつつ、
「何かないんですか、心当たり」
「なんもねぇわ。デク、てめェは?」
「僕だって……あ、入れ替わる直前、トロフィーが頭に当たったりはしたけど」
「と、トロフィー?」
それにしたって、ここ二十年以上なんのつながりもない幼馴染と入れ替わるというのは不可解だ。
「個性事故なら専門医に頼るしかないでしょう。解除方法がわかれば……」
「……今、それができると思うか?」
勝己の言葉に、活真は所在なさげに視線を床へやった。
「……そうですね。まずブラスト・レッドの一件をどうにかしないと」
「え……どういうこと?ブラスト・レッドって、誰?」
「ハアァ!!?」
思わず立ち上がったのは見た目出久、つまり勝己だった。
「ンで知らねえんだよてめェ!?ヒーローオタクだろうが!」
「ははっ」思わず笑いがこぼれる。「いつの話してんだよ。そんなの……オールマイトが亡くなったときに、やめたよ」
「……!」
オールマイト──かつて"平和の象徴"と呼ばれた、伝説的No.1ヒーロー。幼少期の出久と勝己は彼の勇姿に憧れ、ヒーローを志した。
しかし密かに衰弱していた彼は、巨悪との戦いで肉体の限界を迎え──勝利と引き替えに、命を落とした。
ただでさえ夢を絶たれて弱っていた出久は、尊敬してやまないヒーローの死を目の当たりにして絶望の淵に叩き落とされた。それからはつらくて悲しくて、ヒーローに関わるものすべてを追うことはやめてしまった。むろん社会生活において多少の情報は入ってくるが、それだけだ。
「………」
勝己もまた、感情の抜け落ちたような表情を浮かべてソファに座り込んだ。オールマイトの死は、彼の心にも暗い影を落とし続けている。おそらく出久よりもずっと、取り返しのつかない形で。
「……だとしても、今朝のニュースで散々やってたろ。知らんのか」
「今日は見てる時間なかったんだ、仕事の都合で」
「チッ、そーかよ。……切島、」
「えっ、俺?……しょうがねえなあ」
オホンとひとつ咳払いをしてから、切島は改めて口を開いた。
「ブラスト・レッドってのは、ウチに所属してる若手ヒーロー。んで……昨夜生配信で失言やらかしちまったの」
「これです」と、活真がスマートフォンを差し入れてくる。
『──会社をクビになったくらいで死ぬようなヤツは根性なしのクズだ、バカ野郎!』
画面の向こうで吠える若者。酷い発言だと瞬間的には思ったが、同時に違和感を覚えた。──今にも、泣きそうな顔に見える。
「クソっ、ビルボードチャートの発表がもうすぐっつーときに余計なことしやがって」
「ああ……きみ、次のNo.1って言われてるもんね」
「フン、そんくらいは知ってんのかよ。けどあの馬鹿のせいで黄色信号だわ」
眼鏡を右手で弄びながら、吐き捨てる勝己。落ち着かないのだろうか、生涯一度も眼鏡の世話になったことなどないだろうから。
「今回の一件、長引けば長引くほど爆心地の支持率に悪影響を及ぼします」活真の言。
「早々に事を収める必要がある。……わかるな、デク」
「……まさか、僕にヒーロー爆心地を演じろって?」
冗談だろう、とつぶやくと、勝己は冷笑を浮かべた。
「大々的に
「そんなこと急に言われても……大体、僕だって仕事あるんだけど」
「はっ、有給くらいあンだろ。それともブラックか?だとしたら御愁傷様だな」
心底軽蔑したような目。ああこの男の心根は何も変わっていないんだと、出久は失望した。こんな男がNo.1だなんて。けれどそれに見合う努力と実績を挙げてきたことは、今やヒーローに疎くなってしまった自分でさえ知っていること。積極的に応援はしないまでも……邪魔は、したくない。
「有給はあるけど、担任もってる教師がほいほい使っちゃ、まずいでしょ」
「は?てめェ、センコーかよ」
「中学のね。はは、意外かな」
「………」
黙り込む勝己。何を考えているのか、子供のときから変わらない大きな翠眼が虚空を睨みつけている。
「なあ、爆豪」切島が口を挟む。「この人に代役頼むんだ。おめェは何もしねえってワケには、いかねーんじゃねえかな?」
「………」
なおも勝己は黙りこくっている。と、相棒は切り口を変えた。
「それともアレか?教壇立つなんて自信ねえ?」
「……ア゛ァ?」
「いやわかるぜ、おめェそういうの不向きだもんな。──な、活真?」
「え、僕ですか?」少し悩んだあと、「確かに、想像はしづらい……ですかね」
苦笑い。露骨に煽りたてる切島の言葉以上に、それは勝己のプライドを刺激した。
「不向きじゃねーわクソほど向いとるわ!!大体このヒョロガリクソナードにできて俺にできねーことなんざ存在しねーんだよ!!」
「おっ、じゃあセンセーやってみっか!?」
「上等だわ教え殺したるわ!おいデクゥ!!」
「ひっ、はい!?」
思わず声がうわずってしまう。姿かたちは冴えない自分のものであるし、そもそも相手も大人であるというのに、怒鳴りつけられると反射的にすくみあがってしまう。
「てめェの業務ルーティーン、授業のやり方、あと受け持ってるガキどものこと昼までに全部教えろ……!アタマ叩き込んで午後から出勤してやるよ……!」
「ええっ、ほ、本気なの?大体きみと僕じゃ性格が違いすぎてすぐボロが出るよ!?」
「ンなもん、今までネコ被ってましたーで押し通しゃいいだろ!!」
「ンな無茶苦茶な!」
今後の教師人生にどんな影響を及ぼすかわかったものではない。定年までにはまだ四半世紀あるのだ。
それから暫くはテーブルを挟んだ押し問答が続いたが、休んで生徒や同僚に迷惑をかけるのは躊躇われたこと、切島の説得などもあって結局は合意が取り付けられた。二十年越しにこんな目に遭うなんて、いったい何の因果だろう──そんなふうに最後まで、己の運命を呪いながら。