【本編完結】幼女戦記 比翼幸福勲章   作:海野波香

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第13話 友達

 セレブリャコーフは副官時代よりもさらに口数が増えたようで、ターニャは圧倒された。とはいえ、圧倒されているくらいのほうが話しやすかった。相槌を打っているだけでもコミュニケーションをとっているような気分になる。

 手際よくクリームシチューを用意するセレブリャコーフを見ていると、ターニャの胸中にわずかな悔しさが生じた。彼女はスレンダーだが女性らしい体つきで、話がうまく、料理の腕もいい。自らを女性であると認識したがために、自らが求める”女性らしさ”を全て備えているのを見せつけられた気がした。

 

「……少佐」

「どうしましたか、大佐殿。もうすぐニンジンに火が通りますよ」

「いや、その、なんだ……大佐殿というのはよしてくれ」

 

 様々な感情がシチューのように煮えた結果、よくわからないことを口走ってしまった。しかし、放った弾は弾倉に戻らない。ターニャは話を続けた。

 

「私はゼートゥーア閣下の恩情で書類上の役職を与えられてはいるが、実際は傷痍退役したようなものだ。軍人扱いを受けるのは、現役の方々に申し訳が立たん」

「なるほど……承知しました! では、その、私もターニャとお呼びしたいです!」

 

 セレブリャコーフが何を求めているのかターニャにはよくわからなかったが、デグレチャフと呼ばれるよりかはいい。承諾した。

 セレブリャコーフは感極まった様子で、お玉を握ったまま手を組み、その場でくるりと回ってみせた。シチューを飛び散らさないのも、体勢を崩さないのも、さすがは大戦を切り抜けた英雄といったところか。

 

「ありがとうございます、ターニャさん!」

「あ、ああ。この流れだと私も少佐と呼ぶわけにはいかないか。セレブリャコーフとヴィクトーリヤ、どちらがいい?」

「そうですね……親しい者はみんな、私をヴィーシャと呼んでいます」

 

 親しい、という言葉にターニャの中で少し躊躇が生まれた。彼女がターニャ・デグレチャフに敬意を向けてくれていることは重々承知している。しかし、それは”白銀”への敬意であって、”ターニャ”との関係には影響を与えないのではないか。

 彼女は微笑んだままターニャを見ている。

 この優秀な元副官が自分を騙して嘲るなど、あろうはずもない。妄想を追いやって、ターニャは覚悟を決めた。

 

「シチューを焦がすなよ、ヴィーシャ」

「……はい!」

 

 シャワーを浴びていたエーリッヒがちょうどこのタイミングで頭を拭きながら出てきて、鼻歌を奏でながらシチューを混ぜるヴィーシャに怪訝そうな視線を向けた。

 

「なにかあったのか、ターニャ」

「仕事仲間から友達にタグ付けを変更した、とでも言いましょうか」

「そうか。よかったな」

 

 エーリッヒの声は温かかった。ターニャの気分も温かかった。

 ヴィーシャお手製のシチューに舌鼓を打ったあと、土産にと用意してくれたとっておきのリンゴジュースで乾杯した。ターニャは子供の飲み物と思っていたが、濃厚かつのど越しもよく、エーリッヒが「宮廷のワインよりこちらのほうがいいな」と呟いたのに心から同意した。

 

「ターニャさん、髪を伸ばしたんですね」

「まあ、そうだな。その、変だろうか」

「そんなことありません、とてもよくお似合いですよ! そうですよね、閣下?」

「あ、ああ」

「だめですよ、閣下。ちゃんと言葉にしないと伝わらないんですから」

 

 エーリッヒが観念したようにグラスを置いて、いつものぎこちない笑みを浮かべた。

 

「言いそびれていたが、よく似合っているぞ、ターニャ。君は春の日差しよりなおきらめいている」

「……酔っているんですか」

「偽らざる本心だ」

「気障男。軟派者。女たらし。馬鹿」

「そ、そんなに怒ることはないだろう……」

 

 こらえきれないとばかりにヴィーシャが笑いはじめたので、二人そろって彼女に顔を向けた。

 

「ふふ、失礼しました。ターニャさんの照れると怒る癖、お変わりないですね」

「何を馬鹿なことを……」

「でも、嬉しいんですよね?」

 

 肯定すれば恥ずかしく、否定すれば嘘になる。ターニャは賢明な沈黙を選んだ。

 ターニャをからかって満足したのか、ヴィーシャはターゲットをエーリッヒに切り替えたようだ。

 

「今の閣下は私の父に似ているように思います。父もよく格好つけて母に甘い言葉を囁いては叱られてしょぼくれていますから」

「いや、それは貴官のご家族の話であって、私とターニャの話ではないだろう」

「でも、お似合いだと思いますよ?」

 

 ヴィーシャの口から飛び出したとんでもない言葉に、ターニャの表情筋は仕事を放棄した。

 お似合い。

 すっかりお花畑になってしまったターニャの脳内にその一言がこだまして、恥ずかしさでエーリッヒの顔が見れない。

 

「上官をからかうのはよせ、セレブリャコーフ少佐。貴官、その調子で帰りは大丈夫なのだろうな」

「大丈夫です、前線の任務で夜闇には慣れていますから!」

 

 その自信に満ちた顔は玄関の戸を押した瞬間に崩れ去った。激流のように空を横切る白が、黒の世界を塗り潰している。冷気による支配。すなわち、猛吹雪だ。

 

「たいさどのお」

「情けない声を出すな、ヴィーシャ。幸いにして先日ソファを購入したばかりだ。寝心地は悪いかもしれないが、前線よりましだろう。泊めてやってもよろしいですか、エーリッヒ」

「まあ、積もる話もあるだろう。いい機会だ、ゆっくりしていけ」

「お二方ともに声も内容も恩情に満ちています……」

 

 ヴィーシャがへなへなと崩れ落ちながら縋り付こうとしてきたので、ターニャはそれを避けつつ扉を閉ざした。極寒が吹き込んだらたまったものではない。

 やたら上機嫌なヴィーシャを浴室に押し込み、家主の責務として毛布とクッションで即席のベッドを用意してやるうちに、すっかり夜も更けてきた。ターニャは薬の副作用で一日眠い日と寝付けない日がある。今日は寝付けない日のようだ。ヴィーシャが来て脳が興奮しているのもあるだろう。

 客を放置して部屋に戻る気も起きず、椅子に腰かけて暖炉の火を見つめていると、部屋に戻ったはずのエーリッヒが声をかけてきた。

 

「寝付けないか」

「そのようです。先にお休みになってください、明日もお勤めがありますから」

「そんな顔の君をほったらかしにしてまで片付けるべき急務はない」

「……やはり酔ってらっしゃるのでは」

 

 ターニャは己の頬に手をやって表情を確かめようと試みたが、触ってわかるわけでもなかった。

 間違ったことだとはわかっている。しっかり仕事をこなしているエーリッヒが大好きだ。それでも、仕事より自分を優先してくれているような言葉を聞くと、ターニャは酩酊と錯覚するほどの嬉しさに襲われるのだ。

 エーリッヒは笑って二人分のマグカップとハーブティーのポットを用意すると、自分の椅子に腰かけた。

 

「表情が豊かになったな。前よりもずっと」

 

 エーリッヒが言う前には二つの意味がある。一つはターニャが精神疾患を患って心が瀕死であったころ。もう一つはターニャが”ラインの悪魔”であったころ。どちらもいい記憶ではない。しかし、いまのターニャはそれらに思いを馳せる程度の余裕を持っている。

 

「ありがとう、エーリッヒ」

「どうした」

「あなたのおかげで私は生きています。命も、心も」

 

 ターニャはエーリッヒに手を伸ばした。応えるように差し伸べられた手に指を絡ませる。少し骨ばって、ペンだこがあって、優しい手。

 この手が大好きだと、あなたが大好きだと、それを口にできたらどんなにいいだろう。しかし、断られたら、嫌われたら。そのような不安が年齢差と経歴という根拠のもとにこみあがり、切なくて、温かさを求めて彼の手を強く握った。

 

「君の手がこれほど柔らかいとは、戦時中の私は微塵も思わなかった」

「私もです。あなたの手がこれほど優しいとは」

 

 どちらともなく笑いがこぼれた。

 名残惜しくはあったが手を離し、マグカップを抱える。眠れない日、エーリッヒはうまく都合をつけてターニャに付き添ってくれる。それでも都合がつかなかった翌日にお土産として買ってきてくれたのがハーブティーだった。

 

「セレブリャコーフとはどうだ」

「友達になれたんでしょうか、たぶん。……正直、驚いています。彼女は”白銀”に憧れていたものとばかり」

「あれは視野が広いからな。ちゃんと両方見えていたのだろう」

 

 思い返せば、ターニャはヴィーシャから洋服をもらったことがあった。士官課程への推薦が通った直後のことだ。ひどくサイズオーバーだったが、嫌な気分ではなかった。あのとき、ヴィーシャは”白銀”ではなく”ターニャ”を見ていたのだろう。

 妙な照れがこみ上げてきて、隠すためにハーブティーを飲んだ。優しい味だった。

 

「心配でなかったと言えば嘘になる。しかし、君が望んだのなら、邪魔はすまいと決めた。セレブリャコーフ少佐には礼をしなければ」

「連名で何か贈りますか」

「それがいいだろう。私からとするよりもずっと喜ぶはずだ。なにか案はあるか?」

「案……職場ではどんなペンを使っていますか? 私の副官だったころは酒保で使い捨てを買っていましたが、そろそろいいものを使っていいころかと」

「今も安物を使っていたように思う。そうだな、そのほうが参謀としての箔もつくか。今度見繕って……」

 

 ここで二人は問題に気付いた。いいペンを買うには都心まで出なくてはならない。ターニャはだいぶ落ち着いてこそいるが、まだ駅に近寄ったことすらないのだ。

 エーリッヒは何も言わなかったが、表情に少しだけ後悔の影が差していた。余計なことを言ってターニャを傷つけたかもしれないと思っているのだろう。

 ターニャもまた後悔していた。後悔させるだけの過去、重篤な病による数々の失態をターニャは抱えている。そして、その過去は今も改善しているとは限らない。

 

「――あったまりました、シャワーありがとうございます! ……あれ、なにかありましたか?」

「ああ、いや、気にするなヴィーシャ。寝巻を貸せなくてすまんな、私のサイズでは到底入らんだろう」

「それは大丈夫ですが……そうだ! レルゲン閣下、今夜は私にターニャさんとの時間を譲っていただけませんか?」

 

 は? と純粋な困惑が二人の口から漏れた。

 

「ガールズトークです!」

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