「解体、でありますか」
苦虫を噛み潰したような顔のレルゲン大佐を見上げながら、ターニャは考えを巡らせた。
サラマンダー戦闘団、ひいては第二〇三航空魔導大隊が解体されるのは予想していた。かつての敵国に精鋭としての強烈な印象を植え付けたからだ。
しかし、ターニャの予想では抑止力としてぎりぎりまで形式が保持されるはずで、それを前提に再就職の計画を立てていたのだ。浅慮による己の過ちを内心で責めるが、表情には出さない。ビジネスマンの基本だ。
「連邦との和平において、条件として戦闘団の解体が明記された。人気者だな」
「は、戦時のものとはいえ、他国においても能力を高く評価されることは小官としても喜ばしく思う次第であります」
「……そうか。戦闘団の各員は人事局による評価と個々人の希望を確認したうえで各所に異動となる。評価にあたっては貴官も同席せよ」
承知の返事と敬礼をしながら、ターニャは事態がさほど悪くないことを理解しはじめた。兵の人事評価に同席するということは、後方勤務、デスクワークの実力を示す機会があるのだ。まさに千載一遇の好機。
それに、別れを告げる部下への餞別と思えば、気分のいい仕事でもある。もう顔を合わせることはめったにないだろうが、それでも同じ国家、同じ組織に勤める”同僚”から悪意を向けられるのは健全な環境の構築とは言えない。
しかし、日時を確認しようとしたところで、レルゲンが口を開いたことでターニャは出端をくじかれた。
「貴官がゼートゥーア閣下に提出した論文が、和平を推し進める決め手となったそうだ」
「論文といいますと……」
「まさか、見当がつかないほどの量を提出したのか!」
図星だった。
サラマンダー戦闘団結成より前、後方勤務を志願して参謀本部に呼び出された際のことだ。説得力を増すために、ターニャは書き溜めていた論文をまとめて提出した。能力を疑われてはかなわないから手も抜いていないし、剽窃もしていない。人員確保と教育を中心に、経済や外交まで手を伸ばした。お気に入りは激戦区の前線において軍法会議による処罰を実行することの戦局への影響を検討したものだった。
レルゲンが大きくため息をついた。ターニャの見立てでは、彼は胃痛を患っている。やはり参謀本部は激務なのだろうか。胃を悪くしているのなら煙草もコーヒーもやめたほうがいいのではないかと思うが、レルゲンは今も葉巻を吸い、濃いめに淹れた深煎りのブラックを口にしている。
「まあ、いい。貴官の能力は高く評価されている。当初機密扱いだった執筆者も首脳陣には公開された。解体後は引っ張りだこだろう」
「それは、身に余る光栄であります」
「貴官の栄達を祈っておこう。……しかし」
しかし、ときた。
ターニャはお偉いさんの逆説接続詞が大嫌いだ。特によい内容のあとについたものは。
レルゲンの目は冷たかったが、どこか迷っているようにも見えた。
「あれほど前線で活躍していた貴官が、そう、よりにもよって貴官が終戦を考えていたとは。何の狙いがあった?」
「……小官は」
これは諮問なのだろうか。最後の最後まで気が抜けない。うまく笑えている自信がなかったが、それでもターニャは頬を緩めようと努力した。ビジネスマンの務めだ。
「小官は、国家に仕える人間として己の届く範囲で役目を果たした、それだけです」
レルゲンはしばらくターニャを見つめて、何も言わず応接室を去っていった。
何が何やらわからないが、ともかく解体だ。情報部の人間も借りて、残しておくと困るものは破棄または移動して保管、余剰備品は倉庫行き。方々から引き抜いた事務員の再就職にも手を回し、同じ階の課に挨拶し、書類を捌き。さらには第二〇三航空魔導大隊の面々が全員昇進したために、家族あてのお祝いの手紙、自らに届いたお祝いへの返礼もこなさねばならない。
目が回るような多忙に、ターニャはうんざりしはじめていた。仕事とは多すぎても少なすぎてもいけないのだ。
「セレブリャコーフ大尉。うちの馬鹿どもは何をやっているんだ? 書類仕事の一つも手伝いに来ない」
「ええっと……第三中隊と第四中隊はラインで治安維持に出ています。ルーデルドルフ閣下からご通達がありました」
「ああ、そうだったな……第二中隊はどうした、ヴァイス大尉は」
「ゼートゥーア閣下のご指名で首脳陣の護衛です。継戦派の攻撃を防ぐとかなんとか。大佐殿も激励してらしたと思いますが……」
「確かに……。じゃあ、第一中隊は。貴官の管轄だろう」
「魔導新兵の教導にあたっています。その……大佐殿の指示で」
「わかっている、わかっている! そうだ、私が承諾し、私が指示した! こんな糞忙しくなるとは思っていなかったからな!」
机に突っ伏すと、勢いで書類の束がひとつ崩れた。最悪だ。ため息すら出ない。ターニャは鈍痛のする己の頭に憐憫を向けながら、すっかり雑然としてしまった執務室を眺めるでもなく眺めた。
なぜ事務員を送り出してしまったのだろう。終戦直後で憲兵隊も手は空いていないし、人手の借りようがない。
「た、大佐殿! 参謀本部から封書です!」
「あー……十中八九貴官にもかかわりのある話だ。寄越せ」
レルゲンの名義で届いたそれは、元第二〇三航空魔導大隊の面々に関する人事会議の通知だった。資料を作るには十分な期間があるあたり、帝国が落ち着いたのか、レルゲンが有能なのか。
ともかく、準備をする必要があった。
「セレブリャコーフ大尉。貴官の有能さは私もよく理解している」
「大佐殿……え、えへへ、光栄です」
「実際、貴官には世話になった。勇敢だが冷静、コーヒーを淹れさせれば一流、事務仕事でも有能。せんだって大尉に昇進したばかりではあるが、まだ上を目指せる」
半ば本心だ。自身に忠実で有能、しかもおいしいコーヒーを淹れられる可愛い部下。ターニャにとって手放すのが惜しい人材だ。しかも、ターニャ手ずから育て上げたのだから、我が子を奪われるようなものだった。
「そんな、小官こそ大佐殿にはライン戦線のころから救われてばかりで……大佐殿がいらっしゃらなければ、私は帝国を見守る英霊の一人になっていました」
「私のことはいい。ともかく、大尉には適切な褒賞と適切な人事が提供されるべきだ。来月、人事会議に出席することになった。希望があれば今のうちに。多少強く推薦するのもやぶさかではない」
「あ、ありがとうございます! でも、その……」
通達書から目を上げてセレブリャコーフを見ると、彼女は歓喜というよりは困惑の色に表情を染めていた。
「なんだ、言ってみろ」
「いえ、なんと言いますか……今後も大佐殿の副官として務めさせていただくわけにはいかないのでしょうか」
ターニャの思考が固まった。
つまり、この優秀な副官は、今回の人事で立身出世ではなくターニャの部下であることを望んでいるのだ。ある意味では間違いではないだろう。単独で上を目指すより、誰かの配下としてともに上るほうが安全だ。ましてや、その相手が確実な出世株であれば。
しかし、セレブリャコーフの瞳から出世欲は微塵も感じられなかった。
「大佐殿は、その、少々鈍感でらっしゃるので、はっきり申し上げますが……私は他の誰でもなく、大佐殿にお仕えしたいんです!」
「な、なるほど」
ターニャが気圧されて頷くと、セレブリャコーフは満足げに頷いて、書類仕事に戻った。その手際の良さたるや、手放したくないと思わせるには十分なものだ。ひょっとするとここで有能さを見せつけておこうという策なのかもしれない。
しかし、情熱的な申し出だった。
「情熱的……いや、まさかな」
「大佐殿、何か?」
「あー、一応確認しておくが、セレブリャコーフ大尉。先ほどのそれは人事の希望であって、その、恋愛的な告白のそれではあるまいな?」
「へ? ……ふふ、大佐殿も年相応なところがあるんですね、安心しました」
「馬鹿、今日中にその山を片付けないと北方送りにするぞ」
ターニャは自分の間抜けさに呆れて頭を振った。
ターニャ・フォン・デグレチャフ、もうすぐ十四歳。