積み重なったカタログにターニャは目を回していた。水色、桃色、若葉色、色とりどりの布切れが肌色を気持ち程度に隠している。この状況を目にしたらエーリッヒの頬がひきつるだろうことは容易に想像できた。
それだけでなく、大変に姦しく喧しい喧嘩が目の前で繰り広げられているのだから、もう始末に負えない。
「わかってないわねヴィーシャは。いいかしら、水着ってのはそれ一枚なの。最終防壁なの。あと一手指せば崩せるって期待と緊張感が男を興奮させんの! ビキニ以外の選択肢はないわ!」
「それはバインバインボインボインわがままセクシー徹甲榴弾術式のエーリャだからでしょ! ターニャは蠱惑的でどこか危うげな美少女なの、隠してこその色気なの! ワンピースでしょワンピース!」
「はあ? この子がワンピースタイプの水着で泳いでるとこ想像してみなさいよ! どう見たって幼年学校の体育でしょうが! そっかー、ヴィーシャったら連邦にいたころから変わってないもんねー、仕方ないかー!」
「へえーそういうこと言うんですかー! 何が砲兵隊の観測員ですか、そんな節穴でよくその嘘が通りますねー!」
ものすごくうるさくて、ありえないほど下らない。
いま、この家には三人の淑女だけがいた。旅行の準備として水着を選びたいターニャ。水着選びの手伝いを頼まれたヴィーシャ。ヴィーシャだけに任せておけないと首を突っ込んできたエーリャ。
エーリャ、エレーナ・アントノーヴナ・カトゥリスカヤはヴィーシャの幼馴染だ。連邦から一緒に亡命してきた仲だという。帝国軍の情報将校で、ゼートゥーアの配下であり、ターニャが軍を去る際の諸々を担当した人物でもあった。快活で物怖じしない振る舞いはターニャを後ずさりさせるほどだったが、第一印象とは裏腹に踏み込みすぎない思慮深さの持ち主であるとわかって交流が始まった。
優秀なはずなのにたかが水着の話で今にも取っ組み合いを始めそうな二人を放置して、ターニャは一番近いところに置かれたカタログを手に取った。
水着の種類を教わっているところまではよかったのだが、ビキニとワンピースのどちらが似合いそうか聞いたらこの様だ。ターニャが火をつけた気もするが、もう手に負える状況ではない。
ターニャとしては傷痕を隠すためにも露出の少ないものがよかったが、子供っぽく見られるのも嬉しくない。いま見ているカタログのワンピースなど、前世で幼いころ目にしたスクール水着そのものだ。それは勘弁願いたい。
「こうなったら、やることは一つね」
「そうね、それしかない」
「おい、暴れるのはいいが人の家を荒らすなよ」
「暴れません。けど、ターニャにお願いしたいことが」
妙に嫌な予感がして、カタログのページをめくる手が止まった。
「着せ替え勝負よ、ターニャ!」
「は?」
「外出の準備をお願いします、ターニャ。カタログほどの種類はありませんけど、こういうのはやっぱり着てみたほうがわかりやすいですから」
「おい、私はマネキンじゃないんだぞ」
「そりゃもちろんわかってるわよ。だから等価交換。全員でお互いの水着選び!」
なにが等価交換なのかターニャにはわからなかったが、ターニャが想像するところの”女性らしい遊び”におおむね一致する。面白いかはともかく一度経験してみるのもいいだろう。知らないまま評価すべきではない。
ターニャはカタログをテーブルに投げた。
「先に片付けだ。時間と体力が消し飛ぶのは目に見えている」
「やったー、私ターニャちゃんのこと好きよ!」
「鬱陶しい、くっつくな」
軽く香水でもつけているのか、椅子に座るターニャの横から抱きついてきたエーリャはほのかにクランベリーの香りがした。これが女性の嗜みというやつだろうか。しかし、まだ十三歳のターニャが香水の匂いを振りまいてもませているだけだ。少し悔しくなった。
さすがは情報将校、隠滅は得意と見えて、片付けの手際はターニャやヴィーシャを容易に上回る。ヴィーシャは料理の達人、エーリャは掃除の名人。ヴィーシャの料理技術はエーリャ由来だとターニャは聞いている。つまりエーリャが一番の有力株だ。
しかしこの中で一番結婚に近いと目されているのはターニャなのだから、乙女街道とやらの実績は能力と比例するものではないらしかった。
「帽子よし、財布よし、水筒よし、懐中時計よし、火の始末よし」
失態を防ぐために、ターニャは指差し確認を導入した。情けなくはあるが、迷惑をかけるよりはいい。
「施錠よし。手早く済ませるぞ」
「おっし、燃えてきたわ!」
「燃えるな。暑苦しい」
エーリャという女はどうにも落ち着きがなく、またこの片田舎が物珍しいようで、花を摘んでターニャの髪に挿し、虫を掴んでヴィーシャを追いかけ、蛇を見つけて飛びあがった。
「あれ、エーリャって蛇だめなんだっけ」
「いや、ほら、毒があるじゃない? それに絡みつかれたら終わりそうだし。あと鱗がなんか、うん。それだけよ、それだけ」
「あの蛇、ケーニッヒ大尉に似てないか?」
「確かに……細い目と賢そうな動きがそっくりですね」
草むらに消えていく蛇を見送っていると、エーリャが疲労に満ちたため息をついた。
「ケーニッヒ大尉って髪の長いあいつ? 第二〇三航空魔導大隊の中隊長から士官学校の教官になった」
「そう、そのケーニッヒ大尉だ」
「あいつ苦手なのよね、プライド高い偏屈な堅物って感じで」
「ああ見えて結構お調子者よ、彼。笑い上戸だし」
「え、ヴィーシャってあいつと付き合ってんの?」
「そうなのか、ヴィーシャ?」
「ないない、ないですよ。大隊のメンバーで一番女性の扱い下手だったもの。グランツ中尉が引くくらい」
「私の知らないところで何をやっていたんだ貴様らは……知っているところでやられるよりはましだが。ちなみに、誰が一番まともだったんだ?」
「うーん、ノイマン大尉でしょうか。先週会ったときもいい感じでしたし」
「はあー? 急に香水借りに来たのってまさかそれ? ヴィーシャの裏切り者!」
「結婚するなら早く報告しろ、祝電の文面を考える時間がほしいからな」
思いもよらないところで慶事の気配がするものだった。重量級レスラーのような体格で穏和な性格のライナー・ノイマンはターニャも嫌いではない。場と程度を弁えており、気が利き、扱いやすい部下だった。
第二〇三航空魔導大隊の面々から受け取った花束はいまも飾ってある。まだ会う勇気はないが、いつかは。
服飾店の女店主は商売上手と見えて、「最近若い子が増えたから仕入れといたのよ」と様々な水着を出してくれた。
「ヴィーシャあんた前はどんなん着てたっけ、ショーパンのやつ?」
「そう、エーリャに選んでもらった紺色に蝶の。あれ着てたらすごい勢いで声かけられたんだけど」
「そりゃそうでしょ、似合ってるし露出多いし。でも今年はやめたほうがいいかも。あんた後方に回ってからくびれなくなったし。運動してんの?」
「え、えへへ……ターニャはどれがエーリャに似合うと思いますか?」
急に話を振られて面食らいながらも、ターニャは胸を張ってポーズをとるエーリャを見上げた。
ヴィーシャがたびたび口にする通りの”わがままボディ”で、癖っ毛がふわりとした赤髪ショートと輝く瞳が快活な印象を後押ししている。背も高い。
なんでも似合う気がして、選ぶのが難しかった。
「選ぶ基準がわからん。似合う、似合わないという線引きはあまりに漠然としていないか?」
「それもそうね。うーん……たとえば私の場合、左の二の腕にでっかい傷痕があるから、それを見せるかどうかで分けられるかな」
シャツの袖をまくってみせたエーリャの左腕には、確かに肩から肘近くまで一筋の切り傷が刻まれていた。痛々しくも勇ましいそれは軍人の勲章とでも言うべきだが、見る者によっては彼女の美しさを損ねていると指摘するだろう。
なんの恐れもなく平然と傷を見せたエーリャに驚くと、表情に出たのか、エーリャが不敵な笑みを浮かべた。
「こういうのはね、誰かが先陣切らなきゃいけないわけ。このメンバーじゃ私が一番お姉さんだから私の仕事。それに、あんたら二人が名誉の負傷を吹聴する人間じゃないってのもわかってるし」
「気にしないでくださいターニャ。エーリャは昔からちょっと考えが痛いというか、かっこつけなんです」
自身の怯懦にターニャが情けなくなる間も与えずに喧嘩を始めた二人を見上げて、ターニャは少しだけ勇気が湧いた。前世がどうであろうと、また階級や戦績がどうであろうと、この場ではターニャが最年少なのだ。乙女街道の先輩たちに指南を受けることを恥と思うべきではない。
「……安直に考えるならこの袖のあるやつだが、それでは腰が隠れて強みを活かせないか。いや、待てよ? あるいは……」
ターニャが手に取ったのは布面積の少ないビキニだ。それも胸部分の中央を紐で編み上げてあるものを選んだ。
「あえて傷痕を見せるのも手、なのか?」
「ほほう、その意図は。このエーリャが採点して進ぜよう」
「そのキャラなに?」
「ヴィーシャは競泳水着でも見てなさいよ。それで?」
「今は戦後で、戦い抜いた人間の勇ましさが賛美される。それなら傷は隠すより見せ方を工夫すべきだろう。この編み上げは露出と勇ましさのバランスがいい、気がする。……どうだ?」
「なるほどなるほど。すごいわねターニャちゃん、今季の流行を読んだうえで私に合った水着を選んでくれたわけでしょ? もうばっちりじゃん!」
エーリャの満面の笑みは眩しくすらあり、活発な美人とはこういう人のことを言うんだな、とターニャはどこか他人事のように思った。
エーリャは水着を手に試着室へと向かった。ようやく静けさが戻り、店内放送の古ぼけたラジオと奥の部屋で丈直しをするミシンの駆動音がよく聞こえる。
「どうですか、ターニャ」
「ああ、まあ、悪くないはずだ」
「もしお疲れでなければ、私の水着も選んでいただければと」
「それは構わないが……私のセンスでいいのか? 本当に?」
「はい、もちろんです!」
この笑顔をふいにするわけにもいかず、ターニャはヴィーシャの体をじっくりと観察した。
今までは女性の体をじっくり観察することを避けてきた。その点に関してはまだ前世の感覚が残っているようで、セクハラを疑われるリスクを減らしたかったのだ。
ヴィーシャの魅力といえば青く澄んだ瞳であるとターニャは思っている。であれば、注目が顔に向くよう水着はシンプルなほうがよいのかもしれない。
また、体つきはエーリャにこそ劣るものの、とりたてて貧相というほどではない。どれを着ても似合わないということはないだろう。
カタログの情報と謳い文句を加味して、ターニャは候補を絞り込もうとした。しかし、いまいちぴんと来ない。
これも勉強だ。ターニャは素直に状況を報告することにした。
「ヴィーシャの綺麗な瞳に視線を向けるには、水着はシンプルで落ち着いたものがよいのではないかと考えたのだが……ほどよい体つきだからどれも着こなせる気がしてな。候補が絞り込めん」
「おお、なるほど。ありがとうございます! そうですね、それなら組み合わせの相性も加味していただけると助かります」
組み合わせ、とターニャが呟くと、ヴィーシャは頷いて、二着の水着を手に取った。
「たとえば、この黒のチューブトップ型は露出が多めで、かつ大人の雰囲気があります。泳いだり運動するよりもビーチでのんびりする人向きですね。一方、この若葉色のハイネックビキニは露出が少なく、若々しさがあります。動くのにも適した構造です」
「なるほど。一緒に行動するには雰囲気も活動目的も噛み合わない」
「おっしゃる通りです。もちろん、最終的には着たいものを着るので合わないこともあります。でも、どうせ一緒に買いに来ているのですから、ね?」
理屈が通っていた。ターニャとともに軍で戦ってきただけあって、ターニャにとってわかりやすい説明をするのに慣れている。意味のない仮定ではあるが、もしターニャが今も軍に残っていたら絶対にヴィーシャを手放さなかっただろう。
ターニャが感心に浸っていたそのとき、ごきげんな様子でエーリャが試着室から戻ってきた。
「ただいまー」
「あれ、水着は?」
「サイズも雰囲気もばっちり! せーのでお披露目したいからいったん脱いで預けてきた。で、ヴィーシャのはどんな感じ?」
ヴィーシャが状況を説明すると、エーリャは満足そうに頷いた。
「我が弟子ヴィーシャよ、成長したではないか」
「ちょっと、勝手に入門させないでよ」
「すでに破門したわ、ふはは」
「なにをやっているんだ、なにを……ほら、選んだぞ」
ターニャがヴィーシャのために選んだのは、腰回りがミニスカートになっているビキニだ。白の下地に小さな青い薔薇を散らした生地は派手すぎず、地味すぎずでほどよいとターニャは見立てた。
エーリャが「くびれが消えた」と指摘していたことを考えたとき、腹回りをへこませるよりは腰回りを膨らませるほうが容易に思えた。そこでスカートだ。
動きやすいこの水着であれば活発なエーリャと一緒に活動できる。あとはヴィーシャの好みかどうかだ。
「可愛い! 持ってないタイプの水着です」
「あんた童顔の割に乙女系の選ばないもんね」
「好みから外れるなら、選びなおすが……」
「いいえ、私はこれがいいです! サイズ違いあるか聞いてきますね!」
水着を抱えて小走りでヴィーシャが奥に消えると、ターニャはエーリャと二人きりだ。ターニャにとってエーリャは友達の友達で、まだ二人きりで話す機会は少ない。妙な気まずさでターニャは落ち着かなかった。
「あいつが帰ってきたら、私らでターニャちゃんの水着選ぶからね。なんかご注文があればどうぞ?」
「あー……前線にそこそこ長くいたから、どうにも傷痕が多くて」
ヴィーシャがいなくなった途端口下手になったのを訝しがられていないか、ターニャは不安だった。エーリャがそのような人物ではないことは分かりつつあったが、それでも根拠のない不安はこみ上がり、ますます舌を縛る。
「なるほどね。誰にも見られたくない? それとも、彼には見られてもいい?」
「エーリッヒになら見られてもいいと思う。ただ、その、醜い姿でそばにいて彼に恥をかかせたくない……おかしなことを言っているな、すまん」
「いやいや、愛する人の名誉を傷つけることはしたくないって大体の人は思うもんだし。……ちょっと本音で独り言なんだけどさ」
エーリャは水着が入っていた空き箱に腰かけた。
「私さ。”白銀”ってやべえやつなんだろうなって思ってた」
「それは……そうだろうな」
「ああ、独り言だから相槌とか気にしないでいいわよ。うちの閣下のお気に入りで、天然なくせして意外と勝気なヴィーシャが『大切な人』って言うくらいだから。でもまあ、なんか、普通の女の子じゃん? ちょっと妬ましいぐらいに」
ターニャは彼女の目がひどく虚ろなことに気が付いた。
策謀渦巻く情報部で将校となり、親しい友人にすら身分を秘匿してきた亡命者の女性軍人。彼女の苦労は計り知れなかった。
ターニャは自分が苦労していないと考える気は毛頭ない。しかし、自分だけが苦労しているわけでもない。それで自分の苦労が消えるわけでもないが、事実を認識しているかどうかで状況は変わりうる。
「幸せになんなさいよー、ターニャちゃん。こんなぽっと出の怪しい女に言われることじゃないけどさ。あいつにも幸せになってほしいっつのに、気づいてんだか気づいてないんだか」
「……独り言に返事をするのは不躾かもしれないし、ひどく甘ったれたことを口走るが」
かつてヴィーシャがそうしてくれたように、ターニャも彼女の両頬に手を添えて目を見つめた。
「貴様がそれを望むように、セレブリャコーフ少佐も貴様の幸福を望んでいる。貴様はまだ諦めることを許されていない。私が許していない」
「……なるほど、これが”白銀”ってわけね。なかなかおっかないじゃない。それで、ご命令は?」
間抜けな話だが、ターニャは何も続きを考えていなかった。まさかこのような返しが来るとは思っていなかったのだ。軽率に人の人生に干渉して能力不足に苦しんでいるのだからまさに自業自得だが、ここで諦めたくはなかった。
「友達」
「は?」
「私と、友達に」
「それは……命令になるの?」
「いや……お願いに分類されるのではないか?」
二人で首を傾げた。
間違ったかとターニャが気まずさを覚えていると、エーリャは声を上げて笑いはじめた。愉快そうに笑う女だ。彼女はターニャの手を取って引き寄せると、そのままターニャを己の膝の上に無理やり抱きあげた。
「あーもう、おっかしい。なに、これまで私たちって知人止まりだったわけ? へこむなー」
「そんなに笑うならもう知らん、おろせ」
「やーだ。私は友達にわがまま言って困らせんのが趣味なの。ヴィーシャに自慢してやるんだから」
エーリャはとても愉快な様子で、ここまで笑ってくれるならとターニャは状況を甘受した。友達のためだ。
なぜ唐突にこのような行動に出たか分かった気がした。鏡に映ったかつての自分にどこか似ていたのだ。所詮は我が身可愛さの延長線上にある自己満足。
「あーっ、ずるい!」
「ふふん、ターニャは私の友達だもんねー」
「ヴィーシャが先任だ。ほら、満足したならおろせ。私の水着をさっさと選んで帰るぞ」
悪い気分ではない。
帝国の水着事情や水泳事情はさっぱりさっぱりであり、ほとんどが捏造であることをご理解ください。加えて、ここに書いてある水着選びがまったくの嘘っぱちであることも。