【本編完結】幼女戦記 比翼幸福勲章   作:海野波香

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第27話 経済

「これは……さすがに露出が多すぎるのでは?」

「うーん、確かに。可愛くはあるんだけどなあ……あ、じゃあ上になんか羽織るとか」

「水着の上に羽織るの? なんか海難事故で救助されて震える人みたいにならない?」

「いや何よそのたとえ。ヴィーシャ、あんた軍服のジャケット持ってきてたでしょ。ちょっと貸しなさい。……あ、いいじゃん! ありよあり!」

「ジャケットの下がビキニだぞ、性犯罪者に見られるのは勘弁だ」

「大丈夫、鏡見てみなさいよ。いけるいける」

 

 促されて渋々鏡に向き合ったターニャは、エーリャのセンスがずば抜けて鋭いことを認めざるをえなかった。

 サイドを紐で結んだ黄色の三角ビキニに夏物の軍用ジャケットを羽織ると、活発な印象はそのままに露出が減り、恥ずかしくない程度におしゃれだ。ジャケットを脱げば泳げるし、陸に上がっている間だけ着ていればいい。

 

「どう?」

「……まあ、悪くない」

「そんなこと言っちゃって、お目目きらきらよ? 水場でジャケットか……ちょっとオーバーサイズのほうが可愛いのよね、ターニャちゃんの場合。なんかいいのあるかしら」

「レインコートとかどう? 前開きの」

「あー、スリッカーだっけ。いいんじゃない、なんなら中で着替えられるし。ちょっと私見てくる。今何時?」

 

 ターニャは鞄から懐中時計を取って開いた。家を出たのは十三時。それから二時間半経って、今は十五時半だ。

 

「十五時半を少し過ぎたな」

「思ったより時間あるわね。ターニャちゃん、あとでヴィーシャに髪切ってもらえば? うまい人が毛先整えるだけでも結構違うもんよ?」

 

 ここ一年、ターニャは自分で髪を切っていた。鋏を扱えるようになるまでは伸ばし放題の髪を束ねて誤魔化していたが、今は自分で邪魔にならない程度に長いままに整えている。しかし、当然手が回らないところも多い。

 人に切ってもらわなかった理由は至極単純で、身動きの取れない状態で刃物を向けられるのが怖かったからだ。

 

「……ヴィーシャ、頼めるか?」

「もちろんです、お任せください!」

「よし決まり。そしたらレインコートめぼしいの持ってくるから、ちょっと休憩してなさいよ。人前で着たり脱いだりって意外と疲れるし」

「ああ、身を以て実感した」

 

 すっかり占領してしまった試着室の丸椅子に腰かけて、ターニャは店主が差し入れてくれた水を手に取った。店内でも暑いことに変わりはないのだ。水着で帰りたいくらいだが、ターニャの倫理観と羞恥心がそれを拒否していた。

 ターニャは帝国がもっと閉鎖的な伝統主義の文化を保持する国家だと思い込んでいた。まさかこれほど女性ものの水着が充実しているとは。

 そのことをヴィーシャに打ち明けると、彼女はくすくすと笑った。

 

「そうですね、五十年前までは短いスカートを穿いているだけで後ろ指をさされる社会だったと聞いています。でも、魔導師を主として女性軍人が増えたことで空気が入れ替わって」

「なるほど、同じ義務を負うなら同じ権利があって然るべき、というわけか。道理だ」

「私も連邦にいたころの印象を少し引きずっていたので、最初は驚きました。それに、連邦で水着になる機会なんてありませんし」

 

 帝国から北東に位置するルーシー連邦の広大な領土は、名のある詩人をして「雪に守られ、雪に攻められる大地」と言わしめるほどだ。泳ぐ機会などそうありはしないだろう。

 ターニャがエーリッヒと行く予定の旅行先は森林三州誓約同盟にほど近い山麓で、写真を見ただけでも涼しさが伝わってくるほどだ。大戦前は避暑地として富裕層の一部に人気があったらしいが、航空機の発達で関心が海に向いている今は穴場だという。

 そういえば、ヴィーシャとエーリャがどこで泳ぐのかは聞いていなかった。

 

「君らはどこに行く予定なんだ。海か?」

「南に鉄道で一時間ほど行ったあたりに湖があって、ちょっとした観光地になってるんです。ご飯もおいしいし、宿も安いし、何より帝都から乗り換えなしで行くことができるので、評判がいいんですよ」

「それはいいな。仕事に支障が出ない程度に楽しんできたまえ」

「満喫して参ります!」

 

 仕事に支障が出ない程度にの下りをわざとすっぽかされたが、嬉しそうなヴィーシャを前にすると余計なことを何度も口にするのも違う気がしてきて、ターニャは鼻を鳴らすだけにとどめた。

 ターニャから見て、ヴィーシャとエーリャはまさに気の置けない仲そのものだ。間の抜けた冗談を口にしたり下らないことでいがみあったりするヴィーシャは初めて目にした。エーリャもそんなヴィーシャに対して遠慮なしにきついことを言う。

 思い返せば、これまでターニャに友達らしい友達はいなかった。社会に人間性を疑われないように多少の付き合いがある知り合いを用意はしていたが、それらに”親しみ”を感じたことはない。それを寂しいと思ったこともなかった。

 つまり、ターニャが友達を、ひいては人との縁を求めるようになったのは、精神的に弱体化したためだ。ターニャはそのように自己分析している。

 

「持ってきたわよー」

 

 試着室のラックをレインコートが占領した。子ども用のレインコートは在庫が少なかったのか、さほど枚数はない。さっそくヴィーシャが一着手に取って広げた。

 

「おお、こうして見るとレインコートも侮れないなあ。でも、軍のよりちょっと重い?」

「あれは軍用品、それも前線での装備だからな。そのぶん、民生品のほうがおしゃれではあるが……どうした、ヴィーシャ」

 

 ヴィーシャがレインコートを手にしたまま固まっている。

 

「いえ、ターニャの口からおしゃれという言葉が出たことに嬉しくなって、つい」

「……似合わない言葉なのは自覚している」

「やっぱり恋愛って人を変えるのよね。成長よ、成長。ほら立って、好きな色のやつ着てみなさいな」

 

 ターニャは促されるままに積まれたレインコートに手を伸ばし、落ち着いたカーキ色のものを引っ張り出した。

 羽織ってみると、脛まで隠れる丈と形のしっかりした襟が合わさって、トレンチコートを思わせる。ここに水着を合わせるのだから、完全に露出狂のそれだ。鏡に映ったターニャが頬を引きつらせている。

 

「いやあ、それは……ないわね」

「ないね」

「ああ、ないな。襟はなし、丈も短いやつがいいだろう」

「んー、レインコートってやっぱ目的は雨よけだから、長いのばっかなのよね。何着かあった気がするけど……これとか」

 

 エーリャから受け取ったものに着替える。

 紺色の長袖で、身長の低いターニャでも見方によっては膝丈と言える程度の丈だ。雨の中でも扱いやすいようにか、白い縁取りがされており、ボタンも青系統の蛍光色。悪くはなさそうだが、どこかしっくりこない。

 

「……どうだろうか」

「その溜めが答えみたいなもんよね、うん。わかる、なんか、うん」

「足りないというよりは、多い?」

「そうね、そんな感じ」

「あれだ、地味な部分と主張の激しい部分があってうるさい。実用的ではあるのだろうな」

「それだわ、完全にそれ。んー、次は……あ、これいいんじゃない?」

 

 三着目は白だ。

 腰丈より少し長く、本来はズボンと合わせるのだろう。確認してみれば、上下セットの上だけが納品ミスで残ったものらしい。

 裾にはゴムが入っていて、前ボタンを閉めてもシルエットが野暮ったくならない。フードもついている。レインコートというよりパーカーのような見た目だった。

 帝国の服装事情と一致した装いとはとても言えないが、ターニャから見て水着との相性は抜群に思える。

 鏡の奥で少女がはにかんでいる。長く伸びた金髪を肩に流し、白いレインコートの隙間からは黄色のビキニが覗いている。ターニャが小首を傾げると、鏡の少女も同じ動きをした。

 

「どう思う、ヴィーシャ」

「決まりじゃない?」

「そうね。ほらお姫様、帰っておいでー」

 

 突然抱き上げられたことにターニャは目で抗議したが、一人で鏡に映った自分を楽しんでいた恥ずかしさがあって言葉は出なかった。

 

「んじゃ、私とヴィーシャも着替えてくるからちょっと待っててね」

「わかった。しかし、着替えてどうするんだ?」

「そりゃもう、決意表明よ。来年は三人で遊びに行くぞー、ってね」

「私も行くのか」

 

 言外に「行っていいのか」と問いかけると、「もちろん」と視線が返ってきた。二人で泳ぎに行くという話を聞いて羨ましく思いはしたが、長い付き合いの二人に混ざって遊びに行っても邪魔なのではと思って黙っていたのだ。

 

「ここでターニャちゃんをハブにする私たちじゃないし。そうでしょ、ヴィーシャ?」

「私は戦争が終わったら真っ先にお誘いするつもりだったんです。思ったより忙しくなっちゃいましたけど、絶対に非番はもぎ取りますから!」

「……まあ、その意気だ。サービス出勤、サービス残業など唾棄すべき慣習だからな」

 

 悪態をついたが、これが照れ隠しなのは二人とも理解しているようだった。

 

「そうだ、いいこと考えました!」

「いい、ターニャちゃん……この手の話でヴィーシャがいいこと考えたって言い出したらだいたいヤバい」

「来年は三組で合同デート、どうでしょう!」

「ほらヤバい」

「わ、私は初デートもまだなんだぞ! 他人にデートを目撃される瞬間を想像しただけでも頭をぶち抜きたくなるのに、友達と一緒に? 正気か?」

「それにあんたも私もまだ相手いないし。……いないわよね? いたらコンビ解消よ、解消」

 

 エーリャの詰問に答えずにこにこしているヴィーシャがひどく恐ろしかった。これほどネジの外れたやつだとは思っていなかったのだ。

 女店主を驚かせるのも忍びなくて、ターニャは今にも噛みつきそうなエーリャの口を両手で押さえた。

 

「そ、それで、川遊びにはあと何が必要なんだ?」

「そうですね……」

 

 ヴィーシャが列挙する品々を復唱するうちにエーリャも落ち着いた様子で、店内からおすすめの品を見つけてきてくれた。水遊びの先輩二人が言うのだからいいだろうと思って、ターニャはそれらをすべて購入することに決めた。

 ところが、会計の段になって財布を取り出す手をエーリャに掴まれた。

 

「はい、そこまでー。ヴィーシャ、半分でいい?」

「もう少し出してもいいよ、出世したし」

「憎たらしい顔するわね本当に。いいわよ半分で、私も手当出たから」

「おい、なんのつもりだ」

 

 ターニャの要求を無視して、エーリャとヴィーシャが会計を済ませてしまった。

 ターニャは今のところゼートゥーアの恩情によって生じた俸給に手を付けていないが、それとは別に蓄えがあるし、「蓄えはできるだけ手を付けず老後に残しておきなさい」とエーリッヒが生活費を負担してくれている。

 不服を申し立てようとターニャは二人を睨みつけた。

 

「私は別に恵まれる立場ではないぞ」

「あのねえ、友達に恵むも恵まれるもないの。これは着せ替え付き合わせたお礼。友達って言ってもそこにはちゃーんと経済が成立してるわけ。数字じゃない経済がね」

 

 そこが偏ると続かないもんよ、などと口にして笑うエーリャにこれ以上抗議するのは無駄だろう。それに、ターニャは友達関係というものに対する理解を持ち合わせていない。否定するにも根拠がないのだ。

 古ぼけた手持ち金庫に二人から受け取った代金を納めて、女店主がターニャに笑みを向けた。

 

「まあまあ、いいお友達ね。ありがたく受け取っておきなさいな、こういうときは断るより別の形で返したほうがお互い幸せになるのよ?」

「しかし、マダム……」

 

 ターニャも頭では理解できるが、このシステムにまだ馴染んでいなかった。傷つくほどではないが、どうにも気持ちがよくない。

 ターニャは借りを作るのが昔から好きではなかった。最近曖昧になってきたが、前世でもできるだけ避けていたように思う。それは関係の主導権を奪われることによる損失を恐れてのことだ。しかし、いつの間にか「借りを作ることを回避する」という習慣だけが残り、損失が発生するか否かは考慮に入れなくなっていた。

 改めて考える。二人に借りを作るのは嫌なことだろうか。避けるべきことだろうか。

 ターニャはようやく、感謝の言葉を口にできた。 

 

「その……ありがとう」

「……ヴィーシャが言ってたこと、かんっぜんに理解したわ」

「すごいよね、破壊力」

「どうした?」

「ああ、うん、どういたしまして。んじゃ、帰って散髪式といきますか。ご店主、いい品をどうもー!」

「ええ、今後ともご贔屓に。また来てね、ターニャちゃん」

 

 ターニャも店主に挨拶をして、三人は帰路についた。

 時刻は十六時半。日が傾きはじめたとはいえまだ暑い。道中、三人でアイスを買った。ヴィーシャはヘーゼルナッツ、エーリャはレモン。店番の青年におすすめされて、ターニャは新作だというクヴァルク味にした。クヴァルクがなにかわからなかったが、淡泊なチーズ味だ。

 

「どうよ、新作」

「なかなかいけるな」

「一口頂戴、一口あげるから」

「嫌だ、貴様の一口は絶対に大きい」

「ひどーい、そんなことないわよねヴィーシャ!」

「この間、一口でクネーデル食べて火傷してました」

「すごくどうでもいい告げ口しやがってからに……」

「一口だけだぞ、ほら」

「ターニャちゃん大好き! 本当だ、いけるわね」

「ターニャ、私のも一口食べますか?」

「ああ、ありがとうヴィーシャ」

 

 なるほど、経済だ。

 結局すべてのアイスを三分の一ずつ食べたのに、一つのアイスをすべて食べるより気分がいい。複数の味を楽しめた、それ以上の意味がそこにはあった。 

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