【本編完結】幼女戦記 比翼幸福勲章   作:海野波香

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第30話 美酒

「確かに唐突な高高度落下訓練の申請があったと耳にしたし、連絡不備であの”白銀”を砲撃したと知ったときは胃が破れるかと思ったが……航空機を使ってまでアイスクリームが作りたかったのか?」

「作りたかったのではありません、食べたかったのです。アイスクリームパーラーが移動にならなければ実行には移しませんでした」

 

 昔の失態を掘り返されて恥ずかしかったのか、むくれているターニャの頬はうっすらと赤みを帯びている。羞恥だけではなく、酒が彼女を火照らせているのだ。

 連邦産の上質な赤ワイン、それも戦前の一番上等なボトル。過去に例を見ないほどの当たり年だったと連邦の高官は語っていた。その前評判に恥じない美酒だ。大人三人でその見事さをひとしきり賛美して、ようやくへそを曲げた様子でそっぽを向くターニャに気づき、慌てて彼女の取り分を献上した。

 

「あのときは一段と大隊のみんなが団結していましたね。なんとしても少佐殿にアイスクリームをお届けするのだーって当時中尉だったヴァイスが盛り上がっちゃって」

「へえ、あの真面目馬鹿がねえ。愛され系上司だったんじゃんターニャちゃん」

「ヴァイス少佐か。前々からどこかで顔を見たと思って首を傾げていたが、ようやく思い出した。彼は私が贔屓にしていたビアホールの常連だ」

 

 意外なところで縁があるものですね、と驚いた様子のターニャに首肯して、エーリッヒは喋り通しの口をワインで湿らせた。

 

「ヴァイス少佐といえばやっぱりマインネーン事件ですね。中隊長のみんなには悪いけど、笑っちゃったなあ」

「なにそれ、もったいぶらないでさっさと喋りなさいよ」

「……ああ、思い出した。訓練中に脇腹が痛くなるほど笑う日が来るとは思わなかったな」

「ちょっと、聞かせなさいってば!」

 

 ターニャとヴィーシャが悪戯げな表情で目配せしているところを見るに、どうやらかの大隊秘蔵の話らしかった。

 エーリッヒがヴィーシャの空いたグラスにワインを注いでやると、彼女は会釈して、ようやくマインネーン事件の真相を語りはじめた。

 

「雪山での耐久訓練のあと、予定より早く目標が達成されたのでマインネーンで休憩を取ったんです」

「マインネーンか。風光明媚な温泉地だと耳にしている。食事も美味だそうだな」

「まさにその通りです、素敵な休憩でした! でも、温泉に入っていた中隊長組がご機嫌になってしまって」

「え、まさか覗きとか?」

 

 だったらまだよかったんだけど、とグラスを口に運んだヴィーシャは思い出し笑いでむせかけていた。ターニャも笑いをこらえきれない様子だ。

 

「筋肉勝負を始めたんです」

「は?」

「馬鹿どもが馬鹿筋肉を見せ合う馬鹿遊びだ。何の役にも立たん知識だから一時間後までには忘れたほうがいい。さもなくばうなされる」

「そう、そんな感じです。それだけならよかったんですけど……ポージングで張り切りすぎたヴァイス少佐がのぼせてしまって。筋肉勝負で盛り上がっていたせいで女湯にいた私しか周りに人がいなくて」

 

 想像してしまったのか、エーリャが陥落した。笑いに肩が震えている。

 エーリッヒは誇りにかけてこらえていたが、それももう長くはもちそうになかった。

 

「ノイマン大尉が助け起こしている間にケーニッヒ大尉が救援を呼びに来て、大事にならないようにと私はターニャに状況を報告しに行ったんです。それで、ターニャがお説教をすると怖い顔をして、どうなるのかなって冷や冷やしながら戻ったら、全裸でソファに寝かされたヴァイス少佐を半裸の二人が囲んでいて」

「ひ、ひどい絵面だな」

「私たちも同じことを思って、完全にお怒りモードのターニャが声をかけたんです。そしたら……」

 

 ターニャが笑いの限界を迎えたようで、崩れ落ちて膝を叩きはじめた。

 

「二人がきゃーって女の子みたいな悲鳴を上げて。それで飛び起きたヴァイス少佐が、もっと大きな声できゃーって」

 

 話を聞くそのままに想像してしまったことを後悔しながら、エーリッヒはむせてひりつく喉にワインを流し込んだ。ひどくおぞましく、そして冒涜的だ。

 

「もう怒るどころじゃなくって。ターニャは笑いすぎて息ができなくなるし、中隊長組は恐慌状態で謝ったり絶望したりうるさいし、挙句の果てに騒動を聞きつけて飛んできたグランツ中尉が混乱して、俺も脱いだほうがいいですか、って」

「ああもう馬鹿が隊伍をなしてる……負けたわヴィーシャ、私が間違ってた。面白いわあいつら」

「中隊長組で一番伝説を残しているのはヴァイス少佐だな。あれは常識人の自己暗示で自分に箍をはめているようだ」

 

 実はエーリッヒもヴァイスが堅物の類ではないことを知っている。エーリッヒがたまにターニャへの土産でチョコレートを買う菓子店のマダムが、「最近ヴァイスくんが来ないと思ったら、あの子出世して国境に行ったのねえ」と嘆いていたのだ。年上に可愛がられるタイプらしかった。

 おかわりを注ごうとして、エーリッヒはボトルが空になったことに気づいた。四人でワインを一本空けるなどあっという間だが、片付いてしまうともっと味わって飲めばよかったなどと下らない後悔も湧いてくる。とはいえ、楽しく飲めたのはいいことだ。

 

「あら、とうとう飲み干しちゃった……大変な美酒をどうもです、閣下」

「なに、友好の証として受け取った酒は友好の場で飲むのがいいとわかりきっている。だいぶ夜も更けてきたな……ターニャ、そろそろ眠くないか?」

 

 そうですね、と小さく頷いたターニャは酔いか眠気か蕩けるような眼をしていて、共に過ごす夜を彷彿とさせるものがあった。もうすぐ十四歳になる少女に何を考えているのかと恥ずかしくなるが、日ごろの行いを思えば当然のことでもある。

 妙な居心地の悪さを感じているエーリッヒをよそにターニャは椅子を降りると、エーリッヒに両手を伸ばして抱き上げることを求めた。

 

「安眠のおまじないを頂戴したく」

「もちろんだ。ほら……おやすみ」

「ん……」

 

 だいぶ酔っていると見えて、ターニャはエーリッヒの唇を何度も啄み、舌を絡ませるよう求め、去り際にエーリッヒの左耳を甘噛みしていった。

 

「安眠できそうです、ご寵愛に感謝いたします。おやすみなさい、エーリッヒ」

「……ああ。歯を磨いてから寝るんだぞ」

 

 振り向かずとも、生温かい視線の矢が背中に刺さっている。どの顔をして上官だと名乗ればいいのかわからない。

 エーリッヒはターニャが寝室の扉を閉めるまで見送って、それからようやく腹をくくった。

 

「あー……だいぶ酔っていたようだな」

「いや無理があるでしょ……完全にアピールしていきましたよ、自分のだから手を出すなよって」

「まあ、そういう意図がないわけではなさそうだが」

「満更でもないみたいな顔しよってからに、腹立つー……あ、申し訳ありません閣下」

「構わん、もうこの場には酔っ払いがいるだけだ」

 

 エーリッヒは棚から追加のワインを取り出した。それほどいい品ではないが、どうせ酔った舌では違いは判らない。

 二人の分と自分の分で三つのグラスにたっぷり注いで、改めて乾杯をした。

 

「まあでも、安心したわ。お似合いだし、ちゃんと愛し合ってるし」

「そうだな、良好な関係だ。……関係といえば、噂の件は片付いたぞ」

「ベート中佐で確定? 准将を相手取った割には思ってたより小物が釣れたわね。裏はなかったの?」

「私への私怨だった。証言の録音はゼートゥーア閣下にお渡しして、本人は拘留中だ」

「なるほど。まあお疲れさま、閣下もヴィーシャも……ヴィーシャ? どうしたのよあんた」

 

 エーリッヒが目を向けると、ヴィーシャは大粒の涙をぼろぼろとこぼしていた。慌てた様子でエーリャがハンカチを差し出すと、それを受け取ってさらに大泣きした。

 

「私が、私が副官なのに! 盗られたあ!」

「人聞きの悪い……」

「ちょっと閣下黙ってて。ほら、明日真っ赤な目でターニャちゃんとおはようございますってするわけいかないでしょ?」

 

 ヴィーシャは頷いて、エーリャのハンカチで思いきり鼻をかんだ。

 エーリャの頬は引きつっていたが、それでも友情を優先したようで、優しい声でヴィーシャを慰め続けた。

 

「よしよし。大丈夫、閣下がだめな夫になったら私らでかっさらっちゃおうよ。湖畔に赤い屋根の小さな家でも建ててさ、三人で仲良く暮らすわけ。楽しそうじゃない?」

「うん……」

「じゃあ、それを実現する機会が訪れるまでは二人の幸せを応援しよう。ヴィーシャが大切な人の幸せを想える子だって、私はちゃーんと知ってるんだから」

「うん……」

「よし、約束ね。じゃあ閣下に謝って、そしたら寝ちゃおっか」

「うん……申し訳ありませんでした、閣下」

「ああ、確かに謝罪を受け取った」

 

 思ったより酒が回っていたのか、いつになく幼い様子のヴィーシャは促されるままにソファへと向かい、じきに寝息を立てはじめた。

 エーリャは彼女が寝付いたことを確認して、ジャケットをかけてやると、椅子に戻ってワインを煽った。そこはかとなく表情に疲労が見られた。

 

「罪作りな子って言えばいいのかしらね」

「少佐がターニャに向けている感情はそういったものなのか?」

「それ最高にデリカシーのない質問よ、閣下。……尊敬できて、有能で、真面目で、自分を大事にしてくれる。ヴィーシャの条件を満たしちゃったのよ、ターニャちゃんは」

 

 条件。

 エーリャは勝手に棚をあさってチーズを引っ張り出すと、ナイフで切り分けて、エーリッヒに突き出した。

 

「盗み食いの共犯者にだったら続きを話してあげる」

「……いいだろう」

 

 エーリッヒはチーズを受け取った。上司としての義務感や、今後の関係を構築する上での不安、それだけではなく下世話な好奇心もある。

 

「後戻りはできないし、させないからね」

 

 いよいよ夜が更けてきた。

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