【本編完結】幼女戦記 比翼幸福勲章   作:海野波香

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第41話 誘拐

 ターニャはこの音を長らく耳にしていなかった。大気を砕く破裂音、そして一瞬の後にやってくる破砕音。悲鳴と警報がそこに続く。

 どこか現実味のない世界で、覆面の男たちが宝飾店に侵入してくる。仮面舞踏会を思わせる下品な煌びやかさで表情を隠しているが、纏った不穏な空気は顔を見ずとも感じ取ることができるほどだ。手に構えているのはトレンチガンだろうか。ショーケースが割れて透明が飛び散った。煌めいているのに、美しくない。

 

「――伏せろターニャ、伏せるんだ!」

 

 言葉と同時に伸ばされた腕がターニャを押し倒した。

 警報器が撃ち砕かれ、悲鳴と罵声のみが残る。

 強盗だ。

 状況を理解した瞬間、脳天から足元へと寒気が抜けていった。かすかに残った冷静さが指摘する。その震えは怯懦だ。かつて戦場の空を駆けた兵士が悪漢の数人に怯えるとは。

 右肩が疼く。

 野太い怒号が響き、ターニャの近くのショーケースを銃床で叩き割った。革のグローブが不躾に宝石を、指輪を、首飾りを掴み取っていく。

 一人の男がターニャに銃口を突き付けた。

 

「立て。人質だ」

「貴様、そんなことをして――」

 

 ターニャをかばおうとしたエーリッヒの肩を男が蹴り飛ばした。そのまま身動きが取れないよう背中を踏みつけ、銃口はターニャに向けたまま一瞬もぶれない。すべての動きが早く、手慣れている。

 

「立て」

 

 膝は震えているが、思考は回っている。ターニャはゆっくりと立ち上がりつつ隙を伺った。

 怯えている場合ではない。

 店内の”敵”は四人。当然店外にも見張りがいるはずだ。見える範囲では全員トレンチガンを手に持っている。装備も練度も素人のそれではない。しかし、強盗が多発しているというニュースは入っていないはずだ。

 何かを叫ぼうとしたエーリッヒの喉を”敵”の一人が強く蹴りつけた。

 不自然だ。明らかに攻撃が集中している。まるでエーリッヒとターニャが何者かわかっているような立ち回り。

 

撤収(Retrage)!」

 

 ダキア語。

 パズルのピースがはまっていく感覚に、先ほどまでとは違う震えがターニャを襲った。しかし、導き出した回答と脱出の可能性をエーリッヒに伝える前に、抱えあげられたターニャは店外へと運び出されてしまった。

 ターニャを後部座席に放り込み、車が急発進する。

 

「へっ、小娘一人さらって一生遊んで暮らせるたあ、ちょろいもんだ。明日にはシギショアラで酒片手に女侍らせて最高の夜ってか。たまんねえな……糞みてえな戦争が終わって万々歳だぜ」

 

 運転手はターニャがダキア語を理解していることに気づいていないのか、夢見心地の興奮を乗せて独り言をまき散らしている。情報源としてこの上なく有用だろう。

 しばらく聞いていたが、この男はダキア軍にいたらしく、かつて第二〇三航空魔導大隊が壊滅させた軍勢の一人だったようだ。

 

「どんな化け物かと思えば、呆けたガキじゃねえか。帝国のお貴族様ってのは変わった趣味してるぜ。まあ、雇い主にケチつけるほど馬鹿じゃねえけど」

 

 聞いているだけでどんどん状況が判明してくる。

 誘拐を命じたのは帝国貴族。実行犯のダキア人は彼らに雇われており、一生遊んで暮らせる褒美を約束した。

 目的地はわからないが、ハンドルの動きと速度メーターから算出したルートを帝国の地図に落とし込むと、北上していまはオラニエンブルクにいるようだ。

 場所は分かった。脱出せねばならない。しかし、ターニャの体では猛スピードで走る車から飛び降りれば命がないだろう。演算宝珠がない以上、魔導師としての力も使うことができない。

 逃げる機会がないまま車が停まり、ターニャは後部座席から引き下ろされた。降りるやいなや、待機していたらしき男がターニャの髪を掴んで引き寄せる。痛みに呻き声が漏れた。

 

「歩け。声を発するな。抵抗すれば耳を落とす」

 

 促されるまま建物に入る。放棄された別荘のようだ。窓ガラスは割れ、板で塞いである。扉のほとんどが封じられている。内部で逃げ回るのはうまくいかないかもしれない。

 ターニャは平和ボケしていた自分が情けなくてならなかった。ナイフの一振りも持っていない。

 なによりエーリッヒが心配だった。ひどく痛めつけられていたし、出血もしていた。彼は責任感の塊のような男だ。病院で手当てを受けるより先に何かしらの動きを取っているかもしれない。

 ターニャが頭を最大限働かせていると、男が一枚の扉を引いた。

 

「入れ」

 

 逃走が成功する可能性は限りなく低い。男の手には拳銃が握られている。ターニャは足が速いほうではない。

 次の機会を決して逃さないと誓いながら、指示通り部屋に入った。

 

「――あら? 相部屋を希望した憶えはなくてよ?」

 

 先客がいた。

 肩まで伸びた艶やかなブルネットが美しさを醸し出している。凛とした美しさと華やかな可愛らしさが同居したその女性を、ターニャは写真で見たことがあった。

 

「……フラウ・ルーデルドルフ?」

 

 ヒルデガルド・ルーデルドルフ。かつてターニャの上司であったクルト・フォン・ルーデルドルフの孫娘だ。後ろ手に縛られ、廃屋同然の部屋に放り込まれてなお、彼女の瞳は力強く輝いていた。

 

「残念ね、もっと素敵な形でご挨拶したかったのに。そちらのあなた、お茶を淹れてくださらない?」

「……拘束しろ、とだけ命令を受けている」

「できる男は命令以上に働くものですのに。ターニャさん、こちらへ。囚われの姫君などという似合わない役柄に退屈していたところです」

 

 男に背中を強く押され、半ば転げるような形でターニャは部屋に入った。足がもつれて床に倒れる。その体に手がかけられ、腕を縄で縛られた。

 部屋の窓は板で覆われ、しっかりと釘が打たれている。扉は一つ。暖炉はない。

 ターニャをヒルデガルドの隣に置いて、男は扉の前に立った。

 

「おとなしくしていろ」

 

 ターニャは状況を分析しはじめた。

 男の装備は拳銃。ナイフも持っていると思っていいだろう。部屋の壁は厚く、多少の物音であれば漏れない可能性が高い。問題は両手の拘束。僥倖なのは足を縛られなかったこと。

 ここまでわかっていることとして、この連中は元軍人だが、誘拐に関しては素人であるという点があげられる。ましてや、誘拐の対象の脅威判定をまともに行っていない。

 ターニャは声を潜めてヒルデガルドに話しかけた。

 

「……フラウ・ルーデルドルフ」

「ヒルダと」

「それでは、ヒルダ。どの程度把握してらっしゃいますか?」

「確認したのは六人。最初にいたのが三人。そこの男が一人。あとから足音がいくつか。電話で二度見張りが交代しました」

 

 六人、それも陸戦に慣れた大人の男。相手取るのは困難を極めるだろう。

 待つべきか、動くべきか。

 

「連中の目的については」

「未確認です。ちょうどいいですから、聞いてみましょう。……よろしいかしら、そちらの殿方」

 

 見張りは視線だけをこちらに向けた。

 

「私たちを攫った目的をまだ伺っていませんわね。事情如何では自発的に協力することもやぶさかではなくてよ?」

「……貴様らは人質だ。それ以上の意味はない」

「人質を取った理由を教えてくださらないかしら。身代金?」

 

 男は答えない。

 ターニャが把握している限りでは、彼らの雇用主は金銭に困っていない。誘拐された二人の共通点はさほど多くないだろう。ターニャは全力で頭を働かせた。

 いまさらダキアが国家として動くメリットはない。帝国に反抗するなら共和国や連邦との戦争中にすり寄ったほうが容易だったはずだ。占領された敗戦国の軍人がまともな職にありつけるはずもない。とすれば、ただの雇われだ。

 ヒルダはルーデルドルフの弱点。ターニャはエーリッヒの弱点。つまり、帝国軍の中枢が抱えるウィークポイントがここに揃っている。

 しかし、ターニャとエーリッヒの関係についての確定情報はほとんど出回っていない。記者の取材を受けたのは昨日の話だ。そこから情報を得たとしても計画に至るまでが早すぎる。

 となれば、情報を入手できる立場の人間が首謀者だ。軍部が動いていればエーリャやその仲間、ゼートゥーアが反応できる。軍の外部で金と影響力を持ち、軍の弱みを握ることに意味を見出せるのは財政界の人間。帝国においては、貴族だ。

 

「……あの貴族は貴様らを使い捨てにするぞ、ダキア人」

 

 男が目を細めた。

 

「社交の席で所詮弱小の敗戦国と嘲っていたのを私は知っている。何を語ったかは知らないが、それに従うのは得策ではない。貴様らは処分される」

「何を言い出すかと思えば。俺が小娘の脅しに屈するように見えるか?」

 

 返事をした。つまり、思うところがある。

 ターニャの脳が唸りを上げた。

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