机いっぱいにパンフレットをぶちまけて、ターニャ・フォン・レルゲンは頭を抱えていた。十月もそろそろ半ば。式場選びは依然難航している。
第二〇三航空魔導大隊の面々をはじめとして、親交のあった人々にはひとまず全員招待状を送ることに決めた。エーリッヒも人事や総務で活動してきた都合上呼びたい相手は少なくない。そう考えるとかなり大きな式場を押さえたい。
問題は戦後需要でどこも予約が満杯であることだ。今年中に挙げるならもう豪華で壮大な大式場しか残っていない。
「宮殿、城、島……」
婚姻届を提出した際に押し付けられた大量の資料に掲載されている名だたる”戦場”、その中央を堂々と闊歩する勇気がターニャにはなかった。あるいは気恥ずかしさかもしれない。
さらに悪いことには、ルーデルドルフから封書が届いている。ある提案がそこには記されていて、断るためには相応の式場を選ばねばならない。
提案というのは、軍大学の大講堂で挙式をしないかという話だ。
式典にも使われる大講堂には教会のそれとも見劣りしない立派なパイプオルガンが据え付けられており、確かに式場足りうる。しかし、そのような前例はないし、学生たちに噂されることを考えると体中がかゆくなる。
もっといい場所をもう押さえてしまいました、と返すしかない。しかし、もっといい場所などあるのか。
ターニャは体を起こして椅子から飛び降り、ソファのクッションに座るモチの腹へと顔を埋めた。
「だーめだ、なにも思いつかん。頭が煮えている……」
白くてふわふわでつぶらな瞳のモチはこのレルゲン家の守護獣だ。”存在X”から送られた大使の監視も任せている。
そんなモチも言葉を持つわけではなく、頬ずりしたところで妙案をもたらしてくれるわけではない。
ターニャも断ることができないと薄々理解してはいる。ルーデルドルフは孫娘であるヒルダを無事に脱出されたことへの礼として申し出ている。それを断るのは失礼にあたるだろう。
軍大学の卒業式は覚えている。卒業生から来賓まで、完全な統制のもとに執り行われた式の美しさには当時のターニャも不覚ながら少し心を動かされた。あのころ、ターニャは”白銀”だった。
腰に硬いものが当たって手に取る。引っ張り出してきた銀翼突撃勲章だ。
「モチ・レルゲン。勇敢にして偉大なる貴官を称えて、この銀翼突撃勲章を授与する。……何をやっているんだ、私は……」
ターニャはため息をついて身を起こし、ソファに座りなおした。近いうちに勲章をつけて人事部に出向く必要があるのだ。結婚を事由に名誉除隊となる。
命の危険と隣り合わせ、常に何かしらの痛みや苦しみと戦い、前線に出れば食事すら楽しめない。そんな職場だったが、微塵も愛着がないと言えば嘘になるだろう。
しかし、ターニャの背にはもう銀翼がない。”デグレチャフ大佐”への弔いも済ませた。
結局のところ、軍大学で式を挙げることに抵抗を覚える最大の理由は、もはや軍人ではない自分がそこに立ってよいのかという後ろめたさだ。
「……あとは相談だな」
今夜の自分に思考を丸投げして、ターニャは時計を見上げた。時刻は十一時。今日は外食にすると決めている。昨日の帰りに偶然行き会った食堂の店主が「ノイヤーワインが入ったから、明日からたまねぎのタルトを出す」と教えてくれたのだ。これを逃す手はない。
モチの頭を一度撫でて、ターニャは立ち上がり、外出の準備をした。
外は少し肌寒く、しかしコートを着るにはまだ温かい。ターニャはストールを整え、ずり落ちそうになった鞄を戻した。食事が楽しみだ。
そろそろ馴染みの客になりはじめたターニャは店の前のボードにたまねぎのタルトが記されていることをしっかり確認して、なんら気負うことなく店の戸を引いた。
「いらっしゃい! おう、ターニャちゃんか」
「こんにちは、今日は一人です」
カウンター席に座り、たまねぎのタルトと炭酸水を注文。席はかなり埋まっていたが、木箱に座っている客がいないだけ空いているほうだ。
運ばれてくるのを待っていると、手伝いに来ている若い女性が声をかけてきた。百貨店の店主夫妻の一人娘、ハンナだ。
「やっほーターニャ、今日は旦那さんいないんだ」
「仕事だ、休みをもらった分書類が溜まっていてな。ハンナは午前で上がりか?」
「うん、今まかないのタルトをオーブンに突っ込んできたとこ。ね、結婚式の話聞かせてよ」
どこから情報が洩れたのか、ここしばらく会う人会う人みな口をそろえて結婚式の話をする。店中の客が耳をそばだてている気配に苦笑いをこぼしながら、ターニャは頷いた。
「料理が来たらな」
「やったね! いやあ、うちの母さんがそわそわしちゃってさ。結婚式でエスコート役は誰がするのかしらーって」
「あ……」
「えっ、考えてなかったの?」
完全に盲点だった。
一般的に帝国の結婚式で新婦のエスコートをするのは実父だ。しかし、ターニャは己の実父など顔も知らないし、会おうと思ったこともない。
困ったことになった。ターニャは頭を抱えたかったが、ここは食事処だ。
「実家に誰かできそうな人いないの?」
「付き合いがあるのは老齢の祖父だけだ……」
「むむ、じゃあ旦那さんの上司とか?」
「彼以上に多忙な方だ、ご出席いただけるかすらもわからん」
「えーっと、あれだ、引退した先輩とか!」
「引退……そうか、それだ!」
妙案に世界が明るくなった。
つまり、式場を押さえてもらうついでにエスコート役もルーデルドルフに頼んでしまうのだ。威厳や体格、地位を考えると適任だろう。
ターニャはハンナの手を取った。
「感謝する、ハンナ。帰ったらルーデルドルフ閣下に手紙を出すことにした」
「あー、よくわかんないけど、あてがあるならよかった!」
お互いに意味もなく握手を続けていると、店主がトレイを手に厨房から出てきた。
「おいハンナ、このタルトはお前のか」
「あ、親方。うん、ありがとー」
「ったく、自分のまかないくらい自分で取りに来いっつうんだ。たまねぎのタルトと炭酸水、お待ち」
焼きたてのタルトからは湯気が立ち上っていて、見るからにおいしそうだ。香りもいい。フォークを入れれば、チーズとたまねぎの汁がどろりとあふれ出た。
頬張れば幸せの味が広がる。たまらない一瞬だ。
「それで、エスコート役は誰に決まったんだ?」
あつあつのタルトで口が埋まっていたターニャの代わりに、ほうれん草とベーコンをつついていたハンナが店主の問いかけに答えた。
「なんだっけ、ルーデルドルフさん? 引退した人なんだってー」
「引退したルーデルドルフって言やあお前、ルーデルドルフ元帥じゃねえか」
「ルーデルドルフ閣下は元帥位を有する上級大将ですよ。……そうではなくて。よくご存じですね、店主」
「そりゃあ護国の将だからなあ、地方紙ですら載るってもんだ。しっかし、そのお偉い、なんだ、上級大将? その方を引っ張り出せるたあ、エーリッヒのやつも立派なもんだ」
頷きながら厨房へ戻っていく店主を見送って、ターニャは次の一口をフォークで切り分けた。
大々的に主張したわけでもなく、秘匿に秘匿を重ねたわけでもなく、聞かれれば答える程度の関係が成立してターニャとエーリッヒの職業はこの地域の人々に知られつつある。それでも変わらず、ターニャは”幼妻のターニャちゃん”で、エーリッヒは”働き者で愛妻家のエーリッヒ”だ。居心地がいい。
ターニャはカウンターから小皿を取り、隣で調子はずれの鼻歌を奏でながらほうれん草のタルトをつつくハンナに切り分けたたまねぎのタルトを差し出した。
「少し食べるか?」
「いいの? ターニャ優しいから好きー。父さんと母さんが気に入るわけだよ、お行儀いいし親切だし可愛いし」
「そうなのか?」
「うん。ターニャくらい素敵ないい子だと、エーリッヒさんみたいな人じゃないと釣り合わないよね、うん。お似合いなんだなあ」
「昔なら謙遜しているところだが、私も最近は釣り合っている自信を持てるようになった」
素敵じゃん、と笑ってハンナが食事を終え、手を振って厨房へと消えた。まかないの皿を洗って退勤するのだろう。
ハンナも含めお世話になっている地元の人々も招待しようか悩んだが、「服を用意するのが大変だから、お土産話だけで」とあらかじめ断りをもらっていた。ただ、ターニャにはちょっとした計画がある。結婚式の後、この店に料理を手伝ってもらってパーティーをやるのだ。
ぎっしりと詰まった頭の中の予定表に心を躍らせながら、ターニャは炭酸水のグラスを口元に運んだ。