ターニャから副官を奪ったことに多少の負い目を感じてはいたものの、レルゲンにとってセレブリャコーフ少佐は大変に使いやすい部下だった。
総務部の仕事もすぐ覚え、自身の裁量内であれば即断即決かつ的確、何かあれば素早く報告、連絡、相談。ターニャの副官だったおかげか、不正を見抜く嗅覚も鋭く、憲兵室にも顔が利く。おまけに淹れるコーヒーが大変にうまい。
午前の職務が十一時に片付いてしまったので、レルゲン直属である総務一課の面々は少し早い休憩を迎えていた。しかし、まだまだ物資の乏しい帝国でセレブリャコーフのコーヒーを飲めるのは、ここの長であるレルゲンの特権だ。
「デグレチャフが貴官を推す理由が見えてきた。これほどまでとは」
「恐縮です。……あの、閣下」
レルゲンはまだ閣下と呼ばれることに慣れていない。准将も、参謀次長の役職も荷が重いようにすら感じる。とはいえ、ルーデルドルフとゼートゥーアの両者に肩を叩かれては、閣下と呼ばれるのを受け入れるしかない。
「なんだ、セレブリャコーフ少佐」
「その……閣下は最近、デグレチャフ大佐殿とお会いになられましたか?」
「いや、しばらく顔を見ていないな。人事部で騒動があって、企画部に異動になったと聞いているが」
「はい。でも……」
セレブリャコーフは言い淀んだが、レルゲンが目で促すと続きを語り始めた。
「騒動の件はご存知ですか?」
「デグレチャフ大佐が襲撃され、負傷した話だな。奴も油断することがあるのかと驚いたが」
「はい、小官も正直驚きました。でもそれ以上に心配で、事情が事情ですから表立ってお見舞いにも行けず……」
「行けず?」
「手紙を書いたんです。約束通り」
レルゲンは想起する。
そういえば、駄々をこねるセレブリャコーフを説得するにあたって、デグレチャフとの文通を餌にしたのだったか。
てっきり冷酷な化け物らしく住所を教えずにごまかすなどするかと思っていただけに、レルゲンにとって意外な展開だった。
「返事はあったのか」
「ありました。お見舞いも心配も不要だ、と」
「なら不要なのだろう」
「でも、字があまりに弱々しくて。それに、いつもなら人の心配をしていないで職務をこなせー、とか、見舞いに来る余裕があるなら仕事を増やせー、とか、それくらいのことは言いそうなのに」
「言いそうだな。書いてなかったのか」
セレブリャコーフが頷くのを見て、レルゲンはしばし思案にふけった。手紙で口数が減るタイプならそれまでの話だ。重傷を負ったという話も聞いていない。しかし、この元副官が言うからには、何かしらの不自然があるのだろう。レルゲンはその程度にはセレブリャコーフを、そしてターニャを信用していた。
しかし、何かしらの判断を下すには圧倒的に情報が不足している。いくら恐ろしくとも戦友は戦友であり、その副官だった人物に助けられている以上、間接的に恩義もある。
「いろいろ変なんです。企画部の研究課に配属になったはずなのに、大佐殿の席はないですし、寮はすでに退去なさってますし……それに、大隊の中で私にだけ引っ越しの連絡が来たんですが、新居の住所も不自然ですし、しかも、その」
「なんだ」
「情報部の友人に探ってもらったんですが、引っ越しの連絡は参謀本部、ゼートゥーア参謀総長閣下が手配なさっているんです」
レルゲンは久しぶりに胃痛を覚えた。
おまえは誰を探らせているんだ、とか、プライベートで情報部を動かすな、とか、情報部に伝手があるなら早く教えろ、とか、いろいろと言いたいことがあふれかえり、激流となった。しかし、レルゲンの口は濁流に乗せて岩も木も吐き出せるほどの広さも頑丈さも備えていないため、結局コーヒーを飲んでごまかすしかない。
それに、奇妙なのも事実だった。ゼートゥーアが手配したのなら、参謀本部が何かしら噛んでいるはずだ。しかし、次長であるレルゲンにはその情報が来ていない。
「軍機でなければ伺いたいのですが、大佐殿が新しい極秘任務についてらっしゃるとか、そんな話だったりしますか……?」
「……いや、貴官だから正直に言うが、初めて耳にした。ゼートゥーア閣下からも何も聞いていないし、引っ越したこと自体知らなかった」
「そんな……」
セレブリャコーフはひどく気落ちした様子だった。
部下のケアをするのも上司の務めであることはレルゲンもよく理解していたが、どうにも適切な声かけが浮かばない。
しばらく沈黙の中で思案した末、ようやく無難な言葉が見つかった。
「まあ、殺しても死なんようなやつだ。新たな戦場を探しに行ったのかもしれん」
「そう、ですね」
この声かけはあまり効果的とは言えなかったようで、レルゲンは心中で彼女の元上司を恨んだ。
いつも通りとまでは言わないまでも、落ち着いて仕事をする日常に戻ったかと思われた一週間後、セレブリャコーフが休暇を申請してきた。
セレブリャコーフは優秀であり、彼女の希望を叶えるのはレルゲンにとっても悪い話ではない。しかし、いま総務部は人事再編の影響を受けて多忙を極めており、そうやすやすと休暇を与えるわけにはいかなかった。
「休暇、ね」
「はい。どうしても、大佐殿が心配で。住所がダミーでないことは判明しています」
「また情報部を動かしたのか」
「いえ、手紙が返ってきました。消印がその区のものです。内容に問題はないので、ご覧いただいて構いません」
柔和な顔つきだが知性の切れ味は人一倍だ。レルゲンは彼女の評価を上方修正するとともに、差し出された手紙を確認した。
消印は郊外の町のものだ。よく言えば長閑、悪く言えば何もない地域。人が住んでいる以上生活に困らない程度の環境はあるだろうし、レルゲンも余生を過ごすのに適した場所だとは思うが、幼女が住む場所ではない。
字は確かにかつて読んだ論文のものと同じだ。しかし、レルゲンの知るターニャ・フォン・デグレチャフとはやや異なる印象を受けた。筆圧が弱く、線に乱れが見て取れる。短い内容も淡泊というより事務的で、定型文だけで形作られている。
「実は、第二〇三航空魔導大隊が解体された際、祝勝会を開いたのですが、大佐殿は乱痴気騒ぎに付き合いたくないとのことでおいでにならなくて。本当は大佐殿の送別会の予定だったんです。だから、みんな大佐殿にお礼を言いそびれたのを悔やんでいて」
レルゲンには部下に感謝されるターニャ・フォン・デグレチャフが想像できなかったが、思い返せば人事会議ではすべての部下に的確かつ好意的な評価をし、その根拠となる資料まで用意していた。その書類が書き込まれたインクでずっしりとしていたのは、運ぶのを手伝わされたレルゲン自身よく知っている。
レルゲンも彼女に言いそびれたことがある。彼女は帝国が最も忙しい時期に、いま最も暇な部署へ異動していった。少なくとも、レルゲンの目にはそう映った。これは裏切りであり、彼女の残酷な有能さに少なからず期待していたレルゲンには致命的な一撃だったのだ。
それに、もし彼女が優雅な生活を送っているようなら、耳を引っ張ってでも書類仕事を手伝わせたいという欲があった。
「なるほど。事情は理解した」
「ありがとうございます!」
「しかし、休暇は認められない」
「ええっ、そんなあ」
「これは軍規に基づく判断だ。貴官は研修中であり、研修生は緊急時を除いて休暇申請を認められていない」
「これは緊急時です!」
「調子を崩した元上司のお見舞いに遠出する緊急時があるか、馬鹿者。デグレチャフの様子は私が確認してくる」
セレブリャコーフの驚いた顔を見て、レルゲンは自分が何を口走ったか理解した。つまり、自分が”ターニャちゃん”のお見舞いにはるばる郊外まで行くと宣言したのだ。
「ああいや、しかし仕事が」
「いいと思います、閣下がお見舞い!」
「……は?」
そして、どうやらセレブリャコーフのよくわからないスイッチを押したと見えて、レルゲンの制御から離れ、事態は加速し始めた。