P「バック・トゥ・ザ・フューチャー」咲耶「Part.283」   作:はちコウP

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※2020年7月2日
 一部分の加筆、誤字脱字の訂正を行いました。


第一話

 

 1986年 某月 某日

 

 

 

「う~ん……ん~……」

 

 ベッドの上には赤いTシャツを来た少年が眠っていた。

 

 その日ハイスクールは休みであったので、昨夜はかなりの夜更かしをしていた。

 

 なので彼はいつもの起床時間を2時間ほど過ぎても未だにベッドの上に身を横たえていた。

 

 その寝相は凄まじく悪く、ブランケットは身体から剥がれ落ち、うつ伏せの姿勢はまるでヘタなダンスを踊っているかのような有様だった。

 

「マーティ、起きなさい」

 

「ん~……ママ?」

 

 枕に顔を埋めたまま少年は声に応える。

 

「いつまでも寝ていないで起きるんだ。そしてすぐに出かけるぞ」

 

「出かけるって何処へ……?」

 

「2015年、未来にだ!」

 

「2015年!?」

 

 飛び起きた少年の目に映ったのは、今はもう遥か遠くへと行ってしまった筈の歳の離れた大親友の姿だった。

 

「さあマーティ!早く準備をするんだ!」

 

「ドク!?」

 

 

 

 

 

 

 

 2020年6月下旬

 

 

 

 区画整理の影響で周辺一帯の建物はその多くが取り壊され、空き地が数多く点在していた。

 

 その一角に真新しい塗装が施されて間もない、3階建ての建物がポツンと建っている。

 

 入口そばに据え付けられた看板には【283プロダクション】と書かれていた。

 

 そこに向けて走ってくる1台の乗用車。

 

 車3台分に加え、自転車やスクーター10台分程度の駐輪スペースがある、広々とした駐車場にその車は停止した。

 

 車から降りてきたのはビジネススーツを着た青年男性だった。

 

 それなり整ったハンサムな顔立ちと、程よく引き締まった体。彼がアクション俳優か何かと見まごう者も時には存在した。しかしながら、彼の職業はアイドルのプロデューサーだった。

 

「社長、今日はもう事務所に居るんだな」

 

 先に駐車場に止めてあった青色のスポーツカーを一瞥し呟いた彼は、ネクタイをキュッと締め直して事務所の中へと足を踏み入れた。

 

「やあ、プロデューサー。おはよう」

 

「咲耶か、おはよう」

 

 彼を出迎えたのは丁度廊下にいた一人の女子高生。

 

 腰まで届く長い黒髪を一本に結わえ、学校指定の白いワイシャツをクールに着こなし、長身と抜群のプロポーションをほこり、端正な顔立ちとそれに見合った王子の如く優雅な立ち振る舞いを兼ね備えた人物。それが283プロ所属アイドルの一人、白瀬咲耶の外見上の大きな特徴だった。

 

「もうみんな揃っているよ」

 

「そうか。久しぶりだな、こうしてみんな朝から揃ってるのは」

 

 プロデューサーは咲耶と共にリビングへと足を踏み入れた。

 

「プロデューサー!おはよー!」

 

 水色のリボン、ふんわりとした薄茶色の髪。月岡恋鐘が手を挙げて元気いっぱいに挨拶をしてきた。

 

「おはよう恋鐘」

 

 プロデューサーが挨拶をすると他の女の子らも続けて口々に声をかけてきた。

 

「おはようございまーす。プロデューサー」

 

 ソファーにだらしなく寝そべってスマホを操作しながら田中摩美々が気だるげに言う。

 

 そのパンキッシュなファッションは今日もバッチリ決まっていた。

 

「おはようございます、プロデューサーさん。お茶持ってきますね」

 

 トレードマークの包帯を腕に巻き、額の一部にちょこんと絆創膏を張り付けた幽谷霧子がキッチンの方へと向かってゆく。

 

「霧子、うちも手伝うばい」

 

 恋鐘もその後に続いてキッチンへ。

 

「プロデューサーおはよーう。新築の事務所は気持ちが良いねー」

 

 三峰結華が両腕を大きく広げて戯けるようにして言う。

 

 動きに合わせて黒髪のお下げが微かに揺れ、眼鏡のレンズが照明を反射して一瞬光ったように見えた。

 

「正確には新築じゃなくてリフォームだけどな」

 

「え?そうなの?初耳なんだけど」

 

「ああ。元々は病院だったんだここ。移転して取り壊される予定だったのをギリギリのところで買い取ったんだよ」

 

「病院かあ……何か化けて出たりしないよね?」

 

「病院と言っても整形外科だから。それは無いと思うぞ」

 

 プロデューサーが口元を軽く歪めつつ言う。

 

「それと駅から遠くなったのは、ちょーっと不便だね。電車やバスを使った日とか、うっかり最終時間を間違えちゃいそう」

 

「けど寮からは近くなった。もしもの時は寮に泊まりにくるといい。いつでも歓迎するよ結華」

 

「あはは、ありがとうさくやん」

 

「その時は朝まで語り明かそうじゃないか」

 

「おいおい、健康や仕事に差し支えるから程々にしておけよ」

 

「ははは、わかっているさプロデューサー。さてと、立ち話もなんだ。ソファーに座らないかい?」

 

「それもそうだな」

 

 咲耶に促されてプロデューサーは腰をかける。

 

 以前の事務所に比べて広くなったおかげで、リビングルームを広々と使うことができるようになった。

 

 ソファーに囲まれたテーブルの大きさも以前の3倍以上となり、一度に10人は余裕で席に着ける程に。

 

 しかしながら、プロデューサーや事務員の七草はづきのデスクは部屋の片隅に依然として置かれている。

 

 実際彼らに当てがえる部屋はあるのだが、前の事務所でオフィスとリビングとを兼ねていた影響か、部屋を分けるとかえって落ち着かない、何だか寂しく感じるなどの意見が方々から出たおかげで結局このような形に収まっているのであった。

 

「お茶……用意できました」

 

「お菓子も持ってきたとよ。みんなで食べんね」

 

 キッチンから霧子と恋鐘がお盆を手にして戻ってきた。

 

 2人は紅茶とお菓子をそれぞれの席へと配膳していく。

 

「あれ?摩美々は何処に行ったと?」

 

「えっ?……さっきまでそこで寝そべってたのに、居ないな」

 

 プロデューサーがソファーに目を向けるが、そこには彼女の姿は見えない。

 

 他のメンバーも小首を傾げていた。すると……

 

「うーらーめーしーやー」

 

「うわっ!」

 

「キャーーッ!!」

 

 プロデューサーの座るソファーの背後から白い塊が突如として出現した。

 

「って、摩美々だろ!ふざけるんじゃない!」

 

「あっ……ふふー、分かっちゃいましたぁ?流石はプロデューサーですねー」

 

 白いモノ、シーツをプロデューサーが引っぺがすと、そこにはイタズラっぽい笑みを浮かべる摩美々の姿があった。

 

「ふふっ……摩美々ちゃんのオバケさん、とっても可愛い」

 

「もーっ!摩美々ビックリさせるんじゃなかと!」

 

「は、ははは……元病院でそれは一味違った恐ろしさがあるね」

 

「さくやん、プロデューサーが言った通り、ここ元整形外科だから。幽霊とは無縁だから、多分」

 

 283プロが誇る人気ユニット、アンティーカの面々は相変わらずの仲睦まじさであった。

 

 ステージ上ではクールなパフォーマンスでファンを魅了する彼女らも、オフの時は年頃の少女と何ら変わりない。

 

 5人は摩美々のイタズラをきっかけとして話に花を咲かせてゆく。

 

 少女達を取り巻く様々な出来事は、日常に刺激をもたらすスパイスとなるのだった。

 

「あっ!そうたい!」

 

 恋鐘が唐突にスマホを取り出し、そのカメラを皆の方へと向けてきた。

 

「どうしたの恋鐘ちゃん?」

 

「記念撮影するたい!新しい事務所が出来た日に事務所のみんなで記念撮影ばしたやろ?でもアンティーカの5人で撮影した事は無かと。だから今写真を撮るばい!」

 

「それは良い考えだ」

 

「だったら俺が撮るよ。みんなそっちに並んでくれ」

 

 プロデューサーが席を立ち上がり自分のスマホを手にする。

 

「ありがとうプロデューサー。それじゃあみんな並ぶたい」

 

「こがたん、みんなで撮るならただ並ぶよりソファーを活用した方が良さげじゃない?お茶とお菓子も写せばツイスタ映えしそうだし」

 

「おおー流石は結華、冴えとるばい」

 

「それなら恋鐘が真ん中に座って、両サイドに2人、背もたれの後ろに2人立っておくのはどうだろう?」

 

「良か良か!」

 

 咲耶の提案を受けてソファーの真ん中に恋鐘。両サイドに霧子と結華が。後ろには咲耶と摩美々が背もたれに手を掛けて、座る3人に顔を寄せるようにして並び立った。

 

「それじゃあ撮るぞー!」

 

 プロデューサーの声に応じて満面の笑みを5人の少女は浮かべたのであった。

 

「……うん!みんな良い笑顔だったぞ!」

 

 その時

 

「プロデューサーさん。おはようございますー」

 

 リビングへと事務員のはづきがやってきた。

 

「はづきさん、おはようございます」

 

「プロデューサーさん、お楽しみのところすみませんけど、社長がお呼びですー。新しいお仕事のお話があるとのことでー」

 

「わかりました、すぐに行きます。……と、写真は後でみんなに送っておくから。それじゃあ」

 

 アンティーカの面々へと告げてプロデューサーはリビングルームを後にする。

 

 背後からは少女達の楽しげな会話が聞こえてきた。プロデューサーは思わず顔を綻ばせたのであった。

 

 

 

「アンティーカの皆さん、とても楽しそうでしたね」

 

「ええ、久々にユニット全員が揃ってゆっくりする時間が出来ただけあって、いつも以上みんな良い顔をしているように思えますよ」

 

 廊下へと出た2人がそんな会話をしていると、インターホンの鳴る音が響き渡った。

 

「誰だろう?」

 

「私が出ますね……はい、どちら様でしょう?」

 

 はづきが備え付けの受話器を手にして応対する。

 

 プロデューサーが受話器横のモニターを見ると、そこには中年と思わしき女性の姿が写っていた。

 

《こちらは283プロさんの事務所で間違い無いでしょうか?》

 

「はい、そうですがどちら様でしょう?」

 

《私は飛田(とびた)と申します。天井社長にご挨拶させて頂きたく参りました。お取次ぎ願えますでしょうか?》

 

「はい……少々お待ちください」

 

《あ、飛田よりも米村と言った方が伝わるかもしれません》

 

「承知しました」

 

 そうしてはづきが通話を玄関から社長室への内線に切り替える。

 

《どうした?》

 

 天井社長の低く威厳のある声が応答する。

 

「社長にお客様です。飛田さんとおっしゃる女性の方で」

 

《飛田?……飛田……》

 

「米村と言った方が伝わるかもとも」

 

《米村!?そうか彼女か!すぐに通してくれ!》

 

 米村という名字を聞いた瞬間、社長の声が一段階高くなる。そして声色もどこか歓喜を漂わせるものとなっていた。

 

「はい、わかりました」

 

 受話器を置いたはづきはプロデューサーの方へと視線を向けて小首を傾げた。

 

 プロデューサーもまた若干の困惑の色を顔に浮かべていた。

 

「どうしたんでしょう、社長ってば」

 

「俺にも何が何やら。でもやたら嬉しそうでしたね」

 

「ともかく早くお迎えしましょう」

 

 はづきが玄関へと向かいドアを開く。

 

 そこに立っていた女性が2人へと微笑みかけてきた。

 

「はじめまして。飛田藍音(とびたあいね)と申します」

 

 丁寧に頭を下げたその女性。プロデューサーの目には、至って普通のどこにでもいるような何の変哲も無い中年女性に見えたのだった。

 

 

 プロデューサーとはづきが女性を社長室へと案内する。

 

 部屋へ足を踏み入れると天井社長が席から立ち上がり、プロデューサーが見るのも珍しい位に顔を綻ばせて女性を出迎えた。

 

「久しぶりだな藍音」

 

「ええ、プロデューサー……いえ、天井さんも変わりなくお元気そうで」

 

「ああ。なんとかしぶとくやっているよ。それにしても、こうして顔を合わせるのはお前が引退して以来か。結婚式には顔を出せなくてすまなかった」

 

「天井さんもご多忙でいらしたのですから、仕方ありません。お手紙だけでも頂けたのはとても嬉しかったです」

 

(プロデューサー?引退?)

 

 その言葉を聞いたプロデューサーは怪訝な表情をする。

 

「プロデューサーさん、もしかしてあの人って……」

 

 隣に立つはづきが小声で耳打ちしてくる。

 

 プロデューサーはそれに対して小さく頷いた。

 

「立ち話もなんだ、そこに座ってくれ」

 

 社長が来客用のテーブルとソファーの方へと女性を促す。

 

「私、お茶を用意してきますね」

 

 プロデューサーに向け小声で言い残して、はづきが社長室を後にした。

 

 1人残ったプロデューサーの方へと視線を向けて社長が口を開く。

 

「彼が今この283プロでプロデューサーを務めている男だ」

 

 不意に紹介されてプロデューサーは慌てて居住まいを正すと

 

「私、プロデューサーの會川(あいかわ)と申します。よろしくお願いします。飛田さん」

 

 自己紹介がてら名刺を差し出した。

 

會川(あいかわ)悠一(ゆういち)さんね。改めまして、飛田藍音と申します」

 

 軽く頭を下げた女性は受け取った名刺をテーブルの片隅へと丁寧に置いた。

 

「という事は天井さんのお弟子さん、という事になるのかしら?」

 

「弟子、と言える程にみっちり指導している訳では無いがな。彼なりによくやってくれている」

 

「あ、ありがとうございます!恐縮です!……ところで、もしや飛田さんは……元アイドルでいらっしゃる?」

 

「ええ。数年間天井さんの下で活動をしていました」

 

「なるほど、やっぱり」

 

 そうしてプロデューサーは再度女性の容姿に着目する。

 

 その顔立ちは……悪くはない。

 

 世間一般的に言えば美人の部類に入るような容貌であると思われる。しかしながらアイドルとしてのオーラ、魅力のようなモノが十分に備わっているかと問われると、答えに迷ってしまう。

 

 体型は……平均的。これといった特徴は見られない。

 

 振る舞いや佇まい、喋り方には品があるものの、常識的な範囲に留まっているように思われる。

 

(なら歌唱力?ダンスがずば抜けて上手い?何かしらの特技が……)

 

「ふふっ、元アイドルらしくないでしょう?」

 

「へっ?」

 

 突然微笑みかけられたプロデューサーは狼狽する。

 

「あっ、いやっ!その……」

 

「顔に出てたぞ。流石に失礼だろう」

 

「す、すみません!」

 

 完全に心を見透かされていたプロデューサーは慌てて頭を下げる。

 

「いいんですよ。子供達にだって、お母さんが元アイドルだなんて信じられない、ってしょっちゅう言われてるんです。慣れっこですからお気になさらないで」

 

 女性が屈託の無い笑顔を見せる。

 

「それに実際アイドルとして芽は出なかったんですから。新人アイドルの祭典、今言うW.I.N.Gだったかしら?それでは予選落ちでしたし、以降もチャンスは掴めずに大学卒業と同時に引退。成果らしい成果も残せませんでした」

 

「それは……」

 

 何と声をかけていいか困り口籠るプロデューサー。

 

「仕方あるまい。お前にはアイドルの才能がまるで無かったのだからな」

 

「社長!?」

 

 思わぬ社長の一言に驚愕するプロデューサー。

 

「本当にその通り。自分でもどうして続けられたのか、思い返してみると本当に不思議だわ」

 

「まあ、気持ちだけは人並み以上には強かったからな。そのおかげだろうさ」

 

「天井さんが仰るのなら、そうなのでしょうね、きっと。そしてそのおかげで私は変わる事ができた」

 

「ああ、本当に良い顔をするようになったよ」

 

 笑い合って語らう2人の様子にプロデューサーは困惑するばかりであった。

 

 そんな折

 

「お待たせしましたー」

 

 はづきがお茶を持って戻ってくる。

 

 そして彼女を混えての会話に花が咲いていった。

 

 

「社長が藍音さんを撥ねそうになったのがそもそもの出会い!?」

 

「ええ。私がフラフラと夜道を歩いていたのもいけないのだけれどね。そしたら天井さんがお詫びにって渡してきたのがアイドルフェスのチケットだったの。その時私はアイドルに興味なんて全然無かったのに」

 

「お詫びにチケット……社長、いくら何でもそれは良くないんじゃないですかー?」

 

「し、仕方ないだろう。その時は大した持ち合わせが無かったんだ」

 

「ふふっ。懐かしいわ。あのフェスで最後のグループのパフォーマンスを見ている時にスカウトされたんでした」

 

「そうだったな」

 

「あれは確か1999年7月の…………あら、いつだったかしら?」

 

「4日だ。4日の日曜日だ。私と藍音が出会ったのが7月1日。その3日後になる」

 

「そう!7月4日!あっ、そういえば覚えてます?ノストラダムスの大予言にかこつけてテロを計画していた組織のメンバーが捕まったっていうニュース!」

 

「ああ、そんなのもあったなあ。あの顛末は笑えたよ」

 

「怪物の幻を見て車の運転を誤ってひっくり返すなんて」

 

「世間を恐怖に陥れた連中の末路がそれとは、間抜けにも程がある」

 

 そのように一同が談笑を続けていると、部屋に備え付けられた時計が音を鳴らした。

 

「あら、もうこんな時間。そろそろお暇しないと。新幹線に間に合わなくなってしまうわ」

 

「そうなのか?だったら駅まで送り届けるが」

 

「いえ、親戚の方がそろそろ迎えに来て下さるの。だから大丈夫です」

 

 そして傍に置いたプロデューサーの名刺を手提げ鞄へと仕舞い込みつつ立ち上がる飛田藍音。

 

「今日は皆さんとお話出来て楽しかったわ。ありがとう。失礼しますね」

 

「こちらこそ。貴重なお話、ありがとうございました」

 

「ありがとうございましたー。私も楽しかったです」

 

 プロデューサーとはづきが軽く頭を下げる。

 

「それじゃあ藍音。またいつか」

 

「ええ。天井さんもお元気で」

 

「はづき、玄関まで付き添ってやってくれ」

 

「はいー。ではどうぞー」

 

 はづきがドアを開けて藍音と共に社長室を後にする。

 

 それを見送ったプロデューサーは、一呼吸おいてから社長の方へと向き直る。

 

「何だか新鮮な気分です。社長と社長がプロデュースされていた元アイドルの方と御一緒にお話できるなんて」

 

「ははっ、情けない所を知られてしまったかな」

 

「とんでもないです!情けないなんて!とても貴重なお話を聞けて嬉しくて、なんて言うか……誇らしいです!」

 

「調子がいいな。……まあ、私にとっても貴重な出会いだったよ。彼女がいなければ私は今ここには居なかっただろうからな」

 

「えっ?」

 

「彼女と出会う少し前、私はプロデューサーを辞めようと思っていたんだ」

 

「そ、そうだったんですか!?」

 

「ああ。だが何の因果か彼女をプロデュースする事になってな。それを通して私は立ち直ることが出来た。残念ながら彼女をアイドルとして大成させられはしなかったがな。しかし、彼女との数年があったからこそ私はここまで来れた。その後、数々の失敗や過ちを犯してもなお、何度も立ち直る事が出来たのは彼女のおかげだ。彼女は私の恩人でもあるのだ」

 

「社長……」

 

 そう語る天井社長の目はどこか遠くを見つめているような雰囲気であった。

 

「とまあ、昔の話はここまでだ。この先の仕事の話を始めるぞ!」

 

「はいっ!」

 

 

 

 

 

「さて會川。以上が今回の仕事の概要だが、何か質問はあるか?」

 

「…………嘘じゃ無いですよね?」

 

「こんな嘘をついて何になるというのだ」

 

「は、ははは。やった!凄い!彼女達も喜びます!」

 

 プロデューサーが思わず大きくガッツポーズをして喜びを全身で表す。

 

 それもそのはず。大手テレビ局ワンガンテレビの新番組の看板アイドルに、アンティーカの5人が選ばれたのだ。

 

 それは深夜の15分程度の短い枠の番組ではあるが、人気の新人アイドルを多数輩出してきた栄誉ある番組枠であった。

 

 少なくとも1クールは放映が約束されており、好評であれば更なる延長もあり得るという話。

 

 この枠を足掛かりとし躍進していったアイドルは数知れず。自然とプロデューサーの気は昂ぶっていった。

 

「この番組企画、何としても成功させてみせます!」

 

「その意気だ。頑張ってくれよ」

 

 と、その時、またもや事務所のチャイムが鳴り響いた。

 

「何だ、今日はやけに来客が重なるな」

 

「そうですね」

 

 程なくしてはづきからの内線がかかってくる。社長が受話器を手にする。

 

「どうした?……何?ワンガンテレビの……深沼?深沼(ふかぬま)と言ったのか?…………わかった、通してくれ」

 

 内線を聞いた社長の眉間には皺が寄っていた。

 

「何故ワンガンテレビに……いや、まさかな……」

 

「ワンガンテレビの方がいらしたのですか?」

 

「ん?ああ、そうなんだが……」

 

 何やら訝しむ様子の社長。

 

 その姿を見て小首を傾げるプロデューサー。

 

 程なくして社長室のドアが開かれた。

 

 はづきに連れられて来たのは、額の広い小太りの50代程度と思わしき男。その背はやたらと低いように思われた。更にその後ろには黒みがかった紫色のスーツを見に纏った若い男が続く。こちらは対照的にひょろ長いという言葉が相応しいような背丈をしていた。

 

「よう、久しぶりだなぁ天井」

 

「……深沼。久々だな。ところでわざわざ何の用かな?」

 

 社長は警戒の色を滲ませて小太りの男に言葉を返す。

 

(深沼?……聞き覚えがあるような……)

 

 社長のその様子と男達の醸し出す雰囲気から、プロデューサーは言うまでもなく厄介ごとが始まったと察したのだった。

 

「随分とご挨拶じゃないか。……まあ良い。事務所を新しくしたと聞いてな、新築祝いに来てやったのよ。おい、ススム」

 

「あいよ父さん」

 

 紫スーツの男が歩み出て、社長の机の上に懐から取り出した封筒を投げ捨てるように放った。

 

 天井社長は無言で眉をひそめる。

 

「祝い金だ。俺からのささやかな気持ちだ」

 

「そいつはご丁寧にどうも。用はこれだけか?ならすぐにお引き取り願えないか?生憎と仕事中なのでね」

 

「おいおい、連れないじゃないか。もっと再開の喜びを分かち合おうぜ、天井君よぉ。かつてプロデューサー同士、雌雄を決した仲だろう?」

 

「…………」

 

「……だんまりか。わかったわかった、勿体ぶらずに言うさ。新しい仕事を始める事になったんでね、その挨拶に来たってわけよ」

 

 小太りの男は天井社長の机に歩み寄り、その上に1枚の紙片を置いた。

 

 ついでとばかりに同じ物をプロデューサーへも差し出した。

 

 プロデューサーはそれを手にして目を通す。

 

「ワンガンテレビ編成部、深沼敏(ふかぬまびん)……ワンガンテレビの編成部!?」

 

「何だと?」

 

 驚きを露わにしたプロデューサーと社長。その様を目にした深沼敏は満足気にニタリと笑う。

 

「何故、いち芸能事務所の社長がテレビ局の編成部に?」

 

「それがねぇ。テレビ局のお偉いさんにどうしてもワシの力を貸して欲しいと頼み込まれちまってなあ。知っての通り、頼まれたら嫌とは言えないお人好しのワシだからな。コレも何かの縁と思って受けることにしたのだよ」

 

 そうして深沼はガハハと品の無い笑い声を上げたのだった。

 

「それで、お前の事務所はどうするんだ?廃業か?」

 

「まさか。事務所は息子に継いでもらうことにしたさ。おいススム」

 

「あいよ。というわけで俺がFUKANUMAプロダクションの新社長、深沼ススムだ。よろしくねー283プロさん」

 

 紫スーツの軽薄な男は、肩口までかかるような長さの茶髪を揺らしながら歩み出て、懐から取り出した名刺を指で摘んでヒラヒラと動かしながらプロデューサーへと差し出した。

 

 プロデューサーが受け取ろうとしてもなお、相手は名刺を動かし続けていたために取るのに少々手間取ってしまった。それから手にした名刺に目を落とす。

 

(そうか。この男達がFUKANUMAプロの……悪どい手を躊躇いなく使って他事務所を妨害し、自社のタレントやアイドルも容赦無く使い潰していると噂の。……幸いにして今までウチと関わる事は無かったけど、こんな所で顔を合わせる羽目になるとはね)

 

 プロデューサーは思案しつつ受け取った名刺を仕舞い込む。

 

「……よろしくお願いします。深沼社長。會川と申します」

 

 そうしてプロデューサーが自分の名刺を手渡すと

 

「はいはい、よろしくねー」

 

 深沼ススムは受け取った名刺を二つ折りにして、胸ポケットへと無造作に突っ込んだ。プロデューサーは眉をひそめるが、ススムは既に背を向けていた。

 

「挨拶も済んだことだし、ちょっとトイレ行ってくるわ。お姉ちゃん、トイレってどっち?」

 

 軽蔑の色を滲ませた瞳をしていたはづきに対して深沼ススムは声をかけた。

 

「お手洗いでしたら部屋を出て右手の突き当たりを左に曲がれば着きますよー」

 

「あんがとさん。あ、お姉ちゃん美人だねー。ウチの事務所で働かない?給料ハズむよー」

 

「ふふふ、結構です」

 

 プロデューサーが未だかつて見たことのない程の満面の笑みを浮かべ、はづきは申し出を断った。

 

 その笑顔の意味を知ってか知らずか

 

「そりゃあ残念だなぁ」

 

 深沼ススムはニヤつきながら部屋を出ていった。

 

 それから程なくして社長が口を開く。

 

「はづき。お客人にお茶を煎れてきてくれ。うんと丁寧に、じっくりと時間をかけてな」

 

「はい!承知しましたー」

 

 社長の命を受けてはづきが部屋を後にした。

 

「悪いねぇ気を使わせてしまって」

 

「構わんさ。それで、残りの用件は何だ?」

 

「話が早くて助かるよ」

 

「お前と話してるうちに昔のペースを取り戻してきたんでな」

 

「結構結構。んじゃ手短に済ますか。おたくさんのアイドルが出る予定の新番組の企画、アレ無しになったから」

 

「…………え?」

 

 あまりにあっけらかんと言われ理解が追いつかないプロデューサー。

 

 やや遅れて

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!どうして!」

 

 彼は大声を上げる。

 

「そりゃあ代わりに俺のとこの企画が通ったからさ。ほらよ」

 

 そうして深沼敏は1枚の写真をかざしてみせた。

 

「数ヶ月前にアイドルデビューしたウチの娘の(ひじり)だ。あ、これは芸名でな。本名は聖子って言うんだ。可愛い娘だろ」

 

 写真にはひと昔ふた昔どころか、更に前の世代のファッションと髪型をした女の子が写っていた。

 

「確かに、顔は良いな」

 

「そうだろう!そうだろう!」

 

 社長の言葉を聞いて深沼敏は破顔する。その言外に隠された意味など察した雰囲気も無く。

 

「てなわけで、ウチの聖の為に番組枠は使わせて貰うことにした。悪いねぇ」

 

 そうして再び下品な笑い声を漏らす深沼。

 

「納得出来ませんよ!公私混同じゃないですか!」

 

「ンなことは無いさ。これは局の会議を通して正式に決まった事だ」

 

「だからって!」

 

 プロデューサーが声を荒げて深沼敏に詰め寄ろうとした瞬間

 

「會川!」

 

「っ……社長」

 

 社長がそれを一喝して制する。

 

「暫くこいつと2人きりで話をする。お前は席を外せ、いいな」

 

「…………はい」

 

 

 

 そうして社長室を出たプロデューサーは部屋から少々離れてから

 

「クソッ!何だってんだ!」

 

 壁に拳を打ち付けた。

 

 芸能界に身を置く者として、時には理不尽な扱いを受ける事もあった。

 

 様々な経験を経て彼もある程度はそういった事に慣れ、上手い躱し方や対応の仕方、心の落ち着け方を身につけて来たつもりであった。

 

 しかしながら今回の件は、最高潮からの急転直下ということもあり心を大きく乱されていた。

 

 プロデューサーはどうにか気持ちを落ち着けようと深呼吸をしつつ、階下へと足を進めていった。

 

「や、やめて、下さい」

 

「ちょっと!馴れ馴れしくしないでってば……っ!」

 

 そんな折に聞こえて来た悲鳴にも似た声。

 

 プロデューサーはリビングへと慌てて駆け込んだ。

 

「そう堅いこと言うなって。仲良くしようじゃん?何なら君ら俺の事務所に移籍しない?こんなショボイ事務所じゃあいつまで経ってもトップアイドルにはなれないよー?」

 

「霧子と結華に触るんじゃなか!」

 

 そこではソファーに座っていた霧子と結華の間にどっかりと腰をかけた深沼ススムが2人の肩を抱いていたのだった。

 

「んじゃあ代わりに君にお相手してもらおうかな?」

 

 深沼ススムはニヤケ顔で立ち上がり、怒りの視線を向ける恋鐘に向けて詰め寄っていく。

 

「ひっ」

 

 身体と声を強張らせる恋鐘。

 

 彼女へ向けてススムの手が伸びてゆく。

 

「やめていただけますか、深沼社長」

 

 手が恋鐘の顔へと触れる直前に、プロデューサーが2人の間にその身を割り込ませた。

 

「プ、プロデューサー……!」

 

 目を潤ませながら恋鐘はプロデューサーのスーツの裾をギュッと握りしめた。

 

「チッ、邪魔しやがってよ」

 

 舌打ち混じりに言い捨てて深沼ススムは首を後ろへ向けて捻る。

 

「…………」

 

「…………さいてー」

 

 そこには咲耶と摩美々が、霧子と結華を庇うように立ちはだかっていた。

 

 ススムへ向けて侮蔑の眼差しを2人は放っている。

 

「はぁ…………白けるぜ」

 

「深沼社長」

 

「あ?」

 

 正面に向き直ったススムにプロデューサーは言い放つ。

 

「あなたも芸能事務所の人間ならアイドルは大切にすべきです。彼女達は物じゃない。心ある人間だ、女の子だ。いい加減な態度で接してはいけない。コレが分からなければいつか痛い目をみますよ」

 

「…………はーっ。ありがたいお言葉どーも。たかが冗談に何をマジになってるんだか」

 

 肩をすくめつつ深沼ススムはプロデューサーの横を抜けていく。

 

「冗談?」

 

「冗談も冗談。俺がこんなショボイ事務所の低レベルなアイドルをマジで相手にするわけ無いっしょ」

 

 ススムはクルリと振り返ってアンティーカの面々を次々と指差して、吐き捨てるように口にしていく。

 

「訛りの抜けない田舎者、根暗そうなメガネ、包帯に絆創膏まみれの変人、イケメン気取りのデカ女にセンスの悪い勘違いパンクファッション娘。そんなん俺が面倒見る価値も無いっつーの。ハハハハハ!」

 

 ススムは高笑いしつつ踵を返した。

 

 彼の暴言を耳にしたアンティーカの面々。ある者は表情を曇らせ、ある者は冷たい目で男を睨みつけ、ある者は怒りを浮かべ……だが誰よりもこの場で感情を露わにしたのは

 

「……今、何て言った」

 

 プロデューサーだった。

 

「あん?」

 

 首を捻って振り返るススム。

 

「謝れ」

 

「は?」

 

「彼女達に謝れ!」

 

 激高したプロデューサーの怒声が飛ぶ。

 

 しかしながらススムは意に介さず

 

「誰が謝るか、バーカ」

 

 唾を床に吐き捨ててその場を後にしようとした。

 

「待てっ!」

 

 プロデューサーはススムの肩を掴んでグイと引き寄せる。

 

「痛てぇぇぇぇぇっ!痛たたたたた!」

 

 その瞬間、ススムがプロデューサーに掴まれた肩を押さえて大声で喚き出した。

 

「え?」

 

 困惑するプロデューサーとアンティーカの面々。

 

「骨が……骨がぁ……」

 

 と、しきりに口にしながらススムが蹲る。

 

「おやおやおや。こいつはいけないなあ」

 

 いつの間にかリビングの入口には父である深沼敏が立っていた。

 

「父さん!……コイツが俺の肩を!……肩を!」

 

「おやおや可哀そうになあ」

 

「ちょっと待って下さい!俺はそこまでの力を込めたわけじゃ!」

 

 弁明するプロデューサーに深沼敏は穏やかな表情を向ける。

 

「おいススム、ダメじゃないか。彼を怒らせるようなマネをしたのだろう?お前の冗談は時々過激すぎるからなあ」

 

「え?」

 

 息子を嗜める敏の予想外の一言に、プロデューサーは目を瞬かせる。

 

「すまないねえ。うちの息子が粗相をしたようで」

 

「あ、いや……」

 

「とはいえ、だ。君も乱暴は良くない。どうだね、ここはお互いに頭を下げて丸く収めようじゃないか」

 

「は、はぁ……」

 

 柔和な笑みを浮かべて近づいてくる深沼敏。

 

 彼はプロデューサーを見上げるようにして立って口にする。

 

「まずは君から誠意を見せてくれたまえ。うちの息子の肩を壊したことをまず詫びてくれたまえ」

 

「あ……ですが、流石にあの程度で肩の骨が折れるなんてことは……」

 

 プロデューサーが口籠っていると、深沼敏は彼のネクタイを掴んでグイと引き下げた。

 

 プロデューサーは前のめりになり転びそうになるのを、たたらを踏みながらもグッと堪えて踏み止まる。

 

 そんな彼の耳元へと敏が顔を近づけて耳打ちする。

 

「つべこべ言わずにとっとと頭を下げろ。土下座だ土下座。うちの息子を痛めつけてくれたんだからそれぐらいして当然だ。それと、私を見下すことは許さんぞ」

 

 小さくも威圧感のある声色で深沼敏は告げる。

 

「あんたっ!」

 

「私は寛大だからな。それで全て水に流してやる。……ああそうだ、オマケに例の番組の件を考え直してやってもいいぞ?」

 

「え?」

 

「愛しい担当アイドルの晴れ舞台が取り戻せるかもしれないんだ。このくらい安いものじゃないのかね?」

 

 その言葉にプロデューサーの心が揺らぐ。

 

 薄汚いこの親子の言葉に従うのは癪だ。しかし自分がなりふり構わなければアンティーカのチャンスを潰さずに済む。そんな風に……

 

「…………」

 

 逡巡するプロデューサー。次第にその膝がゆっくりと折れそうになってゆく。

 

「何の騒ぎだ?」

 

 その時、リビングに天井社長が足を踏み入れた。

 

 彼は周囲を一瞥すると、蹲る深沼ススムの元へと近づいていった。

 

「肩をやられたようだな」

 

「ん?……ああ、アンタの部下の教育がなっていないせいでな。……うっ!痛たたたっ!」

 

「そうか」

 

 軽く呟いた天井社長は、握り拳をススムの顔面目掛けて振り下ろした。

 

「ひっ!」

 

 ススムは咄嗟に腕をかざして身を守ろうとする。

 

 社長の拳はススムの身体に触れる寸前で停止した。

 

「何だ、ちゃんと動くじゃないか」

 

「え?……あ」

 

 その様を見た深沼敏は、軽く舌打ちをしてプロデューサーのネクタイから手を離し、天井社長の元へと近づいていった。

 

 軽く咳き込むプロデューサーの背を恋鐘が声をかけつつ摩り上げる。

 

「相変わらず甘いな。部下に汚れ仕事の一つもさせられんとは」

 

「そうまでして貴様にへつらわせるのはご免だからな」

 

「ちょっとした教育をしてやろうという私の親切心を無碍にするとはな」

 

「貴様に教育をさせるくらいなら幼稚園児向けの絵本を読ませるさ。その方がよっぽど為になる。お前にもプレゼントしてやろうか?」

 

「フン!減らず口を。そのプライドを部下共々捨てなかった事を後悔させてやるからな!行くぞススム!」

 

「う、うん」

 

 そうして深沼親子は大きな足音を立て、ドアを乱暴に閉めて事務所を出て行った。

 

「はづき」

 

「は、はい……」

 

 社長は、いつの間にやら社長室のある方からやってきたはづきへと、深沼が持ってきた封筒に入った万札を全て取り出して差し出した。

 

「これでありったけの塩を買ってこい。向こう10年は困らない位のな」

 

 それから社長はプロデューサーの方へと目を向ける。

 

「あれがヤツのやり口だ。ヤツがプロデューサーだった時代からのな。よく覚えておけ會川」

 

「……分かりました」

 

「なら良い」

 

 社長はそう告げて社長室へと一人戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 2015年6月26日

 

 

 

 一台の自動車が公道を外れてホームセンターの駐車場へ向けて“降下”を始めた。

 

 両脇の光るガイドラインに従って高度を下げてゆく自動車。その車輪が横向きから縦向きへと動き、アスファルトの上に着地。やがて駐車された自動車の中からは父・母・子供三人の家族が出て来て、楽し気に言葉を交わしながら買い物客で賑わうホームセンターの店内へと進んでいった。

 

 そんなホームセンターの駐車場の片隅には、ステンレス製ボディの古めかしいデザインの自動車が。

 

 車体後部から白い筒の様な物を生やしたその自動車の傍には、二人の人影があった。

 

「34レンチ」

 

「さんよん、さんよん……あった、はい」

 

「うむ…………次はドライバー、3番。プラスのやつだ」

 

「プラスドライバー3番ね。はい」

 

 しわがれた声の男の指示に合わせて少年が工具箱から道具を次々に渡してゆく。

 

 そんなやり取りが続く事少々……

 

「よし!これで完成だ!」

 

 工具を手にした銀髪の――前髪が幾分か後退した――初老の男性が歓喜の声を上げた。

 

 彼は工具を持つ手もそのままに車の周囲をグルリと一周する。

 

 傍らの若い男も老人に続くようにして車を一周。

 

 そして「ワオ」と感嘆の声を漏らした。

 

「こいつは感激だ!……何だろう、そんなに経っていないはずなのに、子供の頃に別れたっきりの友達と再会したような気分だよドク」

 

「ワシもだマーティ。やっぱり何だかんだいってコイツが一番しっくりくる」

 

 ドク、エメット・ブラウン博士はコツンと車のボディを拳で軽く叩いた。銀色のステンレスボディが陽の光を受けて鈍く輝いた。

 

「それにしても驚いたよドク。いきなり1986年までやって来て、デロリアンの復元を手伝え!なんて言い出すんだもの」

 

「機関車型タイムマシンを完成させたはいいのだが、無性にデロリアンが恋しくなることが度々あってな。手元に置いておきたくなってしまった。それにデロリアンの方が色々と小回りが効くしな」

 

「クララや子供たちに手伝って貰おうとは思わなかったの?」

 

「勿論考えたとも。だがこれはデロリアンに最も慣れ親しんだマーティ、君とやりたかったのだよ。思い出話に花も咲かせたかったしな」

 

「思い出話って……ドクがあれからどれだけの時を過ごしたか知らないけど、僕にとっては最後にドクに会ってから半年も経っちゃいないんだぜ」

 

「ははは!ワシとした事が、こいつはうっかりだ!」

 

 ドクは目を大きく見開いて、額を手のひらで軽く叩いた。

 

「ともあれ、これでデロリアンは全盛期の機能を取り戻したってわけだね」

 

「いやいやマーティ、これを前と同じと思って貰っては困る。こう見えてもこいつはパワーアップしとるんだ」

 

「パワーアップ?新しい機能でも取り付けたの?」

 

「勿論!新たに思いついた改良案を元に一部の部品を小型化、それにより空いたスペースに充電式バッテリーを取り付けたのだ。1.21ジゴワットの電力を十分に蓄えられる程のな」

 

「バッテリーの増設って、何だかパワーアップと言うには地味すぎない?」

 

「そんな事は無い。これはタイムマシンとしてのデロリアンの欠点を補う偉大なる改良だ」

 

 そう告げてドクは車体後部の白い筒に手を乗せた。

 

「知っての通りデロリアンのタイムスリップに必要な電力は、このミスターフュージョンによって賄っている」

 

「物質を原子レベルまで分解して核エネルギーにしてるんだっけ?確か……核融合で」

 

「そうだとも。これによりデロリアンは危険な上に入手困難なプルトニウムに頼らずともタイムトラベルに必要な電力を得る事が出来る。だがしかし!タイムトラベルした先で何らかのトラブルが起き、これが使えなくなった場合にはどうする?」

 

「どうするって……前には雷のエネルギーを使ったね。時計台に落ちたやつ。まあアレはミスターフュージョンが付く前の話だけど」

 

「その通り。雷ほどの強力なエネルギーであれば代替は可能だ。しかしだ!1955年の時のように雷を使うにしても手間とリスクが大きく、何より落雷の地点、正確な時刻が予測できなきゃ話にならん。そこでだ!1.21ジゴワットの電力を蓄えられるバッテリーを搭載することにより、一回分のタイムスリップ用の予備電力を確保しておく。万が一の時はコレを使って2015年以降の時代に戻って来る。そうすれば修理が可能というわけだ」

 

「確かに言われてみりゃそうだ。もうあんなのは二度とゴメンだしね。ところで充電するにはどうすれば?」

 

「なーに大した手間はかからん。取り付けた充電式バッテリーはミスターフュージョンと連動している。エネルギー補給時にバッテリーが空であれば自動的に充電される」

 

「そいつはお手軽でいいや」

 

 マーティは軽く肩をすくめた。

 

「ただ独立記念日セールウィークとはいえ部品の調達に予定よりも金がかかり過ぎた。おかげでミスターフュージョンは中古品を使う羽目になった」

 

 その言葉にマーティは眉をひそめる。

 

「中古品って、大事な電力供給装置がそれで良いわけ?」

 

「な~に問題は無い。解決策は既に用意している」

 

 得意気に告げるとドクは運転席側のドアを開いた。

 

「さてマーティ、これから新生デロリアンの試運転としゃれ込もう」

 

「試運転って、どこに向かうのさ」

 

「“どこ”ではなく“いつ”だ。我々はこれから5年後の未来へ向かう」

 

「5年後って、今が2015年だから……2020年かい?どうしてまた?」

 

「5年も経過すればミスターフュージョンも後継機が開発され、今搭載している物は型落ちになっている。そうすれば残った予算で新品が買えておつりが来るという寸法だ」

 

「新生デロリアン初めてのタイムトラベルの目的が部品を安く買う為だなんて、えらくスケールが小さい話だ」

 

 マーティが呆れ気味に息を吐いた瞬間、遠雷の音が空に響き出した。

 

「いかん、そろそろ天気が崩れる時間だ。雨が降り出す前に出発するぞ」

 

 ドクはデロリアンへと乗り込み、ハンドルをその手に握った。

 

「オーケー」

 

 マーティは軽い調子で返事をすると助手席側へと回り込む。

 

 と、彼はそばの植え込みの中に何かが落ちているのを見かけ、思わずそれを手に取った。

 

「どうしたマーティ。何をモタモタしとる」

 

「ああ、ゴメン。コレ見つけちゃってさ」

 

 彼が手にしていたのは一冊の本。

 

 表紙には二つの地球と二人の人物の姿が描かれており、著者名はジョージ・マクフライと刻まれていた。

 

「パパの小説の復刻版みたいだ。誰かの落とし物かな?」

 

 父の小説が雨ざらしにされるのは流石に忍びないと思ったマーティは、それを手にしてデロリアンへと乗り込んだ。

 

「オヤジさんの小説か。そいつはどんな話だ?」

 

「えーっと、なになに……もう一つの宇宙からエイリアンが侵略してくる話、みたいだね」

 

 表紙を捲った先の簡単な紹介文を掻い摘んで読むマーティ。

 

「パラレルワールドというやつか。理論としては興味深いが生憎とワシの専門外だな」

 

「ていうかドクの専門ってそもそも何だよ?」

 

「科学全般であるが並行世界論に真剣に取り組むには縁ときっかけが無くてな。というかお前さんオヤジさんの小説読んどらんのか?」

 

「1986年にはこの小説はまだ出版されて無いよ。これは1990年の本だ」

 

 裏表紙を捲って、記されている初版の発行日をマーティはトントンと指で叩いた。

 

「そいつは失礼した」

 

 フロントガラスに雨粒が落ちてきた。雨粒は瞬く間にその数を増してゆく。

 

「いかん、モタモタしてるから降り出してきおった。シートベルトは閉めたか?忘れ物は?」

 

「大丈夫、大丈夫。オーケーさ。工具も余った部品も新品のホバーボードもバッチリ積み込んだ」

 

「よし、では行くぞ!」

 

 ドクはタイムサーキットのダイヤルを押し目的の時刻をセットする。

 

 2020年6月26日午後12時25分

 

 ちょうど5年後の現在時刻とピッタリ同じであった。

 

 デロリアンは下部から飛行機のようにジェット流を噴射し、その車体を地上から押し上げた。

 

 タイヤが縦から横向きへと切り替わる。更に強力なエネルギーを噴射するデロリアンはその速度と高度をどんどん上げてゆく。

 

 スピードメーターをはじめとした計器類の針は左から右へと徐々に動いて行く。

 

 だが突如としてそれらの針が左右に激しくぶれ始めた。

 

 しかしながらデロリアンのスピードに変化は無い。高度も順調に上がってゆく。

 

 そんな時タイムカウンターの表示が明滅。表示された各種の数字は凄まじいスピードでデタラメな羅列を示していった。

 

「ちょっとドク!計器の表示が!カウンターの数字も何か変だ!」

 

「何だって?」

 

 激しい雨降りのせいか前を見る事に集中していたドクは、マーティの呼びかけで初めてその異常事態に気が付いた。

 

 だがその瞬間、デロリアンの速度は時速88マイルに到達。

 

 デロリアンを白い閃光と轟音が襲うのと、時空の壁を超えるのは完全に同時に起こった。

 

 一瞬だけ2本の炎の線を空に描いて2015年からデロリアンは姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後12時15分

 

 

 

 信号待ちで停止中の車内に土砂降りの雨音が響く。

 

 運転席ではプロデューサーがハンドルを握っていた。一、二限だけ授業を受けた咲耶を事務所まで連れて行くべく。

 

 今日の彼女には午後からの仕事、夕方のレッスンと平日にしては多めのスケジュールが組まれていた。

 

 後部座席に座る咲耶は窓の外を一瞥して呟いた。

 

「酷い雨だね」

 

「…………ああ」

 

「梅雨とはいえ、いくら何でも激し過ぎる。これではまるで嵐みたいだ」

 

「…………ああ」

 

「実は明日は急用が入って仕事に行けなくなりそうなんだ」

 

「…………ああ」

 

「……プロデューサー、ちゃんと聞いてるのかい?」

 

 咲耶が運転席のプロデューサーの肩をトントンと叩く。

 

「えっ?あ、どうした咲耶」

 

「何でもない。ただの冗談さ。それにプロデューサーの方こそどうしたんだい?そんなに思い詰めたような顔をして」

 

 バックミラーに映るプロデューサーの顔は目に見えて沈んでいた。

 

「ちょっとな。嫌なこと思い出してた」

 

「それはもしかしてアンティーカの深夜番組の仕事が無くなったことかい?」

 

「……お見通しか。流石は咲耶だな」

 

「私でなくても察しはつくよ」

 

「局の編成部の人間を敵に回したんだ。当然といえば当然の結果だ」

 

 事の顛末はあの日のうちにアンティーカの面々に伝えられていた。

 

 彼女らは全然気にしないという風に明るく振る舞っていた。

 

 勿論彼女らの言う事や態度に、嘘や取り繕いは見られなかった。

 

 その点に関しては彼は十分に安心していた。

 

 しかしながらプロデューサーの気持ちは未だに整理がつき切っていない。

 

 オマケに新たな懸念事項まで現れたのだ。

 

 深沼敏の差し金で、アンティーカが準レギュラーを務める別の番組のコーナー出演も危ぶまれている、との話が馴染みのディレクターから回ってきてたのであった。

 

 いきなり外部からやってきて大きな顔をする深沼のやり口に反対する面々が食い止めている最中である、とのことだったが状況は五分五分といったところらしい。

 

 この流れによっては、今後の283プロアイドル全員のテレビ出演にも大きく影響が出る可能性があった。

 

(今からでも俺が謝りに行けば何とかなるか?……あの親子のやり口や言動は許せない。でも283プロの今後を思えば……)

 

 プロデューサーの頭にそんな想いがよぎる。

 

「プロデューサー、私は嬉しかったよ」

 

「え?」

 

 プロデューサーは視線を上げて、バックミラー越しに咲耶の顔を見る。

 

「あの時、後先考えずに真っ先に私たちを貶された事に怒りの声を上げてくれたのが、堪らなく嬉しかったんだ」

 

「咲耶……」

 

「あなたが怒ってくれたから、私達の心の重りは残らずに済んだ。そしてあなたはあの男の甘言にも屈しなかった。もしもあそこで本当に謝ろうものなら、私だけじゃなくアンティーカのメンバー全員があなたに失望感、もしくは負い目を抱くことになったと思う。だからあなたは正かったんだ。本当にありがとう」

 

 ……けどそれは社長が止めに入ってくれたから、ギリギリ踏み止まれただけで。と喉の奥から出かかった言葉をプロデューサーは飲み込んだ。

 

「こっちこそ、ありがとう咲耶。おかげで気持ちが楽になった」

 

 代わりの言葉を口にしてプロデューサーは車を走らせた。いたずらに咲耶の心を曇らすべきでは無いと考えて。

 

「そういえばダンスレッスンの調子はどうだ?今日も予定が入っているけど」

 

 と、ここで空気を変える為に話題を切り替える。

 

「順調さ。最近は少し趣向を変えた興味深いダンスレッスンをやらせてもらってるよ。20年程前に流行した、とあるダンスユニットのダンスを踊っているんだ」

 

「ほうほう。それは何でまた」

 

「温故知新、昔のものから学び取ろうという趣旨のレッスンらしい。トレーナーがそのグループの熱烈なファンだった、というのもあるらしいけどね」

 

「なるほどな」

 

「動画もスマホにダウンロードさせられてしまったよ。折角だからこの機会にモノにしてみせるさ」

 

 二人の会話の最中、稲光が時折空を照らしていた。

 

 音は大分遅れて聞こえてくることから、遠くにとりわけ活発な雨雲があるのだろう。とプロデューサーが何となしに考えていたその時

 

「うおっ!」

 

 耳をつんざく様な轟音が鳴り響いた。

 

 周囲の風景が一瞬だけ真っ白に染め上げられる。

 

「……凄い雷だったな」

 

「ああ。とても驚いた……」

 

「かなり近くに落ちたみたいだな」

 

「……稲妻が走った方向、事務所の方だったように見えたけれど」

 

「ちょっと心配だな。電話して確かめてみよう」

 

 プロデューサーは路肩に車を停車させると、スーツのポケットからスマホを取り出して事務所へと電話をかける。

 

「……出ないな」

 

 一向に反応が無かったので今度は七草はづきのスマホに電話をかけてみた。今度は数秒と経たないうちにコール音は止まった。

 

「はい。プロデューサーさんですか?」

 

「はづきさん?車で事務所に向かってるとこなんですけど、事務所の方に稲妻が走るのが見えたんで心配になって連絡しました。大丈夫でしたか?」

 

「良かった。これからどうしようかと思ってたところなんです」

 

「ていうことはもしかして……」

 

「はい。その雷が事務所に落ちたんです。一回、ドーンバリバリッ!って鳴ったかと思ったら、続けてドンドンドンって音が響いてピカッて窓の外が光って、建物もガタガタ揺れて」

 

「はづきさん落ち着いて下さい。何だか凄い衝撃だったのは十分伝わりましたから」

 

 いつになく興奮した様子のはづきをなだめつつ会話を続ける。

 

「それで、みんなは大丈夫なんですか?」

 

「はい。ビックリして泣いちゃった子もいますけど、今はみんな落ち着き始めてます。けれど完全に事務所が停電してしまって……予備電源に使うバッテリーが無くて、懐中電灯とか携帯ランタンの数も足りなくて、他にも色々と無くて困るものが……」

 

「事務所移転したばっかりで非常用の備蓄には手が回りきっていなかったからなあ……わかりました。それじゃあ今から必要な物をホームセンターに寄って買ってきます。買う物のリストをメッセで送っておいて下さい」

 

「わかりましたー。よろしくお願いしますー」

 

 通話を終了させ、スマホを懐にしまって後ろを振り返る。

 

「というわけで咲耶、ホームセンターに寄ってから帰る事になった。買い出し手伝ってくれ」

 

「お安い御用さ。今まさに事務所に居るみんなから次々と要望が届いて来てるしね」

 

 そう言ってスマホの画面をかざす咲耶。

 

 そこには次々とアイドル達からのメッセージが送り込まれてきて、文章が上へ上へとスライドしてく様が見られた。

 

「ははっ、それじゃあ急いで買い物を済ませて帰ってあげないとな」

 

 プロデューサーは車を発進させてホームセンターへ向けて進路を変更した。

 

 

 そんな彼らの乗る車の後を、1台の黒いワゴン車が数十メートル離れて追走してゆく。

 

 ワゴンの助手席に座る人物は、口の端を不敵に吊り上げたのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後12時25分

 

 

 

 新興開発地に稲妻が落ちると同時に、上空で三度の爆発の様な音が響き渡った。

 

 光が弾け、次の瞬間にはステンレスボディのいたる所を凍結させた空飛ぶ車が出現していた。

 

「ハッ!?」

「っと……タイムトラベル、出来た?」

 

「マーティ見ろ!」

 

 ドクがデロリアンの運転席正面中央下部に取り付けられたタイムサーキットの時刻表示を指差した。示されていた時刻は上から

 

 2020年6月26日午後12時25分

 2020年6月26日午後12時25分

 2015年6月26日午後12時25分

 

 を示していた。

 

「目的時刻、現在時刻、出発時刻、全て正常に表示されておる。計算通りだ」

 

「てことはここが2020年なんだね。……でも随分と殺風景になってない?」

 

 マーティが窓の外を見下ろすと、空き地とショベルカーやダンプカーなどの工事用車輌、ポツポツと建物が点在する、先程とは完全に様変わりしてしまった光景が広がっていた。

 

「これは……どうやらホームセンターは取り壊されて土地は宅地開発に利用されてしまったようだな。こりゃ面倒な事になったな」

 

 その時、デロリアンの車体下部から異音と振動が伝わってきた。

 

「おわっと!な、何だ?」

 

「いかん!ホバーシステムが不調だ!高度が勝手にどんどん下がって行っとる!」

 

「ちょっと待ってよ!ホバーシステムも中古品を使ったんじゃないだろうね!?」

 

「いやいや!ホバーシステムは新品を用意した!どうやら時間移動する瞬間に落雷の影響を受けてしまったらしい!」

 

「ったく!こいつはヘヴィだ!これじゃ1955年の嵐の夜の二の舞じゃないか!」

 

「だがあの時より状況は悪くない!システムが完全停止する前に着陸するぞ!」

 

 ドクは開けた空き地の一角に目星を付けると、そこ目がけてデロリアンを降下させていった。地上まで残り10メートル、5メートルと下がっていったところでタイヤを縦向きに変える。

 

 そして3メートルの高度を切った瞬間、ホバー装置は機能を完全停止させた。

 

 落下したデロリアンは地面で軽くワンバウンドして着地した。

 

「おうっ!」

 

「んぐっ!」

 

 歯を食いしばって二人は衝撃を堪え、ゆっくりと前を見据えて、次に互いに顔を見合わせて肩をすくめつつ息を吐いた。

 

「着地成功だ!」

 

「まったく、処女航海の幕開けとしちゃ完璧だね」

 

「ともあれここが2020年で良かった。ホバーシステムの修理にもすぐに取り掛かることが出来る」

 

「ところでお金は足りるの?ミスターフュージョンの新調もしなきゃならないのに」

 

「あー……そっちはお預けになるかもしれんな」

 

 そうしてデロリアンに乗った二人は空き地から道路へ抜けて、ホームセンターを探すべく土砂降りの雨の中を走りだしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時20分

 

 

 

 近場の超大型ホームセンターに着いたプロデューサーと咲耶は、大型カートを2台転がしながら店内を買い回る。バッテリー、非常食、懐中電灯、携帯型ランタン、小型扇風機、乾電池などなどの防災用品に加え、お菓子やジュースなどの趣向品もカートにドンドン放り込んでいった。

 

「まったく恋鐘らしいな。せっかくだからキャンプみたいにして盛り上がるばい!なんて言ってこの状況を楽しもうとするんだから」

 

「そのポジティブさにはいつも頭が上がらないよ。おかげでアンティーカの活動はいつも楽しめている」

 

「だな。ところで咲耶、重くないか?」

 

「このくらい平気さ。カートも大きくて動きが安定していて使いやすいしね」

 

「確かにデカいよなこのカート。CMでゴールデンレトリバーが乗っているのを見た事がある。流石は外資系だけあってスケールが違う」

 

「あれはインパクトがあったね。犬も押していた子供も楽しそうだったし。けど実際にマネをした人が出て放映中止になったのが残念だ」

 

「それなら動画サイトに上がっているのがあったと思う。見ようと思えば見られるよ」

 

「本当かい?なら後でチェックしておこうかな」

 

 そんな何気ない会話を交わしつつ、二人は会計を済ませてカートを押して車の元へとやってきた。

 

 買い物をしているうちに雨は上がっており、西側の空には青空が少しずつ広がりつつあった。

 

 そしてトランクや後部座席に荷物を積み終えたプロデューサーと咲耶は一息つく。

 

 その時

 

「283プロの會川悠一プロデューサー、アンティーカの白瀬咲耶だな」

 

 1人の男が声をかけてきた。

 

 何事かと2人が振り返ると、黒いスーツを身に纏った大柄な男と、その仲間と思しき数人のガラの悪そうな男たちが立っていた。

 

 男たちはプロデューサーの車を囲むようにゆっくりと動いていく。

 

「ちょっと付き合ってもらおうか」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後12時55分

 

 

 

「こいつはどういう事だ?」

 

 デロリアンを運転するドクは周囲の光景を目にして首を傾げる。

 

 郊外と思わしき公道を走らせていて目に映るのは見慣れない文字、都会でもないのに密集した建物、歩道を歩く黄色系の人々。

 

 光景が様変わりしていたのは元ホームセンター周辺だけでは無かった。

 

 おまけに……

 

「ドク危ない!」

 

「おわっと!」

 

 正面から車が近づいて来ているのに気が付いてドクは慌てて車線を変更する。

 

「いつからこの道路は左側通行に変わったんだ!?イギリスじゃあるまいし!それに街には白人や黒人の姿が殆ど見えん!」

 

「5年の間にチャイナタウンに作り変えられちゃったとか?」

 

「だとしても交通規則まで変える事は無いだろう。それにだ」

 

 ドクが視線を上へと向ける。

 

 雨が上がり、晴れ間を覗かせ始めた空には1台の車も飛んでいなかった。

 

 スカイウェイへと続くガイドラインも何処にも見当たらない。

 

「2015年よりも地上を走る車が増えているのはどういう事だ?たった5年で技術が一気に衰退してしまったとでもいうのか?」

 

「あのさドク、ここってもしかして……ニッポンなんじゃないかな?」

 

「ニッポンだと!?馬鹿を言うな、デロリアンに時間移動機能は付いていても空間移動する機能は備わっていない。タイムトラベル後に出現するのは過去及び未来の同一地点だ。それは何度もタイムトラベルをしたお前さんだって十分に理解しているだろう」

 

「そうだけどさ、見てよ」

 

 そうしてマーティが指さした先の看板には角ばった複雑な文字と、曲がりくねった簡素な文字が混在して書かれていた。

 

「アレって“カンジ”と“ヒラガナ”ってやつだろ。チャイナタウンじゃカンジは見てもヒラガナは見ること無いもの」

 

「いやいやマーティ。もっと論理的に四次元的に考えろ。デロリアンの機能でニッポンにワープするなどありえない。だとすればだ、ここはチャイナタウンならぬジャパニーズタウンとして作り変えられたと考えるのが妥当だ。恐らくニッポンで人口爆発が起こり、多くの移民がアメリカに訪れたのだ。ニッポンは土地が狭いというからな。そうして彼らの為に交通規則も合わせられたと考えれば何の矛盾も無い。ニッポンもイギリスと同じように左側通行だからな」

 

「……本当にそうかな?」

 

 マーティはドクの説明が腑に落ちないというように、腕を組んで首を傾げた。

 

「おいマーティ!見てみろ!」

 

 そうしてドクが指さした先には2015年に買い物をしたホームセンターと同じロゴの看板があった。

 

「やっぱりここは2020年のアメリカだ。間違いない」

 

「ハイハイ、わかりました。僕の負けだ」

 

 そう言ってマーティは肩をすくめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時21分

 

 

 

「プロデューサー……」

 

「大丈夫、心配するな」

 

 不安気な声を漏らす咲耶を庇う様に手をかざすプロデューサー。

 

「どちら様でしょうか?」

 

「俺達の事なんざ気にしなくていい。黙って付いて来ればいい」

 

 顎をしゃくる様にして男が示した先には黒いワゴン車が止まっていた。

 

「そうはいきません。幼い頃から母親には知らない人に付いていっちゃダメだと口酸っぱく言われて育ったんで」

 

「何ガキみてぇなこと言ってんだ!」

 

 周囲の男の1人が苛立ち、声を荒げた。見るからに短気そうな粗暴な雰囲気を漂わす男だった。

 

「つべこべ言ってねえで車に乗りやがれ!でなきゃ深沼のダンナに」

 

「おい」

 

 スーツの男が地の底から響く様な、低く威圧感のある声を出す。

 

 そして今しがた声を荒げた男の鼻に拳を叩き込んだ。

 

「グベッ!あがががっ!」

 

 殴られた男は手で顔を押さえてその場にうずくまる。

 

 アスファルトの上に血の染みがポタポタと広がってゆく。

 

「余計なこと言うな。さもなきゃ次は舌をぶった斬るからな、肝に命じとけ」

 

 そうしてプロデューサーらの方に向き直った黒スーツの男は

 

「素直に言う事を聞いてくれりゃ手荒な真似はしない。抵抗するならアンタにもそっちの嬢ちゃんにも一生残るような傷が刻まれるだろうよ。身体にも心にもな」

 

 いたって穏やかな口調で告げた。

 

「……せめて何をしに行くかくらいは教えて欲しい」

 

「なーに、ちょっとした勉強会だ。この先アンタらが業界で生きていく為のな。変な気を起こさなきゃ今夜にはお家に返してやれるさ」

 

「分かった……」

 

 プロデューサーは微かに頷くと咲耶の手を取った。

 

「…………」

 

 咲耶は黙したまま男らの姿を静かに見据えていた。だがプロデューサーだけには彼女の震えが、恐怖心が伝わってきたのであった。

 

 プロデューサーは咲耶の横に並び立ち、前に進むように促した。

 

 そうしてゆっくりと歩みを進める2人。

 

 大人しく従うその様を見ていた男たちの気が僅かに弛緩した。

 

 その瞬間、プロデューサーは間近にいた男の1人を突き飛ばした。

 

「えっ?」

 

 まず驚きの声を上げたのは咲耶だった。

 

 プロデューサーは咲耶の身体を引き寄せると、両腕で一気に抱き上げて走り出した。

 

「きゃっ!」

 

 慣れない事をされ、甲高い悲鳴を上げる咲耶。

 

 彼女の身体は傍に置いてあった大型カートへと放り込まれる。

 

 そしてプロデューサーはカートを押しながら全速力で駆け出したのだった。

 

「逃がすな!追え!」

 

 黒スーツの男が声を張り上げると共に、部下の男たちが一斉にプロデューサーらの後を追っていった。

 

「悪い、ビックリさせたな」

 

「うん。少しだけね。でも逃げてしまって良かったのかい?」

 

「あんな奴らがすんなり俺達を返してくれるとは思えない」

 

「……そうだね。それに深沼と言っていた」

 

「親父か馬鹿息子どっちかの差し金だろうな。まさかこんな事までしてくるなんてな、クソッ!」

 

 全力疾走する彼の後方から罵倒混じりの大声と多数の足音が響いてくる。

 

 プロデューサーは振り返ることなく咲耶を乗せたカートを押し続ける。

 

 金曜の昼間ということもあり、駐車された車や買い物客の姿はさほど多くはない。

 

 おかげで走りやすくもあったが、追っ手の妨げになるものも少ない。追い付かれるのも時間の問題であろう。

 

(せめて店内まで逃げ込めれば!)

 

 プロデューサーが思ったその時、後方からエンジン音が聞こえてきた。

 

「プロデューサー!黒いワゴンが!」

 

「だろうな!」

 

 咲耶が後方を見て声を上げるが、プロデューサーは振り返らずに周囲に目を配り続ける。

 

(このままじゃワゴンに追いつかれておしまいだ!何か、何か無いのか……!?)

 

 とその時、彼の目にガルウィング型式のドアが大きく開け放たれた1台の車が目に入った。

 

「アレだ!」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時22分

 

 

 

「まったく!なんて店だ!」

 

 ホームセンターの駐車場でドクはオーバーアクション混じりに声を荒げていた。

 

「田舎の店のような品揃え!在庫が無いか聞こうにも店員には言葉が通じん!どうにかジェスチャーで伝えようにも店員は小さな写真立てのような物を片手にオロオロするばかり!何かと思ってひったくってみれば見えたのは家族の写真だ!日本人が写真好きというのは聞いてはいたが、まさかここまでとは!」

 

「店員だけじゃなく周りの客も似たような物を持って歩いている人がいたね。写真立てを持って歩くのが今の時代の流行りなのかな?」

 

 マーティがデロリアンの運転席のドアを開き、外に足を投げ出すようにして座り込んだ。

 

「しかしながらこれで謎は一つ解けたな。あんな1986年のホームセンターに毛が生えた様な品揃えじゃホバーシステム付きの車のメンテナンスなぞ満足に出来んだろう。どうりで旧式の車しか見かけんわけだ」

 

「家電とかのデザインは結構イカした物が多かったけどね、電子レンジとか凄く機能が豊富そうだったし」

 

「どうだかな。案外見掛け倒しかもしれんぞ」

 

「にしてもホバーボードじゃなくってスケボーとかが売ってたのには驚いた。この時代でもまだ残ってるんだね。LDとかはメチャクチャ廃棄されてたのに」

 

 そう呟いたマーティは、目に留まった父の書いた小説を何気なく手に取った。

 

 表紙を捲って先程は斜め読みした序文をじっくりと読んでゆく。

 

「……よく似た二つの世界。だが文明は些細な歴史の流れの違いでその発展の方向性を大きく変えてしまっていた。一つは我々と全く同じ文明で栄えた世界。もう一方はとある戦争の勃発により軍事力が大きく発達した世界。気候変動により住む場所を追われた別世界の住人が我々の世界へと侵略を開始した……」

 

 マーティはその文章から目が離せなくなっていた。

 

「それにしても何だ、この蒸し暑さは。まるでシャワーを浴びた後に服を着替えてそのまま風呂に戻ったような気分だ」

 

 ドクはデロリアンから大きく離れて空を仰ぎ見ている。

 

 雨雲はすっかりと遠くへ流れ、空には太陽がギラギラと輝いていた。

 

「気候……文明……発展の方向……」

 

 マーティの頭に一つの可能性が大きく浮かんでゆく。

 

「ねえ、ドク。ここは僕達が来ようとしていた2020年じゃないんじゃないかな?」

 

「んん?急に何を言いだすんだマーティ」

 

「これ見てよ」

 

 小説を片手にマーティがドクへと歩み寄ってゆく。

 

「よく似た別世界、歴史の流れの違いで文明の発展の方向性が変わる。何か引っかからないか?」

 

「……何々」

 

 不承不承といった様子でドクは差し出された小説の文章に目を通してゆく。

 

「僕らがビフが権力を握っていた1985年に行ったみたいに今回も別の2020年に来てしまったって考えられない?」

 

「……考えとしては分からんでもないが、その原因は何だ?あの時はワシらが目を離した隙に、年老いたビフがデロリアンで過去に戻って歴史を変えた。だが今回はデロリアンが完成してすぐに君と2人でこの時代へとやってきた。誰にも歴史改変をする隙など与えてはいない」

 

「確かにそうなんだけどさ」

 

「いや待て!もしやここにタイムトラベルする時に誰かがデロリアンの姿を目撃し、それに着想を得てタイムマシンの開発を……いやいや!ワシ以外に次元転移装置を開発できる人間などそうは――」

 

 ドクは大仰に身振り手ぶりをしながら1人でブツブツと喋り続ける。

 

「あーあ、完全にスイッチが入った。こりゃ長くなりそうだ」

 

 肩をすくめたマーティは後方から物音が聞こえたのに気が付いて振り返る。

 

 するとデロリアンが謎の男たちに囲まれているのが目に映ったのだった。

 

「何してるんだお前ら!」

 

 

 

 

 

 

 2020年6月26日午後13時25分

 

 

 

「咲耶!しっかり捕まってろ!」

 

 プロデューサーはドアが開いたままの車の傍に近づくと、走るスピードを緩めてカートを引っ張って大きく減速させた。

 

「……っ!」

 

「大丈夫か咲耶!?」

 

「ああ、何とも無いよ!」

 

 プロデューサーに差し出された腕に抱かれながら咲耶はカートから降りて、彼に手を引かれながら駆けだした。

 

 追っ手との距離は既に10メートルに満たない程度にまで縮まっていた。

 

「俺が運転席に入る!咲耶は後から!」

 

「わかったよ!」

 

 そうして空いていた左側のドアに身を滑り込ませるプロデューサー。

 

 続けて咲耶が身を滑りこませた。

 

「閉めて!」

 

 咲耶が上がっていたドアを締め切るのと追っ手がドアにぶつかってくるのはほぼ同時だった。

 

「プロデューサー!早くエンジンを!」

 

「駄目だ!間違えた!運転席はそっちだ!」

 

「え?」

 

 咲耶が正面を向くと目の前にはハンドルがあった。

 

「これは外車だ!咲耶、席を変わるぞ!」

 

 プロデューサーの言葉に頷いて咲耶は身を助手席側へ乗り出してゆく。

 

「うっ……狭い」

 

「ぐっ……これは、キツイな」

 

 二人の身体が席の境目付近でもつれ合う。

 

 そこに置かれている箱のような何かのせいで二人はすれ違うのに苦心してしまう。レバーのような物がプロデューサー体に引っかかり向きを変える。

 

 その瞬間プロデューサーの身体がグッと前のめりになった。

 

「むぐっ!」

 

「あっ、大丈夫かい!?」

 

「ぷはっ!ははぁっ、ああ大丈夫だ!早くシートベルトを締めて!」

 

 席を入れ替わるのに成功したプロデューサーがハンドルを握る。

 

 息苦しさと、一瞬咲耶の胸元に顔を埋めてしまった気恥ずかしさを消し飛ばすように、プロデューサーが声を張り上げてエンジンキーを回した。

 

 エンジンがかかり車体が振動を始める。

 

 車の外では男たちが必死にドアをこじ開けようとしたり、窓を拳で叩いていたりした。

 

 そんな時、叫び声を上げながら一人の若い男が車へと駆け寄ってきた。

 

 その男は群がる男たちを車から必死に引きはがそうとする。

 

 それは次第に取っ組み合いへと発展し、何人かの男たちが車から離されてゆく。

 

「今だ!」

 

 そのタイミングを見計らって、プロデューサーはアクセルを一気に踏み込んだ。

 

 ガクンと車体を一度大きく揺らした車は、グングンとスピードを上げてその場を後にしてゆく。

 

「やった!」

 

 小さくガッツポーズをしたプロデューサーがサイドミラーを除くと、一人の外国人と思しき老人が必死の形相で車を追いかけてきているのが目に入った。

 

「マズイな、あの人が車の持ち主かな」

 

「かもしれないね」

 

 と咲耶が助手席の窓を開けようとドアの脇に目を向ける。しかし窓を開ける為のスイッチの類は見当たらない。

 

 仕方が無いので咲耶は

 

「後でちゃんとお返ししますので」

 

 と後ろへ体を向けて口を大きく動かして何とか意図を伝えようとする。

 

 しかしながら大きな装置が邪魔をして、後方の窓からは老人の姿を見ることは出来なかった。

 

「あれ?」

 

 咲耶が小首を傾げる。

 

「もう追って来たか!」

 

 プロデューサーが忌々し気に言い放った。

 

 咲耶がサイドミラー越しに後方へと目を向けると、力尽き膝に手を当てて息を荒げている老人の横を通り抜けて黒いワゴンが迫ってきていた。

 

「少し荒っぽい運転になるからな!気をつけてくれよ!」

 

 プロデューサーはアクセルを更に強く踏み込む。

 

 スピードを上げた車は目の前の交差点が赤信号に変わる直前に渡りきる。

 

(これで撒けるか!?)

 

 彼がそう思ってサイドミラーに目を向ける。

 

 だが黒いワゴンは信号などお構いなしに、交差点へと減速もせずに突っ込んでゆく。

 

 それを避けようとした交差する車線の車が数台激しくクラッシュしていた。

 

「なんてヤツらだ!」

 

 その後も熾烈なカーチェイスを続ける2台の自動車。

 

 その距離の差は次第に短くなっていった。事故を起こすまいと猛スピードで運転しながらもどこかセーブしているプロデューサーに対して、黒ワゴンの男たちは周囲を巻き込むことに対して一切の躊躇も無かった。

 

「プロデューサー、一つ気になってるんだけど、この装置や計器類は一体何なんだろうか?」

 

 咲耶の問いを受けてプロデューサーは、目の前と後方に備え付けられた奇妙な機械を一瞥する。

 

「さあな!とんでもない改造が施された車だって感じがするけど」

 

「もしかしたらとてつもないスピードが出る装置かもしれない」

 

「だったら助かるけど、こんな街中じゃ宝の持ち腐れだ」

 

「ならあそこは!?」

 

 咲耶が指差した先には高速道路の入口の表記があった。

 

「よし!その手でいこう!」

 

 プロデューサーは車線変更して高速道路へと入ってゆく。

 

 黒いワゴンもスピードを落とすことなく高速道路へ向けて進路をとった。

 

 目の前にゲートが迫る。遮断板が前方の進路を塞ぐ。

 

 プロデューサーは微かにスピードを緩めてそこへと突っ込んでいった。

 

 バキリと音がして車と遮断版が接触。跳ね飛ばされた板を踏みつけて車は高速道路の本線へと侵入した。

 

「しまった!この車ETC積んでないのか!」

 

「それ以前にスピードを出し過ぎていたからどのみち無駄だったんじゃないかな?それよりも」

 

 と咲耶が装置へと目を向ける。

 

 前方には数字の羅列が三列表示された文字盤。

 

 後方にはY字型のチューブの入ったような謎の装置があった。Y字型のチューブには淡い光が走っている。

 

 次に咲耶はデジタル表示の文字盤に目を向ける。

 

 表示されている数字の羅列には法則性があるように思われた。

 

「これは……年月日かな?」

 

 傍に備え付けられていた数字のボタンをプッシュしてみる。

 

 適当に数字を押してゆくと、電子音が鳴り一番上の列の表示が切り替わった。

 

 しかし何も起こらない。

 

 咲耶は再び適当に数字を入力してみる。

 

 一定回数ボタンを押すと再度一番上の表示のみが切り替わった。

 

「上だけ変わるのはどういう意味があるんだ?」

 

「どうだ!何か分かったか!?」

 

「どうやら何かの年月日を入力するらしいんだけど、それが何を意味するのかまでは分からないんだ」

 

「何か書いていないのか!?」

 

 言われて再び文字盤を注視すると【DESTINATION TIME】と書かれたプレートがあった。

 

「目的地……時間?これはタイマーか何かなのかな?」

 

 そう考えた咲耶は時刻表示を1分後に設定してみた。

 

 しかしながら暫く待って設定された時刻になってもアラームのようなモノが鳴るような気配も無かった。

 

「さっぱりわからない。プロデューサー、どうすれば」

 

「えっ!?何だって!?」

 

 焦りだした様子のプロデューサー。咲耶が後方を見てみると黒いワゴン車が距離を縮めつつあるのが分かった。

 

 こちら側の車も猛スピードで飛ばしているのだが、相手は限界まで速度を上げるつもりのようだった。

 

「何でもない!運転に集中して!」

 

「ちゃんと何を言おうとしたか言ってくれ!逆に気になって集中できない!」

 

「じゃあ年月日を!あと時間を言って!何でもいいから思いついたものを!」

 

「年月日!?ええと……1999年7月1日20時半!」

 

 咲耶は言われた時刻を入力する。

 

 しかしながら当然何も起こらない。

 

「やっぱりダメか」

 

「仕方ない、諦めよう!」

 

「ところでこれは何の日付と時刻なんだい?」

 

「何となく頭に浮かんだんだ!それだけ!」

 

「何となく?ははっ。こんな時に何となくとはね」

 

「はははは!こんな状況だからこそ勘に頼るんだよ!意外と何とかなったりする!」

 

「覚えておくよ!仕事で困った時に役立つようにね!」

 

 二人は極限状態とは思えない程に暢気とも思えるような会話をしていた。それは脳が興奮状態を抑えようと、その機能をフル回転させているおかげなのかもしれない。

 

 そしてプロデューサーは冷静に先の道が見通せるようになっていた。

 

「仕方ない!限界まで飛ばすぞ!」

 

 プロデューサーはアクセルを更に強く踏み込む。

 

 スピードメーターが右側へと少しずつ傾いて行く。

 

 針の指す数字が75、80、81、82、83と上がっていく。と、その時。

 

「うわっ!」

 

「あっ!?」

 

 突然車線変更してきた前の車と衝突しそうになる。

 

 慌ててブレーキをかけた事で車のメーターは70を下回る。

 

「危なかった!」

 

「プロデューサー後ろ!」

 

 後方には黒いワゴンが間近にまで迫っているのが見えた。

 

 プロデューサーは再びスピードを上げた。前を走る車を3台ほど追い抜いて更にその先へ。

 

 すると幸運にもそこから先は他の車は全く見えなくなっていた。

 

 完全に開けた道路の先頭を走る形となった。

 

「これなら!」

 

 プロデューサーはアクセルを限界まで踏みしめた。

 

 グングン上がるスピード。メーターの針は88の目盛りへと達した!

 

 その瞬間、車体の周りに電流が走り出すと共に、火花をもが激しく散り出した。

 

「な、何だ!?」

 

 プロデューサーがそう口にしたと同時に、彼の運転する車は凄まじい閃光と共に消失。

 

 道路上には二本の炎の線だけが取り残されたのだった。

 

 その炎も後続車の巻き起こす風を受けて、たちまちのうちに消滅した。

 

 黒いワゴンに乗っていた者たちは、閃光で眩んだ目が慣れると共に周囲を見渡したが、プロデューサーらの乗る車が消失したとは露にも思わず、更にスピードを上げて彼らの進んでいったと思われる方へと車を走らせ続けたのであった。

 

 




BTTFの三週連続放映とフォロワーさんの一言をきっかけに勢いに任せて書き始めました。
子供の頃からBTTFが大好きだったということもあり過去最高ペースで執筆中です。

マーティとドクの掛け合いを書くのが楽しくて仕方ありません!
シャニマス勢と彼らが紡いでいく物語、最後までお付き合いいただければ幸いです。


そして白瀬咲耶さんお誕生日おめでとう


感想という名の火薬をボイラーに突っ込んでいただければペースは機関車の如くグングン上がっていくと思いますので是非に!

あなたはこの作品のクロスオーバー元の原作バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)とアイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニ)についてご存知ですか?

  • BTTFを見た事がありシャニも知ってる
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  • シャニは知ってるBTTFは見た事がない
  • シャニは知らず、BTTFも見た事がない
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