P「バック・トゥ・ザ・フューチャー」咲耶「Part.283」   作:はちコウP

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第四話

 

 2020年6月27日 午後11時38分

 

 

 マーティが1999年に向かう3人を見送って1分が経とうとしていた。

 

 アスファルト上に残った炎が微かに勢いを弱めだした頃、衝撃波と閃光が駐車場に突如として巻き起こった。

 

 マーティはその眩さに目を細め、腕を顔にかざす。

 

 タイヤの摩擦音が響き渡り、残っていた炎はすっかり吹き飛ばされ、そこへは代わりに車体を所々凍結させたデロリアンが出現していた。

 

 マーティが駆け寄るとドアが開き、ドクが降りてきた。

 

「ドク!どうだった?」

 

「バッチリ2人を1999年に送り届けてきたとも。計画は順調に進んでおる」

 

「それで、これから僕らはどうするのさ?」

 

 助手席側に回り込んで車に乗り込んだマーティが尋ねる。

 

「まずは下準備だ。デロリアンに新たな改造を施すためのな」

 

「また改造するつもりなの!?」

 

「勿論だ。これをやっておかねば計画を円滑に進められんからな。ひとまずは下準備を済ます必要がある。ユーイチに頼んで諸々の手配はしてあるからな、明日の午前中には完了するだろう。その後で我々は再度タイムトラベルを敢行する」

 

「じゃあそれから1999年の7月4日に向かうのかい?」

 

「いいや、過去に向かう前に我々は行くべき所がある」

 

「行くべき所?」

 

「ああ、マーティ。明日我々は未来に、2030年へと向かうぞ」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月1日 午後10時30分

 

 

 やや薄暗い部屋の中、小さなテーブルを挟んでプロデューサーと咲耶は向かい合って話をしていた。

 

「じゃあ改めて確認だ。明日7月2日の朝から7月4日の午後のアイドルライブイベントが始まるまでに、俺達は何としても天井社長と藍音さんを引き合わせなきゃならない」

 

「その為に2人を探し出す必要がある。しかし、ここまで猶予が無いとなると二手に分かれた方が良さそうだね」

 

「なら俺が社長を、咲耶が藍音さんを探すのが適任だな。俺が学校の周りをウロウロしてたら不審者扱いされて通報されかねないしな」

 

「ふふっ、それを言うなら私だって事務所から門前払いを受けかねないよ。だが、引き合わせに成功したとしても、彼女が社長にスカウトされるのかが問題だけれど……」

 

「これに関しては考える時間も調べる時間も足りなかったからな……けど分からない事をいくら考えても仕方ない。まずは2人を探し出してライブに連れていくこと、それに努めよう」

 

「そうだね。あなたの言う通り、それを最優先にしていこう。じゃあ明日から私は事務所沿線を中心に、プロデューサーは新宿方面を主に探索するわけだね。連絡なんかはどうしようか?」

 

「そうだなあ……」

 

 プロデューサーは腕を組んで考えを巡らす。

 

 当然ながらこの時代において2人のスマホは圏外で使い物にならない。かといって新たに携帯電話を契約しようにも、契約に必要となる有効な身分証明書の類いは無いのだった。

 

「だったら駅に電話して呼び出してもらうか。定時連絡って感じで時間を決めてさ」

 

「分かったよ。連絡はどちらからする?」

 

「咲耶からかけてくれ。捜索中にいちいち駅に戻るのは手間だろう。尋ね先の決まってる俺の方が早く手掛かりが掴めるだろうから駅に行く時間の確保は楽だしな。場所は新宿駅にしようか」

 

「了解だ。ふふっ、何だか新鮮だね。携帯電話の普及していない頃は、こういう連絡の仕方もしていたと耳にした事があるけれど、自分がやるなんて思ってもみなかった」

 

「俺だってそうだ。昔両親から聞いた程度だ」

 

「不謹慎かもしれないけれど、明日電話する時が楽しみだよ。あ、そうだ。明日以降の宿泊はどうするんだい?引き続きここに泊まるのかい?」

 

「いや……流石にそれはな……新宿近辺で別のホテルをとろう」

 

「そうかい?こういう所も趣があって良いと思うのだけれど」

 

「冗談言うな。ここが何処だかわかってるだろ?」

 

 そう言って部屋の中を見回すプロデューサー。

 

(まだ警察が警戒しているかもしれないから郊外で降ろしてもらったけど、宿がこんな所しか見つからなかったのは計算外だったなあ……)

 

 広くない室内には円形のベッドと桃色気味の間接照明、薄めのモザイクガラスで覆われた風呂場など、ごく普通のホテルには無いであろう独特な設備の類が見られた。

 

「とにかく明日は別のホテルだ。ちゃんと部屋も2つ取るから…………あ、そうだ。念のため偽名でも使っておくか」

 

「偽名?何故だい?」

 

「いや、思ったんだよ。俺らが社長の前で本名を名乗ったら、未来でややこしいことになるんじゃないかって」

 

「なるほど、一理あるかもね。だとしても、どう名乗ろうか?」

 

「単純に本名をもじってみれば良いんじゃないか?例えば……白井さくら、とかさ」

 

「なるほど…………しかし、プロデューサーと私は苗字を統一した方が良いんじゃないかな?確か藍音さんに出会った時に兄妹のフリをしたと思うんだけど」

 

「あ、そうか。なら……會川サクラ、とかでいいかな?」

 

「うん!なかなかに良い響きだ。気に入ったよ。プロデューサーはどうするんだい?」

 

「そうだな……単純に悠一の悠を抜いてハジメとでも名乗るかな?」

 

「會川ハジメか。それもまた良い名前だね」

 

「そいつはどうも。さてと、話もまとまった事だし、そろそろ寝るとしよう」

 

「そうだね」

 

「じゃあ俺はそっちのソファーで寝るから」

 

「そんな、悪いよ。プロデューサーがベッドを使ってくれ」

 

「バカ言え。担当アイドルをきちんとした寝床で寝かせないなんて、プロデューサーの沽券にかかわる」

 

「そうは言っても、私一人でベッドを使うのも忍びない。だから――」

 

「一緒に寝よう、とかいうのは却下だ」

 

「おや、先を越されてしまったか」

 

「それこそ出来るわけないだろ」

 

「何を気にする必要があるんだい?私達は兄妹じゃないか、兄さん?」

 

「からかうな。さあ、明日に備えて寝た寝た!」

 

 プロデューサーは強引に会話を打ち切ると、電気を消してソファーの上に寝転んだ。

 

 咲耶も肩をすくめてベッドへと身を横たえた。

 

 プロデューサーがブランケットを肩口まで引き上げて身をよじっていると

 

「プロデューサー」

 

 暗がりから咲耶の声がした。

 

「何だ?」

 

「…………いや、何でもないよ。お休み」

 

「ああ、おやすみ」

 

 それから数拍の間があった。

 

「……咲耶」

 

「……何だい?」

 

「無理はするなよ」

 

「うん…………あなたこそね」

 

「おう」

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午前9時15分

 

 

「天井努さんに繋いでいただけますでしょうか?わたくし――」

 

 天井社長が元いたという事務所へとやってきたプロデューサーは、受付にて問い合わせを行った。

 

 彼が古くから懇意にしているという、プロデューサーも顔見知りである業界人になりすまして情報を引き出そうという算段だった。

 

「承知致しました。少々お待ち下さい」

 

 営業スマイルを浮かべ会釈した受付嬢は、卓上の内線電話に手をかけた。

 

 プロデューサーは何食わぬ顔で返答を待っていた。

 

 しっかりと確認を取れば簡単に暴かれてしまう粗末な嘘ではあったが、堂々としていれば意外とバレないもので、受付嬢に不審がられた様子もない。

 

 なにより社長に会えさえすれば嘘がバレようと構わない。最初の取っ掛かりを掴むのが何よりも大事、と考えての行動なのであった。

 

(ともかく顔さえ合わせられればそれでいい。適当に取り繕って場を繋いで、あわよくば名刺を貰って連絡先を確保。追い払われたら出待ちをして食い下がる。泥臭い方法だがこれしかない)

 

 プロデューサーは受付嬢から見えない位置にある拳をグッと握りしめた。

 

「お待たせ致しました」

 

「はい」

 

 程なく内線電話を切った受付嬢が視線を合わせてくる。

 

「天井なのですが、4日程前から長期休暇を取っておりまして不在となっております」

 

「……え?」

 

 予想だにしなかった返答に、プロデューサーは目を白黒させる。

 

「不在って、それじゃあ困るんです!どうしても彼に合わないといけないんです!連絡先や行き先はわかりませんか!」

 

「申し訳ございませんが、こちらではそれをお答えすることはできません」

 

「そこをなんとか!」

 

「そう申されましても……お知り合いなのでしたら携帯電話の番号などはご存知のはずでは?」

 

「い、いや、それが……携帯持って無くて……あ、その!壊れちゃって電話帳機能も使えなくて、ですね」

 

 一転して動揺を露わにし、しどろもどろになるプロデューサーの姿を見る受付嬢の視線が冷ややかなものとなり、警戒の色がにわかに浮かんでくる。

 

 彼女が目配せのような動きをしたので周囲を見渡してみると、フロアを巡回していた警備員がこちらを見ているのがわかる。

 

 プロデューサーは冷や汗を浮かべ

 

「わ、わかりました!他をあたってみます!失礼しました!」

 

 と一言告げ、慌てて外へと飛び出して行ったのであった。

 

 

 

「まいったな……」

 

 事務所を飛び出して路地裏へと身を潜めたプロデューサーはポツリと呟く。

 

 当初の予想に反して訪問は空振りに終わり、手がかりも全く掴めなかった。一瞬にして出鼻を挫かれてしまい、プロデューサーは肩を落とす。

 

「……とにかく一刻も早く社長の居場所を突き止めないと。住んでる場所、どこか行きつけの店とかは……」

 

 ありうる限りの記憶を辿ってゆくプロデューサー。

 

 しかし、その表情は徐々に曇りだしてゆく。

 

(……考えてみたら、社長のそういう事全然聞いたこと無かったな。あの人にはそれなりに長くお世話になってきたはずなのに、まだまだ知らない事ばかりだった……)

 

 傍の建物の壁へと背をもたれさせ、プロデューサーは顔を俯かせた。

 

「………………」

 

 暫しの時が過ぎ、彼は何気無しにポケットからスマホを取り出した。

 

 ホーム画面に表示されるのは新事務所の前での集合写真。

 

 それを見つめ黙していたプロデューサーは、突如意を決したように拳を握り、カバンから手帳を取り出して素早くページをめくり始めた。

 

(撮影スタジオ、雑誌社、テレビ局、番組制作会社、他事務所、諸々の取引先!天井社長に繋がるツテは絶対にあるはずだ。虱潰しに探す!社長と一緒に挨拶回りした所、社長が懇意にしていた人達、手掛かりはある!あの人に教わった事、人との繋がりを今こそ活用するんだ!)

 

 

 

 プロデューサーは手帳やスマホに登録された知り合いの芸能関係者、テレビ局スタッフ、雑誌社から衣装・アクセサリの業者など、この時代において手掛かりになりそうなツテ、その全てをリストアップし電話ボックスに籠もって電話を片っ端からかけまくった。

 

 空振り、不審がられて通話を切られるなどは当たり前、手掛かりになるような事には一向に辿り着かない。だが彼はめげること無く電話をし続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午前11時56分

 

 

「はい、はい。申し訳ございません。失礼致します」

 

 何度目になるかわからない電話を切ったプロデューサーは腕時計へと目を向ける。

 

 すると時刻は12時まであと僅かといった頃合いとなっていた。

 

「ヤバっ!駅に行かなきゃ!」

 

 電話ボックスを出た彼は、駅前の広場を走り抜けていく。

 

 時刻は丁度12時を過ぎ、広場に来ていたテレビスタッフの構えるカメラに向けて、多くの若者達が手を振り出した。

 

 その様子が丁度上方にある、ビルに埋め込まれた巨大な街頭モニターに映し出される。

 

 お昼の人気バラエティ番組の開始に多くの通行人が注目するのを尻目に、プロデューサーは駅構内へと駆け込んでいった。

 

「ふぅ、はぁ…………」

 

 プロデューサーが息を整えつつ構内の通路を歩いていく。

 

 そんな折

 

《會川悠一さま、會川悠一さま、お言付けが御座います。いらっしゃいましたら近くの駅係員まで御声がけ下さい。繰り返します――》

 

 というアナウンスが聞こえてきた。

 

「来たな」

 

 プロデューサーは改札近くの駅員に声をかけて電話を繋いでもらった。

 

「もしもし、咲耶?」

 

《プロデューサー。良かった、ちゃんと出てくれたね》

 

「当たり前だろ。それで、そっちの首尾はどうだ?」

 

《こっちは順調さ。藍音さんの通う高校は特定出来たよ》

 

「えっ!?本当か!?早いな!」

 

 思わぬ報告にプロデューサーは声を大きく張り上げてしまう。

 

 近くの駅員が何事かと一瞬プロデューサーの方を見る。プロデューサーは申し訳なさそうに軽く頭を下げ、声のトーンに気をつけながら電話を続ける。

 

 電話口からは咲耶の若干弾んだような声がした。

 

《近辺で最も通学旅客の多い駅で朝から聞き込みをしたんだ。女子学生を中心に手当たり次第に声をかけてね。そうしたら藍音さんを知る、同じ学校の生徒と出会うことが出来たんだ》

 

「そ、そうか。流石は咲耶だな」

 

 プロデューサーの頭には、壁際に手を着いて、女子学生に甘いマスクと言葉を用いて囁きかける咲耶の姿が容易に想像できた。

 

《彼女は学校で風紀委員をやっているらしくてね、その仕事ぶりが有名らしい。あまりの実直さと融通の利かなさで少々疎まれ気味、というあまり芳しくない評価だったけどね》

 

「なるほどな。言われてみれば、前に夜道で会った時の印象には合致する気はする」

 

《とりあえず私は放課後まで待って、下校する彼女にコンタクトをとってみるよ。そっちの方はどうだい?》

 

「あー、それなんだけどな……」

 

 

 

《なるほど。それは厄介なことになってしまったね……》

 

「けど立ち止まってる暇は無い。出来る限りの事はしてみるつもりだ」

 

《分かった。こちらは心配いらないから、プロデューサーは社長の行方を追うのに集中してほしい》

 

「おう。そっちは任せたぞ。次の連絡は17時にここへ」

 

《ああ。それじゃあね》

 

 通話を終えて駅員に一礼をすると、プロデューサーは電話の続きをするために歩き出す。

 

(と、小銭を用意しとかないとな。どこか両替できる場所は……)

 

 プロデューサーが周囲を見渡すと、緑色の小さな券売機のような物が目に入ってくる。

 

「そうだ!アレがあった!」

 

 プロデューサーはそこへ駆け寄って、テレホンカードを十数枚購入。

 

 公衆電話のある場所へと足早に向かって行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月16日 午前9時45分

 

 

 2030年へとタイムトラベルを敢行したドクはデロリアンを暫し走らせ、とある建物の前で停車させた。

 

「よーし!着いたぞ!」

 

「着いたって、ここは何処なのさ?ユーイチの家とは違う所だよね?なんか車の整備屋みたいだけど」

 

 マーティが窓越しに外を見ると、そこには大きなシャッターが特徴的な、灰色の平屋建ての建物があった。

 

 シャッターの上には、看板のようなものが取り付けられていた跡が残っている。

 

「こいつは貸しガレージだ。元々は車の整備屋だったものを、今日から使えるようにと2020年に手続きを済ませてきた」

 

「さっき言ってた下準備ってこれのことか。よくスムーズに手続き出来たね」

 

「ユーイチから名義やスタンプ、現金、クレジットカード、諸々の手続きに必要な物を借りておいたおかげだな」

 

「まったく、ユーイチも人がいいんだから」

 

「最早なり振り構ってられる状態じゃないから遠慮せず役立ててくれ、と全財産を渡してきおった。先立つ物があるのは安心だが、ワシらの責任は重大だな」

 

「そうだね。何としてもユーイチとサクヤの助けになってあげなきゃ」

 

 そのように2人が話していると、1台の中型トレーラーがやってきて彼らのそばに停車した。

 

「ふふっ、10分前に到着だ。ニッポン人は実に時間に生真面目だな」

 

 トレーラーからは作業着姿の男2人が降りてくる。

 

 ドクもデロリアンから降り、彼らへ向けて翻訳アプリを用いて話しかける。

 

 男らは怪訝な表情を見せるが、それも一瞬のことで、併せてドクが差し出した書類を確認すると、トレーラーから積荷を下ろし始めた。

 

 その中から出てきたのは、銀色に鈍く光るステンレス製の車の上部フレーム、そして新品のエンジンであった。

 

「ふむ、2020年に渡した設計図通りの出来栄えだ」

 

 ドクはそれを満足気な表情で眺めると、デロリアンの近くから様子を窺っているマーティへ向き直る。

 

「さて、では始めるとしよう!デロリアンの更なる改造をな!」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午後4時20分

 

 

「やあ、藍音さん」

 

「あなたは、昨日の……」

 

 校門から出てきた藍音を暫く尾行し、周囲の学生が少なくなった頃合いを見計らって咲耶は藍音に声をかけた。

 

「何かご用でしょうか?それにどうして私の名前を?」

 

 藍音は警戒の色を滲ませた瞳で咲耶を見る。

 

(やはり事前に聞いていた通りだ。あまり他人に気を許さない、堅物が服を着て歩いているような人だと。こうなると迂遠な言い回しはせずにストレートに話をした方が良いだろうね)

 

 咲耶は柔和な笑みを浮かべて藍音へ向けて語りかける。

 

「昨日学生証を拾った時に名前が目に入ったんだ。あと学校の事もね。盗み見るような形になってしまったのは申し訳ないと思ってる。それと用事に関しては、兄の使いでやってきたんだ」

 

「お兄さんの?」

 

「そうなんだ。兄が昨晩のことをいたく気にしていてね。どうしてもお詫びをしないと気が済まないと言うんだ。だからこうしてあなたの元に馳せ参じたというわけさ」

 

 予めプロデューサーと決めていた段取りで咲耶は話を進めてゆく。

 

「別に私は気にしていません。お気持ちだけ受け取っておきます、とお兄様にお伝え下さい」

 

「そういうわけにはいかない。ああ見えて兄は繊細なんだ。このまま何もしなかったとあれば、ひと月は仕事もロクに手につかないくらいに落ち込んでしまう」

 

「そんな事を言われても困ります。私にも予定がありますし、名前も知らない方の誘いに乗るいわれもありません」

 

「と、そういえばちゃんと名乗っていなかったね、私としたことが失礼したよ。私は、會川サクラだ。よろしく」

 

 そう言って咲耶が差し出した手と顔とを交互に見比べて、藍音は一瞬だけ握手に応じて

 

「會川サクラさん、それでは私は失礼させてもらいます」

 

 と素っ気なく告げて、咲耶の脇をすり抜けるようにして早足で歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 咲耶は慌ててその後を追い、横並びになって歩きながら話を続ける。

 

「もう少し話を聞いてくれないだろうか?折角だ、どこかの喫茶店にでも入ってお茶でもしながら」

 

「学校帰りに不必要な寄り道はしない主義なので」

 

「だったら家に帰った後に改めて会うというのはどうだろう?」

 

「その後は宿題を済ませて塾に行かなければならないので、お付き合い出来ません」

 

「それなら明日は?土曜日だから学校は休みだろう?」

 

「何を言ってるんですか?明日は午前中に授業があるに決まっているじゃないですか。学校をサボるつもりですか?」

 

「あ……」

 

「はぁ……まったく。加えてその様子、この時間に私服でうろついてるだなんて、あなた今日も学校をサボっているみたいですね」

 

 溜息と共に軽蔑の眼差しを藍音は向けてくる。

 

(そうか、私のいた時代では土曜日が休みなのは当たり前だけれど、昔は土曜日にも授業があったと聞いたことがある。失言だったか)

 

 咲耶は内心焦り気味となり、必死に考えを巡らす。

 

「私の学校は今日明日と創立記念でお休みでね。ついあなたも私と同じだと勘違いしてしまった」

 

「二日連続で創立記念日が?」

 

「私が地方からやってきたというのは昨日少し話しただろう?翌日が土曜日だと併せて休みになる時もあるんだよ、私の住んでいる地方ではね」

 

「……そうですか?……まあ、別に私には関係のない事なのでもういいですけれど」

 

 速度を緩めることなくスタスタと歩きながら、ぶっきらぼうに藍音が言う。

 

 一応は言い分に納得してくれたようで、咲耶はホッと胸を撫で下ろす。そして話を続けていく。

 

「もし明日に都合がつかないようなら日曜日に出かけるのはどうだろう?兄が面白いイベントに誘ってくれるんだ」

 

「そう言われましても、日曜日は家で勉強をしなければならないので」

 

「何も一日中とは言わない。ほんの数時間、夕刻前に付き合ってくれるだけで良いんだ」

 

「一体どこに連れて行こうというのですか?」

 

「ワンガンテレビ主催の御台場アイドルフェスティバルさ。勉強の良い息抜きになるんじゃないかと思うんだけれどね」

 

 咲耶がそう言った瞬間、藍音の歩みがピタリと止まった。

 

「っと……」

 

 咲耶もまた歩みを止めて藍音に目を向ける。彼女は顔を俯かせて何か呟いている。その言葉は咲耶の位置からは聞こえず、表情も窺い知れない。

 

「アイドル……何で……んな……」

 

「え?」

 

 かろうじて聞き取れた言葉に咲耶が目を瞬かすと、藍音が顔を上げて咲耶の方に目を向ける。

 

「すみませんが、アイドルなんて下らないものに付き合うことはできません。受験を控えているので一分一秒たりとも無駄にしたくありませんので。さようなら」

 

 そう告げると藍音はその場を全力で駆け出していった。

 

「待ってくれ!藍音さん!」

 

 一瞬遅れて必死に後を追いかける咲耶。

 

 藍音は信号が赤へと切り替わる寸前の横断歩道を一気に突き抜ける。

 

 咲耶がそこへと差し掛かった時には、車がひっきりなしに目の前の道路を走り始めていた。

 

「はぁ、はぁ…………一体どうしたんだ、突然」

 

 2分ほど待って、信号が切り替わった横断歩道を咲耶が渡って周囲を見渡す。

 

 しかしながら藍音の姿はまったく見当たらなかった。

 

「こんなところで、諦めるわけには……!」

 

 咲耶は藍音の姿を求めて街を駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午後4時41分

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 横断歩道を渡りきり、裏路地へと身を滑り込ませ、なおも走り続けた藍音は後方を振り返る。

 

 追ってくる者の姿が見えなくなった事に安堵し、速度を緩めて藍音は一息つく。

 

(昨日あんな事があって、その次の日にアイドルのイベントに誘われるなんて、本当に何なの?最悪の偶然だわ……)

 

 心の中で独りごちて藍音はスタスタと歩き家路を急ぐ。

 

 彼女、會川サクラと名乗った女性に再び捕まる前に駅へと向かわなければ、と逸る藍音。

 

 普段は決して通らない飲み屋街、まだ人通りもほとんど無く、日中にしては静まり返っているそこは、何とも異様な空気に感じられる。

 

 それ故か思わず歩みが早くなっていく。そうして角を曲がった時だった。

 

「きゃっ!」

 

「痛って!」

 

 彼女は同じように角を曲がってきた人物と衝突してしまった。

 

 よろけた藍音は尻餅をついて地面にへたり込んだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「え、ええ。こちらこそ……」

 

 と聞こえてきた声に返事をする藍音だったが

 

「しっかりして下さい。お怪我は?」

 

「っててて……ケツがいてぇな……」

 

 彼女が目を向けた先では3人の男達がしゃがみ込んで、その輪の中心にいる尻餅をついた男を気にかけていた。

 

 誰一人として藍音の方には目もくれていなかったのだった。

 

「…………」

 

 黙しつつ藍音は男達の姿に目を向ける。

 

 男達は白いズボンに派手な柄シャツ、もしくは金色のアクセサリをジャラジャラと付けたスーツ姿など、誰が見ても“ガラが悪い”と口を揃えて言いそうな姿をしており、関わり合いになるのは危険だと藍音は強く感じた。

 

「すみませんでした」

 

 立ち上がった藍音は、頭をサッと深く下げてそう言うと、即座に踵を返してその場を立ち去ろうとした。

 

「おい待ちな!」

 

 ドスの効いた声が背後からかけられて、藍音はビクリと体を震わせる。

 

 ゆっくりと振り返ると、しゃがみ込んでいた男の一人が立ち上がって、首を斜めに傾けながら近付いてきた。

 

「人様に派手にぶつかっておいて、ただそれだけで済ませられると思ってんのか?」

 

「そ、それは……」

 

 鞄を胸に抱え、怯えた目をする藍音を3人の男達が取り囲む。

 

 怯えた様子でキョロキョロと首を左右に動かす藍音に対して、男達は獲物を狙う野犬の様な視線を浴びせていた。

 

「おいおい、あんまり怖がらせちゃダメだろう」

 

 と、そこへ尻餅をついていた男が立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。

 

 分厚い肩パッドの入った紫色のスーツを着たその男は、他の3人の男達と比べて随分と背が低く、藍音とほぼ同じ背丈であるように思われた。

 

「んっ?……ほうほうほう…………おーっ!」

 

 近づいてきた男は品定めするかのように、首を上下させつつ藍音の全身をジロジロと眺める。

 

「な、何ですか?」

 

 怯える藍音に向けて、男が感嘆の声を上げた。

 

「いーねー!ダイヤモンドの原石発見って感じだ!よし決めた!俺が君をアイドルにしてやろう!」

 

「…………え?」

 

 思ってもみなかった男の発言に藍音は目を白黒させる。

 

「あの……すみません、言ってることの意味が分からないのですが」

 

「おっと、自己紹介もしないで悪いね。俺はこういう者でね」

 

 男が懐から取り出した名刺を藍音へと突き出す。

 

「深沼芸能……アイドルプロデューサー、深沼敏……はぁ……?」

 

 名刺に刻まれた文字を読み上げた藍音は、ますます理解できないといった様子で首を傾げる。

 

「君は10年に1人の逸材だ!これは運命の出会いだ!絶対に売れっ子にしてみせる!この敏腕プロデューサー、深沼敏がな!」

 

 大仰に両手を上げて、悦に入った様子で背の低い男は高らかに言い放った。

 

「冗談を言うのはやめて下さいますか?私がアイドルになんてなれるわけ無いでしょう?そういうのに相応しくないという自覚はありますし、全く興味は無いので」

 

「いやいやいや、良くないなあ、そんな風に自分を卑下しちゃあ。勿体ない勿体ない」

 

 あからさまに拒否する藍音に対して、深沼敏はしつこく食い下がり続けた。

 

 

 

「一体何言ってんすか?深沼さん。あんな芋い娘に必死になって」

 

 取り巻きの男の1人が隣の男に囁きかける。

 

「シッ!黙ってろ!あの女子高生はな、深沼さんの趣味にドンピシャなんだよ」

 

「え!?あんな冴えない小娘が?」

 

「どこにでもいるような芋い娘が、ある日突然アイドルになって脚光を浴びる。そんなシンデレラストーリーこそ、あの人が憧れてるシチュエーションなんだよ」

 

「意外とロマンチストなところがあっからな、深沼のダンナは」

 

 もう1人の取り巻きが肩をすくめて言った。

 

「にしても今の流行りじゃないでしょ?あの容姿は。昭和の時代ならまだしも……って昭和でもどうなんだありゃ?」

 

「そういうのを注目させんのが堪らんのだとよ深沼さんは。レトロ趣味、昭和趣味ここに極まれりってやつだ」

 

「だからってマジでアイドルとして売れんですか?あの娘」

 

「それをコネと金と口車で何とかしちまうのが深沼さんだ。世渡り上手だからなあの人は」

 

「ウダウダ言ってねえでさっさと協力すんぞ。でなきゃ後でダンナにどんな目に合わされるかわからん」

 

 男らは顔を見合わせて頷くと、押し問答を続ける2人の元へと近づいて囃し立てる。

 

「いやいやまったく!深沼さんの言う通りだ!」

 

「キミは未来のトップスターだぜ!間違いねえ!今のうちに俺のスーツにサインしてくんない?」

 

「Kファミリーも顔負けのステージに立てるぜアンタ。深沼のダンナに付き合えばな。薔薇色の未来が待ってるぜ」

 

 深沼に加え、強面の男らに言い寄られ困惑する藍音は、その顔を俯かせる。

 

 そんな彼女の肩に手をかけて深沼が言う。

 

「悪い話じゃあないだろう?女の子は誰しもアイドルに憧れるもんだしな。最初は不安かもしんないけどよ、俺について来いって、なあ?怖がることはないさ」

 

 肩をフルフルと震わせる藍音を、深沼は猫撫で声でなだめすかす。

 

「…………ふざけないで下さい!」

 

 と、次の瞬間、藍音が肩に置かれていた深沼の手をパシッと跳ね除けた。

 

「何度も言いますが!私はアイドルになんてなる気も無いし、全く興味もありません!私に関わらないで下さい!コレはお返ししますので!」

 

 藍音は手にした名刺を深沼の手に押し込むようにして返すと、踵を返して歩み出す。

 

「おいおい、待ちなって」

 

「いい加減にして下さい!」

 

 更に食い下がるべく身体を回り込ませてきた深沼の身体を藍音が突き飛ばした。

 

 深沼はバランスを崩して身体をよろめかせ、またもや地面に倒れ込んだ。

 

「ってててて…………この……人が下手に出てりゃあつけ上がりやがって!」

 

 先程までの柔和な態度とは一転して、鋭い視線を向けて睨みつける深沼。

 

 取り巻きの男らも藍音を睨みつけ、その距離をジリジリと詰めてゆく。

 

 藍音は身体を震わせながら後ずさる。

 

「くうぅぅーっ!こいつは骨にまで響いた感じだ。ひでぇ大怪我だ。治療費、手術台を払ってもらわなきゃな」

 

「そ、そんなわけないでしょう!ちょっと転んだだけじゃないですか!」

 

「いーや、この感覚は絶対にそうだ。あー痛てぇ……」

 

 深沼がわざとらしく腕を押さえて、わざとらしさを隠そうともしない様子で言う。

 

「ダンナに怪我させた落とし前、しっかりつけてもらわなきゃなあ。親御さんや学校にも言ってなあ」

 

 周囲の男の1人がニタニタと笑いながら藍音に迫る。

 

 藍音は恐怖と不快感に顔を歪ませる。続けて何か反論をしようとするが、男達は何を言われてもいなしてしまうだろう。その様に思うと上手く言葉が出てこなかった。

 

 その時だった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 突然現れた1人の人物が、倒れた深沼の元へと駆け寄ってきた。

 

「な、何だお前は!?」

 

「サクラ……さん?」

 

 藍音のその呟きを耳にした咲耶は、横目で彼女にウインクをすると、深沼の方へと向き直って手を差し伸べた。

 

「怪我をされたのですか?これは大変だ。宜しければ私が病院まで付き添いましょう。どうぞ掴まって下さい」

 

「お、おいコラ」

 

 深沼が怪我をしたと主張していた方とは反対の手を取り、咲耶は肩に手を回して歩こうとするが、おおよそ20センチ近くはあろうかという体格差は、それを容易にさせてはくれない。

 

 咲耶が立とうとすれば深沼が爪先立ちをしなければならず、深沼の姿勢に咲耶が合わそうとすればかなり前屈みにならなければならない。

 

 咲耶は一旦手を離し、深沼を直立させて、その顔を覗き込むように見下ろしながら告げる。

 

「……すみません。私の方が少々背丈が大きいようで。何でしたら背負うか抱きかかえるかを致しましょう。どちらがお好みですか?」

 

 咲耶の言葉を耳にした深沼は、ワナワナと身体を震わせて拳を大きく振り上げ

 

「オレを見下すんじゃない!」

 

 と叫びつつ咲耶に襲い掛からんとした。

 

「おっと!」

 

 しかしながら、後方にステップをして避ける咲耶へ、その拳は当たる事なく空を切る。

 

「んなっ!」

 

 つんのめって転びそうになる深沼の手を咲耶が取り、もう片方の手を彼の背に添えて、その身体を支えた。

 

 その姿はさながら、舞踏会で踊る王子と姫を思わせる様相だった。無論その性別は反対ではあるが。

 

 突然の状況に、深沼は何が何だか分からないといった様子で目を瞬かせていた。

 

「これは失礼。ですがこれだけの動きが出来るのならば、腕のお怪我は大した事がないご様子。何事も無かったようで何よりです」

 

 咲耶が深沼の身体から手を離し、一歩引いて恭しく一礼をする。

 

 深沼の顔面は茹でダコのように真っ赤に染まっており、先ほど以上に大きく身体を震わせていた。

 

 目の前で繰り広げられていた不思議な光景に呆気にとられていた取り巻きの男達は、ハッと正気に返り

 

「なんなんだお前は!」

 

 と、声を荒げて咲耶に詰め寄ろうとしてきた。しかしその時、唸るようなサイレンの音が響き渡ってきた。

 

「なっ!?」

 

 深沼を始めとした男らはその音に一瞬身を震わせる。

 

「おっと、救急車を呼んだつもりが間違えてパトカーを呼んでしまったようだ。でもこの際だ、念のため彼らに病院まで運んでもらおうか?」

 

 咲耶がウインクをして微笑みかける。

 

「チッ!ずらかるぞ!」

 

 深沼が声をかけると共に、男達が慌てて逃げ出してゆく。

 

「おやおや。遠慮する事など無いのにねぇ。さて、大丈夫かい、藍音さん?」

 

 と、咲耶が振り返る。しかし、藍音の姿は忽然と消えていたのであった。

 

「…………まいったな、本当に逃げられてしまった」

 

 嘆息して肩を落とす咲耶。

 

 そうこうしているうちにサイレンの音はどんどん近づいてくる。

 

(仕方ない。私も退散するとしよう。警察の方には悪いけれど、関わり合いになると身分の定かじゃないこっちが不審に思われそうだしね)

 

 咲耶もまたサイレンから遠ざかるべく、その場を走り出していった。

 

 

 

 そうして多くの人々が行き交う大通りへとやってきた咲耶。

 

 駅へと向かうべく周囲を見渡してルートを探していると

 

「そこのキミ!」

 

 背後から突然声をかけられた。

 

「え?」

 

 何事かと咲耶が振り返ると、そこには焦茶色のスーツを着て、黄土色のネクタイを締めた、色黒の中年男性が立っていた。

 

「私のことかい?」

 

「そう!キミだよキミ!その容姿、体躯、立ち振る舞い、ピンときた!キミ、アイドルに興味はないかね?」

 

「あ、いや、私は……」

 

 と咲耶が口籠っていると、男は何かに気がついたように頭を軽く下げる。

 

「ああ、いや!すまない。いきなり不躾だったね。私はこういうものだ」

 

 そうして名刺入れから取り出した名刺を手渡してきた。

 

「キミにはアイドルの素質がある。一眼見てそう感じた。いきなり言われて怪しむのもわかる。じっくりと説明をしたいところなのだが、用事の途中でね。申し訳ないが行かねばならない」

 

「え、はい……」

 

「もし少しでも興味があるのならば、是非とも連絡をしてくれたまえ。……と、コレも渡しておこう。見ておいてもらって損は無いはずだ」

 

 男性は懐から取り出した3枚の紙を、更に咲耶へと手渡してきた。

 

「このイベント会場に私もいる。良ければそこで話をさせてくれ。友達を誘ってきてくれても構わない。では、私はこれで。いつでもキミの事を待っているからね」

 

 そうして男性は慌ただしく足早に去ってゆく。

 

 呆気にとられつつ、男性の姿を見送った咲耶が手にした紙片に目を向ける。

 

 それは件のアイドルフェスティバルの特別招待チケットであった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月18日 午後1時15分

 

 

「どうだいドク?」

 

 商品棚へとスマホのカメラを向けていたマーティは、通話モードを切り替えて画面へ向けて声をかける。

 

《ダメだな。10年後の世界に来れば或いは、と考えてはみたが、やはりデロリアンのホバー機能を直せるようなパーツは開発されておらんようだ。インターネットで検索しても引っかからん》

 

 画面の中のドクが眉間に皺を寄せていた。

 

「デロリアンが空を飛べればユーイチ達のピンチも救いやすくなるかと思ったけど、仕方ないね」

 

《とりあえず予定していたうちの必要最低限の改造は施せた。これで良しとしよう》

 

「それで、そっちの方は順調?」

 

《デロリアンのボディの換装、エンジン交換、シートの増設は完了。タイムサーキットとミスターフュージョンの付け替えにはもう暫く時間がかかるな》

 

「了解。それにしてもバッテリーに続いての改造が、エンジン小型化からの後部座席の増設だなんてね。しかも1シートだけ」

 

《仕方あるまい。今度1999年に行く時はマーティも一緒だからな。ユーイチとサクヤの行動が上手くいかなかった場合のリカバリーに人手は必要だ。作戦を仕切り直すにも2020年に戻るにしても、デロリアンには一度に4人は乗れないからな。本当はもう1シート増設したいところだが、次元転移装置の搭載スペース考えればあれが限界だ。ユーイチとサクヤには後ろに詰めて乗ってもらうとする》

 

「ともあれ、これでこの店での用事は済んだね。じゃあ今からそっちに戻るから」

 

《ああ……っと、マーティ。すまんが買っておいて欲しいものがある》

 

「何をさ?」

 

《タッチパネル式モニターとプログラミングのソフトウェアだ、タブレットでも使えるタイプのな。せっかくだからタイムサーキットの操作系統をタッチパネル式に改造してみたい。しかしながら連動させるためにはアプリケーションの設定、開発とやらが必要そうでな》

 

「了解。探してみるよ」

 

《頼んだ。流石に今回の改造には間に合わんだろうが、時間が出来たら試してみたいんでな》

 

 そうして通話が終了。マーティは電気店に併設された、超大型のホームセンターの店内を再び巡り始めた。

 

 

 

 それから暫くして、ドクに頼まれた商品を見つけたマーティはレジへと進んでいく。

 

「ん?あれは……」

 

 その途中、マーティの目にある物が留まった。彼はその方へと足を進める。

 

 そこでは片耳にイヤホンマイクのような物を取り付けた店員が、声を張り上げながら何かを仕切りに売り込んでいるようだった。

 

「さあ、いらっしゃいませ!ご利用下さい!夏の決算大セール限定福袋販売中!本日が最終日!今からタイムサービスでお買得!通常価格1万円からの更なる割引30%オフだ!買うなら今!どうぞいらっしゃい!」

 

 店員のそばの商品棚には沢山の紙袋が並べられていた。

 

 マーティが興味深げにその棚を覗いていると、ニッコリと笑顔を浮かべた店員が声をかけてきた。

 

「やあお兄さん!どうだい?お買得な福袋だよ!」

 

「福袋って何だい?」

 

「ああ、外国じゃあ馴染みが無いかな?えっとだね、この袋の中には2、3万円相当の電化製品が詰まってる。それがたったの1万円!更に今ならタイムセールで3割引きの7千円!とってもお買得さ!」

 

「そりゃあ凄い!」

 

「本当は中身は開けてのお楽しみなんだけど、兄さんには特別だ。お好みの品を選んであげよう。何か欲しい物はあるかい?」

 

「そうだなあ…………音楽とか映画とか、そういうのが楽しめるようなのってある?」

 

「オーディオビジュアル系ね。ちょっとまってて下さいよっと……」

 

 気さくな雰囲気の店員は棚の袋を眺めつつ、やがて1つの袋を手にしてマーティの前へと差し出した。

 

「これなら兄さんのお目当ての品が入ってる。中身は定価で3万以上の品ですぜ」

 

「ワオ!最高だね。それじゃあコレを貰うよ」

 

「毎度あり!お買い上げありがとうございます!」

 

 店員から紙袋を受け取ったマーティの腕にはズッシリとした感触が走った。

 

「こいつは随分な重さだな。ありがとう。それにしても店員さん英語ペラペラだね」

 

 マーティがそう言うと、店員は2度3度と目を瞬かせ

 

「あっはっはっは!お兄さん、面白いジョークを言うね!」

 

 声を上げて笑い出した。

 

「ジョーク?そんなの言ったつもり無いんだけど」

 

 マーティは怪訝な表情を浮かべ、肩をすくめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月2日 午後7時25分

 

 

「そんな事があったのか」

 

 新宿近郊のビジネスホテルの一室で、咲耶からの報告を聞いたプロデューサーは眉間に皺を寄せた。

 

「ああ、藍音さんはどういった訳か、アイドルに関して良い印象を持っていないらしいんだ。そこに加えて、深沼敏にちょっかいを出された。彼女の不信感はより一層強まったに違いない。これではイベントに来てくれるように説得するのは難しいだろうね……」

 

「まったく、この時代でもあの男に邪魔をされるだなんて……あーくそっ!本当に余計なマネばかりしてくれる!」

 

 プロデューサーは苛立ち混じりに後頭部を掻き毟る。

 

「っと……悪いな、みっともないところを見せた」

 

「構わないさ。私だって声を荒げたいくらい悔しい。気持ちは一緒だよ」

 

「そうか……」

 

「それにしても、深沼敏と深沼ススムが親子だって事をつくづく感じさせられたよ。性格と手癖の悪さ、容姿だって瓜二つだったのだもの。父親の背丈以外はね。相変わらず、智代子や凛世あたりといい勝負ってくらいにさ」

 

「ははっ。ホント、背のコンプレックスは筋金入りみたいだな。そこを咲耶におちょくられた深沼の顔は俺も見てみたかったよ」

 

「私としては、おちょくったつもりは無いのだけれどね。優しくエスコートをしただけさ」

 

 澄ました様子の咲耶を見てプロデューサーは、再び軽く笑みをこぼす。

 

「ともあれ、こんな事で諦めるわけにはいかないな。俺達と 283プロの未来がかかっているんだ」

 

「それとマーティと博士の事もね」

 

「だな。2人と合流した時に良いニュースを聞かせてあげなきゃな。社長の行方に関しては9割がた候補を当たった。残りを明日中に当たってみる」

 

「私の方もどうにか藍音さんを説得を試してみるよ。いざとなったら土下座でもなんでもしてみせるさ」

 

「おう、頼んだ……こうなりゃ、なりふり構わずやるっきゃない!よしっ!」

 

 とプロデューサーは両手で自分の頬を叩いて気合いを入れた。

 

「残り1日半、全力で頑張るぞ!」

 

「おーっ!」

 

 2人は拳を突き上げて気合いの叫びを上げたのだった。

 

 

 

 プロデューサーの部屋を後にした咲耶は隣の自室へと向かう。

 

 ドアの前でポケットに手を入れ鍵を取り出そうとした時、ふと手に当たったスマホを取り出した。

 

 咲耶はその画面を暫し眺めると、体の向きを変えてエレベーターの方へと向かっていった。

 

 

 

 ベッドのそばの小さな机に向かっていたプロデューサーは、手にしていたマジックペンを置いて一息ついた。

 

 そして椅子から身を乗り出すようにして、備え付けられている冷蔵庫の扉を開き、中から缶ビールを取り出した。

 

 プシュと音を立てて、プルタブから炭酸と共に微かな泡が沸き立った。

 

 缶に口をつけて冷えたビールを喉の奥へと流し込む。

 

 苦味と炭酸の感触が舌と喉を刺激する。

 

「ぷはぁ!……旨い!」

 

 最初の一口を堪能したプロデューサーは席を立ち、窓から外の景色へと目を向ける。

 

 夜景をチラリと眺めて視線を下ろすと、近くの公園に人影があるのが目に映った。

 

「……咲耶?」

 

 それは上着を脱いでTシャツ姿となっていた咲耶であった。

 

 彼女はどうやら踊っている様子だった。

 

 そしてそのダンスにプロデューサーは見覚えがあった。

 

 咲耶がトレーナーから指導を受けているという、この時代に流行った曲。

 

 遠目に見ている状態ではハッキリとは見えなかったが、彼女のダンスの完成度はかなり高いように思われた。

 

 彼女が踊りを終えるまで、プロデューサーは黙して見つめ続けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午前10時45分

 

 

「はい!はい!分かりました!ではそのお時間に!……はい!ありがとうございます!」

 

 電話ボックスの中で受話器を手にしながらプロデューサーは、しきりに頭を下げていた。

 

 通話が終わり、受話器を置いた彼は「よしっ!」と力強いガッツポーズをした。

 

 リストアップした同業者や関係各所を当たり続け、彼はようやく天井社長の手掛かりへと辿り着いた。

 

 今しがた話した人は天井社長と親しい間柄らしく、つい3日前にも会って話をしたとのことだった。

 

 これ幸いと電話越しにプロデューサーは、その時の事を聞こうとしたのだが、これから用事ががあるとの事で後ほど直接会って話をするという運びとなった。

 

(どうにか蜘蛛の糸を掴めたってとこだな)

 

 プロデューサーは電話ボックスを後にして、約束の場所へと向かうべく駅へと向かい電車に乗り込んだ。

 

 

 

 黄色いラインの入った電車に揺られながら、手持ち無沙汰のプロデューサーはスマホを取り出して保存されている写真に目を落とした。

 

 まず目にしたのは新事務所前での集合写真。

 

(櫻木真乃…………大崎甜花…………有栖川夏葉…………園田智代子………………和泉愛依………………福丸小糸…………)

 

 頭の中で写真に写っている所属アイドルの名前を思い浮かべる。

 

 顔と名前の一致する少女の数は昨日よりも減っていた。

 

 プロデューサーはこめかみに手を当てて軽く頭を振る。

 

 それから様々な写真を次々と表示させてゆく。

 

 その途中でとある写真に目が留まった。

 

 写真の中心には、釣り堀にて釣糸を垂らしながら仏頂面で座る田中摩美々と、その隣で釣竿を手にして笑顔を浮かべている咲耶の姿があった。

 

 加えて3人の少女が楽しげに水の中を覗き込む姿も写っていた。

 

 以前アンティーカのメンバーがプライベートで釣り堀へと行った時に、そこの従業員に撮ってもらった写真と聞いていた。

 

(みんな良い表情をしているな……摩美々は不機嫌そうだけど、心の底から嫌がっているような感じには見えないんだよな)

 

 写真を眺めるプロデューサーは軽く微笑んだ。

 

(あれ、そういえばここって……)

 

 そう思い、顔を上げて窓の外に目を向けた瞬間《次は市ヶ谷〜市ヶ谷〜》とアナウンスが聞こえてきた。

 

 腕時計を確認すると、時刻は11時を過ぎて暫くした頃合いだった。

 

(約束の時間まではまだ余裕があるな…………昼時になって混む前にここらで昼食を済ませておくか)

 

 プロデューサーは電車が停車した頃合いで椅子から立ち上がり、ホームへと降り立った。

 

 電車が走り去ったところでホームから景色を見下ろしてみると、丁度今しがた目にしていた写真に写っていた釣り堀が目に入った。

 

 今日は土曜日ということもあってか、釣り客はそこそこ入っているように思われた。

 

 

 

「さてと、どこにするかな」

 

 イオカードを改札へと通し、駅舎を出たプロデューサーは、駅前の通りを歩き出す。

 

 わずかに傾斜した並木道を歩きながら街並みに目を向ける。

 

 2020年にもプロデューサーはこの道を歩いた事がある。

 

 通りに軒を連ねる店や行き交う人々に時の隔たりを感じるものの、街自体の雰囲気は大きく変わらないように思われた。

 

 大学や専門学校の名が掲げられたビルを目にしつつ、横道から路地へと足を踏み入れる。

 

 その先でひとつの看板が目に入る。

 

「お昼の定食、オススメ、魚介の定食あります……か。居酒屋のランチも久しく食べてないな」

 

 プロデューサーのお腹が軽く音を立てて空腹を訴える。

 

「よし」

 

 と頷くとプロデューサーは、その居酒屋の暖簾をくぐったのだった。

 

「らっしゃいやせっ!」

 

 威勢のいい店員の声に迎えられつつプロデューサーは店内へ。そしてテーブル席へと案内され、メニューとお冷やを差し出された。

 

「さて、何にするかな?……定番の焼き魚の定食にするか。いや、刺身定食も捨てがたいな」

 

 小声で呟きつつメニューを眺めていると

 

「おい!ビールもう一本追加だ!」

 

 カウンター席の方から大声が響いてきた。

 

 何事かとプロデューサーが目を向けると、ヨレヨレになったワイシャツの背中が目に入ってきた。

 

「お客さん、余計なお世話かもしれませんが、流石に飲み過ぎじゃないですか?店に入る前から大分飲んでたみたいですし」

 

 カウンター越しに店員が嗜めの言葉をかける。

 

「あん?うるさいぞ!どれだけ飲もうと俺の勝手だろうが。いいからさっさとビール出せ!」

 

「はぁ。分かりました」

 

 店員は溜息混じりに冷蔵庫から瓶ビールをとり出し、栓を抜いてその客へと差し出した。

 

 受け取った客は、コップへとビールを雑に注ぎ入れて一気に飲み干した。

 

「昼間から酷い有り様だな」

 

 プロデューサーが思わず言葉を漏らす。

 

 すると、カウンターに座っていた人物がゆっくりと振り返ってきた。

 

「あ?……誰か何か言ったか?」

 

 焦点の定まりきっていない眼をキョロキョロと周囲に向ける酔っぱらいの男。

 

 プロデューサーは不味いと思い視線を逸らそうとする。だが……

 

「…………え?」

 

 男の顔から目が離せなくなった。

 

 無精髭の生えた赤ら顔、短くサッパリと整えられつつ歳の割には渋さを感じさせる髪型、痩身でありつつも引き締まった体躯。そして若々しくもどことなく威厳を感じさせる耳馴染みのある声。

 

「しゃ、社長!」

 

 プロデューサーはガタリと椅子を倒して立ち上がり、カウンターに座る若かりし天井努の元へと駆け寄っていった。

 

「社長!探しましたよ社長!良かった、やっと会えた!」

 

 プロデューサーは歓喜の声を上げながら、天井社長の手を取って大きく上下に振る。

 

「あ?な、何だお前は?社長……?」

 

 若き天井社長は困惑の声を漏らす。

 

「良かった、本当に良かった!これで事務所が、みんなが元通りになる!」

 

「事務所?みんな?社長?」

 

 プロデューサーの言葉に小首を傾げる天井社長。程なくして何かを察したのか、彼の目つきが一段階鋭くなった。

 

「…………そうか……お前……」

 

「え、あ、はい。そうだ、名乗らなくっちゃな。俺は」

 

 とプロデューサーが我に返って、話をしようとしたところで

 

「社長の回し者か!」

 

「うわっ!」

 

 彼は天井社長に力いっぱい突き飛ばされ、床上をゴロゴロと転がった。

 

「っててて……いきなり何ですか?」

 

「お前は、あれだろう。社長に言われて俺を連れ戻しに来たんだろう!何と言われようと俺の気は変わらんぞ!……社長に伝えろ!絶対に事務所には戻らんとな!」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 起き上がったプロデューサーが天井社長に詰め寄って行く。

 

「しつこいぞ!」

 

 だが再び彼に突き飛ばされ、プロデューサーはテーブルや椅子を巻き込みつつ盛大に身を転げた。

 

 グラスや陶器の灰皿が床に落ち、破片が周囲に散らばった。

 

「ぐあっ!…………ったたた………一体どうし……」

 

 痛みに顔を歪めながら起き上がると、既に天井社長は姿を消していた。

 

「ま、待ってください!」

 

 プロデューサーは慌てて駆け出そうとするが

 

「お客さん」

 

 肩をグッと掴まれ身体をクルリと半回転させられる。

 

「アンタあの人の知り合いか?あの人の分の勘定と壊れたもんの代金、しっかりと立て替えといて欲しいんだが?」

 

 笑みを浮かべた店員の顔が目の前にあった。

 

 プロデューサーは「あ、あははは」と引きつり気味に笑い声を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午前11時45分

 

 

「ったく、まさかあの社長が人を寄越すとはな……」

 

 左右に身体をふらつかせながら天井努は路地裏を歩く。

 

 酷く酒が回っているせいで、その視界には様々なものが歪んで見えていた。

 

「…………くそっ!」

 

 足元に転がっていた空き缶を蹴り上げる。

 

 カランカランと音を立てて転がったそれは、近くの壁に当たって大きく上方へと一瞬跳ね、数度バウンドして静止する。

 

 だが天井努はそれに一切目もくれず、俯きながら歩き続ける。

 

 そのせいで彼は前方から近づいてくる一団には気がつくことは無かった。

 

 すれ違いざまに1人の男の肩が、彼の上腕へとぶつかった。

 

 その衝撃で足取りのおぼつかない天井は、身体を半回転させ路上へと尻餅をついて転がった。

 

 そんな彼へと頭上から罵声が浴びせられる。

 

「痛ってぇ!どこ見て歩いてんだオイ!?」

 

「ダンナの言う通りだ!何してくれてんだ!」

 

「怪我したらどうすんだ、あん!?」

 

 ぶつかった男と、その取り巻きが喚き散らす。

 

「それはこっちの台詞だ」

 

「何だと?…………っと、誰かと思えば天井か?甘ちゃんの天井努くんじゃあないか!」

 

「…………深沼」

 

 それは悪趣味な紫色のスーツを着た、若き深沼敏であった。

 

「深沼・さ・ん、だろ?俺の方が5つも歳上なんだ。事務所が違うとはいえ、同業の先輩を敬えないとは関心しないなあ、え?」

 

「…………ふん」

 

 天井努は相手の言う事に耳を貸すような素振りも見せずに、ゆっくりと立ち上がる。

 

 自分の前に立ち上がった男の顔を今度は見上げる形になった深沼敏が、眉間に皺を寄せてギリと歯を鳴らす。しかしすぐに顔へと嘲笑を浮かべ直す。

 

「あれから大変だったんだぞ。お前のせいで大・大・大不機嫌になったあの人らを宥めすかすのがよ。まあ、骨は折れたが俺のおかげで万事丸く収まって、お前の事務所への被害だって最小限で済んだんだ。感謝の言葉のひとつくらい言ってもバチは当たらないと思うんだが。どうだ、あ?」

 

 深沼の言葉に対し、天井努は黙したまま表情を変えるようなことすらしなかった。

 

「……オイ、何か言ったらどうだ?」

 

 頬を引きつらせる深沼。

 

「……俺は今、気分が悪い。すぐにどっかに行け」

 

 頭ひとつ分、視線を下へと向けて天井努が静かに言い放つ。

 

 その言葉に深沼敏の神経は逆撫でされた。

 

「俺を見下ろすんじゃない!」

 

 怒りの声と共に繰り出された深沼の拳が、天井努の腹部にめり込んだ。

 

 くの字に身体を曲げて「かはっ!」と天井努の肺から空気が押し出される。

 

「くはははっ!思い知ったか!」

 

 得意げに笑う深沼敏。

 

 よろける天井努は、転ぶまいと咄嗟に深沼の両肩を手で掴んだ。

 

「おっ!?」

 

 驚いた深沼が天井の顔を見上げる。

 

 

 

 彼の限界はそこで訪れた。

 

 

 

「おえっ……うぐぉぇぇぇぇ……」

 

 深沼の顔面へと、アルコール臭の漂う吐瀉物が盛大にぶちまけられた。

 

 それは彼の顔からスーツから、全身を余す所なく濡らし尽くした。

 

 天井努は深沼から手を離し、ヨロヨロと後退りして、手の甲で口元を拭った。

 

「だから言っただろう……俺は気分が、悪いと……」

 

 ポタポタと深沼の体から異臭のする液体が滴り落ちる。

 

 その様に取り巻きの男らも鼻をつまみ、顔をしかめて思わず数歩後ずさる。

 

「…………ふ……ふ……ふざけやがって!もう許さねぇ!」

 

 激昂した深沼が拳を振り上げて天井努へと詰め寄ってゆく。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 その時、大声と共に1人の男が彼らの間に滑り込むように入り込んだ。

 

 深沼はたたらを踏みつつ足を止める。

 

「何だテメェは!?」

 

「まあま……臭っ!」

 

「あ!?」

 

「いえ、失礼!あのですね、彼の方も悪気は無いみたいですし、クリーニング代は自分が立て替えますので、ここはどうか穏便に行きましょう、ね?」

 

 割り込んできた青年、もといプロデューサーは、財布から万札を取り出して深沼へと差し出す。

 

「ふざけんな!金の問題じゃねぇんだよ!」

 

 更に激昂してプロデューサーへと詰め寄る深沼。

 

「あっと!それ以上近寄るのは……うっ……!」

 

「この……誰だかわからねぇが俺をコケにする奴はどんなヤツだろうと許さねぇ!お前ら!全員でやっちまえ!」

 

 と取り巻きの男らに深沼が声をかけた瞬間

 

「おわあっ!な、何だアレは!?」

 

 プロデューサーが驚愕の声を上げて深沼らの背後へと指差した。

 

 深沼らは思わずその方へ目を向ける。

 

 するとそこでは、青色のポリバケツの上に佇んだ野良猫が大あくびをしていたのだった。

 

「何だよ、ただの猫がどうしたってんだ」

 

 と深沼が振り返った時、プロデューサーと天井努は遥か遠く、数十メートル先の路地を曲がって走り去っていたのだった。

 

「…………逃すな!追え!」

 

 深沼の命令を受けて3人の男達は慌てて走り出していった。

 

 一方の深沼はポケットから携帯電話を取り出して

 

「おい!近くにいるだろう!?お前らも手伝え!」

 

 電話越しにがなり立てていた。

 

 

 

「はぁ、はぁ……お前は、どうして……」

 

「話は後です!とにかくヤツらから逃げないと!」

 

 プロデューサーは天井努の手を引きながら全力で走る。

 

 しかしながら、未だに酔いの回っている天井の足取りはフラついていて、追手を引き離そうにもスピードが思うように上がらない。

 

 このままでは追い付かれるのは時間の問題であると言えた。

 

(何か、何か良い手は……!)

 

 プロデューサーが必死に周囲を見回すと、飲食店の裏口から荷物を抱えた店員が出てきて、何処かへと歩いていくのが目に映った。

 

「あそこだ!」

 

 プロデューサーは天井の手を掴みながらスピードを上げドアの前まで来ると、彼の体を店の中へと押し込んだ。

 

「お、おい!何を!」

 

「俺がヤツらを引き付けて何とかします!あなたは暫くここに隠れていて!」

 

 困惑する天井を尻目に、ドアを閉めてプロデューサーは再び駆け出した。

 

「待ちやがれ!」

 

 追手の男らがプロデューサーの後方から大声で叫ぶ。

 

 プロデューサーはチラリと後ろを確認して裏路地を駆けてゆく。

 

 曲がり角を右へと曲がり、ふと上を見上げると、雑居ビルの外階段が目に入る。

 

「アレだ!」

 

 とプロデューサーは走るスピードを少し緩めて後方を確認する。

 

 丁度男らが角を曲がってきたタイミングで、プロデューサーは見つけた階段を駆け上がる。

 

 コンクリート製の階段を1、2階の間の踊り場まで登り路上を一瞥。案の定男達は、プロデューサーの後を追って階段を上り出していた。

 

「いいぞ!ついて来い!」

 

 小声で叫んで更に階段を駆け上がる。

 

 2階を過ぎて3階の間の踊り場へ。

 

 プロデューサーはその先を見上げて、たたらを踏んで停止する。

 

 3階への道は格子扉に阻まれて行き止まりとなっていた。

 

「くっ!しまった!」

 

 プロデューサーの耳に階段を上る足音が迫る。

 

「…………久しぶりだけど、やるしかないか!」

 

 プロデューサーは踊り場から下を覗き込む。

 

 通行人の姿は無し、車や自転車が来る様子も無し。

 

 それを確認したプロデューサーは、一旦3階付近まで階段を駆け上がり、深呼吸をした。

 

 そして勢いをつけて階段を駆け下りながらジャンプした。そのまま踊り場の縁を跳び越えて、彼の身体は階下へと落ちてゆく。

 

 丁度踊り場まで駆け上がってきた男らが、面食らった様子で下を覗き込んだ。

 

 身体を投げ出すようにして跳び降りたプロデューサーは、着地の瞬間に体を1回転、2回転させて受け身を取る。そして足裏でアスファルトを勢いよく蹴り、膝をバネのようにして跳ぶように加速し、あっという間にその場を走り去って行った。

 

 男達は慌てて引き返そうとするが

 

「おい!モタモタすんな!」

 

「やめろ!押すんじゃねえ!」

 

「早く引き返し……って、おわあっ!」

 

 揉み合いの末にゴロゴロと階下へ転がり落ちていった。

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ。……な、何とか撒けたか?」

 

 走りながら後方を振り返るプロデューサー。

 

 男らが追ってくる気配は無い。

 

 それを確認したプロデューサーは、スピードを緩めて小走りとなり、先程通った駅前の通りを早足に抜けてゆく。

 

(とりあえず一旦社長を迎えに戻って2人で身を隠そう。そしてほとぼりが冷めた頃合いに電車で遠くまで逃げる。これで何とかなるだろう)

 

 そうプロデューサーが思案していると

 

「いたぞ!アイツだ!捕まえろ!」

 

 前方から声がした。

 

 慌てて目を向けると、そこには怒りを顔に浮かべた深沼敏が立っており、新たに駆けつけたガラの悪い男達に指示を飛ばしていた。

 

 プロデューサーは踵を返して、駅のある方向へと全速力で走り出した。

 

「くっそ!本当にいい加減にしろよ!」

 

 悪態を吐きながらプロデューサーは、見えてきた地下通路の入口へと進路を変えた。

 

 そして階段をジャンプで一気に跳び降りる。

 

 階下の通路を歩いていた通行人が驚きの声と共に跳び退いた。

 

「すみません!」

 

 人々へと謝りつつ、プロデューサーは右手の方向へと走り抜ける。

 

 先の地下通路は正面、左右と三叉に分かれており、どの方向へ進むべきかとプロデューサーは逡巡する。

 

 後方から迫る罵声と足音。加えて前方のいずれかの方角からドタドタとした足音が迫り来る。

 

 プロデューサーは咄嗟に左手方向へと足を踏み出した。

 

 通路を駆け抜けて、見えてきた階段を数段飛ばしで上ってゆく。

 

 後方からの足音はその数を更に増してゆく。

 

 階段を上り切ったプロデューサーの目の前には、まばらな通行人の姿はあれど、深沼の手の物と思われる男らの姿は無い。しかしモタモタしてなどいられない。

 

「仕方ない!」

 

 プロデューサーは目の前の駅、改札の方へと走り抜けていく。

 

「いたぞ!」

 

「待ちやがれ!」

 

 追手の声を背に受けて、チラリと後ろを確認する。

 

 そこには先程撒いた3人の取り巻きに加え、合計10人程度の男達の姿があった。

 

「どんだけいるんだよ!」

 

 叫ぶように吐き捨てたプロデューサーは、一直線に自動改札へと走り込む。

 

 だが悠長にイオカードなんかを通していたら追い付かれてしまう。そう判断したプロデューサーは改札機を踏み台にして、一気に改札内へと跳躍した。

 

 周囲の旅客や駅員は、その身のこなしに目を奪われて呆気に取られていた。

 

 一方で追手の男らは、自動改札の遮断板に行手を阻まれて先頭の男が前のめりに転げたのを皮切りに、将棋倒しに倒れて折り重なっていったのだった。

 

 後から来た者は、仲間の体を踏みつけつつ強行突破を試みようとした。しかしながらそのうちの数人は駆け寄ってきた駅員との取っ組み合いにもつれこんでいったのだった。

 

「くっ、はぁ!はっ!」

 

 汗だくになり、息を荒げながらプロデューサーはホームへと続く階段を駆け上がってゆく。

 

 そんな彼の耳に電車の発車を知らせるアラームが聞こえてきた。

 

「マズい!」

 

 力を振り絞ってホームへと一気に駆け上がるプロデューサー。

 

 丁度彼がホームへと辿り着いた瞬間、ドアを閉め終えた電車は走り出していた。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 必死に追いかけるも、電車は無情にもホームを走り去っていってしまった。

 

「はぁはぁ、こ、今度こそ追い詰めたぞ!」

 

 聞こえてきた声に振り返れば、そこには階段を上ってきた追手が数人。その顔には獲物を追い詰めて舌舐めずりをする猛獣のような笑みが浮かんでいた。

 

(くっ!何か、何か打てる手は!?)

 

 プロデューサーは後退りをしながら周囲を見渡す。

 

 そんな彼の目には駅前の名所、先程も目にした釣り堀が映ったのだった。

 

「こうなったら!」

 

 そう覚悟を決めたプロデューサーは、ホーム上へと跳び降りた。

 

 ホームの縁を背にし、線路上で深呼吸をして集中力を研ぎ澄ます。

 

 追手の足音が背後僅か数メートルにまで迫った瞬間、プロデューサーは全力で走り出した。

 

 そんな彼の後を追い、男らも次々とホームに降り立ってゆく。

 

「うおぉぉぉぉっ!」

 

 雄叫びを上げるプロデューサーは、走り幅跳びの要領でホームの外、小さな水路を挟んで対岸にある釣り堀のフェンスへ向かって跳躍した。

 

 数メートルはあろうその距離をプロデューサーの身体は飛び越えて、フェンスへと激突した。

 

「く、のぉぉぉっ!」

 

 プロデューサーは両手で緑色のフェンスを掴みとり、間髪入れずに登ってゆく。

 

 そんな彼の後ろでは

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

「あああーーーっ!」

 

 プロデューサーと同じように跳躍するも、フェンスにまで手の届かなかった2人の男が、無残にも水路へと落ちていった。

 

 後に続く男らはその姿を目にして、ホーム下の水路際で踏み止まろうとするが、後ろから走って来た仲間らに追突されて次々と水路へと転落して行ったのだった。

 

 

 

 そんな男達を尻目にプロデューサーはフェンスを登りきって釣り堀の中へ。

 

 身をコンクリートの上へと投げ出して、大の字に寝転んだのだった。

 

 胸元を大きく上下させて呼吸を荒げるプロデューサーを

 

「大丈夫かいアンタ?」

 

 と数人の釣り客が覗き込む。

 

 また他の釣り客は、水路へと身を落としていく男らを驚愕と好奇の目でフェンス越しに眺めていたのだった。

 

 プロデューサーは、ゆっくりと起き上がり「お、お騒がせしました」と軽く頭を下げつつ釣り堀の外へと向かっていった。

 

 フェンスの合間の扉を抜けて、釣り堀の敷地外へと向けて歩いていくプロデューサー。

 

「はぁ、はぁ……こ、今度こそ、逃げ切れた」

 

 息も絶え絶えに歩く彼の耳に、唸るような重低音が響いてきた。

 

 何事かと、俯き気味だった顔を上げると、敷地内の坂道を抜けた先の道路上に、一台のハーレーが立ち塞がっていた。

 

 それに跨るは深沼敏、その男であった。

 

「轢き殺してやる!」

 

 目を血走らせた深沼がプロデューサーへ向けて突進する。

 

「ふ、ふざけんなっ!」

 

 プロデューサーは慌てて方向転換して釣り堀へと引き返す。

 

 先に見えた横道を左へと曲がって、更に奥へと走り抜けようとするが、目の前では閉じたフェンスが道を塞いでいたのだった。

 

「なっ!?」

 

 プロデューサーが曲がったのは、先程通ってきた通路とは別の、一つ手前の通路へと続く横道だったのだ。

 

「しまった!」

 

 すぐさま引き返すべく向きを変えたプロデューサー。

 

 だがその先には、顔を茹で蛸のように真っ赤にし、目をギラつかせた深沼の姿が。彼は袋小路へと追い詰められたプロデューサーを跳ね飛ばすべく、エンジンをふかしている。

 

「これで終わりだ!」

 

 猛スピードのハーレーが、プロデューサー目掛けて突っ込んでくる。

 

「こ、こんにゃろー!」

 

 対するプロデューサーは、背を向ける事はせず、逆にハーレーに向かって駆け出したのだった。

 

「血迷ったか!馬鹿が!」

 

「うっおぉぉぉーーーっ!!」

 

 雄叫びを上げてハーレーへと突進するプロデューサーの身体が跳ね飛ばされんとする刹那、彼は通路の端置いてあった木箱を右足で踏みつけて、大きく跳躍した。

 

 そして迫り来るハーレーに跨る深沼の頭上を飛び越えた。

 

「なっ!?」

 

 深沼は思わず顔を上げて、プロデューサーの姿を目で追ってしまった。

 

 そしてこれが命取りになった。

 

 深沼が正面へと向き直ると、眼前に迫るフェンスが。

 

「うわぁぁぁぁっ!」

 

 ハーレーはフェンスへと激しく衝突。

 

 衝撃でフェンスは大きくひしゃげ、大きく前へとつんのめるようになったハーレーの座席から、投石器で放られる石の様に、深沼の身体は放り出された。

 

「おおぉぉぉぉっ!!」

 

 放物線を描く彼の身体は、そのまま釣り堀の生簀へと落下。

 

 激しい水飛沫が噴き上がり、中にいた魚が数匹コンクリート上に投げ出され、ピチピチとその身を跳ねさせたのだった。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 胸元を押さえ、息も絶え絶えになりながらプロデューサーは釣り堀横の陸橋を渡り、駅の方へと歩いていく。

 

「無茶苦茶なことをするなお前は」

 

 陸橋の端にて聞こえてきた声に顔を上げると、そこには呆れ顔の天井努の姿があった。

 

 プロデューサーは何か返事をしようと声を出そうとするが、疲労のせいか上手く声が出てこない。

 

 そんな彼と、騒ぎになっている釣り堀の方を交互に一瞥する天井。

 

「行くぞ。ヤツらが立ち直る前にずらかる」

 

 彼はそう告げるとプロデューサーを伴って、地下通路の先にある地下鉄の駅へと向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月18日 午後2時33分

 

 

「何だこれ?」

 

 貸しガレージへと戻ってきたマーティは、1人で休憩用の小部屋に籠って福袋を開け始めた。

 

 その中から出てきたのは、ソフトボール程度の大きさの丸い機械にコンパクトなプロペラがついた物が7個ほど、数十メートルはあろうかというやたらと長い延長コード、充電式の乾電池、ゴム製のカバーのような物などであった。

 

 小首を傾げつつ、マーティは説明書を取り出して目を通してゆく。それは幸いにも英語を含めた数カ国語で書かれていたので内容は粗方理解できた。

 

「この丸いのは宙に浮く映写機みたいなもんか。それとスピーカーね。これならいつでも何処でも映画が楽しめるってわけか。イカしてる!」

 

 説明によればこの機械はドローン――ちなみにマーティはドローンの意味を理解していない――と一体化したプロジェクターと大音響スピーカーのセットで、スクリーンが無くとも空間に映像を映し出せるという機能を搭載していた。

 

 更にデフォルトで世界の名作映画が100本インストールされており、買って即座に充実の映画ライフを楽しめる、と大々的に書かれていたのであった。

 

「それじゃあ早速……ってそうか、これ充電しなきゃならないのか」

 

「おいマーティ!ちょっと来てくれ!手伝って欲しい事がある!」

 

 その時、整備スペースからドクの呼びかけが聞こえてきた。

 

「分かった!今行く!」

 

 マーティは機械に充電用のコードを取り付け、コンセントに繋いでその場を後にしたのだった。

 

 

 

 それから約1時間後

 

 

 

「さてと、それじゃあ試してみようかな」

 

 作業が一段落し、休憩のためにドクが出ていった頃合いで、マーティはデロリアンの鎮座している整備スペースにて機械を起動させる。

 

「えーっと、このリモコンで操作するのか。あ、だけど説明書によると確か音声認識も出来るんだよな。試してみよう。入力モードを英語にして……こうかな。さあて、どんな映画があるんだろう?……ん?ランダム再生モード、そんな機能もあるのか」

 

《ランダム再生を開始します》

 

 マーティの何気ない呟きを機械は律儀に拾い上げ、プロペラを回転させて天井付近まで上昇していった。

 

「っと、勝手に動き出しちゃった。まあ良いか。どんな映画が始まるんだろう?」

 

 マーティは胸を躍らせながら、宙に浮かぶドローンを見上げた。

 

 

 

 しかしながらマーティは、この機械の仕様を勘違いしていた。

 

 彼はスクリーンや壁に映像が投射されるように、中空に映画が映し出されるものだと思っていた。

 

 実際そのような映写モードもあるにはあるのだが、デフォルトの設定はそうではなかったのだ。

 

 

 

 マーティが今か今かと宙を見上げていると、背後からコツ、コツ、コツと足音が聞こえてきた。

 

「何だ?」

 

 振り返ってみると、彼の元へと歩いてくる1人の男の姿が目に入った。

 

 黒のレザー製の上下を身に纏った筋骨隆々のサングラスをかけたその男は、小脇に細長い箱を抱えていた。

 

 男はその箱の蓋を、片手で投げ捨てるようにして開く。

 

 それと共に箱の中に入っていた数輪の薔薇が床へと散らばった。

 

 次の瞬間、男の手には鈍い光を放つショットガンが握られていた。

 

 その男の姿はマーティも見知っていたのだった。

 

「タ、タ、ターミネーターだーーっ!」

 

 目を大きく見開いて、驚愕の表情を浮かべたマーティが叫び声を上げる。

 

「どうしたマーティ。何かあったのか?」

 

 それを聞きつけたドクが整備場へと戻ってくる。

 

 ドアを開けた彼の目の前を欧米人の警察官が通り過ぎていった。

 

 その警察官は無表情のまま、サングラスの男の方へと歩いてゆく。

 

「おい、あんたらココで何しとるんだ?」

 

 ドクが怪訝な表情をしていると、警察官は拳銃を取り出して銃口をマーティとサングラスの男の方へと向けた。

 

「伏せろ」

 

 次の瞬間、サングラスの男がそう告げると同時に、手にしていたショットガンが火を噴いた。

 

 ガレージ内に銃声が轟き、空気が震えた。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

「ぎゃーーーっ!」

 

 マーティとドクは頭を抱えて床に突っ伏した。

 

 彼らの頭上で激しい銃撃戦が繰り広げられる。

 

「マーティ!一体何が起こったんだ!」

 

「何!?全然聞こえないよ!」

 

「何なんだ!この男達は!?」

 

 銃声が室内に響き渡るせいで2人の声は掻き消される。

 

 

 彼らが必死に問答を続けていると

 

「――――!?―――――――!?」

 

 ガレージの入口から聞き慣れない声が聞こえてきた。

 

 マーティが伏せていた頭を軽く上げてその声の方へ目を向けると、眼鏡をかけた小太りな日本人の中年男性が中へと駆け込んできた。

 

「危ない!逃げて!」

 

 マーティが男に向かって叫ぶ。

 

 対してその中年男性は、室内の様子を一瞥し苦笑を浮かべた。そして激しい銃撃戦が繰り広げられる中を平然と歩いてゆき、床に落ちていたリモコンを拾い上げて機械へ信号を送る。

 

 すると男達の姿は一瞬にして消え失せて、宙に浮かぶ機械は床へとゆっくり降下していった。

 

 マーティとドクは目を瞬かせながらゆっくりと起き上がる。

 

「あの男達は何処へ行ったんだ?」

 

「それなら、機械が停止したから消えたんじゃないかな?」

 

「機械?一体どういう事だ?」

 

 2人が話していると、日本人の男が何やら話しかけてきた。

 

 マーティはそそくさとスマホを手にして、翻訳アプリを起動して男の方へと向ける。

 

 男は小首を傾げると、軽くひと笑いして、ポケットから耳掛け型のイヤホンを取り出して耳元に取り付けた。

 

「翻訳アプリを使うなんて、そんなまどろっこしいことしなくていいですよ」

 

「えっ?」

 

 マーティが驚きの表情を浮かべる。

 

 その間に男は捲し立てるように話しだした。

 

「こんな旧型のポンコツドローン型映写機を使って何してたんだい?盛大なごっこ遊びかい?」

 

「福袋ってやつに入ってたのを動かしてみたんだけど、ポンコツってどういうこと?」

 

「福袋!?はははっ!とんだ物を掴まされたね兄ちゃん。俺も前にこの映写機を使った事があるんだが、誇大広告にも程がある代物だ。立体映像投影システム搭載で、映画100本がリアルでスリリングに見られる!って触れ込みで売り出されたんだが、デフォで入ってる映画の殆どがダイジェストシーンだけの体験版みたいなもんなんだよ」

 

「そんな!ウソでしょ!?」

 

「マジも大マジだよ。それに完全版をダウンロードして再生したらしたで1時間もすりゃ電池切れになる。ドローンを飛ばす為にも電力を使っているせいでな。でもって付属の延長コードに繋いで飛ばしても、そのうち絡まってドローンが地面に落っこちる。空高く飛ばせば巨大な映像を映す事が出来るって機能もあるけど、画質は荒いわ、映像の一部分しか映せないわで使い物になんねえ。おまけに騒ぎになるからって条例で屋外使用が禁止された。今じゃあ新品でも二束三文で投げ売りされてる欠陥品だよ」

 

「なんてこった。あの店員、人の良さそうな顔をして、汚いヤツだなあ……」

 

 マーティが憤慨する横で、ドクは眉間にシワを寄せながら男の耳元に目を向けていた。

 

「アンタやたら流暢にワシらに話しかけておるが、さっきはどうして英語で喋らんかったんだ?もしや耳のソレが関係しておるのか?」

 

「何だよ、爺さんボケてんのか?コレは自動相互翻訳機だろ。海外旅行ならずとも、グローバル社会じゃあ誰もが持ってる必需品じゃないか」

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午後12時52分

 

 

「ご注文は?」

 

「とりあえず生中2つだ」

 

「はい喜んで!」

 

 店員が威勢の良い返事をして厨房へと引っ込んでいく。

 

「まだ飲む気ですか!?」

 

 電車で数駅進んだ所にある居酒屋のカウンター席に2人はいた。

 

 プロデューサーは天井努の、尚も酒を飲もうとする姿勢に思わず突っ込んだ。

 

「折角の酒を全部ぶち撒けてしまった上に、完全に酔いが覚めたからな。飲み直しだ」

 

「流石に身体に悪いような……」

 

「堅いこと言うな。少しは付き合え、さっきの礼に奢ってやるからよ」

 

 そうこうしているうちに2人の元に生ビールとお通しが運ばれてきた。

 

「それじゃあ乾杯だ」

 

「はい、乾杯……」

 

 プロデューサーは遠慮がちにジョッキに口をつけてビールを一口飲んだ。

 

 走り回ったのと梅雨の蒸し暑さのせいもあってか、喉を抜けるビールは普段以上に美味に感じられた。

 

「それで……お前は誰だ?何でまた俺を社長なんて呼んだんだ?」

 

 ビールを半分程飲みほした天井がプロデューサーに問う。

 

「えーっと、あなたがウチの社長に似ていたのでつい。……自分は會川、ハジメという者で、芸能のマネジメントの仕事をしてまして。しゃちょ……天井さんという凄腕のプロデューサーがいるという話を聞いて、お話を是非とも伺いたいと思ったので探していたんです」

 

「俺が凄腕だと?ははは!そんな出鱈目を誰がほざいた。騙されてるよ、お前」

 

 大声をあげて笑いつつ、お通しを口に運んでビールで流し込む天井。

 

「で、お前はどこの事務所の人間なんだ?」

 

「あー……えっと、283プロダクションといいまして」

 

「ツバサプロダクション?聞いたことが無いな」

 

「まあ、ここから遠く離れたところにありますので……」

 

「ということは地方の事務所か?そんなとこの人間がわざわざ東京まで出向いてくるってことは、大方これから来るアイドルブームに乗ろうと考えているんだろうが……フン、やめとけ。ロクなことにならんぞ」 

 

「どうしてそんな事を言うんですか?」

 

「ロクじゃない目にあったからだよ。それと、俺からお前に役立つ話なんぞ出来んさ。俺はもうプロデューサーを、事務所を辞めるんでな。退職願もこの通り準備してある」

 

 そうして懐から取り出した、ヨレかかった封筒を天井はカウンターの上に置いた。

 

「そのロクじゃない目にあったから辞めるって言うんですか?どうして……」

 

「知りたいか?」

 

「ええ」

 

「お前に話す筋合いは無い」

 

「そんな!」

 

「と、言いたいところだが、今更隠すようなもんでもない。それに面白いモノを見せてもらった礼だ、聞かせてやるよ」

 

 そうしてジョッキに僅かに残ったビールを飲みほして、店員にビールのおかわりを告げる。

 

 懐からタバコを取り出して火をつけて一口吸い、軽く紫煙を吐き出してから天井努は喋り出す。

 

「お前も知っているだろう?昨年デビューした、テレビ番組企画から生まれたアイドルユニットを」

 

「オーディション番組として有名なあれですね」

 

「そうだ。ファーストシングルに続きセカンドシングルも大ヒット。今冬発売と噂されるサードシングルにも注目が集まっている。これに向けてメンバーも増員し、破竹の勢いで芸能界を席巻している。新たなアイドルブームの幕開けに乗り遅れまいと、あらゆる芸能事務所が躍起になっている。もちろん俺の所属事務所も例外じゃあない。俺みたいな経験の浅い若造まで借り出してプロデューサーに仕立て上げ、アイドルを量産しだす始末だ」

 

 天井努は再びタバコを口にし、灰を灰皿にトンと落とす。

 

「そんな訳で、俺もつい先日まで一人のアイドルをプロデュースしていたんだ。まあ、それも全て水疱に期したんだが」

 

「何があったんです?」

 

「…………業界の理不尽に晒されたんだ。有り体に言えばイジメ、イビリの類だ」

 

「お待たせしましたー」

 

 と、店員がビールを持ってきてカウンターに置き、入れ替わりに空いたジョッキを回収してゆく。

 

 天井努は新たなジョッキを一瞥した後、プロデューサーの方へと顔を向け直して長々と語り始めた。

 

 

 

 彼がプロデュースを担当したアイドルは17歳の女子高生だった。

 

 性格は天真爛漫という言葉が似合う程に明るく、歌やダンスは荒削りながらも才を感じさせるもので、ビジュアル面も優れたモノを持っていた。

 

 彼女はとある番組にレギュラー出演が決まった際に、メインMCを努めるベテラン女性タレントの楽屋へと挨拶に行った。

 

 しかしながら、その途中で共演者の新人アイドルと廊下でぶつかってしまう。そしてその時、共演者のアイドルは足を軽く捻ってしまった。

 

 実際のところ、非は突然飛び出してきた相手方にあったのだが、相手方のプロデューサーが難癖をつけて天井努のアイドルをその場に留め置き続けた。

 

 そうこうしているうちに収録時間が訪れ、楽屋へと挨拶へ行くことは叶わなかったのだ。

 

 

 

「もしかして、その相手方のプロデューサーってのはさっきの……」

 

「そうだ。深沼敏、あのろくでなしだ」

 

 天井努はすっかり燃え尽きたタバコを灰皿に押し付けて、新たなタバコに火をつけ、続きを語り出す。

 

 

 

 件のベテラン女性タレントは気難しく、些細なことを根に持つタイプだった。

 

 とりわけ自分に敬意を払わない――彼女の基準において――礼儀のなっていない者には厳しかった。

 

 天井努の担当アイドルは収録中は彼女に邪険にされ、無闇にイジられ、収録外では露骨にイビられた。

 

 それはその日だけならず、いつまでも続いていった。

 

 天井努は釈明と抗議を行うべきだと息巻いたが、担当アイドルは「私は平気ですから」と笑っていた。

 

 その姿を前に天井努は二の句を告げることは出来なかった。

 

 だがそれから暫くしてのことだった。

 

 収録前のスタジオにて、天井努担当アイドルの立ち振る舞いが気に食わないと、女性タレントは手にしていた水を彼女へとぶちまけたのであった。

 

 それを見た瞬間、天井努の堪忍袋の尾が切れた。

 

 女性タレントへと食ってかかり、喧々轟々の言い争いへと発展。

 

 担当アイドル、スタッフらが必死に止めにかかるも、その場が完全に治るのに小一時間は要したのであった。

 

 加えて話はそこで終わらなかった。

 

 女性タレントは局の上層部の人間と懇意にしており、天井努の所属事務所の人間全てを出禁にしなければ、今後局の番組には一切出演しないと申し出たのだった。

 

 

 

「そうして実際に下された処分は、俺と担当アイドル、2人の出禁だった」

 

「…………酷い。でも何で処分がそんな風に変わったんです?」

 

「流石にそれはやり過ぎだと嗜めた人間がいたんだ。他でもない、深沼のヤツがな」

 

「えっ!?何で!?」

 

「ヤツの狙いは元々俺と担当アイドルだった。……後から分かった事だが、あいつは件の女性タレントに俺の担当アイドルの根も葉もない出鱈目話を吹き込み続けていたらしい。影でヤツの担当アイドルをイビっているとか、共演者の陰口を叩いているとかな。初日に挨拶の足止めをしたのもその一環だ」

 

「……腐ってやがる」

 

「全くだ」

 

「けど、だからってアイドル生命が終わったわけじゃないだろう!心機一転、違う仕事で頑張れば―――」

 

「その後に俺の担当に言われたんだよ。自分はあの局の年末の歌謡フェスに出るのが昔からの夢だった、ってな」

 

「え?」

 

「自分はその為にアイドルになった。その夢があったから辛い目に会っても耐えられ続けたと。なのに、どうしてあんな事をしたんですか?私の為に怒ってくれなくても良かったのに……とな」

 

「それは…………」

 

「結局、彼女は数日前に引退したよ。俺もすっかり気が冷めた。こんな理不尽な目にあってやってられるわけがないだろう?だから辞めるまでの間の休暇消化がてら、悠々と飲んだくれの日々を送ってるよ」

 

 天井努はジョッキに手し、泡のすっかり消え失せたビールを一息に喉へと流し込む。

 

「ふぅ……お前には縁の無い話しだろうがな」

 

「……そんなことはない。俺もつい最近似たような目に会った。理不尽な目に会って、担当を貶されて、怒って、そして脅されて」

 

「ほう?それでどうなったんだ?」

 

「……上司が助けてくれたんだ。結果として仕事には悪い影響が出た。けれど担当アイドルは俺を肯定してくれた。…………と、すまない。無神経な事を言ってしまった」

 

「俺の事なんざ気にするな。聞いたのはこっちなんだからな。それにしても……ふっ、お前は恵まれてるな。大事にしろよ、その上司とアイドルを」

 

 微笑を浮かべる天井努。

 

 プロデューサーはその表情を目にし、ふと視線を手元へと落とした。

 

「…………」

 

「おい、どうした黙りこくって。気にするなと言っただろ?……仕方ないな景気付けだ!おいビールを追加だ!」

 

 店員を呼ぼうと上げられた天井努の手をプロデューサーが掴み下げた。

 

「お、おい。どうした?」

 

「ひとつ、聞いて良いか?」

 

「ん?」

 

 プロデューサーは真剣な、射抜くような眼差しを天井努へと向けた。

 

 思わず一瞬身をたじろがせる天井努。

 

「何であんたは飲んだくれていたんだ?退職願をまだ持ったまま。……あそこまでの決意をしているんだったら、油売ってないでさっさと事務所に退職願を出せばいいんじゃないか?その方がスッキリするでしょう」

 

「それは……先に存分に飲みたい気分になったんだ。どうせ辞めるんだ、急ぐ理由なんか無い」

 

「先延ばしにする理由も無いんじゃ?」

 

 プロデューサーは再び鋭い視線を天井努に向ける。

 

「…………何が言いたい」

 

「本当は諦めたく無いのでは?アイドルのプロデュースに未練があるんじゃないですか?まだまだやりたい事、やり残した事、晴らしたい無念、あなたは絶対にそういう類の想いを抱えているはずだ」

 

「……………」

 

 2人の間の空気が張りつめる。互いに黙したまま、時間が過ぎてゆく。

 

 そして暫しの後、天井努はスッと席を立ち上がる。

 

「今日はこれでお開きだ。飲む気も失せた」

 

 そう告げて踵を返し店を出ようとした。

 

「待ってくれ!」

 

 プロデューサーが立ち上がる。椅子がガタリと音を立てた。

 

「明日にアイドルフェスがあるのは知ってるだろう?そこに来てくれないか!あなたに会わせたい子がいるんだ!あなたにとって大事な、運命的な出会いになるはずだ!」

 

 プロデューサーが声を大にする。

 

 天井努は黙したままだった。

 

「本当にプロデューサーを、芸能活動を辞める前に、ほんの少しでいいんだ!俺の我儘に付き合ってくれ!」

 

 プロデューサーは彼の前に回って、咲耶から受け取っていたフェスチケットの1枚を手に押し付けた。

 

「……いらん!」

 

「そんなこと言わずに!」

 

 プロデューサーが声を荒げた。

 

「こんな物は必要ない。……俺は業界の人間だ。こんな物無くとも会場には入れる」

 

「それじゃあ!」

 

「さっきの礼がビール一杯じゃあ釣り合わないだろう。行ってやるよ。期待なんぞ全くしていないし、退職を撤回する気も無い。……ただの気紛れだ」

 

「それでも構いません!どうもありがとうございます!」

 

「フン……それじゃあな」

 

 そうして万札を叩きつけるようにカウンターに置いて、天井努は店を出て行った。

 

 プロデューサーはホッと胸を撫で下ろしつつ「よしッ!」と小さく片手でガッツポーズをしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月3日 午後12時25分

 

 

「やあ、藍音さん」

 

「……サクラさん」

 

 藍音の学校に張っていた咲耶は、校門をくぐってきた彼女へと声をかけた。

 

「あのあと姿が見えなくて心配したよ。無事だったようで何よりだ」

 

「おかげさまで……昨日はお礼も言わずに立ち去ってしまい申し訳ありませんでした。助かりました。それでは失礼します」

 

 バツの悪そうな藍音は、慇懃無礼にそう告げて頭を下げ、そそくさと立ち去ろうとする。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!少しだけでいい、私に時間をくれないか?」

 

「しつこいですね。昨日のお誘いの続きでしたら結構です」

 

「それについては、まあ置いておいて。個人的にあなたとお話がしたいんだ。帰宅する前に少しだけ、そこの公園でこれを飲みながらさ」

 

 咲耶は手にしたビニール袋を掲げる。その中にはペットボトルの麦茶が2本入っていた。

 

「……はぁ。分かりました。昨日の借りがありますし、それを返す程度でしたら」

 

「ありがとう。助かるよ」

 

 微笑んだ咲耶は、藍音と並んで歩み出した。

 

 

 

 セミの声が響き、眩い日差しが降り注ぐ。

 

 天気予報が告げた通り、この日は梅雨の晴れ間が訪れていた。

 

 公園では子供達のはしゃぐ声が所々から聞こえて来る。

 

 ベンチに腰をかけた咲耶は藍音へとペットボトルを渡し、自らのそれの栓を開けて口をつける。

 

 清涼感と麦の香ばしさが喉と鼻腔を駆け抜けた。

 

 やや時間を置いて咲耶が口を開いた。

 

「アナタはアイドルを毛嫌いしているように見えるのだけれど、それは何故なんだい?」

 

「下らないと思うからです」

 

「何故そう思うんだい?」

 

「下らないものは下らない。それ以上でも以下でもありません」

 

「はは……これは手厳しいな」

 

 咲耶が苦笑を漏らす。

 

 2人の間に沈黙が訪れる。

 

 暫しの時が過ぎ、今度は藍音の方が口を開いた。

 

「あなたはどうして私に付き纏うんですか?お兄さんの使いとはいえ、そこまで必死に食い下がる必要があるんですか?」

 

「そうだね……個人的な事情も色々とあるのだけれど……どうしてあなたがアイドルという言葉にムキになるのか気になったのがひとつ。あとは、そんなあなたにアイドルの魅力を少しでも知ってもらいたい。そう思ったんだ」

 

 それは咲耶の嘘偽り無い本音だった。

 

「アイドルの何がいいんですか?テレビやラジオで愛想を振りまいて、いつもニヤついて、騒がしくて、そんな人達ですよね?見ると不愉快になります。……おまけに昨日みたいな変な人とかが関わっているんですよね?最悪と言う他ないと思うんですけれど」

 

 一部の遠慮も無しに藍音は捲し立てる。

 

 対して咲耶は「うーん」と腕を組み、軽く首を唸った。

 

「実は私の兄はね、業界の関係者なんだ。仕事柄アイドルとも関わりが深い」

 

 その一言に藍音は眉をひそめる。

 

 しかしながら、構うことなく咲耶は話を続ける。

 

「時には理不尽な目にもあう。思い通りにいかないことも、望まない仕事に関わる時だってある。辛い思いをしてなお、競争に負け、夢破れて失意のままに去る者も多い」

 

 咲耶は軽く息を吐く。

 

 藍音は黙したまま、ジッとして咲耶の話を聞いていた。

 

「けど、ファンが自分を待っている。自分に憧れる、好いてくれる人々に夢を見せられる。彼らを笑顔にすることが出来る。勇気づけることが出来る。そして仲間と共に輝くステージを作り上げるのは、何とも変え難く楽しく豊かな気持ちになれるんだ」

 

「…………」

 

「そして変われるんだ。素晴らしい出会いを通じて、様々な経験をして、変われるんだ。新しい自分になれるんだよ。そんな可能性に満ち溢れているんだ、アイドルというものは。…………と、兄と関わりの深いアイドルから聞いたんだけれど」

 

 咲耶の語りを聞いていた藍音は、やがて俯き、暫くそのままの姿勢でいた。

 

 咲耶は何を言うこともなく、ただその姿を見つめていた。

 

「分かりました」

 

 ややあって、藍音がそう告げて顔を上げる。

 

「あなたのしつこさに免じて、明日のイベントに付き合いますよ」

 

「本当かい!?ありがとう!」

 

「けどアイドルに魅力なんて感じてませんし、興味だってありません。ただ、貸し借りをこの程度のお喋りで済ますのと、あなたとお兄さんのお詫びに付き会わないのは、礼に欠けると感じた、ただそれだけですので」

 

「それでも構わない!嬉しいよ!ありがとう!」

 

 満面の笑みを浮かべる咲耶。

 

 対して藍音は仏頂面のまま、手にした麦茶をグイと飲みほしたのだった。

 

 

 

 そうして咲耶と藍音は明日の集合時間等についての約束を済ませた。

 

 咲耶からイベントのチケットをもらって藍音は帰路へとついた。

 

 ホッと胸を撫で下ろした咲耶はプロデューサーへと連絡をすべく、公衆電話を探しに公園を後にする。

 

 と、その時。

 

「そこのマドモワゼル?」

 

「え?……私のことかい?」

 

「ウィ。アイドルになるつもりは無いかな?君にはスターの素質がある」

 

 黒いスーツを身に纏い、サングラスをかけた1人の中年男性が声をかけてきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 2030年7月18日 午後5時11分

 

 

「よし!これでカスタマイズ完了だ!」

 

 デロリアンの機械類の最終点検を終えたドクが車内から出てきた。

 

「タイムトラベルの試運転も成功、走行にも問題無し、これで安心して1999年に行けるぞ」

 

「最後の買い出しもバッチリ済ませた、あとは荷物をまとめれば良いだけだね」

 

「うむ。では早速出発の準備といこう」

 

 マーティは荷物をボンネットのトランクや、新たに設置された後部座席へと積み込んでいく。

 

 一方のドクはゴミ類などをミスターフュージョンへと突っ込み、タイムトラベル用の電力補充を行なう。

 

「ユーイチとサクヤは上手くやれてるかな?」

 

「どうだろうな。準備不足でかなり困難な作戦となってしまったからな。不安要素は山の様にある。こればかりは祈る他あるまい」

 

「もしも2人の元の時代の記憶が完全に消えちゃったらどうなるんだろう……」

 

「そうだな……消えてしまった記憶が変わってしまった歴史の記憶に上書きされるか、はたまた全ての記憶を失い廃人のようになってしまうか、あくまで推察にすぎんが、彼らにとっても我々にとってもロクな事にならんのだけは確かだな」

 

「ヘヴィだね」

 

「まったくだ。だからこその下準備だ。いざという時はワシらだけでなんとか出来るようにな。まあ、悲観ばかりしてても仕方あるまい。どうにかなるさ、と思って行動するとしよう」

 

「為せばなる。ってやつだね」

 

「ああ、その通りだ!」

 

 そうこうしているうちに準備作業は完了した。

 

 2人は意気揚々とデロリアンへと乗り込んだ。

 

「ガソリンは満タン、タイヤの空気もパンパン、タイムサーキットの時間設定も万端だ!」

 

「荷物もスマホも予備の部品や工具も積み込んだ。充電も問題無し!」

 

「計器類に異常無し、タイムトラベル用の電力も…………んん?」

 

 運転席前の計器類に目を向けていたドクが眉間に皺を寄せて首を傾げる。

 

「どうしたのドク?」

 

「ちょっと待て」

 

 ドクはデロリアンを降りて車体後部に回ると、ミスターフュージョンの蓋を開けた。

 

 マーティも後に続いてドクの様子を覗き込む。

 

「そんな馬鹿な!」

 

 ドクはミスターフュージョンの内部を手で掻き回し、再度蓋を閉じる。そして数十秒待って再び蓋を開けた。

 

「…………何ということだ」

 

「え……一体どうしたのさドク」

 

 マーティが半ば恐る恐る声をかけると、ドクがミスターフュージョンの中から手を引き抜いた。

 

 その中には先程投入したゴミ類が何ひとつ変化のない状態で握られていた。

 

「ミスターフュージョンが故障したようだ」

 

「そんな!」

 

 

 

 数十分後、ガレージの床には分解されたミスターフュージョンの部品が並べられていた。

 

 そのうちの1つをドクが摘み上げる。

 

「核融合に必要な原子分解装置のコアが焼きついておる。調べたところ、この2030年においても核融合炉は完成しておらん。従って、修復は……不可能だ」

 

「もしかして無理にデロリアンを改造したから壊れちゃったの!?」

 

「いやいや!改造は完璧だ!接続、連動に問題はない!現にテスト運用は完全に成功したのだからな!……中古品を酷使し過ぎたのがここで仇になるとは……クソッ!」

 

 ドクが手にした部品を床に放り投げる。

 

 乾いた音を立てて弾んだ小さな部品が転がってゆく。

 

「予備バッテリーに電力は蓄えてある。デロリアンはあと1回だけタイムトラベルが可能ではあるが……」

 

「けどたった1回分のエネルギーが残っててもしょうがないだろ!1999年に行けてもそこからタイムトラベル出来なきゃ意味無いよ!ユーイチ達のサポートどころの話じゃないって!」

 

「そんな事はわかっとる!何か方法を、この状況を打開する方法を考えなければ!」

 

 ドクは頭を抱えて「うーん」と唸りながらガレージ内を右往左往する。

 

 マーティもまた頭を抱えてその場に蹲っていた。

 

 ドクがガレージ内を見渡し首を振る。

 

 デロリアンの車体を眺め、車内に目を向けて、トランクを開いて、額に手を当ててブツブツと呟きを漏らす。

 

 そして何気なくポケットに手を突っ込んだ瞬間、ドクの脳裏に衝撃が走った。

 

「そうだ!この手があった!」

 

「何か思いついたのドク!?」

 

「ああ!これなら問題を解決できるはずだ!」

 

 ドクは両手を大きく開いて天井を仰ぎ、傍らにあるデロリアンのボディを手のひらでバンと叩いた。

 

「至急デロリアンに新たなカスタマイズを施す!ワシは必要な部品を調達してくるから、マーティは直ちに作戦に必要なものを集めてくれ!」

 

「集めるって何をさ?」

 

 ドクはポケットからスマホを、車内からプロデューサーに借りていたタブレットを取り出して、ニヤリと口元を歪めて告げた。

 

「情報をだよ」

 

 

あなたはこの作品のクロスオーバー元の原作バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)とアイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニ)についてご存知ですか?

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