P「バック・トゥ・ザ・フューチャー」咲耶「Part.283」   作:はちコウP

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第五話

 7月3日から7月4日へと日付が変わる頃より降り始めた雨は次第に激しさを増し、夜明けの時刻には東京の至る所で激しい雷雨となった。

 

 だがそれも時が経つにつれて勢力は弱まり、正午には黒雲の隙間から晴れ間が覗くようになっていた。

 

 一時は中止も検討されていたアイドルフェスティバルは、予定通り開催される運びとなった。

 

 イベント会場周辺の道路や最寄り駅へと向かう電車は、会場である海浜公園とへ向かうファンで徐々に混みだしていった。

 

 そして会場内及び周辺ではスタッフ達が慌ただしく動き回り、悪天候の影響によって設備や装飾等に異常が表れて無いかの確認作業を行っている。

 

 イベント会場はパフォーマンスの行われるライブ会場に加え、物販スペース、展示物の閲覧スペース、飲食休憩スペースなどが設置されており、推しのアイドルが出演しない時間はそういったスペースで時間を過ごす者は数多くいた。その為ライブ会場は退場及び再入場が何度も可能となっていた。

 

 そんなライブの行われるステージ上や舞台裏、簡易的に建てられた控室、リハーサル用の大部屋などでは、無名の新人からファン以外にも名の知れる程に売れ始めた者、多くの国民に知られた者らなど様々なアイドル達がイベントに向けての最終調整に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後3時00分

 

 

 イベント会場の入場ゲートから数百メートル程離れた所に3人の男女が立っていた。

 

 時刻はイベントの開始時刻ちょうど。

 

 既に周囲を行き交う人々の影はまばらで、遅れてやってきて慌てながら会場へと駆け込んでゆく人々がちらほらと見られる程度。

 

 彼らの後方の会場からは、イベント開始を告げるアナウンスと音楽、ファンの歓声が響いてきていた。

 

 

 

「入らないんですか?こんな所で無駄に時間を過ごすくらいなら帰りますよ」

 

「もう少し待っててくれ、どうしても合流しなきゃならない人がいるんだ。頼むよ」

 

 微かな苛立ちを顔に浮かべた藍音を、プロデューサーが努めて穏やかな口調でなだめる。

 

 だが彼の隠し切れない焦燥感は、声色から仕草にまで僅かながらに現れていた。

 

 藍音はそんなプロデューサーの姿を見て軽く溜息を吐くと、手にした英単語帳に目を落とし始めた。

 

「プロデューサー」

 

 と、咲耶の手招きを受けて、プロデューサーは彼女の方へ身を寄せる。

 

 ひそひそと咲耶が耳元に囁きかけてきた。

 

「社長は本当に来るのかな?もしかしたら、気が変わってしまったということもあるんじゃ……」

 

「いや、それは大丈夫だと思う。あの雰囲気は嘘を言っているような感じじゃなかった。俺は社長を信じるよ」

 

「プロデューサー……そうだね。天井社長は約束を軽々しく反故にするような人じゃない。あなたの言う通り、私も信じて待つよ」

 

 2人は顔を見合わせて軽く頷き合った。

 

「とはいえ、詳細な待ち合わせ場所も時間も決めてられて無かったからな。もしかしたら他の場所にいるのかもしれない。ちょっと周りを見てくるよ」

 

「わかった。いってらっしゃい、プロ……兄さん」

 

「おう」

 

 軽く右手を上げたプロデューサーは小走りにその場を離れてゆく。

 

「どうかしたんですか、お兄さんは?」

 

「待ち合わせている人を探しに行ったんだ。すぐ戻ってくると思う」

 

「……そうですか」

 

 単語帳から目を離すことなく藍音が素っ気なく口にした。

 

「随分と勉強熱心なのだね」

 

「受験生ですから、当たり前です」

 

「そうか。藍音さんは3年生なのだものね」

 

「…………あなたは受験はしないんですか?」

 

「私は進学の予定は無いな。どちらかと言うと、就職……かな?」

 

「そうですか」

 

「藍音さんはどこの大学を受けるんだい?」

 

 咲耶の質問を受けて、藍音は淡々と大学名を幾つか述べてゆく。それは日本において知らぬ者はまずいないであろう有名私立大学の類だった。

 

「驚いた。あなたの通う高校が進学校だと知ってはいたが、まさかそこまでのハイレベルな目標を抱いていたなんてね」

 

「……だから下らない事に時間は割きたくないんです。模試だって控えてますので」

 

「ははは、すまないね。けど……そんな大事な時期に私達のワガママに付き合ってくれて本当にありがとう」

 

「……はい」

 

 藍音は一瞬だけ咲耶の方へと視線を向けて、再び単語帳に目を落とす。

 

 そして二人の間には沈黙が訪れ、咲耶は苦笑しつつ肩をすくめたのだった。

 

 と、その時。

 

「おう。待たせたな」

 

 背後から聞こえてきた声に咲耶は振り返る。

 

「プロデューサー?社長は見つか……って、あなたは!」

 

 ただならぬ様子の咲耶の声。何事かと藍音も顔を向ける。

 

「っ!?」

 

 声の主の姿を目にした藍音は顔を引きつらせた。

 

「アイドルに興味は無いなんて言っといて、こんな所で会うなんてな。やっぱり脈はあったんじゃないか。こいつは運命を感じちゃうねえ」

 

「深沼……敏!」

 

 そこに立っていたのは、真新しい紫色のスーツを着た深沼敏であった。

 

 彼の周囲には数人の取り巻きの男達がニヤニヤとしながら立っていた。

 

「っと、こないだのデカ女まで一緒かよ」

 

 深沼が露骨に不快そうな顔をする。

 

「悪いけれどあなた方に付き合っているヒマは無いんだ。失礼させてもらうよ」

 

 毅然と言い放った咲耶は、藍音の手を引いてサッと立ち去ろうとする。

 

「おっと、そうはいかねえぞ」

 

 しかし、取り巻きの男達がすかさず動いて2人の退路を塞ぐ。

 

「っ!……どけっ!」

 

 咲耶が声を荒げ突破しようとするも、男らはニヤついた笑みを崩さずに立ちはだかり続ける。

 

「別にオメェには用はねぇよ。こないだ俺をコケにしてくれた借りを返して貰いたいところだが、俺は心が広いからな。そっちの姉ちゃんを置いてってくれれば見逃してやるよ。とっとと失せな」

 

 深沼敏が咲耶の元へとゆったりとした歩調で近付いてくる。

 

「そんな提案を受け入れる気は無い。退いてくれ」

 

 

 咲耶は深沼の目を鋭く見据え、その甘言を跳ね除ける。

 

「じゃあ身体に分からせるしかねぇな」

 

 深沼が手をサッと軽く上げると、男達が徐々に2人へと詰め寄ってきた。

 

 咲耶が繋いだ手からは藍音の震えが伝わってくる。

 

 咲耶自信も恐怖心を抱いていたが、勇気と気力を振り絞り、体に力を込めてそれを抑え込んでいた。

 

 チラリと周囲を見渡すが、近くに人影は見当たらず、この場から離れた入場ゲートのスタッフも明後日の方を向いており、こちらの様子に気が付く気配は無い。

 

 声を上げようにも会場からの爆音が辺りには響いており、遠くまで届かないのは目に見えていた。

 

 咲耶はギリと歯噛みをする。

 

「何してるお前達!」

 

 その時、見回りから戻ってきたプロデューサーが声を上げて駆け込んできた。

 

 プロデューサーは咲耶と藍音を取り囲む男らへ向け突進してゆく。

 

「っ!?」

 

 だが次の瞬間、彼の目の前に黒く大きな影が立ちはだかった。

 

 プロデューサーが何事かと逡巡したその一瞬の後、彼の身体は宙を舞っていた。そして背中から激しくアスファルトへと叩きつけられる。

 

「ガハッ!」

 

 背面に走る衝撃、肺から抜ける空気。プロデューサーは顔を歪め苦悶する。

 

「プロデューサー!」

 

 咲耶の悲鳴にも似た声が響く。

 

「おおっと、流石だね針生(はりう)さん。見事な空気投げだ……ってコイツは!」

 

 倒れたプロデューサーの顔を覗き込んだ深沼が怒りの表情を浮かべる。

 

「昨日天井と一緒にいた野郎じゃねえか!くっそ!お前のせいでスーツとハーレーが台無しになったんだぞ!このッ!」

 

 深沼が倒れたプロデューサーへと蹴りを入れる。プロデューサーは「ガハッ!」と呻き声を上げて身体をくの字に曲げた。

 

 咲耶が声を上げて彼の方へと駆け寄ろうとするが、周囲の男達に腕や肩を掴まれ押し留められる。

 

 男達は咲耶の悲痛な表情を見て、口元をいやらしく歪めた。

 

「それで、コイツはどうする?殺るのか?」

 

 針生と呼ばれた男が地の底から響くような、低く威圧感のある声を出す。

 

 地面に仰向けになったプロデューサーは、痛みに耐えながらゆっくりと目を開いていく。

 

 目に映った黒スーツの男、その顔には見覚えがあった。

 

(コイツは……ホームセンターの駐車場で俺と咲耶を襲った男じゃないか。……あの時に比べると随分若いが……そうか、やっぱりアレは)

 

 プロデューサーは何とか起き上がろうとするが、受けたダメージは思いの外大きく、体がなかなか言うことをきいてはくれない。

 

「そうだな……車でアソコまで連れてけ。用事を済ませた後でたっぷりといたぶってやる。そっちのデカ女も一緒に連れてけ!……とはいえそいつは俺の趣味じゃねえからな、女はテメエらが好きにしな!」

 

「マジすか!?」

 

「ハッハーッ!こいつは役得だぜ!」

 

 取り巻きの男達が歓喜の声を上げる。

 

「や、やめろ……」

 

 プロデューサーが何とかして起き上がろうとするが、そこへ黒スーツの男の拳が振り下ろされた。頭を殴られた彼は意識を失い、ぐったりと倒れ伏してしまう。

 

 咲耶も身をよじらせて必死の抵抗を試みるが、男らに羽交い締めにされ、口には猿ぐつわを噛まされて、つばの広い帽子を目深に被らされた。

 

 男らは咲耶を両脇から肩を貸すような姿勢で運んでいく。

 

 その姿は遠目から見れば、急病人に付き添っているようにも見えた。

 

 プロデューサーもまた、針生と呼ばれた男に肩を抱えられるようにして、その場から連れて行かれたのだった。

 

 

 

 目の前で起きた荒事。それに対し藍音は理解が追いつかなかった。

 

 恐怖から声を上げることもできず、ただサクラとその兄が連れ去られていくのを呆然と見ている事しか出来なかった。

 

「これで邪魔者はいなくなった。さて、これから会場へと繰り出すとするか。アイドルになるためのお勉強だ。それとも、早速事務所に行って契約を交わすかい?」

 

 下卑た笑いを浮かべる深沼に視線を向けられて、蛇に睨まれた蛙のように藍音は脚を竦ませ動けなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 イベント会場の駐車場へと1台のロケバスが滑り込むように入り込んできた。

 

 ロケバスはスペースの空いていた、青いスポーツカーの隣へと停車する。

 

 車の中からは20代前半と思わしき5人の女性と、ラフにスーツを着こなした、女性らとは一回り以上は歳上であろう薄茶色の髪の男性が降りてきた。

 

「しまったな。こんな大事な日に渋滞に巻き込まれるとは、ツイてないにも程がある」

 

黒霧(くろむ)さん、リハに間に合わなかったのは残念だけど私らなら平気よ。今日の為にトレーニングは十分に積んできたんだから。ね、みんな?」

 

 リーダー格の長い髪の女性が振り返ってメンバーに問いかける。

 

 他の女性らは「もちろんよ」と主張し、力強く頷いてみせた。

 

「本当に君らは強いなぁ。それでこそ大トリを務める、俺のプロデュースするトップアーティストだ」

 

 フッと笑みを浮かべた男が踵を返し歩き出す。それに続いて一同は会場へと向かってゆく。

 

 そして駐車場を出て会場へと続く歩道へと差し掛かった瞬間

 

「邪魔だ!どけっ!」

 

 厳つい男達が彼ら目掛けて突っ込んできた。

 

「っ!?」

 

 アーティスト集団は慌てて身を翻す。

 

「キャッ!」

 

 しかしながら後方を進んでいた1人の長身の女性だけは、避け切ることが出来ずに男達と衝突。

 

 突き飛ばされてアスファルト上に身を転げてしまった。

 

「おい!いきなり何なんだ!」

 

「こっちは急病人抱えてんだよ!急いでんだ!」

 

 謝りもせずに去りゆく男達へ向け、黒霧と呼ばれた男は舌打ちをすると「おい、大丈夫か!?」と倒れた女性に声をかけ、他のメンバーらと共に介抱し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 駐車場の最奥に停めてある1台のワゴン車。

 

 男達はそれに乗り込み、最後部の座席へとプロデューサーと咲耶を放るように押し込んだ。

 

「んーんんーんー!」

 

「大人しくしてろ嬢ちゃん。騒ぐと隣の男の寿命があっさりと終わる事になるぜ」

 

 男の脅し文句に咲耶は口を噤む。

 

 しかしながら鋭い視線を向けて、言葉を告げた男を睨みつける。

 

「おーおーおっかねえ。けどその目つき堪んねえな。逆に唆られるぜ」

 

「おいおい、あんまりビビらせんじゃねえぞ。手を出す前に手痛い反撃喰らっちゃたまらん」

 

「へいへい」

 

 深沼の取り巻きの男達が軽口を叩く一方で、助手席に座った針生は腕組みをして微動だにせず仏頂面で前を見据えていた。

 

「んじゃ出しますぜ」

 

「ああ……」

 

 運転席に座った男が乱暴に車を発進させる。ガクンと車体が一瞬激しく揺れ、乗っている者達の頭も同様に前後へと揺れる。

 

「おい……雑すぎるぞ」

 

「す、すいません」

 

 針生にギロリと睨まれた運転席の男は、身体を震わせて首を竦めた。

 

 そしてややスピードを落とした車が、駐車場の出口まであと僅かといった所まで迫る。

 

 その時、ワゴン車の正面に突如として激しい閃光が走った。

 

「ぐわあっ!な、何だ!」

 

「前が!眩しっ!目が見えねぇ!」

 

 閃光と共にワゴン車を三度の衝撃が襲い、車内の男達は視界を奪われる。

 

 そうして完全にコントロールを失ったワゴン車は、激しく蛇行し進路を大きく変え、駐車場内の植え込みに備え付けられていた街灯へと正面衝突した。

 

 

 

「…………っ!」

 

 車が衝突をしてから真っ先に気を取り直したのは助手席の針生(はりう)だった。

 

 ぶつけた額、むち打ち気味の痛む首筋を手で擦りつつ車内を見渡すと、全身を強打して苦悶の声を上げて丸まっている、または気を失っている深沼の部下の様子が目に映った。

 

 最後部に押し込んだ男女の姿は見えないが、声も動くような音も聞こえない事から気を失っているのだろうと針生は判断した。

 

 嘆息しつつワゴンを降りて、外へから車の様子を見る。

 

 ワゴンの正面ど真ん中にぶつかった街灯のおかげで、フロントは湾曲するように凹んで、ガラスにはヒビが入っている。

 

 しかしながら煙やオイル、ガソリンの漏れるような臭いはしない。見た目ほどに深刻な事態にはなっていないようだった。

 

 針生は車から駐車場内へと顔を向け、周囲を一瞥。すると1台の特徴的な車が目に入った。

 

 シルバーの外装を鈍く輝かせるその車は、車体の周りに水蒸気をもうもうと漂わせている。

 

「この車のせいか?……ふざけたマネを」

 

 針生は軽く舌打ちをし、ポケットに片手を突っ込みながら気だるげに歩き出した。

 

 取り敢えず車の持ち主を引き摺り出す。相手が混乱しているうちに一発顔面を殴り、次は胴体にもう一発。頭を引っ掴んで目を合わせて恫喝。これでペースを取ってしまえばこっちのもの。金なり何なりを要求して落とし前をつけさせる。

 

 そのように思案しながら針生は車のドアの側へと近づいた。

 

 と、その時

 

「んガッ!?」

 

 顔を近づけて窓から中を覗きこもうとしていたところ、車のドアが上へと開いて針生の顎を直撃。

 

 打ち所が悪かったのか、針生は脳を揺さぶられ平衡感覚を失い、グラリと背中からアスファルト上に倒れ込み、後頭部を強かに打ち付けて気を失ってしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 ドアを開ける時に感じた妙な衝撃にドクは眉を潜める。

 

 デロリアンから降りてみれば1人の男が地面に寝そべっている姿が見えた。

 

「ドク、どうかした?」

 

 助手席から降りてきたマーティが隣へとやってくる。

 

「どうやらドアを開けた時にぶつかってしまったようだ。悪い事をしてしまったな」

 

「うわ、こりゃ酷いな。おーい、大丈夫ですか?」

 

 マーティが倒れた男を覗き込むようにして声をかけていると

 

「んーんんーっ!!」

 

 少し離れた場所から、何やら唸るような声が聞こえてきた。

 

 何事かとドクとマーティが目を向けると、その先には車体のひしゃげたワゴン車の中から、よろめきながら出てくる咲耶の姿があった。口には布のような物を噛まされている。

 

「サクヤ!」

 

 マーティとドクが慌てて駆け寄っていく。

 

 咲耶は口の布を外して2人へと呼びかけてようとするが、その瞬間、肩をグイと掴まれた。

 

「逃げようったってそうはいかねぇぞ」

 

 苦痛に顔を歪めた手下の1人が、すかさず咲耶の首に手を回した。

 

「くっ!」

 

「そこの2人!近づくんじゃねえ!ストップ!ストップだ!」

 

 男の怒声が飛び、それを耳にしたマーティとドクは足を止める。

 

「そうだそうだ。あとはそのまま――」

 

 男がジェスチャーを交えながらワゴンの方へと後ずさっていくと、突然鈍い音がした。男が口にした言葉はそこで途切れたのだった。

 

 男はフラりと顔面から地面へと倒れ伏す。

 

「後ろがお留守なんだよ。……痛てて」

 

 咲耶が振り向くと、そこには拳に息を吹きかけながら手首を振っているプロデューサーの姿があった。

 

「プロデューサー!」

 

「大丈夫か咲耶?」

 

「ああ!あなたの方こそ大丈夫かい?どこか打ったりとか、さっき負わされた怪我とかは……」

 

「何とか大丈夫だ。多分打ち所が良かったんだな。まだちょっと痛むけど大事は無さそうだ」

 

 口元を軽く歪めたプロデューサーの顔を見て、咲耶は安堵の溜息を吐いた。

 

「ユーイチ!サクヤ!」

 

 大声を上げてマーティとドクがワゴンへと駆け寄ってきた。

 

「一体何があったんだ!」

 

「ブラウン博士!実は―――」

 

 と、プロデューサーは今しがた起こった出来事の一部始終をドクとマーティに説明した。

 

 そして男達が気を失っているうちに、ワゴン車の中に置いてあったロープで彼らを縛り上げることとした。

 

 途中で黒スーツの男が目を覚ましかけるというハプニングがあったのだが、プロデューサーとマーティが男の顔面に拳を叩き込んで事なきを得たのであった。

 

 縛り上げた男達を駐車場から少し離れた茂みへと突っ込んで、一同は再び駐車場へと戻っていく。

 

「改めて、ありがとう。マーティ、博士。おかげで私もプロデューサーも助かったよ」

 

「ナイスタイミングだったようだな。ともあれ2人とも無事で何よりだ」

 

「けど、のんびりしちゃいられません!藍音さんを深沼のヤツから助けないと!咲耶、博士、マーティ、早く会場の方へ!」

 

「到着早々、次から次へと。ヘヴィだな全く!」

 

 一同はプロデューサーを先頭にして、イベント会場に向けて全力で駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

「や、やめて下さい!」

 

「お前も強情なヤツだな。大人しく俺の言うことを聞けばいいんだよ。アイドルになれば薔薇色の未来が待ってるんだからよ!」

 

「興味ありません!」

 

 プロデューサーと咲耶が連れ去られ、その場に深沼と2人きりとなってしまった藍音は、必死にその魔の手から逃れようとしていた。

 

 だが、深沼はそんな彼女を逃すまいとしつこく食い下がり続ける。

 

「それに!あの2人をどうするつもりなんですか!」

 

「そんなにあの2人が気になるのか?よっぽど大切なお友達らしいな?」

 

「別に友達ではありません!つい数日前に初めて会ったばかりで」

 

「は?なら全然気にする必要ないだろう。別に赤の他人がどうなろうが構いやしないだろうが」

 

「そ、そんな事は……」

 

 戸惑ったような表情を浮かべた顔を俯かせ、消沈する藍音。

 

 その姿を目にした深沼は、ニヤリと口元を歪める。そして一瞬のうちに表情を切り替え、心底気だるそうに口を開く。

 

「はぁ…………何だか急に冷めちまった。ここまで言っても逆らうなんて、よく考えたらとんでもなく面倒くさい女だな。もういい、どこにでも行っちまえ」

 

「えっ?」

 

 一転した深沼の態度に藍音は目を瞬かせる。

 

「何だよ。嫌なんだろ?俺の言う事を聞くのが。ならさっさと行っちまえ。俺はこれからあの2人を痛めつける仕事をしなきゃならないからな。これ以上お前なんかに構ってられないんだよ」

 

「そ、そんな!……あの2人は関係ないんじゃ」

 

「ああ、お前には関係ないだろうさ。だが俺とアイツらに関しちゃそうじゃねえ。でっかい貸しがあるから返してもらう。それだけだよ」

 

「だからって……そんな……」

 

 藍音は躊躇した。

 

 このまま去ってしまえば間違いなく自分は助かる。

 

 しかしあの2人、會川サクラとその兄は無事では済まない。事と次第によっては最悪の事態になる可能性も……藍音は歯噛みした。

 

「警察に言いますよ」

 

「好きにすりゃいい。俺にとっちゃ痛くも痒くもない」

 

「っ……!」

 

 顔色一つ変えずに平然と言い放つ深沼。

 

 実のところ彼の発言は完全にハッタリであったのだが、藍音にはそれを見抜く余裕も力量も足りなかった。

 

(どうしてこんな目に合うの?私が悪いの?あの子にあんな事を言ったから……これはその罰なの?)

 

 自問自答する藍音の脳裏に、サクラの顔がふと思い浮かぶ。

 

 目の前の男に一昨日絡まれた時には彼女が助けてくれた。

 

 その前日に、たった一度だけ会った自分のために立ち向かってくれた。

 

 なのに自分は……何も告げずに逃げて……そして今も…………

 

「私が……私があなたの言う事を聞けば、あの人達を助けてくれるんですか?」

 

 藍音は声を震わせながら、恐る恐る口にした。

 

「ん?……そうだなぁ、折角だしなぁ……まあ、考えてやるのも悪くない」

 

 目を細めていやらしい笑みを浮かべる深沼。

 

 その表情に嫌悪感を抱いた藍音だったが、最早逃げるわけにはいかなかった。

 

 わかりました。あなたの言う通りにします。

 

 そう告げようとした時だった。

 

「こんな所で何をしてるんだ、深沼」

 

 声が聞こえた。粗野な言い回しながらも、どこかしら優しさと温かみを感じさせるような、そんな声が。

 

 藍音が顔を振り向かせると、そこにはヨレヨレのスーツを着た青年が立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「こんな所で何をしてるんだ、深沼」

 

 天井努は怯えた様子の少女に絡んでいる、顔見知りのロクデナシに対し、呆れ気味に声をかけた。

 

「天井!?……フッ、何ってスカウトだよ。見りゃあ分かるだろ」

 

「ただのチンピラが言いがかりをつけて脅しているようにしか見えんが?」

 

「何だと?」

 

 深沼は眉をひそめ、こめかみに青筋を立てる。

 

「ああ、そういえばテメェには貸しがあったなあ」

 

 ポケットに手を突っ込み、睨みながら歩み寄ってくる深沼。

 

 天井努は軽蔑の眼差しを向けていた。

 

「貸しだと?」

 

「テレビ局での不始末に加えて、昨日テメェがゲロったせいでダメになった下ろし立てのスーツの分だ。きっちり落とし前はつけてもらうぜ」

 

 社長の真正面に立ち、その顔を見上げる深沼。

 

「落とし前?金でも払えばいいのか?しかし、今は残念ながら持ち合わせが無くてな」

 

「金なんていらねえよ」

 

「なら―――」

 

 その瞬間、天井努の身体に衝撃が走った。

 

 ビクリと彼の身体は痙攣し、膝からくず折れて地面へと倒れ伏す。

 

「キャアッ!」

 

 藍音の悲鳴が響く。

 

「…………うっ……くっ…………な……何を……した…………」

 

 倒れたままの天井が、やっとの思いで首を動かし視線を上げると、深沼の手に小型のスタンガンが握られているのが目に入った。

 

「グハハハ!いい格好だなあ、アマちゃん天井君よぉ。これからテメェをたっぷりといたぶってやる!コレで全部チャラにしてやるからよ!感謝するんだなあ!但し!俺が満足するまで付き合ってもらう……ぜっ!」

 

 言葉と共に繰り出された深沼の爪先が、天井の脇腹にめり込んだ。

 

「がっ、はっ……!」

 

「どうした!昨日みたいにゲロってみせろ!無様に吐き散らかして、自分のゲロの海でのたうち回れよ!」

 

 またも振るわれた深沼の足に、再び腹を蹴り上げられる天井努。

 

 肺の空気が押し出され、彼の意識は遠くなる。息を吸おうと体が懸命に動こうとするが、蹴られた痛みが響き、上手く呼吸が行われない。天井は口の端から唾液を垂らしながら、激しく咳き込んでしまう。

 

「や、やめて!」

 

 その時、藍音が深沼に飛びかかった。

 

 深沼の腰に手を回して縋り付くようにして懇願する。

 

「その人は関係ないでしょ!私が言う事を聞くから!もうやめて!」

 

「うるせえ!」

 

 深沼は腰を振って藍音を振り払おうとする。体を捻り、藍音の頬に平手打ちを放ち、その身体を突き飛ばした。

 

「キャアッ!」

 

 地面に転げる藍音。その服と肌が湿り気を帯びたコンクリートの地面に触れて汚される。

 

「この事はお前には関係ないんだよ!引っ込んでろ!」

 

 そうして深沼は天井努の背を右足で踏みつけて、彼の右腕を捻り上げて思い切り引っ張っり上げた。

 

「グッ……….アアァーーッ!」

 

「ギャハハハハッ!いい声だなぁ!もっと聞かせてくれや!」

 

 更に力を込めて捻りあげる。

 

 その瞬間、鈍い音が鳴り、天井の腕から深沼の手のひらへと異質な振動が伝わってきた。

 

「がああぁぁぁっ!」

 

「おっと、何か気持ちいい音がしたなあ!」

 

 深沼が天井の腕を放り投げるようにして離す。

 

 天井は苦悶の声を上げながら、捻られていた手をもう片方の手で抑える。

 

 彼の口からは唸り声が吐かれ、聞く者に痛々しさがありありと伝わってくる。それを耳にした藍音は、目元に涙を浮かべて地面に身を横たえたまま、起き上がる事が出来ないでいた。

 

 蹲り、身体を震わせている天井を、深沼は満足げな表情で見下ろしていた。

 

「気持ちが良いなあ!こうやってお前のことを見下ろすのはよぉ!」

 

 深沼は右手にスタンガンを握り直し、高々と振り上げた。

 

 スイッチが押され、バチバチと電流が弾ける音が響く。

 

「コレでトドメだ!次に目が覚めた時には、お前もあの2人と同じように再起不能になってるだろうよ!くたばれ!アマちゃんが!」

 

 天井努の頭を目掛けてスタンガンが振り下ろされる。

 

 藍音はその様に臆し、ギュッと目を閉じて顔を伏せた。

 

 深沼の口元が醜く歪む。

 

 

 

 そして……

 

 

 

「……甘いのは、そっちだ」

 

 決着は一瞬のうちに着いた。

 

 振り下ろされたスタンガンが身体に触れるより先に身を転げ、飛び上がるように勢いよく立ち上がった天井努の右拳が深沼の顎を打ち据えた。

 

「ムグッ!?」

 

 強い衝撃が顎、骨、脳へと伝わり、白目を剥いた深沼敏が地面へと倒れ伏したのだった。

 

「プロデューサーなら、芸能界に身を置く者なら簡単な演技くらい見破れるようになれ。ましてや、俺のような大根演技ならなおさら……って聞こえていないか」

 

 倒れ気を失った深沼を見下ろしながら、天井努は右手首、右肩を軽く回しつつ吐き捨てるように告げた。

 

 天井努が振り返ると、やっとの思いで体を動かして尻餅をついたような姿勢になっている、深沼に絡まれていた少女が呆けているのが目に入った。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 歩み寄った天井努は彼女へと右手を差し伸べた。

 

「は…….はい。……あの、腕は何ともないんですか?」

 

 立ち上がりながら藍音は怪訝な表情を浮かべる。

 

「ん?ああ、あれはただ骨が擦れて音が鳴っただけだ。ちょっとばかし痛みはあったがな」

 

「そう、ですか。…………あの、危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」

 

「ああ。何事もなくて良かった。コイツは同業者の間でも有名な厄介者でな。また絡まれないうちに行ったほうが良い」

 

「同業者?……もしかしてあなたも……」

 

「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は天井努という者で、アイドルのプロデューサー……いや、元プロデューサーだ」

 

「……私は米村藍音といいます。あの、元というのは――」

 

 藍音が問いかけようとした時

 

「おーい!藍音さーん!」

 

 彼女に呼びかける声が近づいてきた。

 

 目を向ければ、そこには駆け寄ってくる會川サクラとその兄の姿があった。

 

 それと更に後ろには見慣れぬ外国人が2人の後を付いてくるように走ってくるのが見えた。

 

「サクラさん!」

 

「良かった。無事だったんだね」

 

「あなた方こそ。私の方はこの人が助けて下さったので」

 

 藍音が目を向けた方に立っていた男を見た咲耶は、目を大きく見開いた。

 

「えっ?……社長?」

 

「あ?何だって?」

 

 天井努が眉をひそめる。

 

「しゃ……天井さん!来てくれたんですね!」

 

 と、彼の姿を見たプロデューサーは、安堵と歓喜の入り混じった表情が浮かべ歩み寄っていった。

 

「會川か。……みんな知り合いなのか?と言うか、何があった?」

 

「それは話すと長くなるので、また後に。とにかく、紹介したい子がいるって言いましたよね?」

 

「ああ。それが彼女か?」

 

 と、天井努は咲耶へと目を向けて、品定めするように軽く全身を見渡す。

 

「ふむ……パッと見ただけでもアイドルの素質はあるように感じるな。各種レッスンやメイクを極めて磨き上げれば更に……」

 

「あ、あはは……そう言って頂けるのは光栄ですけれど、プロ……兄が言っているのは私のことではないんです」

 

「何?」

 

「天井さん。俺が紹介したいのは彼女、そこにいる米村藍音さんなんです」

 

「は…………?」

 

 

 

 

 

 

「よし!とりあえずこれで状況は整った!」

 

 イベント会場内に入ったプロデューサーは、ライブの観客席へと向かう天井努と米村藍音を見送ってガッツポーズをした。

 

「一時はどうなることかと思ったけれど、これで一安心だね」

 

 咲耶が安堵の笑みを浮かべる。

 

 

 

 状況を把握しきれていない天井努と藍音を説明もそこそこに送り出し、友人達に物販や飲食店、展示物などのスペースを案内して後から合流する、と告げプロデューサーと咲耶はこの場に残っていた。

 

 ちなみに友人達とはマーティとドクのことであり、マーティは咲耶の知り合いの留学生、ドクはその祖父であると説明をしたのだった。

 

 

 

「でかしたぞ2人共!」

 

「本当に凄いよ!信じて無かったわけじゃないけど、ここまで完璧に作戦が進んでるとは思わなかったよ!」

 

 ドクとマーティは大仰な身振りを交えつつ、喜びの声を上げる。

 

「ありがとう。でも作戦は終わったわけじゃない。大事なのはこれからだ」

 

「うん。そうだね、ユーイチの言う通りだ」

 

「…………あれ?さっきまで全然気に留めてなかったんだけど、2人はいつの間に日本語を喋れるようになったんだい?」

 

 咲耶がマーティとドクへ向かって、小首を傾げつつ尋ねる。

 

「あ…………本当だ!アプリを使わなくても会話できてる!?」

 

 プロデューサーも今更ながらにその事実に気がつき、驚きの声を上げた。

 

「おお、そう言えば説明がまだだったな」

 

 軽く咳払いをして、ドクは片耳に付けた小型のイヤホンマイクを指差した。

 

「これは我々が2030年で調達してきた最新型の通訳装置だ。世界中の主要言語全てに対応しており、ほぼリアルタイムでの翻訳、会話が可能となっておる。しかも特殊な機械音声ではなく使用者本人の地声で、細かなニュアンスや喋り方の癖までも翻訳してくれるという優れ物だ」

 

「本当だ。博士の声が私にもちゃんと伝わっている。言い回しも自然だね」

 

 咲耶が感心した様子で頷く。

 

「この時代のスマホアプリとかも凄いけど、未来はもっと凄くなってた。ビックリだよ。相変わらず車は飛んでなかったけどさ」

 

「おや、そうなのかい?マーティ達の話を聞いて私もそれに乗ってみたいと思ったんだけれど、叶わぬ願いのようだね」

 

「デロリアンが万全だったら良かったんだけどね。未来でドクが試しに手持ちの部品で修理してみたんだけど、結局上手く動くようにはならなかったし。……というかちょっと驚いたな。咲耶ってそういう話し方をしていたんだね。何だかとってもクールな感じだ」

 

「それは褒め言葉と受け取って良いのかな?」

 

「もちろんさ」

 

「ありがとう。マーティこそ素敵な喋り方だよ。おかげでよりあなたの事が理解できて、ますます仲良くなれそうな気がするよ」

 

 咲耶が微笑みかける。

 

「この通り、ワシらはこうやって自然なコミュニケーションを取る事が可能となった。これは大いに作戦の手助けになるだろうな。更にこの装置の凄いところはだな、トランシーバーのように無線通話が出来る上に、ボイスチェンジャー機能も付いておるのだ。このように―――」

 

 喋り続けるドクがスイッチを切り替えていくと、しわがれたような声から老齢さを漂わせながらも溌剌とした声、低音でありながらどこか軽快で茶目っ気を感じさせるような声、渋みのある俳優のような声、マーティと非常に良く似た声など、ドクの声色が次々と変化していった。

 

「様々な好みの声で話すことも可能となるのだ!」

 

 新しい玩具を買い与えられた子供のように、ハイテンションでまくし立てるドク。

 

「あ、あの、博士。それが凄いのは分かったのですが、それよりも今後の話をしないと」

 

「おおっと、そうだった。すまないなユーイチ。では話を戻そう」

 

 再度咳払いをしてドクが話を仕切り直す。

 

「歴史を元に戻すには、あの藍音という少女が天井青年にスカウトされる必要がある。ユーイチ達のおかげでお膳立ては全て整っておる。後はライブ会場にいる2人に合流し、そうなるように促してやる必要がある」

 

「前に社長から聞いた話だと、このイベントの最後のライブ、特別ゲストのダンスユニットのライブ中にそれはあったらしい。だからその時まで注意深く2人に張り付いてなきゃならない」

 

「ああ。2人を引き合わせられたけれど、出会いの形が変わってしまった以上、これから先は私達のアシストが鍵になるだろうしね」

 

 咲耶が拳をグッと握り締める。

 

「よし!では我々もライブ会場へ向かうとしよう。幸いにしてサクヤが貰ってきてくれたチケットがあるおかげでワシらも難なくイベント会場入り出来たわけだしな」

 

「正に渡りに船だ。私にチケットをくれた2人には感謝しないとね」

 

 そうして一同は、天井努らの向かったライブ会場へと歩いていく。

 

「ところでさ、さっき言ってたダンスユニットってなんていう名前なの、ユーイチ?」

 

「えーっと、確か『Meina with Mix』だったかな?何でも今日は新曲のパフォーマンスを初披露するとかで注目されているらしい」

 

「そうなのか。この時代のライブが見られるの何だか楽しみだよ。……っと呑気なこと言ってちゃダメか」

 

「そんな事はないさ。作戦をすすめつつも、楽しめるものは存分に楽しんだ方がいい。マーティにとっていい刺激になればいいと俺は思うよ」

 

「ありがとうユーイチ。そう言ってもらえると僕も気が楽だよ……って、その左腕。リストバンドなんて付けてどうしたんだい?お洒落にしちゃイマイチ服装と合ってないけど」

 

「え?ああ、これは昨日一騒動あってね。その時に少し痛めちゃってな。だから包帯代わりに」

 

「ふーん。結構大変だったんだね」

 

 マーティとプロデューサーがそんな風に話していると、彼らの横を会場スタッフと思わしき人々が慌ただしく駆けていった。

 

「何かあったのか?」

 

 スタッフが走っていった方にドクが目を凝らすと、更に数人のスタッフが集まって何やら話をしているようだった。

 

「―――に見―――のか?」

 

「――――して――だけでも」

 

「―――さん――――でないと―――」

 

 プロデューサーはその様子に唯ならぬ何かを感じて彼らの側へと近づいていき、そっと聞き耳を立てた。

 

「とにかくこれは決定事項だ。ラストのMeina with Mixのライブは中止。イベントの終了時刻を繰り上げる。各自それに向けて準備を進めるぞ」

 

「な、何だって!?」

 

 プロデューサーが思わずあげた大声に、話をしていたスタッフ達はギョッとして目を大きく見開いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お願いします!ライブをやってください!どうしてもやってもらわなきゃ困るんです!」

 

「ちょっと!入って来られちゃ困ります!警備員を呼びますよ!」

 

 Meina with Mixの控室へと乗り込んだプロデューサーは、スタッフに両サイドから取り押さえられながらも必死の懇願を続ける。

 

「私からもお願いします!あなた方のパフォーマンスをやって頂けないと、人生が大きく狂ってしまう人がいるんです!」

 

 咲耶も普段の彼女らしからぬ焦燥を滲ませて、声を大きく上げて訴える。

 

「ふぅ…………君たちがどこの誰かは知らないけれど、見ての通りだ。メンバーが万全でない状態でステージには立たせられないよ」

 

 ラフなスーツ姿の男がプロデューサーに向けて、そっちを見ろとばかりに目配せをする。

 

 その先ではソファーに身体を横たえた女性が、手首と足首に氷を当てられていた。

 

 傍らに寄り添うユニットメンバーは怪我をした女性を気遣いつつ、プロデューサーと咲耶らを訝しんでいた。

 

「そこを何とか!お願いします!」

 

 プロデューサーは深く頭を下げて食い下がる。

 

「無理な物は無理だ。今回の新曲、全員揃ってのダンスステージは今日が初披露だ。コレは全員のパフォーマンスが寸分の狂いなく噛み合って初めて形になる。不完全な物は観客に見せられない」

 

黒霧(くろむ)さんの言う通りよ」

 

 怪我をした女性に寄り添っていた茶髪の女性が歩み寄ってくる。

 

 彼女こそがユニットのリーダー且つ中心人物のMeinaだった。

 

「私達のパフォーマンスを楽しみにしている人達には悪いけれど、中途半端なステージを披露するわけにはいかない。これはプロとして当然のことよ」

 

「けど、ステージを中止してファンを落胆させるのもプロとしては良くない事なのでは?」

 

 咲耶の一言にMeinaが眉をひそめた。

 

「あ……すみません。失礼な物言いを……」

 

「……そうね。あなたの言う事にも一理ある。けれども、だとしても、私達は自分のポリシーを貫かせてもらう。メンバーが欠けた不完全なステージは絶対にやらないってね」

 

「そんな……」

 

「…………」

 

 プロデューサーと咲耶は肩を落とし、目を伏せる。

 

 あと一歩、本当にあと一歩のところで道が閉ざされてしまった。

 

 プロデューサーは全身から力が抜け、目の前が暗くなっていくような感覚に陥った。

 

「わかっただろう。とにかくこれで話は終わりだ。さあ、この方たちを外にご案内して」

 

 黒霧が周囲のスタッフに告げると、彼らはプロデューサーと咲耶を連れ出そうと手を伸ばす。

 

「…………代わりに踊れる人間が居ればいいのかい?」

 

「代わり?どこにそんなヤツがいるんだ?」

 

「私がやる。ダンスには自信がある。私があの人の代わりにステージに立つ」

 

「……ははっ。冗談はよしてくれ。君がステージに立つ?」

 

 黒霧は嘲笑をし、傍らのMeinaは苛立ち混じりに溜息を吐いた。

 

「あのねえ、ステージ開始まであと2時間も無いの。仮にあなたがダンスのエキスパートだったとしても、今から私達の新曲のパフォーマンスを覚えられるワケが無いでしょ」

 

「何とかしてみせる。お願いします、やらせて下さい!」

 

 深く頭を下げる咲耶。その長い髪が大きく揺れた。

 

 その様を半ば蔑むようにして見ていたMeinaは、再度大きく溜息を吐いた。

 

「分かったわ。そこまで言うならチャンスをあげる。私が今から彼女のパートを踊ってみせる。それをマネしてみせなさい。その代わり、私達の眼鏡にかなう動きが出来ないと判断したら即座に帰ってもらうわ、いいわね?」

 

 その言葉に咲耶は黙って頷いた。

 

「黒霧さんも、それで構いませんね?」

 

「ああ、好きにするといい」

 

 男の許可を得たMeinaはスタッフへと目配せをする。

 

 それを受けて彼らは周囲の備品などを動かしてスペースを広くし、小型ステレオから曲を流し始めたのだった。

 

(このダンスは……!)

 

 音楽を耳にし、彼女のダンスを目の当たりにした咲耶が大きく目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

「ちょっとごめんね。通してもらうよ」

 

 アイドル達のライブに沸く観客が小刻みに飛び跳ねたり、両手に持ったライトを振ったり、歓声を上げたりしている中、その合間をマーティが通り抜けていく。

 

 その様に眉をひそめる観客は少なくなかったが、彼が外国人であるというのを知ると、諦め気味に、または半ば委縮気味になり、それを見なかった事にして再度アイドルのパフォーマンスへと意識を向ける者が殆どであった。

 

《どうだマーティ!アマイ青年と例のアイネという少女は見つかったか!?》

 

「え!?あーっと……よく聞こえないけど!僕の探してる方にいたかっていう質問なら答えはノー!それっぽい人影は見つからない!」

 

 鳴り響く音楽、アイドルの歌声、観客の出す騒音と歓声。それらのおかげで翻訳機の無線音量を最大にしてもマーティらの通話は困難を極めていた。

 

 と、その時。丁度ステージ上のアイドルの出番が終了し、入れ替わりの為に舞台袖へとはけていった。

 

《こっちも同じだ!こうも人が多いとはな!想像以上だ!》

 

「おまけに席の場所も指定されちゃいないしライブ会場の出入りは自由。こりゃ参ったな、全然見つけられる気がしないよ」

 

《だが何としてもワシらで彼らの動向を注視せにゃならん!ユーイチとサクヤは最終ステージの準備に忙しいのだからな》

 

「まったく、僕らには不適だってば。何かあったところで彼らに何て言えばいいんだか」

 

《ともかく彼らの居場所を突き止める!それに専念するんだ!少なくとも後からユーイチは合流できる筈だからな!彼になんとかしてもらうための御膳立てくらいはしなければ!》

 

 そうドクが告げた所でステージ上から音楽と効果音が鳴り響き始め、次なるアイドルの明るく溌剌とした声が会場いっぱいに広がり出す。

 

「とにかくなんとかやってみるよ!」

 

《あ!?何て言った!?》

 

「頑張って探してみる!!そっちもよろしく!!」

 

《よく聞こえん!とりあえずしっかりな!》

 

 そうして通話は終了し、マーティは再び騒々しくなり始めた会場内を、苦心しながら移動し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 熱狂の渦に包まれた観客席。そこかしこから歓声が沸き上がる中、1人の青年と1人の少女は声も出さず、音楽にノって動くような事もせず、ただその場に立っていた。

 

 天井努は先程出会ったばかりの少女を横目で見る。

 

 どうやら例の會川という男の知り合いらしく、彼はその少女をアイドルとしてプロデュースしてもらいたいと思っているようだ。

 

 それを踏まえて天井は少女を品定めする。オーディションの審査員の如く。

 

 まずそのファッションに着目。ファッションセンスは……無い、というかお洒落に気を使っている様子が無い。

 

 そこらのショッピングセンターのセールで買ったかのような安物の上着、長めの野暮ったいスカート。

 

 流行とは程遠い格好で、メイクらしいメイクをした様子も見られない。

 

 その容姿はそこそこ、顔立ちは整っている方ではあるが、アイドルとして人を惹きつけるものがあるとは言い難い。

 

(プロのメイクを加えればそれなりに映えるだろうが、あくまでそれなり止まりだろうな。こんな娘をプロデュースしてもらいたいとは、會川の奴はふざけているのか?)

 

 天井努は、こめかみを軽く指で叩いて嘆息する。

 

 そして、無表情で、否、どちらかといえばやや不機嫌そうな顔でライブを見ている藍音に、取り敢えず、渋々といった具合で天井努は声をかける。

 

「君はアイドルに興味があるのか?」

 

「いえ、全くありません」

 

 即答だった。

 

「何?」

 

 天井は眉間に皺を寄せる。

 

「ならどうしてこんな所まで来たんだ?」

 

「サクラさんとそのお兄さんがどうしても、と言うから来ただけです。2人には恩があるので、その義理立ての為に。ただそれだけです」

 

「2人とは長い付き合いなのか?」

 

「3日前に初めて会ったばかりです。2人が何処の誰なのかもよく分かっていませんし。貴方こそ、2人とはどういう関係なんですか?」

 

「俺は昨日會川と、君の言う兄の方と初めて会った。少しばかり借りがあるからここに顔を出したんだが」

 

 今度は藍音が眉をひそめた。

 

 2人の間に沈黙が訪れる。

 

 ステージのパフォーマンスも一段落し、微かな騒めきのみが会場内に響いている。

 

「…………出るか」

 

「え?」

 

「ここを出よう。君もステージを見る気は無いのだろう?時間の無駄だ」

 

「でも、サクラさん達がやって来るはずでは……」

 

「構いやしないさ」

 

 そうして天井努は踵を返して観客席をスイスイと歩み抜けて行く。

 

 藍音は戸惑いながらも何とか彼の後について行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 イベント会場内の一角に設けられた大部屋では、スパンコールで覆われた黒のチューブトップ、ミニスカートのライブ衣装を身に纏った咲耶とMeinaらがダンスの最終チェックを入念に行っていた。

 

「ワン!ツー!スリー!フォー!ファイブ!シックス!セブン!エイト!」

 

 リーダーの声に合わせて全員が一糸乱れぬパフォーマンスを繰り広げている。

 

「ふふっ、天才とは正にあの子の為にある言葉だな。Meinaのダンスを一目見ただけで完コピするどころか、全員との動きもピッタリ合わせられている。恐れ入ったよ。君の妹さんに会えて俺達は幸運だよ」

 

「あはは……こちらこそ、皆さんの手助けになれて幸いです。しかし、自分が言うのもなんですけど、突然ユニットに関わりの無い代理の人間がしゃしゃり出て問題は無いんでしょうか?」

 

「その心配は無いよ」

 

「そう、なんですか?それはどうして……」

 

「勿論、彼女がユニットの新メンバーになるのだからね」

 

「……え?」

 

「こんな素晴らしい才能の持ち主をみすみす逃がせるわけがないだろう?イベントが終わったらじっくりと話そう。妹さんとの契約と今後の活動についての話をね」

 

 微笑した黒霧(くろむ)がプロデューサーの肩をポンと叩く。

 

「えっ!?あ、ああ、はい……ははは……」

 

 プロデューサーは苦笑する。

 

 彼も知る大物ミュージシャンにしてプロデューサー、黒霧に咲耶が認められたのは本来なら誇らしい事であるのだが、事情が事情なだけに素直に喜べるわけがなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ライブ会場外に設置された自販機の前に天井努は立ち、傍らの藍音へと声をかける。

 

「君は何を飲む?」

 

「そんな、悪いですよ」

 

「気にするな。一服するのに1人で飲むのも何だからな」

 

「それじゃあ……」

 

 藍音が指さしたのは缶コーヒー。それを買い手渡すと、天井は無糖のコーヒーを購入した。

 

 タブを起こして栓を開き、飲みながら歩いていこうとした天井は足を止める。

 

 ポツリポツリと雫が地面を濡らす。

 

 程なくして周囲は土砂降りの雨音に包まれた。

 

 顔を見合わせた天井と藍音は、仕方なしに近くのベンチへと腰をかけた。

 

 彼らがコーヒーに口をつけだした時、ライブ一時中断のアナウンスが響き渡った。

 

 海浜公園に設けられた特設イベント会場は、アリーナやドームのように全天候対応では無い。

 

 天候が崩れればこういった事態になるのも珍しくはなかった。

 

 

 

「何か事情があるのか?」

 

 唐突に天井努に声をかけられて、藍音は目を瞬かせた。 

 

「どうして急にそんな事を言うんです?」

 

「少しばかり気になった。いくら貸しがあるからといって、よく知りもしない人間に全く興味のないイベントに誘われて来るなんて思えないからな」

 

「それは……」

 

 缶コーヒーを握ったまま沈黙し、藍音は俯いていた。

 

「俺なんかで良ければ話くらい聞くぞ」

 

「初めて会った人にそんな事を言う筋合いは……」

 

「初めて会った赤の他人だからこそ遠慮なく話せることだってあるだろう。どうせ今日この場限りの関係だ。愚痴ってみれば思いのほか気が紛れるかもしれないぞ」

 

 それに返答せずに藍音は黙した。それから少し間を置いて

 

「ま、無理にとは言わないけれどな」

 

 天井努はコーヒーを一口飲む。

 

「……アイドルに興味が無い、というのは正しくないのかも知れません」

 

 と、藍音が小さく声を出し始めた。

 

 天井努がちらりと横目で隣に座る少女を見る。

 

「正直言って、関心はありました。けどそれは憧れとかじゃなくて、憎しみに近い感情から来るものでした」

 

 

 

 

 

 

 

 私は公務員の父と教師の母の間に生まれました。

 

 幼い頃から厳しく育てられて、物心ついた頃には既に勉強に明け暮れる日々を過ごしていました。

 

 友達と遊ぶことも少なくて、見るテレビ番組だってニュースやドキュメンタリーが殆ど、バラエティやアニメ、ドラマなんて全くと言っていいほど見ていませんでした。ゲームだって触ったことはありません。

 

 だからクラスメイト達の話題にもついていけなくて、昔から友達だって殆どいませんでした。

 

 けれどそれを苦と感じた事はありませんでした。私にとってはそれが当たり前だったんですから。

 

 むしろ、馬鹿みたいに下らない話題や遊びで盛り上がって騒ぐような人達を蔑んでいるまでありました。

 

 けれどそんな私にも唯一と言っていい友達が、小学校からの幼なじみの女の子がいました。彼女とは今も同じ高校に通っています。

 

 彼女も私と同じように勉強熱心な子で、成績は私とトップ争いを繰り広げるほど。

 

 私達は互いに刺激を受けて切磋琢磨していました。

 

 ですが、そんな彼女がある時を境に成績を大きく落としたんです。

 

 私は何があったのかを聞きましたが、彼女は力なく笑うばかりで、ハッキリとその理由を告げてはくれませんでした。

 

 彼女の成績はみるみる落ちていってしまいました。

 

 その間に私は彼女に対して何もする事が出来ず、歯痒い思いをし続けていました。

 

 ですが、その後暫くして彼女は以前のように、いえ、それ以上に明るく振る舞うようになったんです。

 

 下がった成績も次の試験では大きく挽回していました。

 

 しかし、彼女には以前のような勉強に対する熱意は無いように感じられました。

 

 事実として、かつては僅差であり続けた私との成績の差は十数位ほど開いたままでした。

 

 

 

 一週間程前のこと、彼女は学校を休みました。

 

 先生が仰るには夏風邪を拗らせた、という話でした。

 

 そこで私は彼女に連絡を入れました。

 

 お見舞いに行っても大丈夫?と尋ねると

 

 ウツるといけないから来ないで欲しい。

 

 そう返されました。

 

 その時は尤もな話だと納得して家に行く事を慎みました。けれども、あまりにも彼女の病欠が長引いたので、私は三日前に内緒でお見舞いへと向かいました。

 

 彼女のお母さんに迎えられ、私は彼女の部屋へと通されました。

 

 すると彼女はベッドでスヤスヤと眠っていました。

 

 聞くところによると、風邪はほぼ完治していてウツる心配も無い、との事でしたので私は彼女が目覚めるまで部屋で待つことにしました。

 

 その間に私は見てしまったんです。

 

 部屋の隅に置かれたダンボールに、丸められたポスターと雑誌、CDなどが詰め込まれているのを。

 

 思わず手に取ってみると、それはとあるアイドルの女の子の関連グッズだと分かりました。

 

「あははは、見つかっちゃったか」

 

 声に驚いて振り返ると、彼女はベッドの上で起き上がって、苦笑いをしていました。

 

「……実は私ね、最近そのアイドルの子にハマっちゃってたんだ」

 

 それを聞いた私は言葉を失いました。

 

 アイドルだなんてそんな下らないものに、クラスで馬鹿みたいに話している子たちと同じような趣味を、知的である彼女が持つなんて信じられませんでした。

 

 私の1番の理解者が、友達が、そんな風に変わってしまった事が堪らなく嫌になりました。

 

 

 

 こんな下らないモノにハマったから成績落としたの!?

 

 元気になったと思ったのはコレに夢中になってうつつを抜かしていたから!?

 

 アナタらしくない!どうかしてる!

 

 

 

 そんな風な言葉を私は彼女へと、気がつけばぶつけていました。

 

 すると、彼女からは……

 

 

 

「藍音に私の何がわかるの!?」

 

 涙混じりの悲痛な叫びが返ってきました。

 

 そこで初めて私は彼女の本当の気持ちを知ったんです。

 

 彼女は良い成績を取り続ける事に対してプレッシャーを感じていたと告げてきました。

 

 本当は彼女は勉強が好きではなかったんです。

 

 良い成績を取れば両親が喜んでくれた、友人の私が嬉々として競い合って楽しそうにしていた。

 

 そんな私達の抱く期待を裏切りたくなくて、彼女は必死で勉強をしていたのでした。

 

 そして長年に渡ってのしかかり続けていた重石が先日、彼女の心を潰してしまったんです。

 

 重圧に耐えかねて彼女は家の中でヒステリックに泣き叫んだそうです。

 

 勉強道具や家財道具、近くにある物を手当たり次第に投げ飛ばしたり……それは酷い有様だったようです。

 

 それから暫くは両親ともギクシャクする日々が続いて、私の知るように彼女は元気を無くしていったんです。

 

 そんな折、彼女はとあるアイドルの歌を、ラジオでふと耳にしたそうです。

 

 そのアイドルの歌は彼女の心を勇気づけ、励まし、癒した。

 

 彼女はそのアイドルのファンになり、その活動を追うにつれて元気を取り戻し、再び少しずつながら勉強にも励めるようになっていったんです。

 

 けれども、そのアイドルはつい先日、突然引退してしまった。何の前触れもなく。

 

 その事実を知った彼女は勉強の重圧に潰された時以上に心を疲弊させて、身体も衰弱させてしまいました。

 

 大好きだったそのアイドルのCDやグッズを箱に詰め込んでいたのも、飾っておくと辛くなるから、そういう理由でした。

 

 話し終えた彼女は顔を手で覆って、ただただすすり泣くばかりでした。

 

 

 

 全てを知った私は、気がつけば彼女の家を出て自宅に帰る事もなく、呆然と彷徨い歩いていました。

 

 頭の中には延々と真っ黒な考えが渦巻き続けていました。

 

 

 

 彼女の心を潰してしまった私が許せなかった。

 

 それを正直に言ってくれなかった彼女が許せなかった。

 

 本心を語ってくれなかったのは、己に原因があるのに、そうして友達に僅かながら憎しみを抱いてしまう自分がやはり許せなかった。

 

 私の理解出来ない何かが、彼女の最大の心の支えになっていたという事実が許せなかった。

 

 私は憎らしかった。

 

 友達の心の支えとなっておきながら、突然に消え去って、再びその心を痛めつけてしまったアイドルが。

 

 ――――という名前の女の子が。

 

 

 

 

 

 

 甲高い金属音を立ててアスファルト上に落ちた缶が、中身の液体を撒き散らしながら転がっていった。

 

 俯いてポツリとポツリと話をしていた少女が顔を上げる。

 

「え?……どうかしましたか?」

 

「い、いや、何でもない。手が滑っただけだ……」

 

 天井努は平静を装って口にしたつもりだったが、自分でも分かるほどに動揺が声に出ていた。

 

「そう、ですか」

 

 藍音という名の少女は全てを語り終え、それ以来口を噤んで、椅子に腰をかけたまま俯いていた。

 

 雨の勢いは大分弱まってきていた。

 

 微かに響く雨音が、2人の間に漂う沈黙をより強く引き立てる。

 

(こんな所で再び彼女の名前を、しかもこの様な形で耳にするなんてな。それ程に俺は憎まれているのか、運命に、彼女に…………)

 

 胸の内でそう独り言ちた天井努は

 

「…………すまなかった」

 

 自然とそう口にしていた。

 

「え……?」

 

 顔を上げた藍音がキョトンとした表情を浮かべている。

 

「どうして貴方が謝るのですか?」

 

「あ、いや……」

 

 天井努は気まずそうに視線を下へと動かす。

 

 そして暫しの後

 

「……実は、そのアイドルは―――」

 

 藍音へ向けて己が知る事を話し出していた。

 

 見えない何かに突き動かされるようにして……

 

 

 

 

 

 

「そう……だったんですか……」

 

 天井努が全てを語り終えた後、米村藍音は一言そう呟いた。

 

 小降りになった雨はいつしか完全に止んでいた。

 

 2人の間には完全な沈黙が訪れた。

 

《会場の皆様にお知らせ致します。10分後よりライブステージを再開致します》

 

 イベント会場全体にアナウンスが流れ渡った。

 

 

「…………戻りませんか?」

 

「……何?」

 

「ライブ会場に戻りましょう」

 

「しかし、君はアイドルには……」

 

「このままの気持ちで帰ったら逆にスッキリしないので。見ていきたいんです」

 

「…………わかった」

 

 2人はゆっくりとベンチから腰を上げ、ライブ会場に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 ステージ上では未だに初々しさの残るアイドルユニットがパフォーマンスを行なっていた。

 

 彼女らの出番が終了した後にMCを挟んで特別ゲストであるMeina with Mixのパフォーマンスが開始される。

 

 舞台袖ではMeinaと黒霧らが談笑をしている。その様子から緊張の類は感じられない。良い意味でリラックスしているようだった。

 

 プロデューサーは彼らの様子をチラリと眺め、ペットボトルに入った水を手にし、壁際に1人立っている咲耶の方へと向かう。

 

「咲耶、水飲むか?」

 

「え?……ああ、いただくよ」

 

 若干目を伏せていた咲耶が顔を上げて、プロデューサーの持つペットボトルへと手を伸ばす。

 

「あっ」

 

「おっと」

 

 ペットボトルは咲耶の手から滑り落ち、床を転げ、咲耶の足に当たって静止する。

 

 咲耶は苦笑してペットボトルを拾い上げると、その蓋を開けて中身を喉の奥へと軽く流し込む。

 

 一息をついて蓋を閉め、水面が小刻みに揺れるペットボトルを差し出した。

 

「ありがとう。プロデューサー」

 

「…………」

 

 無言でそれを受け取ったプロデューサーは、一度ペットボトルへと落とした視線を咲耶の顔へと向ける。

 

「プロデューサー?どうかしたのかい?」

 

「咲耶、大丈夫か?」

 

「ああ、短時間だけど出来る限りの練習はした。ステージは問題無くこなしてみせるよ」

 

「違う」

 

「え?」

 

「無理してるんじゃないか?」

 

「そんなこと……」

 

 言いかけた咲耶はプロデューサーの目を見て、言葉を詰まらせた。そして一拍ほど軽く瞳を閉じて肩をすくめる。

 

「……プロデューサー、少し手を貸してくれないか?」

 

「ああ」

 

 咲耶が差し出してきた手を握り返すと、微かな震えがプロデューサーに伝わってきた。

 

「本当はね、怖いんだ」

 

「それは、ステージに立つことが……じゃあないんだよな」

 

 咲耶は小さく頷いた。

 

「みんなの顔がね、わからないんだ。スマホに入っている写真、ソファーの周りで楽しげに笑っている子達の顔を見ても何も思い出せない。写真の中の私は笑顔を見せているけれど、その姿には違和感しかないんだよ」

 

 そこまで語って一度言葉を途切れさせる咲耶。

 

 プロデューサーは黙って彼女の言葉の続きを待った。

 

「少し前までは覚えていたはずの色んな事が、時間が経っていくにつれて思い出せなくなっていくんだ。そこに悲しいとか寂しいとかいう感情は湧かないのだけれど、それでも大切だった、忘れちゃいけないものだったっていうのは漠然とわかるんだ。だから胸の真ん中に穴が空いたような変な気持ちが残り続けて、それに締め付けられるようで…………写真を見るのが、思い出が消えつつあるって事を認識するのが辛くて、体を動かして気分を紛らわせていたりした………」

 

 顔を伏せて力なく口にしていた咲耶は、やがて自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

「ふふ、すまないね。情けない話をしてしまった。けどそんな私の逃避みたいな行動が功を奏することになるとは、なんとも皮肉な話だね」

 

「…………咲耶。この後のステージが終われば何もかも元通りになる。悪い夢から覚めたみたいにな。俺が保証する。そうしたらみんなでまた写真を撮ろう、数え切れないくらいに。みんなで美味しいものをたらふく食べて、いっぱい楽しいことをしよう」

 

「プロデューサー……」

 

「余計なこと、辛いことは考えないでステージを楽しんで……いや、みんなを楽しませてこい…………」

 

 言葉を途中で切るようにして、プロデューサーは左手首を右手で掴むようにしてポーズを決め

 

「アイドル、白瀬咲耶として!」

 

 口を思い切り横に広げてニッと笑い、力強く言い放った。

 

「……ああ!最高のステージを作り上げてくる!見ててくれプロデューサー!」

 

 咲耶も満面の笑みを浮かべて言葉を返したのだった。

 

「間もなく始まります!スタンバイお願いしまーす!」

 

 スタッフの声を受けて、咲耶は颯爽とステージへ向かっていった。

 

 

 

 

 

 

「…………はは、備えあれば憂いなし、ってやつだな……」

 

 咲耶の背を見送ったプロデューサーは、額に手を当てて一息を吐く。

 

 その瞬間、彼の視界が揺らぎ、足がふらつく。よろけて転びそうになるのをどうにかして耐え切った。

 

「ユーイチ!アマイ青年とアイネが一向に見つからん!お前さんも彼らを探すのを……」

 

 と、舞台裏へとドクが慌てて駆け込んでくる。

 

「ユーイチ?おい、どうかしたのか?」

 

 プロデューサーの元へと駆け寄ってきたドクは、彼の唯ならぬ様子に気がついた。

 

 舞台袖からステージを見つめる彼は目が虚で、頭と体がゆらゆらと前後左右へと揺れている。

 

「……え?……あ、はか、せ……」

 

 ドクの声を受け振り返ったプロデューサーは、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。

 

「ユーイチ!」

 

 ドクはプロデューサーの身体を間一髪で受け止める。

 

 そしてゆっくりと床の上にプロデューサーを座らせた。

 

「どうしたユーイチ!……まさか記憶障害が!?」

 

「あ、あは、ははは。流石にちょっとキツくなってきたかな?気合入れてないと、何もかも、頭から消え去ってしまいそうで……」

 

 そう言いながらフラフラと立ち上がろうとする彼をドクが制する。

 

「無理をするな!このまま座って気をしっかり保つのに集中していろ!」

 

「でも……あの子の……えっと……確か……」

 

 プロデューサーが手首のリストバンドをめくり、そこにマジックで書かれている文字へと目を向ける。

 

 そこに記されていたのは一つの名前。

 

「ああ、そうだ。……咲耶、白瀬咲耶。咲耶の舞台を、見届けない、と……」

 

 プロデューサーは再度立ち上がろうとするが、その焦点は定まっておらず明後日の方向を向いていた。

 

「そんな状態でどうしようというのだ!……わかった!サクヤの舞台はワシがスマホで録画しておいてやる!だからユーイチは気を保つのに集中するんだ!良いな!」

 

「ははは……ありがとう、ございます。博士……」

 

 床へとへたり込むプロデューサーの肩を軽く叩いて、ドクは舞台上の咲耶をスマホの画面へと捉え始めたのであった。

 

「マーティ!トラブル発生だ!すまんがユーイチの協力は得られそうにない!ワシも身動きが取れる状況ではなくなった!何としてもお前が2人を見つけるんだ!」

 

 

 

 

 

 

「アイドルって何なんでしょうね」

 

 再開したライブに沸く観客達に囲まれながら、藍音は呟いた。

 

 周囲の歓声に掻き消されてしまいそうなその声は、天井努の耳には確かに届いていた。

 

 しかし、彼はそれに答えられない。

 

 数拍の間をおいて、藍音は言葉を続ける。

 

「私も天井さんもアイドルというモノに関わって不運な目に遭いました。私の友達や貴方のプロデュースしてた子は、幸福から不幸に堕ちていきました。けどここにいる人達は、そんなのとは関係ないようにとても幸福そうです。アイドルって良いモノなんですか?悪いモノなんですか?」

 

 自分を見上げている藍音の視線。

 

 己の瞳でそれを受け止めて、彼女の言葉を胸の内で噛みしめて、天井努はゆっくりと口を開いていった。

 

 夢を叶えさせてやれなかった少女の幻影を心に抱きながら。

 

「アイドルは…………空みたいなモノだ」

 

「空?」

 

「雲ひとつない晴れやかな時もあれば、灰色に澱んだ時だってある。啜り泣くような雨の日もあれば、心を掻き乱される嵐のような時もある。夢物語のような甘い時が続くことは決して有り得ない」

 

「…………」

 

「だがしかし、だからこそ、ああいう輝きが人々の胸を打つんだ」

 

 天井努は会場から見える空の一角を指差した。

 

 藍音がその先を目で追うと

 

「………あ」

 

 虹が、雲間から覗く青空に七色の虹がかかっていた。

 

「人々はアイドルに眩く綺麗なモノを求める。しかしそれは灰色に包まれて足掻くモノ無くしては創り出されない」

 

 天井努はそう口にして、軽く自嘲する。

 

「足掻いてなお輝きを掴むという事を諦めた俺の言えた台詞じゃないがな」

 

 藍音は黙したまま、空を見つめ、天井の言葉を噛み締める。

 

《お待ちかねのスペシャルゲストのSHOWTIME!Meina with Mix!》

 

 いつしかステージ上のアイドルのパフォーマンスは終了し、MCがラストを飾るゲストをステージへと招き入れた。

 

 

 

 

 

 

 ステージの上からは観客が手を振り、飛び跳ね、無数の歓声を送る光景がいっぱいに広がっているのが見られる。

 

 音楽と歌とが会場を駆け巡り、繰り広げられる華麗なダンスとが併せて人々を魅了し、歓声は更に勢いを増す。

 

 それら全てが合わさって1つの大きな世界を形成してゆく。

 

 演者は観客とパフォーマンスを通じて、その世界と1つになってゆく。

 

 

 

 1人の少女を除いて。

 

 

 

 腕のひと振り、一歩のステップ、一瞬の目配り。傍で共に踊る者達との息は完全に合っていた。観客は少女らの一挙手一投足に歓喜し声を送り続ける。

 

 それら全てがいくら積み重なろうとも、彼女は広い世界にただ1人だった。

 

 彼女の周りの全て、同じ舞台に立つ人々も、舞台を取り囲む観客も、そして遠くから見守っているはずの導き手の男も、最早彼女の意識には存在しない。

 

 

 

 彼女は既に自分が誰なのかも分からなくなっていた。

 

 自分がこの場にいる理由も、踊る理由も、何もかもが忘却の彼方。

 

 だが、それでも少女は踊り続ける。

 

 顔も声も思い出せない誰かの言葉を胸に宿し、何者か知れない4つの幻影、その背を追いかけるようにして、ただただ踊る。

 

 

 

 

 

 

《お待ちかねのスペシャルゲストのSHOWTIME!Meina with Mix!》

 

 その声を聞き、藍音が虹へと向けていた視線をゆっくりと下ろしてゆく。

 

 七色の淡い光の帯の下には、眩い人工の光に照らされたステージが。

 

 そこで激しくも繊細な、素人目にも分かるほどの高度な技量を要するであろう息の合ったダンスを繰り広げる者ら。

 

 そのひとりに藍音の視線が吸い込まれる。

 

「サクラさん……」

 

 長身の女性は藍音が今まで見た事が無い程に美しく、凛々しく、華々しく、眩く輝いていた。

 

 彼女の隣に立つ天井努もまた、そのパフォーマンスを黙して見つめていた。

 

 その心に燻るモノを再び熱くさせながら。

 

「君の友人を勇気づける方法がひとつある」

 

「え?」

 

「米村藍音、君に自分を変える勇気はあるか?」

 

 その言葉に藍音は目を瞬かせる。

 

「今までの、友に対して許せないと思う事を言ってしまった自分に別れを告げて、友の心を支えるアイドルになる気はあるか?」

 

「…………でも、私は」

 

 藍音は自らの体に目を落とし、手のひらを頬に当てる。

 

 自分はアイドルになれる様な容姿はしていない。歌は音楽の授業をそつなくこなせる程度のレベル。

 

 運動は…….正直言って苦手でダンスの経験は無し。

 

 そんな自分がアイドルになる。

 

 欠片も想像が出来なかった。

 

「ハッキリ言おう。君がアイドルとして大成出来る可能性は限りなく低い。人々の好奇の目線に晒されて不快な想いを抱く事は少なくは無いだろう。だが、それでも、歩んでいく勇気は君にあるか?」

 

 藍音は口を閉じたまま、ステージの上へと視線を移す。

 

 暫しステージを見つめ、そして天井努の、覇気の宿る瞳を見据える。

 

「俺に君をプロデュースさせてくれないか?」

 

 少女は首を縦に小さく動かした。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、ひとりぼっちの少女の世界が爆発するように大きく広がった。

 

 周囲を包む大歓声、鳴り響く軽快な音楽、降り注ぐ眩い光。

 

 少女と同じ舞台で踊るのは、かつて画面の中にいた見知った他人。

 

 だが少女は彼女らに仲間の幻影を重ねた。

 

 月岡恋鐘、三峰結華、田中摩美々、幽谷霧子。

 

 仲間と同じ舞台に立つ白瀬咲耶は、己が使命を、己が在り方全うするべくパフォーマンスに一層の熱情を込める。

 

 胸の奥から止めどなく溢れてくるモノを必死に堪えながら。

 

 

 

 

 

 

「見つけた!」

 

 観客席を彷徨っていたマーティは天井と藍音の姿を見つけて指を鳴らした。

 

「早く行って彼女をスカウトさせなきゃ!」

 

 息巻くマーティの耳元に歓喜の声が響いてきた。

 

《マーティ聞こえるか!?やったぞ!ユーイチが意識を取り戻した!目もしっかりとしておるし、写真の人物らの名前もスラスラ言えとる!作戦は成功だ!》

 

「本当に!?」

 

《もちろんだとも!》

 

「ははっ、何か僕らの出る幕じゃなかったみたいだね」

 

 マーティは微笑んで肩を竦めた。

 

「あの人誰かしら?新メンバー?」

 

「分からないわ。でも、とっても素敵」

 

 近くの観客の声が聞こえてきた。

 

 マーティは彼女らの目線を追う。そこには凛々しい表情を浮かべつつ、激しくキレのあるダンスを踊る咲耶の姿があった。

 

 他のバックダンサーと時には動きをシンクロさせ、時にはアシンメトリーに動き、魅惑のステージを作り上げている。

 

 だが、ただそれだけではない。マーティには何となくそう感じられた。

 

 その時、咲耶の視線が一瞬マーティの方へと向き、ウインクをしたのだった。

 

「キャッ!あの人こっちを見たわ!」

 

「私に向けてウインクしてくれた!ああ……」

 

 女性客は完全に咲耶に魅了されていた。

 

 マーティは、単なる偶然だろうと思ってステージを見続けていた。

 

 しかし、決められた動きを崩さずに踊りながらも、咲耶は時折表情を意図しているかのように変化させる。

 

 その度に会場の至る所で歓声に揺らぎが混じった、マーティにはその様に感じられた。

 

「……そうか、咲耶はこうやって全力で観客を楽しませているんだ」

 

 

 

 

 

 

 業界関係者に向けて用意された特別観覧席で2人の中年男性――かたや茶色のスーツに身を包んだ、かたや黒いスーツとサングラスを身に付けた――は唖然としていた。

 

 つい先程まで彼等は互いに「数十年に一度の人材をスカウトした!」と息巻いて自慢しあっていた。

 

 そんな彼等はラストステージにて踊る少女の姿を見て

 

「「あのグループのメンバーだったとは………」」

 

 と揃って肩を落としたのだった。

 

 

 

 

 

 

「プロデューサー!」

 

 ステージを終えて舞台袖へとはけた咲耶は、一目散に彼の胸へと飛び込んだ。

 

「咲耶!……よく頑張ったな。……最高のステージだった!」

 

「うん…………ありがとう………」

 

 プロデューサーの肩へと額を押し当てながら、咲耶は言葉を紡いでゆく。

 

「私、ちゃんと分かるんだ……思い出せてる……恋鐘……結華……摩美々……霧子……みんな、みんなの事、しっかりと覚えてる……」

 

「俺もだよ。283プロのみんな、俺達の思い出、全部頭の中にある」

 

 プロデューサーは咲耶の背と頭とに優しく手を当てる。

 

 彼の肩は僅かに濡れだしていったが、その様な事は気にならない。彼女の気持ちが伝わってくるのが、同じ気持ちを分かち合えるのが堪らなく嬉しかった。

 

 その気持ちを噛みしめるように、暫し彼らは立ち尽くしていた。

 

「……落ち着いたか、咲耶?」

 

「ああ……もう大丈夫だ」

 

 咲耶はプロデューサーの体からそっと自分の身を離す。

 

 照れ笑いを浮かべる咲耶につられて、彼もまた顔を綻ばせた。

 

「やったな2人とも!」

 

「完璧だったよ!ユーイチ、サクヤ!」

 

 ドクといつの間にやら合流していたマーティが、彼等の元へ歩み寄ってきた。

 

「ブラウン博士、マーティ。2人とも本当にありがとう」

 

「私からも、ありがとう。これで283プロは元通りになる。2人のおかげだ」

 

「そんな事ないよ。これはユーイチとサクヤの頑張りのおかげだって。僕はここに来て何の役にも立てなかったし」

 

 肩を竦めてマーティは苦笑いをする。

 

「と、一仕事終えてホッとしているところ悪いのだが、我々には時間がない!急いで未来に戻らなきゃならん!」

 

「おっと、そうだった!ユーイチ、サクヤ、早く荷物を持ってデロリアンの所に急ごう!」

 

「えっ?何故急ぐ必要があるんだい?」

 

「ちょっと待って下さい。お世話になった方へのご挨拶と、咲耶の着替えを済ませていかないと」

 

「悪いが本当に時間が無い、このままではワシらは未来へ帰れなくなるかもしれんのだ!」

 

 思いがけないドクの一言にプロデューサーと咲耶は目を丸くした。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、素晴らしいステージだった」

 

「みんなお疲れ様。私抜きでもあんなパフォーマンスしちゃうなんて、何だか悔しいなぁ」

 

 黒霧(くろむ)と車椅子に乗せられた女性が、プロデューサーと咲耶の姿を遠巻きに見ていたMeinaらへと歩み寄って労いの言葉をかける。

 

「ありがとう。それもこれも全部あの子のおかげよ」

 

「Meina、みんな、私から提案があるのだが」

 

「わかってる。あの子をメンバーに入れるんでしょ?」

 

「やれやれ、お見通しか」

 

「そりゃあね。黒霧さんが言わなくても私が言ってたよ」

 

「あれ程の逸材が加われば我々の創り上げるステージは一層高みへと昇り詰められる。もちろん君が完治してからになるが」

 

 視線を向けられて怪我をしていた女性は照れ臭そうに軽く微笑んだ。

 

「じゃあ行きましょう。新しい仲間を迎えに」

 

 そうして彼等が目を向けた時、件の少女は舞台裏から忽然と姿を消していたのだった。

 

 

 

 

 

 

「未来に帰れなくなるってどういう事なんですか!?」

 

「ゆっくり話してる暇は無い!一刻も早くデロリアンの元へ!」

 

 4人が全力で駆けてイベント会場の出口へと向かっていく。

 

「會川!」

 

 と、彼等の目の前に天井努が姿を現した。

 

「しゃちょ……天井さん!?」

 

 プロデューサーは彼の前で足を止める。

 

 その傍には微笑を浮かべる藍音の姿があった。

 

「そんなに急いでどうしたんだ」

 

「あー……その、急に帰らなきゃならなくなりまして」

 

 プロデューサーが彼とドク、マーティの方へとチラチラと交互に視線を向ける。

 

 ドクは軽く溜息を吐いて「2分だ、2分で済ませるんだ」と耳打ちをした。

 

 軽く会釈をしてからプロデューサーは天井努へと向き直る。

 

「随分と急だな。まあ、お前にも事情があるんだろう。と、ひとつ伝える事がある」

 

「何ですか?」

 

「もう暫くプロデューサー業を続けることにしたよ。新たなスカウトが成功してしまったんでな」

 

「ああっ!それは良かった!」

 

「ふふっ。紹介しよう、俺が次にプロデュースする娘だ」

 

 その言葉を受けて藍音が一歩進み出る。

 

「サクラさん、お兄さん、本当にありがとうございました。そして、すみませんでした。色々と無礼な物言いをしてしまって」

 

「気にする事は無いよ藍音さん。それよりも、あなたがアイドルを目指してくれるのが私はとても嬉しいよ」

 

「ふふっ、サクラさんにそう言われると照れ臭いです。サクラさんのステージとても素敵だったと思います。アイドルの事をよく知らない私が言うのもおこがましいのかもしれないですけれど……」

 

「そんなことないさ。私の方こそ貴女に気に入っていただけて光栄だよ」

 

 咲耶と藍音は微笑み合う。

 

 と、ドクが2人へと目配せをしてくる。時間が来てしまったらしい。

 

「それじゃあもう行かないと。……天井さん、お元気で」

 

「ああ、お前もな」

 

「サクラさん、お兄さん、またいつかお会い出来ますか?」

 

「もちろん!」

 

 プロデューサーと咲耶は声を揃えてそう返した。

 

 そして4人は再び駆け出していった。

 

「その時までに、私は絶対に成長して、アイドルとして恥ずかしくない姿をお見せしますので!」

 

 藍音の決意の声をその背に受けながら。

 

 

 

 

 

 

 1999年7月4日 午後6時15分

 

 

「えっと、2人の荷物をトランクに……って入りきらないな。しょうがない、僕の荷物は中に入れよう」

 

「タイヤの空気、タイムサーキット、次元転移装置共に異常無し!時刻は……うむ、十分に間に合うな。さあ2人共、乗った乗った!」

 

「あの、そろそろ理由を聞かせてもらえませんか?どういう事なんですか、未来へ帰れなくなるって」

 

「ユーイチ、手短に言うとだな、ミスターフュージョンが故障してタイムトラベル用の電力が賄えなくなった。そして予備バッテリーの電力もこの時代に来るために使い果たしてしまった」

 

 その説明を聞いたプロデューサーと咲耶は一瞬、キョトンとした表情となり、そして顔色を青くした。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!てことは未来に戻る事は不可能じゃないですか!」

 

「え、えっと、何か当てはあるのかい?博士、マーティ?」

 

 咲耶までもが珍しく狼狽した様子を見せる。

 

 一方でドクは得意げな表情を浮かべる。

 

「もちろんだとも!未来へ戻る為の算段は既に整えておる!我々は今からあそこへ向かう!」

 

 とドクが指差した方向へと目を向けると、そこには大きな橋があった。

 

「レインボーブリッジ?」

 

 プロデューサーが小首を傾げた。

 

「そうだ!今から数十分後の午後6時34分、あの橋に落雷がある!そのエネルギーを使ってデロリアンを2020年へとタイムトラベルさせるのだよ!」

 

「落雷を使うって、そんな方法上手くいくのかい?」

 

「心配する気持ちは分かるよサクヤ。けど大丈夫、僕らは前に同じことを一度成功させてるからさ、何とかなるさ。きっとね」

 

「マーティの言う通り!さて、ミスターフュージョンが故障してから私はデロリアンにこの装置を取り付けたのだ」

 

 ドクが運転席のスイッチを押すと、デロリアンの後部からアンテナの様な棒が伸び出てきた。

 

 それはドクの操作によって先端が左右へと大きく曲がりくねるような動きをみせる。

 

「伸縮性と柔軟性を兼ね備えた特殊合金製のアンテナだ。落雷の瞬間、橋のメインケーブル若しくはハンガーにこのアンテナを接触させて次元転移装置に直接電流を流し込む。これによってデロリアンは1.21ジゴワット以上の電力を補給し、タイムトラベルを再び行うことができるという寸法だ」

 

「理屈は分かりましたけど、よく正確な落雷の時刻が分かりますね」

 

「ユーイチ、君から預かったコレのおかげだよ」

 

 ドクはタブレット端末を掲げてみせる。

 

「2030年にて我々はありとあらゆる落雷のデータを可能な限り集めてきた。その中に都合よく今日の落雷のデータがあった。実に我々は運がいい」

 

「けどデータが沢山あるのだったら、もっと余裕あるタイミングを選べるのではないのかい?」

 

「そうは言うがなサクヤ、デロリアンが時速88マイルで走行しつつ落雷に遭遇できる所なぞ、そうそうありはせんのだ。コレを逃すと次に適合する条件に巡り合えるのは半年程先になってしまう」

 

「なるほどね。理解したよ」

 

「そいつは何より。さあ!では出発だ!2人は後部座席へ。狭いけど我慢してくれ。運転はマーティが、ワシはタブレットを見ながらナビゲートをする」

 

「了解」

 

 そうしてドクに促されるまま、全員がデロリアンへと乗り込んだ。

 

「ん、やっぱり博士の言う通りこの席は狭いな。咲耶、大丈夫か?」

 

 プロデューサーが咲耶に声をかけると、彼と完全に肌を密着させる形となった咲耶が、心なしか居心地を悪くしているように見えた。

 

「どうしたんだ咲耶?」

 

「え?ああ、えっと……さっきまでステージでダンスをしていて、着替えもせずシャワーも浴びずに来たものだから、そんな私と身を寄せ合うのは不快なのではと、思って……」

 

 咲耶は恥ずかしそうに顔を俯かせる。

 

「気にする事無い。不快だなんてとんでもないよ。汗の跡は咲耶が頑張った証だろ。気にしないで身を寄せてくれて構わないよ」

 

「プ、プロデューサー、流石にそう言われるのは少し恥ずかしいような……」

 

「え、そうかな?」

 

 軽く顔を染める咲耶とキョトンとした様子のプロデューサー。

 

 その様子を見て

 

「随分と見せつけてくれちゃって。何だか僕もジェニファーに早く会いたくなってきたよ」

 

「ワシも同じような気持ちだ。クララと子供達が恋しくなってきて堪らん」

 

 マーティとドクは小声でそう呟いて微笑み合った。

 

「んじゃ、出発しよう!」

 

 と、マーティがデロリアンのエンジンを始動させたその時、コンコンと窓がノックされた。

 

 何事かと一同が顔を向けると、そこには白いヘルメットを被った2人の警察官の姿があったのだった。

 

 





という訳で第五話でした。
今話はBTTF part1におけるダンスパーティに当たるパートです。

原作においては『Johnny B. Goode』の演奏が印象的なシーンで今作においても似たような要素を入れようかとも思ったのですが、音楽の趣味の世代間ギャップが1999年と2020年ではBTTFの1955年と1985年ほど大きくは無いかなと考え取りやめとしました。

その分アイドルマスター的な「アイドルとは?」という課題と向き合う要素を強めに描きました。
上手くその辺が伝わっていれば幸いに思います。


そして次回が最終回となります。
最高のクライマックス描けるように頑張っていきますので引き続き楽しんでいただきたいと思います。

あなたはこの作品のクロスオーバー元の原作バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)とアイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニ)についてご存知ですか?

  • BTTFを見た事がありシャニも知ってる
  • BTTFは見た事があるシャニは知らない
  • シャニは知ってるBTTFは見た事がない
  • シャニは知らず、BTTFも見た事がない
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