ヒーリングっどプリキュアvsジュウオウジャー ~歓迎! 動物戦隊御一行様~ 作:runguri
□ □ □
「「ええ~! 川井さんがぎっくり腰!?」」
ある日の放課後。市立すこやか中学校の、とある二年生クラスの片隅で、二つの驚きの声が重なった。
そうなの、と後ろの席の二人にうなずき返しながら、沢泉ちゆはいそいそと帰り支度をしていた。
「……って、川井さんって誰だっけ?」
と、ツインテールを揺らして首をかしげる平光ひなたに、がくっとちゆは首を垂れた。
「知らずに驚いていたのね……」
「てゆーか、のどかっちは知ってるの?」
もう一人の声の主、花寺のどかは、苦笑しながらひなたに説明する。
「うん。川井さんはね、ひなたちゃんの旅館の従業員さんで、ちゆちゃんが初めてその、プリキュアに変身した時に一緒にメガビョーゲンに襲われてたの。少しお年の、ベテランさんだよね?」
変身のくだりだけ、のどかは周囲の目を気にしつつ、ボリュームを少し落とした。
「そう、押しも押されぬ大ベテラン。だからうち、川井さんに頼りきりのところも結構多くて……」
「えっ、じゃあもしかしてけっこうマズい感じ?」
遅れて事情を理解したひなたの問いに、ちゆの表情にわかりやすく影が落ちた。
「マズいわね。今日は金曜なのに、他にもお休みの人が多くて。だから今日は部活休んで、帰って手伝わないと」
「え、でもちゆちゃん、今日は部活の日じゃ……」
「当然、お休み。まあ、仕方ないわね」
そう言って立ち上がったちゆが小脇に抱えた、今日はもう出番のない小さなスポーツバッグを、のどかとひなたは不安そうに見つめていた。
「もう、そんな心配しなくてもだいじょうぶよ。川井さんだって年中無休ってわけじゃなし、これくらいのことよくあるから。それじゃあ二人とも、また来週」
笑顔を作り手を振るちゆに、のどかとひなたは顔を見合わせる。
「ま、待ってちゆちゃん! わたしに何か、お手伝いできることはないかな?」
「……え?」
教室の出口で立ち止まりきょとんとするちゆに、ひなたも鼻息を荒げながら立ち上がる。
「もー、のどかっち! それを言うなら『わたしたち』、でしょ! あたしとのどかっちが手伝えば、そのベテランさんの足元にも及ばないかもしれないけど、半人前のそのまた半分くらいにはなるでしょ!」
「で、でも、流石にそれは申し訳ないわ。そもそもうちの中学、バイト禁止だし……」
「真面目か!」
「まあ、それは冗談だけど……。でも、うちの家の仕事のことで、二人に負担をかけるわけには、」
いつもはっきりした態度の彼女には珍しくもごつくちゆの言葉を、ひなたは手で制する。
「オッケーオッケー、みなまで言うな!」
「ちゆちゃんの旅館の温泉には、ラビリンやラテもお世話になってるし。それで代わりにちゆちゃんが部活に行けるってわけでもないけど……、少しでいいから力になりたいの。迷惑じゃなければ、ね? ちゆちゃん」
ちゆは難しい顔をしてしばらく考え込んだ後、
「……わたしだけで勝手には決められないから、お母さんにも聞いてみる。二人もご家族に連絡しておいてね」
「ちゆちゃん!」
「よーし決まりー! 今日ははりきっておもてなししちゃうよー!」
おー! と拳を上げるのどかとひなたに、ちゆも眉を下げながらもどこか安堵したような笑みを浮かべている。
(旅館のお仕事かぁ、わたしもしっかり頑張って役に立たないと!)
◇ ◇ ◇
「ええ~! 大和がぎっくり腰!?」
とある日の夕暮れ時。森の片隅にそびえる隠れ家のような工房、アトリエ・モリに、家主、森真理夫のすっとんきょうな声が響いた。
彼の甥、風切大和は、居候の一人であるレオにおぶられながら、アトリエ兼住居の中へと運び込まれた。他の仲間三人もそれに続く。普段、朗らかな笑みが浮かぶ大和の顔は、今は苦痛に歪んでいた。
「痛たたた……。レ、レオ! とりあえずそこ、そこに寝転がせて……」
「ったく、情けねぇなあ」
レオは大きなため息をつきながら、部屋の吊りベンチに大和の体を横たえる。やや粗雑なその扱いに、大和は幾度かうめき声をあげた。
「おいおいおい、どうしてこんなことになっちゃったのぉ?」
救急箱の中の湿布を探りながら尋ねる真理夫に、居候たち四人はぴくっと固まり、お互いに顔を見合わせる。アイコンタクトの結果、アムが代表して答えることとなった。
「えっとぉ、突然街中にデスガ……じゃなくて、ゴリラ? が現れて、大和くんがみんなを助けるために、そのゴリラと、こう、取っ組み合ってぶん投げた拍子に……」
「ゴリラ!? それって大事件じゃないの!? てか、大和おまえ、ゴリラと素手で闘り合ったの!?」
「いや、あのね叔父さん、それは物の例えと言うか……あくまでゴリラのような、体重数百キロくらいの怪人みたいな普通の人間をちょっとうっちゃりしただけだから……」
甥っ子の奥歯にものが挟まったような口ぶりに「そうなの?」と首をかしげながらも、真理夫は寝そべる大和の背中に湿布を貼り付ける。
大和をおぶって丸まった背中を大きく反り返しながらレオは誰にともなく尋ねる。
「だいたいよ、そのぎっくり腰ってのはなんなんだよ?」
「ぎっくり腰というのは、物を持ち上げたりするなど、腰に急な負担がかかったときに発生する急性の腰痛だ。とくに高齢なニンゲンほどなりやすいと聞くが……」
「いやいやいや、それ間違った知識だからね? 若い人でも普通になるからね!?」
冷静に解説するタスクに対し、うつぶせの姿のまま必死に弁明する大和だが、仲間たちの様子は依然冷ややかだ。特にいぶかしげな顔をしているセラが、さらに詰問するように大和に問う。
「ていうか大和、本当にそんなに痛いの? 骨が折れてるってわけでもないんでしょ?」
「そりゃもう、こうして立てないくらいには……」
消え入りそうな大和の声に、仲間たち四人は再度白けたため息をつく。
「いや、わかる。おじさんはわかるよぉ。しかもあれ、一回やっちゃうとクセになってまたなりやすくなるんだよなあ」
「叔父さんももしかして……経験者?」
真理夫は黙ってこくりと頷いた。再度救急箱の中をごそごそ探したのち、
「ありゃ、よく効く痛み止めがあったはずなんだけどなー。ちょっと、納戸の方見てくるわ」
と言って、真理夫はばたばたと駆け出して行った。
「ったく、おかげでデスガリアンは取り逃がしちまうしよぉ」
「ニンゲンって、意外とやっぱりこういうとき脆いのね」
「ちょっとみんな、さっきからなんか冷たくない!?」
レオとセラの罵倒めいたぼやきに、突っ伏したままの大和の半泣き気味の声を上げた。
大和たち五人が、地球侵略を企む宇宙の無法者デスガリアンから地球を守る戦隊、ジュウオウジャーであることを真理夫は知らない。重ねて言うと、大和以外のセラ、レオ、タスク、アムの四人は、地球と繋がる異世界、ジューランドから来た獣人、ジューマンであることも秘密だった。
その真理夫がいなくなり自由に喋れるようになって、四人の言葉のタガが外れたようだった。
「仕方ないよ大和くん。だって、私たちジューマンはぎっくり腰になんてならないもん」
「そんな単語も、そういった症状も、こっちに来て初めて聞いたくらいだ」
「そりゃ、君たちジューマンは基本みんなタフだからそうかもしれないけどさぁ」
ジュウオウジャーの中でただ一人の人間である大和は、こういう時立場が弱い。
「で、それはすぐに治りそうなのかよ」
「いや、痛みは数日から二週間ほど続くようだ」
「えぇ~!? じゃあ、その間にまたデスガリアンが攻めてきたらどうしよう……」
「ま、向こうも相当ダメージ受けてたみたいだし、当分は大丈夫だと思うけど……」
身動きの取れない大和の頭上で、さらに肩身の狭くなるような会話が繰り広げられる。
追い詰められた大和の脳裏に、ふと一つの単語が思い浮かんだ。
「温泉……」
「「え?」」
「温泉に行ってゆっくり体を癒せば、少しは早く治るかも」
大和のうわ言のような提案に、顔を輝かせて即座に食いついてきたのはアムだった。
「いいじゃん、それ! 温泉温泉~ん! 私、前から目星をつけていたところがあるんだ~!」
そう言って、アムは本棚から流れる手つきで一冊の雑誌を取り出し、端が折りたたまれたページを開き、大和の目前へと突き付けた。
「いや早いね!? えっと何々……、『癒されたがり女子の隠れ聖地、すこやか市』……?」
「そうそう! 日帰り温泉、ハーブショップ、鍼灸院、リフレクソロジー! 体によさそうなお店勢揃いの、いま大流行の隠れた人気スポットなんだって! あ、クッキングカーのカフェでグミ乗せフルーツジュースだって、すっごく飲みた~い!」
「隠れているのか流行っているのかどっちなんだ」
「アム、それ完全に自分のためでしょ」
タスクとセラのツッコミもどこ吹く風で、アムはあれもこれもと雑誌のいたるところを指さし、大和にすこやか市のアピールを続ける。
単なる思い付きにここまでの食いつきを予想していなかった大和は、苦笑しつつ生返事を繰り返していたが、やがて一枚のページに目を留めた。
「あ、でもこの旅館とか落ち着いた雰囲気ですごくいいな。『旅館 沢泉』か……」
どれどれ、とアムは大和からひったくるように雑誌を取り返す。ふんふん、と内容に目を通すと、きらきらと目を輝かせて顔を上げた。
「たしかにー、いいねここ! 大和くんもおススメだしここに決まり! 決定~ぃ!」
「えっ、本当に行くの!?」
そうだよ? とさも当然のことかのように首をかしげるアムに、大和は深いため息をつく。
「いや、いいんじゃないか。湯治の効果と言うのは案外バカにできないと聞くし、それで大和の治りが早くなるのならそれに越したことはない」
「あれ、意外と乗り気だねタスク」
「だってタスク、雑誌の内容見てるときからずっと尻尾が揺れてるもん」
「そ、そういうセラこそ尾びれがぱたぱたしているじゃないか!」
強がり合う二人に、アムは一層笑みを濃くする。
「よしよし、セラちゃんとタスクくんは賛成ってことで。レオくんは?」
「あ? 俺はうめぇもんが食えるならどこでもいいぞ」
「それならこの旅館、料理もお墨付きみたいだし問題ないね! はい、満場一致!」
「いや、一番の当事者の俺の意思は……いててて」
大和は何とか起き上がりベンチに腰掛け、四人の顔を見渡す。全員、期待に頬が艶めいている。こうなると彼らジューマンはテコでも意思が変わらないことを大和は身をもって知っていた。
「仕方ない……! それじゃあ、すこやか市に温泉旅行と洒落こみますか!」
おー! と五人は拳を上げた。……ただ一人、腰の痛みに呻いてすぐに縮こまった一名を除いて。
「まずは、まともに動けるようになってからね……」
面目ない、とセラに謝る大和に、タスクは溜息をつきながら指摘した。
「それにしても、あんな見るからに重そうなデスガリアンを投げ飛ばすなら、ジュウオウゴリラになるべきだったんじゃないか?」
「仕方ないじゃないか、子どもが襲われそうになって、咄嗟に何とかしようと思ったらこうなっちゃったんだから」
「そう言えば、あのデスガリアンもゴリラみたいな見た目だったよね。名前、なんだったっけ?」
「えっと、確か……」
◆ ◆ ◆
場所は大きく変わって、空の向こう。成層圏に浮かぶ、巨大な金弓のような外観をした宇宙船、サジタリアーク。
星々を巡り、その全てを自分たちの「ゲーム」の遊戯場として侵略し、弄んできた無法者の集まり、デスガリアンの旗艦だ。
その幹部たちが集まるロビーで、デスガリアンのオーナー、ジニスは、豪奢な椅子に腰かけ己が退屈をグラスの水面に揺らしていた。
その静寂を破るようにエントランスから現れたのは、2メートルほどのただの丸い岩の塊のような、無骨で大柄のデスガリアンだった。
「うおーすー! チームアザルドのプレイヤー、モンド・ダイヤ! ただ今帰還したど!」
その野太く間延びした声に、デスガリアン幹部の一人、紺色の立方体がひしめき合った塊のような巨漢、アザルドは、手にしていたグラスを忌々し気にバーカウンターに置き、帰還した己がチームメンバーへと詰め寄った。
「何がうおーすだ! 大した戦果も挙げずにおめおめと帰って来やがって!」
「アザルド様! おおお落ち着いてほしいだど。今回はただの様子見でしただど……」
「何が様子見だ、大体テメェはってぬおおっ!?」
そのアザルドを押しのけるかのように、今度は別の幹部がモンドへと詰め寄った。ジニスの秘書であり「ゲーム」のサポート役も務める、妖艶な女幹部ナリアだった。
「あぁら、モンド・ダイヤじゃない。フフフ、お帰りなさい。今回は少し残念だったわね……」
「ど、どうもだど……」
「おい、ナリア! いま俺が話してるところだったんだよ! 大体お前、普段はオーナーにべったりのくせしやがって、なんでコイツのことはやたら目をかけてやがんだ!?」
ナリアは、その頭部に艶めく緑色の軟体をかき上げ、心底愉しそうに笑った。
「あら、わかりませんか……? それはなんと言っても、このダイヤモンドのような美しい体です! 光を浴びて幾重にも煌めく結晶……。ああ……いいわ。そう、素晴らしいのよダイヤモンドは……」
「ほ、褒めてもらえて光栄だども、近すぎるだどナリア……」
「けっ、どんだけキラキラしてようが、見た目はお山のゴリラじゃねぇか」
ねっとりと猫をあやすようにモンドの頬を撫でるナリアに、アザルドは悪態をつく。
アザルドの言う通り、モンド・ダイヤの丘のように丸い上半身は、実際には異様に発達した僧帽筋と上腕筋で構成されており、たしかに地球最強の類人猿の屈強さを思わせる。ただ、彼のその逞しい体躯の表面は、屈折で薄青く輝くダイヤのような硬皮でまだらに覆われていた。その煌びやかさは、彼の無骨すぎる体と何とも言えないミスマッチを醸し出していた。
そして、大きな鼻孔が特徴的な顔の頂きも同じく結晶が覆っているが、今はその頭頂部はひび割れ、光を失っていた。
「なかなか派手に暴れ回っていたようだが、最後にまた彼らの邪魔が入ってしまったね」
「はい、ジニス様……。にっくきジュウオウイーグルめ、よくもオデにあんな見事なジャーマンスープレックスを……!」
地団太を踏むモンドに、ジニスはくっくっくと喉を鳴らした。
「しかし、あの赤いのも相当痛手を負ったみたいじゃねぇか。ま、それくらいかお前の戦果は」
「はい、アザルド様。ヤツが復活する前に、オデもこの頭の傷をとっとと治して、次のゲームに向かいますど!」
「確かに、これじゃせっかくの輝きが台無しだわ……。このナリアが、あなたの頭を冷やしてあげたい……」
「いや、冷やしてもこのケガは治んねぇどナリア」
「なあナリア、お前やっぱり今日ちょっと変じゃねえか?」
アザルドのツッコミを無視し、ナリアは心配そうにモンドの頭を撫でている。
「コホン。で、どうするんだい、モンド・ダイヤ」
ロビー内の妙な空気に、ジニスは一つ咳ばらいを挟んでモンドに尋ねる。
「はっ、なのでオデは、少しおヒマをいただき温泉に浸かってくるど」
「温泉……?」
モンドは嬉しそうに笑いながら頷き、
「オデは三度のメシより、いや、三日三晩メシ抜きになったって風呂に入れりゃそれでいいってくらいの温泉好き! 温泉に入ればこんな傷、あっという間に治っちまいますど! ついでにひと暴れして、その辺の温泉ぜーんぶ牛耳ってやりますど!」
「ほう、それは面白そうだ。好きにしたまえ」
ジニスは、興味があるのかないのかわからない薄い笑いを浮かべ、グラスの酒を一口すすった。
「だが、温泉っつったって、この日本って土地にゃ腐るほどあるんじゃねぇか?」
「そこは抜かりありません、すでに下調べはしてあるど! というわけで早速行ってくるど!」
そう言い残し、モンドはドアを開けて勢いよく飛び出していった。
「ええ、早く治しておいで、ダイヤモンド……フフフ」
「……ナリア。本当に、今日の君は一体全体どうしたんだい……?」
□ □ □
「きゃー、着物だー! めっちゃかわいー! テンションあがるー!」
「ふわぁ、綺麗……」
「わたしは着慣れちゃってるから何とも思わないけど、そんなに……?」
「だってー、着物なんて七五三以来まったく着る機会ないしー!」
「わたしも! 実はちゆちゃんが着ているの見てから、ずっと憧れてたの」
それぞれの家族の許可も降り、旅館沢泉へとやってきたのどかとひなたは、ちゆから従業員用の着物を借りて着つけてもらった。えんじ色の簡素な和服だったが、二人は自分の姿を鏡で確認しながらはしゃいでいる。
「ひなたー、お前コスプレしに来ただけじゃないだろーなー?」
「ち、ちーがうってー! 仕方ないじゃん普段着れないんだからさー」
「って、ニャトラン!? あなた、ついてきちゃったの?」
ひなたの肩から突如顔を出したひなたのパートナー、ニャトランに、ちゆは思わず声を上げた。
「あ、あの~、ちゆちゃん。実は……」
「ラビリンもいるラビ!」
「ワン!」
「ラテまで……。まったくもう」
のどかの足元から顔を出したラビリンとラテに、ちゆは額を押さえる。
「もちろんオレたちも手伝うぜー! ペギタンだって、普段ちゆの旅館のお手伝いしてるんだろー?」
「そ、そうだけど、見つからないようにちょっとだけペェ」
「だいじょうぶ! ラビリンもこっそりお手伝い得意ラビ! のどかのお母さんのお墨付きラビ!」
「あー、最近お母さんが『この家ホコリが溜まりにくいわね』って言ってたの、ラビリンのおかげだったんだ……」
すっかり手伝う気満々の三匹に、ちゆは苦笑しながら、
「それじゃあ、みんなには主にお風呂周りのお手伝いをしてもらおうかしら。今日も一日、よろしくお願い致します!」
深々とお辞儀する彼女に、よろしくお願いします! と全員が続いた。
「まずは、足りなくなったお風呂の備品を運ぶわね」
二人を倉庫へと案内したちゆは、段ボールに箱詰めされたシャンプー等の備品を運ぶよう指示した。
「重いから気を付けてね」
言いながら、自身も二つの箱を持ち上げるちゆ。
「お、重っ!? よくこんな重いもの二つも持てるねちゆちー!?」
「んー、わたしは慣れてるから……無理せず、ひと箱ずつ運んでね。……のどか?」
ひと箱だけを持ち上げて運ぼうとするひなたの陰で、のどかは箱の下に手を添えたまま固まっていた。
「……ひと箱も、持ち上がりません……」
「あやや」
うう、とうなだれるのどかに、しょうがないわね、とちゆは手にしていた箱を一旦置き、倉庫の隅から何かを引きずり出してきた。
「台車に積んであげるから、これで運んで。階段が使えないから、少し遠回りになっちゃうけど」
「ううん、ありがとう、ちゆちゃん……」
ちゆは先ほどまで手にしていた二つの段ボールを台車に積み直すと、別の二箱をひょいと持ち上げた。
「五箱あれば十分ね、助かるわ。さ、持っていきましょう」
軽快な足取りで進むちゆを、ひなたとのどかも追いかける。
「う……、台車も重……。ううん、がんばらなきゃ……!」
「よし。じゃあ次はお風呂掃除ね」
「ここならラビリンたちも手伝えるラビ!」
「そうね、じゃあラビリンたちはシャワー周りの細かいところをお願い。ひなたは外の露天風呂の掃除に向かって。足場の悪いところもあるから無茶はしないこと。のどかはわたしと一緒に、大浴場の中を掃除しましょう」
「「はいっ!」」
てきぱきと指示を出すちゆに、一同はびしっと敬礼する。
のどかはデッキブラシを手に、空っぽの湯船に降り立った。
人もおらず、湯の溜まっていない大浴場というのはなんだか不思議な心地だ。普段はむせ返るような蒸気の香りがするはずなのに、今はその空気はひんやりとしていて、自分の声がより一層室内に響く気がする。
「床の掃除が終わったらわたしも合流するから。意外と大きいから無理はしないでね」
「うん、わかった!」
大きくうなずくのどかに、じゃ、とちゆは手を振り、素早くかつ細かな手さばきで浴室の床を磨き上げていく。
「ふわぁ、すごい。わたしもがんばらなきゃ……!」
まず、ハンドブラシで湯船の側面を磨いていく。基本は家のお風呂掃除と同じ、とは言われたものの、いざこうして向かい合ってみると、印象はまるで違う。浴槽というより、延々と続く壁をひたすら磨いているようだ。
全体の半分を磨き終えたところで、右腕の筋肉が悲鳴を上げた。
「のどか、平気ー? 休みながらでいいからねー?」
「う、うん、大丈夫だよー!」
すでに大浴場の奥の方まで進んでいるちゆの声に、疲れを見せぬよう声を張ってのどかは答える。
「そうだ、がんばらなきゃ……!」
ふん、と自分を奮い立たせて、残りの壁をせっせと磨き上げていく。
だいぶペースは落ちたものの、なんとか浴槽の壁は全て磨き上げることができた。
「……よし! 今度は、底の掃除――」
額の汗をぬぐい立ち上がった、その時だった。
振り返って浴槽を見渡したはずなのに、視界はふわっと上に振れ、天井をぼやけたピントで映す。周囲の音が一瞬、さーっと遠ざかる。
頭の中がたぷんと揺れ、その勢いが体にまで伝わりバランスを失なうような、これまでも幾度となく味わってきた感覚――
「っ、のどか!?」
パートナーの異変に瞬時に気づいたのか、ラビリンが咄嗟に声を上げた。
その一声で、のどかは自分が湯船の中で倒れそうになっているのに気づいた。慌てて、手にしたデッキブラシを支えにし、体を半回転させながらも何とか倒れこむのを防いだ。ラビリンは手にしていた雑巾を放り投げ、慌ててのどかの元へと飛んでいく。
「のどかー! 大丈夫ラビ!?」
「ラビリン……。うん、平気、少しくらっとしただけだから」
「それ、全然平気じゃないラビ!」
虚勢ではなかった。よくあることだから、「これ」がどの程度深刻なものなのか、自分でははっきりわかっているつもりだ。実際、頭のふらつきもすでに無くなっている。だが、冷や汗の浮かぶのどかの顔に、ラビリンはまったく納得がいかない様子だった。
一拍遅れて異変に気付いたちゆも、掃除道具を放り出し駆けつけてくる。
「のどか、一体どうしたの!?」
「めまいがしたみたいで、倒れそうになってたラビ。でも、のどかは平気だって」
「めまいって……ダメよ、いったん休みましょう。床の掃除は終わったし、残りはわたしがやるから」
「だ、大丈夫だよ。こんなのよくあることだし、ここまでやったんだもん、最後までやりきりたくて」
「ダメったらダメ。それなら風呂桶の掃除とか、座りながらでもできる仕事はあるから」
「でも……」
食い下がるのどかに、ちゆはふぅ、とため息をひとつついて、
「……これはあくまで他の旅館での話なんだけどね」
「……?」
「のどかと同じように、お風呂の掃除中に気を失って倒れた人がいたの。倒れたといっても、床にぺたんなんて感じじゃなくて、棒が倒れるみたいにばたーんとね。で、お風呂って床も壁も硬いところばかりじゃない? その人は運悪く湯船の角にちょうど前歯――」
「わわわわわかりました! 休みます! 今すぐに!」
「よろしい。落ち着いたら、また声をかけて。体は動かさなくても、手伝ってもらえることは山ほどあるんだから」
ね、とちゆはのどかを励ますように背中を押した。
大浴場を出て、脱衣所の椅子で力なく腰掛ける。ほどなくして、ラビリンがちゆの用意していた小さなパックジュースを持って戻ってきた。
「のどか、これ飲んで少し休憩するラビ」
「ありがとう、ラビリン」
ストローから吸い上げたりんごジュースの冷たさが、やけに喉にしみる。半分ほど飲み干すと、のどかは心配そうに見つめるラビリンに声をかける。
「ラビリン、ご――」
「ストーップ! のどか、謝る必要なんてないラビ!」
「え……?」
見事にセリフを遮られ、きょとんとするのどか。
「のどかはちゃんとお掃除がんばってたラビ! ちょっとがんばりすぎて怪我しそうになったけど、でも何ともなかったラビ! だから、謝る事なんてないラビ!」
「う、うん……。でも、よくわかったね、わたしが謝ろうとしてたって」
「これでも、のどかのパートナーになって早数か月! のどかの考えていることはまあまあ何でもお見通しラビ!」
どんと胸を叩くラビリンに、そっか、と思わずのどかも笑う。
「だから、また元気になったらお手伝いすればいいラビ! 今は休むのがのどかの仕事ラビよ」
「……うん、そうだね。わかったよ、ラビリン」
よろしいラビ、と頷くと、ラビリンは手を振って大浴場へと戻っていった。
一人残ったのどかは、残りのジュースを力なく飲み終わると、古ぼけた壁時計の秒を刻む音がただ静かに響く部屋の中で、ぽつりと呟いた。
「わかってるん……だけどね……」
◇ ◇ ◇
「えー! あたしが露天風呂と格闘してる間にそんなことがあったの!?」
お風呂全体の掃除が終わり、ロビーの方へと戻る三人。
「ご、ごめんね。ひなたちゃん、心配させちゃって」
「ごめんじゃないよー! ケガとかなくて本当によかったよ……」
「うん、でも、ちゃんと手伝えなくてわたしの方こそ申し訳なくて……」
しゅんとするのどかをたしなめる様にちゆが続ける。
「何言ってるの、そのあと風呂桶や椅子の掃除、全部やってくれたじゃない。あれ、数あるし何気に大変なんだから」
ちゆの言葉に、そうかな、とのどかは少し笑顔を取り戻した。
「……あら、お客様だわ。やだ、受付誰もいない……!」
ロビーに到着した途端、ちゆは来客に気づいて駆け出した。
受付の前で待っていたのは、赤いアウトドアジャケットを着た大学生くらいの男性だった。連れと思われる四人の男女は、物珍しそうに旅館の内装を見渡している。
「お待たせして申し訳ありません。えっと、風切大和様、ですね。お待ちしておりました。こちらにご記帳をお願いいたします」
「あっ、はい、えーと、わかりました」
「? どうかされました?」
少し戸惑う様子を見せる大和にちゆが尋ねると、白いウールのセーターを着た女性が代わりに問い返した。
「ねぇねぇ、もしかして、中学生?」
「ああ、はい。わたしは、この温泉旅館の娘です」
疑問が晴れた大和は、顔をほころばせつつ頭を下げる。
「そっか、ごめんねじろじろ見ちゃって。偉いなあ、その年でもうこんなにしっかりお手伝いができるなんて。もしかして、あそこにいる二人も……?」
「いえ、あちらの二人は、えっと……、社会科見学でお手伝いに来てくれている、わたしの友達で」
「花寺のどかといいます。よろしくお願いいたします」
「平光ひなたでーす。よろしくお願いしまーす!」
深々とお辞儀をする二人に、大和は律義にお辞儀をして返した。
「偉いんだね、二人とも」
「い、いえ、わたしは全然まったく……」
「……?」
ひらひらと手を振るのどかを少し不思議そうに見つめていた大和だったが、ちゆから部屋の鍵を受け渡されると仲間たちの方へと向き直った。
「ほら、行くよみんな!」
「よーし、温泉だー温泉!」
「ダメよ、タスクはともかくアンタと一緒に入ったら大和の体が休まらないでしょ!」
「あ、お土産屋さんだーちょっと私見てくるねー!」
「ダメだアム、まずは荷物を部屋に置いてからだ!」
「……なんだか、賑やかなお客さんだったね」
「ねーねーのどかっち。あのお客さんの服、変わってるけどめっちゃイケてなかった? エスニック系ていうか……オリエンタル系? よくわかんないけど」
「うん、赤い服の人は普通だけど……」
ひなたのいう通り、大和以外の四人の服装は、色鮮やかかつ見慣れない紋様の刺繍が幾重にも入った、アジア系の民族衣装のようだった。やや奇抜にも見えるものの、四人の纏う雰囲気には妙に似合っていた。
「こらこら、お客様の見た目のことをぺちゃくちゃしゃべらないの」
ちゆにたしなめられ、すみません、と縮こまる二人。
「たぶん、外国の方なんじゃないかしら。でも、名前が『風切 セラ』とか『風切 レオ』とかになってるから……兄弟……親戚……?」
ちゆも四人の素性が気になってきたのか首を傾げ始める。
そのまま話は過去に来た物珍しいお客さんの話になり、やがて荷物を置いた五人がロビーへと戻ってきた。
「すみません、早速温泉に入りたいと思うんですが……やってますか?」
「ええ、先ほど清掃が終わってお湯も入った頃ですので、一番風呂ですよ」
笑顔で答えるちゆに、やった! と大和は顔を輝かせガッツポーズを取った。……かと思いきや、
「うぐっ!? いてててて……」
「お、お客様? どうかされましたか?」
「あ、いえいえ、少し腰……体を痛めてまして」
「それは大変ですね……。のどか、案内してさしあげて」
「う、うん、わかった! あの、本当に大丈夫ですか……?」
「ああ、全然全然! ありがとうね」
頭を下げる大和に、とんでもないです、とのどかは笑顔で返す。
すると、ドレッドヘアーでやや強面の、レオと呼ばれている青年が、退屈そうに不満を垂れた。
「じゃあよー、俺たちはその間どうすんだよ」
「でしたら、足湯に入っていただくのはいかがでしょう」
「足湯……?」
もう一人の気真面目そうな青年に、ちゆは受付に立てかけられたパンフレットを取り出した。
「うちの名物の一つなんです。隣には、ペット用の温泉もあるんですよ」
「ペット……」
もたもたと大浴場の方へと歩き出した大和がぷっと少し噴き出したのをセラは聞き逃さなかった。
「ちょっと大和! なに笑ってんのよ!」
「てめー今、俺たちをペット扱いしやがったな!」
「そのような態度、断固抗議する!」
「でも大和くんと叔父さんに養われているのは事実だよね……」
「の、のどかちゃん! さっさと行こう!」
「は、はい!」
きゃんきゃんと喚く仲間たちから逃げるように、大和はその場を立ち去った。
「え、えっとー、じゃあお連れ様の案内は、ひなた、お願いできるかしら?」
「オッケーまかせて! 四名様ご案内~!」
大浴場への道すがら、のどかは堪えきれずくすくすと笑いだした。
「ご、ごめんね、騒がしい連ればっかりで」
「あ、いえ、こちらこそすみません笑ったりして。大和さんも皆さんも、すごく仲が良いんだなあと思って。大学か職場のお友だちなんですか?」
のどかの問いかけに大和は少し考えこみ、
「そうだなぁ、仕事ではないんだけど、ある目的のために一緒に戦ってる仲間……かな。あ、俺自身は動物学者をやってるんだけどね」
「学者さんなんですか……! ふわぁ、すごい!」
そんな大したもんじゃないよ、と謙遜する大和を尊敬のまなざしで見つめるのどかだったが、大和の言葉を聞きつけて襟元からひょっこり顔を出す。その声色は何故か怪訝に満ちていた。
「学者……? のどか、その人には気を付けたほうがいいかもしれないラビ……」
「ら、ラビリン、どうして?」
「のどかのお母さんがお昼に見てたテレビでやってたラビ! 学者とかケンキューシャっていう人間は、珍しい動物を捕まえて動物実験をするラビ! ラビリンたちももし見つかったら……ぞぞぞ」
「……お母さん、いったい何のドラマ見てたの?」
◇ ◇ ◇
「じゃじゃーん! こちらが足湯になりまーす!」
ひなたは他の四人を足湯へと案内した。
だが、彼女のテンションに対し、一行の反応は一名を除き、やや冷ややかだった。
「なんか……、小っさくね?」
「いや、足湯というのはその名の通り足だけで浸かるものだからこのサイズは正しいんだレオ。しかし、実際にこうして見ると……」
「これじゃ泳げないじゃない……」
「いっ、いやいやいやお客さん! そんなこと言わずにー、ものは試しに入ってごらんなすってー!」
意外なほどテンションを下げる三人に、ひなたにも少し焦りの色が見えた。
「そうそう、この子の言うとおりだよ! みんな足湯初めてなんだからやる前からとやかく言わないの! ね、ひなたちゃん!」
「あ~~~、お客様優しい~! ありがとうございますぅ……」
「ふふ、お客様だなんて。アムでいいよ」
唯一フォローを入れてくれたアムに、ひなたは一瞬で心を許してしまったようだ。テンションを持ち直して、腰掛けに四人分の敷物をささっと置いていく。
「さー、靴を脱いでお浸かりください!」
「はーいお邪魔しまーす」
颯爽と靴を脱ぎ、素足を湯気のぼる温泉へと滑り込ませるアム。他の三人ものそのそとした動きで続く。
「……うん」
「……まあ」
「温かいことは温かいが…」
釈然としない様子の三人を他所に、ひなたとアムは会話を弾ませる。
「こっちの美人がセラちゃんで、そっちの怖い顔のがレオ君、で、この真面目そうなのがタスク君ね」
「よろしくお願いしますー! アムさんたちはー、どちらからいらっしゃったんですかー?」
「……暇ね」
「……ふあぁ」
「本でも持ってくればよかった……」
……
「えっ、うっそあのカフェ、ひなたちゃんのお姉さんがやってるの!? 超偶然~! 私、絶対あのお店行こうと思ってたの~!」
「マ!? もーぜひぜひぜひ来てくださいー! なんなら割引しちゃうんでー!」
「……なんか」
「……少し」
「……汗をかいてきたような」
……
「えー、ひなたちゃんのお兄さん獣医さんなの? 超ステキじゃん~。あ、でもうちの大和君も動物学者さんなんだよ。話し合うかも」
「学者!? 確かにあのお兄さん、すっごくイケメンで頭よさそうですもんね! わかりみ~」
「…………これは」
「…………体が芯から」
「…………蕩けていくようだ……」
「ひなたー、お客様の足拭きタオル忘れてるわ、よ……」
四人が足湯に浸かって半時間ほど過ぎた頃だろうか。接客の終わったちゆが様子を見にやってきた。
が、その場の光景を目にした途端硬直し、手にしたタオルははらはらと地に落ちた。
「ワン! ワン!」
一緒についてきたラテは、何やら楽しいものを見つけたかのように高い声で吠えている。
「あーごめんごめんちゆちー。いやーアムさんと盛り上がっちゃってー。……ん? どしたのそんな顔して」
「いや……わたしのこんな顔より……そっちの……あんな顔が……」
「かお? ってぎょえええっっ顔ぉぉお!!??」
ちゆの指さす三人の方に目を移した途端、ひなたは絶叫とともに飛び上がった。
「あぁ~~……」
「足湯~~……」
「最高~~……」
沢泉の湯の効能により血行を程よく暖められ、すっかり全身をほぐされた三人の顔は、いつの間にかサメ、ライオン、ゾウのような、いや、そのものの顔へと変貌していた。ただ、その鋭い獣の眼は、遠くに夢の光景を映しているかのようにとろんと垂れ下がっていた。
「ちょ、ちょっとみんな! 変身! 変身解けちゃってるから!!」
アムが慌てて指摘するが、時すでに遅し。ちゆとひなたは驚きのあまりすっかり固まってしまっている。
「……はっ。えっ、嘘、私たちいつの間に!?」
「くっ、これが足湯の魔力ってぇヤツか!」
「そんなこと言っている場合じゃないだろう! 早く変身を、あ、あれ、うまく戻らない……」
慌てふためくセラ、レオ、タスクを他所に、しばらくちゆは何かを考えこんでいた。そして、
「……もしかして!」
急に我に返ったかと思うと、つかつかと三人の元へと近づいていき、セラの顔面にぐっと顔を寄せた。
「えっ、な、何……!?」
「もしかして皆さん、ヒーリングアニマルの方ですか?」
「「…………はい?」」
ちゆの問いに、三人は首を傾げた。
「あっ、そっかーなるほど確かに!」
そんな彼らとは裏腹に、ひなたも合点がいったかのようにぽんと手を打つ。
「えっと、ですからその~……、そうだ、この子!」
「ペェェェ!?」
ぴんと来ない様子の彼らに、ちゆは着物の懐に隠れていたペギタンを取り出して見せた。
「ち、ちゆ~! いきなり何するペェ!」
「この子、あなた達の仲間じゃありませんか!?」
三人はちゆの掌の上できょどるペギタンに顔を寄せる。牙むき出しの彼らの顔におののき、ペギタンは思わず顔を伏せた。
「「……いや、違うと思うけど」」
そっけない彼らの答えに、ちゆとひなたは思わずずっこけた。
「ええ~~! だ、だって、動物の顔して、言葉が通じてって、どう考えてもニャトランたちのお仲間じゃん!」
「そんなこと言われても、ねぇ……」
「ペンギン族のダチもいるけどよぉ」
「赤ん坊でもここまで小さくはないな」
ざわめく二人に対し、三人のリアクションは拍子抜けしそうなほど薄い。そこに、ペギタンもおずおずと加わわってくる。
「ちゆ、ボクも最初は驚いたけど、たぶんこの人たちはヒーリングガーデンの人たちじゃないペェ」
「そ、そうなの?」
「うん。それに、ボクたちには人間に擬態するような能力はないはずペェ」
「ニャトランたちだけでも驚きなのに、また別のアニマルさんが現れるなんてこんなことあるー!?」
頭を抱えて、思わずひなたは天を仰ぐ。
しかしその時、全く異なるもう一つの異変がすぐそこまで迫ってきていることに気づいた。
「……って、あれ? なんか急に、暗い……?」
様子のおかしい空を見渡すひなたの顔に、急に影が差しかかる。今日は雲一つない晴天のはずだったのに、ちょうどひなたたちを覆い太陽を遮る天蓋のような暗雲が突如出現した。
「ックシュン!」
その異変に呼応するかのように、ちゆの足元にいたラテが大きなくしゃみをし、力なくその場にへたり込んだ。
「まさか、これは……!」
「もう~、こんなややこしい時に~!」
頭を掻きむしるひなたと、急に息も絶え絶えな様子になったラテを交互に見ながら、レオが尋ねる。
「どうしたんだ、そのワンコ? 具合でも悪いのか?」
「いやー、これもなんと説明したらいいものやら……。ってあれ? レオさん、なんか尻尾がぴくぴくしてません?」
「え? おわぁ!? マジか慌てすぎて気付かなかった!」
「いや、レオ。確かになんだかいつもと少し反応が違う。デスガリアンのような威圧感ではなく、背筋を通り抜ける悪寒のような……」
「そんなの見極めてる場合じゃないでしょ。……上よ!」
三人が見上げた先。ひなたの見つけた暗雲は、旅館沢泉の屋上ほどの高さまで近づいてきていた。
ちゆとひなたは顔を見合わせる。今すぐにでもプリキュアに変身して戦うべきだが、まずは四人を逃がさなければ。
と、逡巡している間に、レオとタスクが雲の真下へと駆け出していた。
「こんな所にまで来やがるとはなぁ、デスガリアン!」
「仕方ない、ここは戦うしかないようだな!」
「で、デスガリ……? レオさーん、タスクさーん! デスガリアンだかデザトリアンだか知らないけど逃げてー!」
「危ねぇのはお前らの方だぜ、ガキンチョどもはおうちに入ってろ!」
「だ、ダメだー! ぜんぜん話聞いてくれないしー! 仕方ない、ニャトラン、行くよ!」
「おうっ!」
懐から飛び出し、ぴょんとひなたの肩に飛び乗るニャトラン。ちゆもペギタンと視線を合わせうなずき合う。
しかし、駆け出そうとするひなたとちゆの行き先を、アムとセラが躍り出て制した。
「ありゃ、今度は喋るネコちゃんかー。私と一緒だね」
「い、一緒? 何のことだ?」
アムはニャトランの額をつんつんと突くと、自分の頬に手を添え、
「ばぁ☆」
「ニャ!?」
「えぇっ、アムさんも!?」
瞬く間に白銀色の毛並みのネコ科動物の顔に早変わりしたアムに、思わず二人はたじろいだ。
「いろいろお話したいところだけど、お願いだから今は下がっててね」
よしよしとニャトランの頭を撫で、レオとタスクの元へと駆けるアム。
「………………かわいい」
「? ニャトラン?」
一方、セラもちゆの肩に乗るペギタンのヒレを、握手をするように人差し指でくいくいと持ち上げる。
「ぺ、ペェ……?」
「なんか、弟が小さかった頃を思い出すなあ。ここまで小さくはなかったけど」
「セラさん、あの」
「ちゆ、だっけ? ここは危ないから、早く建物の中に避難して。じゃあね、ペギタン」
セラも手を振り、三人の元へと駆け付ける。
「………………かっこいいペェ」
「? ペギタン?」
集合した四人のその手には、鈍い光を照り返す黒い立方体が握られていた。
横一列に並び立った彼らは、手にした立方体――ジュウオウキューブを展開した。
「……携帯電話?」
いぶかしげに見つめるちゆの推測通り、キューブの内面には電話のようなプッシュキーが配列されている。四人はそれぞれのボタンを押した。
『シャーク!』
『ライオン!』
『エレファント!』
『タイガー!』
各々の動物の名前を、キューブは声高らかに呼ぶ。四人はそれに続くように、頭上の敵を睨み据えて叫んだ。
「「本能覚醒!!」」
そのけたたましい雄たけびとともに、彼らはジュウオウキューブをまるでパズルを解くかのように捻りこむ。
盤面が乾いた金属音を響かせ、一度、二度、三度目に噛み合ったその時、キューブから溢れたジューマンパワーが、まるで結晶を象どるかのように、彼らを包み込む一回り大きな光のキューブとなり、次第に速度を増しながら回転していく。
手にしたジュウオウキューブを頭上高く掲げ上げたその時、光は眩いほどにその力を増し、四人の体へと吸着すると、剛くしなやかな衣へと変貌する。
そしてついに、彼らの肉体を守護し、悪を討つための力を躍動させる、四者四様の色鮮やかなスーツとして顕現した。
「荒海の王者、ジュウオウシャーク!」
「サバンナの王者、ジュウオウライオン!」
「森林の王者、ジュウオウエレファント!」
「雪原の王者、ジュウオウタイガー!」
「「動物戦隊、ジュウオウジャー!」」
高らかに名乗りを上げた四人の戦士の姿に、ちゆもひなたも、ペギタンもニャトランも完全に呆気に取られてしまった。
「か、か、かっこいい~~~!!」
ようやく気を取り直したひなたは、目を星空のように輝かせ、隣のちゆの肩をがっくんがっくん揺らせながら興奮気味にまくし立てる。
「超超超かっこいいよ~! ねぇねぇちゆちーやばくない!? あの鋭いマスク! しゅっとしてカラフルなスーツ!」
「ええ……そう? なんか胸におっきく動物の絵が描いてあるけど……」
「いやー、アニマルプリントも着こなし方次第、やるならドーンとでっかく! っていうヒジョーに良い例だよね!」
二人が温度差のすごいやり取りを繰り広げる中、レオは空に向かって啖呵を切る。
「おい、デスガリアン! そんなところふわふわ浮いてないで降りて来やがれ!」
「デスガリアン? オレたちはそんな名前じゃないんだけど?」
すると、まったく別の方向からローテンションな少年の声が響き、四人は思わず振り向いた。
温泉の垣根の上に、血のような深紅のコートを羽織った少年が立っていた。背中からは蠍のような尻尾も見え、その皮膚は青白いというレベルを通り越してうっすらと青く、一目で尋常の者ではないとわかる。
タスクは一歩前に出て、少年に尋ねた。
「君は一体誰だ。デスガリアンの手先じゃないのか」
「……はぁ、一応名乗っとこうか。オレの名前はダルイゼン。そのデスなんとかが何か知らないけど、一緒にしないでほしいね。それに、お兄さんたちこそ何さ、ジュウオウジャーって。……一応確認するけど、まさかプリキュアってわけじゃないよね」
「プリキュア……? 何それ、そんな動物、ジューランドにもいないわよ!」
セラたちの反応に、ダルイゼンは眉をひそめながらも苦笑する。
「動物……? ふふっ、いいねそれ。まあオレたちにとっちゃ、あいつらは動物、いや害獣みたいなもんか」
「ちょっと! アイツすっごく失礼なこと言ってる!!」
ぷりぷりと怒るひなたを他所に、ダルイゼンは嘲るように笑いながら続ける。
「にしても、お兄さんたちもずいぶん変わったカッコしてるね。それで何、アイツと戦うつもりなわけ?」
「先程の質問の返答次第だ。君たちがこの地球に仇なす存在なのであれば、牙を剥くだけだ」
タスクとダルイゼンの間に一瞬、緊張の糸が張り詰める。ダルイゼンは一つ溜息を吐くと、
「残念ながら、大正解。メガビョーゲン、めんどくさそうだからまとめて蝕んじまいな」
「メガ、ビョーゲン!」
上空に浮かんでいた雲は、空に向けていた顔をぐるりと反転させ、ようやくその全貌を現した。
巨大な雨雲のようなその体の内側では、腐肉のような朱と汚泥のような黒がまだらにうねる瘴気が蠢いている。その雲の中から突き出た巨大な頭には邪悪な笑みが浮かび、これまた無造作に突き出た太く長い腕の先には、大人の体でさえ包み込んでしまえるほどの大きな手がわきわきと指を鳴らしていた。
「メガーーーッッ!」
メガビョーゲンが唸り声をあげると、その体全体からシャワーのような瘴気の雨が大量に落ち、ジュウオウジャーたちへと降り注いだ。
「危ねえ!」
とっさに避ける四人。雨が降り注いだ後の岩盤には、瘴気の残滓がゆらゆらと揺らめいていた。
「この攻撃、一体何だ……!? 気をつけろみんな! 毒のようなものかもしれない、おそらく触れるだけでも危険だ!」
「うん、よくわかんないけど、本能がめちゃくちゃヤバイって訴えてきてるよ……!」
タスクの分析に、アムの声にも緊張が走る。
「フン、当たらなければいいんでしょ!」
「そういうこったセラ! お前ら、いくぜ!!」
◇ ◇ ◇
一方その頃。
「あの怪しい雲……まさか……」
のどかに案内されて大浴場にたどり着いた大和は露天風呂に浸かり、つかの間の休息を満喫していた。
しかし、突如飛来した不自然な暗雲に顔色を変えた。
しばらく様子を伺っていたが、聞き慣れたジュウオウチェンジャーの遠吠えがこだまするのを聞き、いよいよ事態がまずい方向に進んでいると確信した。間違いない、デスガリアンの襲来だ。
「もう、なんでこうもピンポイントでやってくるんだ! 早く行かないと……!」
体の奥まで染み入るような沢泉の湯の心地よさは名残惜しかったが、そうも言っていられない。大和は慌てて露天風呂を出ようとした。しかしその時。
「うわっとと!? ご、ごめんなさい! 俺以外にお客さんがいたなんて……?」
風呂の底に伸びていた足につまづき、大和は反射的に謝った。だが、ちゆの言っていた通り大和は一番風呂で、以降客は入ってこず貸し切り状態だったはずだった。大和の隣にあったのはただの岩だったはず。
「ああ、大丈夫ですど。お気になさらず」
「ありがとうございます。…………ど?」
ゆるやかな風が吹き、湯煙が晴れたその先には、岩と呼ぶにも無骨すぎる、ついでに言うなら顔までついた、ダイヤを纏った巨大なゴリラが気の抜けた顔で肩まで浸っていた。
「お、お前は、ゴリラ・モンド!」
「モンド・ダイヤだど! ……って、あーーーっっ!! そういうお前はたしかジュウオウイーグル! ……の中のニンゲン! なぜこんなところに!?」
「いやそれ完全に俺のセリフだから! どうしてデスガリアンが温泉になんて!」
「なっ、デスガリアンが温泉に入っちゃいけないんだど!? デスガリアン差別だど!」
「えぇ……なんかごめん」
慌てて大和はタオルを腰に巻き、気を取り直してモンド・ダイヤと対峙する。
「あそこに浮かんでいる怪しい雲! あれもお前たちの仕業か!」
「……え? 何だありゃ? オデ、あんなもん知らねぇど」
「へ? そうなの?」
「いくらオデたちが悪者でも、そうやって何でも決めつけるのはよくねえど」
「えぇ……なんかすみません」
大和はばつの悪そうに少し頭を下げる。
「まあそんなことはどうでもいいど。ドタマかち割られた恨み、今ここで晴らしてやるど!」
「ちょっ、まっ、まま待って!」
「あぁ?」
腰のタオル一枚、完全無防備の大和はモンドを慌てて制する。
「えぇ~と……、そうだ! こんなところの温泉にまで来るなんて、君よっぽどの温泉好きなんだよね?」
「そうだど、デスガリアン一の温泉フリークだど」
「だったら、温泉のルールもちゃんと守ってるでしょ。温泉では、」
「走らない、はしゃがない……むぅ……」
確かに、とモンドは腕を組んで考え込み始めた。
「あっち、あの雲の下あたりに足湯があるらしいんだ! そっちもすごく評判いいから、まずはそっちを試してみたらどうかな? ね?」
なだめるように言い聞かせる大和。すると、
「……確かに、まだここの温泉すべて満喫してねぇど。それが終わって、フルーツ牛乳飲んだら改めて対決だど!」
「オッケー。じゃあ俺は、お先に、あがらせていただきます……」
おう、と手を振るモンドに作り笑顔を浮かべながら、大和はそそくさと、最後は駆け足気味に大浴場を抜け脱衣所へと向かった。
「危なかった……! みんな、ごめん。でも、さすがにスーツの下素っ裸で戦うのはさすがに戦隊としてどうかと思うから……!」
□ □ □
「はあ……」
ロビーと大浴場を繋ぐ渡り廊下にある休憩用のベンチで、のどかは深いため息をついていた。
結局、大和を送り届けた後、ロビーに戻る途中でここにへたり込んでしまい、そのまま動けなくなっていた。
以前、ラテたちを温泉に連れてきたときはわからなかった。
旅館というのは、想像よりもずっと広い。物を取りに行ったり、廊下を行き来する、ただだけで少しずつ体力が削られていく。
お風呂の掃除もそうだ。ただ入浴するだけの時には想像もつかないほどの大きさに翻弄され、結局ちゆにまで迷惑をかけてしまった。
のどかは、年季の入った高い天井を見上げ、ふと目を閉じた。
――こんな時、
「……あぁ、ダメだダメだ」
ふと、頭をよぎりそうになる言葉を振り払うように、のどかはかぶりを振った。
こうして一人でいるから余計なことを考えてしまう。そう考え、ベンチを立とうとしたその時だった。
「のどかーーー! 大変、大変ラビ!」
「ラビリン? あれ、いつの間にいなくなってたの?」
慌てて飛んできたラビリンをのどかは抱きとめる。
「それどころじゃないラビ! ラテ様の鳴き声が聞こえて見に行ったら、足湯にメガビョーゲンが現れたラビ!」
「えっ、嘘!? ごめん、気付かなくて。ちゆちゃんとひなたちゃんはもうお手当て始めてるの?」
「いや、それが二人じゃなくて……、ヒーリングアニマルじゃないけど実は動物だった人たちがプリキュアじゃないけど変身して戦ってるラビ!」
「…………えっ、ごめんもう一回言って……?」
頭に大きなハテナマークを浮かべるのどかに、ラビリンは頭を抱える。
「ラビリンも何が何だかよくわからないラビ! とにかく行くラビ!」
「そ、そうだよね! わかった!」
慌てて駆け出そうとするのどかだったが、振り返ったその途端、突如現れた人影と衝突してしまった。
「うわっとと、って、のどかちゃん!? ごめんね、怪我はなかった!?」
「だ、大丈夫です……って、大和さん!? も、もう出てきたんですか?」
先程、彼を大浴場に案内してからさほど時間は経ってないはずだった。
しかも、大和の服のボタンは中途半端に締まり、髪の毛もほとんど乾いておらず髪先から雫さえ垂れている状態だった。
「そんなに慌ててどうされたんですか、何か忘れものならわたしが……」
「い、いやー、ちょっと、ね。それよりのどかちゃんこそ、なんだか慌ててるみたいだけど……」
「い、いやー、わたしは……」
「「ちょっと足湯の方に用事が……」」
華麗にハモった二人は、思わず目を見合わせる。
「駄目だって、今あっちは危ないから!」
「駄目ですよ、今あっちは危ないですから!」
これまた見事にハモった二人は、顔をしかめながらまたも顔を見合わせる。
「じゃあ、ここで待っててね。俺はあっちへ行くから……」
「じゃあ、ここで待っててくださいね。わたしはあっちへ行くので……」
そして、二人同時に足湯の方へと歩を進める。
「って! だから、足湯の方は危ないんですってばー!」
「じゃあなんでのどかちゃんはそっちに行こうとするの!?」
「そ、それは……。いやいや大和さんこそ! お怪我されてるんだから安静にしていてください!」
「そ、そういうわけにもいかないんだってば!」
お互い一歩も譲らず、妙な膠着状態が続く。
(のどか! 何やってるラビ!)
業を煮やし、襟元からそっと顔を出して耳打ちするラビリン。しかし、あまりに距離が近すぎたようだ。
「……? 今なにか別の誰かの声がしたような……?」
「……っ!」
訝しげにのどかの背後をのぞき込もうとする大和。まずい、と思ったのどかは咄嗟に駆け出した。大和も反射的に追いかける。
「お、お願いです! 追ってこないでくださいー!」
「お、お願いだから誤解されそうな悲鳴はやめて!?」
社会的危機を感じた大和は猛然とダッシュし、のどかに追いすがった。そして、
「ひゃあ!?」
「悪いけど、ここで大人しく……」
のどかの両脇を掴んで抱え上げると、その場でくるりと反転し、
「待って、て!!??」
反対方向に降ろしたその時、大和の体の芯から響いた不穏な音をのどかは確かに聞いた。気がした。
「…………グキ?」
恐る恐る振り向いたその先で、大和はへっぴり腰で杵を突いたような妙なポーズのまま、んが……とか、んご……などの声にもならない鼻濁音を鳴らしながら固まっていた。
「えっ、え? あれ? 大和さん? どどっ、どうされたんですか??」
「……のどかちゃん。叔父さんの言っていた意味がわかったよ……。ぎっくり腰は、一度やったら、なりやす、い……」
そして、その姿勢のまま静かに床へと倒れこんだ。
「え、えっ!? ぎっくり腰!? わ、わたし、どうしたらいいですか!? ら、ラビリン~! どうしよう~~!」
「? ぎっくり腰って何ラビ?」
ヒーリングガーデンには存在しない言葉に、ラビリンはただ首をかしげるだけだった。
「だ……、誰か、お医者さんはいませんか~~~!!」
第2話へつづく