Dreamer -My Imaginary Irelia's brother- 作:Moa
舞踊を学ぶ為にナヴォリのプラシディウムへ向かう事を決めたイレリア。月明かりの下穏やかな風が肌を撫でる。出立の前夜、少女は眠れないのだと黒髪の少年を呼び出した。
「ナユタ……兄さん」
三つ年上の兄に彼女は随分と懐いていた。他人からはどうも近づきにくいと思われるらしいイレリアにとって安らぎとなるのは家族の存在だった。
その中でもナユタは特に『安らぎ』という言葉が似合う穏やかな少年だった。喧嘩している兄弟たちを見守りながら白熱しすぎれば怪我をする前に止める。
まるで人が座る為にこしらえられたかのような形に凹んだ石に並んで座ると夜空を背景に少女は輝かしい未来を語る。その横顔を、代えがたい奇跡を隣にナユタは微笑んだ。
「遅くまで起きてると明日辛いぞ。楽しみなのはわかるけどさ」
「そうだな。わかっているつもりなのに」
「まあ、俺でよければ付き合うよ」
「そうだ、何か欲しいものはある?買ってくるよ」
土産を聞いてみたところ兄はこう答えた。
「イレリアが元気に生きてることが一番だよ。でも帰ってきたら舞が見たいな」
「ふふっ。ナユタこそ元気でいて。兄さんは優しすぎるから悪い奴に騙されないか心配になるんだ」
「イレリアは俺の事なんだと思ってるんだよ」
たわいない話を続ける。
その時だった。二人の頭上に流れ星がきらめいたのは。
「見た?」
「しっかりと」
「私たちは離れていてもずっと一緒。あの星が証人だ」
「そうだな。死ぬまで、いや、死んでも」
「縁起の悪い事言うな馬鹿」
結局その日は、夜が明けるまで二人でそこにいた。
目を覚まして気づく。ずっと眠りながら泣き叫んでいたことを。夢の中でそれが夢でしかないことを理解してしまったから。
あの日交わした約束を忘れたことはない。舞う度に皆がどこかで見ていてくれたらいいのにと願う。
「全部夢ならよかったのに」
目を覚ましたら家族に囲まれて、ノクサスの侵略なんてことも起こらなくて。当然英雄なんて呼ばれる事もないけれど。
ナユタ以上の人を見つけて結婚するか、それともずっと見つからなくてひとりを謳歌するかして。子供が欲しくないかと聞かれたら自分の子じゃなくてもいい、家族を見守っていればと答えて。
ただそれだけでよかったのに。彼女は英雄になるしかなかった。例えばそう、幼いころから剣士として育ってきたなら少しは心の在り様も変わったのかもしれないけれど。
彼女は間違いなく才能溢れた『レジェンド』であると同時に、劇的な人生に否応なく振り回された人でもあった。いや、圧倒的才能とは得てしてそういうものなのだろうか。
優しい悪夢に翻弄され思考が止められない。どうせ眠れないのならと窓から満天の星空を見上げ、イレリアはひとり呟く。
「皆いなくなっちゃった」
夜空に光の線が煌めいた。光が消えぬうちに願いを口にすると叶う、なんて物語が人々の間で交わされていた。それはあまりにも一瞬で、言葉を紡ぐには短すぎるのだけれど。
「もう一度会いたい」
叶わないことくらいわかっている。星ごときに願ったところで死人は生き返らない。それでも願わずにはいられなかった。
光の線は一瞬強く輝いて消えていった。光はすぐ消えてしまう。だからこそ、一瞬のうちに願いを言えれば叶うなんて迷信が流行るのだろう。
***
俺は目覚めた。ベッドの上。何か夢を見ていたような気がする。だけど、それだけ。何も思い出せなかった。
起き上がろうとして身体が痛む。何かあっただろうか。でも、やっぱりわからないや。
「やあ」
目の前で紫の長髪が揺れる。ぞくり。まっすぐな長い髪と美しい顔立ちに一瞬恐ろしいとさえ思った。その隣に立つのは茶髪の少女。肩くらいまでの長さの髪は毛先で外にハネている。幼さと大人しさを持ち合わせた彼女は後ろ手に俺を見つめていた。
美貌の紫が口を開いた。
「目は覚めたかい?どこまで覚えてる?」
予想以上に低い声。男だ、長身の美女かと思った。
「誰?」
男は少し考え込んでから言葉を続けた。
「今までの記憶はないのかな」
頷く。
「じゃあその事を口に出して言ってみてくれ。必要な事なんだよ」
「俺には今までの記憶がない。……こういうこと?」
よくわからないままに答える。紫の男は隣にちょこんと立っている少女を一瞥して口元を押さえた。
「よろしい。他には何か思い出せることはあるかい。どんな些細な事でも構わないよ」
そう言われても。何かあったかな。
「ナユタ? 確かそう呼ばれてた気がする」
紫髪の男はちらちら隣を見ながら俺の言葉に反応した。
「ナユタか。まあいいだろう。今から質問してもいいかな。知らなければ知らないと言ってくれればそれでいい。私やソフィアに見覚えはないということだね」
「全然覚えてない。そう聞くってことは知り合いなの?」
茶髪の少女、ソフィアが控えめに微笑んだ。
「ソフィア・ミュラトールです。よろしくねお兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
でも俺にはどうにも彼女が初対面にしか思えなかった。それはもちろん記憶がないからなんだけど。
「……覚えてなくてごめん」
「だ、大丈夫だから!そんなに申し訳なさそうな顔しないで」
ソフィアに続いて男も名乗った。
「アレックス・バイロンだよ。あまり堅くならず気軽にバイロンって呼んでくれると嬉しいな。ナユタ、これからよろしく」
彼はウインクして手を伸ばした。一拍遅れて握手しようとしたのかと気づいて俺も右手を伸ばす。自分の手の甲に何か赤黒い模様が描いてある事に気付いた。
握手を終えて手の甲を気にしているとバイロンは答えた。
「これは我が帝国ノクサスのシンボルだ。この文様を身体の一部に持つ者は必ず深い忠誠を持つ。君はその紋章を持つ者として選ばれたのさ」
バイロンは続ける。
「簡単に言えば私の部下ってことだね。死の瞬間まで祖国に忠誠を誓う、歩く忠誠心そのもの。話せば長くなるが」
「あのー、長くなるならやめておきませんか。お兄ちゃん今起きたばかりなんですから。怪我もしてますし」
「そうか、仕方ない」
こほん。バイロンは改めて俺に告げた。
「ともかく君が生きてて良かったよ」
「えっと、ありがとうございます?」
「礼を言われるようなことはしてないさ。全て私が私の為にやったことだから」
バイロンは俺に笑いかける。
「君はまだ知らないことだらけだろう、けれど心配はいらないよ。私たちがついているからね」
右手の文様がほんのり温まる。それを感じた俺は、根拠はないけどきっと大丈夫だと思った。