Dreamer -My Imaginary Irelia's brother- 作:Moa
宝の浜と呼ばれた場所。
バイロンから様子を見るよう頼まれた(一度魚に押しつぶされた件もありソフィアは心配していたが)ナユタが第一発見者になったのは偶然だった。男が浜辺に流れ着いていた。海水に濡れきった黒い服が不気味に光る。それでも放っておけなかったナユタは男に近づく。
「誰かいるのか」
男の声が聞こえる。どうやら生きているらしい。良かった。
遠くからだが安心した様子でいるのがわかったので近づく。
「君は」
「もう大丈夫だから」
「見知らぬ風景に困っていたのだ。同胞に出会えて良かった」
「良かった」
しかし男はナユタが手を差し伸べようとした瞬間に表情を一変させた。先ほどまでの安心感は微塵もなく警戒だけが露になる。
「っ……! 離せ!」
「大丈夫だって」
「離せと言っているだろう、裏切り者め」
何の話。過去の記憶を持たないナユタには当然思い当たる節などない。戸惑っているうちに腕が痛んだ。
ナイフで切られたことに一瞬遅れて気が付く。慌てて飛びのく。
「残念だがその手を持つ者が寝返ることはないだろう。眠れ」
男のナイフは不自然に黒く煌めく。何か恐ろしいものがそこにあるのだと感じさせられる。
突き出されるナイフをひたすら避ける。避ける。避ける。怪我してたのになんでこんなに動けるんだ。
「何故祖国を捨てた!」
「言ってる意味がよくわかんないんだけど」
足に何かぶつかる。ただの小石かもしれない。でもそのせいで避けきれない。ナユタを刺そうとしたナイフは何か硬いものに当たるような音を立て止まった。その場所を見る。何もない。違う。見えにくいが何かがあった。透明なガラスのようなものが宙に浮いている。
「っ……貴様も魔術師か!」
発動は無意識。だけど力が使えるなら好都合。一瞬だけ生まれた隙を活かして距離をとる。
「……ノクサスの外道め」
男の持つナイフが一層黒くなり、刃からは煙のようなものが立ち上る。何を言われても覚えてないし、もし本当だとしてもはいそうですかと殺されるわけにはいかない。
宙に透明な板が浮かぶ。刃を受け止め甲高い音を立てる。
その時右手の傷から血が吸い取られた。行き先はあのナイフだ。
「なっ……」
慌てて傷を手で抑えるのに。血はその間をすり抜けていく。
「無駄だ」
このまま吸われたら死ぬかもしれない。『壁』を出そうとするけどこの状況でどうやら意味はない。避けるように宙を走る血の軌跡がそれを示していた。
「我が祖国の糧となれ」
そんな声が聞こえる中ふらつきを抑えられずにいる。
「死にたくない」
一瞬でいい。あの男の動きを止めて逃げる時間を稼げれば。
そう思った時、手の届くほどの目の前に小さな光が浮かび上がる。
光から空中に現れたのは透明な箱。長方形の板と違って綺麗な真四角だ。
それは軌道を描いて男に飛ぶ。ぶつかって爆発。白い煙が男の周りに広がる。
血が吸われる量が減る。助かったけど、今まで吸われたせいでふらついてるのは変わらない。
隙を見て走る。追いかけてくる足音。
少しずつ大きくなるそれに恐怖が膨れ上がる。
やがて限界に達した。土の上に倒れこむ。あと少しが遠い。
殺されるんだ。嫌だ、そう思って立ち上がろうとする。ふらつきながら何とか膝を立てた時には男はすぐ後ろまで来ていた。
「終わりだ!」
このままであれば俺は死ぬ。簡単な真実。全てを諦めそうになった時、声が聞こえた。
「終わるのは君の方だ」
ナイフが空へと舞い上がり地面に突き刺さった。ナイフに吸い込まれる血が止まる。
バイロンの手に握られている鞭が刃を止めたようだ。
隙を逃さず連撃。二撃目で男の胴体に鞭が絡みつく。バイロンは犬を繋ぐ首輪みたいに男を引っ張った。そのまま男は引きずられていく。
「なっ……」
「よくやった。後は私に任せてくれ」
こうしてナユタの初めての戦いは終わった。
***
それから数日後。バイロンはナユタとソフィアの家に訪れた。
ソフィアと話し合うためだ。浜辺にいた男に襲われた件から空気がピリピリしていた。
「……よりによってアイオニアとはね」
ソフィアが紅茶を淹れる。啜ってからバイロンは悩ましいなと呟いた。
「また向こうから誰か来ますかね」
「準備できていないのだけれど」
二人が会話していると起きてきたらしいナユタが部屋に入ってくる。
「やあナユタ。怪我はもう大丈夫なのかい」
「完全にってわけじゃないけどソフィアが手当てしてくれたから」
ナユタはソフィアに誘導されるまま空いた椅子に座る。
「はい。お兄ちゃんは甘めがいいんだよね」
「覚えててくれたんだ」
ソフィアはナユタの紅茶にミルクと砂糖を入れた。ソフィアも甘めのミルクティーを作るとちょこんと座ってカップをふーふーと吹いている。
「熱いの苦手?」
「えへへ」
ごまかすように笑うその表情もナユタにとっては安らぎだった。
「浜辺に来た人間はアイオニアからポータルを通ってきたらしい」
ナユタは顔を蒼くする。敵がいつ襲ってくるか。勝手に押しかけて平和を奪っていく何かを想像して胸のあたりが苦しくなる。
「あれはもう処理したから安全だが、万が一イレリアにでも来られたら危険極まりない。いっそ仕留めにいくのも一つの手段か?」
ひいっ、とソフィアが悲鳴をあげる。
「だめですよ! そんなの絶対殺されちゃいますって」
「だがイレリアは無抵抗の人間を殺さずにいてくれるだろうか? 彼女はノクサス人ではない。君とはおそらく真逆の人間だ。もし否という答えが判明した時には手遅れなんだよ」
ハッとした様子のソフィアはそこで初めてわかりましたと力なく答えた。
「我らノクサスにとっては敵国にあたるアイオニア。その地に生まれたイレリアという女を手に入れれば私達の地位は約束されるだろう。そうすれば私も今以上に研究できるわけさ」
その声にはうつむきながらソフィアが答える。
「でも勝てない相手に挑むのは無謀っていうんです」
「そのイレリアってどんな人なの?」
ナユタが尋ねるとバイロンはまだ説明してなかったかなと話し始めた。
「彼女は宙に舞う無数の刃を操る力を持つ剣士だ」
手に持つならせいぜい二本が限度だが、彼女の刃にそのような制約はない。
「今や我が帝国にとって最大級の危険人物でね、ノクサス帝国元帥ジェリコ・スウェインですら腕を切り落とされたのさ」
俺その人も知らないんだけど。ナユタの声にバイロンはウインクで返した。
「とても偉い人だよ」
「雑すぎませんか!?」
「最初の説明は簡単すぎるくらいで丁度いい」
バイロンから説明を受けたナユタは何となくスウェインを理解した。国を掌握している、とても偉くて強い人。そんなスウェインに一泡吹かせた危険人物がイレリアということも。
「イレリアに対して恨みとかはないんだが、帝国に貢献すれば研究に集中できる時間も増えるからね」
「殺すの?」
ナユタの言葉にバイロンは首を振る。
「できれば生きたまま捕えたいかな。無茶言ってる自覚はあるんだけどね」
「何するつもりなんですか」
「ソフィアには関係ないよ。君が有用である限り害するつもりはない」
「わかりました」
何をするつもりなのかはわからない。
ただ、イレリアの恐ろしさだけは伝わってきた。
「……さて」
バイロンはナユタの右手を取り手の甲に描かれた紋章に触れる。
「君の手に描かれている紋章は、死の瞬間までノクサスに忠誠を誓うという証明だ。もしイレリアがその情報を持っているならば、どうなると思う?」
「問答無用で殺される、かな」
「それだけで済めば良いのだけれど」
と、彼は悩ましげに溜息をついた。
死すらを『それだけ』と表現するとはどれほど恐ろしいのだろう。ナユタは胸が締め付けられる。
「だが君なら」
バイロンは希望を瞳に宿す。
「ナユタ、他でもない君ならば。イレリアを攻略できるかもしれない」