東亰ザナドゥ SSオリジナルカップリング集   作:雷電丸

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1番のプレゼントは…?

「はい、それでは失礼します」

 

 弱々しい声で短い返事をし、ミツキはゆっくりと受話器を置いた。小さな溜め息をついて何気なく時計に目をやれば、既に学院に登校する生徒がいても不思議ではない時間を示している。当然、ミツキもいつもなら迎えが来ている時間なのだが、今日はどうにも体調が優れず、休ませてもらうことにしたのだ。

 

(昨日の疲れですね……)

 

 今日のためにと立て込んでいた仕事を昨日の内に終わらせたミツキは、疲れたからと帰宅してから碌に食事もとらずにシャワーを浴びてさっさとベッドで横になったのだが、季節の変わり目だったこともあってか、疲労で免疫力が低下した身体はあっさりと風邪をこじらせてしまい、1日安静にするのを余儀なくされた。

 

 熱で頭がぼーっとするが、昨日の帰りがけに総合病院にちょっと立ち寄って念のために風邪薬をもらっておいて正解だったかもしれない。薬だけもらって帰ってきたから、正確な診断を受けた上での処方箋ではないが、市販薬で済ませるよりずっといいだろう。

 

 軽く朝食を済ませて薬を飲み、とことこと小さな足取りで部屋に戻る。するとちょうど、枕元に置いていた携帯端末のサイフォンがピコンと軽快な電子音を鳴らした。仕事の連絡──ではない。仕事かプライベートかすぐ分かるように、着信音は分けてある。今のはプライベート向けに使用しているものだ。

 

 誰だろう。ベッドに横たわって確認し、驚いて目を見開く。高幡シオとフルネームで記された送信者の名前を目にして、ミツキは鼓動が早まるのを感じていた。クラスメートの名前と彼からのメッセージでこんなにも動揺するなんて、自分のことなのに驚きを隠せない。

 

「高幡くん」

 

 呟き、そっと胸に手を当てる。普段のそれより強く、はっきりと伝わる鼓動。それが何を物語っているのか分からない程、ミツキは子供ではない。

 

(私、やっぱり彼のことを……)

 

 3年前、ミツキは不良グループが起こした事件を切っ掛けに、シオと知り合った。今思えばその時から少し意識していた気がするが、明確に好意を抱いたのは割と最近だ。なんとなく気になって、目で追って、気付けば好きになったいた。かっこよかったから、優しくされたから、声をかけてくれたから、そんな些細とも言われてしまいそうな何かがあった訳でもない。

 

(でも、仕方ないじゃないですか。本当に、好きになっていたんですから)

 

 言い訳するように心の中で呟き、改めてサイフォンを眺める。文面は至ってシンプルで、「見舞いに行っていいか?」と文字が並ぶだけ。絵文字も顔文字もない、簡素な文章。それが彼らしくてふっと頬が緩んでしまう。

 

「お見舞い……」

 

 正直、来てもらいたい気持ちは圧倒的に強い。1人暮らしだから誰もいないと思うと心細くて、誰かに傍にいて欲しかった。しかし寝間着を見られるのは恥ずかしい気もして、複雑な乙女心が何度もミツキの指を止めさせた。

 

(やっぱり、来てもらった方が……)

 

 やっとの想いで「お願いします」と一文を打ち込み、あとは送信するだけ──のはずが、ミツキはまたもそこで手を止めてしまう。

 

「堅い、かしら」

 

 好意を寄せている相手とは言え、間柄はただのクラスメートなのだから堅苦しい文章になっても不思議なことではないだろう。しかしミツキにはどうにも気になって仕方がない。よく思われたいと願うのは、恋をすれば誰だって抱くものなのだから。

 

「えっと……」

 

 絵文字や顔文字を使ったり、文章を変えたり、試行錯誤を繰り返すがどうにも形にならない。そうこうする内に次第に瞼が重たくなってきた。せめて返信だけはしておきたいと、結局最初に打ち込んだシンプルな文章を送り返す。絵文字で彩ることもせず、顔文字で感情を表すこともしていないから素っ気なく受け止められたらどうしよう──そんな不安はあっという間に眠気に押し潰され、眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 ピコンと耳元で電子音が響き、ミツキはふと目を覚ます。もぞもぞと布団の中からサイフォンへ手を伸ばして画面を覗くと、シオから返信が来ていた。どうやら既に部屋の前まで来ているらしく、「ドア開けていいか?」とメッセージが届いている。

 

 ミツキが住んでいるのはタワーマンションの最上階だ。セキュリティーもしっかりしているはずなのに、どうやって彼が玄関前まで来たのか分からず困惑してしまう。しかしこれ以上待たせるのも申し訳ないため、素早く「開いてます。ご自由に入ってください」と返事をすると、しばらくして玄関のドアが開く音がした。

 

「北都、入るぞ?」

 

 とん、とんとゆっくりとした足取りが近づいてくる。今更ながら本当に来たんだと実感し、恥ずかしくて頭から布団を被って隠れようとする。その前に咳き込んでしまい、シオに居場所を知らせてしまったが。

 

「北都?」

 

「ど、どうぞ」

 

 掠れた声で返すと、少しずつ扉が開く。中を窺いながら足を踏み入れるシオがなんだか面白くて、自然と頬が緩んだ。

 

「私から呼んだんですから……遠慮しなくて大丈夫ですよ」

 

「そうもいかねぇだろ。にしても、とんだ誕生日になったな」

 

「そう、ですね」

 

 今日、6月1日はミツキの誕生日だった。昨日の放課後、シオに「誕生日なんですよ」と意味ありげに言ったばかりだが、覚えてもらっていたのが嬉しくてにやけてしまいそうになる。

 

「ところで、高幡くんはどうやってここに?」

 

「あぁ、四宮に頼んで、な」

 

 四宮とは、シオとミツキと同じ学院に通う1年生だ。しばらく不登校だったのだが、最近はちょくちょく学校に来ているらしい。そんな彼も、ミツキと同様にこのタワーマンションに住んでいる。どうやら彼の友達として一緒に入ってきたようだ。

 

「そうでしたか」

 

「んなのどうでもいいだろ。体調はどうなんだ?」

 

「ご覧の有り様です」

 

 苦笑いしながらベッドで仰向けに寝るミツキ。顔色は悪くないが、良いとも言い難い。唐突に、額に大きな手が置かれる。シオが熱を計るためなやっているんだと分かっていても、意識してしまうのは無理からなことだった。

 

「まだ高いな。朝は食ったのか?」

 

「パンを食べたくらいで……」

 

「今は食欲は?」

 

「少しだけなら、あります」

 

「じゃあお粥でも作るから、それまでは大人しくしてろ」

 

「作る、ですか?」

 

「あぁ」

 

 ミツキもあまり食欲がわかない時、お粥を作ったことくらいはある。そんなに難しい料理ではないが、市販品で済ませられるものでもあるだけに、作ってもらえるのは嬉しかった。

 

「台所と食器借りるぞ」

 

「はい、ご自由にして頂いて大丈夫です」

 

「とりあえず、適当に買ってきたから。何か飲めそうなら口にしとけよ」

 

 コンビニのビニール袋からミネラルウォーターとスポーツドリンクを取ると、枕元に置いて早々に出て行く。想い人が目の前にいる緊張から解放されたが、まだ家にいて、しかも手料理が待っていると思うとドキドキと早鐘を打つ心を抑えられそうになかった。

 

 ついさっきまで、しんと静まり返っていた家の中は、シオが来て大きく変わった気がする。騒々しくはないが誰かがいると感じさせる生活音に、ミツキは内心安堵していた。シオに頼んで部屋のドアを開けっぱなしにしてもらったお陰で、キッチンに立つ彼をぼんやりと想像するのはなかなか楽しい。

 

 さすがに調理している音は聞き取れないが、流しを使っているのか一定のリズムで水が流れる音が聞こえたり、棚を開けて何か探す度に食器がカチャカチャ鳴っていたり、小さくても賑やかな音が耳に届いた。

 

 シオが発する音を楽しんでいる内に、再び足音がちかづいてくる。顔を向ければ土鍋を持って戻ってくるのが見えた。

 

「こんなのまであるとはな」

 

「あー……そう、ですね」

 

 保温も兼ねて土鍋に入れてくれたのだろうが、ミツキは思わず視線を泳がせる。自分の物なのに、「どこにあったんだろう?」と不思議に思ったのは内緒にしておこう。きっと1人暮らしする時にとりあえず色々あれば困らないだろうからと持ってきたのかもしれないが、今までその存在をすっかり忘れていた。そうして色々と持ってきたのに、この土鍋のように使わずにどこにしまったか分からなくなった物が多数あるに違いない。

 

「起きられるか?」

 

 折り畳み式の小さなテーブルに土鍋を置いて、傍に寄ってくるシオ。不意に近づかれて、恥ずかしさから逃れたくなる。

 

「出てた方がいいならそうするが……」

 

「あ、えっと……できれば、手伝ってもらえると助かります」

 

 のそのそと身体を起こすと、すぐにシオが背中に手を回して手伝ってくれる。熱は自分の方が高いはずなのに、触られたところがじんわりと心地良い温かくなっているのは気のせいではないだろう。

 

「ほら、暑いから気を付けろよ」

 

「えっ……」

 

 スプーンに一口分すくって、口元に差し出されるお粥。食べさせてもらう状況に困惑したものの、シオは気にする様子もなく首を傾げていた。

 

(そうですよね。気にしてるのは、私だけ……)

 

 強く意識しているのは自分だけかもしれないと思うと少し寂しい気もしたが、それを言えば今の関係すら壊れかねない。好きな人が遠のいてしまうのは、絶対に嫌だった。

 

「あーん」

 

 卵を加えたお粥だが、ほんのり塩気がきいていて美味しい。ゆっくりと咀嚼しているのに合わせてくれているのか、シオも急かさずに食べ終わるのを待ってから次をすくってくれた。

 

 あまり食べられないのではないかと思っていたが、食べていく内に食欲が増してきたようで、気付けば完食していた。

 

「ごちそうさまでした」

 

「あぁ」

 

 ミツキからスプーンを受け取り、コップに水を注いで手渡してくれる。薬を口に含み、少しずつ水の力を借りて呑み込んでいく。

 

「じゃあ帰るわ」

 

「え? どうして、ですか?」

 

「どうしてって……俺がいたら落ち着いて寝らんねぇだろ」

 

「あぁ。考えもしませんでした」

 

「おいおい……」

 

 もちろん付きっきりで看病してくれるとも思っていなかったが、帰るとも思っていなかった。シオは呆れているが、ミツキがおずおずと手を出すと、溜め息を零してその場に座り直す。

 

「傍に、いてください。1人だと、心細くて……」

 

 久しぶりの体調不良で身体だけでなく精神的にも弱っているようだ。いつもなら気にならない静寂が、少しだけ怖かった。

 

「……分かったよ。いくらでもいてやるから、さっさと寝ろ」

 

 ぶっきらぼうな物言いも、今は心地良く感じられる。シオが手を握り返してくれた安心感から、ミツキはあっという間に眠りについた。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 夕方になってミツキが目を覚ますと、シオは部屋の壁に寄り掛かってうたた寝していた。疲れさせてしまったことを後悔したのは一瞬で、初めて目にする好きな人の寝顔を堪能したい気持ちに駆られて静かに身体を横向きにする。

 

 下を向いているからはっきりとは見えないが、いつもキリッとした眼差しも、今は静かに眠っている。その無防備さを守るように垂れた金髪が、彼の頼もしい姿を彷彿とさせる気がした。

 

 もっと間近で見たいところだが、風邪をうつす訳にもいかないので、こそこそとサイフォンを手に取り、カメラアプリを起動させる。バレたら何を言われるか分からないし、怒るかもしれない。でも、あの無防備な寝顔はもう2度と目にできないかもしれないと思うと、撮らずにいられなかった。

 

 軽く咳払いしながらシャッター音を誤魔化す。薬を飲んだからか、幾分か体調がよくなっていたのもあって手振れもそんなに起こさず綺麗に撮れたと思う。自然と頬が緩むのも構わず、ミツキはシオの寝顔を待ち受け画面に設定するのだった。

 

「ん……あー、悪い。寝ちまった」

 

「い、いえ。こちらこそ、付きっきりにさせてしまって、すみません」

 

 慌ててサイフォンを片付けると、「仕事の連絡か?」と問われた。盗撮されていたのには気付いてないようだ。

 

「夕飯は温まるもんにするか。リクエストは?」

 

「特には……高幡くんにお任せしたいです」

 

「そうだな。なら、うどんにするか」

 

 コップと食器をもって出て行くシオを見送り、ミツキはすぐさまサイフォンを手にする。そして待ち受け画面に設定したシオの寝顔を見て、また嬉しそうに相好を崩した。

 

 学内では不良として名が通っているシオだが、授業態度は至って真面目で居眠りしているところなんて見たことがない。休み時間も寝てることはなかったのを考えると、この寝顔を知っているのは自分だけかもしれない。そう思うと、不思議と優越感がわいてくる。何に対しての優越感なのかは分からないが、自分だけが目にした事実はとても心地良かった。

 

 それでも画面越しに見るしかできないのは少しばかりもどかしい気がした。いっそいつでも傍で目にできたらいいのにと思ってしまう。それには自分から踏み出して想いを告げるしかないのだが、すぐには実行できそうにない。

 

 お願いした通り開けっぱなしのドアの向こうから、トントンと包丁を扱う音が静かに聞こえてくる。まじまじとサイフォンを眺めていてはまた疲れてしまうからと、料理の音を聞きながら静かに目を閉じた。

 

 完全に眠りにつく前にシオが呼んでくれた。サイフォンを見ている内に目が覚めてしまったのもあるのだろう。ゆっくりと身体を起こすとシオが部屋に入ってきた。

 

「できたけど、持ってくるか?」

 

「いえ。そっちに、いきます」

 

 もぞもぞと布団から出て、ゆったりとした足取りでリビングへ。テーブルには自分が使っている箸だけのようだが、コンロで火にかけられた鍋がぐつぐつ言っている。

 

 ミツキが椅子に座ろうとすると、すぐにシオが少しだけ椅子を引いて座りやすくしてくれる。微調整は自分でしなくてはならないが、その気遣いを嬉しく思う。

 

 待つことなく、目の前にうどんが出てくる。豚汁のように根菜と豚肉、味噌を使ったうどんはミツキが思っていた以上に温かい。野菜は柔らかくなるまで煮込んでくれたようで、弱った身体でも安心して食べられた。

 

「美味しいです」

 

「なら良かった」

 

 素直な感想を述べると、シオも嬉しそうに目を細めてくれる。彼もさすがに空腹なようで、対面に座って同じようにうどんをすする。目の前にいると言うのはなかなか緊張してしまうが、ずっと咀嚼しているところを見られるよりはマシだろう。

 

「あっ……」

 

 何気なく左足を伸ばすと、シオの足先に触れた。引っ込めようかとも思ったが、目の前の彼はまったく気にした様子もない。だからちょっとだけ、イタズラ心に駆られるのも無理からぬことだろう。

 

 また足を伸ばして、ゆっくりとシオの足先に自分の足を乗せる。何事もないように箸を進めるミツキだったが、急にその手が止まった。足の甲に伝わるちょっとした重みと温もり。わざわざテーブルの下を覗かずとも、空いている足を重ねてきたんだと分かった。

 

「どうした?」

 

 その真意が知りたくてシオをじっと見ても、彼はすっとぼけるばかり。だから今は、そこにどんな意味があっても構わなかった。

 

「いいえ。なんでもありません」

 

 甘えるように空いた右足を1番上にくるように重ねながら、ミツキは微笑んだ。

 

 その後早々に食べ終わってしまったシオだったが、席を離れようとはせずミツキが食べ終わるのをただ黙って待っていてくれた。重ねた足先はさすがにずっとそのままと言うわけにはいかず離れてしまったものの、時折触れると優しく受け入れるようにとんとんと足の甲を叩いてくれる。

 

 身体がだいぶ温まった後は少なめのお茶を飲んでほっと一息。最後にまた薬を飲めば寝るだけ──つまるところ、一緒に過ごせる時間もこれが最後になるだろう。

 

 帰らないでください──その一言が口にできなくて、わざとらしくちびちびとお茶を飲んでは話題を探そうと天井を仰ぎ見る。それで降ってきた種はせいぜい1つか2つ。それもあっという間に終わってしまった。何かないかと必死に思考を巡らせていると、目の前に小さな箱が差し出された。

 

「え?」

 

「誕生日だって言ってただろ。体調は散々でも、プレゼント受け取るくらいにはなったんじゃないか?」

 

「あ……はい!」

 

 まさかプレゼントをもらえるとは思ってもいなかった。確かに誕生日とは伝えたが、せいぜい「おめでとう」と言ってもらえる程度だと考えていたから。

 

 丁寧なラッピングを取り外すと、シンプルな木箱が顔を覗かせる。その中央にはブランド名が刻まれており、ミツキはその名前を見て目を瞬かせる。高価なことで有名な文具メーカーの名前だ。

 

 ゆっくりと箱を開くと、中には1本の万年筆が納められていた。黒いを基調とした中に金色の粒がいくつか散りばめられている。その姿はまるで、漆黒の海に広がる星々のようで、思わず息を呑むほどに美しい。

 

「これを、私に?」

 

「言っておくが、仕事を頑張れって意味でそれにした訳じゃねぇからな」

 

 生徒会長をこなし、北都グループの令嬢として書類仕事と格闘することの多いミツキにとって、万年筆は必需品と言えた。だからこそのチョイスだろうが、選んだ当人は少しばかり後悔しているように見えた。

 

「万年筆にしたこと、よくないと思ってるんですか?」

 

「そりゃあ、な」

 

 日々激務に追われているのに、それをさらに頑張れと言うのはあまりに酷だろう。やっていることが趣味で、楽しくできているならまだしも、仕事となればそういう気持ちになるのも難しい。シオが知る限りだが、ミツキが仕事を楽しんでいるなんて光景は想像できなかった。

 

「大丈夫ですよ。無理はしませんから」

 

「本当かよ……」

 

「はい、約束します。それに、この万年筆を使えば高幡くんを思い出しますから」

 

「一々思い出すな」

 

 恥ずかしいのか、シオは誤魔化すように横を向いてしまう。照れているのか顔が赤く見えるのは、もしかしたら自分の願望がそう思わせているだけなのかもしれないが、ミツキは嬉しそうに笑う。

 

「あの……もう1つ、欲しいものがあるんですけど」

 

「何だ?」

 

「おめでとう……って、言ってくれませんか?」

 

 声音を揺らさず、視線もまっすぐにシオを捉える。本当に、心の底から欲しい願っているんだと訴えるように。

 

 シオはしばし黙っていたが、やがて居住まいを正してミツキに向き直る。

 

「誕生日、おめでとう」

 

「…はい。ありがとうございます」

 

 シンプルで構わない。着飾った言葉も嫌いではないが、今は祝ってもらえればありきたりだろうと気にならなかった。

 

 会話はそれきりで、再び沈黙が舞い降りた。祝われた充足感はあるが、次第に帰らないで欲しいと願う気持ちが強まっていく。

 

 言えば、彼は残ってくれるだろう。優しい彼のことだから間違いない。しかしそれは所詮、優しいからであって自分を想っての行動ではない。それがどうしようもなく言葉にするのを妨げる。

 

(私は、ずるいですね)

 

 お茶を飲み干して空になった湯呑みが流しに下げられる。シオはそのまま上着に袖を通し、帰ると暗に伝えてきた。

 

「で? 明日は何時にくればいいんだ?」

 

「……え?」

 

 思いもしなかった言葉に、間抜けな返事が出てしまう。驚いて目を丸くするミツキを見て、シオは溜め息を零す。

 

「まだ万全じゃないだろ。それとも必要ないのか」

 

「あっ、いいえ! お願いします。

 えっと……何時でも、大丈夫です。合鍵を渡しますから、好きな時間にきてください」

 

 慌てていたせいか、まくし立てるように言ってしまう。変に思われていないかなんて気にする余裕はなく、ミツキはシオの手に合鍵を渡した。

 

 彼はしばらく手のひらに乗せられた合鍵をじっと見ていたが、無造作にポケットにしまうと「さっさと寝ろよ」と言い残してすたすたと玄関へ向かっていく。せめて見送ろうと追いかけるが、制されてしまう。

 

「あの……」

 

「ん?」

 

「また、明日」

 

「……あぁ。また明日」

 

 最後にそれだけかわすと、今度こそシオは玄関を出て行った。オートロック式だから彼はそのままエレベーターを使って降りていくだろう。さすがにその様子を見ていたら激怒されそうなので、内側の鍵を施錠して──へなへなとその場に座り込む。

 

「明日……また、明日」

 

 会えるんだ──込み上げてくる嬉しさに促され、ミツキは笑みを零した。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 翌朝───。

 

 シオは気を遣ってくれているのか、早朝から来ることはなかった。しかしサイフォンを見てみると「冷蔵庫にフルーツサンドを置いてある」とメッセージが入っており、昨日の内に予め作っておいてくれたようだ。

 

 熱っぽさが残って快復したとは言えないものの、熱っぽさや身体のだるさはなくなっている。

 

 シオが来る前にせめて洗濯は済ませておこうと、洗濯機を回す。終わったら干したいところだが、その気力はないので隣の乾燥機に突っ込んだ。

 

 ぱたぱたと慌ただしく動いていると、次第に身体が重たくなってくる。病み上がりを気にしたシオの言う通り、まだ本調子とは言い難いようだ。自分でしておきたいことは済んでいるので、熱が上がりきる前に早々にベッドへ潜り込もうとする。

 

 ちょうどその時、サイフォンがメールの受信を知らせて振動する。どうやら昼前には来てくれるらしい。合鍵を渡したのだから自由に入ってくるかと思っていたが、きちっと連絡してくるのはとても彼らしくて笑みが零れる。

 

 シオが来てくれるのを楽しみに、掛け布団を敷き直してちゃんと自分にかける。少しばかり暑く感じるが、下がり切っていないのなら仕方あるまい。しかし起きて食事したり洗濯したりする内に目が冴えてきてしまったようで、なかなか寝付けなかった。

 

 そうこうする内に昼間に差し掛かったのか、メールで聞いた通りシオがやってくる。彼は静かな足取りで廊下を歩き、ミツキの部屋の前で止まるとノックして声をかけてくれた。

 

「起きてるか?」

 

「はい」

 

 昨日と同じような言葉をかわし、シオはゆっくり部屋に入ってくる。

 

「何かやれることは?」

 

「洗濯は済ませましたし、他は後日私がやりますから」

 

「そうか。なら、またメシくらいだな」

 

「そうですね……あっ」

 

「どうした?」

 

「えっと、その……」

 

 思い出したような声をあげておきながら、ミツキは言葉を詰まらせる。何か言いづらいことなら急かすのはよくないだろうと、シオは黙って突きを気長に待った。

 

「背中……」

 

「ん?」

 

「背中を、拭いてくれませんか?」

 

 しんと静寂に包まれる部屋。二つ返事で承諾されるとは思っていないし、シオの反応も自然なものだ。だが恥ずかしいことを口にした手前、なんのリアクションもないのはなんだか不平等な気がする。

 

「何でだ」

 

 やっと出た言葉はそれだけ。しかもうっすらと冷ややかな物言いだ。警戒されているとも受け取れるが、体調が悪いのに何かを企む気力などあるはずもない。

 

「汗掻いたので……それに、昨日はお風呂に……」

 

「あー……悪い、そうだったのか」

 

 ただの風邪だからと気楽に入浴する者もいるようだが、弱った身体で風呂に入っても体力を消耗してしまう場合もある。ミツキも以前は気にせず入浴していたが、体力を消費して余計に寝込んだ経験があった。

 

 だから快調になるまでは入らないでおこうと思ったのだが、こうしてシオと接する以上、匂いが気になるのも仕方がない。しかし熱っぽいこの身体では背中に手を伸ばすのは却って疲れるだけだ。だからシオにやってもらうのが1番なのだが───。

 

「背中だけなら」

 

「もちろん、それでお願いします」

 

 いくら好きな人とは言え、いきなり全てを見せられる程ミツキは大胆でも積極的でもない。シオが湿らせたタオルと目隠しになりそうな厚手のタオルを持ってくる。目を瞑ってくれたのを確認してから、ミツキがせっせと目を覆い隠していった。

 

 目隠しをしたところで寝間着を脱ぐのだが、互いに黙っているせいで衣擦れの音でさえ大きく聞こえている気がする。外気に肌が触れてくすぐったい。さっきまで落ち着いていた鼓動は次第に早まり、心なしか肌も汗ばんできたように思う。

 

「ここから、ここまでですね」

 

 シオの手を握り、上段と下段を示す。とは言え、目隠ししている上に直接触れられないのだから感覚を掴むのはかなり難しいだろう。

 

(高幡くんの手、大きい)

 

 なんとはなしに握った想い人の手。自分のほっそりとした指よりも逞しく、脆そうな雰囲気などない力強さに満ちた手のひら。まったく違う彼の手を、ミツキは思わずまじまじと見詰める。

 

「……北都」

 

「は、はい!」

 

「なんか変なところでもあったか?」

 

「いいえ、そうではなくて……ただ、私とは全然違うんだなぁと」

 

「そりゃあ、ただの男女差だろ」

 

「そう言われれば、そうなんですけど……」

 

 しばらく手と手を合わせたり、掌底をむにむにと押してみたりと好き放題に弄るミツキ。目隠しをされていて身動きするのにも気を遣うからなのか、シオはただされるがままを貫いた。

 

「私、高幡くんの手、好きですよ」

 

「なんだよ、藪から棒に……」

 

「大きくて、勇ましい……そんな風に思ってます」

 

 ミツキの評価に、シオは黙ったままだった。それもほんの少しの間だけ。唐突に開いていた手が閉じたかと思えば、今度は彼に握られていた。

 

「俺も、お前の手は好きだけどな」

 

「えっ……」

 

「頑張り屋だけど、それを表に見せない手だ」

 

「そんなことは……!」

 

「この状況で、ないって言えんのか?」

 

 反省させるように、少し強めに握られる手。反論は許されず、ミツキは明らかに表情を暗くする。するとすぐに、シオが言葉を続けた。

 

「お前の頑張りを否定はしない。けど、周りを見て、頼るだけの気力は残しとけ」

 

 そこまで落ち込ませる気はなかったのだろう。気遣ってくれている事実が嬉しくて、笑みが零れる。

 

「その時は……高幡くんも助けてくれますか?」

 

「あぁ」

 

 間髪入れずに返された承諾の言葉。きっと自分の気持ちなど知りもしないだろうが、せめて今は──今だけは、好きなように解釈させて欲しかった。

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「あの……今回のお礼なんですけど」

 

 背中を拭いてもらった後、ミツキは一眠りしてゆっくりと身体を休め、次に目を覚ました時は日が暮れて漆黒が空を塗りつぶしていた。

 

 作ってくれた夕飯を食べ終えて、また2人でまったりお茶を飲んで一息つきながら、ミツキが口を開いた。

 

「礼?」

 

「はい。何か欲しいものはありませんか?」

 

「って言われてもな」

 

 案の定、シオは何も要求してこない。分かっていたことだが、欲が何もない訳ではないだろう。懸命に食い下がり、欲しいものを聞き出そうとする。

 

「……じゃあ、1つ頼みがあるんだが」

 

「何でしょう?」

 

「画像を消してくれ」

 

「え……あっ、えっ!?」

 

 最初は何を言っているのか分からなかったが、画像と言う言葉で連想されるのは1つしかない。シオの寝顔をおさめた写真だ。

 

「も、もしかして、起きて……」

 

「まぁ、な」

 

 肯定され、顔が真っ赤に染まる。熱にうなされていた時よりも熱く感じるのは、きっと気のせいではあるまい。

 

 チラッと自分のサイフォンを見、再びシオに視線を戻す。じっと見詰めてくる彼の瞳が「早く消せ」と言っている気がした。

 

「……ご、ごめんなさい!」

 

「あっ、おい!」

 

 しかし、せっかく手にした宝をむざむざ手放したくはなかった。ミツキはサイフォンを手に取ると、逃げるように自分の部屋へ駆け込む。

 

「ったく……あんなののどこがいいんだか」

 

 呆れる声音とは裏腹に、その顔が恥ずかしさで赤くなっていることに気づかないまま。呼び止められなかったシオは椅子に座り直し、深い溜め息を零す。

 

 そして自分のサイフォンを取り出し、待ち受け画面をじっと見詰める。

 

「まぁ、人のことは言えねぇか」

 

 苦笑いしながら言う彼の手に握られたサイフォンには、あどけない顔で静かに眠るミツキの姿が写っていた。

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