「ここも異常はなし、か」
星の広がる空を見上げ、高幡志緒は深い溜め息を零す。蓬莱町のゲームセンターを背に、腕時計で今の時間を確認する。
「8時か。そろそろ帰らねぇと、また心配かけちまうな」
停めてあるバイクまで歩いていこうとすると、その途中で反対側から黒一色の服に身を包んだ男性が2人、向かってくるのが見えた。
(鷹羽組の……)
杜宮市を拠点とする暴力団、鷹羽組の構成員で間違いないようだ。その組の若頭である梧桐英二とは顔見知りでもあるため、志緒は今後のこともあると考えて、バイクではなく鷹羽組のビルに向かおうとする。
「よう」
だが、それよりも早く目的の人物の方から声がかかった。重く、鋭い声色。そして見た目からして威圧感のある大柄で端正な顔立ち。見紛うはずもない、鷹羽組の若頭たる英二だった。
「お久しぶりです」
志緒はすぐさま一礼する。彼とは以前、志緒が属していた不良グループ、BLAZEの1件で悶着があったものの、寛大な計らいで今も付き合いを継続してもらっている。
「お前、最近夜になると杜宮市内を回っているらしいな?」
「えぇ。俺の動向に気付いているってことは、例の件についてご存知のようですね」
「ケイオス……都下最大と謳われる不良チームがこの街に繰り出してきたんだろ?
BLAZEが壊滅したんだ、おかしい話じゃない。だが……俺たちのシマで好き勝手はさせねぇさ」
「心強いっす。じゃあ、俺はこれで」
「…待ちな。見たところ今日“も”1人みたいだが、ちゃんと話は通してあるのか?
特に、北都のお嬢さんには」
「……失礼します」
英二の問いには答えず、志緒は踵を返してバイクに乗り込んだ。ミラー越しにうつる英二は笑っており、志緒の心情を察しているようだった。
「やれやれ……念のため、連絡をしていくか」
溜め息を零し、英二はサイフォンを手に取って連絡を取った。志緒の動向を逐一伝えて欲しいと言ってきた、心配性の主に。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(はぁ……眠い)
翌日───。
異界の調査を主とした部、X.R.C.の部室にて、志緒は読んでいた雑誌を閉じ、目を閉じていた。昨日帰宅してから学業を疎かにできないこともあり、勉強に時間を費やしたのだがその分夜遅くまで寝付くことができず今になってその睡魔が襲ってきた。
そんな志緒の状態を察してか、異界の調査は後輩の4人が率先してやってくれているようだ。幸いにして危険度の高いものはなく、異界化の兆候も確認できないため任せて大丈夫だろう。
(けど、寝過ぎるのはよくないよな)
そう思って目を覚ました志緒は、ふと自分に膝掛けがかけられていることに気が付く。後輩らを見送ってから眠りについたため、彼らがかけていったとは考えにくい。そうすると、これをかけてくれた人物は目の前で書類仕事に精を出している彼女、北都美月以外にないだろう。
「これ、北都がしてくれたのか?」
「おはようございます、高幡くん。
えぇ、いくら陽気があるとは言え、何もかけないと身体によくないですから」
「悪いな」
「悪い、ですか」
「……ありがとう、北都」
志緒の言葉尻を取る美月だったが、謝罪よりも謝辞を言ってもらえて満足なのか笑顔を取り戻す。寝る前には山ほどと評するのが正しいぐらい多かった書類の山が、今はもう傍らに整然と並べられている。
「よく眠れましたか? この頃、寝不足な印象を受けることが多かったですが」
「……やっぱり、気付いていたんだな」
「もちろんです。誰かさん曰く、私は食えない人のようですから」
「ったく……」
ぐっと身体を伸ばし、何気なく外に視線をうつすと既に西日が傾き始めていた。志緒は窓を開けて部室内の空気を入れ替える。そして窓際に背を預け、美月を見て気が付いた。彼女の表情が、どれだけ自分のことを心配しているのかはっきりと伝えてきていることに。
「お前のことだ。もう俺が何をしているのか分かっているんだろ?」
「……はい。梧桐さんからケイオスのことと、貴方がそれに関して街を周って警戒していることを聞きました」
「話さなくて悪かった。時坂にはもう言ってあったんだが、流石に今はX.R.C.(こいつ)があるからな。あまり気を削ぎたくなかったんだ」
「それは分かっています。でも……やっぱり、相談してほしかったなと」
「北都……」
「我儘を言って、すみません」
苦笑いして再び机に向き直る美月。その背中を見て、志緒は無意識の内に後ろから抱き締めていた。
「…どうしたんですか?」
「……別に。なんでもねぇよ」
「…なんでもないわけ、ないじゃないですか」
「…………」
「高幡くん?」
「…北都」
「…はい」
「俺は、怖いのかもしれない。また俺のせいで誰かが……お前が、傷つくんじゃないかと思うと、怖くて仕方がないんだ」
BLAZEの1件は、確かに自分1人ではどうすることもできなかった。それは紛れもない真実だ。だが、それでも誰かを巻き込んでしまい、結果としてそれが仲間を傷つけてしまうことになったら──志緒は、それが怖かった。
別に離れていくのなら構わない。憎まれ口を叩かれても気にならない。それらを受け止めきるだけの度量があるのだから。
美月もそれを分かっているからこそ、目を閉じ、回されている腕に自分の手をそっと当てる。
「大丈夫ですよ、高幡くん。
確かに危険は付き物ですが……でも、今は貴方1人だけではありません」
「…あぁ」
「みんながいる……これだけでなんとかなってしまう気がしませんか?」
「……確かに、な」
「それでも心配になるのは、高幡くんが優しいからです」
「…お前だって、同じこと考えているだろ?」
「ばれちゃいましたか?」
「当たり前だ。お前が優しいこと、俺が1番よく知っているんだからな」
耳元で囁かれたその言葉に、美月は顔を真っ赤にしていく。志緒と向き合っていたら、きっとさらに畳み掛けられていたことだろう。気付かれないよう深呼吸し、平静を装ってから一言。
「私だって、高幡くんのことを最も知っているのは自分だって自負があるんですからね」