月面、月のフォン・ブラウン市に存在するビスト家の邸宅、そこに二人の男が対峙していた。
「何故……何故だカーディアス、何故ラプラスの箱を独断で解放した。」
サイアム・ビストがそう発言をする。
往年より鳴りを潜め、老いたとは言えその迫力には威圧されるものがあった。
だがカーディアスはそれに負けず、はっきりと告げる。
「未来の為です、先代。今このタイミングでこそ、ラプラスの箱は輝く。」
「どういう意味だ。」
「言葉の通りですよ。これから先、あのままの状況で時が進んでもラプラスの箱は形骸化する。ジオンとの戦争で疲弊したと言え、連邦政府は未だ強大でした、雑多な反抗勢力がいてもいずれは駆逐され、連邦政府に不平不満を持ちながらもいずれ市民は平和という味を享受するようになるでしょう。その時にラプラスの箱を開示した所で貴方の願った真の平和は訪れない。」
「では……今はどうなのだ?これで連邦政府の求心力は地に堕ちた。世界は地球圏の覇権を狙う群雄割拠の時代になる。平和など訪れはしない……。」
そう、最悪の形で開示されてしまったラプラスの箱。未だあれが本物であるかどうかを知る由は多くの連邦市民には無いだろう。
だがそれも時間の問題だ、こちら側についた政府官僚の言葉や過去のデータから本物と判明するのはそう多くの時を必要としないだろう。
「そうでしょうか?確かにラプラスの箱自体は呪いと化しました。しかし、その呪いを克服する者達は今後多く現れる筈だ。」
「ニュータイプ……か。」
真のラプラス憲章が示した、新しい人類。
概念は人により変わるだろうが新人類として新たに地球圏の統治しようとする者は今後多く現れるだろう。
その時にこそ、本物のニュータイプが現れ世界を正しく導くだろう。
そうならなければ世界は終わるだけだ。
「ラプラスの地で願われた希望、貴方が望んだ未来。その為に敢えてあの箱を呪いとして世界に拡散した。真のニュータイプならば呪いを今度こそ祝福へと昇華してくれるでしょう。」
「……。」
サイアムは黙り込む。
彼も分かっている筈だ、ラプラスの箱は結局は呪いとしてしか役に立つ事はないのだ。
時がそうさせたのだ。
だからこそ、呪いは呪いとして解放し、真の意味で彼らが願った未来を築く者に克服させるべきなのだ。
「分かった……カーディアス、お前はお前の好きな様にするが良い。今はお前こそがビスト財団の当主なのだからな。」
「先代、貴方はもう一度眠りについてもらいましょう。次に目覚める刻こそが、貴方が望んだ世界になっている事でしょう。」
「そう願う……。新しい世界を私に見せてみよカーディアス。」
サイアムは護衛を呼び退室する。
次に会う時は世界が新しい刻を迎えた時か。
そう思っていると秘匿回線から通信が入る。
マーサからだ。
「カーディアス。」
「マーサか。」
妹にも、箱の開示は伝えていない。
伝えれば間違い無く彼女は私を力ずくでも止めただろう。
箱を温存していたい彼女にとっては例え肉親であろうと容赦無く止めに入る筈だ。
「箱の事は最早問いただしません、私の預かり知らぬ所でメラニー代表とも話をつけ、月面企業体全体を連邦政府から離反させる手腕、侮っていた私にも非がある。」
「お前にとっても今の状況はチャンスであるだろうからな。」
この混迷を極めるであろう時勢、カリスマのある者が台頭してくるのは間違い無いだろう。
常日頃から男社会を嫌っていた彼女にも覇権を握るチャンスが出来た筈だ。
「私は私で好きにやらせてもらいます、貴方もそうなさい。」
「言われなくともだ。共に先代からの支配からは脱却した、各々やりたい様にするとしよう。」
「そうね、そこだけは貴方に感謝します。それでは。」
通信が切れる、恐らく今後まともに連絡を取り合う事はないだろう。
サイアム・ビストという我々を縛り付けていた鎖は解かれたのだ。
最早箱を巡る因縁からは解き放たれ、各々が望む未来を掴む時が来たのだ。
「アンナ、バナージ……。私は歴史に汚名を残すだろうがお前達の進む未来にはどうしてもこの未来が必要なのだ。」
アーウィン・レーゲンドルフを思い出す、好きになれぬ男ではあったが愛する者の為に世界を変えようとした信念には心を動かされる物があった。
後の世にどう思われようと、私も愛する者の為に喜んで汚名を被ろうではないか。
「さぁ、新世界よ。お前はどう世界を祝福する?」
絶滅の未来を歩むか、それとも新たな可能性に満ちた未来となるか。
願わくば後者である事を、カーディアスは祈るのであった。
ーーー
壊滅したジャブローの外縁、核による被害を受けずに済んだ区画。
地下深くに存在するジャブロー基地の更に深く、幾重にも厳重に封印された扉を抜け、ジャミトフ・ハイマンはそれなりに広い部屋に辿り着く。
広さに対して殆ど何もない部屋に、ただ一人男が椅子に座っていた。
「此処に、客人が来るとは、約5年、振りか。」
途切れ途切れの少し枯れた声で男がそう呟く、まともに人と会話するのも5年ぶりだろう、言葉が辿々しいのも仕方あるまいと部屋を訪れた老年の男は感じた。
「元気そうで、と言うのもおかしいが元気そうで何よりだ。ここの暮らしは不便ではないかな?」
皮肉とも思われる言葉を流し、部屋の男は頷く。
「数年前の、にはなるが、新聞も見れる。今の情勢も何となく察しが付く。」
「ほう?貴公は今世界がどうなっていると思っておられるのかな?」
男は数秒考え込むとすぐに言葉を発する。
「まず、ジオン公国は破れたとは言え、未だ本国に帰還せず勢力を残した者達がいる。アクシズへと逃亡したキシリア、そして行方を消したエギーユ・デラーズ。特に前者は大戦時にオデッサで連邦軍高官であるエルラン中将を擁している。連邦軍にとっては目の上の瘤だろう。」
間違ってはいない。だがこの程度は誰でも思いつく範囲だ。
「そして後者のエギーユ・デラーズは知将として名高い。そして主君への忠義に厚い男だ。
流石の洞察力だ。彼が今数年遅れで読んでいる物は0082年の記事ばかりの筈だが、良く知る者達とは言え決起のタイミングすら読み取るとは。
だからこそ、こうやって此処に幽閉しているという事実でもある。
下手に他者と交わる機会を与えれば時間をかけて他者を洗脳し、脱走の可能性すら出てくるであろう。
機械化された行程で食事などが送られていなければ今頃どうなっていたか。
「エギーユの行動に乗じて恐らくキシリアも動くだろう。地球圏は大なり小なりの騒乱に見舞われるだろう……。だが、私が今もこうしているのを見る限りエギーユの策は失敗に終わったようだな。」
「その通りだ、奴は連邦政府に対し貴公の身の解放を求めたが我々はそれに応じる事は無く、結局奴は戦死した。」
「大戦で消耗したとは言え連邦は未だ巨大な軍事力を持つ、エギーユが足掻こうがその戦力差には抗えん。だが問題はキシリアだな、奴は恐らくエギーユの勢力に軍事力を提供しただろうが、最終的な目標はエギーユの持つ戦力の回収だろう。アクシズに逃げて力を蓄えようにも熟練のパイロットが少なければ軍隊の質は上がらない。」
「……。」
その通りだ、キシリア・ザビはデラーズ紛争で兵器供給をした痕跡はあるが戦いにおいて参戦したのは最終局面の地球軌道での撤退戦、それもデラーズ兵の回収において離反した我が方の兵を利用したのみである。
あの戦いにおいては自身の勢力の拡大に尽力していた。
「そうして力を蓄えたキシリアは策謀を巡らせ、かつ敵対勢力である地球連邦を弱体化しようと動くだろう。どの時代においても強国を崩すには内側の方からが効果的だ。エルランを用いて連邦内の反体制派を煽り反乱を企てさせる可能性もある。」
「いやはや、流石はIQ240を誇る天才だな。間違ってはいない、薄々気づいているのだろう?」
「うむ、先日異常な振動をこの地で感じた。地震など滅多に起こる筈も無い土地だ。となると考えられるのは何かしらの攻撃。」
「私が貴公に会いにきたのもそれが理由だ。この地は最早隠れるには不便な場所となった。それに貴公の身の安全も保証できない。」
「元々いつ殺されるかも分からぬ身だ。」
「貴公にはまだ利用価値がある、その頭脳、そのカリスマ、捨てるなど以ての外だろう。」
男はニヤリと笑う。
その笑みに何の意図があるかは理解できない、まだ殺されぬと言う安堵かそれとも……。
「では、私を新天地へ案内してもらおうかジャミトフ・ハイマン。」
「此処よりは不便では無いと保証しておこう、では行きましょうか
この男はまだ利用できる、そして自身の望む地球に巣食う者達の排除もまたコーウェンなども含め利用できるとジャミトフは確信していた。
後はどうコマを動かすかだ。
ーーー
暗い、暗い絶望の中にいる。
希望は砕かれた、連邦政府をアーニャやキャスバル、そしてみんなで変えて行こうという希望。
変わる世界でより良い未来を歩ませる筈だった子供達の未来という希望。
その全てが打ち砕かれ、絶望だけが残される。
『甘ったれるな、ジェシー・アンダーセン。』
心の中に暖かい光を感じる。
その顔は今より少し大人びた同じ顔の男。
「ジェシー・アンダーセン……。」
『それは今のお前の名だ。今を生きる、お前だけの。』
そう、今は俺がジェシー・アンダーセンだ。今や誰でもない、俺の。
『愛する者を護れ。それがジェシー・アンダーセンという男の名前を継いだお前にやらなければならない事だ。』
「……わかっている。だが……。」
『弱音を吐く事は許さない。お前はまだ全力を出し切っていない筈だ。』
そう、まだ何も出来ちゃいない。
やる前から諦めていては彼に笑われてしまうだろう。
『ジェシー、私は前に貴方に言いました。貴方と彼女に訪れる未来で絶望の淵に立たされてしまうと。』
マルグリット……。そうだ、デラーズ紛争の時に還ってきた彼女は確かにそう言っていた。
『けれど、貴方達ならそれを克服すると信じています。私は貴方と彼女の強さを知っているから。』
「マルグリット……。あぁ、決して諦めやしない。」
例えキャスバルが亡くなっても、誰が敵に回ろうと、変えてみせると誓ったのだ。
『ジェシー、私のもう一人の息子よ。未来を変えるのだ、アンゼリカが……いや、彼女の子が望む未来に。』
「親父……。」
俺の事をもう一人の息子と呼んでくれる父、彼やアーニャのお母さんが望んだ本当の宇宙世紀……。
それを受け継いで未来を進まなくてはならない。
「みんな、ありがとう……。救い出してみせる、あの子達を。そして変えてみせる、明るい未来へ。」
三人の光が消えていく。
大丈夫、大丈夫だ。絶対にみんなを失望させやしない、そう心に強く願い、次第に意識が覚醒していく……。
「ジェシー……!」
「……アーニャ。」
見知らぬ天井、恐らくは病棟か。
隣で強く手を握っていたのは俺の愛する女性。
「立ち止まっている暇は無さそうだアーニャ。」
「えぇ、あの子達を救いに行かなければなりません。」
そして世界を正しい方向へ導く。
その為に……。
「出来るさ、俺とお前なら。」
彼女の手を強く握り返し、身体を起こす。
もう立ち止まってはいられない、やるべき事を全力でやるだけだ。
「行こう、アーニャ。」
「……えぇ!」
新たな戦いが、始まる。
後の世の、とある歴史書には、この年から数年間の歴史がこう書き記されている。
0084年11月:欧州のマハル孤児院が襲撃され行方不明者多数、旧公国軍のゲルググと思わしきMSが襲撃時に複数機確認されている。
0085年5月:対地球独立軍との戦いの為に再編されたリング・ア・ベル中隊主導による地球連邦正規軍による地球独立軍との武力衝突がサイド7宙域にて発生、この戦いでリング・ア・ベル隊のカルラ・ララサーバル軍曹がMIAとなる。
0086年2月:地球独立軍との第二次武力衝突がサイド2で発生、地球独立軍の一部過激派によるG3ガス散布が計画されるも連邦軍により阻止させる。
0086年7月:旧サイド4の廃棄コロニー内で行われていた地球独立軍のニュータイプ研究所をリング・ア・ベル中隊が発見、一名の子供を除き研究所内の生存者無し、この時MIAとなっていたカルラ・ララサーバル軍曹が遺体で発見された。この事件によりリング・ア・ベル中隊小隊長ヨハン・グリム大尉が地球連邦軍を離隊する。
そして0087年3月、後に統合戦争と呼ばれる新たな戦いが始まる。
機動戦士ガンダム 紺碧の空へ
第2.5部『キャスバル暗殺事件編』 完
第三部『紺碧の双子(ジェミニ)編』に続く。
第2.5部『キャスバル暗殺事件編』終了です。
完全オリジナル展開となり賛否のある内容かと思いますが楽しんで頂いてくれたら幸いです。
宇宙世紀のキーパーソンでもあるキャスバルの退場、それが今後どう影響するのか、二人の子供がどうなったのかが今後語られる事でしょう。
第三部の前にそれまでのキャラクター紹介や機体解説を挟むか悩んでいます、必要ないと思ったらコメントなどしてくれると助かります。
それではまた第三部でお会いしましょう、ここまで御拝読頂きありがとうございました。