遡ること数日前、北米戦線での出来事だった。
「信号弾?これは……全軍撤退用の信号だと!?」
非常事態による撤退を意味する信号弾の色に前線の兵は混乱しながらも所定の通りの撤退を行い、合流地点へと集結した。
「ガルマ、一体何が起きたと言うのだ?」
ガウから降りてきたガルマは怒りで顔が紅潮し今まで見たことが無いくらい憤慨していた。
「マ・クベが……オデッサ防衛の際に南極条約に違反し水爆ミサイルを発射した……!」
「なんだと!?」
マ・クベは狡猾な男だと知ってはいたが、まさかそんな暴挙に出るとは流石に思いもしなかった。まさか戦時条約を反故にするような真似をするとは……。
「これが奴の独断か、それともキシリア姉さんの指示かは分からない。だがこの局面でそんな事をしでかしては連邦軍による報復攻撃がいつ起きてもおかしくないぞ!」
……確かにそうだ、既に我々は各サイドに対する核攻撃や地球に対するコロニー落としで大勢の命を奪っている、それを際限なく行われないようにと南極条約が締結されたと言うのに我々からそれを破っては連邦軍も条約を律儀に守る意味がない。
「ガルマ、一旦落ち着け。まずは状況の確認からだ。オデッサはどうなっているんだ?」
「オデッサ防衛戦は密かに我が国に内通していた連邦の将校の裏切りで一時優勢になった、しかし君が逃した例の木馬の部隊が黒い三連星を撃破し戦況は悪化した。」
あの黒い三連星がやられたのか……やはりあのガンダムと呼ばれる機体は圧倒的な力を持っているのか……それともパイロットの実力か。
「その後マ・クベは戦況を回復させる為に水爆ミサイルをレビル率いるビッグ・トレーへ向けて射出し、レビルを殺す事には成功したがそれに逆上した連邦軍に押され結局オデッサは連邦に奪還されマ・クベはいの一番に宇宙へ逃げた……との報告だ。」
「……馬鹿げているな。」
核一発で連邦軍の大将一人倒せたと言えばそれは確かに功績ではある、レビル将軍は連邦軍でも一、二を争う優秀な指揮官だ。彼を失った連邦軍のダメージは大きい。だがそれ以上のデメリットもある。
「南極条約が反故にされてしまえば連邦も同じように戦略兵器の使用を解禁してくるだろう。兄さんや姉さん達のいる宇宙はまだ良い、まだこちらに制宙権があるのだからルナツーからの攻撃にさえ気を付ければ何とかなるだろう。だが我々はどうなる!重力戦線に取り残された将兵は宇宙へ撤退できる手立てすら殆どないのだぞ!」
自分の事よりも末端の兵士達の方を気にするか……やはり以前と比べて人を指揮する立場の人間として物を見ている、それに少し感動を覚えたがそれよりもまだ気になる点はある。
「君の兄上達は何か言ってこないのか?」
「連絡はあったさ、私もこの重力戦線をどうするのか問いただしもした。だが兄上達からどんな返答があったと思う!?」
「……恐らくザンジバル級でも派遣するからそれに乗って君だけでも宇宙へ戻って来いとでも言われたんじゃないか?」
少なくても弟可愛さにドズル中将ならそういう事を言いかねんだろう。
「あぁその通りさ!ランバ・ラルらを派遣して万全な状態で撤退をさせてやるからお前だけでも宇宙へ上がれと、部下は後から追わせると!それだけだ!」
ドン!と机を叩きつけるガルマを落ち着かせるように言うとガルマは少し冷静さを取り戻した。
「すまない……正直兄さん達に失望し過ぎて我を失っている。君はどう思うシャア。」
「ザビ家の人間の立場からすれば、の話だが君を宇宙へ戻すと言うのは間違いではない。」
「シャア!」
「落ち着けガルマ、あくまでザビ家の人間の立場ならの話だ。オデッサが陥落したとなると最早地上軍を維持する必要性は殆どない、既存の兵力でジャブローを攻略するのは不可能だろう。ジャブローの入り口さえ見つければ話は別だがな。」
だが数々の偵察でも見つけられなかったジャブローの入り口は簡単には見つからない。木馬が追えていれば奴らがジャブローへ行くのを追跡出来ただろうが今ではそれも不可能だろう。
敵の最大拠点が落とせないのであれば無理に地上に残る必要はない。こちらが制宙権は確保している現状では宇宙に上がってきた敵を逐一撃破して行けば良い話だ。それに南極条約を反故にした今なら再び戦略兵器を使用することも可能な訳だから最悪の場合は再びコロニー落としをする事すら可能なのだから。
勿論普通の人間ならばそれは躊躇するが……相手はあのザビ家の人間だ、戦況が不利になればどんな手段を用いてもおかしくはない。
「ガルマ、君自身はどうしたいんだ?」
「兵を残して私だけが宇宙に上がるなんて出来るわけがない!それはこの重力戦線を支えてきてくれた将兵全員を無碍にする行為だ、そんな事をしたら地上だけで無く宇宙にいる兵だっていつ見捨てられるかと不安にもなるだろう。」
「では兄上らの意見を無視して地上に残ると?」
「……あぁ、例え兄上達らと決別してでも私は地上に残る。このままでは北米のみならず各地の残存兵は目も当てられないような悲惨な死に方をして行くだろう、それほど迄にマ・クベは敵意を与えて去ったのだからな。」
あの兄達に頭の上がらなかったガルマがここまで人が変わるとはな……。
「ふっ、恋のせいか?」
「おいおい、私は兵達の事を考えて……。」
「正直に話せよ、イセリナ嬢を見捨てたくないから地上に残りたい。そういう気持ちもあるんだろう?」
「あぁ……そうだ。恥ずかしい話だがイセリナの為ならザビ家という名前すら捨てても良いと誓えるくらい彼女を愛している。だからこそ、この地上から離れたくないと言うのもあるが、やはり地上の兵も見捨てられないよシャア。そもそも地球の棄民として宇宙に上がった筈の我々が、今度は逆に棄民として地上に捨て置くなんて真似は許される事じゃない。それにただでさえスペースノイドの独立を謳い戦ってきたんだ、そのスペースノイドを見捨てて勝つ戦争なんてある訳がない。」
青二才な面もあるが指導者としての立場は既に一人前だな、ザビ家の名前すら捨てると言い切れるのなら……私もまたザビ家への復讐から彼を切り離して考えるべきか。
「ならジオン公国を捨て、この北米大陸で独立でもするかガルマ?オデッサが陥落したとは言え、このキャリフォルニアベースは未だに健在で機能もしている、更に連邦軍との講和も視野に入れれば北米大陸の安泰は確実だ。宇宙にいる兄上らには刃を向ける事になるがな。」
「……。」
ガルマは深く考え込む、何だかんだと言ってもザビ家と言う名前は簡単に切り離せるものではない。それに彼を首魁に独立しても連邦軍の中には所詮ザビ家と厳しく見る目があるだろう、それが難点ではある。
「せめてザビ家の私以外に誰か代表に立ってくれる者がいれば最善なのだがな……例えばジオン・ズム・ダイクンの遺児、確か二人の兄妹がいたと姉上が言っていたが、彼らのような本来のスペースノイドの代表を擁立できれば連邦軍にも説得力を持って対応できそうだが。」
一瞬冗談を言っているのかと思ったが私を前に本気で言っている所を見ると、私がそのダイクンの遺児であるとは露にも思っていないようだ。流石に父が暗殺されたあの頃、私と同じで子供だったガルマには気付ける要因が無かったか。そう思うと心の中で笑うと同時に見捨てられないなという気持ちも込み上げる、結局彼は私にとって復讐する相手ではなく、何処まで行っても気の良い友人でしかなかった。
それならば、友人の為に一肌脱いでやろうと言うのもまた友情か。そう思っていると兵が報告をしに部屋に入ってきた。
「ガルマ様、宇宙よりランバ・ラル様の部隊が参りました。謁見を求めていますが如何なさいましょうか?」
「私は宇宙には戻らないぞ、失礼になるが追い返しーーー」
「待てガルマ、ランバ・ラルに会おう。彼は味方になってくれる筈だ。」
「……?あぁ、君がそう言うならそうしよう。だが彼は兄上の部隊の人間だぞ?」
やれやれ、と少し呆れながらランバ・ラルが来るのを待った。彼は今でこそドズル中将の部下ではあるが元々は父親が生粋のダイクン派で、私もあのジンバ・ラルの洗脳染みた教育をされた時に彼と知り合っている。今はどうかは分からないが彼の性格なら何とか協力してくれるであろう。
「ガルマ様。このランバ・ラル、ドズル様の命でお迎えに参りました。」
「残念だがランバ・ラル大尉、私は宇宙には戻らない。地上の兵達を見捨て私だけが宇宙に戻ってこの重力戦線の将兵が納得すると思うのか?」
「納得せざるを得ないでしょう、ガルマ様は公国にとっても大事なお方。この地で何かあればそれこそ将兵は悲しみましよう。ドズル閣下もそうおっしゃっておいででした。」
「ドズル兄さんが何と言おうと私は兵を見捨てるつもりはない!例え公国を捨てて独立する事になってもだ!」
「何と……!ガルマ様、今の発言はクーデターと思われても仕方ありませんぞ!?」
「もしもそのつもりなら貴方はどうする?ランバ・ラル。」
「その仮面……シャア・アズナブル少佐か。」
どうやらランバ・ラルは私がキャスバルだとは気づいていないようだ、意図的に避けていたというのもあるが最後に会ったのはかなり昔の事だし仕方がないか。
「久しいな、ランバ・ラル。こうやって話をするのはマス家で会った時以来か?」
「マス家……!?……は!?まさか貴方様は!?」
「どうした?シャアと知り合いだったのか?」
間の抜けたガルマの台詞が耳に入っていないのかランバ・ラルは神妙な面持ちで私を見つめている。こんな風に仮面を脱ぐ時が来るとは夢にも思っていなかったな、そう思いながら仮面に手を伸ばしゆっくりと外して行く。
「そう、私だ。ジオン・ズム・ダイクンの遺児、キャスバル・レム・ダイクン。シャア・アズナブルはそれを隠す仮面であった。」
「えぇ!?」
「なんと……!やはりキャスバル様であられましたか!」
素っ頓狂なガルマの驚愕した声と感嘆するランバ・ラル、自分の事ながら少し面白く感じてしまった。これも若さだろうか。
「では先程の話はキャスバル様とガルマ様がお考えになられた事なのですか!?」
「待て、待て!シャアは本当にキャスバルなのか!?」
「そうだガルマ、元々ザビ家への復讐の為に身元を変えて入隊した。目が悪いと言うのも嘘だ。」
「なんだって……!つまり私の命も狙っていたのか?」
「あぁ、そう『だった』。今は違うがな。今はそんな事よりこの先の事を考えるべきじゃないかガルマ?」
「いや、確かにそうだが……君の正体がキャスバルだと言うのはそんな事と言うレベルではないだろう……。……はぁ、確かに今はこれからの事を考える時だな。シャアいやキャスバルと呼んだ方が良いか、君がこのタイミングでキャスバルを名乗ると言う事は私に力を貸してくれると言う事だな?」
「あぁ、正直昔のままのガルマであったなら協力はしなかっただろう、だが今の君は真に兵の事を思いやり未来の事を考えている。ならば友人としてそれを支えるのが道理だろう?」
「美しき友情でありますな、キャスバル様がお立ちになるのでしたらこのランバ・ラル粉骨砕身の思いで働かせて頂きますぞ。」
「なら鉄は熱い内に打つべきだなキャスバル、どんな風に事を起こす?」
「まずは我々に付いて来る者と来ない者を早急に見極める必要がある、独立と一言で言ってもやはり本国を裏切るのを躊躇う者は多いからな。それに兵にも事情があり参加できない人間も出てくる筈だ、そう言った者は今回ランバ・ラルが運んできたザンジバルと残っているHLVで宇宙に帰してやるべきだ。」
「賛同しない者を残していても獅子身中の虫になりかねませんからな。それに家族が本国にいる者を無理に残して彼らの家族に何かあってはなりません。」
「ならば1日の猶予を与えて彼らにキャスバルと私に付いてくるか、それとも本国に帰るかを選ばせよう。決起はそれからでも遅くはないからな。」
我々三人は頷き、兵士達に説明をする為に彼らを広場に集結させる事にした。この決起が成功するか、それとも失敗に終わるかは分からないがザビ家の連中に一泡吹かせてやるくらいの事はやってみせる。そう思いながらガルマとランバ・ラルと共に足を進めるのだった。