その革命家は地底より   作:蝶丸蒾

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地下スラムの洗礼

 急に、視界が開けた。一瞬、淀んだ空気を前方から感じた後、前を歩いていた男に背景ができた。

 とは言え、地上の明るさではない。視線を上げた先にあるのは太陽でも空でもなく、ごつごつとした岩肌にぶら下がる、虹色にぼんやりと光る石のみ。妖しく光るそれと、今まで十七年の人生で感じたことの無いほどの異臭に口元を抑えた。麻のローブの中、空いた手で、己の鳶色の三つ編みを軽く握る。相棒のニャースに引き摺られた言葉遣いで、思ったことをそのまま口にした。

 

 

「くさいにゃ」

「ゲロ吐くならそこらへんにしとけ」

 

 

 間違っても俺にかけるなよ。そう言って男は笑った。傍目にも分かる、仕立てのいいスーツとシルクハットで全身に黒を纏った男は、およそこの地下空間で浮いているだろう。

 

 

「吐かない」

 

 

 短く答えて、ケイトウは辺りを見渡した。砂と鉄錆と、酸えた臭いが気管を刺激する。風はない。仄暗い視界の中、ここには土と石で造られた建物の他に、動いているものは須らく飢えているのだと悟った。彼女はまだ、この地の底に在るスラムの呼び名を知らない。

ーー此処は、『暗躍街(アンダーグラウンド)』。製図家も知らぬ、常世の退廃都市。陽の当たる世で生きる権利を失った者が集まる、ここラフエル地方の闇。

ーーラフエル地方に住まう人間の、堕つる果て。

 

 

「どうして私をここに連れてきた?」

 

 

 ハットの下、空気と同じくらい濁った黒い瞳が、ケイトウを見下ろしている。試されているような、途方に暮れているような、何かを言い淀んでいるようなーーそれとも。いずれにせよ、ただ見下ろしているだけではない。恐らく頭をよぎった全てだろうとケイトウは思う。彼と出会って半年ほどしか経っていないが、澱んだソレに似つかわしくないほど、意思ははっきりと表す男だと知っている。

 

 

「答えろよ、マガツ。なんでこんな、地獄のようなところに私を連れてきたんだ」

 

 

 彼は視線をケイトウから外すと、脱帽して目を閉じた。まるでなにかを追悼するかのように。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「此処を、地獄と言ったな」

 

 

 再び歩き出した男の後を着いていく。彼は歩調を合わせるということはしないので、ケイトウは遅れないように足を動かすことで精一杯だ。だからだろうか、視界の端で蠢く人影や屍を直視しなくて済むのは。

 

 

「此処は俺の故郷だ」

「え」

 

 

 唐突に発せられた事実に、足を止めそうになった。この男が己の素性を明かすことは珍しい。寧ろ、名前しか本人から聞いたことは無かった。出会ったばかりの頃、遠く海を隔てたケイトウの故郷で、マガツがラフエル地方出身だというのも人伝てに聞いた話だった。彼が何を生業としているかも未だにはっきりと知らない。が、少なくとも完全な表の人間ではないだろうとは思っている。ーーたとえ、地上でラフエルのいち都市で役人の肩書きを持っていても、だ。

 その男が、今、此処を故郷だと言った。

 

 

「間抜けな面晒してンな」

 

 

 振り返った男が嗤う。アンタのせいだよ、という言葉が口から出そうになった。

 

 

「ほっとけ。言葉が見つからないんだにゃ」

「気ィ遣ってンのか」

「少なくとも私は、この状況で、思ったまま言葉にする勇気はないにゃ」

 

 

 ケイトウは抑えた声で返す。自分たちは歩いているが、そこらじゅうでに歩けなくなった人が蹲っているのだ。まだ歩けている人も、飢えを隠さずあのてまねきポケモン(サマヨール)のように彷徨っているのだ。たとえマガツだけにかける言葉が見つかったとしても、言葉を選ばずにはいられない。

 

 

「まあ見てのとおり、ラフエルで生きていけなくなったヤツらの吐き溜まりだ。こんな中で弱者が生きていけっこねェ」

「酷だにゃ」

「ああ酷だ。わざを持つポケモンは飢えるだけでまだいい。人間の男も力があるから生きていける……だが、女子供はどうだ」

 

 

 ケイトウは身震いした。自分は女で、成人していてもまだ子供だと言われることが多い。先程から横たわる人の中に惨たらしく命を奪われた自身と同じ年頃の娘を、少なくとも二度は見かけた。足を止めずに、視線を黒い背から逸らさずに、彼女らの骸の傍を通り抜けてきた。幸か不幸かまだ正気を保ったままで居られるのは、ケイトウの故郷もそれほど治安が良くなかったからか。

 

 

「安心しろよ、女子供が身を寄せている場所がある。そこにはちゃんと不可侵協定がある。そこに向かってるんだ」

「そ……そういうのは脅す前に言って欲しいにゃ!」

「まあ聞け。そこはなーー」

 

 

 ひとまず安心できそうだとケイトウは胸を撫で下ろす。とりあえず身の保証がされるところならいいだろう。そうして、次の言葉を待つ。

 

 

「娼館なんだが」

「は?」

 

 

 しょうかん。ショウカン。商館? ケイトウは先程から明らかに飢えた住人しか見ていない。ここから離れれば活気があるのか? いや、活気があったとして金銭で儲ける所があるのだろうか。この辺りを見る限り、商売のしの字も見つからないが、もしかしたらあるのかもしれない。この地下スラムどころかラフエル地方に着いたのもつい昨日のことであった。物資は充分ではない。しかしてーーケイトウはひとつの答えを導き出す。

 

 

「買うのか?」

「買わん」

「ハッ……もしかして私、売られる??」

「端金なんざァいらねェな」

 

 

 話がすれ違っていることには気づかず、頭をひねる。商館で買わないとなると売るしか考えにないが、違うらしい。ケイトウを連れているのだ、商談も違うだろう。ケイトウは暗に価値がないと言われてショックを受けたが、金が必要というわけでもないらしい。まあもっとも、明らかにこの男は金を持っている見た目をしているのだが。

 

 

「此処では金にしてくれるものの方が少ねェんだ。奪うか奪われるかしか基本的にねェからな」

 

 

 淡々と言った後の言葉が妙に重く聞こえた。

 

 

「アンタは、何か奪われたのか?」

 

 

 不意に問うていた。しまったと口を噤んだときには、男は足を止めていた。振り返るのが異常にゆっくりと感じる。

 怒られるだろうか。こんなところで、見放されてしまうだろうか。そんな考えが頭をよぎる。マガツが息を吸ったのを見て、ケイトウは身をこわばらせた。

 ーーしかし、返ってきたのはそのどれでもなく。

 

 

「俺と、弟以外、全部だ」

 

 淡々としているのが悲しいくらいの、あっさりとした返事だった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 それから、ケイトウはただ黙ってマガツの後を追っていた。かける言葉が本格的になくなった。故郷に何もかもを奪われた経験は、彼女自身にとって記憶に新しい出来事だった。むしろ、そのせいで故郷を飛び出してきたのだ。

 ケイトウの故郷は小さな地方の小さな街だった。治安の整った街ではなく、ゴロツキが幅を利かせているーーそんな街だった。ケイトウは、そんな故郷が嫌いではなかった。好きだった。小さな街だから、怖そうなゴロツキも何処の誰だかわかる。ひとたび喧嘩があれば町衆総出で止めに行った。それがバトルならば、土を抉っただけの簡素なバトルコートの傍で囃し立てた。賑やかで人情深い人が多くて、祭の時期には大いに盛り上がった。ケイトウは、そんな街の自警団を生業とした家の、末娘だった。

 今でも街の人々やポケモンたちからは可愛がってもらった思い出の方が多いが、現在両親やふたりの兄たち、そして親戚は連座で牢に繋がれている。ケイトウの両親たちは厳しい規則をつくり、街を支配しようと企んでいたのだった。その計画を暴いて、住民たちに蜂起を促したのは余所者のマガツだった。家族の企みを何も知らず、蜂起を呆然と見ていたケイトウに、声をかけたのも、また。

 

 

ーー家族を救いたいか?

ーーお前ならば救えるだろうよ。

ーーここから離れ、俺に勝てればだがよ。

 

 

 数分バトルの後、ケイトウのニャースもニンフィアも全く手が出せずに瀕死になっていた。思えば。

 

 

(あんなに虚しかったのは、後にも先にもあれっきりだなあ)

 

 

 ケイトウの家族をほんとうに奪ったのは何だったか。マガツは情報を与え、止めるのに蜂起を提示しただけで、実際に手を加えてはいない。住民たちは行動こそすれど、その理由を咎めるすべを、ケイトウは今でも持ち合わせていない。では街の支配を企てた家族だろうか。

 

 

(ちがう)

 

 

 違うと思いたかった。

 だって、ケイトウの家族は、ずっと一番に街のことを考えていたのだ。街に住むひとと、ポケモンのことをずっと見守っていたのだ。住民とともに祭りを楽しみ、トレーナーとポケモンを応援し、度重なる喧嘩を憂いていたのだ。いつも住民たちと寄り添っていたのだった。

 

 

(だれも悪くないんだ。何も悪くない)

 

 

 事の顛末を知ってなお、ケイトウは何も憎むことができなかった。ただ、当時は悔しさで何も考えられず、マガツに言われるがまま故郷を飛び出してしまった。そうして半年間、各地のポケモンリーグを回った。おとといガラル地方のキルクスタウンジムを制覇したばかりだ。

 マガツには余計なことをしたなとは思っているが、遅かれ早かれ、住民たちによる不満の爆発はあったのだろう。今はまだケイトウにできることはない。住民たちのほとぼりはまだ冷めてはいないだろうし、マガツには一勝もできていないのだから。

 

 

(それにしても)

 

 

 マガツがどうして自分をここに連れてきたのかわからない。この故郷をどう思っているのかも。自身と弟以外を失ったと言うが、弟がいること自体初めて聞いた。

ーー恨んでいるのだろうか。それとも、諦めているのだろうか。

 

 

ーー何もかも故郷に奪われたケイトウを見て、どう思っていたのだろう。

 

 

 ケイトウは心の中で溜息を吐いた。

 

 

(ほんとうに私は、この男のことを、何も知らないままみたいだ)

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ようやくマガツが足を止めたのは、余所者のケイトウでもわかるほどの辺境の、岩壁の前だった。家や建物でもなく、区画を隔てるように聳える、もはや塀と呼べるものだった。天井の虹色の石を見上げても、中心から結構な距離があることがわかる。だが暗いというわけではなく、壁に灯りがきちんと設置されているので、整備されているという印象を受けた。

 石壁の一部が途切れ、そこがアーチ状の門になっている。中からは子供の声が聞こえてくる。なるほど、女子供が身を寄せているというのは間違いではないらしい、が。

 

 

「ここが商館?」

 

 

 ケイトウは門を指さした。門の向こうには高くても二階建てまでの建物がいくつか見える。商売の気配はない。

 

 

「買い物? ここで?」

 

 

 ぽかんとした顔でマガツを見上げる。

 

 

「買い物? オイオイ、商いの館と間違えてンな?」

 

 

 マガツはひとの悪い笑みを浮かべ、ケイトウを見下ろした。

 

 

「娼館だよ娼館。妾がいる方だ」

「しょう……何て?」

 

 

 ねこポケモンよろしく飛び退ったケイトウは、ポケットからモンスターボールを取り出した。カチリと音がして、相棒のニャースが現れる。バトルでもなくぎゅう、と抱きしめられたニャースが、フギャッ、と鳴いた。

 

 

「コイツ! コイツやっぱ嫌だ!! 私を売る気か! ばか! 最低にゃ!!」

「勘違いだとは思わなかったが得にならねェっつったろうが。話聞かねェなクソガキ」

 

 

 もちろん言われたことは覚えているし、一日に二度も不要と言われるのは屈辱だったが、ケイトウの中の乙女がそうじゃないと叫んでいた。

 

 

「良いか? 人の話は最後まで聞くモンだ。此処が一番安全な場所だ。俺が保証する」

「信じられないにゃ」

「お前はニャースを抱き潰す気か?」

 

 

 ケイトウの腕の中で、ニャースがにゃあにゃあと鳴きながら苦しそうに身を捩っている。指摘されて緩めると、ニャースはケイトウの肩によじ登った。耳元でこれでもかと大きな溜息を吐いてくる。普段はとても可愛いがこういうところは可愛くない相棒である。

 

 

「此処で唯一の信用できる娼館だ。何度も言うが此処は安全だ。何てったって俺が育った場所だからな」

「こんなひん曲がった人間が」

「一歩外出りゃこれなんだぜちったぁ同情しやがれ」

「あい」

 

 

 軽口を叩きながら門をくぐる。ひとまずケイトウは安心した。こんな残酷な土地で、ひとが安息を得られ、育つことのできる場所があるのだと。

 

 

 未だ知らぬ、ここに自分が来ることになった理由に、不安を拭えぬまま。

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