「ソイツ、返してくれねェか、なァーー赤鬼さんよ」
「誰かと思ったら。ゴトーの旦那のとこの」
赤鬼はマガツを認めるなり、ぱっと青年から手を離した。どさりと落ちた青年の横で、からんからんと下駄を鳴らし歩く。
「いい獲物を見つけたと思ったんだけどサ。ボールも出さなくてつまらないったら」
マガツがハン、と鼻で笑ったように見えた。赤鬼が青年から離れたのを見て、アンジュがすぐさま駆け寄った。そのまま腕を引かれたケイトウも、転びそうになりながら走って後を追う。
「せっかく、取れた腕を付け直してもらったんだ。試してみたくなるでしょ? ま、試す価値もなかったんだけどネ」
そう言って肩を竦める赤鬼。けらけらと笑いながら続ける。
「すごく腕が良かったよ、噂の旅医者くん。ミスト、って言ったかな。銀髪のーーアララ」
その名を発した瞬間、空気が凍ったようだった。先程まで薄く笑みを浮かべていたマガツも、すぐ傍のアンジュも、周りで見守る野次馬も、その瞬間、音を発さなくなった。その場にあるほぼ全ての瞳が赤鬼を見つめ、全ての耳が赤鬼の言動を聞いているようにすら感じられる。
ーー何よりもケイトウが驚いたのは、マガツから感じられる殺気。
目の前で動こうとしたアンジュの腕を、気配なくそっと青年の手が止めていた。う、ご、く、な。青年の薄い唇がそう動いた。
「お褒めに預かりどうも。アイツは患者を選ばねェ、ウチの自慢の弟だが」
「まま、そんな殺気立ちなさんな。彼にはちゃあんと礼をしたサ。腕だけ治してサッサと行かれてしまったけれど、ネ」
「当たり前ェだ」
赤鬼がどうどう、とマガツを眺めるのは些か滑稽だったが、ケイトウは笑えるほど図太くなかった。それどころかーー見られている、と感じる。周りの人間が余計な動きを見逃すまいとケイトウ達を注視している。
「オレが楽しめそうなのはーー旦那と、潰れてる兄さんと……そこの三つ編みのお嬢さんはかなァ? ン、でも旦那とお嬢さんは違うかね? ウーン、次は刀抜けるかな」
マガツがハン、と余裕そうに鼻で笑った。
「俺は相手しねェ。そこの弟はハナっからヒト対ヒトなんてやる気がねェ。あのガキは弱ェ。やめとけよ」
「つれないなぁ。一度、アンタともやりあってみたかったんだが」
指名されて、ケイトウは戦慄した。楽しめるーーその言葉が、バトルの強さを示していることは察することくらい察せた。リュックの中でいろんな地方で集めたリーグバッジケースが音を立てる。今までそこそこの数のバッジを集めたが、それは公式戦のみでの話で。アウトローな戦い方をするマガツにはまったく敵わないのだ。
(ここでバッジ数が悪目立ち! 私バトルにそこまで命かけてないし、そんなのでこんなヤツに目をつけられるなんて冗談じゃないにゃ!)
ケイトウの心情は荒れた。が、少しでも赤鬼の意識から外れようと必死に動かないように努める。幸い、すぐにマガツが口を開いた。
「三日前、テメェが潰せなかったチビに比べりゃ、俺なんざまだまだ」
「へぇ、あのお嬢さんをご存知で? さすが情報宮殿……」
「あんだけ煩くしてたらだァれだってわかるぜ。なに……悪運だけは昔っから、人一倍強い奴だからな」
倒れている青年を見る限り、斬撃を使うのだろう。あの刀をあの腕でどう抜くのかはわからないが、自分は戦えるのだろうか?
ーー刹那、赤鬼がこちらを振り向いた。どこかゆっくりと見える。空いている左手が、その指先が、軽く手首のスナップを効かせて空を裂く。
目の前の空間が、切り裂かれた。
どくどくと身体全体が脈を打つ。幸い、痛みはどこにもない。視線を下にやると、ケイトウの目の前十センチほどのところで土が細く深く抉れている。
ーー身動ぎひとつ、できなかった。
「ケイトウ落ち着け。深呼吸しろ、ほら」
「うーん、素質はあると思ったんだがネ」
息が詰まる。冷や汗がつうと首筋を滑る。本格的に命の危機を感じた、その時。
むくりと、傷だらけの青年が起き上がった。ケイトウの目の前でにっこりと笑い、労うように肩を叩いた。そうして立ち上ると、伸びをする。まるで傷などないかのように。
ーーこのひとも、強者だ。
ケイトウはただ素直にそう思った。
「一般人に手を出されるのは、見ていられないからな」
「やっぱり」
赤鬼が笑った。
「オレが聞いてるのは……アンタがルカリオ使いの娘にやられたってことくらいだな。それだけで仮説はたてられたさ」
「わかったみたいに言うじゃないか」
「アンタが狙いそうな強い相手で、ルカリオを連れていて、なおかつアンタを返り討ちにする娘ってだけでかなり限られるんだぞ。……それはそうと、相変わらずオレができるのは鬼退治ではなく虫退治だけだな」
「……アノお嬢さんは、ほぼコッチの勝ちだったんだけどなあ」
ボソボソと赤鬼がぼやいたが青年は気にしなかったようで、傷ついた身体を確かめるようにストレッチをして、その場で軽く跳んでみせた。満足したようにひとつ頷く。どうやら見た目以上の負傷はないらしい。
「オレは護身とポケモンバトルしかできないが、外でなら受けよう」
「お香かい?」
赤鬼が肩をすくめる。彼の意識が完全に自分にはなくなったことを察して、ケイトウはアンジュを引っ張って青年から離れた。
「アンタ鼻が利くんだな」
そう言って朗らかに青年は笑い、マガツを指さした。
「ゴトーの目があるだろ。オレとアンタの立場でここで暴れるにはいささか場所が悪い」
「……なるほど、なるほど」
赤鬼はなにかを察したように頷いた。
ケイトウは先程のお香のことを思い出して、同種扱いされる予感にむっとした。後で聞いてやるから黙ってろ、そう呟いた後にアンタ図太いな、とアンジュがこぼす。
もはや仲の良い友人のような彼等を見て、マガツがおもむろに手を叩いた。
「話はまとまったようだな。さっさと出ていけ」
「ああ兄貴。一時間で片付けてくる」
「ーー全力で殺し合ってくれよなあ!」
気味が悪いくらいに、両者とも上機嫌だった。アンジュの腕が鳥肌立っている。ケイトウは既に傷だらけなのに軽々と言ってのける青年が信じられなかった。
「楽しむのは勝手だが俺はポケモンバトルしかやらんぞ」
「イヤイヤ」
赤鬼が脚力のみで青年へと逼迫した。同時に勢いで左手で抜刀。きらめく銀の光ーーはない。が、また、刀衝撃波としか思えない風が飛び退った青年の足元を抉る。
否、なまくらだった。遠目からわかるほどの錆に覆われている。湿気にやられたそれとは違う。それは、血の。
「簡単に死なれちゃ困るんだよ、ネ!」
赤鬼は天井へと切っ先を向ける。
「相変わらずただの鈍器じゃないか」
乾いた笑いをひとつ。
「人間がバトルにおけるブレーンって説はオレもわかるが、そうだな」
青年がモンスターボールから緋色の鳥人ーー否、もうかポケモンの『バシャーモ』をリリースした。
「ーー手足の無い頭なんて、喚くだけの荷物だろ」
言うが早いか。二番、と青年が呟く。バシャーモが何も無い空間で演武のように構え、何も無い空間を蹴りながら回り出す。青年の周りをぐるりと回るうちに蹴りは炎を纏い、シュウ、と音を立てて砂の地面を焦がす。自身の攻撃、防御を上げる『ビルドアップ』から炎を纏った蹴り攻撃、『ブレイズキック』のコンビネーション。風の刃も炎に阻まれるように狙いを外している。
ーーいや。バシャーモが先回りをしているのだ。
そうして鳥人が風の刃を惹き付け、ふたりの男の間に躍り出た、その瞬間。
青年がもうひとつのモンスターボールを空にしていた。現れた青と赤の竜の足に捕まり、頭上から挑発する。ドラゴンポケモン『ボーマンダ』が娼館を見下ろしている。
が、引かぬ赤鬼ではない。標的は宙吊りの青年のまま。そのあまりの素早さにバシャーモは相手を見失ったようで、火焔が空振りした。ボーマンダは疾風を避けるように縦横無尽に動き回りながら主を娼館の外へと運ぶ。赤鬼が駆け出し、鳥人は火の粉を飛ばしながら門の外へと消えた。数秒の後、破壊音が響き、どこかで土埃が上がったのが見えた。
ひとまず、驚異は去ったらしい。
ケイトウは地面に座り込んだまま、門を見つめた。何も怪我がなかった。ひとえに運が良かったのだと思う。
「不可侵条約とか、嘘にゃあ」
「あ? 特に被害なかったんだから良いだろ」
些事だとでも言わんばかりのアンジュに、何も言い返せなかった。今ばかりは帰ることのできない故郷が猛烈に愛しい。出会って数分で殺意を向けられることなんて、今までのケイトウの人生で考えたこともなかった。
ーー自分の故郷は治安が良かった方なのではとすら、思えるくらいに。
マガツが野次馬となっている女性たちや子供たちを見回すと、再度ふたつ手を叩く。
「そら散った散った! さっさと戻りやがれ!」
「まったく兄貴達も懲りねえな……おいおい、大丈夫かケイトウ」
ケイトウはこくんと首を頷いて笑った。
「アンジュ」
「おう」
名前を呼んで、アンジュへ手を伸ばす。冷や汗をかいたまま、にっこり笑った。
「腰が抜けた」