現役生活二十六年。疲れたので、バ美肉して野球解説系Vtuber始めます 作:義藤菊輝@惰眠を貪るの回?
つれぇ……。
水口良輔には、憧れの選手が二人いた。
その二人は、今から26年前。まだ8歳の、小学二年生のときにスタジアム観戦をしたことがきっかけだった。
一人目は、データ野球の申し子である
二人目は、超重量打線である東栄にて、打てるキャッチャーを体現する
そんな、東京ヘルススワンズ対東京栄読ラビッツの試合を新宿球場で観戦し、そして、二人のソロホームランのみの得点で引き分けた試合に魅せられた。
互いチームのバッターは、相手ピッチャーの前に手も足も出ず、ヘルススワンズは三振の山を築かれ、東栄はすべて野手の真正面にしかボールが飛ばない。
だが、古畑と安部だけはヒットを重ね、6回の攻撃には古畑がセンターバックスクリーンに飛び込む先制打を決めた。
そして、プロ野球選手になりたいと思う出来事が訪れる。
1点を追いかける東栄は、7回安部がバッターボックスへ向かう。ここまで2打数2安打。センター前と、レフトへの二塁打を放っての第三打席。
互いの投手はまだ先発のままであり、ヘルスの投手も、東栄の投手同様に安部以外にはヒットを許していなかった。
初球ストライクから、2球目はインコース。ボール、ストライクと続いた4球目。古畑が投手の
「うわ!」
視界の遠くで、安部がバットを振り抜いた。
白球は高く上がり、その軌道を見た安部はゆっくりと歩き始める。
どんどんと近づいてくるボール。暗い空にぽつんといるボールは見やすいもので、それが自分のところへ一直線に来るのだからなおさらだ。
「良輔! グローブ出せ!」
左手にはめていたグローブを、言われるがままに出す。グローブは持っていても軽いキャッチボールくらいしか経験なんてなく、土曜日の朝に少しだけするくらいの自分に、ホームランボールのキャッチなんて怖くて、思わず目をつぶった。
割れんばかりの歓声が、自分たちのいないレフトスタンドから上がり、ライトスタンド側は、感嘆のため息がこぼれる。
「え? なに!?」
パシッと、ボールを取ったときの音が聞こえたのは、自分と両親。その三人だけだろう。それほどまでに、自分と、自分を取り囲む世界は小さかった。
グローブを見れば、そこには真っ白なボール。
「良かったな良輔! ホームランボールだぞ!!」
その一球が、その一本のホームランが、後々どれほど大きな価値になったかは想像に難くない。
その日からと言うもの。自分は野球にのめり込んだ。何より、二人のキャッチャーにのめり込んだ。古畑と、いや古畑選手と同じモデルのキャッチャーミットを買って貰い、安部選手と同じモデルのバッティンググローブとバットを買って貰った。
地元の少年野球チームに参加させて貰い、希望のポジションは? と聞かれ、キャッチャー! と勢いよく答えた。
キャッチングは、試合中の古畑選手を真似し、体の動かし方や取り方を見て覚えた。チームの監督やコーチに話して貰い、ショートバウンド処理も含め、フィールディング練習を手伝って貰う。
バッティングも、安部選手の打撃フォームを真似するところから始めた。父親に誘われていったゴルフの打ちっぱなしに疑問を持ったが、安部のフォームを真似するなら試してみろ。と、いわれた。言われてみると、なんとなくゴルフの打ち方と安部選手のフォームは似ている気がする。
そこからはどんどんと自分の打ちやすい形へと変えていく。
小学校の頃から身長も伸びずそのまま、中学校の野球部ではなく、野球チームの中等部に混ざった。
中学校時代は既に体の大きな正捕手の先輩もいたため、肩が良いという理由だけでサードやショート、外野を経験した。高めのパワーボールに振り負け、アウトコースの変化球には届かない。
体が小さいが故の悩みは、バントなどの小技をすることで紛らわした。
転機は高校に入るときだった。
野球チームには高等部がなかったために、最後の大会は中学校三年生の夏だった。
毎年地区予選止まりの野球チームは、8回の攻撃時点で例のごとく3点差。ヒットは未だ三本しか出ていない。そんな中で迎えた第三打席。
白球がライト方向へ飛ぶ。
チーム待望の追加点。2点差となるホームランを打った姿を見た大阪の甲子園常連である名門高校のスカウトが、自分に目をかけた。
「水口君。我ら大阪松蔭高校野球部に来ないか?」
大阪松蔭と言えば春夏連覇も成し遂げたこともある名門。父も自分もこの誘いには乗るしかないと即答で進路を決めた。
春休みから練習に体験という形ではあるが参加し、一学年上の二軍の先輩達とバッティングやシート守備、ブルペン練習などに混ぜて貰う。
先輩達の球の速さ、キャッチングなども参考にしながら、新学期、大阪松蔭のユニフォームを身につけた。
一年間は二軍だった。新入生であり、また体も小さいがためにボール拾いやボール磨きなんていう雑用がほとんどで、試合に出るのは、紅白戦だけ。
対外試合には一つとして出させて貰えなかった。
「おまえ、来年一軍な」
二年にあがる直前になって監督に呼び出された。
身長がやっと伸び始めた自分は部内でも立場が弱く、二年、三年になっても一軍に上がれない先輩からは陰でグチグチ言われた。それでも、二年に上がり一軍になると、初めての対外試合に出場した。
ここで結果が出れば! レギュラー!
憧れの選手に近づくために、先ずはバットで示さなければ。望んだポジションじゃなくても、望んだ打順じゃなくても、先ずは試合で使えると監督に理解させる!
我武者羅にボール処理を練習し、打撃フォームを研究し、そして、リードについて勉強する。一軍にいる選手達の誰よりも努力している自信があった。だからこそ、チャンスをものにしたかった。
「多墨が怪我したから、明日からお前スタメンな」
だから、試合中に頭部へのデッドボールを貰った三年の先輩に対して、不謹慎にも感謝の気持ちが芽生えた。
口には出さないが、顔には出さないが、心の中では今までで一番嬉しく感じた。
二年の春と夏の甲子園に2大会連続で出場できた。結果は両方ともベスト8だったが、ホームランも打ち、期待の高校生キャッチャーとして名前が挙がるようにもなった。
そして、高校最後の夏。結果は甲子園ベスト4。
ホームラン1本を含む全試合マルチ安打でプロ野球スカウトの目に留まった。自分と接触したのは東栄とヘルス。憧れのチームから話を持ってきてくれたこともあり、とても舞い上がった。
だが、思い通りにはならなかった。
『近畿通運パワーブルズ。第4巡獲得希望選手、水口良輔。捕手。大阪松蔭高校』
希望する球団とは全く違う、興味もない球団だった。
記者会見場も作られていたこともあり、チームメイトはとても喜ぶ中、自分自身は一人だけ、思考がまとまらなかった。
態々自宅に来てくれたのは何だったのだ? 自分を獲得する気はあったのか? 記者からの質問には無難に答え千葉の自宅に帰ると、父が抱きしめてくれた。
「良かったな良輔! 畿通には今年から津路嶌も来る! 大スターの背中を見て成長できるぞ!」
そんなこという父に首を傾げた。大スター? それは古畑と安部の二人だけだ。他に言うなら克村ノム。それなのに、誰だ。津路嶌とは。いや、中報の選手なのは知っている。去年成績が落ちたことも知っているが、そんな選手などどうでも良い。
もう、訳が分からなくなった。
自分の実力で畿通からの入団を拒否すれば、きっとプロの世界には入れないだろう。大学生になってキャッチャーをするのと、このタイミングでプロの波にのもまれること。どちらがいいかなんて解りきってる。
「なあ、どうすれば良い?」
『え? 私に聞かれても』
だから、中学からの付き合いがある絵里香に聞いてみると、私にどうしろと? と冷たい返答が来た。
『私は野球のことあまり解らないし、知らないけど、憧れの選手に近づきたいなら、憧れの選手がいた場所で戦えば良いんじゃないの?』
あとからでもチーム変えれるんでしょ?
あっけらかんと言う彼女に圧倒された自分は、だんだんと馬鹿らしくなってきた。
津路嶌洋弥というキャッチャーが凄いなら、その技術をすべて盗めば良い。その上で、畿通を抜け、東栄かヘルスにFA移籍すれば良いのだ。そう考えると、一気に悩んでいた気持ちが消えた。そうして自分は、黒のストライプと赤い牛のマークがついた帽子を被る。
◆◇◆
プロの世界は文字通りレベルが違った。
高校時代目にしてきたどの学校のエースよりもストレートにはバックスピンがかかり、変化球には切れがある。
今まではパンパンとしっかり音を鳴らし、ミットのポケットで捕球することが出来ていたが、全くそれが出来ない。同期で入団した大卒のキャッチャーが出来るのに。だ。
「どうした? えっと……水口くん」
春季キャンプも終わりに近づき、二軍スタートがほぼほぼ確定していただろう時期に、先輩が、件の津路嶌洋弥が話しかけてきた。
思わず、何でもないです。と言いかけたが、首を振り思い切って言ってみる。
「上手く……。高校のときみたいに上手く捕れないっす」
「それだけか?」
「え?」
投手陣が帰ったブルペンで、津路嶌洋弥は自分に、溜まっているものを吐き出させようとしていた。
打撃は? と聞かれ、グリップポジションか分からなくなったと答え、右足の置く位置が分からなくなったと答え、ボールに対するバットの軌道が分からなくなったと答え、ホールの飛ばし方が分からなくなったと答える。
守備は? と聞かれ、体での止め方が分からなくなったと答え、指示出しの判断が遅くなったと答え、内野と捕手間の意思疎通が分からなくなったと答える。
捕球は? と聞かれ、体重の載せ方が分からなくなったと答え、肘の角度と距離が分からなくなったと答え、ポケットでの取り方が分からなくなったと答え、リードの仕方が分からなくなった。と答えた。
「おうおう、全部か」
「はい、何もかもが、狂ってて、分からないっす」
ヤケクソ気味の自分の言葉に、津路嶌洋弥は単純に、簡潔に答えた。
「なら、全部教えるよ」
そして、キャッチボールするぞ~! と、ブルペンに対して垂直に、端と端に自分と津路嶌洋弥が立ち、ブルペンマウンド6つ分の距離を開けた、少し長めの距離を取る。
忘れろ。考えるな。
津路嶌洋弥はかなり変わっていた。あーだこーだと世間話から幼なじみの話まで、野球に関係していることも関係のないことも話し続ける中、ぽつりと言ったのだ。
「捕球体勢なんて人それぞれだし、フレーミングも出来る奴がやれば良い。下手にやれば逆効果だし」
オーソドックスから逸脱しすぎなければ良い。要は、どこに比重を置くか。
「捕球がメインか? 盗塁阻止がメインか? 手の向きは? 捕りやすさを取るなら、捕球前に一度軽く降ろして予備動作を作れば良い。ミットを投手の的にさせるなら、頑張って上げ続ければいい」
私の捕球体勢とか、おかしさしかない。要はやりやすさ。守備判断は話が別だが、打撃フォームも同じだという。じゃないと、全員同じ打ち方だとも。
そこからだ。なにか困ったことが出来れば津路嶌さんの下へと行くようになったのは。
二軍だと、一軍の試合を見る時間を取れないので、我が儘を言ってスコアラーから配球表を渡して貰い、理解できない津路嶌さんのリードに対してメールで質問する。中側監督の招集で一軍に上がれれば、ブルペンでリリーフ陣の投球練習に付き合う。
おかげで、どういう風なリードが好きなのか。どの球についてどんな風に捉えているか。など、選手の特性や特徴を掴む機会になった。
津路嶌さんは中報のときほど打撃が良くなく、終盤のチャンスだと代打が送られる。そのときに入れ替わり、守備につくときにはこれまでの配球の意図を教えて貰う。
自分がマスクを被った試合、場面でどれだけ点数を取られても、津路嶌さんが自分を怒ることはなかった。
優しく諭すように、どういう意図で、何を投げさせ、結果どうなり、改善点を提起させた。シーズン中は大学ノートに配球を書き出し、オフになると、パソコンを使って整理する。
幼なじみから恋人になった絵里香の素人特有の疑問も、見方を変えれば大きな改善要素につながるときもあった。
「なんで自分が東栄に!!」
「すまん……。プロテクトをつけれなかったんだ」
プロ生活が8年目に入ったとき。あれほどまでに憧れたオレンジのユニフォームは、もう自分にとっては憧れではなかった。
そんなことよりも、身につけたいのは猛牛のユニフォーム。尊敬する先輩が身につける番号を受け継ぎたい。その思いが強くなると同時に、自分は、シーズン終わりにFA権を行使し、パワープルズへ戻った。
「監督達とも話したが、今シーズンからはお前が正捕手だ」
他の誰でもない津路嶌先輩の口から、起用法を教えて貰ったときには、驚きが隠せなかった。
腕利きの整体師に身体的なコンディションを整えて貰い、酷いときは痛み止めを注射していることは知っていた。それでも、十年以上正捕手として扇の要を務めてきたのだ。その重みを、プロ入り初の開幕マスクで感じた。
「お前なら出来るって、そう思ったからあのキャンプで声をかけたんだ。グラウンドの中では、お前が頭になるんだぞ」
十六年目の契約更改前、今度は、自信を持てと言われた。そして、契約更改後は、GMから、津路嶌先輩が選手兼任監督になる旨を伝えられた。
興味なかった選手が頼るべき相手になり、そして目標になり、尊敬する人へと変わった。
なのに……。
「なのに、なんで先輩が敷島洋美だって教えてくれなかったんすか!!」
場所は変わって、先輩が行きつけの寿司屋さんである『四季花』の個室。自分と嫁の絵里香、そして津路嶌先輩の三人で今日の報告などをしていたのだが、自分と先輩の酒が進んだこともあり、思わず大きな声を出してしまう。
お嬢が、洋美が、まさかの先輩だった。
項垂れるように机に突っ伏し、やけになってハイボールをあおる。
「ははは! 残念だったな水口。成績残してない捕手だと思ったろ」
「ちょっと津路嶌さん、それ何杯目ですか」
ハイボールをどんどんと飲む水口に対し、グラスに入った日本酒を浴びるように胃に収めていく私。もう既に出来上がっている感覚はあるが、それでも楽しい席でのお酒は止まらない。
「津路嶌さん分かってます? 明日、私と幸田ちゃんと蔀君と津路嶌さんでコラボですよ? 15時からですよ?」
わかぅてま~す。
どれくらい Vtuber をしてる?
-
がっつり沼ってる
-
企業 or 個人でお気にがいる
-
数名名前しか知らない
-
まったく知らない