「それとこれお願いね、あぁ後この間頼んでた物どうなったかしら?」
「はいはい少々お待ちを、それと頼まれた物なら……っと」
あれから紆余曲折の末、どうにかこの世界に馴染む事に成功した。
「まあ、頼む前よりも綺麗じゃない!」
「少々手間はかかりましたが、中身も全部取り替えて動くようには」
「本当に良いの?手間賃ぐらいは…」
「良いんですよ、趣味でやってるようなものなので……それに本業の方だけで収入は充分に入ってきますから」
この雑貨屋を開業するのにも苦労した、この街での住民権に資金の確保、そして正体を隠す為に偽装した自身の過去。
「何から何までお世話になっちゃったわねぇ、それにしても遠い異邦からここに移住してきたって言ってたけどいつ見ても本当に綺麗な顔ねぇ……どう?私の娘と……」
「毎度毎度懲りないですね、家庭を持つつもりはありませんよ」
「もう頑固なんだから、娘も満更じゃなさそうだし貴方が了承さえしてくれれば今すぐにでも」
「どうぞご注文のお品です、ご利用ありがとうございました」
半ば強引に会話を打ち切り目の前の常連を追い出そうとする。渋い顔をしているが諦めてくれたようだ、今日はこれで退いてくれるらしい。
「仕方ないわね……それじゃあまたよろしくね、ヤーナムさん」
「娘さんとの縁談以外でなら、歓迎ですよ」
そう言い常連は店から出て行く、それを見送ったと同時に深くため息をつく。
「全くあの執念深さはどこから来るんだ…」
しかし毎日欠かさず来てくれるのだから無下にもできないなと思いつつ椅子に腰掛ける。今日は客足が少なかったが、あの常連との会話だけ疲れてしまった。
「………しかし随分とお喋りになってしまったな」
ぼんやりと窓の外を見やる、そこから見えるのはあの大穴だった。
オース、アビスと呼ばれる大穴の周りを囲うように築かれた街。
そこの一角にポツンと建っている小さな雑貨屋の店主。生活用品を仕入れ、それを売り、時には客が持ち込む壊れた家具や小物を修復する、ここらでは少し名の知れた異邦の土地から来た外国人、ヤーナム。
それが今の自分だ。
「もう十二年か……」
時間が経つのは早いもので、この世界に来てからそれだけの時間が経過していた。
勿論その間にこの世界の事もだいぶ理解出来た、今自分が住んでいるこのオースは南海ベオルスカと呼ばれる地域に存在する孤島である。実際に行ったわけではないが、この孤島より遥か先には大陸があるらしく、そこに住む他国の人間もこのオースへ良く来るらしい。
その理由は、やはりこの街の中心にある大穴だろう。アビスと呼ばれるそれは約1900年前に発見された直径約1000m、深さ推定20000m以上と言われている縦穴、この世界においては人類が唯一未踏の秘境であるらしい。このオースも元はアビスの調査の為に作られた基地が拡大していった結果なのだそうだ、そしてアビスに人が集まるのはただ未踏の地だからではない。
遺物と呼ばれるおよそ人間の理解を越えた物が眠っているらしく、物によってはそれ一つで国の情勢が傾く程の価値がつけられるらしい、それを求めて探窟家と呼ばれる者達が日夜アビスを出入りしている。
しかし発見されてからこれだけの年月をかけても、アビスの底には誰一人として辿り着けていない。アビス内に生息する生物や気候が危険というのもあるらしいが、大きな原因はアビスからの帰還に
後から知った事だが、自分がこの世界に来た時のあの場所が既にアビスの中であったらしい、と言っても深さはせいぜい100mそこら、あの時点で大穴の異様さを垣間見たが、それより先に潜った時の景色は比べ物にならなかった。
「……っと、やめだやめ」
あの思い出に浸りそうになるのを無理やり掻き消して立ち上がる、今となっては忌々しいだけの記憶なのだから。そろそろ日も暮れる、店を閉める前に商品の整理でもしよう。
「そろそろ新しい食器類でも取り寄せるか、調味料もだいぶ少ないな、後は………」
ふと、商品が並ぶ戸棚の横に掛けられている古ぼけた衣服が目に入る。
「…………」
それを見るといつも心が騒がしくなるが、とうに捨てた夢を今更追い求めるつもりもなかった。
手を止め、その衣服の目の前に立ち、一人呟く。
「俺は覚めたんだ、アビスが如何に魅力的だとしても」
狩人の装束、古都では常に纏っていたそれは今や埃を被って久しい。
「俺はもう、狩人じゃないんだから」
この世界に来てから、十二年。
一人の狩人が市井の者に戻るには、あまりにも充分過ぎる時間が過ぎていた。
「すいませーん、ヤーナムさんいますかー?」
唐突に店の扉が開き、幼い少女の声が聞こえてくる。険しい顔を引っ込め、いつも通りの気の良いヤーナムに戻る。
「いらっしゃいませ……ってリコちゃんじゃないか、どうしたんだいこんな時間に」
「あっヤーナムさん!良かった、まだ店開いてますか!?」
息を荒くして店へ入ってきたのはもう一人の常連であるリコだった。
彼女は近くにあるベルチェロ孤児院で生活する孤児の一人で、この街に無数にいる探窟家の一人でもある。もっとも、探窟家としてはひよっこもいいところだが。
「ちょうど閉めようかと思ってたとこだけど、何か入り用かい?」
「それが………」
何やら言い淀んでいるリコを見て、ようやくその背に乗せている重々しいものに気付く。
(人?しかしそれにしては気配が…)
「あっあの!」
決心がついたのか、少し不安げな表情でもってリコはこう告げた。
「この子、匿ってもらえませんか!?」
「…………え?」
夜は明けた。
しかして深淵は底知れず。
ただ誘い、拐かす。
続きます。