終末の時代。
人類の黄昏。
それは、人間以外の生物にとっては原初の時代の楽園だった。
急激に数を減らした人類と反比例する形で、重度に汚染された自然環境は緩やかに回復していった。
特に深刻な環境破壊を引き起こしていた件の大国が真っ先に滅んだことで、工業汚染で弱った土壌が本来の力を取り戻し、砂漠化一歩手前だった中原は森林へと姿を変えた。
押し寄せる樹々の波は廃墟と化した都市を吞み込み、そこが動物たちの棲家となり生命の営みが循環する。健全な食物連鎖の果てに大地が、大気が、清浄なる輝きを取り戻し、その恩恵を全ての生命が享受する。
人類を除いて。
完全な殺人機械たるモビルアーマーは元より、その小型端末であるプルーマも人間以外の生物は攻撃しない。
行動待機中のモビルアーマーの上を栗鼠などの小動物が駆け抜ける様は、牧歌的ですらあった。実際、彼等は各々の生を瑞々しく謳歌していた。
その頃、生き残った人類は地下にいた。
何故かモビルアーマーもプルーマも、地表より下を探索しようとはしなかった。
理由は分からない。
実際のところ、これは単なる設定ミスだった。『地球上の人口を抑制するもの』と存在理由を定められた人工知能が"地球上"を杓子定規に狭い意味で定義した結果だった。
この融通の利かなさが人類を絶滅から救った。
厄災戦当初、効果的な反撃も出来ずただ狩り殺されるだけだった人類は、幾つかのグループに分かれて追いやられた。
ある者は宇宙へ。また、ある者は海中に逃れ一縷の望みを賭けた。
宇宙に逃げた連中は助からなかった。
モビルアーマーは"地球上"をどこまでも拡大解釈した。有体に言えば全宇宙、全銀河が地球上に含まれた。
エイハブ・スラスターを備えた巨体は無重力空間でその本領を発揮し、全ての輸送船団をデブリへと変えた。
結果として、これが撒き餌になった。
食料問題の解決策のひとつとしての他惑星移民事業。まだテラフォーミング段階だった火星、及び木星。
モビルアーマーは移民団の居住地を襲撃、一方的に食い散らかした。
これらの地下は"地球上"の範囲に収まっていたため逃げ場は無かった。徹底的に破壊・殲滅され順調に推移していた移民事業は壊滅的な被害……いや、壊滅した。
これら事業が再開されるのは厄災戦終結後、随分先のこととなる。人類の宇宙進出は大きく後退した訳だが、当時絶滅の危機にあった彼らにとって憂う余裕など欠片ほども無かった。
海中に生存可能性を模索した人々も死んだ。
慣性制御すら可能にするエイハブ粒子のでたらめな力は、水圧や流体粘性をものともしなかった。海においてのモビルアーマーの脅威は、まさに実存する海魔クラーケンだった。
余談だが、モビルアーマー及びプルーマは人間を捕食する。
これは文字通りの意味での捕食だ。
つまり、体内に取り込んだ人間を咀嚼、機械的な形で消化・吸収して自分たちの構成部品の材料に変換。そうして自己の補修や調整及びプルーマの生産を行い、常に最適な状態へとアップデートしていく。
ここで疑問がひとつ。
明らかに金属で構成されたモビルアーマーの体組織を、どうやって生物である人体由来の物質で補填しているのか。
もちろん人体にも金属成分は含まれるが、そんなものは微々たる量だ。どう考えても、あの巨体は賄えない。
考えられるとすれば分子レベルでの再構成。
要は、人体を構成する炭素分子などを配列変換、ダイアモンドなりカーボンナノチューブなりに組み替える技術だ。
言うまでもなくオーバーテクノロジー。そんな魔法じみた科学技術は当時はおろか、後世に至るまで実現されていない。
分子構造的には有機化合物から無機化合物への変換の方が比較的易いのではないか、と推定されるが、仮にだ。
その逆。
無機化合物から有機化合物への変換。この組み換えが可能なら皮肉な話である。
つまり、破局の引き金になった食料問題。この解決策をモビルアーマーは身内に内包しているかも知れないのだ。
モビルアーマーを開発したかの大国がその可能性に気づいていなかった訳は無い。が、何故平和的手段による問題解決への道を放棄したのかは、もはや闇の中だ。
はっきりしているのはモビルアーマーとプルーマが人を喰うという事実だ。
さらに余談だが、通常肉食獣が草食獣を捕食する際、まずは息の根を止める。
具体的には頸椎を嚙み砕く。咬合力に劣る非力な肉食獣の場合、気道を圧搾、窒息させる。
つまり、殺してから喰う。
もちろん慈悲からの行動ではなく極めて合理的な理由による。
実は大型草食獣の方が肉食獣より強い場合が多々あるのだ。身体も遥かに大きく体重に至っては数倍にもなる相手に反撃を許せば、ただでは済まない。下手をすれば返り討ちに遭う。
要は、余裕がないから速やかに殺す。
対してモビルアーマー或いはプルーマに対する人間の場合、その差は圧倒的だ。生身では抵抗にすらならない。
従って、合理的ロジックによって生きたまま捕食されることになる。
敢えて詳細な描写は避けるが想像は付くだろう。
阿鼻叫喚とか地獄絵図とか血と糞尿の宴とか……まあそんな感じだ。
結果、地下に逃げた者だけが生き残った。
もちろん確信があった訳では無い。
たまたま地下施設に居た者。運よく地下街、或いは地下シェルターに逃げ込んだ者。
その中に、地下研究施設で勤務していた科学者及び技術者を比較的多く内包していたのが、僥倖だった。
不幸中の幸い。いや……それこそがパンドラの箱の底に残った、最後の希望だった。
そして……希望が動き出す。
国連下部組織、対モビルアーマー戦術機開発技術研究局。
通称、戦技研。その本部ビル、というかシェルター。地下500メートル。
さらのその一角。ガンダムタイプ・モビルスーツ開発室と書かれたネームプレート。
さらにその奥。主任エンジニアのプレートが置かれたデスクに、だらしなく座るひとりの男。
ズズズー。
コーヒーと思しき飲み物をすする。
ぼさぼさの髪。眼鏡。痩身。白衣。
「うーん、今日もマズい!」
絵に描いたような技術者の姿だった。
この男の名はリバー・シュリンプス。
30前という若さで人類の最後の希望、プロジェクト・デモンベインの中核を成す人間のひとりだ。
今まさに地上を覆いつくさんとする天使の軍勢に反攻する、悪魔の名を冠した刃、人類の怒りと意地の結晶。
ガンダムタイプ・モビルスーツ。
その中でも特に『タイプ・キマリス』と仮に呼称されている機体を中心に担当している、人類最高の機械工学技術者。
それがリバーだ。
彼女いない歴=年齢(極秘事項)リバー・シュリンプスは雑然としたデスクの上、ノートタイプのPCをを掘り出すと何やら操作。
「アーカイブはっと……ああ、これ」
目当ての画面が立ち上がると、おもむろに鑑賞し始める。
その横顔は真剣そのものだ。眼鏡の奥、一見眠たげな目に深い知性の輝きが光る。
「ふむ」
さらに手のひらサイズの機械、家庭用ゲーム機のコントローラーにも似たガジェットを取り出し操作し始める。
「ふむ」
何度も頷く。
赤壁の戦いに臨む諸葛孔明を彷彿とさせる賢人の佇まい。
見る者がいれば感服せずにはいられないであろう、これが溢れ出す人類最高の知性なのだ。
「……って言うか、あれだな」
呟きながらPCを横ににどけると目頭を指で揉み解して、
「アリスたん、可愛いよ、アリスたん、はあ、はあ」
いつにもましてアレだった。
……もちろん意味もなくブヒっていた訳では無く、これも立派な開発研究の一部なのである。
当たり前のことだが、まったく何も無いところから何かを生み出すというのは難しい。
というより、ほとんど不可能だ。それこそ神の啓示と称されるような奇跡的なインスピレーションが要求される。
したがって、何かしらのデザインを行う人間は、多くの場合すでにあるものからインスピレーションを得ようとする。
それは単純な連想だったり合成だったり、あるいはもっと直観的な閃きであったりする。
そのための刺激を受ける手段として、リバーは主にマンガやアニメ、ゲームといった、いわゆるギーク・カルチャーを使う。もっと言えば極東の島国日本のオタク文化だ。これは凄い。リバーのギーク魂をビンビン刺激して、新しいセンスに目覚めさせてくれる。
今しがた受けたカルチャーショックも凄かった。
ひとつはフルダイブ環境VRゲームでデスゲームを強いられるアニメの最終章。
もうひとつはスーパーでかつオリジナルなロボットたちが地球圏を守るフェイズ制SLG。
リバーが特に着目したのはアニメの終盤キーパーソンたる金髪女騎士。
それとゲームの味方側ロボットの一体だった。
(これとこれを組み合わせて……)
閃き。脳裏で植物の種でも割れたような感覚。
「見えたっ!」
アイディアは浮かんだ。
ここからは実技の時間だ。
まずは精巧なミニチュアを造る。
いきなり実機では試さない。当然だ。
滅びに瀕した人類の限られたリソースを無駄使いはできない。
素体としてある程度完成されたフレームに、自作したパーツや何かのジャンクパーツを取り付けていく。
段々とイメージに近づく。形になる。
「……よし!」
完成。
高さ20センチに満たないミニチュアを、専用のベースにセットする。
エイハブ・ベース。
外見は縦横1メートルほどの正方形の、メカメカしい感じの板。サイドから伸びた複雑な配線が壁の中に消えている。
ベースの上。
スマートな人型機動兵器のミニチュア。いわゆる戦闘ロボット……なのか、これ。
普通に可愛い女の子の人形に見える。
というより、さっきまで見ていたアニメの女騎士に似ている。
カラーリングは違う。女騎士の甲冑はゴールドを基調にしていたが、ミニチュアの方は全体的に白に近いグレーの印象だ。
左腰に帯びた佩剣も金色というよりイエローに近い。
「エイハブ・レベルは……充分。それじゃ、動作シミュレーション開始」
スイッチオン。
エイハブ・ベースから、幻想的なエメラルドグリーンの光粒が湧き上がる。
エイハブ粒子。
無から有を生み物理法則を捻じ曲げ、慣性制御すらこなす奇跡の力。30tオーバーの質量を自在に宙を躍らせる力だ。
カチャ、カチャ。
何の前触れも無く騎士人形が歩き出す。
手も触れずミニチュアを動かすなど造作もない。
「撮影開始。あー、あー……よし音声も入ってるな」
顎に手をやり、
「これより実験用模造機第104号仮称コードネーム『キマリスちゃん』の動作実験を開始する」
まずは基本的な身体動作。
走る。跳ぶ。パンチ。キック。
問題なし。
あと超可愛い。表情がコロコロ変わる。
次に腰に佩いた長剣を抜刀。
振り下ろし、薙ぎ払う。軽快な風切り音を立てる。
この動作も良好。
剣を頭上に掲げる。
刀身が発光。光の中でシルエットが解けていく。
花弁にも似た微細な金属片の集合体が中空に渦を巻く。
柄だけになった剣を振り下ろす。
ブゥオオオオン!
連動して金色の渦も唸りを上げて、指向性を持って振り下ろされる。本来の間合いの何倍もの殺傷範囲を削って、通り過ぎた金属片たちが再び発光。長剣の形に収束する。
「ここまでは問題無し。これより変形シークエンスに入る」
キマリスちゃんがふわっとその場で浮き上がる。
脛の前面が分割・展開。疑似的な4脚状態になる。
腰回りの装甲、リアアーマーとサイドアーマーがやはり変形・展開。
サイドアーマーが頭部、或いは機首のような形に。リアアーマーは翼と尾を思わせる形状になる。
「うーん、完璧!」
リバーが拍手喝采した時、そこには飛竜に跨った女騎士の姿が……厳密には腰から下を飛竜に変えた姿があった。
「さすが俺! 俺天才!」
ガッツポーズで自画自賛する背中を凝視する一対の目。視線を感じたリバーが振り返る。
「ああ局長! 居るなら居るって言って下さいよ、まったく!」
「………………」
文字通り目を点にした対モビルアーマー戦術機開発技術研究局局長が完全にフリーズしているが、リバーは気にも留めない。
「だが丁度いい! 局長、ご覧ください、『キマリスちゃん』です! ほらキマリスちゃんご挨拶して」
半飛竜状態でふよふよしているキマリスちゃんが満面の笑顔で両手を振る。『やっほー!』といった感じだ。
局長フリーズ中。
「いや、挨拶されたら返しましょうよ、基本でしょ人として」
やれやれと言った風に首を振ると、
「最低限の教育すら受けて来なかった上役を頂いてしまった不運な我が身が嘆かわしいですな。ご両親のご尊顔を一度拝んでみたいものです……が、まあ、いいでしょう」
ふんぞり返ってドヤ顔になる。
「我が最高傑作を紹介させていただきます。彼女は実験用模造機第104号ことキマリスちゃん。この終末の世紀に降り立った旗持つ自由の女神にしてヴァルシオーネ。まさに生き残った人類全てにとってのジャンヌダルクです」
「………………」
「実験用模造機第103号コードネーム『ビュネイ』の欠点として、以前指摘された変形時に発生するタイムラグは彼女には存在しません! 何故ならば……」
「………………」
「この高速飛行形態スカイトルーパー・フルカウル(仮)で攻撃目標に急速接近! 速度を落とさずすれ違いざまに……」
キマリスちゃんが長剣を一閃。ご丁寧に目の横ピースで『キラッ♡』していく。無駄に芸が細かい。
「モビルアーマーを完全撃破! 完璧です。喜んでください局長、人類は救われました」
と、そこでリバーは振り返り、
「……局長? ちっ、人が懇切丁寧に説明してやってるのにどこ行きやがったあの老害……あ、戻ってきた」
局長のただならない様子に気付く。
「ええと、局長殿。なんですかな、その手に持ったジャパニーズ・サムライブレードは?」
「ああリバー君、実に分かりやすい解説だったよ、ありがとう」
目が血走って、かつ据わっている。その癖、口元は引き攣った様に笑っている。
端的に言って超怖い。
「おっ、落ち着いてください、局長! ぼっ、暴力はいけませんよ暴力はっ!」
リバーの後ろでキマリスちゃんもあわあわしている。重ね重ね芸が細かい。
「確かに素晴らしい性能だ。うん、実に素晴らしい」
「あっ、ありがとうございます」
「ただし、だ……」
一度溜める。めっちゃ溜める。さらに溜めて。
「見た目がおかしいだろうが!」
「ぶふっ⁉」
爆発した。
一瞬、リバーの顔がめくれ上がった錯覚すら感じた。というか眼鏡にヒビが走っている。恐ろしい。
ちなみにキマリスちゃんはグルグル目になって目を回している。
「なんで、こんなチャラ付いた外見にした⁉ 貴様、ふざけているのか!」
「局長、それ女性差別ですぞ」
「やかましいわ! こんなもんに性別もクソもあるか!」
肩を激しく震わせて、
「こんなもんボードウィンに授領させろって言うのか? 地獄の決死行に赴かんとする人類の勇士にこれを⁉ これに乗って戦って死んでくれって言えって言うのか? この私に!」
「いや、落ち着きましょうよ」
「うるさいわ! ジャパニーズ・オチアイか、貴様!」
猛りに猛っていた局長が、不意に静かになる。
「……ああ、うん。もういい、疲れた」
「分かってくれたようですな。理性を手放したら人間終わりですよ局長」
「うん、貴様を殺した後で、責任取って私も腹切って死ぬ」
「分かってなかった⁉ ちょっ、待って! 誰かっ、誰か助けて……ぎゃあああ!」
「避けるな! 大人しく斬られろ!」
ドタバタドタバタ!
キマリスちゃんが肩を竦めて『やれやれだぜ……』した。
これは今まさに滅びゆく人類の、意地と誇りを掛けた生存戦略。
有史以来最も崇高で純粋なジハード。
全人類をその双肩に担った漢たちの……闘いの挽歌だ。
「第104模造試作機」終了。ご読了ありがとうございました。