埃の積もった父の書斎で僕は悪魔と出会った。
マクベス家は純血の魔法族である。かつてはあのマルフォイ家に並ぶ栄華を極めた一族だったが、現当主、エドワードが事業に失敗し、資産の多くを失った。幸いなことに、一家揃って路頭に迷うような事態になるほどマクベス家の資産は少なくなかった為、かろうじて貴族としての生活を送ることはできた。しかし、マクベス家の家名に泥を塗ったエドワードはそれ以来、他の純血貴族からは笑いものにされ、ストレスから度々妻に暴力を振るった。
妻は夫から振るわれる暴力で積もったストレスを幼い息子を虐待することで発散し始めた。それを見たエドワードも、妻ではなく息子に暴力を振るい始め、両親から虐待されることになった息子・ジュードは常に体に生傷を作っていた。
元々、マクベス夫妻は良い親ではなかった。純血貴族のプライドが高く、ジュードの魔力が人より低いことを知ると、露骨に冷たく接した。夫妻が望んだのは息子ではなく純血貴族としてのプライドを満たしてくれる、つまり皆から賞賛される息子であり、間違っても出来損ないの息子ではなかったのだ。
ともあれ、両親から虐待されることになったジュード少年はそれでも健気だった。両親が自身に暴力を振るうのは、自身が出来損ないだからだと認識したジュードは懸命に努力した。寝る間も惜しんで書斎に閉じこもって本を読み漁り、ひたすらに知識を蓄えた。
しかし、夫妻はそんなジュードを褒めるどころか、薄気味悪いと触れることすら嫌がり、屋敷しもべ妖精に暴力を振るわせ始めた。
屋敷しもべ達が涙を流しながら自身を甚振る。それを肴に笑いながらブランデーを飲む両親を見たとき、ジュードの中で何かがプツンと切れた。
満足したのか部屋から叩き出されると、涙を流して謝罪する屋敷しもべを無視して父の書斎に向かった。
殺してやる―。ジュードの頭の中はそれだけだった。頭が割れんばかりに殺意が溢れるのを感じながら本棚を引っ掻き回す。かつて見つけた闇の魔術が書かれた本を探すために。
しばらく無我夢中で探していると、ふと真っ黒の本を見つけた。この部屋の本は全部読んだと思っていたがどうやら漏れがあったらしい。
タイトルもなにも書かれていないその本は、なぜかジュードの目を釘付けにした。
恐る恐る本を開くと、そこには「悪魔召還の法」と仰々しい書体で書かれていた。
凡そ同年代の子供ではあり得ないほど知識を蓄えていたジュードはすぐにこの本の内容を理解し、実行に移した。
幸いなことに材料はすぐに集まった。マクベス家は古くから続く純血名家であり、貴重な魔法植物ですら屋敷の蔵を探せば見つけることが出来た。
両親が深い眠りに着いたころ、地下室でジュードは悪魔を召還するための呪文を唱えた。
呪文を唱え始めるとすぐに禍々しい魔力が周囲を支配する、部屋の温度が急に下がった様に感じたが無視して呪文を続けると、やがて禍々しい魔力は集まり、渦を巻き始めた。
呪文を唱え終えると、魔力は霧散し、一人の男だけが残った。
「君かね?私を呼んだのは」
一昔前の英国紳士の様にスリーピーススーツにハットを被り、ステッキを持った20代半ばに見える男は上機嫌なのかズイッと顔を近づけた。
「は、はい…」
圧倒されながらもなんとか答えると男はさらに上機嫌になった。
「ほうほう!君のような少年が私を呼ぶとは、なにがあったのか教えてくれるかね!」
いちいち仕草が大げさな男は返事を待たずに膝を折り、ジュードの頭に手を乗せた
「あ、あの」
「シーっ。待ち給え、今君の記憶を見ている。」
喋ってもらうよりも早いからね。とウィンクしながらそういった男は目を閉じて一人でほうほうや、なんと…と独り言を繰り返す。
しばらく黙って待っていると突然
「なんたること!このような悲劇を背負っているとは!それもこんな幼い少年が!あぁ!」
まるで演劇であるかのように自分の肩を抱きながらさめざめと涙を流し、その場を回転しながら天を仰いだ男にジュードは混乱していた。
この人は本当に悪魔なんだろうか。いや、頭に手を乗せるだけで記憶を読むなんて普通出来ないし。と様々な考えが頭をよぎる。
「それで?なにが望みだ?」
男は、芝居染みた動きをピタリと止め、射抜くような目でジュードを見つめた。
「…え、えと」
「なにが望みだ?」
改めて考えるとジュードは、悪魔を呼び出してからの事をなにも考えていなかった。
しかも先ほどまで頭を支配していた殺意は、男が現れてからの衝撃でどこかに行ってしまっていた。
改めて冷静に考えると、悪魔に両親を殺させてなんになるのかと思う。両親が死ねば自分は施設かなにかに入れられ、顔も見たことのない自称親戚に残った財産も奪われる。そうなれば落ちこぼれの自分には何も残らない。
「つまり両親は殺せない」
ッハと顔を上げると男は満足気な表情を浮かべていた。
「よしよし、どうやら中々に頭の回る子供の様だな。さて、少年。提案があるんだが聞く気はあるかね?」
差し出された男の手を見て、ジュードは察した。ここでこの男の手を取らなければ自分は一生、這い上がれない事を。この地獄が一生続くことを。
「…ここから抜け出すにはそれしかないみたいだ」
「よく分かってるじゃないか少年」
この日、ジュード・マクベスは悪魔の手を取った。
「それと僕は少年じゃない、ジュードだ。ジュード・マクベス」
「これは失礼。私は、あーそうだな、オブシディアンとでも呼んでくれたまえ。悪魔のオブシディアンだ」
「黒曜石?変な名前」
手を離したジュードが言うと、悪魔、オブシディアンは肩を竦めた
「我々悪魔は名前を知られると支配されてしまうからね。こうして偽名を名乗っている訳さ」
「そうなのか。所でさっき言ってた提案っていうのは?」
「あぁ!危ない危ない。忘れる所だったよ」
このオブシディアンとかいう悪魔は一々大げさな反応をするなとジュードはため息をつく
「単刀直入に言おう。ジュード、君は幸せになりたいかね?」
「なにそれ、胡散臭い宗教みたい」
「酷いな。私は至って真面目さ。私は君が幸せになれるようサポートをしたいと思っている」
「それでどんなメリットがあるのさ」
ジュードはオブシディアンと話していると悪魔であることを時々忘れそうになっていた。そしてそれが非常に危険だとも思っていた。
あの真っ黒な本の最初のページには、
『悪魔は契約した時にしか力を貸さない。悪魔が対価を求めないときは注意せよ、お前の魂を狙っている』
と書いてあった。それが事実だとするならば、今まさにオブシディアンは自分の魂を狙っている。
「もちろんある。私達悪魔はね、基本的には人の魂をエネルギー源にしている訳なんだけど、感情というのもまた好物でね?もちろん一番は魂さ。しかし、魂なんて滅多に手に入らない。吸魂鬼が羨ましいよ、あんな簡単に魂が手に入るなんて。まぁ、つまりはこれから先、君には欲望のままに生きて貰う。他者を蹴落とし、どこまでも自分本位にね。そうして私は君に蹴落とされた者達の絶望と君の悪意を食らう。そうすれば私は、少なくとも今後60年は食事に困らないという訳さ」
どうやら嘘を言っている訳ではないようだ。確かにいちいち餌となる人間を探さなくていいのは大きなメリットだろう。しかし、疑問は残る。
「なぜ僕と?それならもっと偉い人と契約すれば良いんじゃ?」
ジュードそう尋ねるとオブシディアンは口を半月状にして笑った。
「そこだよ、ジュード。君の心は歳の割りに成熟している。それこそ異常なほどにね。いくら悪魔が死なないといっても、何十年もつまらない馬鹿と一緒にいるのはこれ以上無い苦痛さ。私はね、退屈がなにより嫌いなんだ。その点、君はとても面白い!そんな君と契約すれば食事にも困らない、退屈もしない。こんな条件を逃すようなことがあってたまるものか」
自分から視線を外すことなく言い切ったオブシディアンにジュードは確信を得た。
つまりこの悪魔にとっても、自分にとっても、この契約は待ち望み続けたものなのだ。
人間と悪魔。種族の違いはあれど、自分達はお互いが最も欲しているものを持っている。オブシディアンは何処までも自由で刺激的な人生を。ジュードは退屈とは無縁の生活を。だとすればこの契約を断る理由はない。仮に騙されて魂を奪われたとしても、今の生活が続くことに比べれば大きな差はない。
「分かった。オブシディアン、僕はお前と契約する」
「素晴しい!それでは君の気が変わらない内に契約してしまうとしよう。あぁ、その前に契約の内容を説明せねば。決まりなのでね。
まず、私と契約すれば、君は膨大な魔力を得る。そこらの魔法族なんて目じゃないほどの魔力だ。そして私とは主従の関係で結ばれる。勿論、君が主だ。私は僕として君をサポートする。だからといってなんでもかんでも言うことを聞く訳じゃないけどね?それと君の体はより魅力的になるだろう」
「…魅力的な体ってどういうこと?」
「女性にモテる体になるってことさ。まぁ、今は必要ないと思うかもだけど、これから君が欲望のままに生きていくには必須だよ?」
そんなものか、と納得したジュードはしばらく続きを待ったがオブシディアンはにこやかに佇んだままだった。
「ちょっと待って、これで終わり?悪魔と契約するんだからもっとすごい力とかないの?」
「今のところ確約できるのはこの3つだね。んー、すごい力が手に入るかどうかは君次第なんだよ。契約すると、君の性格や心の奥深くにある望みに応じた能力が手に入る仕組みでね?どんな力が手に入るかは私にも分からない」
「一生を左右するのにそんなアバウトな感じなの?」
「君の望みを叶える最善のものが手に入ると考えて欲しいね」
どうやらゴネてどうにかなる問題でもなさそうだと思ったジュードは覚悟を決めた。
「うん、大丈夫。契約を結ぼう」
「納得してくれて良かったよ。ここまできてやっぱり辞めます、なんてつまらないからね」
ふざけながらもオブシディアンは手を差し出す。
最初に握った時とは違い、目で見えるくらい黒く渦巻く魔力が蠢いているのが分かるその手をジュードは躊躇い無く掴んだ。
するとオブシディアンの手に蠢いていた魔力はジュードの腕に移り、瞬く間に全身を覆った。
「これからよろしく頼むよ、我が主」
視界すら魔力に覆われ、意識が朦朧とする中でジュードが最後に見たのは悪魔らしく邪悪な笑みを浮かべながら自身の手を握るオブシディアンの姿だった。