そしてギスギス注意です。
貴方に『好きな人』はいるだろうか。
何、照れる事はない。
その感情は人として持って当たり前のもの。
『好き』が脈々と、何世代も受け継がれ、行われて、貴方がいるのだから。
だから『好き』という感情、そして『好きな人』がいる事実は何よりも貴い事なのだ。
では、『嫌いな人』はいるだろうか。
どうやっても気が合わない。
過去の因縁。
どれでもない、口では説明できない何か。
そういった諸々の事情で特定の個人を嫌う。
人を嫌いになるという行為にはエネルギーを使う。であるならば、人を嫌うという行為は非常に非効率的だ。人を嫌う事により、交流が狭まるというデメリットがあるなら尚更。
だが人は人を嫌う事をやめない。
何故か?
何故ならそれは感情だから。
理性と相反する情動から生まれるものだから。
でも、だが、しかし。
それでこそ、人を人たらしめるのだろう。
◇
「ごめんなさい、どうにも力が強くて……」
「ははは、いいのいいの。ワンコはあれくらい元気が良くないと」
ロドスの廊下を二つの軽い足音と、湿ったものが滑るような音が響く。
湿った音はジャンの腹足の音。ならば軽い足音の片割れは当然ファーブルとなる。
その隣を歩くのはメランサ。控え目な性格である彼女だが、今は特に落ち込んで……いや、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
その原因はファーブルの顔を見ればわかるだろう。
髪はぐしゃぐしゃに乱れに乱れ、蛾の触覚のような角にも絡みついている。更には顔は若干濡れており、水分を手持ちのタオルで拭き取っている。
「まぁ、『待て』はできるようになった方がいいかもね」
「リオンもいつもはできているんです。でもファーブルさん相手だと……」
ファーブルは行動予備隊A4に引き渡した元レユニオンの猟犬であるリオンの状態を確認しに行ったところ、メランサ達の静止を振り切り当のリオンにのしかかられ、じゃれつかれ、顔を盛大に舐められたのである。その後リオンの定期診察の後お手洗いで顔を洗い、今に至る。
「腕は大丈夫ですか?治ったばかりなので心配で……」
「腕は大丈夫。ニェンさんに作って貰った戟も持てるようになったし。……まぁ、扱える、とは言わないけど」
「やっぱりまだ痛みますか?」
「あ、いや、ただ単に私に戦闘経験がなくてまともに振れないってだけ。暇を見つけてはバニラさんに教えては貰っているんだけどね……」
「厳しいですが、ドーベルマン教官の指導を受けて貰ってはどうですか?」
「それは既に打診したんだけどね……」
「何か問題が?」
「2人で1人の遠隔特殊オペレーターで元カメラマンっていう前例がないし類似例もないオペレーターだからね、私。だから訓練メニューの作成に難儀しているみたい。遠隔攻撃メインで、その大きさからあまり自由に動けないジャン、そんなジャンの近くにいなくてはいけない私という条件から護身を主体とした体術を取り入れようか、という、指針はあるみたいだけど」
「なるほど……でもドーベルマン教官なら間違いなく最適な訓練メニューを考案してくれるはずですよ」
「……前から思っていたけど、やっぱりドーベルマン教官の信頼って厚いんだね」
他愛のない話と共に歩みを進めるその先は食堂。昼時を少し過ぎたせいか、人は疎らである。
少しばかり忙しくて食べ損なった昼食を、同じく食べ損なっていたメランサと取りにゆくつもりであった。
いつかの時と同じようにジャンを連れているが、人も少ないし、それに注目を集めるのにも慣れた。人間、慣れの生き物である。
注文口にゆけば、そこには見慣れた顔がいた。
サイレンスとイフリータだ。サイレンスがトレーに乗せているのは魚の定食か。イフリータがトレーに乗せているのはカレー……なのだろうが、ファーブルが今まで頼んだカレーとは違うように見える。香辛料の香りもかなり強い。
恐らくはイフリータ特注のカレーなのだろう。最近知ったイフリータの激辛好きからして、きっと完食が危ぶまれるほどの辛さに違いない。
「おう、ファーブル。それにメランサ。お前らもメシか?」
「そんなところだね。イフリータちゃん達も?」
「そうなんだよ!全然検査が終わらなくてさ!もっと早くならなかったのか?」
「あれでも急いだ方よ。貴女が医師見習いの子を脅したせいでもあるのよ」
「でもアイツがさー────」
「でももだってもない。反省しなさい」
「ちぇー」
どうやらイフリータが定期検診で問題を起こしたらしい。結果ファーブル達と同じく昼食を取るのが遅れたようだ。
昼食を取るのが遅れたのはファーブルもまた同じ。空腹を満たすべく、注文口から厨房を覗き込む。そこにいたのはウルサスのグム。彼女は厨房にいることが多いので見慣れた顔だ。
ただ、その奥で彼女と親しげに話す人物は珍しい顔であった。
フォルテの男性、マッターホルン。イェラグのカランド貿易出身で、シルバーアッシュのお付きのような人物であったはずだ。そのような人が何故。
「あのー、すみません。注文いいですか?」
「あ、ハイハーイ!何にします?オススメはイェラグの獣と野菜をサッと炒めた肉野菜炒め定食だよ!」
「ではそれで。メランサちゃんは?」
「あ、では私も同じものを」
「OK、グムちゃん、オススメ二つ」
「りょーかい!」
元気の良い返事と共にグムは厨房の奥へと消えていった。
さて、とファーブルは残された男性に声をかける。
「マッターホルンさん、厨房にいるなんて珍しいですね」
「ええ、彼女にイェラグの家庭料理のレシピを教えていまして。今日はそのレシピのお披露目ということで私も厨房に立っているのです。……まぁやはりと言うべきか、少し味見をするだけで済みましたが。彼女の料理人としての腕前はかなりのものですね」
「褒めても何も出ないよー」
マッターホルンの称賛の言葉を照れ隠しか否か、明るく返すグム。
しかし戦場にて勇猛なマッターホルンに料理人としての才があるとはファーブルも意外であった。
……亡くなったオリジムシやバクダンムシの筋肉組織の調理方法、せっかくだから何かしらアイデアがあるか聞いてみようかな。
などと画策している間に定食2人前が運ばれる。
なるほど、少し強めの香辛料の香ばしい匂いが鼻腔と食欲をくすぐる。油とソースで照り輝く肉と野菜は大きめに切られており、食べ応えがありそうだ。
などと考えていた時。
ファーブルは『嫌な気配』を鋭敏に感じ取った。
その気配を辿れば、ひとりでに浮く鍋の蓋が視界に入る。
「イーサン、また貴方ですか」
マッターホルンの嗜めるような声と同時にチョップを浮かぶ鍋の蓋の付近に入れる。
すると鈍い音と共に「イテッ!」という若い男性の声が聞こえる。間をおかず滲み出るように鍋の蓋を持った1人のサヴラの男性が現れた。
イーサン。それが彼の名前だ。元レユニオンのゴースト兵であり、現在はロドスの特殊オペレーターである。
経歴が経歴だけにロドス加入当初は様々な憶測───それも邪推の域を出ない────が出回ったものだが、彼のひょうきんで陽気な人柄と仕事ぶりから信頼を勝ち取った。
ただ一つ難癖をつけるのならば、摘み食い等特異なアーツを使用した悪戯を時折しでかすことか。
「食堂に忍び込み食材を掠め取るのも、手を洗わず食堂の機材をあちこち触るのも言語道断だとあれほど言ったでしょう」
「そう言われると思ってしっかり洗ったぜ?ハンドソープでしっかり30秒。ならいいだろ?」
「そこは評価しますが、だからと言って摘み食いが許されるわけないでしょう?」
マッターホルンとイーサンの問答が繰り広げられる。
だが、そんな中。
「貴方、またくだらないことやってるのですか?」
恐ろしく平坦で、恐ろしく低い声が静かに響いた。
あまりにも雰囲気の違う声に、誰もが一瞬その声の主が誰であるか分からなかった。
しかし、その声の主が発する異様な空気はすぐさま声の主が誰であるかを指し示した。
ファーブルだった。先ほどの陽気さは全く見られず、その目は冷徹で、侮蔑すら含んでいるようだった。
その視線の先にいるのはイーサン。極寒の視線が向けられた彼は一番会いたくない人に会ったと言わんばかりに顔を顰める。
「そのコソコソと漁る癖はレユニオン時代からですか?」
「はぁ……いんや、レユニオンに入る大分前からだ。何か問題があるのかい?」
「いいえなんでも?ただ何でもかんでも自分達の都合の良いように利用するレユニオンの元構成員なのですから、その意地汚さはレユニオン譲りかと思っただけですよ」
「そうかいそうかい。で、なんだ?また有難い説教でも聴かせてくれるのか?感染生物も生きてる云々とかどうとか?」
「あ?」
一際ファーブルのその視線は鋭くなる。
それに呼応してジャンの甲殻がパチパチと電荷を貯め始める。
しかしながらジャンの甲殻から放電器官の露出は見られず、当のジャンもファーブルの豹変ぶりに困惑しているようであった。
「それはつまり説教をお望みと?お望みならそのエゴに塗れた価値観を捻じ曲げるくらい存分に説教して差し上げましょうか?」
「おいおい結構だ。そんな説教くらいながらの飯なんて食えたもんじゃない」
「不味い飯など、貴方なら慣れていますでしょう?」
口調こそ丁寧なものの、あからさまに敵意を隠そうともしない。語気や内容は過激な方へとエスカレートしてゆく。
「おい、おいファーブル、どうしたんだよ、お前」
そんな中、イフリータの不安げな声がファーブルの耳に届く。
ようやくここで理性を失っていたことに気がつき、体の熱を吐き出すかのように深呼吸する。
「……失礼。自室の方に持っていってもよろしいですか?」
「……あ、じゃあ皿にラップをするね」
グムは皿一つ一つ丁寧にラップをかけると、恐る恐るファーブルにトレーを渡す。
それを手に取ると深めに会釈する。
「すみません。気分が悪いので自室で食事をとらせていただきます」
そう言い残すとジャンを連れて自室へと向かっていった。
平静を装ってはいるものの、靴音の荒さからやはり冷静さは完全に取り戻してはいないらしい。
しかしながら、先ほどと比べればマシだろう。イフリータが声をかけなければ修羅場が繰り広げられていたに違いない。
イフリータが豹変した彼女に声をかけられたのは子供故の無神経さとイフリータ本人の傍若無人とも言える自信の強さだろうか。今回はそれに助けられたと言える。
「気分悪いのはこっちだっての、はぁ、寿命が縮んだぜ」
「……貴方、一体何をしたのですか?」
「何もしてねぇ……って言いたいが……」
「やはりですか。彼女に作戦記録のためのインタビューを受けたことがありますが、その時の彼女は明るくも聡明で冷静でした。そんな彼女をああまで怒らせるとは……一体何をしたのですか?」
「いやいや、したっていうか、意見の相違というか」
周囲の注目を一心に浴びるイーサンはポリポリと後頭部を掻く。
「……まぁ、皆席について飯でも食いながら話そうぜ。じゃないとやってられないわ」
◇
「あんなファーブル、初めて見たぜ?いつもはヘラヘラしてるのに、あんな……」
本気で怒ったサイレンスみたいだった、と小声で漏らすイフリータ。
「龍門地下で私達を守ってくれたあの時とは……また違うような感じでした」
意外な一面に少しばかりショックを受けるメランサ。
「で、何をしたのですか」
イーサンに詰め寄るマッターホルン。
「あー、何から話すべきか」
トカゲ肉を摘み、唸るイーサン。
「そうだな、初めて会話したのはやっぱりインタビューの時だったな。で、その時俺の過去について話題になってよ」
過去の記憶を思い起こし、イーサンは語り出す。
「で、元レユニオンだって言ったんだよ。別段誰にも隠す気は無かったからな。そっからだな、態度が変わり始めたのは。隠してはいたが嫌悪感を抱いてたな、あの顔は」
ああ、と納得したような声を出したのはサイレンスだった。
「そうかもね。何せ彼女がロドスに加入した理由が『感染生物を操りその命を愚弄するレユニオンの撲滅』だからね」
「あー、そういう訳か。通りでな」
どうやらイーサンは今まで何故あの時嫌悪感を抱いていたのか理解できなかったらしい。全て合点が言ったと言わんばかりに大きく頷く。
「その後『レユニオンがオリジムシなど感染生物を利用することについてどう思いますか』なんて突然聞いてきたからな。あの時は驚いたよ。俺は『あいつらも生きる為やってるんだ。どうも思わないね』って答えたかな。その後も感染生物がらみの質問ばっかり投げつけられたな。俺は俺なりの答えを返してやっていたが、途中から説教じみてきてな」
「で、どうしたのですか」
「俺もちょっと嫌になってさ。『動物愛護じゃ飯は食っていけない』って吐き捨てちゃったんだよ。そっからだね、もう完全に敵意やらなんやらを隠す素振りすら無くなったよ。ちょうどあんな感じに」
ファーブルの普段からは想像もつかない、またあの時とは違う激情の発露に、聞いていた者は静まり返る。
初めて口を開いたのは、話半分にカレーを食べていたイフリータだ。
「結局、ファーブルの気にいらねぇことを延々と言い続けたお前が悪いんじゃねーの?」
「いやいやいや、俺だってアイツの言い分はわからんでもないぜ?でもな、レユニオンの連中だって、それ相応の言い分があるってもんだ」
イーサンはコップの水を煽り、喉を湿らせる。
「レユニオンの連中は元々恵まれない感染者たちが寄って集まった集団だ。世界を変えてやろう、なんて志を持った奴だっている。感染者が迫害された現状に義憤から参加した、そりゃあ心の清い奴だっている。……でもな、迫害される感染者には手っ取り早い力が必要なのさ、結局は。手段なんて問わない。清廉潔白かどうかなんて関係ない。動物愛護なんてもってのほかだ。自分達の明日のために皆必死だったんだよ。これは元レユニオンの身としては譲れない部分だね」
「なるほど、そういう事ね」
「……えー」
イーサンの素直な思いの吐露を、サイレンスはあっさりと返す。
イーサンはそれに少し不満げな視線をサイレンスに向け、彼女はそれに気がつき溜息をつく。
「まぁ貴方の言い分もわかる。というかだいたい言うことは予想ついてたわ」
「ええ……俺の迫真の演説だったのによ」
「そして彼女も貴方の言い分は理解してると思うわ。正当性も同時にね」
「……それだと俺の言っていることが正しいとわかっていながら俺の言うことを否定してるってことか?それじゃあ────」
「ええ、矛盾ね。矛盾してる。ファーブルの中での絶対の正義と、貴方の元レユニオンだからこそ言える事実が矛盾してしまう。エゴのままに他の生き物を弄ぶことは許さないというファーブルの正義と、信念と生きる為に他の生物に頼らざるを得ないレユニオンの実情。この二つがね。だからこそ貴方を嫌ってるのよ」
「うへぇ、合理性もへったくれもねぇな」
「好き嫌いなんてもとより合理性も何もない情動でしょう?」
「まぁ、そうだけどよ」
ファーブル側の事情を理解しつつも納得はできないイーサン。
彼が黙ったのを見計らい、マッターホルンが口を開く。
「先ほど話をお聞きするに、サイレンスさんはファーブルさんと仲がよろしいので?」
「……まぁそうかもね。彼女の主治医でもあるし」
「それに、私も前は彼女にかなり嫌われていたから」
イーサンが不憫でならない