ギャフターの外のこと   作:凍傷(ぜろくろ)

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父親から彼になった日②

-_-/華煉

 

 ───これは夢ではなかろうか。

 今、私の頭の中を支配するのはその言葉ばかりだ。

 父さまとでぇと。出かけることさえ数えられる程度だったというのに、でぇと。しかも娘ではなく女性として見るために真名まで授けてくれて、その上で歩く城下……!

 なんということだろう……夜だというのに、この街が輝いて見える。

 え、えぇと、まずどうするのだったかしら。手? そう、手を繋いで……いえ待ちなさい、曹子桓。そんな、まだ女性として見てもらい始める段階だというのに手など繋いだら、父さまのことだ。きっと甘えん坊だという認識しか抱かないに違いないわ。

 いい、子桓……いえ、華煉。女性で在りなさい。女性として足る女でありなさい。

 父さまが私を女性として見る努力をしている時に、娘として見られる行動を取るなど愚の骨頂。慕う者の努力の足を引っ張る行為など恥、というものだわ。

 隣を歩みたいのなら、傍で生きるというのなら、不快にするのではなく、足を引っ張るのではなく、互いに高めていける存在で在りなさい。

 そう、凜として前を向き、胸を張って───!

 

(父さまとでぇと父さまとでぇと父さまとでぇと父さまと父さまとととと……!!)

 

 いい気分だわ……頭の中がたったひとつの目的に向かって回転している……! 余計なものなど踏み込む余地のないひとつの刃となり、それを研ぎ澄ませてこそ自信とともに歩けるのよ。そう……それこそ、父さまの名、一刀の名の下に生まれた者として誇る道!

 …………それにしても夜だというのに暑いわね。顔がじんじんして仕方がないわ。

 けれどそれも気にならないほどの幸福の中に居る。そう……今、私は幸福だ。

 

「………」

 

 ちらりと見れば、隣に父さま。いつも通りの、あの頃のままの、ふらんちぇすかの服を着た父さま。

 本人は“卒業したのにいつまで学生気分で居なきゃいけなんだ……”とか言っているけれど、これでこそ父さまだ。あの頃は成長しなかった体に筋肉が乗ってくると、父さまは嬉しそうながらも少々窮屈そうに服を着ていた。

 もちろんと言っていいのか、父さまは太い筋肉よりも細い筋肉を目指したようで、以前見せてもらった……ぼ、ぼでびるだー? とは違い、細身のままに余計な脂肪が削げた、綺麗な体をしている。いえ、その、ぼでびるだーが汚い体というのではなく、父さまらしさを消さないままの筋肉、と言えばいいのか。

 大体、父さまの顔のまま体だけぼでびるだーにしてみれば、きっと私はそんなものを見た瞬間に気絶する。父さまは細身のままがいいのだ。そう、余計な太さなどない、けれど触れれば氣がこぼれるような、肉ではなく氣が宿った細い筋肉が。

 華佗と延が言っていたけれど、父さまの体は面白いくらいに特殊なものに“仕上がっている”らしい。長い年月を経て、父さまの持つ黒檀木刀に氣脈が出来たように、その体そのものが氣脈であるかのように。言ってしまえば髪の毛一本一本にさえ氣脈が存在するという、おおよそ生涯を氣の探求に費やさない限りは到れない世界の話なのだそうで……この時ばかりは、いつも穏やか笑顔な延の笑みも、少々引き攣っていた。

 

「………」

 

 またちらりと見た父さまは、好蓮と桜花と一緒になにかを話している。なにかに向けて真剣に怒っている表情だ。話は聞けなかったけれど、その顔に見惚れた。

 するとまた顔がちりちりと熱くなって、視界がぐるぐると揺れてくる。

 その後に持ちかけられた話に呆然としたり怒ったり。艶本を見ているなどという疑いをかけられた時には、視界が変色するほどの怒りが私の頭を支配する。……ええ、したのだけれど、その頭が父さまに触れられた途端、怒りなんて感情が霧散してしまった。

 ……そう、そうだ。でぇと中なのだ。なにも怒る必要などないのよ。今を楽しむのよ華煉。怒ることなど、あとでいくらでも出来るでしょう?

 にこりと好蓮に向けて笑んでみせると、彼女はひぃと声を上げた。失礼な。ともあれ、現在は父さまに促されて、夜でもやっている飯店へ。そこで軽食を頼みながら、出された飲み物を口にして、話を戻す。

 

「それで、初体験というのはなにを指したものだったのかしら」

「え!? えと……それは、その……と、ととさまっ」

「へっ!? ここで俺に振るか!?」

「だって父さまは大人ですしっ!」

「お前らだって一度大人になっただろっ!?」

「ととさま……」

「父さま……なにもここでそれを出さずとも……」

「え? なにこの空気……。娘達のアレの事情を聞いた時にも流れなかった空気が、なんでこんな時に……!?」

 

 なんだかよく解らない空気が流れ始めた。父さまはあわあわと慌て始め、私をすまなそうな顔で見つめてくる。なんだろうか、そんなにも私に都合の悪いことだったのだろうか。

 けれど平気です、父さま。私は……華煉は力強く生き、父さまへの想いを遂げるために死をも超えた女です。今さら、己の身にかかる小さな話題程度で狼狽えたりなど───!

 

「……その、な、華煉。初体験っていうのは、男女の営み。つまり、子作りのことでだな」

 

 どかーんと頭の中で大爆発が起きた。顔、熱い。

 え? なにかしら。なにか、とんでもないことを言われた気がするのだけれど。

 男女の営み? 子作り? え、ええ、知っているわ? 知っているわよ? あれでしょう? じょ、じょじょじょ女性が、ある一定周期……排卵の時期にその、恋する男と、その……!

 

「な、ななななんだ、なにかと思えばそのようなこと。ふふふ? ええ、もひっ……もちろん、知っているわよ?」

(噛んだ……)

(噛みました……)

(姉さま……)

 

 大丈夫、大丈夫だ。私は平気。なによ、そのくらいの行為など、誰だろうとしていることじゃない。

 そんな、して当然のことでこの曹孟徳が一子、曹子桓が狼狽えるとでも?

 

「ももももちろん、確かに私は初めてよ? したこともないわ。大切にとっておいているのだから、当然じゃない」

「そ、そうだよね。丕姉さまには相手が居なかったもんね」

「作らなかったのよ。言い方を間違えないで頂戴」

「で、でもでもだよ? それで初めての相手がととさまになるのは……その、羨ましいと思うけど、怖くないの? あの……とっても痛いよ?」

「痛い……ああ、ええ、そうね。焦るあまりに痛くなってしまうこともあるというわね」

「その通りです姉さま。特に好きでもない相手と、子を為すためにする行為ほど気持ちの悪いものは……!」

「? なにを言っているのよ。好きでもない相手との間に、子など出来るわけがないじゃない」

「「「───」」」

「?」

 

 私の言葉に、父さまを含めた三人が固まった。

 ? なんだというのかしら。

 

「……あの。ととさま?」

「ちょっと待て。可能性を拾い集めてるから。……痛い……痛くなる初めて……? コウノトリとは関係ないし……」

「禅、登、言いたいことがあるのならはっきりと、私の目を見て言いなさい」

「んー……そうだな。よし華煉、知りたいことがあるからちょっと話を聞いてくれ」

「! ……ッ」

「こらこら、言った傍から視線を逸らさない」

「は、はいぃっ!」

 

 真っ直ぐに目を見つめられ、顔が灼熱してつい視線を逸らしてしまった。さ、さすが父さま……! 腹に力を込めて構えていたのに、その眼光ひとつでこの華煉を屈服させてしまうとは……!

 

「で、なんだけどな。えーと、子供はどうすれば出来るか、知ってるか?」

「は、はい」

「じゃあ、どうすればいいか言ってみてくれ」

「!? あ、あの、父さまっ……!? 夜で客が少ないとはいえ、個室とはいえ、飯店で、そんな……!」

「む。んー……」

(と、ととさまっ、ふぁいとだよっ、丕姉さまのことだから、ととさま相手ならちょんとつっつけばすぐに折れるからっ)

(姉さまは父さまには滅法弱いから平気ですっ、さあっ……!)

「……きみらさ、姉を尊敬してんのか貶してんのかどっちなの……」

 

 呆れた顔で父さまが溜め息を吐きつつ、なにかを言った。けど、すぐに私を見つめて───

 

「……華煉。お前の口で、言ってみなさい」

「はぅっ……」

 

 真っ直ぐに、私だけのために伝える声で、私に向かっての言葉。それがきゅぅんと私の耳に響いた。

 そうなれば嫌だなんて言えない。まだ料理が運ばれてこないことを確認してから、意を決して子作りの方法を口にした。

 

「そ、そのっ……恋した男女が互いを思いながら、衣服を脱ぎ捨て裸で抱き合い、そのっ……舌を絡ませるほど深い接吻をした際に、周期が来ていたのであれば身に宿すことが出来ると……!」

 

 言った。言ってしまえば恥ずかしさしか残らない。

 恐らく真っ赤であろう顔を俯かせながら、私は父さまの反応を待った。

 

「……華煉。その情報の出所は───?」

「え? あの、父さまの友人の、あの及川という男が、いつかの日に。あ、それで、そのあとは男性がその、りーど? してくれるらしいので、身を任せればいいとだけ───……あの、まさか間違っていた、と……?」

「いや、合ってる。合ってはいるんだ」

 

 そうは言うけれど、父さまは頭を抱えて長い長い溜め息。

 ……ええ、軽く殺意が湧いたわ、あの眼鏡男に。

 

「登、禅、正直に答えなさい。父さまの仰られた通り、私の知る子作りは間違っているのかしら?」

「う、ううんっ!? 間違ってないよ!? それは確かに営みだもんっ!」

「そ、そうです姉さま! それは間違いではありません! ありませんけど……! あの、何故それで痛みがどうとかと……?」

「あら、なに? そんなこと? なんでも初めての男性は、勢いのあまりに歯と歯をぶつけ合ってしまうらしいじゃない。それは、とてもとても痛いことでしょう?」

「……え、ええあの……はい、そっ……そうです、ね、姉さまっ……!」

「……ソウダヨ。ハジメテノトキ、キゼツスルホド、イタイヨ……!」

「き、気絶するほどっ!? そんなに勢いをつけるものなの!? ~……い、いえ、けれど父さまなら、きっとやさしく……!」

「あ……姉さまの中で、もう父さまと営みをするのは確定なのですね」

「ひぃぅっ!? なひゃっ……なにを───こほんっ! ……なにを言っているのかしら? わわわ私はそういうことが言いたかったのではなく、いえ違いますあのっ、父さまとのそういうことが嫌なわけではなくてっ! そ、それはもちろんいずれは父さまとそういうことをする覚悟は昔からっ……いえがっついていたわけではなくてですね!? あ、いえ、そうと言えるほど父さまのことを想っているというか、それが答えではあると言いますかっ、あの、そのっ」

 

 頭が熱くて上手く思考が纏まらない。いつからこんなにも弱くなったの曹子桓……! もっときっぱりと、しゃっきりとなさい。あなたはそんな女ではないでしょう。

 もっと真っ直ぐに、力強く、思っていることなど全部伝えるつもりで……! そ、そう、今さらだと思おうが、想いを伝えることは自分の気持ちへの自信にも繋がる。いきなさい華煉。ここで前に進んで、こんな場所ででも父さまに伝えられるほど、自分の思いは強いものなのだと父さまに届けるのよ───!

 

「あ、あのっ!」

 

 ぐるぐると回る目はきゅっと閉じ、手を伸ばしてその手を取る。

 驚いたような、戸惑いの声が耳に届くけれど、そんなものはもう気にしない。今まで様々な将たちの行動を見て、それはないと思ったことなど忘れなさい。

 父さまはこう見えて鈍い。想いはきちんと、解る言葉で、届かせなければ絶対に届かない人だ。

 だから迷うな。想っていること全部をぶちまけて───!

 

「私はっ! あ、あなたのことが───好きです! ですから、そういった行為も───!」

 

 閉じていた目を開け、掴んだ手を引き寄せるようにして引っ張る。

 自分を見ているであろう目を、より一層、自分の目の奥を見てもらうように。

 引っ張って……引き寄せて……そして、固まった。

 

「お……おやおや、こりゃあ嬉しいねぇ。でもごめんねぇ、あたしにゃ旦那が居るから」

 

 ……いつの間にか、父さまが軽く太ったおばさまに変貌して、照れ笑いをしていた。

 え? なにこれ。

 ちらりと見れば、その奥に父さま。私の手は、持ってきた皿を卓に置くために手を伸ばしたおばさまの手を掴み、それを無理に引っ張ってしまったらしい。零れ落ちそうだった皿を父さまが抱えていて、なんだか絶望を含んだ表情。

 その表情が語っていた。“華煉……お前まで、お前まで女好き……しかも熟女好きで人妻好きだなんて……!”と言ってい───待って!? 待ってください父さま! いくら誤解でもそれはないです! あんまりです! とか慌てているうちにおばさまは戻り、温かな料理だけが残された。

 

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