-_-/華煉
…………。
……………………。
「…………」
父さまのことで頭がいっぱいだ。
知らなかった。世にはこんな幸福があったんだ。
もう、視界に入れているだけで幸せだ。姿を思い浮かべるだけで笑みがこぼれる。やさしさを感じるだけで体がじぃんと痺れて、触れられると、その面積をもっと増やしたくなる。
誰かを受け入れるって、あんなにも溶けるような、深いものだったんだ。
「ほわぁあ……」
熱っぽい声が口から漏れた。
そんなことも別に気にならないほど、意識が父さまに集中している。
それもこれも、全部あれが悪い。私の中に入ってきた、あれ。
痛みがどうとか以前に幸せで頭がどうにかなりそうだった。人間、なにかに埋没しすぎていると、他のことに意識を回している暇がないらしい。
氣どころか体全体が父さまと溶け合い、混ざり、ひとつになった感覚。あんなの、幸せを感じるなっていうのが無理だ。
温かくて、嬉しくて、切なくて、恋しくて、愛しくて、時に苦しくて、苦しいのに嬉しくて、痺れて、それでそれで、熱くて。
あんなのはずるい、はんそくだ。子供みたいにそう言いたくなるくらい、出来るだけ傍に居たくなる。
だって、あんなに溶け合って、意識が飛ぶくらいの幸せな何かに何度も何度も襲われて、とても幸せで、嬉しくて。それなのに、中にまで入って混ざり合っていた何かが抜き取られたら、体全体が錯覚を起こしてしまう。
父さまが、もう自分の中から抜き取られた自分の一部みたいに思えて仕方ない。
だから目に見えていないと不安になるし、大変烏滸がましいことではあるけれど、誰かに傷つけられやしないかと思うと気が気でないというか。
「…………あぅ」
それにしても、顔が熱い。そして胸がうるさい。なのに幸せだ。
もう、なんというか父さまが輝いて見える。これが、子明母さまや琮が言っていた、父さまが輝いて見えるアレなのかしら。
「~、~……!!」
視線を外したくなくて、でも外さないと胸に込み上げてくるむず痒さが押さえられなくて、私は頬に手を当ててきゃーきゃーと足をパタつかせた。
ああ、なんということなのだろう。私はいったい、何度父さまを好きになれば落ち着けるのか。昨日よりも好きで、一秒前よりもっと好き。今すぐ傍に行って、抱きつきたいくらいだ。
けれど迷惑をかけるのは本意ではないからだめ。堪えなさい、曹子桓。そ、そう、なんだか急に始まった柄との鍛錬が終わったら、遠慮なく近づいて、それで、それで……それで……
「…………」
……自分の思考が、一度停止したことを自覚しながら、自分の頭に触れる。
昨夜、ほぼずっと、やさしく撫でられていた頭。
なんだかもう、自分が怖くなる。
父さまにずっと触れていたい。触れられていたい。むしろいっそ、他の人には触れてほしくないって思いまである。
私、こんなに潔癖だったかしらと首を傾げるほどだ。なのに心はそれで良しと頷いている。ああ、だめだ、また頭の中が父さまでいっぱいだ。
抱きつきたい……抱き締められたい……そんな思いばかりが頭を支配してゆく。
「……だきつきたいなぁ」
「なににですか?」
「ほいやぁあああーっ!?」
無意識に出ていた言葉を誰かに拾われてしまい、絶叫。
誰!? いったい誰が!?
「なななななぁああんなななな何者!? こここっここここが父さまが統治する都と知っての狼藉かぁあっ!!」
「ちょっと声をかけただけで狼藉扱いはひどいよ!?」
慌てて振り返れば禅。
……くぅっ、なにかとこの娘には私の弱いところを見られているわね……! いっそ私の弱みを握ろうと、こそこそと嗅ぎ回っている間諜だと名乗られたほうが説得力があるのではないかしら……!
「それで……!? なにを要求する気なのかしら……! 言っておくけれどただで恥をさらすほど、この曹子桓は甘くないわよ……!? この私を脅す気ならば、相応の覚悟を持って挑みなさい……!」
「なんでそんなに敵意剥き出しなの!? とっ……通りすがっただけでここまで言われるのなんて初めてだよぅ!」
む……いえ、そうね。そもそも禅は、私の呟きに対して“なににですか”と訊いただけであって、対象がなにかなど知らないのだからいいじゃない。
そうよ、気にしすぎただけね。ふぅ。
「あ、でもさっきの“ほいやー”はなんかかわいかったです」
「禅。記憶が飛ぶまで殴っていいかしら」
「いやだよ!?」
びくりと肩を震わせながら、きちんと卓に着いて逃げないところはさすがだ、無駄に度胸がある。どうせなら通りすがったままどこかへ行ってほしかったのだけれど。
「あ、ととさまを見ていたんですね、丕姉さま……あれ? ───ああっ」
「連想したら決闘よ」
「抱きつきたいって、ととさっ……!? う、うん! 私なにも聞いてないよ!? ほんとだよ!?」
父さまを視界に入れながら釘を刺すと、案の定だった。はぁ、まったく。まったく……………………
「…………」
「? 丕姉さま?」
「…………こほんっ、……なにかしら?」
「え、えっとね? 昨日、そのー……あれからどうだったのかなーって。やっぱり、えっと、ととさまが……その。娘相手だから~とか言って、しなかったのかなって」
「───」
した。それはもう、した。けれど、禅や他の姉妹たちは皆、あんな幸福は得られなかった筈だ。口々に痛さと諦めしかなかったと言っていたのだから、そうなのだろう。ならばやり方がいけなかったのかもしれないのだし、意見交換は必要だ。私だって、妹たちが痛い思いと後悔しか抱いていないままなのは嫌だし許せない。
それならと禅に提案して、父さまがしたことと禅がされたこととを話し合って、どう違うかの経験交換をした。……したのだけれど。そうしたら、禅が真っ赤になった。しばらくの間、私は話すことに夢中になっていて気づかなかったのだけれど、ハッと気づくと顔を少し俯けて真っ赤な禅。……あ、あれ? 待ちなさい? 途中からちょっと思い出せない。私、何を言っていたのかしら。こう、父さまが私と氣を同調させたところまでは話して……それからどんどんと夢中になって、事細かに……───あ、だめだ、死にたい。また死にたくなってきた、なんだこれ。恥ずかしいとかそういうのじゃなくて、なんかこう……死にたい。
けれど、禅が話してくれた、やっぱり痛いだけだった経験を聞けば落ち着けた。
「………」
落ち着けたら、考えるのは一つだ。せっかくの体験がただ痛いだけだなんて、そんなのはだめだ。自分だけが幸福を得られたからとかそういうのでは……あるにはある。だって、確かに幸福だったのだ。───だというのに。そうなることも出来た筈なのに、相手の所為で壊されたというのなら、そんなのは悲しすぎる。
“いいの? 黙っていれば、娘の中でのそういう相手は私だけになるかもしれないのに”
───また独占欲みたいなものが浮かんでくるけれど、これは必要なことだから構わない。大体、そんなことで父さまを独占しても、私は絶対に笑えない。
私は家族を大切に思っている。なにかを目にして羨ましいと思うことはあっても、共有したいとは思っても、それを奪いたいだなんて思わない。
「ねえ、禅」
「は、ははははい……!? えと、なんですか、丕姉さま」
「あなた、父さまに抱かれなさい」
「───」
ぴしり、と。なにかが固まったような音を聞いた気がした。次いで、私の頭が何者かにむんずと掴まれる。
「なっ、誰!? 私に気づかれずに背後を取るだなんて!」
「魔のショーグンクロ~……!!」
「いたぁあーたたたたた!? あ、え!? えぇっ!? 父さ───まぁあああいたいたたたたたた!!」
父さまだった! 気づけないどころか気づいていても許してしまう相手なら仕方がなかった! そして頭が痛いですなんでしたっけこれあいあんくろうとかいうのでしたっけあのごめんなさいなんかごめんなさい頭が頭が頭がぁああーっ!!
「さぁて、華煉~? 今お前、禅になんて言ったのかなー?」
「え? え!? あ、あのあの、父さまに抱かれなさいと───」
「それはどうしてだ?」
「だ、だって! 私はとても幸せでいられています! けれど妹たちは痛いだけだったと! そんなのはあんまりではないですか! だから父さまなら、きっと幸せにしてくれると───!」
「…………そっか」
手を、離された。解放された頭が、改めて頭に触れてきた父さまの氣で癒されてゆく。
「妹たちのことを思ってのことか……でもな、そこはまず妹たちの気持ちも考えような。いきなり抱かれなさいなんて言われたら、そういう経験をした女の子がどんな思いを抱くか、まで」
「あ…………はい」
そうだ。私は解決策を、自分がそうだったからと焦って押し付けようとしていたのだ。それはいけない。こんなものはただの自己満足で───そう、頭がぐわしと掴まれるほどの……ぐわし?
「あと。俺の疲労度とかもちったぁ考えましょうね長女さァアアん……!!」
「いたぁあーったたたたたいたいいたいいたいぃいいーっ!! ごめっ……ごめんなさいととさまぁああーっ!! ふきゅっ!?」
再びのあいあんくろう。あまりの痛さに、というか頭を掴まれた状態で軽く浮かされました! どんな腕力とか肩力をしているのですかと言いたいけどそれよりも痛い! あまりの痛さに涙が浮かんで、弱い自分が浮かんできたと思えば、この口は勝手に“ととさま”と叫んだ───途端、パッと頭を解放されるや父さまに抱き締められた。それはもう、ものすんごい速さで。
「華煉! 華煉華煉華煉! 今! 今なんて言った!? いやいや聞いた! 確かに聞いたから! もっかい! もっかいだけ! もう一回だけ言ってくれ! な!?」
「え、え……えぇえ……? あのあの……?」
「ごめんなぁ痛かったよなぁ……! ほらほら痛いの痛いのとんでけー!」
「ふわわわわわわーっ!?」
痛かった頭に癒しの氣が流されて、そのままその氣が私の中に溶け込んできて、私の頭の中に昨夜の出来事が鮮明に浮かんで消て……ふ、ふわっ!? ふわわわぁああーっ!!? やっ、だめです父さま! 顔っ、顔が痛いです! 熱いどころではありません! やめてください頭撫でながら氣を溶け込ませないでください! わたっ、わたし、それだけでっ! さささ昨夜、ずっとそうして抱き締めてくれていたのを忘れているんですか!? こんなことをされては、体が“無くなった”と錯覚しているものが欲しくなってしまって───は、はわっ、はわぁあああっ!!
とか頭の中がかつてないほど騒がしい状況の中でも、父さまは私に“もう一回”を願い続けています。あ、あれ? もう一回ってなんでしたっけ。なにをすればいいんでしたっけ。なんかもう解りません。えーとえーとえぇとえぇっと……………………きゅう。
「……あれ? 華煉? 華煉さん!? …………かれぇええーん!!」
のちに禅から聞いたところによると、私は父さまに頭を撫でられすぎて、気絶したそうだった。
なにかが切れたような音が聞こえたけれど、緊張の糸とか意識の糸だったのでしょうね……はぁ。