コーン……
「はっ……はっ……! はぁっ……はぁっ、はぁっ……!」
半刻近く力比べみたいなものをして、結局勝てず、力も氣も使い果たした私は父にひょいと抱き上げられ、ぽすんと寝台に軽く投げられ、きしりと布団の柔らかさに迎えられた。
「は、は……はー……ち、父……?」
強い。
力でも氣でも勝てなくて、全力でも抑え込まれて、こんな簡単に寝台に投げられてしまって。
父がこんなことをするなんて、と息を荒くしながら思わず見上げた先に、見たことのない顔つきの……“男性”が居た。
父……北郷一刀である筈なのに、いつも見てきたあのやさしい顔などどこにもなく。
もはやこれぞ父と言えるほど見飽きた、ふらんちぇすかの上着を脱いで……上を黒の布着だけにすると、きしりと寝台に膝を立て、近寄ってくる。
「っ……」
びくりと体が震えた。
その時ようやく解った。
近づいてくるこの人が父じゃなく、男であることが。
尊敬する相手に親ではなく男を見てしまい、心が震え、思わず距離を取ろうとして下がるのに、背中はすぐに壁にぶつかった。
喉が詰まる。
怖い。
私は───
「ひゃっ………………、…………? ふえ?」
手が伸ばされ、頭に触れた瞬間、思わず目を閉じてしまった。
しかしなにも起こらず、おそるおそる目を開けてみれば、はぁ、とため息を吐く父。
「え? え?」
「とりあえず第一段階な。……男って怖いだろ」
「あ…………、はい……」
はい、なんて声が出て、顔が熱くなる。
けど、怖かった。
抵抗も出来ず、抗ってみせても押さえつけられ、軽々と自分が持ち上げられ、放り投げられてしまう恐怖。
私はこの人には敵わないって思い知らされた気分で、体の強張りがまだ取れない。
「まずは父として見てる部分の破壊から行ったけど、どうだ?」
「どう、だ……と言われても」
怖かった。怖かったけど……
「あ、あの……ち───…………あれ? ち……あれ?」
なんでか、父、と呼ぶことに躊躇が生まれた。
それ以外でなんと呼ぶ気なのかとあきれてしまうくらいなのに、どうしてか。
もちろんそれもすぐに直ったが……
「なんとなくな。お前に意識させるなら、強い俺を見せたほうが早いんじゃないかって、そう思った」
「父……そうだとしても強引すぎだぞ……。こ、怖かったん、だからな……?」
「言ってからやったんじゃ、お前は別の意味で心の準備するだろ。それじゃあ演技にしかならない。ただでさえかつての娘を、なんて状況になってるんだ。俺だって考えることくらいあるよ」
「父……」
「女性としての幸せを知らないとか、ただ痛いだけだったとか、そんなこと言われちゃあ、背中を押した俺達だって悔いが残る。さすがに本当の娘を抱くとかは無理だからな。こんな、今でも夢でも見てるんじゃないかって状況でもなければ頷けない」
「…………なぁ、父」
「ん。どした? 祀瓢」
「……その行為は、本当に、その。丕ぃ姉のようにとろけられたり、母が笑顔になれるくらい、特別なもの……か?」
「……心の準備は必要だけど、そうだな。お前が、きちんと受け止められるなら、きっと」
「そ……そうか。…………そうか。だったら……どうしたらいい? 私はそれを受け入れたいと思う。あ、もちろん痛かったら殴るが」
「結局殴るのか……はは、まあいいか。応、受け止めてやる。男だからな」
父は、じゃあ、と言って……寝台にあぐらを掻き、もう一度私を抱き上げると……その胡坐にすぽりと座らせ、背中からぎゅうっと抱き締めてきた。
この時点で丕ぃ姉は父に言われ、私に「幸せになりなさい。私も父さまも、それを願っているわ」と言い残し、出て行った。
それからは……父言うところの、心の準備とやらが始まった。
男性の強さを意識させられ、父に男を意識してしまってから、その強さを認め、受け入れてしまうと……促され、氣を同調させ、腹を撫でられるだけでも顔が熱く、頭を撫でられれば恥ずかしく、無防備な姿にされれば体が震えるくらいどうしたらいいのかもわからなくなって、なにがなにやら動揺してばかりになる。
それでも嫌悪感は沸かず、父という信頼する人だから体重を預けるのではなく、強き者───己を絶対的に征服してみせた人だからこそ身を委ねるという行為に、羞恥と同時に安心感も沸いてくる。
しかしされるがままというのもなんというか納得がいかず、抵抗したり攻撃に移ってみたりをしてみたのだが、これが全て受け止められて、その上で甘やかされて。
そんなことを夜になるまで続けてみると、
「~……」
だめだ。なんだこれ。顔熱い。たすけて。
力も守りも攻撃も防御も、甘えも怒りもなんでもかんでも、全部受け入れられて、その上でやさしく包まれた。
包まれて、しまった。
すると、私の中にあった力強いなにかがへにゃりと曲がってしまい、力が籠められなくなってしまった。
途中、もちろん食事をしたり厠へ行ったりもした。
その時……父から離れているときは、それはもう漲るほどに拳に力も入ったし、氣だって充実。“なんでも出来る!”みたいにこう、無敵感というのか? も沸いてきたものだが……なぜ、なぜ父の傍に行くと顔が熱く、父に後ろから抱きしめられると力が抜けて、父の膝に乗ると……顔が、顔が緩んで……!
い、いいのだろうか。こんな奇妙な感情に心から乗ってしまっては、私はもう私に戻れないのでは?
いいのだろうか。感情に乗せられるままに動いてしまって、いいのだろうか。
わわわ私は、私は私はぁあーっ!!
「祀瓢?」
「ひゃふい!? あ、い、いやっ、そのっ……」
現在、寝台の上で父に抱きしめられ、ちりちりと熱い顔をなんとかしたくてもがいていた……のだが、ぼそりと耳元でささやかれただけでもうだめだ、ちりちりがみしみしってくらい顔が熱い。たすけて丕ぃ姉! たすけて! 私こんなの知らない! なんか怖いぞこれ!
いやそれよりも、今日一日でもぞもぞしたりぱたぱたしたり、時には暴れたりもがいたりした所為でこう、汗が……! に、匂ったりしないだろうか。父に、その、匂う女とか思われたり───い、いやだ! それはいやだ!
いやちょっと待て汗は鍛錬の証だとか思っていた私なのになにをいまさら!
わわ私は日々強くあるために! わわわ私! 私はぁーっ!!
そうだ軟弱だこんなもの! 強くあれ!
思い出すのだ、獣にも負けぬと、呉にてシャオ姉さま(と呼べと言われていた)が連れていた虎をも威嚇してみせた獣の心を───!
「祀瓢」
きゃいん。
心の獣が腹を見せた瞬間だった。
うわわわわやめろぉお! 腹を撫でるな顎を撫でるな包むように抱きしめながら頭を撫でないでくれ父! わ、私は! 私はぁあーっ!!
そそそそうだなすがままなどさせるものか! 最後まで抗ってこそ母の娘!
ふっふふふ雰囲気で解るぞ!? 応解るとも! ここここれからあの痛いだけのあれをするのだろう!? ならばくるがいい! 痛ければ遠慮なく殴ってやる! ちちち父とて容赦はしないぞ! 痛かったら───痛かったら、痛かったら───!!
あ、あれ? や……あれ? 父? いやあの……あの男はそんなことは……あれ?
あぅ、あっ、いや、あの、ななななにをしているんだ父! これはあれなのだろう!?
父の父をあのそのええとあれがああして……! ととととにかく私は断固反撃を、きゃいん。
…………じゃじゃじゃじゃなくて! なにをするんだいきなり! “接吻だが”じゃなくて! そういうことを言いたいのではなくて! やめてくれ! 心の獣が屈服するだろう!
大体父は、きゃいん。……だだだだからやめろぉ! わわわ私は強いんだ! 強いんだー! 接吻程度できゃいんきゃいんと何度も何度も言うはずが───きゃいん。だだだからやめろぉ! なんか力が抜けるからやめっ……だっ、どっ、どこを触っているんだ! わわわ私の胸など触ったところで、きゃいん。
やめろぉ! 接吻やめろぉ! 心が負けそうになるではないかぁ! やめろぉ! やめっ……うわわわわどこに顔を突っ込んで! 父!? 父ーっ!?
ややややめっ、なんか力が抜けてっ!
いやそれよりもよくわからないなにかが爆発しそうで! うぅうやめっ、きゃいん。……ってだからやめっ───きゃいん。や───きゃいん、きゃいん……やめっ───きゃいん。
だだだだからやめろぉおお、お!? おぁうぁっ!? ちょ、や、うにゅうんっ!? あ、あぅ、あぅうああ……ふきゅっ!? うわっ、あわっ……! あうーっ!!
───……。
……。
…………朝である。
「………」
ああ、なんたること。なんたることか。
殴れなかった。いやこうして言うと殴るために行為をしたみたいに聞こえるが、どちらにせよ殴れなかった。
散々と抵抗した。立ち向かった。押しのけようともしてみた。
けれどそのどれもを受け止められ、受け入れられ、接吻されるたびに心の中の獣がきゃいんと鳴き、その上で散々と包まれ、許された。
「………」
寝台には血痕。私のものだ。
確かに痛いと感じはしたのに、どうしてか殴る気など起きず。
それどころか包まれている時間が……なんというかこう……その。
喩える言葉を持ち合わせていないのが悔しいな、くそ。
「………」
隣には眠っている父。
あの男よりもたくましく立派なアレを見て叫んだりもしたが、というかよく入ったなあんなものが。
人とは実に不思議だなぁと。
しかし困った。ああ困ったなこれは。
顔が緩んだまま締まらない。
と、いうかだ。
……まともに父の顔が見れない。
あの手が私を。
あの口が私を。
わ、私は、私はぁあ……!
「うわぁあああ…………!!」
誰にも聞こえないような、溜め息みたいな声で、私は唸った。
喉から息が一気に抜けるような声。聞こうとしても、きゅうう、としか聞こえなかったかもしれない。
そんな声をあげて頭を抱えて寝台に蹲る私は、自分が裸であることを思い出し、そそくさと衣服を纏う。
(っぐ……)
ち、父に脱がされて……父に、父に父に……!
「あぅ……あう、あうあうあうあう……!!」
なんだろう、視界がぐるぐるする。
顔がちりちり熱くてじんじんして、なんだかもういっそ叫びたいのに、声を出せばきゅううと息の抜けたような声が絞り出されるだけ。
ええいこの、と眠っている父に八つ当たりでもしたくなるのに、視線をそこに向けると顔が灼熱してふりだしに戻る。
わ、私はその……この人とどう接していただろうか。
いや、つい昨日のことだろう!? なにを忘れることがある! これでも記憶力には自信が……! じ、自信が……!
「~っ!!」
なにかしら過去のことを思い出そうとしてみれば、眠る前のことを思い出して灼熱。
ほ、ほわっ……ほわー! ほわぁあーっ!!
さ、叫びたい! なんだか叫びたい! 黙っているのが辛い!
でも叫ぶと父が起きてしまうし、どうしたとか訊かれたら答えられる気がしない!
くそう父め! 幸せそうな顔で寝おってぇえ……! 幸せっ……し、しあっ……!
「………」
「…………、…………ひゃうっ」
じーっと見てたらまた顔が赤くなった。
ぁあああけど父の顔、見辛かったのに見てしまうとこんなにも……!
あ、あの顔が近づいてきて、私の口を口でふさがれるたびに、私の中の何かがぐにゃぐにゃにほぐされていって、わわわ私は私はあうあうあう……!
「……!」
いや待て、今じゃないのか?
こんなよく解らない状況……あの、どこかポーっとしていた丕ぃ姉を思い出すに、今こそあの時の丕ぃ姉の真似をすれば、顔がとろけたりとかするのでは!?
「…………」
ま、まずは……その。ふ、服の端っこを抓むところから……こう。
「……」
「……すー……すー……」
「…………~っ……!!」
あれ!? なんだこれ! あれ!? なんだか知らないけど心があったかくなっていく!
それに引っ張られるみたいに心の内側が父に抱き着きたくなって、自分の内側から飛び出そうとしているみたいな錯覚を覚えて、それを押さえつけようとすると心が“きゃーきゃー”騒ぎ出して、落ち着いてくれない。
い、言うことを聞けこのっ! 私は今まで自分は完璧に律してこれただろう!
遊びだって食欲だってそうだ! 怒れば素直に誰が相手でも拳を振りかぶったし、あ、いや、もちろん孟徳母さまにそんな大それたことをしたことはないが、母にだって父にだってやったことはあって…………あ、いや、父には軽く逸らされて、その上でこう、ぽすんって抱きしめられて、あ、あ、頭を撫で、ななな……! うわー! うわぁああーっ!!
なにをやっているんだあの頃の私! 何故堪能しなかった! 子供じゃないとか言って振り払ったりして! 阿呆か! 阿呆なのか!
ぐううっ! それを考えると、丕ぃ姉に場所を譲ってもらってまで足の上に座っていた私は……!
「~っ!」
もうだめだ涙出てきた恥ずかしい死にたいでも嬉しい無くしたくない。
こ、これか。父が言っていた心の準備というのは、これのことだったのか。
なるほど、これが恋というものなら……人を想うということならば、私は確かに準備など出来てはいなかった。
だが、だが待て、これにおぼれるのは少々軟弱なのではないか?
色恋に夢中になって鍛錬を疎かにしてしまうようでは、武人として母に顔向けが……あ、いや、母は両立させていた……のだよな? 私を産んだし、戦もしていたそうだし。
……………………ふむ。
(母に出来て私に出来ない道理はないなっ!)
そうだな、そうだ、そうだとも、こんな気持ちも鍛錬の糧にしてしまえばいいんだ。
そそそそうだな、そうだともさ! たくさん強くなって、父にいいところを見せて、こう、ほら、その、なあ? ほ、ほめてもらう……とか。
「───! ───っ! ~っ!!」
寝台に転がり、ばたばたともがいた。
だだだだめだ! 頭がうまく働いてくれない!
そうじゃないだろう! これまでの私はこうじゃなかっただろう!
何故だ! 何故判断基準のすべてが父になっている!
このままではいけない! 打ち勝て! 打ち勝つんだ祀瓢!
恐れずして立ち向かえ! 真正面から打ち下してこそ黄一族が娘!
そ、そう! 真正面から! 真正面───ま、ままま……!
「………」
ごくり、と喉を鳴らしながら、横向きで寝ている父を見る。
穏やかな表情で寝ている。
ふ、ふふはっ、ふはははははは! やはりそうだ! いくら父が強かろうと眠っていれば無防備!
いいぞ、私の中で答えが固まってゆく!
父は弱い存在として───
「ふきゃーっ!?」
突如、父が腕を広げて私の頭と体を包み込み、無理矢理布団に引きずりこんだ。
やめてとか言う暇もない。
でも言わなければ! しかし言わなければ! だが言わなければ!
言って、起こして、そして拳のひとつでも振り被って、隙のない父に簡単に押さえ付けられれば、この軟弱な考えも吹き飛んで、立派な父に負けぬよう鍛錬をしようという意欲が───!
「~! ~っ!」
近い近い近い! あと父、服は着てるけど前が
汗が乾いた父の素肌が私の肌にさらりとこすれ、父の匂いが私を包むと考えていたことが一気に吹き飛んで、暴れようとするのに力が抜けて……う、うあ、うぁああ……!
い、いやっ! ここで負けてはいけないだろう!
寝ている相手にさえ負けるなど、母の娘として情けな───
「ん、んむゅ……祀瓢……」
「───」
ぎゅー、と抱き締められ、耳元で真名を囁かれた。
だめだった。
力が完全に抜けて、心がきゃいんと鳴いて、視界がじわりと滲んで、頭が灼熱して、なにも、いや、父のことしか考えられなくなって───