───その日、かぐやは空を跳ぶ人間を初めて見た。
2574回。
これはかぐやが車の中から外の景色を眺めながら登校した回数であるが、その日は違った。
車のエンジンルームに潜り込んだ猫が原因で、送迎用の車が動かせない、という事態に陥り、徒歩での登校。
なにもかもが新鮮な、自分の足で自宅の門をくぐるという初めての経験の先で───彼女は、自身の身長よりも遥かに高く跳ぶ人を見た。
それは着地と同時にジャリジャリギャギャギャギャギャとドリフトをかますかのように地を滑り、その先にある横断歩道前で泣く子供の前で止まった。
紙袋を被り、子供に声をかけるその姿は───彼女の良く知る、けれど中身のことはよく知らない存在であった。
「横断歩道が渡れない……!? まさか横断歩道イップスってやつか……!!」
(あ。あの人結構馬鹿かもしれない)
かぐやは率直な意見を抱いた。
しかしながら世の中には階段イップスというものを発症してしまう者も居るという。あながち馬鹿に出来た結論ではないものの、経験浅き子供に言うべきことではない。
「よし。ならお兄さんが一緒に渡ってあげよう」
「ぐすっ……イエティが、知らない人と一緒に動いちゃだめって……」
「「
校務仮面とかぐやの理解が限界を超えた。
「家永ちゃんだからイエティなの……」
「え……ぇだ、だだ大丈夫か? その子、いじめられてないか……!?」
「? イエティ人気者だよ?」
「そ、そか。よかった。うん。ほんとよかった……ていうかさっき聞き覚えのある声が聞こえたような」
「!」
かぐやは咄嗟に身を隠した。
(そ、そうです。今日はせっかく自分の足で歩けるのだから、会長を待って一緒に登校を……そのためには、無駄な時間を過ごすべきではないわ。それは乙女的にNO)
こくりと頷き、そそくさと行動を開始する。
そう、かぐやの目的は白銀との登校である。
偶然を装い、合流し、車に猫が~なんて他愛ない会話をして極々自然に登校する。そんな青春の一ページを開いてみたかったのである。
「お兄ちゃんはどうして紙袋をかぶってるの?」
「校務仮面だからだ」
(あ、そこは子供相手でも変わらないんですね)
たぶん得意顔をしているであろう紙袋の下を思い、かぐやは歩き出した。
普段から家の習い事や部活動である弓道などで体を動かすかぐや。歩くこと、走ることなどに不自由はまるでない。しかしながら朝から己の足での行動など初めてであり、どこか軽くなったような足取りで、白銀が通るであろう道へと歩を進めた。
その先で───
「イエティの友達でミキティって……え? 最近のあだ名ってそういうのが流行ってるもんなの……?」
何故か少し前には反対側に道に居た筈の校務仮面を発見した。しかもお婆さんと隣り合って歩き、大荷物を持っている。
……ハテ。どういう速度で行動すれば、こうまで普通に回り込めるのか。
考えもしたし、近寄って質問でもしようかとも思ったかぐやだったが、“校務仮面だからだ”と返されるのは容易に想像できたので、接触はやめた。
(……それにしても、朝から校外でも人助け。それ、校務と関係ありますか?)
溜め息ひとつ、関わるつもりもない彼女は再び歩みを進める。
白銀の家の位置も知っている。通学に使う道も把握済みである(近侍の苦労が偲ばれる)。
ならばと向かってみた先で、その人物は容易く発見できた。
「あら会長。おはようございます」
「え───四宮っ!? おまっ……車はどうした!」
「いえ、それが……ふふっ、車のエンジンルームに猫が───」
自転車に乗って移動していた白銀に声をかけ、キッと自転車を止めてまで自分に向き合ってくれる彼に、かぐやは無自覚に安心を込めた息を吐く。
想定していたよりも早い行動。もし少しでも子供に付き合っていたら間に合わなかっただろう。
「それより会長、いつもこの時間に?」
「いや、今日は特別だ。やはりどうしても気になって、校務補佐に連絡をしたんだが、今日なら朝は空いているからと連絡があって、部屋を紹介してくれることになってな」
「部屋……それは仮面くんの部屋、ということで?」
「ああ。家ではなく部屋、というからにはアパートかなにかだとは思うのだが」
「そう、ですか。けれど彼、朝から子供を助けたりお婆さんを助けたりと、あちこち走り回っていましたよ?」
「え? なにそれ」
白銀も、概ねかぐやと同じ反応であった。
呆れが入ったものの、話しながら、極々自然な流れで歩き出す二人。
ふと気づいた時には既に“あ、じゃあ俺は先に行くから”などと言って、一人自転車でかっ飛ばすような空気でもなくなっていた。
(……ん? ───あれ!? これ、もしかして女の子と一緒に登下校イベントみたいなやつ!?)
白銀の胸は唐突にトキメキに侵された。
(えっ、あれっ!? あまりに自然で気づかなかったけど、これって会長と!?)
そしてかぐやも驚いた。
ときめきよりも校務仮面への呆れが先行していて気づかなかった事実に唐突に気づき、二人は妙に意識して気恥ずかしさを抱いてしまった!
なんとも言えないむず痒さに、もにょもにょする二人。自然と会話は途切れてしまったものの、嫌な空気ではないままに、二人はゆっくりと、学園までの距離を惜しむかのように登校し───
ド ド ド ド ド スパァンッ!!
「へ?」
「え?」
ソレはまず地を蹴り、結構な距離が空いているにも関わらず、道に立ち並ぶ木々をドドドドドと交互に蹴り、高い位置に飛んでいってしまったバルーンを事も無げに掴むと、かなり高い位置からそのまま落下。平然と着地して、飾り用バルーンを扱っていたおじさまにどうぞと渡していた。
「…………気にしたら負けだな」
「…………ええ、きっとそうなんですね。藤原さんと同じです。行動予測など意味が為さない彼女と同じなんですよ会長」
「いやさすがに藤原と比べるのはベクトルが違わないか!?」
とりあえず二人とも、気にしてはいけないものだということで見なかったことにしたという。
本日の勝敗。なんだかんだで一緒に登校できた白銀&かぐやの勝利。
「で、ほら。ここが俺の部屋への入り口」
「「「「えぇえええええええええっ!?」」」」
ゴガーと横に動く棚と、その先の階段を見て、石上を除く生徒会メンバーは驚愕した。
階段を上ってみれば、綺麗なスペース。なにやら安らぐ空気と生徒会室並みの広さの部屋が迎えてくれた。
「うわ、本もいっぱい……ていうか漫画ばっかじゃないですか」
「真面目な本はもう見飽きるほど見たからしょうがないだろ」
「わー! 少女漫画の単行本まであるんですねー! でも……んふふふー、仮面くんも結構趣味が広いんですねー? 普通男子って少女漫画とか隠したがるとか思ってましたけどー」
「千花は漫画とか見るの禁止されてるんだっけ?」
「そーなんですよー。ですので正直、宝物庫みたいに輝いて見えます」
「ここに居る間だったら見てもいいぞ? 大地には内緒だけど」
「いいんですか!? ていうかお父様のこと呼び捨て!?」
「や、友人だし呼び捨てにくらいするだろ」
「あ、あの! 校務先輩! ががが学校にこんな、漫画ばかり───」
「あ、ミコ? 言い忘れてたし校長くらいしか知らんだろうけど、ここ学校の中だけど相当特殊なんだ。渡り廊下を渡った先の一部から生徒会室、さらには地面からこの部屋に到るまで、俺の土地だから」
「え? え、土地……え? 生徒会室……え?」
「うん。つまり俺の家、生徒会室も含んでる」
「………………えぇええええええええええっ!?」
伊井野ミコ、驚愕! それは当然ここに居る全員もであった!
「校長に確認してもらってもいいぞ? 権利書もあるし、なんなら初代校長が書いた正式な書類とかもある」
「あの、ちょっと待ってください。仮面先輩、今何歳で……」
「優? それ座敷童に年齢訊くようなもんだぞ?」
「はぁ……まったく。仮面くん? あまり手の込んだ冗談は───」
「かぐやの一族とも知り合いだぞ? 一族これ何一つ例外なく叱ったこともあれば殴ったこともある。“人を使え”を家訓みたいにしてるとか聞いた時は、雁庵のヤツが壁画になってさぁ、ははは」
(ふふっ……なにを言いだすかと思えばそのような。戯言は等しく笑───え? 笑っ……無理! なにがあったの!? なにが!? やだやだ怖い怖い怖いーーーっ!! この人言葉に嘘が含まれてない! たすけて早坂! 早坂ぁあああーーーっ!!)
「というわけで、かぐや」
「ふひゃいっ!? なななんでs───」
「家のことなんか気にせず、自分の青春、見つけていいぞ。親にもキョーダイにも俺がきっちり話つけてやるから」
「でっ……こほん。……出来もしないことを、声高々に言うものでは───」
「一応実例もあるんだけどな」
ぽそりとした呟きは、主に紙袋に遮られて届くことはなかった。
実例というのが小さい内にスパイとして放たれた少女だったりするのだが、通常ならば罪悪感を軸とした付き合いをする筈だった彼女が、現在は笑顔と時々呆れを混ぜながらも誰かさんの傍で恋路を見守っていることは、その誰かさんも知らない。
「まあいいや、それよりかぐやかぐや、漫画とか読んだことないだろ? お前にも千花にもミコにもおすすめしたい本があるんだよ~! まあ少女漫画なんだけど」
「なんですかなんですかー!? 禁止されていただけあって相当飢えてますよ私は! 少女漫画とか読んだことがなくて、想像するばっかりだったのでー!」
「あ、ちなみに男連中にも大変オススメ出来る内容だから、是非一度読んでみてほしい! 御行も自分が読んだら圭にも見せてやってみてくれ」
「うん? どんな本なんだ?」
「“今日は甘口で”って少女漫画。連載終わって単行本出たばっかのホヤホヤさんだ」
「少女漫画ですか……僕、これで結構な読み手ですけど……評価辛口ですよ? いいんですか?」
「断言しよう。ここに居る全員泣かせる自信がある。俺が描いたわけでもないくせに、なんか自信持って見せたいものとかあるよなっ! そういうレベルで泣けるから!」
「あのなぁ校務補佐。この歳になって漫画で泣くとかあるわけないだろ」
「まったくです。大体こんな、紙に描いたものでなにをどうすれば泣けると───」
紙袋越しでもわかるほどウキウキテンションだった彼が、ぴたりと停止。
次の瞬間にはぞわりと異様な迫力を放ち、漫画を持ってくるのだった。
「……言ったなこの野郎。じゃあまず一番読むの早そうな優からな」
「僕ですか。まあ、いいですけど」
「えぇえ!? 私じゃないんですか!?」
「や、だって千花感動したものはうっかりでネタバレしそうだし」
「そんなの読んでみなくちゃわからないじゃないですかー!」
(あ、ネタバレしそう)
(あー……藤原先輩なら間違い無く……)
(しますね、ええします)
(……ごめんなさい藤原先輩……!)
「……な?」
「な? ってなにがですかー!」
「千花が読む時はここで頼むな。さすがに黙ってるのに家で読まれちゃ隠しようがない」
「むー……石上くん、早くお願いしますね。ていうか他のを先に読んじゃだめなんですか?」
「だめ。一番最初にこそ読んでみてもらいたい」
「……はい、そういうことならわかりました! 仮面くんがそんなにも推すんですから、もう少しくらい我慢しましょう! ……石上くん、早くしてくださいね」
「我慢どこいったんですか」
……備考。その日、生徒会メンバーで校務仮面の部屋にお邪魔し、お茶した。
本を持ち帰った石上はその日の内に全巻読破。ものの見事に泣いたという。