少女漫画。
それは読む人を選ぶとされる、硬派を気取る男の子には似合わない漫画。
しかしそれは案外偏見であり、読んでみれば“あれ? なんか普通に読めるじゃん。ていうか面白くね?”なんてぐいぐい読めたりするものであったりする。
「……会長」
「おお石上。……その、どうだった?」
「読んでください。まずはそれからです。それからじゃないと何も共有できません」
「……よかったんだな?」
「自分でも全巻揃えるくらいには泣けます」
「マジでか」
とある日。男二人は連絡を取り合い、とある場所で落ち合って紙袋を渡し、まるでなにかの悪い取引でもするかのようにそそくさと別れた。
その日は休日であったこともあり、珍しくも白銀もバイト無し。とくれば漫画日和ときたもので、自宅に戻った白銀は早速読み始めた。
「少女漫画ね……石上がいいって言うからには悪いものじゃあない筈」
石上が買ってくる漫画雑誌を読ませてもらったりしている白銀である。読みたいもの、面白いもののジャンルはそれほど離れてはいない。
そうした安心感を心強さに変え、“まあ、とりあえず質問された時に答えられる程度には、適当に読了しておこうか”レベルの気持ちで、その本は開かれた。
……だが。
「うおぉんっ……うっ……おぉおんっ……! うおぉおんおんおんっ!!」
白銀はみっともなくも泣いた! 少女漫画を広げながら、誰に構うことなく泣いた!
その自室が妹と仕切りを備えるだけの一つ部屋であることもどうでもよくなるほどの感情の動き……すなわち感動を前に、為す術無く涙した!!
「お兄ぃうるさい! なんなのいったい!!」
そしてその妹は丁度部屋に居なかったとはいえ、兄のいっそ気持ち悪い男泣きにイライラし、声高々にツッコんだ!
「だっ、おまっ……これっ……おっ……うぉおんおんおん!!」
「はぁ? なに……って、少女漫画? これ読んで泣いたの? え、キモいんだけど……」
「アホかお前そんなん言うなら読んでみろ! 読んでみろよもーーーっ!!」
「はぁ……高2にもなって漫画で泣くとか……。ま、暇してるし読めっていうなら読んであげてもいいけど」
……間。
「わぁああああん!! ぅわぁあああん!!」
「ほれ見たことか泣けただろう!!」
「ばかお兄ぃこんなの泣けるに決まってんじゃん!!」
「めっちゃ恋したくなっただろう!?」
「物語みたいな恋したくなっちゃったぁああっ!!」
紙袋に言われた通り、圭にも見せたらあっさり泣くに到った。読み始めればノンストップで読了した彼女は今、語り合いたくて語り合いたくてたまらない状況!
これがもし先に読んだのが圭であったなら、少しの余裕を持って反抗期バリバリの態度で接しただろうが、今の圭は語りたさが反抗期を超越した超恋語り少女である!
「あんな態度の悪かった転校生の男がさー!」
「序盤なー! 自分も辛いくせにあんなに他人のためにさー!」
その日。白銀家は兄妹仲睦まじく、過ごしたという。
なお……テンションが落ち着いてから、恥ずかしがるまでがテンプレである。
しかしそれがきっかけで、反抗期の態度は大分緩和されたとかなんとか。
そして翌日には白銀の手からかぐやのもとへと本は移り、その自宅にて。
「かぐや様、それは?」
「少女漫画らしいわ。なんでも石上くんも会長も会長の妹さんも泣いたとかで、妙に奨められてしまって。断れる空気でもなかったから借りるだけ借りてきたのだけれど」
「少女漫画……ですか」
あの生徒会はまた妙なものを……といった目で紙袋を見やる早坂愛。
主が自由にしてくれるのはいいものの、あまり妙なものを奨められて、妙な恋愛知識を持たれると、いらない知識に振り回されてしまう。そんな未来を思うかのような、冷めた視線が紙袋に突き刺さっていた。
「まあ、適当に読み流して軽く語れるくらいの知識だけは拾っておきましょう。奨められたものに全く目も通さずに返しては、あまりに不義理というもの。ならば最初から受け取るな、という話になります」
「そうですね。あまり無駄な知識を得る必要はないかと」
「そうよね。じゃあこれは適当に呼んで仮面くんに返───」
「読みましょう」
「……え?」
「読みます。読ませてください。かぐや様早く、はやっ……読まっ……! ~……かーぐーやーちゃーんー! 読ーまーせーてー!!」
「早坂!? ちょ、読ませます! 読ませるからちょっ……早坂!? はーやーさーかーっ!!」
早坂愛。とある事情の実例から、妙にどこぞの紙袋に懐いている。その流れでどこぞのハゲが血祭に上げられたが、関わろうとするものは誰もなく、事実は闇の中と当事者たちの胸の中のみに。
マザコンである彼女だが、とある紙袋には父性を求めた四宮家のメイドである。
何度か校内でとある紙袋をパパと呼びかけ、赤面し、走り去る姿が目撃されている。
なお、子供の頃にそういった事件が起きたため、かぐやとの仲はとても良好。友達であり主従関係であり、感情が高ぶりすぎたり不安定になると口調が暴走する。言ってしまえばかぐやのアホ化に巻き込まれた一人として数えても許される存在である。
プライベートでは“かぐや”“愛さん”と呼び合える仲でもあるが、アホが進むと“かぐやちゃん”になったりする。
そして───
「あーーーっ! ぁあああーーーっ!!」
「……っ! ……!! ズビズビ……!!」
かぐや、早坂、号泣!
「まふえっ……間違って……ふえっ……ひっく……! 間違ってませんでした……ふええっ……!! 初めて読んだ漫画というものがこれでっ……わ、私はっ……ふっっ、ふえっ、びぇええーーーっ!!」
「かぐや様、お静かに……! 集中、しゅうちゅうで、き……うぅっ、ふ、ぐっ……うぃいぅう……~……!!」
普段書物などは“目を通せばそれで終わるべきもの”である天才、四宮かぐや。
目を通すべきものは文字の羅列でしかなく、一度読めば繰り返し読む必要性も心動かされるなにかもなにもなく、ただ頷くか否か、拒否するか否か程度の結果しかもたらさないもの。
───だが!
漫画というもの! 文字だけではなく絵が存在し、より一層に表現を増やし、心にきゅんきゅんと響く読了感は、かぐやの天才的思考能力であってもまるで予測不能であった!!
初めてのものは須らく怖いもの。未知とは不安で出来ているものだと知っている四宮かぐやにとって、訪れたものは恐怖や不安ではなく感動! そして恋したいテンション!! 否! それよりも! 先に読んだ生徒会の皆とともに、この感動を分かち合いたい気持ちでいっぱいであった! 今、かぐやの中では理解がただただ溢れてきているのだ!
奨める筈だ! 読んでほしいと願う筈だ! そして今、自分もそんな気持ちでいっぱいであることを、仲間たちに知ってもらいたいのだ!
「誰か……! 誰かに……! だ……───、……(誰かって誰!?)」
……かぐやは正気に戻った。戻ったが、語り合いたいテンションは依然くすぶっている!
「藤原さんに……い、いえ、だめ。だってまだ読んでいないのだもの……! 読んでもいないのに先に語られてしまったら、私だったら絶対に相手を許さない……!!」
この女、今得たばかりの感動を台無しにする者が居ようものなら、本気で潰しにかかるのも厭わないほどにテンションがおかしい方向に振り切れている。
かといって男連中と漫画についてを語り合う、というのは───今のテンションの自分を白銀に見せていいものかと躊躇が割って入った!
【きゃーんかいちょー! 私今とっても漫画のことについて語り合いたい気分なのー! 一緒にお喋りしましょー!】
【ほぉう? あれだけ渋り、受け取った時も微妙な顔をしていたくせに随分とまあ楽し気に語ってくれるではないか】
【四宮先輩……あんなに興味ない、しょーもないって顔してたのに……理解してくれるのは嬉しいですけど、先になにか言うこととかないんですか……】
【はっはっは、言ってやるな石上。これもあの漫画が素晴らしいのがいけないのだ。まあだがやはり、いくらなんでもその掌の返しっぷりは……ふん、お可愛いやつめ】
(あぁあああああああああああっ!!)
かぐや、頭を抱えて絶叫(心の中で)!
(だってしょーがないじゃない! こんなに素晴らしいものだって知らなかったんだもの! こんなにも素敵な世界があるだなんて誰も教えてくれなかったんだもの! いーじゃないですか少しくらい掌返したって! 感動したんです! 感動して泣いたんですよこの私が! 会長が奨めてくれるから、少しでも話題作りがしたかったから時間削ってでも読もうって! 頑張って読もうって思ったのに! そんな風に言うことないじゃない! ないじゃないもーーーっ!!)
「…………………………はー……ぁああ……」
早坂。主が頭を抱えて泣きそうな顔で悶絶する中、その横でパタムと閉じた本を胸に抱き、上気した顔で深呼吸。瞳を閉じて浸ってみれば、数々の素敵な場面が脳裏に浮かぶ。
恋したいテンションにまでは至らないものの、語り合いたいテンションには余裕で至った彼女はしかし、ちらりと悶絶する主を見やると……ほっこりした顔もどこへやら、真顔でとほーと溜め息を吐いた。
そして、本は伊井野へと移り───
「あの、何度も言いますけど学園に本を───」
「ここ俺の敷地内だから大丈夫」
「ででででもここに持ち運ぶまでは校則違反でっ……」
「それじゃあ俺自宅で料理も出来ないね? 文化祭準備期間しか食材持ち込めないよね、俺」
「あううーーーっ!?」
校則と風紀を重んじる伊井野ミコ! 本を受け取り持ち帰るということはせず、ここで読むと宣言!
そうして暇を見つけては校務仮面の部屋へと上り、本を開いては読み進め、授業に戻り、開いては読み進め、授業に戻り……
「……ミコちゃん? 放課後にいっぺんに読んだほうがよくないですか?」
「時間を無駄にしたくないんです! 時間の許す限り読みたいんです! 続きが気になるんです!!」
昼頃にもなれば、伊井野は漫画に夢中になっていた。もはや階段から部屋に行くでもなく生徒会室で本を開き、夢中になって読んでいる! ……原因はどこぞの紙袋の「や、校内ではあっても俺の家だから。もっとくつろいでくれって。な? ミコ」の言葉で一発撃沈!
男連中は腕を組んで目を閉じ、うんうんと頷き……かぐやも綺麗な姿勢のままに目を伏せ、誰にもわからないレベルの頷きをしていた。
そしてやけにちらちらと伊井野を見る面々。そう、彼らと彼女は今、成長途上の“語り仲間”の完成を待っているのだ!
そして───その時は来る。
「……っ……っひ……ぐしゅっ……ふぶっ……うぅうく……!」
伊井野が涙し、震えた───その瞬間! 三人は待ってましたとばかりに動───
「ふじわらせんぱびぃっ!!」
「ひゃあっ!? え、ぇぅ? どどどーしました? ミコちゃん……」
───く前に、伊井野が動く!
「よみおあい……読み終わりましたっ……! 次っ……次、読んでくりゃしゃい……!」
「え? も、もういいんですか? もう十分に読んだんですか?」
「あぃいっ!」
ずびずびと鼻をすすりながら、伊井野は尊敬する藤原へとこの感動を伝えたく、本を渡した───途端に3人に囲まれる伊井野!
かつてないほどテンションの高い語りたがり三人衆は伊井野を囲み、しかし「千花が居るからネタバレは無しなー?」と紙袋に言われると、こくりと頷き合い、階段の奥へ。
「……なんか俺の家が秘密基地みたいなノリで使われてるような……」
「似たようなものだと思いますよー? ……はー♪ でもよーやくですっ、よーやく私も少女漫画を読む時が……!」
「ごめんなー、いっぱい待たせた」
「まったくですよ。女の子をこんなに待たせるなんて、仮面くんはひどい人です。猛省してください」
「わかったわかった、ごめんな」
「むー……言い方に誠意が感じられません。もっと態度で示してください。私は怒ってますよ?」
「ほい」
紙袋、
「……なんで拍手なんですか?」
「幸せなら手を叩こう」
「誰の幸せを示してるんですか!?」
「ん、じっくり楽しんで読んでくれ」
「ぁ…………そうですね。怒ったってせっかくの漫画がつまらなくなるだけです。せっかく読めるんですから。……でも幸せは言い過ぎじゃないですか?」
「いーからいーから」
「……?」
そうして藤原、ようやく念願の少女漫画を読み始める。
始めはわくわく。次に困惑、そわそわ、やがて驚き、呆れ、首を傾げ───
「……っく……えぐっ……ずずっ……ヴー……」
騒がしくも泣き出すかと思っていた藤原は、ただただ静かに目を伏せ、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
染み入るように感動し、ただただ物語に没頭し、感情を投げ込み、揺れる心を受け入れ、滲む視界を遮ることはせず、全てを自然と受け止めていた。
今まで知らなかった世界に触れて、知らなかった想いを抱いて、知らなかった切なさを知って。
物語だというのに、人が死ぬことにこうまで泣けるとは思わなかった。
他人の幸せをこんなに喜べるだなんて思わなかった。
それなのに、笑顔をくれた人はやはり死んでしまったのだと思うと涙が止まらなかった。
恋を、したくなった。けれど、同時に失いたくないとも思ってしまう。
「……ん、んぐっ……うっく、うー……」
読み終えたそれを、藤原は校務仮面へと返した。
彼はそれを受け取ると、左の手と腕と胸で支えるようにして右手を空け、俯いてずびずびしている藤原の頭をやさしく撫でた。
「幸せ、願いたくなったろ?」
「……あい。…………ぐずっ…………あいぃ……!」
願いたくなる。最終回で亡き彼が作り置きしたカレーを食べて、“甘口”と口にした彼女のその後を。けれど物語は終わってしまった。食べ終えたカレーでは、もう幸せは訪れない。だから叩いた。ぺち、ぺち、と藤原は柏手を打った。本の中の彼女が幸せそうに笑っていたから。
“幸せ”を食べて彼女は笑った。なら、幸せなままでいてほしい。
どれだけ作っても、似せても、彼が作った甘口のカレーに届くことは二度とないのだろう。
言動が辛口の彼が最後に作った甘口は、きっと美化され続けて、手が届かないものになってしまう。
なら彼女の幸せは、その先の幸せはどこにあるだろうと考えて、涙が止まらなくなった。
「他の物語を知って、妙な先入観とか持ってほしくなかったんだ。純粋な目で物語に没頭して、騒ぎ立てるでもなく、自分の理想を語りたがるでもない。純粋に涙を流して悲しがってくれる。俺が言うのも変だけどさ……ありがとう、千花」
「……あい」
純粋に感動するものに出会うと、語り合いたくなるものである。
が、時にただただ感動してもらいたいだけ、という人も居るのだ。
騒ぐでもなく静かに、物語に詰まった“人の人生”に心動かされ、どうか幸せになってほしいと願える心。それを分かってくれる人は、案外少ない。“誰かの人生”ではなく“物語”として受け入れてしまう人が大半だからである。
三国の行く末を見届け、鬼狩りの人々の人生を見届けた。そこに幸せがあったからこそ、彼自身もそういった見方が出来るようになったのだろう。そしてやはり、同じ見方をしてくれる人は案外少なかった。
そんな中で出会えた誰かのために静かに泣ける人を前に、紙袋は心から感謝し、彼女が泣き止むまでゆっくりとやさしく、頭を撫で続けた。
……ここ数日の勝敗。校務仮面の勝利。(宣言通り全員を泣かせたから)