書きたいもの、書いたまま投稿もせず保存してあるものはけっこうあって、でも時間が無いからまとまらない、ってそんな悪循環。
貧乏少女は走りたい
貧乏暇無しとはよく言ったもので、産まれた頃から……もとい、産まれる前からそこは貧乏であった。
気が付けば馬だった人の気持ちって分かる? 俺は今思い知った。別段どうということもなかったけど、とうとう雄で馬になってしまったことに、いつか種馬になるのかなぁ……なんて涙を流した北郷です。
ともあれ起き上がらなくては。立ち上がらなくては馬はヤバかった筈だ。
立て、立ってくれって俺を見守る……誰かにも言われてるし。しかしこんな、産まれたばかりの存在に筋力使う行動を求めるとか結構なこと望んでくれるよなぁ……いざ自分の身に起きてみると、無茶言うなとか言いたくなってしまう。
まあ立ちますが。氣脈は……まだ発達してないけど無いわけじゃない。
……うん、問題なく立てる。
見ている人たちが随分シャッキリ立ったぞとか驚いている。ありがとう、こっちもまさか氣脈が弱体してるとは思わなかったから相当ショックです。
こりゃあまた……一からやり直しレベルかなぁ。
……。
一言。貧乏。
競走馬を育てる場所っていうのは、強い馬を輩出しているところ以外は結構カツカツらしい。
なんでもほんともうカツカツすぎて、俺で失敗したら経営やめんべってレベルらしい。
やめて? 俺前の世界じゃ次の世界ではのんびり生きようとか思ってたんだから。
けどさ。けどさぁ。
自分らの食費削ってまで俺に夢を託そうとしてるんだよこの人たち。
……俺、そういうの弱いのになぁもう……!
わかったよ、夢なら駆けるさ。俺が勝ち続ければいいんだろ?
あ、でも……オッズとか考えるとどうなんだ? あれって一番人気取り続けるより、中途半端な人気の方がお金は稼げるんだっけ?
あああ……競馬の知識なんていったい何年前の記憶だ……? だめだ、思い出せない。
ただ、G1レースで勝てば結構な金が入るのは……なんとなく覚えている。
強くなろう。とにかく体を動かして、食って、筋肉つけて……走る際の衝撃を氣で吸収できるように、知恵を振り絞って……使えるものはなんでも使って。
心の奥底にある気持ちは変わらずずうっとそこにある。
目標があるなら進まないと。理由があるなら立たないと。
大事な人は世界が切り替わるたびに消えてしまう。でも……立ち上がっただけで泣いて喜んでくれる彼ら彼女らの想いに応えるためにも。
……。
馬……速ぇえ!!
なにこれ速い! 面白い! 足に氣を込めて蹴り弾いて、前へ前へと……はっ、はははは!?
あ、そうだこれ呼吸法とか子供の頃からやっていったらどうなるかな!? 待っててくれ馬主さん! 俺……これから頑張ってみるから!
「ブレードのやつ、随分と燥いで走ってますね」
「燥いでるっていうか……加速力がおかしくないか? 速いのは嬉しいが、自分の体のことを理解しないまま壊れられても困るぞ?」
問題ない問題ない! この程度では故障なぞとてもとても!
むしろ走り回ってから氣でもって癒して、それから走りまくるのが楽しい! なんというかこう……懐かしい感触というか!
氣もすぐに枯渇しちゃうから、そう何度も出来るわけじゃないけど……これは楽しい。
散々運動したら、それを準備運動代わりにして次は筋トレである。
自重トレーニングでよりマッスルを目指す。もちろん柔軟性も必要だから、馬の癖にストレッチもする変わり者さ。
だが……それでいい。
「……ブレードがまた奇妙な動きをし始めましたよ」
「あれはなんの動きなんだろうな……」
「…………まるでその……腕立て伏せ、みたいですよね」
「ははははは、馬だぞ? まさかだろ」
そのまさかである。いやー……馬って幼体でも体重い! それを支えるのにこのほっそい足を鍛えねばならぬのだから、ほんと馬って大変。
しかし、やろうと思って即座に出来るキミはきっといいヤツ。
さあ、俺と一緒に理想の体型を目指してエクササイズだ! ヴィリーズブートキャンプへようこそ! 大丈夫、キミなら出来る! ヴィリーだけの秘密の製法、ビタミンパワーのエネルギー!
前足を鍛え終えたなら後ろ足。前足を地面につけず、固定して、ゆ~っくり後ろ足でスクワットもどき。それが終われば柔軟に入り、氣で癒したら次の鍛錬。
足にもいろんな筋肉がございます。走るための筋肉からブレーキ筋、跳ぶための筋肉から立ち上がるための筋肉。まだまだたくさん。それを成長を阻害しない程度に鍛え続け───
『………』
夜。皆が寝静まると、そっと鍛錬を開始する。
前足のみで立ち、後ろ脚を浮かせる自重トレーニングや、足の回転を速める運動。
疲れない体作りと走り方作りには、工夫と姿勢がとにかく重要。もちろん食事事情も。
なので静かなる筋トレは続き、氣は枯渇するまで使うようにして、目が覚めればスッキリ。
なんなの馬。人間の頃には出来なかった鍛え方とかいろいろあって面白い。
そして今日も今日とて鍛錬鍛錬! ……とか思ってたんだけど、ふと考えた。
『呼吸法とかって、人乗せて使ったら……人、転落しないかね?』
……精々で氣で地面蹴り弾くくらいにしといた方がいいかも。
でも試しに、放牧状態で監視役の人が電話に出ている時、全ての足で全集中・踏み込み疾駆をやってみたら、えっぐい速度になったので……滅多なことじゃ使えない技となりました。
基本は……古式走法で足を溜めて、ここぞって時にスパート……になるのかな。
まあいい、デビューの時までとにかく鍛えるぞー!
そういえば今回の前の世界に、ウマ娘~とかいうアニメがあったなぁ。
いい加減、俺が流れる世界がそういうフィクション系のものっていうのは想像がついているし、俺もこの世界で立派に育ったら……ウマ娘に転生~とかあったりして。
……まあ、はは、ないない。
そんなことより鍛錬鍛錬! 成長と一緒に氣脈も筋肉も広く大きくなってきたし、あとは全力で勝ちにいくだけだ……!
……。
そんなわけでデビュー戦が終わった。
結果は……大差での1着。
これから始まるクラシック級の馬生に、いいスタートを切れたと思う。
では……高めていこう! 経験を積んでいこう!
その先にある、このファームの長寿と繁栄を求めて……!!
勝利を……! ただひたすらに勝利を捧げる……!
クラシックを越え、春シニアを越え、秋シニアを越え……やがて性別問題で出られないレース以外のほぼで勝ちを治めると、無差別級とばかりに様々なレースに出て勝利を掴む。
そんな中で、かつての時代に聞き覚えがあった馬との出会いもあって───……え? 二つ名が覇王? キサマ! このノーザンブレードの前で覇王を名付けられるとはいい度胸だ! 我が天に覇王は一人! 他の誰に敗けても貴様には敗けん! 敗けんぞぉおお!!
……うん。そう、求めたんですよ。強く強く。
でもね、ひとつ大事なこと、忘れてたんだ。
それはそれはとってもとっても大事なことで───
なんというか、まあ、その。
……ウマ娘になった馬たち、“馬の頃の記憶”なんて引き継いでなかったじゃん……!
───……。
……。
伝説ってものがある。
過去から引っ張るなら、エクリプス、と名付けられたウマ娘が叩き出した伝説こそがそう。
わたしはそんな伝説とは無縁に生きるんだろうな、なんて思っていた。
だって当然だ。うちにはお金がなかったから、学校はあくまで学ぶ場所であって、レースのための云々をする場所なんかじゃなかった。
「ノーザンブレードさん」
「はい、先生」
「この資料、教室まで運んでもらっていーい?」
「はい、問題ありません」
教師からの覚えも良く、面倒事には首を突っ込み解決鎮静。
貰えるものは貰って、与えられるものは出来るだけ与える。
ただし都合のいい女の子にはなりません。
理不尽は跳ねのけますし、暴力は正論と実力行使で叩きのめします。
そもそものこと、父さんが頑張って稼いでくれたお金で学校に通うんだから、無駄にすることは本当に無駄だ。
学べることは学ぶ。それを邪魔する奴は誰であろうと敵だ。
そんな、貧乏ってだけの理由で、わたしにちょっかいをかける男子は結構居ます。
小学の自分、多感なお年頃。小学6年ともなると、男子というのはやかましいものです。
「おいノーザン、お前その服昨日も着てただろ。くっせー、貧乏人はこれだからなー」
「はい、昨日も着ていましたね。昨日のうちに洗濯して昨日の内に乾かしましたが。嗅覚がおかしいんでしょうか。ふふっ、耳鼻科へ行くことをお勧めしますね」
「うるっせーな貧乏人! くせーもんはくせーんだよ!」
「そうですね、わたしもあなたの息が臭いです。あと聞こえているのでわざわざ叫ばないでください」
「はぁーああああ!?」
「それで、なにかご用ですか? わたしは学校に学ぶために来ています。間違ってもあなたの嗅覚を調べるためでも、他人をつついて反応を楽しむためでもありません。お金を払ってまで通っている以上、実りにならないものは全てが無駄です。それが自分のお金なら問題ありません。自業自得です。けれど、わたしがここに通えている事実や服を着ている事実は、父が頑張ってくれている結果です」
「なぁああにが頑張ってる~だよ。稼げてねーから貧乏なんじゃねぇか」
「…………はぁ。働いたこともない、小遣い以外で自分のお金を持ったこともない子供が他人の稼ぎに口を出すなんて、どこまで……」
「んだよてめぇ。なに睨んでんだよ」
「……家に帰ったら今のこの出来事を是非両親に語ってやってください。貧乏人をこうやって論破してやったんだぜーと。きっとご両親も泣いて喜びますよ」
「はぁ!?」
「将来、立派な職業に就けるといいですね。選り好みできるほど立派な頭をしていたら、の話ですが」
「はぁー!? てめぇに言われたくねーっての貧乏人!」
「わたしもあなたに話しかけられるのはいい加減うんざりです。なので今日はとても素晴らしいプレゼントをあんたの両親宛に贈らせていただきました。あなたが家に着いたら、とても素晴らしいお出迎えがあることを心から願います」
「はぁ? なにわけわかんねぇこと言ってんだ? つーかうちにプレゼント? やめろよこのブス! 貧乏菌が伝染るだろーが!」
「………」
うちは……まあ、貧乏です。はい。否定はしませんし出来ません。実際貧乏ですし。
でも父が頑張っているのは事実で、切り詰めた生活をしていることにだってきちんとした理由があります。それを真正面から鼻で笑って見下されて、いくら温厚だと噂のわたしでもトサカに来るというものです。なので罰です。ご両親がクズな性格ならどうしようもありませんが、もうほんといい加減に耳障りなので。
……あ、ちなみに。プレゼントは斬り裂かれたり悪戯書きをされた教科書にノート、そして動画データです。内容? もちろん教科書やノートを切り刻む自慢のぼっちゃまのお姿が上映されたそうです。
本日の放課後、家に帰った途端にパパナックルで空を飛んだ彼は、家の外にも聞こえるくらいの大声で「他人にやさしく出来る人間になれって教えてきただろうがよぉおおっ!!」と絶叫まがいに泣きながら怒鳴られたそうで。
後日、動画データ入りのSDカードの返却とともに、新品の教科書とノートがわたしに届けられました。男子からの謝罪? 受け取るわけがありません。許せないのではなく許さないだけ、なんて言葉がありますね。ええ、許さないだけです。
わたしにいくら謝罪したところでわたしの気は済みません。人の家族の、家族を思う父の仕事を馬鹿にし、わたしに謝るなんてお門違いを続ける人の、なにを許せというのでしょう。
……ああ、早く自分で稼げるようになりたい。そうなって、手に入れたお金で、家族のために汗水流せる父に恩返しがしたい。走るのが好きだった幼少の頃……まだ母がこの世に居たあの頃。父や母が願ってくれたように、三冠ウマ娘になる、なんて夢は……正直掠れてしまっている。
それを狙うよりも、中学からでも出来ること……新聞配達でもなんでもいい、お金を稼いで、少しでも父を支えられる自分になりたかった。
少しでも支えられるように、料理も覚えた。掃除のコツも、洗濯の仕方も、出来る努力はなんだって頑張って、コツコツ積み重ねてきた。……絵だけは絶望的ですごめんなさい。でもそうして、節約できることは節約してきて……あ、スマホだけは絶対に持っていてくれってお父さんに握らされたけど、ともかくわたしは……
「……っ」
「すごいわノーザンブレードさん! 明らかに前回よりも速いわよ!」
「……そう、ですか。ありがとうございます」
「将来はやっぱり走る方向に? ノーザンブレードさんは頭もいいから、中央トレセンにも余裕で入れると思うわよ」
「中央……」
日本トレーニングセンター学園、通称トレセン学園。
“走り”を夢見るウマ娘ならば絶対に目指す場所。
父が願い、母が願い、生活を切り詰めている理由の全部がそこにある。
うちは貧乏だ。それはわかってる。でも、生活が出来ないわけじゃない。全部全部切り詰めて、わたしがそこで大成出来るようにと願ってのものだった。
悔しいけど、やっぱり走るのは楽しい。好きだよ、どうしようもなく。
でもさ、お父さん。それって……日々を頑張ってるお父さんに、冷たいご飯を食べさせることに繋がるほどのことじゃないと思うんだ。
わたしはお父さんが心配です。お母さんが事故で亡くなってから、お父さんは悲しみを忘れるように仕事にのめり込んでいったよね。
お母さんが最後に言った、“ブレードが三冠取るところ、見たかったな”なんて言葉が、ずっとお父さんを縛り付けているのなら。わたしの先を決めてしまうくらい構いません。獲れというなら三冠だろうがなんだろうが意地でも獲ってみせます。でも、それはあなたが体を壊していい理由にはならないんだから。
……また、一緒にご飯、食べたいです。
また、近所の公園に散歩に行って、つまらないことで笑い合いたいです。
もし、わたしが間違っているのなら、叱ってください。
親不孝者、と言ってくれるのならそれでもいいんです。
「……そう、ですね。わたしには───」
お父さんが笑わなくなってから、どれくらい経っただろう。
お前は三冠を獲るんだ。獲ってくれ。お前なら出来るって言葉しか言ってくれなくなって、どれくらい経っただろう。
お母さんの願いを果たせば、お父さんは笑ってくれますか?
だったら……見ていてください。いえ、見れなくてもいい、どうか、視界の片隅にそれが映りでもしたときに、笑ってやってください。
もうわたしを見てもくれないお父さんに、わたしが……
「……わたしにはもう、走ることしか……残されていないと思うので」
どこにでも描かれ、噂されるくらい、最強のウマ娘であることを証明しますから。
───……。
……。
トレセン学園へ入学すると、その頃から全寮制度の生活が始まりました。
ひたすらに学び、ひたすらに走り、ひたすらに己を磨く生活が。
父は見送りには来なかった。仕事だった。仕方ない。前日に話しかけてもいつもと変わらない。
掃除も洗濯も、食事を作ることも出来なくなる。それを伝えたところで届いていたかもわからない。
「……、……」
だから、もう吹っ切るためにするかのように学んだ。
わからないことは教師に訊きにいって、ただひたすらに。
図書室に行けば知れる知識も積極的に学びに行って、糧に出来るものならなんでもと。
三冠を獲れば、きっとお父さんも息をついて、立ち止まってくれると信じているから。
ひたすらに、ひたすらに、自分を高めていく。
「……っ……ふっ!」
いつの頃からか、自分は自分を磨くことがとても好きであることに気づいた。
それがいつか、誰かのために……大好きな人のためになると思ったら、余計に高められる自分にありがとうを言いたくなった。そして、ありがとうを言うたび、この体は母が産んでくれたものなんだと喜び、誇りたくなった。
誇れるなら走っていける。ありがとうを言えるなら、いつか立ち止まったお父さんにも言葉が届く。
だから……だから。
目標があるなら進まないと。理由があるなら立たないと。
あの日、やさしい笑顔でわたしの頭を撫でてくれた、両親の夢を叶えるためにも。
「……ん……なぁ。あの娘」
「うん? ああ、ノーザンブレード。変わった走り方をするって、結構有名なのよ」
「変わった走り、って。ウマ娘であんな前傾姿勢、それこそオグリキャップくらいじゃないか?」
「それでいて、“地面を蹴らない走法”。足への負担を極端に減らして、呆れるほどに足を溜めるっていう……どこで覚えたのか、誰に教わったのかは知らないけど、“過去の日本人”が得意とした走り方よ」
「古式走法、ってやつか。あれだよな、飛脚が好んで使ってた、っていう」
わたしは、物心ついた頃からいつの間にかこの走りだった。というより、走り出したらこれしか出来なかった。もちろん、激しく地面を蹴り弾いて前に出ることは出来る。必要だと感じない限り、この走りが心に染み込んでいるかのようにそこにあった。
実際、人が奨める走り方よりもずうっと疲れないから助かるには助かる。瞬間的なスピードは出ないけれど、回転を上げれば速度は出るし足も溜められる。
ただ、よっぽど小さな頃からしみこませなければ、この走り方を無意識に続けるのは無理なんだ、とかも聞きました。
そもそもにして、どうすればそんな筋肉に仕上がるんだ、なんて急に男の人に声をかけられて、びっくりした。
「っ……あの。あなたは?」
「ひゅーぅっ、あんだけ走って息切らせてないのかぁ~っ! っとすまん、俺ゃここでトレーナーやらせてもらってる者なんだが」
「トレーナー……はい、それで、わたしに何か?」
「おう。おハナさんの手前だから一応訊いてからと思ってな。……足を、触らせてくれないか……?」
直後、彼の後ろに現れた、ちょっとキツめの目付きの女性の手により、記入ボードが彼の頭頂を襲った。ゴッ、と痛そうな音が鳴りました。
「あいったぁーっ!!」
「人の名前を出してまで言うことかっ!」
ごもっともだと思います。ええと、たしか東条ハナさん。
「いやっ……だっておハナさんさぁ、明らかにすげぇ走りを見せてくれる、いや見せてくれたウマ娘が目の前に居るんだぞ? しかも誰もまだ勧誘してないとくる! こりゃあ是非ともって思うだろ!」
「勧誘ならもう私が済ませたわ」
「マジで!?」
「断られたけれどね」
「マジで!?」
ええはい、断りました。
私ならあなたを確実に強く成長させられる、なんて言われても困りますし。
なんとなくだけど感じたんだ。あなたではだめだ、って。
きっと、その時に感じた温かさよりももっと上だって叫べるくらい、この人はウマ娘のことを考えてくれている。でも、そのやり方だとわたしはダメになる。
「あの」
「お、おお? 悪い悪い、急に来て急にこんな風に騒いで」
「足、構いません」
「え?」
「……え?」
「どうぞ、触りたいなら触ってください」
「おおっ! では喜んでぁいったぁーっ!!」
「……その。ノーザンブレード? 私もいいかしら」
「はい、構いません」
「おハナさん!? その許可得るのに俺へのボード攻撃要る!?」
ともあれ。二人は短パンで走っていたわたしの足の前に屈みこみ、ぺたぺたもみもみと脛や太腿などを熱心に触ってくる。
「いや……これ、どうすればこんな……」
「子供の頃から、いえ、いっそ走り方を覚えてからずうっとなら、それも納得出来るけど……中等の筋肉じゃない……!」
「見た目は普通、なのに密度が半端ないな……しかも柔らかい。短距離から長距離、どこでも走れそうであり……なぁ、ダートを走ったことは? 芝との差は?」
「あります。記録は変わりません」
「……記録が、変わらない? おいおいおいおいおいぃ……」
「ノーザンブレード。あなた、本気で走ったことは?」
「練習で何度か。記録をつける時には全く」
「なんだって? ……理由を訊いてもいいか?」
「小学の頃、やたらと絡んでくる上級生が居たので、出来るだけ記録として残る速度はやめようかと」
「絡む、って。速さで?」
「はい。お前なら私の渇きを……! とか目をギラつかせて追われました」
「………」
「あー……おハナさん?」
「あ、ああ……うん。その、ゴホ、うん。……名前を聞く前に。そのウマ娘との勝率は?」
「全戦全勝です。本気で走れと言われたので」
「………」
「………」
沈黙が訪れました。
……そういえばあの先輩もここに入学していたんでしたっけ?
“姉貴に言われたからそこに入学する。お前も来い、いいか、絶対だぞ”
なんて、まるで愛を説くかのように。
「あの……マジっすかおハナさん」
「……ブライアンが言っていたわ。いつか私の渇きを満たす後輩が必ず入学してくる。それまでに自分を高めなければ、と。けど……なるほど、と頷くのはまだ少し早いわね」
「……あーぁ、それこそなるほど。まだこの娘の本気を見てないわけだからな」
「ノーザンブレード。お願いしたいんだけど、今から貴女の本気を見せてくれる?」
「べつに減りませんし構いませんけど。条件をひとつだけ」
「? なにかしら」
「そちらのあなた。お名前を」
「俺? ああ、俺ゃ沖野ってしがないトレーナーやってるモンだよ。狙ってたいいとこぜ~んぶこちらのおハナさんに盗られたカワイソーなトレーナーさ」
「そうですか。では条件を。わたしのトレーナーになってください」
「なっ!?」
「……なんだって? そりゃ、俺は嬉しいが……いや、それだけじゃないみたいだな」
「はい。走り方の変更さえなければそれで。……東条トレーナー、あなたが誰よりもウマ娘のことを考えてくれているのは、話していて分かりましたし感じました。けれど、あなたはきっと走り方への干渉をいずれします。わたしは、この走りで上を目指さなければ、走る意味なんて最初からないんです。ですから───」
「あー、えっと、なんだ? 俺ってもしかして、ウマ娘の行動に一切口を出さないちゃらんぽらんに……見えた?」
「有名です。沖野という、チームスピカのトレーナーは、良くも悪くも放任主義。走り方の全てはウマ娘に任せることから、所属していたウマ娘も様々が退いた、ということも」
「あー……」
とても微妙な顔をされました。まあ、それはそうですよね。わたしもそんな選び方はないだろって思います。
「その、ノーザンブレード? ブライアンなら私のチームに所属しているわ。あなたが来るのを待っていたのだし、同じチームに───」
「嫌です」
「いえ、けど」
「嫌です」
「……り、理由を、聞いても? 走り方云々以外で、ということなら……」
「覇王の二つ名を持つオペラオーさんが居るから嫌です」
「そんな理由で!?」
「そんな理由です。いえ、わたしも不思議なんですけど、わたしの中では覇王は一人、といいますか。オペラオーさんじゃないんです、わたしの中では。喩えるならそう、金髪で、ツインテールで、ぐるぐるのドリル髪で、目はちょっとキツめだけど緩んだ時には可愛くて、あ、ドクロの装飾とか素敵ですよね。濃紺めいた衣服とか似合いそうですし、体躯に見合った大きな鎌とか……口調もちょっぴりキツめなのに身内にはやさしくて、やさしいが故に危ないことをしたら本気で怒るーとか、でも心を許した時に見せる弱い部分とかも……あ、辛さに弱いのに苦手じゃないとか強情張るとかも想像するだけで尊いというか眩しいというか……こう、想像に想像を重ねると心が我慢出来なくなりましてッッ……ほわーっ! ほッ……ほわぁあああーッ!!」
「………」
「………」
「ハッ!?」
正気に戻った。ああ、またやってしまいました。
「こ、ほん。ええっと、はい、そういうわけで、その。認めたくない覇王が居るので嫌です」
「……その。あなたの言う覇王、というのはその……実在する……存在……?」
「はいっ、きっといつか全てを忘れてしまっても、その人の姿と志だけは決して忘れません!! 物心ついた時からずうっとそうなんです! これだけは、心の奥底でずっとずうっと変わりません!」
「……さっきまで死んだ魚みたいな目ぇしてやがるって思ってたら……なんつー幸せそうな顔して語るんだか。おハナさん、悪いけど───」
「はぁ……分かってるわよ。こんな顔で夢みたいに語る子、無理に引っ張れるわけがないでしょう?」
「よぅっし! そんじゃあ早速だけど契約だ! 俺のことはトレーナーでも沖野さん♪ でも好きに呼んでくれ。これからよろしくなっ、ノーザンブレードっ」
「はい。ではわたしは鍛錬の続きがありますのでこれで」
「おー、じゃなくてちょっと待てぇぃっ! 本気の走りはどうした本気の走りは!」
「あ、そうでしたね。それでは───……すぅうう……はぁああ───」
深呼吸。意識的に心臓の動きを氣でコントロール。
血流を速くして、血管にかかる負担の全てを氣で支え、睨みつけたターフの先目掛けて地面を蹴り弾いた。
「うぉあっ!?」
「っ!? 一歩目でなんて加速っ……もうあんなところに!?」
走る……走る走る走る。一歩目で加速された体を、限界まで斜に傾けたまま足を持ち上げ続けるだけ。
倒れさえしなければ最高速度を保っていられる姿勢のままで、まるで平面を転げ落ちるかのように走っていく。そして残り400m、といったところでスパート。
「……ぉぃおいおいおいぉぃぃ……」
「これが……ブライアンが認める後輩……? これでまだ中等に上がってきたばかり……? あの娘、どれだけ……」
「……いや。案外伸びしろを全部使い果たしちまったって可能性もある。精々ここから落ちちまわないように、しっかり見てやらないとだな」
「……とはいえ、中等レベルでこれほどとはね……既に怪物扱いしてもおつりが来るわよ」
「最後の直線で7度も加速しやがった。あんな末脚と加速を見せられちゃ、どの距離適性も、バ場適正もあるっていうのも頷ける」
なにやら話し合っている二人のもとに戻って、心地良くなった心を落ち着かせつつ、二人の前で足を止める。
「はい、というわけでどうでしたでしょうか」
「……で、息を乱してない、と。お前ちゃんと本気で走ったか?」
「はい。足を破壊しない程度には」
「つまり、足を潰す覚悟で挑めばもっと速いってか」
「それはわかりません。壊したことがないので」
「そりゃそうだ。足に痛みを感じるほど走ったことは?」
「二度と走りたくないと思うくらいにはやったことがあります」
言ってしまえば、自身の追い込みをしたことがある人なら誰でも思うことだと思いますが。
けれど不思議と、それを癒せる氣、なんてものが使えたために、それの先に到ったことはないのです。
「……たぶん競技者としての能力は論外。なのに走る者としての心構えは他の誰よりも出来てる、みたいなヤツか……こりゃなかなかクセが強いぃ……」
「入隊却下でもする? その時は私が説得してでも───」
「嫌です」
「……そ、そんなにまで嫌なの?」
「嫌です」
理由は分かりませんが、姿だけ思い浮かぶ覇王の名の下……いえ名前も思い出せませんけど(なぜか、“知らない”は許されない気がします)、彼女以外がそれを名乗るのはわたし的にNOなのです。
「まあ、わかった。とりあえず今のスピカはお前ともう一人しか居ない状況だ。これからのことも含めて、まずはいろいろ話し合うことから始めるか」
「はい、わかりました」
なにはともあれ。わたし、チームに所属することが決定しました。
とりあえず……各ウマ娘のデビューするタイミングが謎すぎていかんと思うの。
初等部(初等部なんてない。小学生ね、小学生)はトレセンとは関係ないとして、中等部から始まる生活の中、高等部扱いになるまでデビューしてないお子はいったい……? ライスシャワーが高等部で、デビューしてない状況に「あれ? え? ライス高等部なん!?」って驚きましたし。
それともあれか、みんな中等の時点でデビューはしてて、走り終わったあとに高等部生活をゆるりと楽しんでいる、とか? 外国に行くなら行くで、そのための勉強を~とか。
いや、でもデビューするまではトレーナーじゃなくて教官に教わるのがこの世界だし……ん、んん……?
いろいろ考えた結論。
……ああ、やっぱりー、今回もー、だめだったよ。私の頭はそこまで立派じゃないからな。
ムーリーということで、おぼろげ空間でのお話ということで納得してください。
そして、今回は馬からウマ娘、ということで、他の馬のように当時の記憶は無しでのスタートです。
馬から始めたらどうなるだろう、と軽く考えながら書き始めた結果、「あっ、いかん! そういえば原作(現実)のウマ娘、馬だった頃の記憶なんてないじゃん!」と気づき、凍結……してたけど、じゃあ普通に鍛錬好きのウマ娘でいいんじゃない? と今さらカキカキ。
妙に新鮮な気持ちで書けました。そして私の好物はラーメンとチャーハンです。餃子も好きですが。
名前の由来:北郷一刀⇒北の
グランが付いていないので、北の勇者ノヴァの必殺技とは一切関係ありません。