翌朝、僕は目を覚ました後に身支度を済ませて食堂へと来ていた。あまり食べる気はしないけど…食べないと、身体が持たないから。
それに、最後の食事になるかもしれないし…と。
丁度、食堂が開いたばかりということもあって完全な空席は見当たらなかった。顔を洗ったとはいえ、それでも泣き腫らして充血していた目を見られたくないから、1人で座りたかったけど…と、それでも席を探すと、1人しか座っていない席があった。
あそこにいるのは…あ、彼なら…特に気にも留めないだろう。
そう思って、お盆に食事を乗せてそこへ向かう。
「…ぁん?」
6人掛けのテーブルの、ベートさんが座っている食堂内でも一番奥になる場所から見て対角側に座る。椅子を引いた音に気がついたのか、怪訝そうにベートさんがこちらを見る。
「…子兎野郎か」
それだけ言うと、ふいと視線を外される。
良かった、文句は言われなかったし、気付かれなかったのか目のことも何も言われなかった。一つ壁を超えたと安心しながら食事を始める。
ガヤガヤとした食堂の中で、ここの席だけ食器の触れ合う音と僅かな咀嚼音しか聞こえない。2つあったそれは、気が付けば僕のものだけになっている。
僕より遥かに先に食べ始めて、既に食べ終わったはずのベートさんが席を立つ気配がないまま、僕も食べ終わる。
それを不思議に思いながら、食器を下げようと席を立とうとしたその時になって、ベートさんから声を掛けられる。
「おい、テメェ…何があったか知らねぇけど、そんな無様なツラぁ晒してんじゃねえぞ」
「ひっ」
その声に、その内容に驚いた僕は、何故か、涙を溢した。
「…? って、おい!? 何急に泣き出してやがる!?」
それを見て、ベートさんが焦る。僕も焦る。
「っ、クソがっ! 行くぞ兎!」
乱暴に僕の腕を掴み、自分の分と僕の分の盆を下げて、僕を引きずりながら食堂を出て行く。
「あんなところ、クソババアにでも見られたら俺が焼き入れられるじゃねぇか…ハァ、仕方ねえ。おい、何があったんだ子兎野郎。もしかしてあれか? 頼りになる姉貴達が全員迷宮に行っちまって寂しいんですってかぁ?」
「全員…迷宮に…?」
その言葉に、僕は目を瞠る。それを見て、逆にベートさんがキョトンとする。
「んだよ、聞いてなかったのか? ハハ、あいつらも冷てぇ奴だな、10日以上帰ってこねえっつうのに一言も残していかねえとは…それともあれかぁ? あいつらもとうとうお前に飽きたのかぁ?」
そんなことを言っているベートさんの言葉は、途中から脳内に取り込まれなかった。そう、か…もう一度くらい、ちゃんと挨拶をしたかったけど…昨日のあれは、やっぱりあれが最後になるって、皆はわかっていたんだろうか。
「…チッ、少しくらい言い返せよ、漢だろうが」
「…その、ベートさん。少し教えて欲しいことがあるんですけど…」
「…ぁあ?」
「その、人1人の値段ってどのくらいになるんですかね…?」
「なんだその質問…あー、まぁ、出すとこに出せば1億くらいじゃねえの?」
「…やっぱり、そうですか…ベートさん、ありがとうございます。色々とお世話になりました」
「は? 世話したことなんてねぇだろうが…っておい!? どこ行くつもりだ!?」
駆け出した脚で、向かうは迷宮。
折角冒険者になったのだ、自由が無くなる前に一度、自分の限界を見に行こう。もし可能であれば、限界のその先へと。
朝から迷宮へと赴く冒険者達の熱意を見ながら、ひた走る。
そうしていると、目に入ったのは薄鈍色。それを見た僕の身体から、力が抜ける。あちらも、こちらを見つけたのか手を振りながら寄ってくる…。
「おはようございます、ベル君。奇遇ですね。これからダンジョンですか?」
「奇遇…あ、は、はい、えっと、シルさんはどうしてここに…?」
「んー、どうして…ですか。特に理由はないんですが…そうですね、ベル君と会うために、ですかね?」
普段なら、ずるい、あざとい、そう思いながらもその可愛さに鼻を伸ばしていたであろうシルさんのその笑顔を見て、僕は後退った。
こ、この笑顔の裏で、シルさんはあんなことを…っ。
恐れ慄く僕に、シルさんは一歩踏み込む。
「むぅ、流石に口が過ぎましたかね? 冗談ですよ冗談。私はお店に住み込みじゃありませんから、普通に住んでいるところからお店に向かっているだけですよ」
「な、なるほどー、そうだったんですか」
事実を言っているようにも聞こえるけど、なんだか薄っぺらいと言うか、あらかじめ用意していた言い訳をそのまま言うような…そんな感じ。いや、きっと大いに先入観が絡んでいるのは間違いないのだけれど。
「そうだ、ベル君は今からダンジョンですか?」
「えっ? あ、は、はい。そうですけど…」
「そうですか、では、宜しければこちらを持っていきませんか?」
「こちら…って」
差し出されたものを見る。蔓で組まれた籠。手持ち付きの、ピクニックなんかでよく見るような。
「サンドイッチが入っています。私が作ったんですよ?」
「ええっ!? そ、そんな、頂けませんよ! それにこれ、シルさんのお弁当じゃあ…?」
「お店では賄いが出ますから…私が、ベル君に食べて欲しいんです」
そんな甘言に…大人しく乗ろうとして、頭が冷える。
何が入っているか、わからないぞ、ベル・クラネル。
そんな声が響いた気がする。
「…っ、だ、だぁぁぁぁあぁぁぁあぁ!?」
「あっ…」
全速力で、飛び逃げる。僕を見たシルさんは唖然とした顔をしていた。
「…逃げられちゃった…と言うよりなんか、今日は怖がられていた…? どうして…?」
「はあっ、はぁ、はぁ…ふぅ…」
その勢いのまま、僕は迷宮へと駆け込んでいた。そこで、べっとりとこびり付いた色々な思考を振り払うかのように武器を振る、振る、振る。
新たな魔法も使いながら、雷を纏い、風を纏い、光を纏いながら奥へ奥へと進んでいく。
「そ、そうだ…、もしかしたら、皆に追いつけるかも…っ、そ、そこでもう一度話を聞いて…何かの、僕の勘違いかもしれないし…」
駆け抜けるようにして、自身の到達階層…11階層まで一気に進んでいく。そして、初めてとなる12階層への道を通る。
「結局、追いつけなかったか…ここより下は…流石に…っ、なんだ!?」
モンスターの咆哮が、フロアに響く。
モンスターが、地を踏みしめながら近づいて来る。
武器を構えて、付与魔法を纏い戦闘の準備をする、見えてきたのは…。
「インファントドラゴン!? で、でも、リヴェリアさんから聞いていたより…」
大きい。それに、色も違う。
体高は人とそう変わらないと聞いていたのが、見上げるような巨体。
2.5M程はあるだろうか?
赤い筈の肌は、黒ずんだような紫がかったような色合い。
教えてもらった中にあった事象。こいつは…強化種!?
「グルゥ…ッ」
「…っ、『
風を纏い、ミスリルのダガーに雷を纏わせ、アダマンタイトのダガーに切味強化を付与し、防具に光を纏わせる。正直、既に精神力が枯渇しそうで、倒れそうになるがそれを気合でねじ伏せて構える。
きっと、これくらいしないと、この化物とは戦えない。
「グルァァァァアァァァッ!」
「っ来い!」
その体を揺らしながら、全力でこちらへ攻めかかってくるインファントドラゴン。
鋭く迫る竜の顎。それに捕まれば、簡単に僕の身体は裂かれるだろう。避けながら少しずつ、その身体へダガーを振るう。
「傷はつけられる…っ、けど、浅い…っ」
ダガーの刃渡りでは、切り傷を負わせることはできても致命傷となる一撃をつけることができない。魔法を使おうにも、詠唱している間に一撃を貰えばそこで終わりだ。詰んだ…?
「まだ…、まだ、諦めてたまるか!」
横に駆け抜けながらすれ違いざまに胴体を斬る。迫ってきた尻尾に飛び乗り、その勢いに乗じて距離を取る。
リヴェリアさんから、レフィーヤさんから聞いた魔導士としての技術。並行詠唱。
練習もしていないそれを、行うかどうするか悩みながら、インファントドラゴンの竜眼と目が合う。
「グルルルル…ッ」
まだまだ、弱った姿は見せてくれない。血こそ流れているが、あの身体だ。大した怪我にもなっていないのだろう。
魔法を使わないと、仕留められない。
そう判断した僕は、詠唱を始める。
「…っ、『野を駆け、森を抜け━━
「グルォっ!」
突っ込んできたインファントドラゴンを相手に、股下を滑り抜けるように回避する。反撃する余裕はない。
━━山に吹き、空を渡れ。星々よ、神々よ。』」
「グルォォオォン!」
直後、迷宮の床を激しく叩きつけるように竜の尾が振るわれる。それを、範囲外に急いで出て回避する。インファントドラゴンがこちらを振り向く前に、距離を取る。
「『今ここに、盟約は果たされた。友の力よ、家族の━━
使い慣れてきているとはいえ、詠唱は長い。まだ、半分だ。
振るわれる牙を、爪を、尾を、避ける、逃げる、躱す。
━━力よ。我が為に振るわせてほしい━━』」
喉がひりつく。極度の緊張と、集中。カラカラに乾いた喉を、しかし、無理矢理動かせる。
「『道を妨げるものには鉄槌を、道を共に行くものには救いを。荒波を乗り越える力は、ここにあり』【レプス・オラシオ】!」
そうして、まず、召喚魔法が完成する。魔力に反応したのか、完成直前に今までで最も苛烈にインファントドラゴンが攻めてくるが、何もしてこないこと、起きないことに拍子抜けしたのか若干の警戒を見せるに留まった。モンスターのくせに、なんだか、戦闘に慣れている…?
しかし、これは好機。警戒している間に、次なる詠唱を始める。
脳裏に浮かんだ魔法の中から選ぶのは…一番大切で、一番頼りになる姉の、単体魔法。
「『解き放つ一条の光、聖木の弓幹。」』
その段に至って、ようやくインファントドラゴンも警戒から蹂躙に思考が切り替わったのか、持つ武器の全てを活かした攻撃を、嵐のように振るってくる。だいぶ、見慣れてきたとはいえ一撃一撃がまさに必殺級。
最低限の行動で回避を行い、躱せないものは出来るだけダメージを少なくするように立ち回る。
『「汝、弓の名手なり。狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢」』
扱いやすい、自分の魔法を除けば、一番使った魔法。
ようやく完成したそれを…放つ。
「【アルクス・レイ】っ!」
特大の、ビームのような一条の光。詠唱式からしても、一応弓矢らしいんだけど…うん、絶対違う。
それを見たインファントドラゴンは、叫び声を上げながら避けようとするけど…それに、追尾していく光。必中魔法で、この性能って…凄い。
最後は、インファントドラゴンのその巨大な胴体に風穴を開けるようにして貫いた。断末魔を上げ、崩れるように灰になっていくその龍の姿を見て、僕は身体から力を抜く。
「…並行詠唱…できたし、なんとか勝てた…よしっ!」
グッと、拳を握った直後。
ふらつく意識。
「…あ、これ、マインド━━」
へぶっ。と、床に倒れ込む。間違いなくマインドダウンだと認識しながら。やばい、こんなところで倒れたらモンスターのいい餌だ。そう思うも、身体は動かない。
「…ようやく追い付けたと思ったら、兎。お前…」
「べ、ベート…さん?」
「…まぁ、まだまだ甘えが…有象無象の雑魚よりはマシだった。帰るぞ」
ひょい、と、荷物でも担ぐかのように持たれる。口に突っ込まれたのは…精神回復のポーション。それを飲んで、少し余裕ができる。
「ありがとうございます…」
「気にすんな、テメェがおっ死んでから食堂で見てやがったラウルに告げ口されるよりゃあよっぽどマシだ」
あいつは〆る、と宣う狼は、それはそれは凶悪な顔をしていたけど…兎は、何も見なかったことにした。ここにいるのは、駆け出しの後輩を心配して後を追ってくれた優しい狼人の先輩。うん、それだけだ。
こうなれば、これ以上先に行くのは難しいし連れて帰ってくれると言うのならありがたいけど…そういえば、ベートさんもロキ・ファミリアの幹部だ。僕の話も知ってるかも…。聞いてみよう。
「ベートさん、ぼ、僕…その…」
「…俺は何があったか知らねえが、どうした?」
「その、僕、売られちゃうんですか…?」
「…ハァ?」
それを聞いて、心底呆れたかのような声を漏らすベートさん。
「…あのな、売られるってのがどういう意味か知らねえが…あのクソババアがそんなことを許すと思うか?」
「い、いえ…」
「それに、あの過保護になってる魔力バカにバカゾネスどもが、早々簡単にテメェを手放すかよ…」
「で、でも、もう一緒にいられないって…」
「そりゃあ、あいつらは迷宮に入るんだから一緒にはいられねえだろ。それとも、テメェは下層まで付いていけるのか?」
言葉の裏を読まずに直球に解釈するベートさん。確かに、そう言われれば、と。あの空気感で、変に悪い方に悪い方に考えちゃったけど、あ普通に考えれば…そう思いながらその他のことも告げていく。
「さ、酒場で起こした件について揉み消す代わりに僕を売ったって…」
「あー、なんか、あそこの店から苦情が来たって言ってたが…それ、あれじゃねえのか? そこの店員の仕事の手伝いをお前がするとかなんとか、買い出しの手伝いさせられるんじゃなかったのか? お前。昨日の夜フィンがそんなことを言ってたような…」
ベートさんも曖昧なんだろうけど、そんなことを言ってくる。た、確かにシルさんと2週間に一度買い物に付き合う約束はしたけど…え、そういうことなの!? あ、僕の時間が対価ってそういうこと!? バイト的な意味!? 提案ってもしかしてそれ!?
「と、遠くから僕の無事を願ってるって…」
「そりゃまぁ、ダンジョン下層ならそれなりに遠いわな。2〜3日はかかるぞ?」
ベートさんの言葉を聞いて、僕は頰を真っ赤にする。
ぜ、ぜんぶ勘違いだった…!? う、うあぁぁあぁぁぁぁ!?
恥ずかしさで、死んじゃいそうだ…。
き、きっと変に思われてる…っ。そういえばシルさんからも逃げちゃったんだったぁ!?
「…んだよ、ただの勘違いで勝手に傷ついて勝手に暴走しただけか?」
「んぐっ」
「まぁ、まだまだお子様なテメェならしゃーねえか?」
「はうっ」
「これに懲りたら、人の話はちゃんと聞いてから冷静に動くんだな…お前がふらふらしてると、気が気じゃねえ。あのクソババアが気に入ってるからな、少しは自分の価値を知れ」
「はい…」
ああ、こんなの俺のキャラじゃねえぞ…そう言いながら、耳をぴこぴこ尻尾をぱたぱたと振るうベートさんは、他の人が言うような悪い人じゃないんだと確信した。
それに安心した僕は、つい、疲れと安心から、寝てしまった。
「人が担いでやってるのに呑気に寝てんじゃねえぞぉ!? この駄兎!」
「げふっ!?」
急に走り出したベートさんによって、僕の鳩尾にベートさんの肩が刺さり強制的に起こされたけど。
迷宮から出た僕達に、数多もの視線が刺さった。
「おいあれ…
「本当だ…狼と羊ならぬ狼と兎か」
「でも、なんか厳つい兄貴と華奢な弟って感じじゃねえか?」
「ああ、わかるかも。髪の色合いも似てるしな」
「いや、そんな可愛いもんじゃない! 俺にはわかる! あの兎君は…狼君に喰われてしまうんだ!」
「どこの変態男神だ!?」
あ、ベートさんが怒っているような気がする。
というか、間違いなくキレてる。
「…兎。ちょっと待ってろ。勝手に動くなよ?」
「はいっ!」
恐怖を掻き立てられるような殺意を纏ったベートさんが動く。
「さぁて…今、巫山戯たことを抜かした馬鹿はどいつだ…? どうやら、死にてぇようだなぁ…あぁん?」
ゆらりと、脱力しているように見えるのにまさに飛び出す直前。そんな風に見えるベートさんが辺りを睥睨する。
凍り付く空気。焦る冒険者達。笑いつつも顔が引き攣っている男神達。逃げ出す一般人。
軽く暴れ散らした後に、必死に謝る冒険者達と数柱の神を見てようやく溜飲が下がったのか、ベートさんがこちらへ戻ってくる。
「よし、帰るぞ。もう歩けるな?」
「は、はい!」
そうして2人、黄昏の館へと歩き出す。
「…やっぱり兄弟みてえだな」
後ろから呟かれた声は、運良くベートさんの耳には入らなかったようだ。
前話は色々言いたいことある人もいると思うんですけど…
ベートさんのお陰で全て丸く収まりましたんで!
きっと帰ってきたらもっと丸く収まるんで許してあげてください!
彼女達も心配8割、打算1割、下心1割くらいの小芝居だったので…まぁ、多分帰ってきた4人はベルの話を聞いてベートのことを聞いて、この上なくベートに感謝することでしょう。その後ちゃんと謝罪フェイズも作りますので…一応、前話はこの展開にするためだったのでお許しを…波風の一切立たない展開だとこのベル君の無茶とか、ベートのお節介というレアイベントを発生させるのが難しかったので4人には少し悪役になってもらいました。
お陰で、偉業達成+並行詠唱(完璧ではないけど)習得の一歩です。
魔法剣士って…カッコいいよね。
さぁて、無事兄枠になれるかどうか。ラウルも兄枠としてはピッタリですけど。悩ましい。