繧「繝ェ繧ャ繝医え
8月15日。今年もこの日がやってきた。
私は、この日になると…あの時の事を思い出す。
それは、大学2年の夏休み直前の事だった。
私-湯田遥は、夏休みをどう過ごそうか迷っていた。
学生時代の夏休みほど有意義で楽しい時間は無い。
人間は若ければ若いほど時間の流れが穏やかに感じるらしい。
この長期間の休暇をどれだけ楽しめるか…私は若干の眠気に負けながらずっと考えていた。
「あんまり眠れなかったんじゃないの?」
学食のテーブルに向かい合わせで座っている高橋刹那が心配そうに顔を覗き込んできた。
「…目がこうなっちゃってからさ、夏はずっとこんな感じ。夏以外はこうならないんだけどね。」
私の片目は眼帯で隠されている。
目が悪くなってしまったわけではないのだが、中二病をこじらせ続けているわけでもない。
純粋に「生活の邪魔」になってしまっているのだ。
きっかけは中学生の時だった。
私の大好きな美術の授業で静物画を描いていた時のことだった。
私の左目の景色がぼやけていくのを感じた。
霞んだ景色は数分もしないうちに全く見えなくなってしまった。
怖かった。
とても怖かった。
すぐに病院で診察を受けたが、原因は「不明」だった。
原因は分からなかったが、通常の治療で様子を見ることになった。
治療を続けていると、徐々に視界が回復してきた。
しかし…その景色は様子がおかしかった。
景色に「色」が無かったのだ。
見えるものは全て白と黒で構成された…まるで過去に閉じ込められたかのような風景が広がっていた。
意図せず片目だけ色盲になってしまった私は、左目を封じ込めて全てを無かったことにした。
人は変化に敏感だ。そして、その変化を忌避する傾向にある。
私が孤立するのに時間はかからなかった。
そんな状態で中学を卒業し高校に進学した私の前に現れたのが刹那だった。
「その眼帯…どうしたの?」
「ちょっと目を怪我しちゃってね…今は見えないんだよ。」
「そっか…大変じゃない?」
「そうでもないよ。慣れちゃったし。」
「ふーん…」
最初に言葉を交わした感触は全く良くなかった。
(もう二度と会話なんかしないんだろうなぁ…)
そう思っていた。
暫く同じクラスで同じ時間を過ごすうちに、刹那も孤独であることに気付いた。
気になって仕方なかった。
「ねぇ、それって…」
「聖書だけど?」
「聖書ってことは…クリスチャンなの?」
「違う。」
「じゃあ何で…」
「宗教って面白いと思わない?」
「…え?」
「宗教って形の無いものに縋って自己満足しているだけなんだよ?」
「…」
「私はそんな人間の不思議な行動にすごく興味があるの。だから宗教の研究がしてみたいな…って思ってて。」
「…」
思った以上に変わった子だった。
宗教を「自己満足」と割り切るその言動に、私はますます興味を抱いてしまった。
(この子は絶対面白い子だ…)
私の直感がそう言っていた。
それから私と刹那は孤独な者同士、強い絆で結ばれていった。
周りのクラスメートは不気味なまでに仲の良い私達をますます避けるようになっていった。
でも、私も刹那も唯一無二の友人を得ることが出来たことが一番嬉しくて、そんなこと一切気にしていなかった。
そして今に至る。同じ大学に合格した私達は、同じ下宿で暮らしている。
そして昼休みは学食で落ち合うのがいつものルーティンだ。
「…遥ちゃん!!」
ふいに大きな声が聞こえて目が覚めた。どうやら寝てしまっていたようだ。
向かいに座っている刹那がちょっとだけ怒っていた。
「あぁ…ごめんごめん。」
「もう…今日は夏休みどうするかについて話すつもりだったんでしょ?」
「そうだけど…刹那はどうする?」
「街の寺社仏閣についてのレポートを出さなきゃいけないんだけど、赤田神社はもう出しちゃったし…どこを調査しようか迷っているのよ。」
「このあたりだと赤田神社が一番大きいもんなぁ…山の奥の方に神社があるって聞いたことがあるけど、あそこに行くには車があった方が良いと思うよ。」
「…免許持ってないんだけど。」
「そっか…」
「遥ちゃんはどうなの?」
「私は…いつもと一緒。風景画の課題が出たよ。」
「良いわよね芸術学科は。少なくとも論文を出す必要が無いんだもの。」
「そんなこと言うなよ…風景を探すだけじゃない。画材は何にするかとか、何で描くかとか…そう言うのを色々考えなくちゃいけないから想像以上に大変なんだぞ?」
「遥ちゃんはいつもデッサンと色鉛筆でしょ?画材に関しては悩む余地はないと思うけど。」
「…」
全くもってその通りだ。
悩む余地なんざ1mmもない。
私が悩んでいるのは、「どこを描くか」だった。
どうせならば誰も選ばないような所をチョイスしたい…そう思っていた。
ただ、思い当たるような場所が全く出てこなかった。
…しばらく頭の中の情報を引っ掻き回して探していると、一つの結論が浮かび上がってきた。
「…そうだ。私のばあちゃんの故郷に行ってみない?」
「遥ちゃんのおばあさんの故郷…?」
「そうそう。あそこには確か歴史のある神社があった筈なんだよね…あと、田舎って言うのはなかなか絵の題材にはしてこないと思うし…良いんじゃないかな?」
「…」
暫く刹那は黙り込んでいた。考えているのだろうか?
「良いわね。それ採用!!」
それから一週間後。
私と刹那は、電車に揺られて田舎へと向かっていた。
「最寄りから二駅って、結構近いのね。」
「近いことには近いんだけど…二駅も離れると立派な田舎なんだよね…」
「そうね。周りが田んぼばっかりになってきちゃった。」
「私にとってはなんてことない風景だけど…刹那はこういうのってあまり見かけないのかな?」
「そうね…おぢばで天理に行ったことがあるからこういうのは体験したことがあるわ。」
「おぢばって…天理教の?」
「そう。私のお母さんが天理教なの。私は無宗教なんだけど…『一回行ってみたら?』って言われて行ったことがあるの。」
「なるほどね…それで、どうだった?」
「案外楽しいわよ。おぢばは天理教徒以外も受け入れてくれるし、子供同士の絆とか…そういった輪を広げることができるから。」
「へぇ…よかったじゃん。」
こんな感じで他愛もない会話をしながら、電車は田舎へとひた走っていった。
目的地に着き、電車を降りると…そこはまさに、絵に描いたような田舎の風景だった。多分「少年時代」をかければそれなりの風情が得られそうな風景だ。
「いやぁ~!!着いた着いた。」
「本当に綺麗な場所ね。」
「私が小さいころから全然変わってないよ。」
「そう言えば…ここに来るのは久しぶりって言ってたわよね?」
「そうなんだよ…どうしても忙しくって、中学卒業の前に行ったっきりでね…」
「5,6年くらいは来てないのね。」
「ばあちゃん、ボケてないかな…」
「行く前に電話した時はちゃんと会話できてたんでしょ?」
「まぁね…」
「それなら大丈夫よ。流石にすぐにおかしくなることはないでしょうし…」
こんな感じで他愛もない会話をしながら、私達は家へと向かっていった。
「ここがばあちゃんの家だよ。」
「立派ね…」
「早速入ろうか。」
「うん。」
玄関前の呼び鈴を押す。
暫く待っていると、扉がガラガラと開いた。
「あぁ、ハルちゃん。いらっしゃい。」
「ばあちゃん、久しぶり。元気にしてた?」
「ばあちゃんはいつでも元気さ。」
「そりゃ良かった…」
「そっちは友達の子かい?」
「そう。私の大学の同期の子。」
「高橋刹那です。暫くお世話になります。」
「礼儀のいい子だねぇ…何て呼べばいいかね?」
「刹那と呼んでください。」
「う~ん…セッちゃんでええかね?」
「あ…はい。」
ちょっと怪訝な顔をした刹那を見ていると、思わず笑いそうになってしまった。
中に通されて、麦茶を一杯もらってから刹那が突然切り出した。
「すみません。ちょっとお伺いしても宜しいでしょうか?」
「何だい?」
「遥ちゃんから、この辺りに歴史のある神社があると聞いているんですが…どちらにありますかね?」
「あぁ~…どこだったかねぇ…」
「ばあちゃん…覚えてないならほかの人に聞くから、無理しなくてもいいよ?」
「あ、思い出した。駅から…確か10分くらい歩けばあるはずだよ。」
「そこまで遠くないですね…ありがとうございます。」
「役に立ったんなら嬉しいよ。」
刹那はばあちゃんから話を聞くと、すぐに出かける準備を始めた。
「え?もう行くの?」
「当たり前でしょ?私は課題をやる為に遥ちゃんについてきたんだから…」
「そっか…何かあったらちゃんと連絡してね?」
「大丈夫よ。携帯だって持ってるんだし…」
「外、熱いだろうからお茶でも持っていきな。」
話を聞いていたばあちゃんがペットボトルに冷たい麦茶を入れて刹那に手渡していた。
「あ、ありがとうございます。助かります。」
「気をつけて行ってくるんだよ~」
「は~い!」
刹那が外に出かけた後、ばあちゃんは私に声をかけた。
「ハルちゃん、セッちゃんが帰ってくるまでにおいしいものでも準備しておこうじゃないか。」
「お…?ということは…あれを作るってこと?」
「そうそう。手伝ってくれるね?」
「もちろん!!」
こうして、私はばあちゃんと二人で夕食の準備を始めた。
ばあちゃんの得意料理…それは「オムライス」だ。
ばあちゃんは若い頃、洋食屋でウエイトレスとして働いていたことがあった。そのお店でまかないを作ってくれていたシェフに教えてもらったという「たんぽぽオムライス」がばあちゃんの十八番なのだ。
「たんぽぽオムライス」は普通のオムライスとは大きく違う点がある。それは、プレーンオムレツを切ってチキンライスを包む点だ。
そのため、中がふわふわのプレーンオムレツを作れないとおいしさに大きな差ができてしまうのだ。
「オムレツを作るのって本当に難しいもんだよ。多分だけど、ハルちゃんにはまだ作れないと思うね。」
「そ…そんなことないって!!」
玉ねぎのみじん切りを準備していた私は思わず大きな声で反論してしまった。
「じゃあ…作ってみるかい?」
大失敗した。
「ほ~ら言ったじゃないか。」
「…」
卵が完全に焦げてしまった。
「まぁ…料理は失敗しても食べられればどうにかなるもんさ。気にしなくていいよ。」
「ごめんね…」
「だから気にせんでええ。さっきも言ったがオムレツは本当に難しいもんなのさ。私だって何回も失敗してるんだから…」
「でも…」
「大丈夫。その失敗が次の成功を生むんだよ。」
「…うん。」
一方その頃…
「ここがその神社…良い…すっごく良い…!!」
刹那は神社に到着していた。
「佇まいと言い、趣と言い…すっごく風情を感じる!!」
ここだけ聞いていると何だかオタクみたいだ。(実際オタクなんだけど。)
本人に後から聞いた話によると、境内も歴史を感じさせながらも常に新しい雰囲気を醸し出していたらしい。
風景を見ていないからさっぱり分からないのだが、とにかく凄いってことなんだろう。
刹那は暫く中を探索した後、すぐ近くにいた神職に声をかけた。
「すみません。」
「はい、どうされましたか?」
「実は…」
刹那が事情を説明すると、神職は社務所にいると言う神主の所まで案内してくれた。
「はぁ…それでうちの神社を…」
「はい。良ければご案内していただけませんか?」
「分かりました。では参りましょうか…」
その後、刹那は神主の案内で神社を隅から隅まで案内してもらったそうだ。
「ありがとうございました。凄く参考になりました。」
「お役に立てて何よりです…」
(これでレポートが書ける…)
刹那はウキウキしながら家へと帰っていった。
「ただいまー。」
「あ、丁度刹那ちゃんが帰ってきた。」
「セッちゃんお帰り。どうだったかね?」
「素晴らしすぎました。神社そのものの歴史やこの町との密接な繋がり…色々と知ることができました。」
「そうかいそうかい…そりゃあ良かったよ。今ちょうど晩御飯が出来た所だから食べるかい?」
「はい…もうお腹ぺっこぺこなんで頂きます。」
「うわぁ…おいしそうなオムライス…」
「私の自信作さ。」
「あれ?遥ちゃんのそれって…」
「…焦がしちゃった。アハハ…」
「あ、遥ちゃんが失敗したやつなのね…」
「まぁ、自分で作ったやつだし…自分で食べようかなってね…」
「失敗してもおいしかったらそれはそれでありだと思うからいいんじゃないかな?」
「そうだね…」
ばあちゃんのオムライスに、刹那は大絶賛だった。
私の作ったオムライスは、ほんのちょっとだけ苦かった。でも、それもまた良い調味料な気がしてきた。
「さ~て、ご飯も食べたし…お風呂でも入るかい?」
「ここのお風呂、ゆったり広々で落ち着くよ~。」
「もう今日は色々歩き回ってへとへとなので、ありがたく頂きますね。」
と言う訳で…私と刹那は一緒に入浴することになった。
下宿の風呂場は一つしかないので、基本的に誰かと一緒に風呂に入ることはなかった。
同性なので、一緒に風呂に入ること自体変なことじゃ無い訳ではあるが…それでも何だか不思議な感覚だった。
「あ~…もう溶けちゃいそう…」
刹那は相当疲れていたようで、浴槽内で溶けかかっていた。
「そのまま沈まないでよ?うちのじいちゃんは一回沈んだんだからさ…」
「怖いこと言わないでよ。」
「アハハ…ごめんね脅かすようなこと言っちゃって。」
「…ねぇ遥ちゃん。」
「何?」
「…その、どうなの?」
「どうって…何が?」
「その…恋人とかさ、いるの?」
「…え?何急に。」
「いや…こういう場所ってさ、こういう話をした方が盛り上がるかなって…」
「やだなぁもぉ~…いるように見える?」
「…見えない。」
「待ってそれはストレートに言わないで欲しかったな。」
「ごめんごめん…」
「そういう刹那ちゃんは彼氏とかいるの?」
「…彼氏ってほどじゃないけど、同じ学部の別の学科にちょっと仲良くなれそうな人がいるの。」
「誰々?教えてよ…」
「それはね…h」
「これこれ!!はよ上がらんと二人とも茹でダコになってまうよ!!」
せっかくの恋バナ(みたいなもの)はばあちゃんの声にかき消されてしまった。
お風呂から上がると、二組の布団が綺麗に敷かれていた。
「私が布団敷いておいたから、ここでゆっくり寝なさいな。」
「何から何までありがとうございます。」
「さぁさぁ、もう遅いんだし早く寝るんだよ。」
「ばあちゃんは早寝早起きしないとすっごく怒るから寝た方がいいよ。」
「そうなんだ…じゃあゆっくり休ませてもらいますね。」
こうして、二人並んで布団で眠った。
しかし、夢が私を眠らせてくれなかった。
ぼんやりと見えてきた風景は、いつも見る風景だった。
(まただ…)
その風景はいつも夜だった。昼だったことは一度もなかった。
私は誰かに手を引かれて走っている。その「誰か」の顔は一度も見えたことがなかった。
私の隣には同じ人に手を引かれているもう一人の少女が見える。その顔もよく見えない。
ただ、顔の見えない二人には明らかに「焦り」の表情だけが見えた。
辺りにも沢山の人がいるが、どの人も一様に顔は見えない。
ただ、どの人も明らかに慌てふためいている。
何かに怯え、逃げ惑っているようだった。
次第にその理由がはっきりとしてくる。
辺りの家々は赤い炎に包まれているのだ。
そして、逃げ惑う人々の頭には「頭巾」があった。
流石にこれだけ見えると私にも分かる。
これは「空襲」の風景だと…
恐らく私達も空襲から逃れ、防空壕にでも行こうとしているのだろう。
でも、必ずその道中で私は何かに躓いて転んでしまうのだ。
転んだことによって握っていた手がほどけてしまう。
「誰か」は私の手を再び掴もうとこちらに駆け寄ってくるのだが…
ふと、空を見上げて…見えない顔に「恐怖」の表情を浮かべながら私を置き去りにして逃げてしまうのだ。
「待って!置いて行かないで!!」
そう叫んでも、止まることはない。
そんな私も、空を見上げる。
空には「ヒュー」と甲高い音を立てながら、街を焼き払おうとする焼夷弾が沢山浮かんでいる。
そんな焼夷弾が、私の真上へと落ちようとしているのだ。
体は金縛りに遭ったかのように全く動かない。
その音は次第に近づいてくる。
(逃げないと…)
そう思っても、1mmも体は動いてくれない。
音が近づく。
私にはどうしようもできない。
何で…何で…嫌だ!死にたくない!こんなことで死にたくない!嫌だ嫌だ嫌だ!!!
「うわぁぁぁ!!!」
私は大声をあげながら飛び起きた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
着ていたパジャマは汗でびっしょりと濡れていた。
「…だいじょうぶ?」
私の大声にびっくりしたのか、隣で寝ていた刹那が起きてしまったようだ。
「うん…大丈夫。問題ない…」
「あせ…かいてるじゃん…きがえたほうがいいよ…」
「分かってる。すぐに着替えるから。刹那はとりあえず寝た方が良いんじゃないかな。」
「うん…ねる…」
そう言うと、刹那は再び眠りについた。
(何なんだろうこの夢…毎回毎回同じ夢だし…しかも夏だけって…)
私は、冴えてしまった目をこすりながらずっと考えることしかできなかった。
そして、朝が来た。
私は当然眠れなかった。
「おはよう…ってあれ?大丈夫?何だか明らかにぐったりしてるけど…」
「大丈夫じゃない。今日も寝られなかった。」
「え、今日も?」
「うん。今日『も』だよ。」
「…ちょっと待ってて。おばあさんに言ってくる。」
暫く待っていると、ばあちゃんがやってきた。
「ハルちゃん…本当に大丈夫かい?」
「う~ん…大丈夫じゃないかな…」
「そうだよね…」
刹那も遠巻きに心配そうな顔で見つめていた。
「とりあえず…何が原因でこういう状態になっているのか教えてくれるかい?」
私はばあちゃんにこうなった経緯を伝えた。
「なるほどねぇ…」
ばあちゃんはしばらく沈黙した後、私にこう聞いてきた。
「ハルちゃんが何で『遥』って名前になったか、ハルちゃんは知ってるかい?」
「いや…聞いたことない。」
「実はハルちゃんに『遥』って名前を付けたのは私なのさ。」
「え…ばあちゃんだったの?」
「そうさ。」
「また何で『遥』なの?」
「それはね…私の妹の名前なのさ。」
私はばあちゃんに妹がいるなんて一度も聞いたことがなかった。恐らく、思い出したくない事を含んでいるかもしれないと直感で感じた。
「…その妹さんってもしかして、戦争とかそういうので亡くしてたりしない?」
「…そうだよ。」
---私は生まれた時から、この町に住んでいたわけじゃないのさ。ハルちゃんと同じように街の方で暮らしていたんだよ。でも…戦争がだんだん酷くなってくると、「疎開」しなさいってことになってね…私はこの町に逃げてきたのさ。
でも、それでも米英は攻撃の手を緩めてくれなかった。いろんな街に焼夷弾を落として回ったのさ。
この町の近くも次々とやられていった。いつここに来るかわからない。とても怖かったさ…
そしてあの日、空襲警報が鳴った時。「ついに来たか」と誰もが思ったろうね。
私と妹と母さんが一緒になって防空壕に逃げて行ったのさ。この時、父さんには赤紙が出ていてもう街にはいなかったんだ。
三人が手をつないで逃げていたその時…妹が転んでね。母さんが助けに行こうとしたんだけど、真上には沢山焼夷弾が落ちてきていて、助けに行ったら自分の命すら危ないって判断したんだろうね…母さんは妹を置き去りにして逃げたのさ。
「母さん!置いてかないで!助けて!!」って声がかすかに聞こえていたけど、全部大きな爆発音にかき消されていったよ…
空襲が終わった後、妹が転んだ場所まで戻ってみると…もう妹は真っ黒になってて…母さんと私は二人して泣きながら「ごめんね遥」って謝ったよ…---
「…」
「そう言うことがあったんですか。」
「あぁ。ハルちゃんの話を聞いて思い出したんだよ。」
「…」
この時、私の頭の中には尋常じゃないくらいのアイデアが沸き上がっていた。
これだ…これを絵として形に残さないといけないと確信していた。
ただ、今不眠状態の私が絵にエネルギーを割いてしまうと間違いなく倒れてしまうだろう。
でも、今このチャンスを逃すとおそらくアイデアはピタッと止まってしまうかもしれない。
どうすれば良い?
私は必死に考えた。
「遥ちゃん?」
「ばあちゃん。ちょっと準備して欲しいものがあるんだけど…」
「ちょっと待って。この状態で絵を描くつもりなの!?」
「そうだけど…」
「止めた方が良いと思うわ。今の状態でハイクオリティの作品が作れるとは思えないわ。」
「そうだけど、これを逃したらもう二度とチャンスが来ないような気がするの。」
「そんなの絶対駄目よ!命を粗末にするのだけは許さない…」
「セッちゃんの言うとおりだと思うね。無理はしない方が良い。」
「…じゃあ私のカバンにある薬を持ってきて。」
「薬って…何の薬?」
「ただの睡眠薬。今は睡眠をとってとりあえず体力を回復させる。私が寝ている間に刹那は画材の準備をお願い。」
「…分かったわ。無理だと思ったら絶対に止めるのよ。良い?」
「うん。」
「ばあちゃん、お昼ご飯の準備だけお願いね。」
「任せな。」
私はとりあえず眠ることにした。
悪夢は一日で一度しか見ない。それはばあちゃんの話を聞いて上での勝手な想像だけど、あの夢の時点で…私が「死んだ」ことになってるからだと思う。
実際いつもの生活に於いても、後味の悪い夢が頭からこびりついて離れない間だけ眠れなくなっているだけで、気が付いたら寝落ちしてしまっているとがほとんどだった。
そう考えている間にも…少しずつ睡眠薬が効いてきたようで…じわじわと視界がぼやけてきた。
「縺ゅ↑縺溘?隱ー?」
その時、言葉のようで言葉じゃないような何かが微かに聞こえたような気がした。
でも、もう私には眠りに抗う力は残っていなかった。
「遘√r隕九▽縺代※繧医?」
「縺薙%縺ォ縺?k縺九i縲」
「縺壹▲縺ィ蠕?▲縺ヲ繧九°繧峨?」
…
どれくらい経っただろうか。
私は深い海の底のように安定した眠りから浮き上がるようにして現実に帰ってきた。
「あ、おばあさん!遥ちゃんが起きました!」
「よく眠れたかい?」
「何とか…どれくらい経った?」
「6時間は経ってるね…」
「ってことは…」
「丁度お昼くらいだね。」
「なら良いや。刹那ちゃん、絵の準備は?」
「ばっちりだよ。イーゼルにスケッチブックもセットしてあるし、鉛筆と色鉛筆もばっちり。あとは…構図とかを考えてもらうくらいだね。」
「ありがとう。ばあちゃんの方は?」
「おいしい料理、ちゃんと準備できてるよ。セッちゃんも一生懸命手伝ってくれたよ。」
「そっか…ありがとうね。じゃあ食べよっか。」
三人でおいしい昼食をとったら、いよいよ絵画制作の時間だ。
広い庭にイーゼルと画材が準備されていた。
「う~ん…どこに合わせるかなぁ…」
私は画角をじっくりと検討した。
そして、一つ気になるものを見つけた。
庭に一本だけ植えられている大きな木だ。
「ねぇ、ばあちゃん。」
「何だい?」
「この木っていつこの庭に植えられたの?」
「そうだねぇ…確か戦争が終わってすぐ位だった気がするねぇ…あの頃は小さな苗木だったけど、今となっちゃここまで立派に育ってくれて…私にとっては人生を共に歩んできたような、そんな木なんだよ。」
「なるほどね…刹那、この木陰に椅子を持ってきてくれる?」
木陰に置かれた大きな椅子にはばあちゃんが座っている。
「私を描いてくれるのかい?」
「うん。」
「何だか嬉しいねぇ…」
「良い絵にするから…」
私は、絵を描く瞬間だけ眼帯を外すことにしている。
色を失った左目には右目に見えない景色が見えているからだ。
その景色は、どうも白黒の写真に写っているような古い景色のようだった。
この絵のテイストがばあちゃんととてもマッチしそうだった。
右半分に色鉛筆で色のある風景を描いていく。
その時、言葉のようで言葉じゃないような言葉が聞こえてきた。
「縺ュ縺??∬◇縺薙∴縺ヲ繧?」
その声に、私は思わず周りを見渡してしまった。
「どうしたんだい?」
「いや…何でもない。」
「縺薙▲縺。縺?繧」
声のする方を向いてみると…
左目の方だけに、小さな少女の姿が見えた。
これまで、左目の景色には一切人の姿は見えていなかった。
(これってもしかして…)
そう思った私は、少女に手招きをした。
「え…?遥ちゃん?何してるの?」
「気にしないで。」
「…さすがに無理があるよ。」
「出来た絵を見たら分かるから。」
そして、真っ白な左半分に着手した。
鉛筆だけで絵を描き上げるデッサンだ。
さっき寝たからか、思った以上に進みが良い。
1時間もしないうちに完成した。
「よし。こんなもんかな?」
「見せてくれない?」
「私にも見せとくれ。」
右半分に描いたのは椅子に座ったばあちゃんの絵だ。
左半部に描いたのは少女の絵だ。
この二人は手を繋いでいる。
見る人によって色んなメッセージ性を感じてもらえるであろう作品になった。
「これ…」
ばあちゃんは言葉が詰まっていた。
「遥じゃないか…」
「え?遥って…おばあさんの妹さん…ってことですか?」
「そうだよ…凄いよハルちゃん。」
「やっぱりそうだったんだ。」
「一体どういうことなの?」
「私の左目にだけ、女の子が見えたんだ。これまで左目の景色に人の姿なんか一回も見えなかったんだ。」
「それって…」
「間違いなく、ばあちゃんの亡き妹…遥さんだと思う。」
「じゃあ手招きしていたのは…」
「一緒に描きたかったからさ。」
「なるほどね…」
絵を見たばあちゃんは、ずっと涙を流していた。
「ありがとう…本当にありがとうね…」
少女も絵に釘付けになっていた。
「…」
暫く何も言わずに絵を見ていた少女は、私の方を見て微笑んでこう言った。
「繧「繝ェ繧ャ繝医え」
言葉のようで言葉じゃないような言葉だったが、私には何を言ってるのかがとてもよく分かった。
その口の動きは、間違いなく「ありがとう」だった。
満面の笑みを浮かべながら、少女が駆けていく。
私も手を振って見送った。
空はやけに真っ青で、馬鹿みたいに綺麗だった。
続く