夜空の鷹 作:首吊ヶ浜 麻縄
『デスマスク』を知っているだろうか。デスマスクとは、1900年代の芸術家の間では、少女のそれを『家に飾る』のが流行っていたとされる『死者の顔を石膏や蝋でかたどったもの』だ。
1880年代頃、フランスのパリを流れるセーヌ川のルーブル河岸から見つかり、引き上げられた身元不明の少女がいた。正確には、放置されていた。死んでいたのだ。暴行などの跡がないことから、自殺だと考えられた。
同じくパリの死体安置所、そこの病理学者は、少女の美貌に惹かれてしまった。少女の顔は死んでいるとは思えないほどに綺麗で、ニキビひとつもなくキメ細やかな肌、川から引き上げられたにしては整いすぎている見た目。そして彼女の表情は、好きな人に唇を差し出すように、ほのかな笑みをたたえていたのだ。
少女の美しさに心惹かれた人たちは、数々の模造品を生み出していった。後に心肺蘇生法の練習用人形『レサシ・アン』のモデルにもなる、この少女であったが、見逃せない幾つかの疑問が残ることから、『ミステリー』事件としても扱われる。
そもそも、なぜここまで彼女の顔が世界中に広まったというのに、誰も少女の正体を知らないと言うのか。川から引き上げられた死体だというのに、なぜ明瞭かつ整った容姿を保っていられるのか。なぜ身元が分からないのに、少女だということが分かっているのか。なぜ死んだというのに、微笑んだままでいられるのか。
このデスマスクを題材にして書いた短編小説では、男があまりに少女のデスマスクに夢中になったために、彼の妻が自殺し、娘も死んだという。彼女を繊細な蝶にたとえ、生命のランプへと手を伸ばし、その羽根を焦がした少女という描写をした者もいる。
死体にしては、出来すぎたデスマスクが、数々の芸術家を、いや様々な人たちを魅了した。本来は、それだけのミステリーだ。彼女は宇宙人か何かだったのではないか、なんてふざけたミステリーに持っていくつもりはないが。
そう、少女のデスマスクを造った職人が、こんなことを言ったらしい。『型を取った時、彼女はまだ死んでいなかった』と。生きていたのだ、と。
生きているように美しかったのか。それともあまりに美しかったために、生きたまま彼女のデスマスクを造ったのか。
私は、もし死んだとしたら、デスマスクなんてものを作られては困る。私の顔は、本当に見るに堪えないキズばかり。もともと不細工な顔が、さらに台無しになっているのだから。こんなものを人々に見られるなんて、死んでも嫌だ。
まあ、今、ビルから飛び降りたところなのだが。
ああ、私は、黒歴史を女の子に握られた男でもない。長男に転生したわけでも、ガールズバンドに甘やかされているわけでも。バイト生活の癒しも、天皇一族の子供に生まれるという待遇も、ヤンデレに監禁される生活も、最強のスタンドで無双する能力もない。逃げたい人(達)はいないし、陽だまりをくれる人も、手を惹かれる天才的少女もいない。神様転生して仮面ライダーになるなんて、以ての外だ。
いたって平凡とも呼べない私だが、ご都合主義に恵まれているわけではない。道を、踏み間違えただけだ。平凡より下、つまり下の下。
名前は、
この名前を読んだものは、決まって『いい名前だね』なんて苦笑いをする。内心ドン引きしている証だ。
さて、そんな私ではあるが、今ちょうど、地面に顔から着地したところだ。ビルの高さは39階。即死は免れない。
落下した時の浮遊感が、ジェットコースターを彷彿とさせる。地面に身体が叩きつけられてから数分。突然に意識が、一瞬で遠のいてゆく。筋肉や内臓に、骨が刺さる感覚。目が潰れて、前も見えない。肺も肋骨に刺されて穴だらけのようだ。痛いとも言えないとは。どうやら飛び降りは、自殺にはあまり向いてない手段のようだ。下調べでもしておけばよかったな。経験者に聞いてみたりとか。
教えてくれ、少女よ。水の中で死ぬのは、痛くなかったか。死ぬことは、そんなに嬉しかったか。
いま、確かに私は目を覚ました。そのはずであり、そのつもりだ。目を瞑っていたとしても、多少は蛍光灯なり太陽からもたらされる光が入ってくるのだろうが、それすらない。本当に、真っ暗だ。瞼の隙間から覗く瞳は、虚空を見つめているようで、なんだか怖くなってきた。
床を触ってみると、手が空を切った。2、3回スカスカと手を動かしてみるが、床と呼べるものは無さそうだった。だが、私は確かに横になっている。
いや、私も分からない。いま私は横になっているのか、どこかに立っているのか。どこかへ向かっているのか。どこを向いているのか。逆さになっているのか、上っているのか、下っているのか。暑いのか、寒いのか。
あれこれ考えても、しょうがない。恐らく、どうしようもできない。考えること。眠ること。考えても仕方の無いこと。色んなことが頭をよぎっては、タバコの灰のような小ささになって、やがて真っ暗な中に落ちて、消える。
目の前に、光が見えた。あんまりに一瞬なもので、見逃してしまったが、それに似たものが、ふたたび、みたび私の前で流れていく。丸い光が、炎を尾から放ちながら、どこかに落ちていくようだった。万有引力に逆らえないリンゴのような落ち方ではなく、横殴りの雨のような、それこそ流星群に似た光だった。
2回、人生の中で本物の流星群を見たことがある。突拍子もない思い出に自分でも驚きつつ、振り返ってみると、そこには茶髪の女の子が立っていた。
今井リサ。家族ぐるみの幼馴染にして、なんでも話せる良き友人だ。まだ中学生の彼女は、羽丘の中等部の制服を羽織り、私の肩に寄りかかる形で星座についての知識を語っていた。あれが夏の大三角だの、デネブが侑斗にどうだの。今では覚えていない知識がほとんどだが、ひとつだけ、鮮明に、それこそ昨日のように思い出せる、星についての話があった。
その時まさに降ろうとしていた流星群の、ペルセウス座についての話であった。ペルセウスはギリシア神話の英雄にして勇者で、その星座は古代バビロニアの時代から知れ渡っていたそうだ。しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群と並んで、三大流星群のひとつとして数えられるほど有名な流星群。当時の天気は快晴。羽丘の裏山から見た満天の星々は、黒い床に雑にばらまかれたように、空に散らばっていた。
空に貼り付けられた雑コラみたいな三日月が、こちらを見てニヤニヤ笑ってる。彼女はこちらを向いて、月が綺麗だと微笑んだ。本当に綺麗だと、心にもないことを呟いた覚えがある。月は嫌いだ。どこまで行っても、同じ位置にいて、追いかけられているようで。8月の暑さに、私は制服の半袖の第2ボタンを外す。
「もうすぐ、高校生だね」
「所詮、高等部へエスカレーターだ」
「でもさ! 青春したいって、思わない?」
「ああ。制服デートぐらいは経験しておきたいものだ」
「……そっか」
実際、そんな呑気なことを言っている場合ではないのだが。
私は、いじめられていた。本当にテンプレート的で、いじめといえばコレ! みたいなのを毎日のようにされていた。上履きの中に虫が入っていたり、机の上に花瓶と顔写真が置かれていたり。手の込んだ無駄だ。確かその後は、花瓶をクラスのリーダー格に投げつけて、病院送りにしたんだったか。やりすぎたと反省はしているが、直接殴らなかっただけ偉い。
もともと、そのリーダー格の彼女に少しイジられていて、そいつをブン殴って下半身不随にさせたのが、いじめの原因だ。自業自得と言ってしまえばそうだが、昔から私は気に入らないヤツを病院に送っては仕返しを受けてきた。その仕返しが、今回は少し手が込んでいるぐらいの違いなのだ。今更やられたところで、と言いたいが、私は実際、学校に行く頻度が減っていた。
高校に上がってからも、いじめは続いた。その度に主犯に怪我を負わせては、私が一方的にセンコーに怒られるといった調子の毎日が続いた。家族からは嫌という程に、カウンセリングを進められた。私は精神疾患や鬱病、心の病気(笑)なんてものにお世話になるつもりはない。自分がメンヘラや精神薄弱、どもりみたいな知的障害だと言われているのに、しょっちゅうムカついた。
自閉症みたいには、なりたくなかった。
「愛くん」
「ン?」
「また、見に来ようね。流星群」
「あ、ああ」
リサは首にかけたネックレスを外し、私のスラックスのポケットへ入れた。その手で、横にある私の手を握り、彼女は私の頬にそっとキスをしてくれた。どうして彼女は、こんなに優しくしてくれるのだろう。いま私を取り巻く状況は、確かに私が引き起こしてしまったものだ。それを知っていてなお、私のそばに寄り添っていてくれる。
ふと、唇の触れた頬を触ってみると、クラスメイトにバタフライ・ナイフで裂かれた皮膚が、剥き出しになっていた。最初こそ、軽く穴が空いているぐらいの傷だった。飲み物が穴から零れることもあった。
片目にはコットンの眼帯。髪はブリーチで傷んだピンク色。改造した制服も所々が引き裂かれていて、服の下だってタバコの火を押し付けられた跡や、リストカットの跡。背中には直接針で刺繍された桜吹雪の模様がある。自分でつけた傷も、他人からつけられた傷も、全て私のせいだ。仕方ないし、どうしようもない。この醜い身体、決してイケメンとも呼べない顔が、いじめを加速させた。
たとえば、チーズ牛丼を頼んでいそうな、頭も良くないのに教室の隅で分厚い本を読んで周りと違うアピールをしているイキリ陰キャも、私よりは上だと思っていたので、弱っちい拳で私のことを殴ってきた。貧相な語彙力で私を罵倒するもので、少し腕をひねってやったら、肘が反対方向に折れてしまったことがあった。これこそ、本当に貧弱なイキリ陰キャみたいだが、奴よりは強いつもりでいる。外面も、中身も。
それから3年。高校2年生になってからも交流は続いており、今日はリサから『また流星群を見たい』とのメールが来た。3年前と同じ、8月のことだった。どうやらガールズ・バンドの一員らしく、幼馴染ながらも私のことを嫌っている友希那と、一緒に活動しているらしい。たまに友希那に隠れては、私のところに来てくれていたものの、こうして流星群を見に行くのはあの日以来だった。
制服から着替えるのが面倒で、家に帰って寝てから、そのまま羽丘の裏山へ直行した。草むらに大の字になって寝転んでいる彼女も、また灰色の制服だった。
「リサ」
「愛! もうすぐだよ、早く!」
「家を抜け出したのか?」
「まあねっ」
「私が言えたことではないが、家族に心配をかけるなよ」
私が隣に座ると、彼女はあの日と同じように、私の肩に寄りかかってきた。手を絡ませようとしてくるも、その手は草むらの中で空ぶった。そこにあったのは、手首から先がない私の左腕だった。
彼女は、ひとしきり戸惑うと、私の腕にしがみついて泣いた。下に見える夜景の街中に響くぐらいに、大きな声で泣いた。どうして。なんで。返して。そんなことを言いながら、えんえん、延々、泣いていた。こんなものは、くだらないヒステリックな集団心理の産物だ。
しゃっくり混じりで、すっかり疲れたすすり泣きをするリサの頭を、右手で撫でてやる。
「どうして泣くんだ」
「……だっ、て…………手がぁ……」
「上を見ろ、もうすぐ流星群が降る」
「……愛……」
「泣くな」
私のために、泣いてくれているのか。それとも、情緒が安定していないのか。そんなことは私が知った事ではない。だが、私は、リサのために泣いていた。
来世なんてバカバカしいものがあるのなら、どうしてやれば、リサのことを思い出せるだろう。鳥になって、籠の中でペレットを貪りながら、汚い声で彼女を起こせばいいのだろうか。人間になって、また傷だらけの身体で、あなたに会いに行けば良いのだろうか。
私も、寄り添っていたい。彼女が傷ついたら、私が盾にでも剣にでもなって、守っていたい。
翌朝、起きると横には、服を着ていないリサが、静かな寝息をたてて眠っていた。何回斬られても、そこまで痛まなかった胸が、正確には胸の奥が、締め付けられるように痛んだ。傷んだのだ。また、目から涙が零れた。悲しみが蓋で抑えきれなくなったかのように、自然に、あふれてきた。
ごめん、ごめん、と何回も言いながら、リサを抱きしめていた。数分後、目を覚ました彼女は、学校を休もうと言った。バンドの練習も休むと連絡を入れると、彼女は横に置いてあった服を着て、私の片方の手を引いた。
学校から少し離れた都会に行き、リサはゲーセンへ私を引きづって入った。
この中で遊ぼう。一緒にご飯も食べよう。そのあと、私の家に来て、ひとしきり抱きしめ合おう。
そんなことを言ったあと、彼女は私とプリクラのカーテンの中に入った。彼女たっての希望で、思い出を残したいとのこと。400円も料金を払って、宇宙人みたいな加工をされるなんて、なんだかおかしな話だ。というか、人生の中でプリクラを撮ったことが、一回もないのだ。
撮った写真に写ったリサも、また可愛いものではあったが、肉眼で、この目で見たほうが可愛いのは間違いない。本人が気に入っている様子だし、別にいいけど。
昼飯のイタリアンに行く途中、道端にうずくまって泣いている子供を見かけた。リサが事情を聞くと、母とはぐれてしまったようで、さっきまですすり泣いていたのが、大泣きに変わってしまった。リサが母を探してくる間、私が面倒を見る事になった。
子供は私を見ると、笑いだした。左腕はまるまる無くなっているし、不細工な仏頂面がなおさらおかしい、と。私は、何も言わなかった。こいつの言っていることは、何一つ間違っていなかったからだ。口だけの奴を殴って満足するような趣味はない。
しばらくして、リサは戻ってきた。無事に母親を見つけてきたのだ。子供は、私の背中に乗って遊んでいるところだった。
母親は、私の手から迷子、もとい我が子を引き離すと、盗人を見るかのような目で私をにらんだ。そのあと、迷子の子供は私の姿をマジマジと見てから、笑いだした。変な顔。小さな瞳。傷だらけ。枯れた声。母親に似てブスな子供は、苦しくなるほど笑ったあと、気持ち悪い、とつぶやいた。
どう、どう、どどう。どう、どどう、どうどどう。
風が吹いた。
死にたい感情を、簡潔に。