夜空の鷹   作:首吊ヶ浜 麻縄

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執筆は楽しいですね。




 後ろから、肩にぶつかってきた奴がいた。190はあろうかという、チンピラみたいな大男だ。どこ見てんだ、とガンを飛ばし、私のローファーに唾を吐いた。

 

 が、相手がクソエイムだったのか、それは外れ、リサの足元に飛び散った。直撃はしていないが、数滴は飛び散ったろう。

 

 殴る理由にゃ十分すぎるぜ。

 

 私は奴の股ぐら目掛けて蹴りを入れ、怯ませる。その後、首根っこのところを掴んで、思い切り力を入れてみる。そいつの口から、泡と共に血が吹き出した。

 

 そのまま蹴り倒し、馬乗りになって、おっかなさそうな顔を何回も殴る。何回も、何回も、だ。もはや二度とステーキが食えそうにない口内環境に、私の拳のせいで、変わってしまっているようだ。ざまあないぜ、お粥だけ食って細々と暮らしていけばいいのさ、こんなやつ。

 

 片手だけでここまでやれるのだ。大したことの無い相手であることは確かだった。

 

 リサが後ろから、私を羽交い締めにした。今にも泣きそうな声で、やめて。やめて。と言うのだ。

 

 私は、思わず動きを一瞬止めてしまった。もう一度、拳を振りかぶろうとすると、ピクリとも腕全体が動かなかった。そのまま私の手は、だらん、と肩にぶら下がる形で垂れ下がってしまった。

 

 力が抜けた。どこかツボを抑えられているわけでもないのに。何故だ。

 

 突然、目の奥が熱くなった。焼けそうな熱とともに、心と瞼に、どこからともなく、なにか暖かい水のようなものが溢れそうになった。

 

「離せェ、リサ」

「……もう、傷つかないでよ」

「殴ってるのは私だ」

「違う!! (らゔ)の手は! 拳は!! 今も傷ついてるよ!!」

「痛くも、痒くも、怖くも、ない。私は醜い怪物か何かなのだから」

 

 嘘だ。私は今、ほんのちょっとの恐怖を、あんたに感じている。

 

 拳の先、骨が出っ張っているところから、血が出ていた。比喩でもなんでもない、『ただのかすり傷』……。

 

 最初に痛覚が走ったのは、心臓のあたりだった。切りつけられるようなものでもなく、かすり傷から血が滲むようなものでもなく。締め付けられ、血が行かなくなるような、そんな、そんな痛みだった。

 

 リサの声が、鋭い刃物のような、削りたての鉛筆のような、とにかく尖りに尖った何かに変わって、私の胸に刺さっているようだった。かえしでもついているのか? それは、私の胸から簡単には抜けそうにない。

 

「やめてよ。もう、傷つかなくていいんだよ」

 

 いっそう、胸の痛みが強まった。瞬間、私の頭の中に、今までのリサとの思い出が、まざまざと浮かんだ。

 

 初めてプレゼントをあげた時、泣いてまで喜んでいたこと。初めて言い合いをして、その数分後にはまた仲良くゲームをしていたこと。お互いのワガママを聞いて、それにできるだけ応えようとしたこと。

 

 私と一緒にいるせいで、リサが殴られたこと。そいつを気絶するまで殴ったこと。

 

 怖くなった。リサは、私を苦しめようとしていると思ったのだ。

 

 私は、その場からアテもなく走り出した。何処に行くというわけでもない。信号も、人混みも、目の前に立ち塞がる何もかもを無視して、リサから、その場から、逃げた。

 

 どれだけの人に、冷たい目で見られながら走っただろうか。それもそうだ、私は泣きながら、叫びながら、そう、元々崩れたような顔をさらにぐしゃぐしゃにして、泣き叫びながら走っていたのだから。

 

 気がつくと、そこには青々とした芝生が広がっていた。といっても、今は夕陽でオレンジ色に染められているが。

 

 立っていたのは、今朝いた裏山だった。無意識にここに向かって走っていた、とでも言うのか。自分の甘さに嫌気がさした。

 

 東京の、グレーの街並みに、夕陽が尻まで沈みかけていた。太陽なんか、ちっとも綺麗なんかじゃあない。清少納言も、サザンも、オレンジレンジだって、ウソツキだ。

 

 制服のスラックスのポケットから、カッターを取り出した。4目盛りほど刃を出し、胸に切込みを入れる。何か、硬いものに刃が当たった。骨か? いや、皮膚よりも表だ。

 

 気づけば、それはリサから貰ったネックレスだった。

 

 身体から離して、もう一度、勢いよく刃を入れる。ネックレスは砕けず、その横をカッターがかすめ、通った。シャツ越しに、血が流れるのが見える。まだ、生きている。

 

 自分みたいなのが、地上の酸素を消費するだけの私が、誰かの役に立ってもいない私が、また嫌になった。自分を含めて、この世の全てに希望を持つことをやめた。もうそろそろ、生きるのが辛い。

 

「やっぱり」

「リサ、こちらに来るな。どうせ私はもうじき死ぬつもりだ」

 

 後ろから聞こえてきた声は、間違えようもない、食器で食器をこするような、しゃっくり混じりの泣き声を鳴らす、今井リサの声だった。

 

「どうして、来る? どうして、私に優しくする?」

「知らない。キミがそんなに死にたい理由も分からないし、アタシは、なんでキミを守りたいのかも分からない」

「私は、もう疲れたんだ。ひとつひとつを見れば些細なものかもしれないが、生憎、私は強くない」

「アタシに守らせてよッ!! キミはいっつも、気づけばひとりぼっち!! どうして周りを頼らないのッ!? そんなに周りが信用できない!?」

「何も分からないのに?」

 

 胸ぐらを掴まれ、リサに私は地面に押し倒された。カッターが手から離れ、跳び、土の地面に突き刺さる。

 

「分からないからって!! あんまりに哀しいからって!! それを分かろうとする気持ちを、止めちゃダメなんだよ!!」

 

 鼻に、彼女の唾が飛んだ。

 

「………………そしたら……人は……人の心は、死んじゃうから……………………」

 

 それから数秒して、大粒の涙が、メイクをせずとも二重でくっきりとした瞼の裏から、私の顔に垂れる。

 

 泣き虫だ。人のためを想ったり、自分の甘さが悔しかったりして、リサはしょっちゅう泣く。

 

 私は怖かった。ああ、彼女に離れてほしかったのだ。近いのが嫌なのだ、唾でも、涙でも、小便でも、いくらでも飲んでやれるが、彼女が私のためを想って泣いていることだけが嫌だった。

 

 それがお世辞でも、お情けでも、だ。

 

「リサ。好きだ」

「……………………ッ?」

「お前が好きだと言っている」

 

 何分、彼女は呆けた顔をしていたろう。そのうち、力なく私の胸に顔を埋めた。額のあたりを、傷口にこすりつけている。

 

 血の匂いをつけているとでもいうのか。

 

 女というのは、人というのは、御しがたい。

 

「…………いいのかよ……」

「何がさ……」

「私は!! お前が好きなんだぞ!! 殴れよッ、気持ち悪いって言えよォ!! 罵らないのかよ……なんで抱きしめるんだよ……バカかよッ!!」

「人を好きになっちゃ、いけないって言うの?」

「私は……人じゃない。醜い『よだか』のようなものだ」

 

 顔を上げないまんまで、彼女は力なくつぶやく。

 

「愛だって、立派な人間だよ。私が、それをイチバンよく分かってる」

「…………」

「ねえ、こっち、見てよ」

 

 ずっと、彼女の手についた私の血を見ていた。はじめてリサの顔を見たとき、私は思わず声が出てしまった。

 

 美しすぎたのだ。

 

 それはまるで、精巧に作られた人間大のドールのような瞳。外国人顔とまではいかずとも、高い鼻。ちょうどよく厚い、ツヤのある薄ピンクの唇。

 

 ルネサンス期の代表的な絵画、また彫刻、また女神。それらにも似た、後光のさすような、哀れみの涙が私の顔を伝う。

 

 彼女の頬は、自身の涙と、私の血で濡れていた。いや、塗れていた。

 

 メイクが落ちているのも気にせず、彼女は、私にぐいと顔を近づけた。元が美人なんだ、こんなに飾り立てる必要は無いというのに。

 

「アタシは、キミに救われたんだよッ!? ……アタシはね…………キミが欲しかったんだよぉッ…………!」

「……ウソだ…………私を……騙して……」

「信用してよッ!!」

 

 私の首を直に掴み、一回だけ揺さぶる。

 

「キミが好きなんだよッ!! 愛ッ!!」

 

 遅れて、脳が震えた。頭蓋骨とは、プリン、あるいはゼリー、あるいは豆腐のように柔らかな脳本体を守るためにある、堅牢な鎧。

 

 しかし、それを掴んで中を揺らしてしまえば、ひとたまりもない。脳は単に柔らかなだけでなく、ちょっとした衝撃にも弱い。この差が大きいのだ。

 

 たまにボクシングでも見る光景──あえて顔の頬や顎、もしくは顔全体に打撃を加えるよりも、顎の先だけを拳でほんの少し掠めて強い脳震盪を与える──だが、私の場合、これは恐らく脳震盪なんかじゃあないということが分かった。

 

 脳の中の汁が、血が、絞り出されるように、頭蓋骨の中が暖かいスープのようなもので満たされていく。

 

 この感覚に覚えはない。が、うっすら、ほんの少しだけ心当たりはあった。心地よい、感覚。

 

 身に当たる、芝生や風、その全てが心地のよいものだ。最早、ここが既に天国で、私は何かの手違いで極楽浄土の地へと足を踏み入れてしまったのではないかと感じた。

 

 リサの涙と、私の涙が、首筋で混ざる。

 

「リサ。ありがとう」

 

 きっと、これは『幸せの絶頂』というやつだ。

 

「ううん。アタシこそ」

 

「ありがとう、愛。大好きだよ♡」

 

 数分後、私はケジメをつけた。この世に別れを告げる決心だ。

 

 私は、リサを想っているのだ。

 

 だから、私は、私の死を死にたい。

 

 私はリサと別れたあと、近くの駅ビルの屋上に登った。柵を乗り越え、淵にカカトを乗せる。

 

 親身(すき)

 

 陶酔(すき)

 

 恋慕(すき)

 

 情炎(すき)

 

 憧憬(すき)

 

 寵愛(すき)

 

 思慕(すき)

 

 愛染(すき)

 

 景仰(すき)

 

 仁愛(すき)

 

 ああ、だから、私は今井リサを愛していたのだ。

 

 恐らく、この世の『好き』に値する言葉の全てを、あなたに求めていた。私が押し付けていた。

 

 追慕のひとつでもあれば、私はそれで十分なのだ。

 

 死のう、死のう、死のう、死のう。

 

 そして、家の近くのビルから飛び降りた。しばらく耳に、人々の悲鳴が混じった動揺と、カメラのシャッター音が聞こえてきたが、今やそれすら聞こえない。

 

 何も見えず、何も聞こえず、何も喋れず。

 

 ああ、見てくれるかな。リサ。これが幸せの絶頂にある男の死。これが、私なりのケジメのつけ方だよ。知るのはニュースか、SNSか、それとも人づてのウワサか。

 

 私はこれより、人間の肉体を捨て、更に高次元の存在へと生まれ変わるのだ。この世に肉体という容積を要する会話の形式を不要とせず、私は、思念のみで彼女と永遠に語り合うのだ。

 

 私は、生まれ変わるなら、星になりたい。空から、リサのことを見守っていたい。彼女からは遠く離れていて、抱きしめられなくなっても、キスができなくっても。億年兆年億兆年の遠さにいる、星になりたい。

 

 光が届くのは、何年先か。

 

 ああ、そうか。リサがこんなに優しい理由が、なんとなくだけど、分かってきた。

 

 私の妄想だ。

 

 今井リサなんて、いるはずがない。

 

 あの日から、私は何回も、存在しない存在と会話を繰り返していた。

 

 誰かに殺されたという訳ではない。ましてやどこかに引っ越した訳でもない。もとからいるはずがない、という意味だ。全て、私が作り出したものだ。

 

 流星群を見たあの日から、私のそばにはリサがいつもいてくれた。唯一の幼馴染の湊友希那に蔑まれ、学校で殴られ蹴られ、家に帰るといつもいてくれた存在(イマジナリー・フレンド)

 

「愛」

「………………」

「ねえ、まだ生きてたい? それとも、逃げたい?」

「…………私は、星になりたい」

 

 昼より、夜の方が好きだ。太陽より、星の方が好きだ。私は、思ったことをそのまま、質問の答えにもなるか怪しいようなものを口にした。

 

「そっか。愛がどうなるかはアタシには分からないけど、なれるといいね。あの星空の一部に」

「何光年か離れてるけど、必ず光ってやる。今度は、うまくやってみせるよ」

「うん。頑張ってね☆」

「ああ。約束だ」

 

 いかにもな希望に満ちた言葉と共に、私は今井リサに、私に別れを告げた。

 

 他人から見れば、バカバカしく思えてくるかもしれない。だが、これは決心だ。現世で『よだか』だった私が、星に生まれ変わるチャンスなのだから。

 

 もう一度、目の前を何かが尾を引いて落ちた。

 

 意識の中で、そっと瞼を閉じた。開いても閉じても同じような、終わりのない闇の中で、あの日の流星群を思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………愛が……死んだ……………………?」

 

 そう聞かされたのは、愛が行方不明になったと聞いてすぐのこと。湊友希那、17歳の時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 終




バンドリの規約が厳しくなって、私の企画している数多のクロスオーバーがグレーゾーンから完全なるアウトになってしまいました。ぴえん超えて祇園。まぢ京都……もぅ無理、法隆寺で柿食お……。
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