凛との絡みが難しかったです。もっと上手くかければいいのに。大河との絡みはサクサク筆が進んだのになー。
前話のまえがき詐欺になってしまい、すみません。
4月に入り、忙しくなって更新速度が遅くなりそうです。気長に待って頂けると嬉しいです。
キーンコーン。
授業開始を知らせる予鈴が、廊下に鳴り響く。
急ぎ足で廊下を進んでいたアーチャーは、その鐘が鳴り終わる前になんとか教室へ滑り込んだ。
(やれやれ、どうにか間に合ったか)
席に着くと同時に、担当教諭が入室してくる。
鞄から教科書やノートを準備しつつ、アーチャーはこうもギリギリになってしまった原因を反芻してみた。
(……やはり、美綴綾子の一言が原因だろうな)
朝の部活動中、アーチャーは桜の助言に従って、後ろから大人しく見ていることに徹していた。もちろん後輩に指摘を飛ばしたりもしたが、射を行うことは考えていなかった。
しかし、部活動の終了の時間が迫ってきた頃になって、現弓道部部長の美綴綾子がアーチャーに向かって、射を見せてくれと頼んできたのだ。……いや、あれは頼んだのではなく脅迫だったか。渋るアーチャーに対して、見せなければ朝の桜とのやり取りを学校中に言いふらすとイイ笑顔で宣告してきたのだ。
(いったい、いつから見ていたのやら)
アーチャーは美綴の気配に気づけなかった己を恨んだが、それ以上に美綴の真剣な眼差しを前に、断る理由を失くした。
「いつもと違う、あんたの射が見たいんだ」
アーチャーは仕方なしに一射だけ弓を引いた。
己にとっては戦闘の一戦法として弓術を用いてきたのだが、この時ばかりは、弓「術」ではなく「弓道」としてこの射に努めた。敵を討つためでは無く、在りし日の初めて弓を引いた頃と同じく、作法に則って精神の一点を引き絞り、的に当てることだけをイメージし、弦を放した。
矢はアーチャーの思い描いた軌跡を寸分違わずになぞって、的の中央の一点を貫いた。
ただ無心に「弓道」として射を行うことの手ごたえに、アーチャーは淡く感慨と郷愁を覚えてしまったが、大変だったのはその後だ。
片付けの最中だったにも関わらず、いつの間にかシンッと静まり返ってしまった弓道場に挙がった拍手と歓声。後輩たちから詰め寄られ、同級生から肩や背中を叩かれる中、なんとか抜け出し制服に着替えられたのは、授業開始時間のギリギリになってからだ。
(まさか彼女に勘付かれるとは。さすが凛と対等に付き合うだけの人物だ)
アーチャーとて、衛宮士郎のフリをすることに手を抜いたつもりは無い。おまけに勝手に衛宮士郎の『知識』が浮かび上がるのだ。下手に誤魔化すこともなく、桜を含め他の弓道部員とは上手く接することができた。
その中で美綴綾子だけはアーチャーに気付いた。確証は無くとも、いつもの衛宮士郎ではないと判断したのだ。
僅かな違和感も見逃さない観察眼と、その結果を気のせいと流すことなく掴む心の在り様。それらをもってすれば将来は一門の人物になるに違いない。
一限目の授業が終わり、次の授業への移動のため、廊下へと出る。
高校の授業はアーチャーからしてみれば、既知の事柄をなぞるようなものであったが、ノートは律儀に取っておいた。教師の口頭での説明に加え、アーチャーの見解も添えてある。
これは別に衛宮士郎のためではない。後で受講できなかった授業についての文句を封じるためだ。
(あれだけ書けば、小学生でも理解できよう)
アーチャーは内心で頷き、足早に歩を進める。
階下へ向かう途中、前方に豊かな黒髪をリボンで二つに結わえた女子生徒が見えた。視線は手元に集中しており、こちらに気付いた様子は無い。
アーチャーは軽く挨拶はしておくかと思い、声をかけるタイミングを見計らって近づいた。しかし、彼女の手の隙間からキラリと光を反射するものを目にし―――ぎくりと体を強張らせる。
少女の手元にあるは磨かれた水晶。
彼女が扱うそれは―――確か探索用の魔術礼装だったはずだ。
アーチャーはすぐさま魔術回路を閉じた。普段、魔力生成のために無意識に励起しているものも含め、一切漏らすことの無いように遮断する。
「えっ、あれ? ……やっぱり勘違いだった?」
困惑した表情を浮かべる少女に、アーチャーは先手必勝とばかり声をかけた。
「おはよう、遠坂。何をのぞき込んでるんだ?」
「うえっえええ衛宮君!?」
黒髪の少女―――遠坂凛は、家訓である優雅からは程遠い奇声を上げて飛びのいた。
アーチャーは水晶が己に反応したことを、凛に気付かれないようにと、混乱を狙って声をかけた訳だが――――――人気が無い廊下で油断もしていたのだろう、昨夜の魔術師として対峙した時とは違う年相応の反応に、彼女がいかにこの状況を乗りきるのか、意地悪くも試したくなってしまった。
魔術は基本的に秘匿すべきもの。そして水晶を片手に進む姿を一般人である衛宮士郎に目撃された彼女は―――
「こ、これはそう、えーっと占いなの! 石を使ったダウジングみたいな!」
(……その言い訳は、ほとんど白状したも同然だと思うぞ、凛)
アーチャーは思わず苦笑いをしてしまうのを抑えつつ、
「へぇ、それで埋蔵金でも見つけ出すのか?」
と惚けて返事を投げた。
「そそ、そうなの! やっぱり埋蔵金を掘り当てるのって夢があるわよね!」
凛は幸いとばかり受け取って、どうにかそれで誤魔化す方向にしたようだ。
だが凛のそれは、優雅とは言えない現金な発言だ。他の生徒がこれを聞いたら、学園のアイドル像にピシッと亀裂が入ったことだろう。
もっとも、そう仕向けたのはアーチャーだが。
「まぁ、遠坂らしいけど。授業には遅れるなよ」
「ええ! そろそろ私も移動するわ! ではご機嫌よう!」
凛は制服のポケットに石を乱暴に入れて、くるっとその場で身を翻す。そして、そのままの勢いで一歩を踏み出し―――空を踏み抜いた。
「あっ」
(姉妹そろって足元不注意とはな!)
背後は下りの階段。宙に投げ出されるは少女の肢体。
アーチャーは必死に腕を伸ばす。
―――かつての聖杯戦争で同盟を組んだ少女。魔術師として半人前であったエミヤシロウを戦えるように手を貸してくれた。
―――いつかの聖杯戦争で共に戦うパートナーとして傍らにいた少女。過去の己の抹殺というパラドクスによる消滅を願い、彼女を裏切った。
しかし彼女は最後には、アーチャーを笑顔で見送ってくれた。
理想を追い求め、理想とはかけ離れたものになった自身を憎むしか出来ず、己の過去と対峙し敗北したアーチャーへ、頑張って、と言ってくれた。
自身を好きになれるように、あなたも、と。
目の前の彼女はその遠坂凛では無い。それは理解している。
それでも――――遠坂凛という少女はアーチャーにとって特別な存在に入るのだ。
「凛っ!」
少女の青い瞳とアーチャーの視線が交差する。
大きく見開いた青に映るは赤毛の少年―――衛宮士郎。
腕の長さは本来のものより短く、彼女には届かない。
だが、遠坂凛は掴み取った。
自ら腕を伸ばすことによって、アーチャーの僅か足らない距離を埋めた。
白い華奢な手から伝わる、確かな温もり。
アーチャーはその温もりを放さぬよう強く握りこみ、彼女を強引に引き上げる。
いつかの再現のように、アーチャーの腕の内に入る身体。
そこでしっかりと抱き止められたら良かったのだが――生憎この身体は衛宮士郎のもの。彼女を引き上げた反動で、尻餅をつく羽目になってしまった。
あまりのかっこ悪さに若干顔を赤らめつつ、アーチャーは凛の様子を確かめる。
「大丈夫か、遠坂」
「ええ。おかげさまで。それより……さっき凛って」
……遠坂家のうっかりが移ったか。アーチャーは動揺する気持ちを抑え、何食わぬ顔で言った。
「――――学園のアイドルの下の名前を、ただ呼んでみたかっただけだ。気を悪くしたんだったら、ごめんな」
「っそ、そんなこと無いわよ!」
凛は顔を赤くしながら、アーチャーの言い訳を否定する。
その彼女の態度に少しだけ胸が温かくなったのは……どうしたことだろうな。
「さ、もうそろそろ予鈴が鳴るな。今度はちゃんと足元の心配をしておけよ」
そんな凛に、伝えるべきことがある。
間桐家に引き取られた血の分けた実の妹、桜のことだ。
凛が間桐家に関して不干渉を徹底しているなら、知りたくとも遠目に見るくらいしかできないだろう。
今朝の様子を見る限り、間桐桜は元気にしている。凛が心配するようなことは無い。
このことは衛宮士郎の姿である今だからこそ、彼女に告げることができるのだ。
こればかりは、このおかしな現象を起こしているカードに感謝してもいい。
アーチャーは自然と浮かんだ笑みと共に言った。
「それと―――桜についても心配いらないからな」
「ちょっと、それどういう……」
キーンコーン、カーンコーン
凛の言葉を遮ったのは、次の授業を告げる予鈴。
アーチャーは凛の言葉の続きを待たずに、その場からすぐに離脱した。幸い、次の教室は階段を下ったすぐの場所であり、予鈴が鳴り終わる前に教室に入る。
さすがに凛も授業中の教室まで追いかけては来ないだろう。それに凛自身の授業もある。
(あれで探査など頭からすっぽ抜けてくれればいいが)
アーチャーが桜のことを告げたのは、凛を安心させる以外にも狙いがあった。
凛がポケットに水晶をしまう直前。アーチャーの鷹の眼は水晶に灯っている星粒のような光を捉えたのだ。
昼間の陽光の下では紛れてしまうほど微かなものだから、凛も見逃したのだろう。
あれは確実に、アーチャーが鞄に忍ばせたクラスカードに反応していた。
凛が冷静に探査を続けるのなら、いずれアーチャーの下へ辿り着いてしまう。だからアーチャーが対策を講じるまで、凛には他のことで頭を悩ませてもらうことにしたのだ。
今頃、なぜ衛宮士郎があのタイミングで桜のことを自分に告げたのか、と彼女の頭の中で疑問がグルグル駆け回っていることだろう。水晶には目もくれないはずだ。
アーチャーは授業が終了すると同時に教室を出て、人目の付かない場所を探した。
クラスカードへの対策を、授業の合間に済ませてしまおうと考えていたのだが―――ついつい生前の悪い癖がでてしまった。
泣きそうな顔で必死に草むしりをしている整美委員を、見るに見かねて時間いっぱい手伝い、次の休み時間では、明らかに許容限度を超えたプリントを運ぼうとしている女子生徒の手助けをし、更に紙詰まりを起こしたコピー機の前でおろおろしている教師を目撃してやむえず必要な処理をしたり、また校舎裏ではカツアゲ場面に遭遇し、学園の平和のためと軽く捻ったりと、なかなか時間をとることができなかったのだ。
そして、とうとう柳洞一成との約束のある昼休みにまでなってしまった。
もっとも凛のことだから、アーチャーを直接問い詰める以外に悩みは解決しないだろうと予想が立っているからこそ、他人の手助けを優先させてしまったのだが。
「今日の弁当は、ことさら美味しそうに見えるな」
一成がアーチャーの弁当の中身を覗きこんで言う。
備品の修理を目的に生徒会室を訪ねた訳だが、先に昼食をとることにしたのだ。
「朝の残りを詰めただけなんだけどな。ついでだから一成の分も持ってきたぞ」
アーチャーは別の容器に入れてきた煮物を一成に渡す。
寺の息子である一成の食事は基本的に精進料理が多い。食べ盛りの男子高校生には物足りないだろうと、肉を多めに盛り付けておいた。
「かたじけない。ありがたく頂戴する。にしても今日の衛宮はやたら気が利くな」
「そうか? いつもこんな感じだろ」
「いやいや、おかずの一品を別に用意してくれるのは今日が初めてだ。いつもは摘まんだりさせてもらうだけだったからな」
「――……今日は特別、煮物を多く作り過ぎただけだからな。毎回こうだとは思わない方がいいぞ」
「うむ、承知した。―――あー、これは美味い! 飯が進むな!」
満足そうに弁当をかきこむ一成に、アーチャーはほっと胸を撫で下ろす。
あくまで衛宮士郎の日常を演じているのだ。あまり後を引くようなことはするまい。
その後アーチャーは余計な口を利かないようにし、一足早く昼食を済ませると、さっそく修理に取り掛かった。
未熟だったころとは違い、地味な解析魔術なら一般人に悟らせることなく行使できるアーチャーにとって、修理すべき個所を見つけるなど造作もない。
ロッカーに入れられた道具箱からドライバーやらニッパーやらを取り出し、次々と処置をしていく。ついでとばかり他のものにも解析をかけてみると、見過ごされた箇所や粗い処置の部分が見つかった。
(ふん、未熟者め。一度引き受けたものを完璧に仕上げなければ、二度手間になるだけだ)
やれやれと肩をすくめながら、それらにも処置を施していく。気が付けば昼休みの時間はもうすぐ終了するところであった。
午後の体育の授業が早めに終わり、アーチャーは一人、誰もいなくなった更衣室に残っていた。
やっと掴んだ一人になれるチャンスである。
アーチャーは体操着のポケットに入れていたクラスカードを取り出した。
アーチャーがいるせいか、微かに励起しているカードは、少し探りを入れれば気配を悟られてしまいそうだ。
「投影、開始(トレース・オン)」
魔術回路を少しだけ開き、アーチャーは投影を開始する。
創り出すのは、己の概念武装の一部。外界からの守りの概念が織り込まれた聖骸布である。
宝具では無いが剣の枠から外れる代物に、消費される魔力は通常の倍以上になる。さらに使える魔術回路も少なく、凛に勘付かれないように出力も抑えている。
この現状で犠牲にすべきは、投影に要する時間だ。時間をかけて、丁寧に八節をなぞれば、低出力といえども、それなりの物は投影できるのである。
また、外套すべてを完全に投影する必要はない。あくまでクラスカードを包むことができればいいのだ。それならばハンカチ程度の大きさで事足りる。
そして約十分後、アーチャーは出来上がった赤い布でカードを包み込み、仕上げに外套の一部である飾り紐で封をした。
これならば、探索の魔術に引っかかることも無くなるだろう。
そう、一息ついた時だ。
「しろーーーー!」
虎の咆哮が聞こえた。
摩耗した記憶にも残る、冬木名物の虎の雄叫びである。
「ふ、藤ねえ!?」
神経を使った投影の直後で気が抜けていたせいか、はたまた懐かしい咆哮に釣られて思い出した記憶のせいか、思わず言い慣れた呼び方が出てしまった。
「駄目よー、学校では藤村先生って呼ばないと」
更衣室の入り口で手を振るのは、『初等科』の教員である藤村大河。
何故、高等科の校舎に来ているのか。そもそも
「ここは男子更衣室だ! 着替えの最中だったらどうするんだ!」
そう、男子更衣室である。仮にも嫁入り前の彼女がノックもせずに入ってきていい場所では無い。
「ん~、別に士郎の裸を見たってどうってこともないし? 昔はよくお風呂に入れてあげたじゃない」
「いつの話だ! 少しは慎みを持て! そんなんだから貰い手が見つからないんだぞ!」
ついポロリと出た本音。
それは的確に虎の尾を踏んづけた。
「士郎、最近は運動をあんまりしてなかったじゃなぁい?」
いつの間にか取り出したるは、トラのストラップの付いた藤村大河愛用の竹刀。
もはや嫌な予感しか湧いてこない。
ブンッ!
いきなり振り下ろされる竹刀を、アーチャーは最大限の反射を駆使して、間一髪で避けた。
「士郎のくせに避けるとは生意気な! 大人しく打たれなさい!」
「当たったら危ないだろ! そもそも防具を着けてない相手に打ち込むなよ!」
だがスイッチの入った虎は止まりそうにもない。
それから十数分もの間、アーチャーは狭い更衣室中で追い回される羽目になってしまった。唯一の救いは、更衣室が授業を行う教室から離れているため、他人に迷惑が掛からなかったことか。
「ゼェ、ゼェ。な、なかなか、やるようになったわね」
「さっきのは言い過ぎた。すまん。取り消す。だから勘弁してくれ」
「じゃあ、明日のお昼になんか一品おかずを持ってくること。それで勘弁してあげるわ」
……なぜ食べ物から離れないのだろう。さすが冬木の虎。どこの平行世界でも藤村大河に変わりはないか。
「で、何の用だ。というか、なんで俺が男子更衣室に一人残ってるって気づいたんだよ」
更衣室から大河を押し出しながら、アーチャーは問いかけた。
男子更衣室は窓こそ設置されているが、中が見えないように曇りガラスとなっている。上部には換気用の小さな窓もあるが……
「えっと、なんとなく? 士郎のクラスの子たちが出てきてたし、士郎って最後に残って軽く掃除とかしてるって聞いたから。あと、上の方の窓を跳んで覗いたら、士郎の髪が見えてね」
その説明に、アーチャーは某黄色の熊のアニメに登場するオレンジのトラを思い出してしまった。跳びはねて覗くとは……生徒の見本となるべき教師が何をしているのやら。
それと衛宮士郎。ここでもブラウニーか。
「用事はね……ってもうこんな時間! こっち来て!」
大河に腕を掴まれてやってきたのは、ある資料室の扉の前。
「ここのドアの調子が悪くって、上手く開かないの。中に次の授業の資料があるし、用務の人を呼びに行くより、士郎の方が早いって思って」
アーチャーは藤村大河の衛宮士郎への頼りっぷりにため息を零したが、文句を言えば倍になって返って来ると思われたので、大人しく扉を調べにかかった。
どうやらスライドのための車輪を支える金具が緩んで、変な風にはまってしまったようだ。これならば、すぐに終わる。
アーチャーはまず軽く衝撃を与えて突っかかりを失くし、扉をレールから外した。それから制服に常備してあるドライバーで金具のねじを締め直す。そして扉を再度はめ込み、スムーズに動くか確かめた。
「わー! ありがとう士郎! じゃあ明日のおかず一品よろしくねー!」
大河はアーチャーが扉を外した時点で資料室の中に入り込んでおり、扉のたて付けの処置が済んだと同時に、元気よく早歩きで去っていった。恐らく初等科の教室が遠いせいだろう。
既に休み時間に突入しており、あと7・8分で次の授業が始まってしまう。
(台風のようにきて、台風にように去っていったな)
アーチャーは大河を見送った後、置いたままにしてしまった荷物を取りに、更衣室へ足を向けた。
実はクラスカードも鞄の中なのだ。藤村大河が乱入してきたことに動揺して、つい制服ではなく鞄のポケットに突っこんでしまったのである。
仮にも魔術礼装だ。誰かの手に渡る危険性はできるだけ低くしておきたい。
だが幾ばくかも行かないうちに、
「衛宮、ちょっといいか?」
ちょうど逆の方向から柳洞一成に声をかけられた。
次の授業の教室は比較的近く、時間の余裕も多少あったので、アーチャーは返事をして、廊下の先にいる一成の方へ向かう。
「次の備品の修繕に関してなのだが―――」
そして一成との距離が縮まり、話が始まった途端。
ブツン。
何かが切れた。
靴ひもやそういう類のものでなく、もっと霊的なもの。
そう――この身体とクラスカードとのつながりが切れたのだ。
(……距離か!)
ここから更衣室までは直線距離にして約五十メートルほど。
それが、クラスカードの術式が及ぶ範囲らしい。
アーチャーはふらつく体をどうにかして後退させる。たったの二メートルだが、ここまでなら有効範囲内のはずだ。
まだアーチャーの意識とクラスカードのラインは生きている。あくまで衛宮士郎の身体とクラスカードのつながりが消えただけだ。アーチャーがラインを辿って、クラスカードの術式に働きかければ、また繋がるはず。
衛宮士郎の意識は未だ戻っておらず、このままアーチャーが離れてしまえば、身体は倒れるだけだ。学校内で倒れることはしたくないのだが……。
(――しまった。私もやきが回ったか)
アーチャーの干渉は弾かれた。原因はアーチャーが投影した聖骸布である。
外界からの守り―――すなわち外からの干渉を遮断するということ。凛の探索への対策にうった策が仇となってしまった。
「おい、衛宮! しっかりしろ! 大丈夫か!?」
柳洞一成がこちらに駆け付け、崩れ落ちそうな身体を支える。
アーチャーは遠ざかる意識の中、必死に言葉を紡いだ。
「……大丈夫だ。少し疲れが出ただけだ。放っていてくれても、構わない。だけど、鞄が……更衣室にあって。財布とか……入ってるし、……そばに持って―――」
「まずは衛宮を保健室まで運んでからな。荷物は後で俺が届けておく」
一成は迷うことなくアーチャーを背負うと、保健室を目指して歩き始めた。
これでは一成は確実に授業に遅刻してしまう。
「……すまない。迷惑を、かける。」
「気にするな。衛宮にはいつも世話になっているからな」
そこまでが限界だった。
身体の感覚は全て無くなり、アーチャーの意識はいつの間にか無数の剣が突き立つ荒野に戻っていた。
だがここは『座』では無い。
ここはクラスカードの内。写し取った英霊の力を一時的に保存する領域である。
「結局、一成には面倒をかけさせてしまったな」
アーチャーはいつものように腕を組みながら、呟いた。
衛宮士郎が再びカードと接触して繋がった暁には、一成に何かお礼でもするように催促しよう。あと藤村大河におかず一品を進呈することになったことも伝えなければ。
思い返してみれば朝からの半日あまりに、なんと多くの知り合いと関わってしまったことか。
懐かしい場所や人々に刺激され、摩耗していた生前の記憶も、ぼんやりとだが確実に思い出してきている。
アーチャーは再び接触が起きるまでの間、その記憶を反芻してみるのであった。
おまけ
(……聖骸布に包んだクラスカードに、衛宮士郎はいつ気が付くのだろうか)
アーチャーの学生生活、これにて終了!