プリヤ世界にエミヤ参戦   作:yamabiko

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 よし、ギリギリ4月の投稿に間に合った!
 4月は何かと忙しい時期ですね。もちろんアニメUBWの二期は欠かさず見てますが。

 今回は士郎君のはじめてのまじゅつたんれんの回です。意外と長くなりました。……それでも夜は終わらない。

 無印編、書き終わるのはいつになるだろうか。


【23】

 バチッと鋭い痛みが走った。

 肌を雫が伝う感触から、またどこか血管が裂けたのか、と士郎は眉を顰める。

 ――――まだ魔術は継続中だ。少し魔力の流れが乱れただけ。まだいけるはず。

 不安定な魔力の手綱を手繰り、士郎は出力を続ける。

 『世界』に描き出す。読み込んだ『剣』の情報を元に外形を整え、中身を構成していく。

 材質に重さ。カタチに込められた作り手の意図。それから―――

(あっ)

 僅かに跳ねた魔力。

 それに気をとられたのが、いけなかった。

「ぐ、がっ」

 それはまさしく氾濫と表すのが相応しい。

 制御を失った魔力が、魔術回路に溢れかえる。

 無作為に放出すもの。逆流さえしてくるもの。

 士郎の脳裏に鮮明な死のイメージが浮ぶ。

 飽和した魔力は刃となり、魔術回路を突き破る。それは容れ物(肉体)を食い破ることと同義。内臓を、骨を、血管を、内側から『剣』によって切り裂かれ、死ぬ。

 それが、『エミヤシロウ』の魔術に手を出した結末。

 だが。

「――――無様だな」

 力強い流れが全てを押し流した。

 明確な意志をもって統一された魔力が、士郎の無秩序に溢れた魔力を飲み込み、魔術回路を傷つけることなく循環する。

 そこには士郎が及びつかないほどの安定があった。

(……また、助けられた)

 鼓動は早く、冷や汗が背を震わせる。

 死と直面した。それだけで士郎の顔色は白を通り越して青に近かった。

 士郎は座禅の姿勢を崩して、土間の地面に手を突いた。

 閉じられた土蔵の内部は魔力が散逸しにくい。不発に終わった魔術の残滓が残る中、士郎は数十分は費やしたはずの結果に、数時間前の自分をぶん殴りたくなった。

(死んでた。……アーチャーがいなかったら、俺は死んでいた)

 否が応でも意識させられる明確な『死』。こんなにも近くに感じるのは、十年前のあの時以来か。

(――――これが『魔術』)

 失敗は即、死へと繋がる。魔力を操ることにさえ、苦痛はつきもの。

 いとも容易く魔術を行使するアーチャーの感覚を知っているが故に、解析も投影もやればできるだろう、と高をくくっていた結果がこれだ。

(じいさんが隠す理由が分かるな)

 家族の内で誰かがこんな危険なものに手を出していたら、士郎も苦い顔になる。

 本当に少しでも足を踏み外したら、死の底まで真っ逆さまなのである。セーフティが何重にも張られている平穏な日常からすれば、正気を疑うような所業だ。

(それでも)

 体のあちこちから危険信号のサインは出ている。制御に失敗したノックバックで末端の血管は破れ、服も血で汚してしまった。

 だが、重大な傷はない。これも致命的なダメージになる寸前でアーチャーが介入してくれているからだ。

 だから、まだ大丈夫。まだ、やれる。

 

「アーチャー、もう一回だ。もう一回挑戦する」

 

 衛宮士郎は止まれない。

 全ては家族のため。可愛い妹を守るため。そして今なお戦い続ける両親に並び立つため。

 少年は、掲げた目標に向かって突き進む。

(せっかく拾ってもらった命、こんなことで無駄にはしない)

 たかが魔術の訓練。命を賭けるにはあまりに安い。

 しかし実際に魔術世界に足を踏み入れ、その入り口に立って初めて、士郎は実感したのだ。

 アーチャー(理想)と自分(現実)の差を。

 それはあまりに遠い背中だった。追いつくのに何年かかるか予想もつかない。

 だからこそ今は絶好のチャンスなのだ。

 トレース(模倣)すべきヤツがこんなに近くにいる。この状況が、理想への近道だと理解しているが故に、士郎は多少の無理を押してでも、挑み続ける。

 

 ――――掴むんだ。あいつみたいな皆を守れる力を。

 

 *************

 

(並行世界でも、この性分は変わらんのだな)

 そんな感想を、アーチャーは苦々しい溜息と共に吐き出した。

 目の前には非常に危なっかしく魔術を行使する衛宮士郎がいる。

 既に失敗は十数回を数えた。ノックバックのダメージもアーチャーが抑えているとはいえ、確実に蓄積されている。痛みを感じていないわけでは無かろうが、放たれたら一直線に進むしかない矢のように、己が掲げた目標(理想)へ我武者羅に打ち込む姿は、アーチャーには十分に見覚えのある光景だった。

(まったく、二日前には痛みに転げまわっていたヤツとは思えんな)

 覚悟を決めた衛宮士郎は、どこまでも我慢強くなれるようだ。それこそ常人が一度でトラウマになるような死線の間際に、躊躇なく踏み出すというように。

 己の命を軽視しているわけではなさそうだが、やはりあの地獄を経験したせいだろうか、あまりに『死』までのデッドラインが近い。

 安全の余地を削って、己の限界を引き上げる。

 それはアーチャーの戦い方にも共通することだ。

 並行世界とはいえ、まさか過去の自分の魔術監督をする羽目になるとは思っていなかったアーチャーである。己の厄介な性質を改めて客観的に見せられ、どうしようもないと、歪な笑みを浮かべた。

(三つ子の魂百までとはよく言ったものだ)

 百どころか死んでからも、また世界が異なっていても、『エミヤシロウ』の性質は変わらないのだから。

 アーチャーは組んだ腕をそのままに天を仰ぐ。視界に入るは随分と既視感を覚える天井だ。

 切れ切れに思い出した記憶の中に、確かこれと同じ景色があった。

 そう、毎晩のように鍛錬で気絶しては世話になった天井だ。小さくとられた窓から差し込む淡い月明りで、むき出しの太い梁がかすかに輪郭をとる。

 それに目を細めながら、アーチャーは現在の己の状態を考察する。

 アーチャーは今、衛宮士郎を客観的に『外』から見ている。

 座禅を組んだ少年は真剣な面持ちで、目の前の手本としてアーチャーが投影した『剣』を凝視している。体勢の差から自然と見下ろす角度になるため、赤毛のつむじがとてもよく見える。

 これまでは内側から感覚の共有という形でしか、外部の情報を得ることができなかったが、前回の意識の浮上からあまり思い出したくない経緯で気絶した後、気付けば己の意識は『外』にあった。

 聖杯戦争のサーヴァントであった時の霊体化に近い状態だ。おそらくラインが繋がっている者以外には見えないのだろう。色々試してみたが、伸ばした腕は物体を素通りし、声も空気を震わせることは無かった。

 まさかあの麻婆……もとい教会印の薬品が、クラスカードと製作者も真っ青な事故を起こしたのか、と穿った見方もしてしまうが、精密な解析をできているわけでは無いので、依然こうなった原因は不明である。

 ただ、ラインの繋がる先、衛宮士郎の感覚は共有したままだ。流石に視覚などは二重写しとなるため遮断させてもらっているが、その他の五感と魔術回路の感覚は繋いでいた。

 問題なのは、異物であるアーチャーの魔力を、そこに任意で走らせることが可能ということだ。

 魔術師同士が深くラインを繋いでいれば、互いの魔術回路の動向を監視するということは可能かもしれないが、魔術の発動まで可能とならば、それは魔術協会に封印指定されるほどのものだろう。

 魔術回路は魂の付属品であり、その属性は個人の起源とも関わる。

 外から大魔力(マナ)を取り込み、個人で行使する小魔力(オド)に変換する性質から、外部の魔力を取り込むことはあっても、固有にイメージする魔術回路を起動し、行使できるのは本人しかいない。

 他者の魔術回路を利用したいのならば、同意させるか洗脳でもして示した術式を本人に行使させるのが、最も手っ取り早い。わざわざそのために他者の起源を解明・理解し、魂を同調させるなりして、他人の魔術回路を使うなど非効率極まりないのだ。

 だが、ここでアーチャーは眉間にしわを寄せた。

 

 アーチャーが手本となる『剣』を投影した時のことだ。

 道場で啖呵を切った衛宮士郎を、ここでは風通しが良すぎると土蔵の方まで誘導し、一通りの説明をしたまではよかった。アーチャーが思っていたよりも、すんなりと基礎的知識を理解したのは少々解せなかったが、魔術回路を開くのも昨夜カードを使ったこともあってか順調だった。

 しかしつい先日まで一般人だった高校生が、いきなり魔術を行使できるか。

 答えは否である。

 とりあえず、起源である『剣』に属した刃物をイメージしろと、言ってみたものの、やはり簡単には行かず。そもそもイメージする以前の問題が浮上した。

 端的に言えば、魔力の制御が恐ろしく不安定なのだ。

 まるでハイハイからやっと立ち上がったばかりの赤ん坊が、いきなり包丁を持って調理に挑むような、そんな無謀な試みである。

 考えてみれば当たり前だ。魔術師としての下地がまったく無いのだから。

 アーチャーの場合、始めは魔術回路を作ることだけに数年を費やした。毎晩のように死との境界線を綱渡りし、魔術回路を生成し続けた。本来ならばただ一度で済む危険な工程を繰り返したせいか、魔術回路は身体の神経と一体化し、とにかく頑丈なものとなった。それと同時に、魔力の制御力も随分と高くなっていたようなのだ。

 先の例えで言えば、立ち上がって歩くことだけをひたすら訓練していたのだ。普通に歩けるようになっても馬鹿の一つ覚えのように歩く訓練を止めなかった。その努力の甲斐あってか、どんな状況でも倒れずに歩き続けられる程度にはなった。

 だからだろう、聖杯戦争で宝具という当時の己の限界を超えた投影をしても、暴走を最小限に抑えてなんとか命を拾って帰って来れたのは。

 そういえば当時既に一流の魔術師として教師役を勝手出てくれた彼女には、へっぽこと罵られようと、その点に関しては文句を言われることは無かった。まあ、一流の魔術師ならば己の魔力のコントロールなどできて当然、数年をかけてやっと並び立てたというだけで僥倖だったのだろう。

 だが、この新米魔術師は違う。本格的に魔術を行使するのは今夜が初めてだという、下積みも何も無いところからの投影である。魔術回路はやわなまま、魔力を扱う感覚も慣れていないだろう。このまま戦場に出たところで、武器を生成する前に魔力を暴走させて自滅するのがオチである。

 この衛宮士郎と、過去の同年齢の己を比較し思ったことは一つ。

(じいさん、あんたから教わった方法は間違っていたが……どうやら無駄では無かったようだよ)

 来る日も来る日もこの薄暗い土蔵で一人、魔術の鍛錬をした。切嗣の教授した魔術の鍛錬方法は出鱈目で苦しいことばかり、養父が死んでからは独学で誰にも知られず我武者羅に打ち込んだ。

 そして聖杯戦争の冬、師匠たる彼女はそれを無駄だったと断言した。馬鹿なことだとも。

 けれど千や二千では聞かないほど、天秤に己の命を賭けてきた結果、魔力のコントロールは堅実なものとなったのだ。生死のかかる状況での集中力は、人間の限界ギリギリまで力を底上げする。この蛮行が無ければ、一流となる才能など持たなかった己が、いきなりサーヴァントに襲われ、数少ない手持ちの魔術で生き延びれるはずがなかっただろう。

 さらにこの制御力と頑丈が取り柄の魔術回路は後年、固有結界という魔法にも近い魔術を修得させるに至ったのだ。

(まさか、今ごろになってこんな事実に気が付くとは)

 守護者となって幾星霜。存在し続けてみるものである。

 現世への顕現は、偶に混じる聖杯戦争の記録以外、変わり映えのない記録ばかりが降り積もるだけだった。

 それがイレギュラーとはいえ、この平和な世界に呼ばれ、そしてこの世界の衛宮士郎に見え気付いたのだ。聖杯戦争が始まるまでの十年弱、使い物になるかも分からない鍛錬は、無駄では無かったと。

 なんとも奇妙な巡り合わせもあったものだと思う。

 つい感慨に浸ってしまうが、悪戦苦闘していた士郎には、ほったらかしされているように見えたらしい。

「模倣しろといったからには、手本くらい見せろよ」

 精一杯顔を顰めたその顔は、ガラスなどに映る己のしかめっ面によく似ていて、

(そこまで模倣しろと言った覚えはないのだがな)

 と、つれない態度をとってしまうのも、仕方がないことだろう。

 アーチャーはここになってやっと、この状態での魔術行使を踏み切ることにした。もともとアーチャーの魔術回路は特殊な上に身体の神経と直結している。霊体のまま魔術を発動できるか甚だ疑問だったが、やれと催促されたからには、どんな結果になろうと、試してみるしか無いだろう。

 そして。

「……なんでさ」

「ふむ、こんなものか」

 投影魔術は為された。

 少年の手の上には見本として丁寧に基本の六工程をなぞった『剣』がある。創造理念から始まり、蓄積年月でさえも完璧に模倣した、素晴らしい出来だ。

 問題はそう、使用した魔術回路が衛宮士郎のものだったということだ。

「―――なんで、見本がコレなんだ?」

「初心者にはお誂え向きの『剣』だと思うが?」

 アーチャーの魔力は確かに衛宮士郎の魔術回路を巡り、一つの魔術を成立させた。――――それは本来ならばありえないことだ。例え平行世界上の同一人物であろうと、既に袂を分かった他人であり更には英霊と人間という垣根がある。起源や回路のイメージが同一であっても、規格が違うのだ。

 しかし、アーチャーは気付いた。士郎の魔術回路に己の魔力が流れ込んだ際、クラスカードの一部の術式が反応したのを。

(……クラスカードの本質は写し取った英霊への『置換』。つまりは存在の『上書き』だ。そしてクラスカードは、英霊の力である『私』の都合のいいように、『置換』対象であるコイツに干渉を及ぼしている)

 邪推のし過ぎかもしれないが、最悪の想像はしておいて損は無い。

 クラスカードは、英霊の力を我が身に降ろし行使する術具である――しかしそれは抑止力に対する別の目的のための隠れ蓑ではないのだろうか? 聖杯戦争の真の目的が、戦いで敗れた英霊たちの魂を利用し『根源』へ至る孔を穿つことであるように。

「なあ、本当にコレは『剣』なのか?」

 この事態の重大さを欠片も理解していない少年は、投影された『剣』を見つめ訝しげに声をあげる。

 手の中にあるソレに、不満があるようだが。

「持ち手があって、鋭い刀身がある。『剣』の要素は十分に満たしていると思うがね」

 当然のことを指摘するアーチャーに、士郎少年は我慢できないというように叫んだ。

 

「それはそうだけど! なんで初めての見本が、うちの包丁なんだーーー!」

 

 思っていたのと違う! チェンジ! とわめく士郎に、アーチャーはいい笑顔で拳骨をお見舞いしてやるのだった。

 

 ***********

 

(――――存在の『置換』、そして『上書き』。今はまだ一時的に過ぎないが、完全なる『上書き』で固定された場合、元の存在は一体どうなってしまうのだろうか)

 

 

 **************

 

 何かに集中している時ほど、時間の流れは忘れがちである。

 士郎がアーチャーに鍛錬の終了を告げられたのは、あと一時間もしないうちに日付が変わろうかという時間帯だった。

「しまった……。今夜は一旦家に帰って、皆が寝静まったのを見計らって抜け出すつもりだったのに。こんな時間じゃ、もうこっちの家に泊まり込むって連絡入れといた方がいいか」

 昨日の今日で怪しまれないといいけど。

 ズボンについた土埃を払いながら、士郎は本棟へ向かって歩き出す。

 身体のあちこちで引き攣ったような痛みが走るが、このくらいならば付け焼刃のポーカーフェイスで誤魔化せそうである。もっとも、しばらくは人前で肌を見せないようにする必要がありそうだが。

 今日の外出のお題目は、やはりというか学校の備品の修理である。自宅の部屋では手狭になってきたから作業場所を別にするということで、自転車で十分ほどの距離にある日本家屋に行くとセラたちには伝えてあった。

 シロウがそこまでしなくてもいいのでは、とセラはブツブツ言っていたが、半分趣味のようなものだから、と強引に押し切って出てきた。以前に預かっていた備品と愛用の工具を自転車に括り付け、この昔懐かしの我が家に着いたのは、月が山の端から顔を出した頃だ。

 それから数時間、ぶっ通しで土蔵に籠って鍛錬をしていたのだ。試しに肩を回してみるとコキコキと音が鳴った。

 後ろを振り返れば、己の未熟さに泣きたくなる思いである。

 最後の最後でようやく成立した投影品は、士郎の目から見ても中身のスカスカな代物だった。

 ただの包丁と侮ることなかれ。

 アーチャーの双剣やら騎士王の聖剣を見ていた士郎からすれば、かなり舐められているとしか思えない見本のチョイスであったが、取り掛かってみると正にこれが己の適正レベルだと痛感したのだ。

 この『剣』が比較的易しいものだとは理解できる。作り方も思い浮かぶ。しかし、いざそれを構築しようとすると、どうしても上手くいかない。

 理由ははっきりしている。単に手が追いついていないだけだ。魔力という道具を十全に使いこなせていないだけの、ただの技量不足である。

(うん。いきなりできるようになるとは思っていなかったけどさ。―――本当に遠いよ)

 初の成功例は既に破棄され、塵に還されてしまった。他ならぬアーチャーの手で。

(見本とまったく同じものを、俺が投影したモノの真上に一秒足らずで投影、そのまま自由落下してきたそれに、呆気なく砕かれちまったな)

 というか出現座標も指定できるのか。アーチャーがいなくなる前にできることはすべて確認しておかねばと、無理矢理にでも意気込む士郎である。そうでもしなければ、心が折れそうだった。

 外に出ると月は既に天頂付近にあった。暗さに慣れた目には、外は随分明るく見える。中庭から中へ上がると、灯りもつけずにまずは台所へ向かった。蛇口をひねり、乾いた喉を潤す。そして普段と同じ声が出るようにしてから、廊下の黒電話の受話器を手に取った。今では滅多に見なくなった古いモデルに、こんなに小さかったかな、と首を傾げつつ自宅の番号を回す。

 幸いなことに、家を久しく空けていたのにも関わらず電話線はちゃんと繋がっていたようで、すぐに呼び出しのコールがかかる。

 セラじゃなくリズが出てくれた方が、小言が少なくてありがたいんだけどな、と思っていると

『ハーイ! こちらアイリスフィール・フォン・アインツベルンです。シロウかな? 久しぶりね。元気にしてた?』

 予想外の相手が出た。

「え、アイリさん!? いつの間に戻ってきてたんだ? 帰国はまだ先じゃ……。っていうかよく俺だって分かったな」

『ふっふっふ。そこは母親の勘って言っておきましょうか。まあ、今回の帰国もその勘にし従ってやってきた感じだけど』

 そろそろ布団に入って休んでしまってもおかしくない時間帯なのだが、この人のテンションはいつも通り振り切れているようだ。

『それで、こんな夜遅くなっても帰って来ない不良息子は、どんな報告をしてくれるのかしら』

「えっと、その」

 茶目っ気たっぷりに尋ねて来るアイリスフィールに、しどろもどろになる士郎。

 昔から嘘をつくのは苦手なのだ。特にアイリスフィール相手だと、すぐに見破られそうな感じがあるから、余計に。

「えーと、やろうと思ってたことが、意外と難しくて。俺がまだまだ未熟だから、色々と練習が必要で。何とかしようと、それと格闘しているうちに、気付いたらこんな時間になってたんだ。もっと早く連絡出来たらよかったんだけど……。

 それはもう少し時間がかかりそうだし、今日はこっちの家に泊まるよ。

 せっかく帰ってきたのにごめん。明日の朝食は一緒に食べれるように帰るから」

 これで上手く誤魔化せただろうか。これもアーチャーを参考に真似(トレース)したのだが。

『……そう。修理ってそんなに大変なのね。分かったわ。

 あんまり夜遅くならないように。無理は禁物よ! シロウ』

「うん、分かってるよ、アイリさん。……ありがとう」

 士郎の帰宅を待っていただろうに、怒りもせず逆に心配してくれるアイリスフィールに、士郎は頭が下がりっぱなしである。

 しかしアイリスフィールはここで少し不満の色をにじませた。

『うーん、出来れば前に呼んでくれた呼び方で言って欲しいなー』

「え、あー、アレか?」

『そう、いつもの呼び方もいいんだけど、久々に聞きたくなっちゃった』

 語尾にハートが付きそうな声音に、士郎は断り切れなかった。ここに自分一人しか人の姿が無いのも要因の一つだったのだろう。普段は気恥ずかしくて口にできないそれを、なんとか絞り出した。

「――――母さん、ありがとう。……っ、おやすみなさい!」

 言い終えると同時にガチャンっと受話器を置いた。

 電話の向こうではアイリスフィールが、あらあらと微笑んでいることだろう。

 こう呼ぶといつも顔が赤くなってしまう癖は、ホント、どうにかならないのか。

 顔を俯かせ、悶々とする士郎。

 そこに頭上から降ってきた声が一つ。

「衛宮士郎」

「げ」

 いつの間にかアーチャーが近くまで来ていた。電話をかける前は庭で優雅に月見でもしていたはずなのに。ああ、幽霊状態だから足音はしないのか。

 こんな醜態を目撃したのだから、青臭い甘ちゃんが、とか思ってそうな厭味ったらしい表情を浮かべているかと思いきや。

「いい母親を持ったな」

 そう言ったアーチャーの顔は穏やかだった。身構えた士郎が拍子抜けるくらいに。

「ああ、俺には勿体無いくらいの人だよ。いつも楽しそうで、優しくて」

 もはや見慣れてしまったアーチャーの眉間の皺が無い。珍しいこともあるもんだ。

 けれど、次の士郎の発言でそれもピシリッと固まった。

「そして―――アイリさんは、基本いい加減なノリだけで、大抵のことは大雑把になんとかしちゃう人だけどな」

「……そ、そうか」

 これはイリヤと何度も話し合った結果、がっちり一致した共通認識である。

 だいぶ天然が入った、突然現れてはその場の空気をぶち壊すある種の天才だ。

「母親の勘ってだけで、電話の相手が俺だって当てたし。本当にアイリさんの勘はどうなっているんだろう」

「……あー、お前の家の電話は、画面に番号が表示されるものだろう。お前がこの屋敷にいると聞き、この屋敷からかかってきた電話となれば、その推理は簡単だろう」

 そういうものか。でもあの人は、きっと画面も確認せずに受話器を手に取ったに違いない。そんな想像が容易に頭に思い浮かぶ。

「にしてもお前のさっきの言い訳は六十点だな。特定の言葉を避けようと、露骨にぼかしすぎた。もっと自然に話せるようにしろ。それこそ隠した違和感を気取られないくらいにはな」

「……アーチャー、お前全部、聞いていたのかよ」

 さっきの表情から一変、アーチャーから厳しいダメ出しを喰らう。勝手に盗み聞きするなんて、コイツの親の顔を見てみたいもんだ。

「あれ、でも魔術のことは早めに切嗣やアイリさんに話した方がいいんだろ? なら今話してもよかったんじゃ……」

 両親に早めに伝えろ、と言ったのはアーチャーだった気がするが。

「今はまだいい。彼らに私の存在が知られると、カード回収に支障をきたす恐れがある。

 話すのはこのカード回収後、私がいなくなってからでいいだろう。

 どうせ、貴様がこちらの世界でいっぱしの口を聞けるようになるのは、今のお前の力量を見る限り数年先のことだろうからな」

 そう言われて何も言い返せないのが、今の士郎の現状だ。

 うん、分かってる。今夜の鍛錬で十分身に染みた。

 アーチャーのいる到達点は、あまりに長い道のりの先にある。けれど、追いかけることを諦めたりはしない。

 拳を握りしめ、決意を新たにアーチャーへ顔を上げる。

 鋼の瞳と、琥珀の瞳がかち合った。

「――――いいだろう、お前に最高の手本をくれてやる。それぞれただ一度きりの投影だ。決して見逃すな」

「ああ、絶対ものにしてやるよ。無駄になんかするものか」

 士郎は意気込んで返答した。一分一秒でも時間が惜しいくらいだ。

「………」

 そんな士郎の目の前に、アーチャーは無造作に腕を伸ばした。

 これも何か修行の一環か、と凝視していると。

 バチン。

 目の前で火花が舞った。

 実際の現象ではなく、比喩的な意味で。

「痛ってぇ。何するんだよこの野郎!」

「ふん、力み過ぎだ馬鹿者。このくらい避けて見せろ」

 なに、頭に血が上った単純なおつむを覚まさせるだけの、簡単なスキンシップだ、と嘯くアーチャーに、無防備にもデコピンをくらった額を抑え士郎は涙目になる。

(触れられるのが俺だけだからって、こんなスキンシップはいらなかった!)

 どうやらラインが繋がっているせいか、この幽霊っぽく『外』にいるアーチャーは、士郎にだけ影響を及ぼすことができるらしい。

 数時間前に拳骨をもらった時にも思ったのだが、これなら『内』で嫌味を聞かされる方がまだよかった。物理的な被害は無かったのだから。

「さっさとシャワーを浴びて着替えてこい。新都へ向かうにも、その姿だと職務質問に引っかかるぞ」

 アーチャーに背中を押され、つんのめりながらも風呂場へと向かう。

 確かにこの血まみれの衣服では、不審者に間違えられてもおかしくは無いが。

(つまり、少しは休憩も入れろってことだろう?)

 非常にわかりにくい監督役の提言に、士郎は半眼で溜息をつくのであった。

 




アーチャーは厳しいけど、面倒見はいいよね。

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