長くなったので、とりあえず前半を上げます。後半も近いうちに仕上げたいな。
ホントはさくっと行くはずだったんです。……なぜにこんなに長くなるのか。
所々に想像というか捏造あります。
そしてついにルビ機能使いました。次回ルビをたくさん使いたくなる回なので、今回から使用していきます。
凍てついた静謐な世界。
空から舞い降りる淡い雪片が、周囲の景観を覆い尽くしている。
厳つい樹肌をさらす木々がポツリポツリと立ち並び、風が枯れ枝を揺らす以外に動くものは無い。雪空越しの光は仄白く、陽光の方向さえ定まらない。
しかしこんなにも寒々しい空間なのに、イリヤは不思議と冷たいとは感じなかった。
いつの間に迷い込んだかは覚えていない。気がついたら散歩でも行くように、いつもの格好でこの寂しい雪原を歩いていた。
(ここ、どこだろう……)
そんな疑問もかすめるが、ぼんやりとした頭ではそれ以上の思考は進まない。ただ何かに呼ばれるように、足跡を残しながら歩を進める。
時折、雪交じりの風が強く吹いた。
イリヤはその冷風を受け入れた。清々しいとも感じた。ふと振り返ると、巻き上げられた雪がイリヤの痕跡を掻き消していた。どこから歩いてきたか、もはや指し示すものはない。
だが不安に思うことは無かった。もう戻る必要はないのだから。
(……本当に?)
胸の奥で一瞬、火花が上がった。まるで警告か悲鳴のように。
しかし雪は降り積もる。何事も無かったかのように、それを覆い潰してしまう。
(……いかなきゃ)
イリヤは歩いた。冬枯れた木立の中、見覚えのない、けれど身に馴染む世界を進んだ。
そして、それは現れた。
石で組まれた古塔の群。いや、全容を見ればそれはまさしく城。この雪の世界の中心に座すに相応しい、古めかしい厳格でこちらを圧倒する石の塊。凝縮された不動の威容。
イリヤは足を止めて見入った。気圧されたと言っていい。その城が積み重ねた歴史――それがどのようなものであるかは分からなかったが――に恐れをなしたのだ。
(私なんかが踏み入れてもいいのかな)
場違いにもほどがある。イリヤの人生の中でこれほど堅く厳しい場と相対したことがあっただろうか。
だがイリヤはそこで気付いた。その城の扉の前。白い人影が手招きをしているのを。
(あの子だ)
イリヤは足を踏み出した。あそこにいる人物こそが、イリヤを呼んでいた相手。イリヤが会わなければならない存在。
鼓動が速くなる。足早に駆け寄る。息が切れて思いの外疲労していたことを知る。
最後に足がもつれて転がり込んだ。雪が盛大に舞った。
その子は目を丸くしてそれを見ていた。白いドレスに散らした柔らかい銀髪、雪のような白い肌、人間離れした真っ赤な瞳も相まって、まるで雪の妖精だった。
「やっと会えたね、お姉ちゃん?」
その子はイリヤと同じ顔で、にっこりと笑った。
城の中は重厚と荘厳を体現したかのような様相だった。
華美ではなく繊細ではなく、ただ一つの目的に合わせて整えられたかのような内装。玄関ホールは西洋の物語に出てくるような広々とした空間で、入り口から延びた赤い絨毯の先には奥へ続く廊下が口を開けている。磨き上げられた石の壁面には等間隔に取り付けられた燭台の灯火が映り込み、ホール全体を照らしていた。
「ほら惚けてないで。こっちにも、もっとすごい所があるんだから!」
細く白い手がイリヤの手を引っ張る。それにつられるようにホールの中を通り過ぎる。
この圧倒されるほどの壮麗な空間の中、白の少女だけは軽やかに身を翻す。華奢な体躯に淡い色彩。それでいてこの空間に不和が無い。少女は自由だった。全てを従える主人のように。
廊下に入ると独りでに燭台に火が灯った。少女が視線をやるだけで、光りが満ちた。
「ここが記録閲覧室、こっちが起動実験室、そこは調整中で……」
次々に部屋を通り抜けていく。そのたびに扉が閉まっていく。
イリヤにはもう、自分が城のどのあたりにいるのか分からなくなっていた。ただ紹介される部屋の物珍しさも相まって、通ってきた道もほとんど覚えていられなかった。
妖精のような少女が案内する部屋で展開される光景は、イリヤにとって見たこともないものばかりだった。未知なる玩具箱とでもいおうか、分厚い本が壁一面に並べられているのも、理科の実験道具のようなものが机に乱立しているのも、いかにも魔法使いの怪しい大鍋が火にかけられているのも、純粋にイリヤの好奇心を刺激した。少女が楽しげに説明し、気安くそれらを扱うのを見たせいかもしれない。もしイリヤ一人だけであったなら、知らない学校に迷い込んだかのように気後れしてしまって、早くここから出たいと願っただろう。
「すごい、すごいね! このお城!」
「でしょう! ここは私にとっての家よ。気に入ってもらえたら嬉しいわ」
少女は喜色を乗せた笑みで、更にイリヤを奥へ誘う。
やがてある一つの扉の前で少女は立ち止まった。それは変哲のない普通の木の扉だった。今まで見てきた扉には頑丈な鉄の板がはめられていたり、複雑な文様が銀の線で埋め込まれていたりもしたのだが、この扉だけはイリヤでも見たことのありそうなごくごく普通の扉だった。
「ここは何の部屋なの?」
黙ってしまった少女にイリヤは尋ねる。少女はわずかに間をおいた後、先ほどとは違った笑みで言った。
「ここは『イリヤ』の部屋よ」
扉の中は今まで見てきた部屋と少し様子が違っていた。普通の赤い炎が燃える暖炉に、手触りのよい柔らかな絨毯。天蓋のついたベッドに、少女にぴったりな高さのテーブルと椅子。窓際には大量のぬいぐるみが、その下の背の低い本棚には分厚い本ではなく薄いカラフルな絵本が並び、絨毯にまではみ出していた。壁際にはブラシの置かれた鏡台とドレスの端が覗いているクローゼットがあった。
そこは人が人として生活するための部屋だった。
「ここ、あなたの部屋だよね?」
イリヤは目に付いた絵本を広げながら言う。足下にあった所々すり切れた絵本だ。
だが次の瞬間、身をこわばらせた。
イリヤに向かって絵本が語りかけてきたのだ。正確には絵本から音声が流れたと形容すべきなのだが、イリヤが驚いたのはそれだけではない。
発せられたのはしっとりした大人の女性の声。慈愛に満ちた、イリヤにとって聞き覚えのありすぎる声。そう、イリヤの母親アイリスフィールの声である。
「え、なんで、ママの声が聞こえてくるの? それにこの話って……」
拙い絵で描かれていたのは、幼い頃にアイリが読み聞かせてくれていた話だ。いい加減なノリで大雑把に話を展開させてしまうアイリが勝手に続きを創作した、イリヤと兄の士郎しか知らないはずの内容がそこに記されていた。
あまりの不可解さに、知らず足が後退を始める。だが、床にはみ出していたぬいぐるみの一つに足を取られ尻餅をついてしまう。
そして思わず手をついたぬいぐるみから染み込んできたモノにショックを受けた。
(おとーさん、ママ……外国になんか行っちゃやだ……ずっとずっと傍にいて。おにいちゃんもセラも、イリヤをおいていかないで)
それは初めて両親がそろって家を空けたとき、イリヤの胸の内で渦巻いた心の声。むしろそれ以上に伝わってくるのは、家族の不在という喪失感と不安、そして寂しいという感覚。小学校へ上がる前であったから、昼間は兄も学校へ行ってしまい、セラもどこかへ出掛けることが多かった。リズだけが傍にいてくれたのだが、他の家族がそろっていた時よりもずっと心細い思いを抱いたものだ。
「どうしてあのときの気持ちが流れてくるの? ……ここは、この部屋はいったい何なの!?」
動揺を露わにするイリヤ。
それに少女は冷静な声をかぶせる。
「だから言ったでしょ。ここは『イリヤ』の部屋だって。イリヤが聞いたこと、知ったこと、『私』にまで届くような感情を保存しておく場所。私の唯一の外との接点」
少女は微笑んでいる。変わらぬ笑顔で。
イリヤは不意に恐ろしくなった。さっきまで気安く接していたこの少女が、当たり前に受け入れていたこの状況が。そしてあの日常の家へと帰る方法が分からないことが。
「そんなことより、このドレスどう? イリヤに似合うと思うんだけど」
少女はイリヤの様子を気にせず、クローゼットから一着のドレスを取り出す。少女が身につけているものに似た、白のドレス。ただ、少女のものよりもフリルやレースがふんだんに使われており、世の中の少女たちが一度は夢見るお姫様になれるような、そんなドレスだった。
だがイリヤは首を横に振った。そんなことに気をとられている場合では無い。とにかく今は少しでも少女から距離を取らなければ。
イリヤは扉へ駆け寄った。僅か数歩の距離。特に何の妨害もなくたどり着くが、扉のノブは回らず、ドンドンと叩いても開く気配はない。焦燥ばかりが増していく。
そして
「ほらやっぱり。似合うと思ったわ。だって『イリヤ』だものね」
少女が目の前にいた。イリヤは扉に背を向けていて、いつの間にか服も替わっている。
少女はイリヤの服を着ていた。イリヤにとっての普段着を、あちらの世界の象徴を。肌が色白であることを除けば、いつものイリヤとなんら変わりない格好だ。
一方でイリヤが着ているのは、少女が手に取っていたドレスだった。だが着慣れぬ形式の服装は違和感でしかない。イリヤの脳裏に、ただ飾られるだけの着せ替え人形のイメージがよぎった。
「……何のつもり。私を閉じこめて、そんな格好をして」
イリヤは精一杯の虚勢を張り、少女に問いただす。嫌な予感が加速していく。
「始まったんでしょう、戦争が。
同じ目線の小女の瞳には、堅い意志があった。
イリヤには少女の言葉を全て理解する事はできなかった。ただ、少女が求めていた力と関係があることはなんとなく分かった。封印を解いたことでイリヤに成り代わろうとしていることも。
「あなたの役目はこれで終わりよ。本当は私の方が先に産み出されたんだけど、人間性の取得はあなたの方が先だったから、こう呼んであげる。――――お疲れさまでした、お姉ちゃん」
少女の唇がイリヤの頬に触れる。それは少女が学んだ愛情表現。アイリがイリヤや兄にする親愛の表れ。
少女が扉を開ける。イリヤは動かない。否、動けない。
彼女は行くだろう。この石の古城を出て、雪原を抜け、夢の通い路を通り、イリヤの日常へ。
(だめ、……それは絶対にだめ! 誰か、誰かこの子を止めてーーーーーーー!)
イリヤの無音の悲鳴がむなしく霧散する中、それは届いた。
ドゴゴーーーーン。
振動を伴う轟音。扉を出ようとした白の少女も怪訝に眉を寄せる。
轟音は一発では治まらず、断続的に続く。そして音と振動の様子からして徐々に近づいてきているようだ。
「侵入者? あのふざけた礼装とのパスは遮断してあるはずだし、いったい誰が……」
少女のつぶやきは中断される。今まさに一際激しい破砕音とともに、扉のすぐ隣の壁が破壊されたからだ。
細かい塵が舞う中、奥から顔を出しだのは――――
「やっほー、イリヤ大丈夫? こっちの『イリヤ』もこんにちは」
アインツベルン家のハウスメイドであるリズだった。
「リズ! どうしてここに!? っていうかすごいギリギリだったんだけど! あともうちょっとで破片の下敷きだったんだけど!」
「結果的に大丈夫そう。だから問題なし」
「おおありだよ!」
普段との変わらないリズとの会話。さっきまでの緊迫した空気が嘘のようである。
ちなみにリズの服装はこの空間に全く似合わない、いつものだらけた格好であった。ショートパンツに伸縮性のあるタンクトップ。見ているだけでこちらが寒くなってきそうな格好である。もっとも手に持っていたのは、張りぼてだとしても振り回すの大変そうなゴツい
「階層構造はいじってあったはずだけど、よくこんな短時間でここまで来れたわね。リーゼリット。
――――付属品の分際で私の邪魔をするつもり?」
「イリヤが呼んだから来れた。――――イリヤを消させはしない。例え『イリヤ』の望みだとしても」
その言葉に空間がピシリと凍った。少女――『イリヤ』から発せられる怒気が空間を侵し、空気が軋んでゆく。その中でリズは静かに戦斧を構えた。
そして背に庇っているイリヤに小声で告げる。
「私がこの子を押さえる。イリヤは探して。『イリヤスフィール』の核となる杯を」
「え? サカズキってなんで? 見つけてどうすればいいの?」
「願えばいい。イリヤが望むように。――――さあ行って」
リズは戸惑うイリヤの背を押す。既に気配は臨戦態勢だ。
「う、うん。その子、死なせないでねっ」
イリヤはそんな言葉を残し、穴の空いた壁に飛び込んだ。
リズの心配をしなかったわけではない。だがイリヤの服を着た無手の女の子と物騒な斧を持ったメイドでは、後者の方に勝負の軍配が上がっただけ。前者がイリヤにとって危険なことはおいといて。
穴の先はどこに繋がるかも分からない廊下だった。燭台には小さな種火が瞬いているだけで足下もよく見通すことができない。
直後、轟音が背後から飛ぶ。慌てて振り返るがそこにはただ廊下の一部があるのみ。
ぽつんと独りになったイリヤだったが、頭を振りかぶると、意を決して薄闇の中を駆けだした。
別名:一番小さな聖杯戦争