ということであの子が参戦です。アイリさんとの絡みから、封印解いたら出てくるよねーと思い至ったら書かずにいられなかった。
前々回のキャプション詐欺みたいになりましたが、バサカ戦はもうしばらくお待ちください。
粉砕の意を込められた魔力塊が、冷涼な大気を焦がす。
触れればただでは済まされない破壊の光。それが常人では視認が困難な速度を伴い、金属線で編まれた鳥から次々と発射される。
広々とした空間に響くは破砕音の狂騒曲。それを伴奏として舞うは
「……舐めた真似をしてくれるわね、リーゼリット。何が『死なせないで』よ。私はあの子の全てを奪うつもりなのに? 随分とおめでたいオツムをしているようね!」
「それは平和な世界で生きてきた証拠。人の命を尊重する、イリヤの優しさ」
「ただの弱体化よ! そんなので聖杯戦争は生き残れないわ!」
少女は魔術で形成された鳥を操作し魔力砲を放つ。数は三。左右と上方向から強襲させる。軌道を捻じ曲げた同時攻撃。だが、戦闘能力を特化させたホムンクルスは測ったかのようにそれらを避け、あるいは戦斧を盾として弾き飛ばす。
そして少女が砲撃の術式に魔力を供給する間に、リーゼリットは戦斧を振りかぶる。狙いは魔術を行使する少女――――『イリヤ』。十分に溜めをとり、一言『イリヤ』に声をかける。
「右斜め下」
「……ッ」
『イリヤ』は左後ろへ跳んだ。目の前の空間を質量ある鉄の塊が切り裂いていく。
床に敷き詰められた石板が粉々となりその威力を示す。鋭く欠けた破片が向かってくるが、『イリヤ』の展開する防壁はその程度なら十分防ぐことができる。
それさえリーゼリットの思惑の内と思うと、自然、苦いものを噛んだ表情にもなった。
「……本当に舐められたものだわ」
場所は玄関ホールへと移動していた。
戦いが始まって早々、私室を荒らされるのを忌避した『イリヤ』が階層を操作したのだ。そうして錬金術の大家アインツベルンらしく金属線から戦闘術式を乗せた魔鳥を生み出し、いいところで邪魔をしてくれたリーゼリットに制裁を下そうとしたのである。
だが相手は来る聖杯戦争のため、サーヴァントとも戦えるほど戦闘能力を備えたホムンクルス。膂力だけで言えば下手に召喚された英霊にも優る。
『イリヤ』にとって聖杯戦争の初戦ともいえる戦いの相手が護衛役のアインツベルンのメイドなのは皮肉すぎる状況なのだが、これから共に聖杯戦争を駆け抜ける侍従と思っていたリーゼリットの裏切りともとれる行為は、『イリヤ』をいたく刺激するものだった。
本来ならば、直接手出しできないよう階層を操作し、リーゼリットを無限回廊にでも閉じこめるべきだった。その間に『
だが『イリヤ』の胸の内に沸いた感情が、リーゼリットと直接相対することを選んだ。理屈では無く、人間的な感情が『イリヤ』を動かしたのだ。
はじめは魔術で創り出した鳥一羽で十分リーゼリットを相手取ることができると思っていた。そのかたわらで階層操作もできると高をくくっていた。
しかし状況は戦斧を持つホムンクルスが優勢だった。
魔鳥による砲撃はことごとく躱され、戦斧で弾かれ、爪や嘴による牽制でさえ人外の膂力によって振り回される戦斧に阻まれ機能せず。また重量に加え対魔術の施された戦斧の一撃は、魔鳥の防壁を軽々突破した。盾となり得るものが無いのであれば――あとは『イリヤ』自身が避けるしかない。
あのようなモノで身を斬られ、潰されるのは、『痛いこと』だと知っているが故に。
(これが実戦……)
『イリヤ』は思う。いくら内部で習熟を重ねようと、所詮は空想の域を出ないのだと。
この空間は現実と同じ物理法則を敷いている。実際の戦闘の場は現実なのだ。同じ環境で動くことができなければ話にならない。だからこそ『イリヤ』の魔術回路も身体能力も現実に即して構成されている。
だが『
『イリヤ』が戦い続けていられるのは偏に、相手に自分を殺す気はなく、ただイリヤの妨害をさせないためだけに戦斧を振るっているからだ。
「甘いわねリーゼリット。イリヤの味方のくせに、イリヤの敵を殺さないなんて」
「私に『イリヤ』は殺せない。それにイリヤだけの味方でも無い」
「ウソ。イリヤが『
そう啖呵をきった『イリヤ』は、リーゼリット主導の膠着した戦況を打破するために、もう一体の鳥を編み上げる。負荷は今までの倍になるが、意志を集中させ耐えた。
このままズルズルと戦闘を長引かせてしまえば、イリヤが目的の部屋に到達してしまうのかもしれない。ならば全身の魔力回路が軋もうとも、多少の無茶は受容すべきだ。
そしてアインツベルンの悲願のためにと、加減していた砲撃出力のリミッターを解く。リーゼリットは『
「多少、手足がちぎれたところで問題は無いでしょ。ここは精神世界なんだから。機能の方に問題が出たら、あとで調整してあげるわ」
二羽目の魔鳥をサポートとし、さっきまでの二倍の手数でリーゼリットを押しとどめる。そしてその間に更にもう一羽、追加で魔鳥を造り上げる。編み込んだ術式は魔力砲の発射のみ。飛行能力が無い代わりに魔力蓄積量が多く、先の二羽とは比べものにならない砲撃を撃つことができる。あの戦斧に込められた対魔術でさえ受容できない出力だ。
リーゼリットさえ行動不能にしてしまえば、あとは思考一つでどうとでもなる。
『イリヤ』の口元に自然と笑みが浮かんだ。
悲鳴を上げる魔術回路と三羽同時操作という怒濤の並行思考量に沸騰する頭。
それでも勝利の道は確定している。これで決着がつく。
リーゼリットの足も魔鳥二羽の猛攻によって止まっていた。
(目標、照準固定。魔力チャージ完了まであと数秒。私の勝ちよ――――リーゼリット!)
最後の一撃が発射されようとした、その瞬間――――
「ストーーーーップ!」
場違いな声が響きわたった。それと同時に展開していた全ての術式が強制的に解除され、蓄積された魔力も無害な光となって霧散する。
戦闘の高揚が冷めやらぬ中、『イリヤ』とリズはそろってその声の方向を向いた。響いた声は『イリヤ』そっくりの少女の声。そもそもこの世界に存在する人間はあと一人しかいない。
「……イリヤ」
気が抜けた吐息と共に零したのは誰だったか。
眩い黄金の杯を掲げたイリヤは酷い有り様だった。白のドレスはどこで引っ掛け転んだか千切れかけた箇所がところどころあり全体的に薄汚れていた。華奢でヒールもあった靴は脱ぎ捨てたようで、裸足の足には石畳による細かい傷が走っている。
疲労困憊、足も痛むだろう。しかし息も切れ切れになれながらもイリヤは顔を上げ、ふにゃりと笑った。
「と、とりあえず、戦うのはやめようね。なんか色々危ないし」
「イリヤ、ナイスタイミング」
あくまで表情を変えず親指をたてるリーゼリット。それと対照的に『イリヤ』はその場にふっと座り込んだ。
「……幸運値が高いのかしらね。あともう少しだったのに」
身体は無茶が祟ってすぐには動けない。そしてこの世界の権限を行使する器はイリヤの手にある。
少女は全てを受け入れる罪人のように頭を垂れた。
今更どう足掻こうと、聖杯はイリヤの意志に従う。だから『イリヤ』はもうお終いなのだ。
「さっさと願いなさいよ。私を消して、自分が『イリヤスフィール』として生きていくんだって。……その代わり全部背負ってよね」
「え? ……背負うって何を?」
リーゼリットに身繕いされ、戸惑いを浮かべる様子は何も分かっていない子供のそれだ。『イリヤ』の存在理由も、消失の意味さえ理解していない、ただの子供。
「ソレを持っているってことは、イリヤも見たのでしょう? ソレを置いていたのは廃棄所。成果に値しなかった『
千年続くアインツベルンの研究成果、全ての犠牲の上に成り立つ『
「確か、プールみたいなところになんか沈んでいたけど……。あれって人形とかじゃなくて……まさか」
イリヤの表情が堅く強ばる。
そこは光源が自ら輝く杯しか無い部屋だった。薄暗い水に満たされた部屋の中央、祭壇のような場所に黄金の杯は静かに佇んでいた。入り口から延びた一筋の通路を進み行く際、左右の水面下で微かに見えた輪郭まさしく――――
「『イリヤスフィール』はアインツベルンの悲願を全て背負わなければならない。その為に支払った時間と犠牲、その対価を手にしなければならない。それが『イリヤスフィール』の存在理由。『イリヤ』が行うべき生まれ持った役割」
「なに、それ……。私はそんなの知らない。私はただ、普通に生きて――――」
「あなたはそれでよかったのよ。それがあなたの役割だったから。ただの人間として生き、人の営みを、感情を、『痛み』を私に伝える表装人格。だから、知る必要も背負う必要も無かった。けれど――――」
リーゼリットを味方につけ、『
「……無駄にしないでよね。私が積んだ研鑽と努力。たぶんあなたが願えば全部継承できるはずよ。せいぜい頑張って勝ち残りなさい」
少女は微笑む。精一杯の強がり。それでもこれが最期だと思うと、つい奥底の本音がこぼれた。
「――――私にはそれしか無かったから。それをまた無かったことになんて、しないで」
静かに目を閉じる少女。それにイリヤは――――
バッチーン!
思いっきり、頬をひっぱたいた。
「おっもーーーーい!!!!」
イリヤの渾身の叫びがホールいっぱいに木霊した。
「えっ? あ? えっと?」
ジンジン痛む頬を押さえながら、少女は目を白黒させる。
「いきなりそんなこと言われてもよくわかんないし! 表装人格とかホムンクルスとかアインツベルンの悲願とか、なんか色々突っ込んだらキリがないけど、とりあえず! 私は! あなたの力を借りたいだけなの! 仲良くなりたいの!」
「……は?」
言った勢いのままにイリヤは自分そっくりの少女の手を握る。
少女は意味が飲み込めないというように、リーゼリットに助け船を求める。
常時無表情なリーゼリットは彼女にしては珍しく、淡い笑みを浮かべて言った。
「イリヤは『イリヤ』の消失を望まない。そんな発想もない。他人を殺してまで力を奪おうとは考えない」
「……私は『イリヤ』よ? 他人じゃないわ」
「それでもちゃんと独立した意識がある。歩んできた道のりがある。ならイリヤにとっては尊重すべき他人」
「……」
アインツベルンの歴史の中で、命は、魂は、余りに軽いものだった。少しでも欠陥があれば廃棄された。利用できる部分があれば容赦なく摘出され、次の素体に移植された。力とは奪うものだった。与えられるものだった。
だから『イリヤ』は思ったのだ。今度は自分が奪われる番だと。
しかし。
「……リズはああ言ってるけど、別にそんな大したこと言ってる訳じゃないからね。普通だよ、普通。初対面の子に対して、そんな殺すとか消してやるとか普通思わないよ」
イリヤは気負い無く語りかける。それが本心からの言葉故に。
「あなたを閉じこめて、あなたに成り代わろうとしたのに?」
「それに関しては、説明もなしにいきなりだったし、理不尽ですごく嫌だと思ったんだけど……こんなしおらしい姿を見てると、もう怒りも沸いてこないというか。ちゃんと話してくれれば平和的に解決するような気もするよ」
のほほんと告げるイリヤ。あまりの価値観の温度差に、『イリヤ』は頭が痛くなって来た。
イリヤから流れてくる知識で、一般人の平和的思考というものは分かっていたつもりだったが、これは酷い。あまりに楽観的すぎる。
「……馬鹿ね」
「むー、馬鹿じゃないもん。私なりに考えた結果だよ」
そうやってむくれる様子が、既に緊張感を無くしていることに気付いているのかいないのか。今後自分が消えた後で、このお気楽で詰めの甘いお子様が、苛烈極まりない聖杯戦争に勝つことができるか『イリヤ』は不安になった。
(……やっぱり私がしっかりしていないとダメかも)
『イリヤ』にとって
『イリヤ』は背後の護衛役のメイドに視線を合わせた。リーゼリットはこの結果を予想していたのだろう。イリヤだけの味方だけでも無い、というのは嘘ではなかったようだ。
「リーゼリット、現段階で顕現を確認されているサーヴァントは何騎かしら? 選ばれたマスターたちの動向は?」
聖杯戦争で生き残るためには、己が表へ出ることが必要だ。その交渉の材料として現状を把握しなければならない。なにせ『
だが、リーゼリットは僅かに目を見張った後、首を横に振った。
「……戦争は始まらない。前回から十年が経過したばかり。アイリスフィールが封印を解いたのは……あれ? なんでだろう?」
首をかしげるリーゼリット。それに続いたのは慌てた様子のイリヤだった。
「えーっと、あの、封印を解いてもらったのは、私からお願いしたからなの。ちょっと失敗しちゃったことがあって、それで次は失敗しないように力を借りたいっていうか……」
しどろもどろに説明するイリヤはちらちらとリーゼリットを窺っている。
(……あのことはリーゼリットには秘密にしているのね)
最近になって、魔術世界の厄介ごとに巻き込まれたのは知っている。だが、『イリヤ』が分かるのは知識としてインプットされたことと、特に激しい感情の動きのみ。イリヤがきちんと理解していないことは把握できない。
もっとも。
「……私のこと、二回も使ったくせに」
「え? いま何か言った?」
怪訝になるイリヤを、何でもないと誤魔化す。
過去二回あった封印の解放。どうしようもない状況での祈りは『
だからこそ今回は願う暇を与えず、暗示をかけて城に引き入れたのだ。リーゼリットの邪魔さえなければ、完全に『
無論、イリヤがそれを手に入れた今では詮無きことだが。
こうして正面からこちらの意志を確かめるあたり、問答無用で使われることは無いということか。
「私の出番では無いけれど、力を貸して欲しいってことね。アイリスフィールも思い切ったことをするわ。最初の封印だって、隠蔽のための物じゃなかったのかしら……。まあ、いいわ。協力してあげる」
聖杯戦争が始まったわけではないのなら、そんなに緊迫した状況でもないのだろう。だがイリヤが厄介事に足を突っ込んでいることには違いない。ならば、この周りに流されやすい可愛い妹分をフォローしてあげるのもまた一興だ。
『イリヤ』からの色良い返事に、イリヤは抱き付いた。
「ほんと! ありがとう!」
その子供特有の高い体温に、『イリヤ』は戸惑う。そういえばこうして誰かと触れ合うことなど、この世界が構築されてからは今日が初めてだった。
「あなたも『イリヤ』なんだよね。私の中にいた、もう一人の『
「ええ、そうよ。ある目的のために、ずっとあなたの中にいた『イリヤ』よ。今はその時ではないから、手を貸してあげるわ」
「うん。よろしく『イリヤ』。……なんか自分の名前を呼ぶのって、むずむずするね。ちょっと頭も混乱しそう。――――そうだな、『シロ』って呼んでいい?」
耳元で囁かれた名に『イリヤ』の機嫌は一気に下降曲線を描いた。なんだその拾った野良の動物に付けるような安直な名は。
「私は猫? ちなみに理由は?」
「全体的に私より白くて、雪の妖精さんみたいだから!」
「後半はいいけど、主な理由はただ白いだけ……」
せめてもっとマシな名前で呼ばれたいのだけど。
だが抱きつかれたままげんなりする少女に、賛成、と手を挙げたのは遠巻きに二人の様子を見守っていたリーゼリットだ。
「いいんじゃない? わかりやすいし。シロウと響きが似てる」
「……あ、そういえば似てるかも」
今更気がついたというイリヤの反応。少女の機嫌曲線はちょっとした意地悪を変数として上昇し始める。
「シロウ……シロ……。シロ、ね。あぁ、いいかもしれないわ。イリヤの大好きなお兄ちゃんと同じ響きだもの。私の名を呼ぶたびにイリヤはお兄ちゃんのことを思い浮かべるのかしら? それはそれで毎日が楽しくなるわね」
「んなーーーーー!?」
イリヤのよくわからない奇声と一気に上昇する体温。耳元での
少女は満足げに笑って宣言した。
「私のことはこれから『シロ』って呼ぶように。これからよろしく、イリヤ」
孤独な冬の城の子供が、人肌の温かさを知った日。