ということで、今回はイリヤ、リズ、士郎、凛の視点でお送りします。
一応【19】のラストを受けて書いたわけですが……それを書いてたのは一年以上前とか。うそだー。
ペチペチと何かが頬を叩いている。
柔らかい。何の素材かよくわからないが、まどろむ意識を刺激してくる。
ついで、ジリリリリリと毎朝の目覚ましの音が鳴った。
「イリヤさーん。もう朝になっちゃいましたよー。私とのパスをシャットアウトしてひと晩放置なんて鬼畜の所業ですよー。アレですか、昨晩のあのプレイの腹いせですか。けれどあのくらい対価をもらわないとこの先の契約に支障がでるというか……」
耳元で何やら声が聞こえるが、気に留める必要がなさそうなので無視を決め込む。さっきまで色々大変な目に遭った気がするから、もう少しゆっくり寝ていたいのだ。
そう夢とうつつの狭間に意識を揺蕩わせていると、鳴り続けていた目覚ましの音が唐突に途切れた。布団から飛び出た肌に涼しい外気が当たる。
「おお、やっと起きましたね、イリヤさん! さっさとパスを繋げてくださいよ~。イリヤさんを感じられなくて、私、ホントに寂しかったんですから!」
何か言い回しに考えてはいけない含みがあるように思えるが、目の前で展開されるルビーの挙動には嬉々とした様子が感じられる。飄々としたルビーには珍しく、わりと本気で寂しかったのかもしれない。
「おはよう、カレイドステッキ・ルビー。そして初めまして」
「……ありゃ? イリヤさん? どうしたんですか、そんなかしこまって。まるで初対面な反応……もしや?」
自分の声が挨拶しているのが聞こえる。フワフワした視界にはしっかりルビーが映りこんでいる。
……見えているけど、ちゃんと認識していない感じ。まだ夢の中にいるような。
やがて視界はルビーを外れ、部屋全体を見渡すように移動する。身を起こしたのか、薄い掛け布団がずり落ちる感触がした。
そのままベッドを下り、カーテンと窓を開け放つ。
天気は快晴。朝の光が差し込み、爽やかな風が全身を包む。
眼下の道路では朝の早い車が通りすぎ、周囲の住宅の内外で朝の支度を始める気配がしてくる。イリヤにとってはいつも通りの朝の光景。
「青い空、暖かい陽の光に、人間の動く音と街の匂い。これがイリヤの住む世界……」
しばし外の風景を眺めていたが、くるりと踵を返すと部屋のクローゼットの戸をスライドさせる。
そして自分で言うのもなんだが、うきうきした気分で学校の制服に着替え始めた。
「あのー、イリヤさん? 顔も洗っていませんし、制服に着替えるのはちょっと早過ぎやしませんか?」
「いいの! だって今は着てみたい気分だもの」
いそいそと制服に袖を通す様子は、初めて制服で登校した入学式の日のようだ。
「これでいいわよね」
鏡台の姿見に映るは、穂群原学園初等部の制服を着た銀髪に赤い瞳を輝かせた少女。紛れもなくイリヤ自身の姿である。
イリヤはそれを他人事のように眺めていた。
(今日の夢はやけにリアルだなー)
精神的疲労からくる眠気はまだまだイリヤの意識を朦朧とさせる。
鏡の中のイリヤが様々なポーズをしていると、
「ただいまー」
階下で玄関ドアの開く音がした。
控えめにかけられた声は兄のものに違いない。昨晩は結局、前の家に泊まることにして朝方に帰宅すると、母親であるアイリから聞いていた。
「おかえりー! お兄ちゃん!」
イリヤはものすごい勢いで階段を駆け下りると、居間に入ってきた兄に抱き付いた。正面の腰にしがみつく形だが、ここまで密着したのは久しぶりな気がする。学年が上がるにつれて気恥ずかしさが優り、気軽にくっつくことは出来なくなっていたのだ。
(でも今は夢だからいいよねー。……久しぶりのお兄ちゃんの感触だー)
腕にぎゅっと力を込めて、顔を擦りよせる。かすかに石鹸の香りもするから、シャワーを浴びてきたばかりか。
「お、おう。……今日は朝から元気だな、イリヤは。何かいいことがあったか?」
「うん! お兄ちゃんを見て触って実感してみたかったの! これがお兄ちゃんの匂いなのね」
「……一応、シャワー浴びてきたんだけど、そんなに匂うか?」
若干ずれたことを言うテンションの高いイリヤに兄は苦笑いを浮かべるが、無理矢理引き剥がさないあたりその優しさが感じられる。
そのまま至福の時に浸っていたかったのだが、ここは台所に直結したリビングである。
朝の支度が完了したメイドのセラが、朝食の用意に顔を出すのも当たり前のことで。
「朝から何をやっているのですか、二人とも!?」
生真面目なセラがこの状況に雷を落とすことも、まあ至極当然のことであった。
「いや、これは、その、イリヤがな」
慌てて両手をあげて弁解する士郎。朝一番のセラの怒号は心臓を直撃するものがあったようだ。ドキドキと激しく鳴る心臓をなだめようとする士郎に対し、イリヤというと――――
「み、みぎゃあああああああーーーーー!」
そろそろ語彙録に収集できそうなくらい豊富なパターンを形成し始めた奇声を上げたのだった。
(え、えっ!? これ夢じゃないの!? ホントにお兄ちゃんに抱き付いて、あんなことまで言って?! えっ、どうしよう? いや、どうする?!)
セラの雷によってはっきりと目が覚めたイリヤは混乱の真っただ中。思いっきり後ずさりをして離れたのはいいものの、所在のない手は無意味に上げ下げして下手なパントマイムを演じている。
「朝から乙女のスクリームが聞こえたと思えば。おはようイリヤ、シロ。おかえり、シロウ」
そこにひょこっと現れたのは、まだパジャマ姿のリズだ。
「おはようリズ。っていうかなんで俺の名前二回も呼んだんだ?」
首をひねる士郎を置き去りに、リズはあたふたしているイリヤの手を引いて二階へと戻ろうとする。
「リーゼリット、イリヤさんを連れてどこへ?」
「朝のスクリームはご近所迷惑。そこらへんをちょっと説教しに」
「あら、あなたにしては珍しい……では私はシロウの方を」
セラの目はがっちりと士郎をロックオンしている。これは日頃の細かいことについてまで言及する構えだ。
「勘弁してくれ!」
その後少しの間ドタバタと小規模な鬼ごっこあったとか無かったとか。
「少しは落ち着いた?」
リズはイリヤの部屋に入りドアを閉めると、そう声をかけた。
「う、うん。何とか。……もう恥ずかしすぎて死にそうだけど」
ベッドの縁に縋りついて顔を伏せるイリヤ。だが次の瞬間には何でもないように顔を上げる。
「でもイリヤだってすごく嬉しそうにしていたじゃない。あのくらいのスキンシップは家族ならして当然じゃない?」
「違うもん! 他意なく抱き付ける年齢はもう過ぎ去っちゃったの! 世間的にもう周りの目が厳しいの! 乙女心は複雑なの!」
「……好きなら好きって言っちゃえばいいのに」
「だってお兄ちゃんは家族だもん。兄妹で恋愛はタブーなの! ……タブーだけど」
「社会の中で生きていくための世間体ね。理解し難いわ」
以上が一人の少女から出た台詞である。まるで落語のような一人芝居に見えるが、実質二人いるのだからしょうがない。
リズはイリヤの正面に胡坐をかいて座ると単刀直入に尋ねた。
「シロがイリヤの身体を使う権限はどれくらいあるの?」
「えーっと、えっと、あれ……?」
答えに詰まるイリヤの代わりに、返答したのはもう一人の『イリヤ』だ。
「五感は共有、身体操作の主導権の割合はだいたい四対六で、イリヤの方が強いわ。イリヤが死ぬ気で頑張れば、私は引っ込むしかないわね。……できれば私も色々体験してみたいのだけど」
「だからって、お兄ちゃんにいきなり抱き付くとかは却下! べたべたくっついてお兄ちゃんに鬱陶しい子だと思われたくないし……」
一人百面相は傍から見ている分には面白い。だが、事情の知らない者から奇異の目で見られることは必至だろう。昨夜の時点で薄々察していたことだけに、イリヤが可哀相な事態に陥らぬよう、リズはメイドとして忠言を献呈する。
「今のうちにシロと約束事を決めておくといい。境界の扉を直結したところに置いたのはイリヤの責任。シロの行動の責任はイリヤにある」
なにせシロが私室と設定した部屋の中に、イリヤの領域への象徴たる自室の扉を設置してしまったのだ。城と森と雪原を大幅にショートカットした荒業に、城主であったシロは呆れかえっていたことだろう。つまり表の身体へアクセスする際の障壁を悉く失くしてしまったのである。結果としてイリヤの意識が休んでいる時や、ボーっとしている状態では、シロの意識が容易に表へ出易くなってしまっているのだ。
「シロもこちらの世界に関してはイリヤの方がお姉さんなのだから、よくイリヤの言うことを聞くこと。あまり変な事を起こすと良からぬ輩に目を付けられる」
「はーい、ようは魔術を使わなければいいんでしょ。分かってるわよ、そのくらい」
きわめて軽く返すシロに、リズは、あっ、これよく分かってないヤツだと思い、イリヤに向かって親指を立てた。
「……イリヤ、頑張れ。ファイト」
「うん。……ガンバリマス」
おそらくは好奇心赴くままに行動を起こすであろうシロを、制止できるのはイリヤしかいない。ある意味自業自得な訳だが、ここは先達としての振る舞いを身に付けてもらわねば、シロの再封印ということもあり得る。
若干ひきつった笑みを浮かべるイリヤを尻目に、リズは立ち上がって言った。
「じゃ、私は朝の支度をするから。朝食の時間になったら降りて来て」
あとはイリヤとシロ次第。そう頷き部屋を後にしたリズは、はたと立ち止まる。
(あ、……セラにはどう伝えよう)
頭の固い同僚への説明はとてつもなく面倒に思えてしまうリズであった。
ちなみに、アイリスフィールへの説明はたったの数分で終わったとか。
*************
「お兄ちゃーん、朝ごはんできたってー」
いきなりノックもなしに開かれた扉に、士郎はビクリと肩を震わせた。
反射的に目の前の机に置いていたものを鞄の中へ突っ込む。
「おーい、人の部屋に入るときはノックを忘れるなよ。いつもはちゃんとできていただろう?」
「ごめーん。今度から気をつけるー」
扉から顔をのぞかせたのは、いつもに増して生き生きとしている妹だ。今も注意の言葉を飛ばしたはずなのに、それにさえニコニコと笑みを浮かべている。まあ、昨日の朝の状態を思えば、明るく元気なことはいいことだが。
「でも、セラが声かけてたのに気づかないお兄ちゃんも悪いよ。早くしないとごはんが冷めちゃうし」
「ああ、それは確かに俺が悪いな。学校に持っていくものを用意するのに手間取っていたんだ」
士郎はそう言いながら通学鞄を掲げて見せる。本当は今日の授業で使う教科書やノートなどは既に昨日のうちに放りこんでいた。階下からの呼び声を聞き逃したのは別の理由によってである。
ふーんと鞄に視線をやったイリヤだが、何か気になるものがあったのか、部屋の中に入り込んで来た。
「お兄ちゃん、これ、何?」
イリヤが机から摘み上げたのは、ちらちらと銀の細線が光る透明な石だ。親指くらいの大きさで、六角柱のかたちをしている。
「っと、それはな。……知人からの預かりものなんだ。なんでも……、交通安全……の御守りらしい。鞄に入れ忘れていたんだな。ありがとう、イリヤ」
士郎は何でもないように手を差し出し、イリヤからその石を受け取ると、ハンカチに包んで鞄に入れた。イリヤは石が気になったか、その一連の流れをじっと見ていた。
「なんか気になることでもあったか? イリヤ」
「えっと……。その御守りって、いわく憑きな物件だったりする?」
「さあ、どうだろうな。一応、水晶の一種みたいだし、天然石パワーでも宿っているんじゃないか?」
軽い調子で一般的な見解を述べる士郎。
イリヤはそれに何故か数秒唸った後、
「たぶん、それ、結構ご利益がある御守りのような気がする。いっそのこと失くしたことにしてもらっちゃえば?」
と人間関係に罅が入りそうなことを言ってきた。
「駄目に決まってるだろう。あくまで預かっているだけなんだし。お前はいつからそんな悪い子になったんだ――――とりゃっ」
銀の頭にお仕置きのチョップを落とす。アイリスフィール直伝のチョップであり、ある程度は効き目があるように調整はしているが―――――なんと、間一髪でイリヤはそれをバックステップで避けてしまった。
はて、いつもと同じようにやったつもりなんだが、とまたもや首をひねる羽目になった士郎に対し、イリヤは「下で待ってるよー」と捨て台詞を残し階下へと逃げていったのであった。
士郎はそれを見送り、そして。
「……危なかったー」
ふーっと大きく息を吐いた。ギシっと音を立てて椅子にもたれかかる。今頃になって冷や汗が出てきた。
(魔術関連の物を晒すなど大マヌケもいい所だ。……まったく、今の誤魔化しを続ける気なら最後まで貫き通せ。辻褄が合わなければそこから怪しまれるぞ)
(わかってるさ。でも、この調子をずっと続けていかなきゃいけないのは―――キツイな)
姿が見えない隣人は、これくらいで疲れてどうする、と呆れた表情でいるに違いない。
だがこれは、家族に対して嘘を演じることだけに対する精神的疲労ではないのだ。
考えても見て欲しい。下手な言い訳で勘付かれるようなものなら、精神的にボロボロにしてやると言わんばかりの殺気がチクチクと針の筵の如く纏わりついてくるのを。そんなプレッシャーの中でほぼいつも通りに振る舞えというのだから、疲弊してもしょうがないと思うのだが。
ちなみにアーチャーは今、霊体状態の己の行動範囲がどれほどかを調査しに士郎から離れた所で監視、もとい待機している。だがカードのせいでラインが結ばれているため士郎の状況は筒抜けであり、窓からの突き刺さる視線が痛い。士郎の視力で視線の主が捉えられないのも悔しい限りだ。
気になるのであれば家の中に来ればいいものをと思うのだが、ホムンクルスの性能次第では霊体を感知するかもしれないという理由からアーチャーは家に立ち入ろうとはしなかった。
なんとなくだが、士郎の養母であるアイリスフィールを避けているような節もある。
(そら、グズグズしていないで、さっさと入れ直して下へ向かわんか。今度はメイドの雷が飛んでくるぞ)
「それはもう勘弁だ」
士郎は深呼吸を一つすると、鞄の中からさっきの石を取り出し、改めて直前に放り込んだ赤い包みを広げた。中には“Archer”と書かれたカードと魔力の詰まった鉱石がいくつか。そこに件の御守り石を加える。
魔術関係の物はとりあえず、アーチャーが投影した赤い布に包んでおけばいいらしい。
(遠坂もマメっていうか、生真面目だよな。こんなにもらっちゃっていいのか?)
(受け取らねば彼女の気が済まなかったようだからな。なに、これらで相応の働きをすればいいだけの話だ。上手く活用すればこの借りはすぐに返すことはできる)
士郎の困惑にアーチャーは鼻で笑って答える。
返す当てがあることは結構なのだが―――その言い分に士郎はやっぱり、と唇を噛んだ。
(こいつ、昨日遠坂の命を一回救ったことは勘定に入れていないんだな)
口では貸しと言いつつ、アーチャーは人を助けることに見返りを望んでいるわけでは無いと分かっていたが、礼として贈られたものを、礼として捉えていないところに、モヤモヤとしたすっきりとしない感情が湧き上がる。
遠坂には感謝すべきかもしれない。なにせ遠坂くらいに押しが強くなければ、頑としてアーチャーはこれを受け取りもしなかっただろうから。
まあ受け取らせ方は少々ダイナミックだったが。
「お兄ちゃーん、はーやーくー」
階下から催促の声がかかる。そろそろタイムアウトの時間のようだ。
「やばいやばい」
士郎は包み直した赤い包みを鞄の奥に仕舞うと、すぐにも持って出られるようにきっちり蓋をする。
「これでいいんだろう?」
そうして外にいる見えない誰かさんを一瞥すると、家族の待つ朝の食卓へと向かったのだった。
***********
「あー、最悪」
凛の気分は最底辺を漂っていた。
起床して朝の支度に身体を動かしていても、なんら気晴らしにもならない。朝の清らかな光が眩しいくらいだ。
思い返すは昨夜の出来事。フェイカーに助け出されてからの一連の流れである。
(うっかり遠隔起爆可能な爆弾を渡そうした相手には、あーするしかなかったのよ。それが遠坂の流儀よ。しかもバーサーカーから間一髪のところで助けてもらっちゃっていたし)
昨日の日中は学校にも行かず、Aランクの魔術の仕込みと、とある礼装の制作のため自分の魔術工房に引き篭もっていた。頭にあったのは対バーサーカー戦と、フェイカーへの詫びをどうするかということだった。
(簡易の物理保護障壁と一度限りのBランク防御結界の展開。あと多少の魔術補助もあるけど、アイツの属性なんか分かるわけないし。……ほとんど使い捨ての手抜き礼装だわ)
凛たち一流の魔術師を自認する者ならば、そんな下位の礼装など必要ない。礼装に頼らずとも自前の術式を展開した方が元は安いし精度も高いのである。
しかしあのやけに腕っぷしの強い三流魔術師は。
(そう、碌な防御を持っているようには見えなかったから――――)
つい詫びも兼ねて戦力増強になれば、と思ったのだ。決してアイツ自身に心配したわけでは無い。これから共に強敵であるバーサーカーを打倒するため、少しでも損害を抑えるための布石として渡したに過ぎない。
と自分に言い訳をしつつ、ならばなんと中途半端なものを作ってしまったのだろうと後悔もよぎる。あんな一日で加工して仕込めるような簡単な礼装なんかでよかったのか。ちゃんと等価交換の法則に則って借り貸しの釣り合いが取れているのか。
時間と材料を惜しまなければ、もっと上等な礼装も制作できたはずだ。
(でも、バーサーカー戦に向けての準備も力を入れなきゃいけなかったし……アレが色々な制約の中でできる最大の譲歩だったのよね)
素材はルチルクォーツ。日本語で針水晶とも訳される鉱石で、水晶の結晶過程でルチルという鉱物が針状に形成され水晶内に取り込まれた石だ。
遠坂の宝石魔術では石の中で魔力を流転させ保存する。そのため年季が長いものや曰く憑きであるものである他に、純度と透明度の高い鉱石もよく使う。だが、罅や不純物が混入した石はそうした用途に向かず、選別後、屑石として工房の隅に放っておいてあったのだ。
(一応、状態はいいやつを選んだつもりだし、内包物が銀っていうか金属質に見えるのがアイツのイメージに合っていた……けど)
蘇るのはアイツの言葉。
腹をくくって前日の失礼な振る舞いを謝り、詫びとして用意した礼装を見せた際、フェイカーは言ったのだ。
『ああ、やっぱりアレはそうだったか。素直に謝るとは思わなかったよ。
なに、君の家系の呪いのようなものはある筋では有名でね。私も君のような前途有望な魔術師の信頼を、こんなつまらないミスで無くしたくないと思っていたから、見て見ぬ振りという大人の対応をしたわけだが……まさか自分から恥を申告するとはな。まだまだこういう機微には疎いんだな』
と。
思わず命の恩人相手にドロップキックを繰り出したことは間違ってはいまい。
「……そんなの分かるか」
つまりフェイカーは凛のうっかりを許容するだけでなく、美遊やルヴィアたちの手前、凛の顔まで立ててくれていたのだ。高価な貴石だけを投げ返した時には、もう色々ばれていたわけだ。
「でもおかしいじゃない。なんでそんな、私に悪意が無かったって確信していたのよ」
フェイカーと初めて邂逅したのはたった三日前だ。それに最初からアイツを不審人物と疑ってかかっていた。第一印象は良いものであるはずが無い。
(昔、私が覚えていないだけでどこかで会っていた……? でもアイツは一言もそんなこと言ってないし、あんな外見に特徴のある奴なんか忘れそうにないんだけど)
かき上げられた真っ白な短髪に褐色の肌。でも顔立ちはアジア系――――むしろ日本人寄りの造形だ。背はだいぶ高い方だが、男子の成長期は人によって様々で数年で見違えるほど伸びていたりもするので、あまり手掛かりにしない方がいいかもしれない。
歳は二十代半ばか――戦闘での貫禄が板についているから、それ以上にも見える。
しかし、いくら記憶をひっくり返しても該当する人物は出て来ない。もしかしたらの可能性の一つとして、物心つく前に父親の縁で会ったことがあるかもだが。
「ということで、お母様は心当たりあります? 白髪褐色肌の三流魔術師に」
凛は昨夜の流れを大まかに説明すると、真剣に耳を傾けてくれていた葵に尋ねた。
場所はリビングの朝食の席。食後の紅茶を頂いていた時である。
「残念ながら思い当たる人物はいないわ。時臣さんの繋がりでもそんな人いたかどうか」
口元に手をあて眉を寄せる葵。その様子ではこの推測は無意味なようだ。
「はぁー。いったいどこの誰なのよ、アイツは」
大仰に溜息をつく。この点に関しては謎が謎を呼び、いつまでたってもフェイカーは怪しい人物のままだ。
「あらあら凛ったら、赤毛の男の子を追っていると思ったら、今度はそのフェイカーさんに夢中なのね。いいわよ。若いうちは色んな経験をしておけばいいわ。どんな経験もいずれは宝石みたいな思い出になるんだから」
「―――――は?」
突然あさっての方向に舵をきった葵。そのニュアンスにはつまり、凛がフェイカーに――――
「んなわけあるか! いや、絶対ない! そう有り得ない!」
「でもあれだけ言われたのに、結局、用意しておいた礼装は渡したのでしょう? 彼を心配して」
「あれは、心配したわけじゃなくて、ただ単に借りを一つ返しただけです!」
即座の切り返しにも、葵はぽかぽかと笑っているだけである。
(だから、ホントにアイツに関しては……なんていうか違うのよ)
赤毛の男子生徒に向ける気持ちは、憧憬に似た綺麗なもの。断じてフェイカーみたいに、いちいち苛ついてこんなにも感情が引っ掻き回されるようなものではない。
「フェイカーはただの協力者! それ以上でも以下でもないわ!」
そう、だから葵の思い描いているようなのものではないのだ。
フェイカーを気にするのは任務達成で損害を出さないため。イリヤはおそらく参加しないと思うが、美遊という子供も巻き込んでしまっているから、安全性の確保は重要なのだ。
(フェイカーは協力者。前回の詫びはアイツが茶化して流したからチャラ。バーサーカーから助けてもらった借りは、礼装を押し付けたからイーブン。
アイツの正体は分からずじまいだけど、とりあえず向こうからの信頼はあると)
整理は付いた。モヤモヤした気持ちを引き摺ってもしょうがない。準備は万端にしなければいけないのだから。
凛は葵に声をかけて居間を出ると、まっすぐに地下の工房へ向かった。
まさにツンデレ。