Fate世界はどこまで広がるのやら。
久しぶりの投稿ですが、あまり話が進みません……。
プリヤドライ7巻も出たというのに。
ドライ世界の間桐家がすごいことになっていたので、この作品の慎二君に関してはめっちゃ訂正が入りました。せめてこのプリヤ時空では間桐家は幸せになってもらいたいです。
「じゃあ行ってらっしゃい、シロウ」
「行ってきます、アイ……母さんも気をつけて」
笑顔というのはどうしてこう単純かつ、こんなにも色々な意味を内包できるのだろうか。
動物が笑う行為は、実は威嚇行動の表れとも言うが、人の微笑みにもただ喜びを表していると思えば寂しさを滲ませたり、妙な圧迫感を与えたりと中々に奥が深い。
学校へと登校する士郎に、しばしの別れの言葉をかけたアイリの表情はまさにそれだった。
(母さんって呼ぶのはなんか、照れくさいんだけど)
とても今年十七になる息子がいるように見えない母親なのである。整った容姿に下手すれば十代でも通りそうな若々しさを備える女性を、人前で母さんと呼ぶのも中々勇気のいることだと思う。
(あれには逆らえないんだよなー)
小さい頃からアイリが怒鳴ったり声を荒げたりする姿を見たことはない。いつも笑っているのが常であり、その笑顔に込められた機微を察することが、ある意味アイリとのコミュニケーションでもあった。
「……母さんもすぐに戻らなきゃいけないんだよな。そんなに仕事、大変なのか?」
「ええ、ちょっとね。切嗣も向こうで頑張っているし、次は切嗣と二人で帰って来れるよう私も頑張らないと」
口ではそう言いつつも、それがいつになるか予想ができないほど状況は大変らしい。一緒にいられる時間が少なくなってしまうことへの申し訳なさが、笑顔の裏に透けて見えた。
しかし、今日はいつものそれと、あと少し違った要素も見える。
「昨日今日でなんかいいことでもあったのか?」
士郎が尋ねると、アイリは少し目を見張り、そして小さくポツリと零した。
「……子供たちの成長って、親にとっては何にも代え難いものなのよね。シロウもイリヤも少し見ない内に立派になって――――ちょっと安心したの。もう私たちが手を引かなくても、自分の足で進んでいけるんだって」
最近は親らしいことは何もできていないけど、と続けたアイリは両腕を士郎の肩に回す。その柔らかな抱擁は子の自立を喜びながらも、その温もりを惜しんでいるように思えた。
士郎は顔を赤くしながらも、振り払いはしなかった。危険な戦いに身を投じているアイリにとってこの時間が何よりも大切なものだと、分かったから。
だからこそ士郎は言う。これはある意味自分に向けての宣言だ。両親と共に家族を守るという決意を確固とするための。
「母さん。俺も頑張るよ。いつか絶対、母さんや切嗣……親父に追いついてみせる」
アイリが顔を上げる。見開いた眼はイリヤと同じ鮮やかな赤。
今も昔も変わらぬ、大切な色。
「……家族だからさ。降り懸かる困難にはみんなで立ち向かわないと」
今はまだ未熟だけど、少しでも両親の負担を減らせるのなら。
そのための艱難辛苦はどんなものでも乗り越えてみせる。
「あらあら嬉しいことを言ってくれるわね、シロウ。ほんと男の子の成長ってあっと言う間ね。えっとこういうのは男子刮目して見よって言うのかしら?」
士郎の宣言に破顔したアイリは、嬉しさのあまりギュウギュウと身体を締め付けてきた。
(うああああああ)
現時点で士郎とアイリの身長差は約十センチ。頬に当たる銀髪から香る匂いと自身の胸板に押し付けられる柔らかな感触、それに加えて昨日の魔術修行で負った傷からの痛みで内心は悲鳴の嵐だ。
「アイリさん、ちょ、そろそろ時間だから、その、離してもらえませんか」
しどろもどろに声をかける士郎に構わず、アイリはこころゆくまでその抱擁を緩めない。
今朝のイリヤの突撃にも耐えた士郎だったが、流石に普段の態度を取り繕うにも限界が迫っていた。
しかも地味に背後からの追撃が痛い。視線の主は言うまでもないだろう。
そんな生暖かい目でじろじろ見るな、と背中でサインを出していると、ふいにアイリが士郎の背後に目をやり、軽く手を振った。まるで誰かに挨拶をするように。
(――――っ)
ぱたりと視線が途切れた。
士郎はまさかと思いつつ、一応、アイリの脈絡の無い行動の意図を訊いてみる。
アイリはまったく邪気のない笑顔で答えてくれた。
「ふふ、誰かが優しく見守ってくれているように感じたの。だから挨拶を、と思ったのだけど……気のせいだったかしら?」
士郎はその返答に額からだらだらと汗が落ちるように感じた。
(アイリさんの直感レベル……やばい)
慌ててアイリの腕から身をひくと、たいして乱れてもない衣服を整え門扉に手をかける。
「じゃあ、俺、行くから。アイリさんもじいさんも気をつけて。ホント、無理はしないように」
「ええ。シロウも。あとイリヤのこともよろしくね」
士郎はそれに力強く頷くと、自転車で一気に駆けだしたのだった。
**********
午前の授業終了の鐘が鳴った。
教室は昼休みの喧噪に移行するが、ある一角はやけに静かなままだ。
「おい、衛宮はいるか」
一人の男子生徒が教室の入り口で声を上げた。他クラスの生徒だろう。教室を見回し、目的の赤い頭を見つけて眉をひそめる。
「昼休みは始まったばかりだっていうのに、もう昼寝かよ」
元々不機嫌な様子がさらに下降する。それを見た近くに座るクラスメイトはやれやれと話しかけた。
「前の葛木先生の授業が自習だったんですよぉ。生徒の半分くらいは外に遊びに出ちまいましたが、衛宮のやつは真面目でねぇ。ほら、英語の単語帳を握ったまま寝ちまってるでしょう。ちゃんと勉強する意欲は合ったみてぇだけど、とにかく疲れてたみたいで」
またどこぞの時代劇の番組に影響を受けたであろうフォローに、しかし男子生徒はどうでもいいとしかめっ面のまま目的の人物へ向かった。
「そんなの僕が知るかよ。……おい起きろよ、衛宮」
バンッと大きな音が響く。発生源は机の天板。音は当然うつ伏せで寝ていた者の直下で弾け、その局地的な人災に被害者は即飛び起きた。
「うわっ、な、なんだ!?」
「おはよう、衛宮。学校で悠々昼寝とはいいご身分だな。そのアホ面、いつまで晒してるんだよ」
確かにその起き抜けの顔はなんとも形容しづらいものであった。
熟睡のところを叩き起された生徒――――衛宮士郎は、顔に手をやりなんとか体裁を整えると、その加害者を見てもう一度瞼をこすった。
「……教室で会うのは初めてかもな。桜のことでまたなんか用か? 慎二」
士郎を乱暴に起こした男子生徒の名は間桐慎二。部活の後輩である間桐桜の兄である。
同じ学年ではあるもののクラスが違うせいであまり顔を合わせることは無い人物だ。たまに会うとすれば大抵は部活の前後、桜と一緒にいるときくらいだろう。
「今日は、桜は関係ない。――――頼まれごとだよ、これを衛宮に渡せってな」
慎二が雑に放ってきたのは手に収まるくらいの小さな紙袋だった。士郎が中身を確認すると、装飾的な十字架が彫られたガラス製の小瓶が出てきた。中に透明な液体が入っているのが透けて見える。
「なんだこれ?」
見覚えのない品に疑問符が浮かぶ。目で問いかけるが、慎二は大げさに肩をあげただけだ。
「それ、保健室の折手死亜先生からだよ。僕は渡せって言われただけ」
実に嫌そうな声色で慎二は告げる。
どうやら慎二も折手死亜先生を苦手としているようだ。
(……いや違うな。苦手というか、寧ろ毛嫌いしているような)
慎二が特定の一人を嫌うなど珍しい。いつもは万人に対し当たり障り無い人付き合いをして広い交友関係を持っていると、桜から聞いていた。
ちなみに士郎は慎二に嫌われている珍しい部類の一人であったりする。嫌われているのに何故か絡んでくるのだから、慎二の性格にはまだまだ首を捻ることが多い。
(嫌いなら断ればよかったものを)
しかしあの折手死亜先生の性格から鑑みて、何か弱みでも握られているのかもしれない。あの可憐で物騒な先生は、何をしでかすか予想もつかないところが怖いのだ。
慎二経由で渡されたこの小瓶の中身も、どんなものか想像できないから、つい敬遠してしまう。
士郎のその様子を見た慎二は、大袈裟にため息を一つ吐くとずいっと身を寄せてきた。
(……いや、ちょっと顔が近くないか。そしてなんか怖いぞ)
「なあ衛宮。いいか、よく聞けよ。この僕がっ、わざわざっ、このためだけにお前のところに来てやったんだ。他に有意義に時間を使うところを、わざわざな。なんであれ僕の時間と労力を削って届けたんだから、捨てたり無駄になんかしたら許さないからな」
「お、おう。わかった、無駄にはしない」
慎二の勢いに負けて、士郎は頷く。
それを確認した慎二は何故か舌打ちを一つ鳴らすと、
「今日の保健室は閉店らしいからな、変なところでぶっ倒れるなよ。周りにいい迷惑だ」
と言い残して、教室から出て行った。
突発的な強風に見舞われた後のような余韻の中、士郎は呆然と胸中で呟く。
(……最後のアレ、心配してくれたってことかな)
(さあな。深読みすればそういう解釈もできなくもないが……)
返ってきたアーチャー見解には珍しく、皮肉の色が無い。少々困惑しているような気さえある。
(あの男子生徒とは仲がいいのか?)
(慎二と? どうだろう、一方的に嫌われてる感じだし……まあ、腐れ縁ってやつかな。何かとアイツの妹の桜といると絡んでくるんだ。桜は部活の後輩だから、一緒にいる時間が多いのはしょうがないと思うんだけど)
(――――あの保健医との関係は)
(折手死亜先生とはただの生徒と先生ってだけじゃないか? まあ嫌々ながら頼みごとを断れなかったってことは、何かしらの弱点を握られているかもな)
(そうか)
アーチャーはそれっきり押し黙ってしまった。
士郎はアーチャーの態度に引っ掛かりを覚えつつ、今日の昼休みも昨日の続きで生徒会室にて備品の修理があったことを思い出す。
(危ない危ない。……起こしてくれた慎二に感謝だな、こりゃ)
慎二が来なかったら、昼休みを寝過ごすことになっていたかもしれない。
士郎は教室を飛び出し生徒会室へと急ぐ。
その道中で士郎はアーチャーにあの紙袋の中身を聞いてみた。
保健室の先生からの贈り物なのだから、薬には違いないのだろうが、士郎には飲み薬なのか塗り薬なのかも、効能も何もかもさっぱり見当がつかなかったのだ。
(アーチャー、お前はアレが何か知っているか?)
昨日保健室に運ばれた際に、アーチャーは折手死亜先生と対面していたかもしれない。そこでこの小瓶の中身に関することを本人から聞いていたのかもしれないのだ。
もっとも、そうであったら何故今まで話してくれなかったのか、という疑問も浮かぶのだが。
しばらくの沈黙の後、アーチャーは言った。
(アレは今晩、寝る前に飲むのが適切だろう。いわゆる疲労回復薬だ。なに、効果のほどは保証しよう。昨日も世話になったからな)
脳裏にはアーチャーの清々しい笑顔が見える。
なぜか薄ら寒く感じられるほどのイイ顔であったが、昨日の夕方から調子が良かったはこの薬のおかげかと得心のいった士郎は、同じく清々しい笑みを浮かべるとアーチャーに向かってこう返した。
(……学校を休んでいても、こうして薬をくれるなんて、意外と面倒見のいい先生なんだな、折手死亜先生って)
(……………………ああ、そうかもな)
もっとも彼女の面倒を見る方法は悪趣味でえげつないが。
アーチャーはそう後に続く言葉を飲み込んだ。
あの保健医を好意的に見る士郎に対し、わざわざ非情な現実を今突きつけることもしなくとも良いだろう、という配慮である。いずれあの保健医の性癖は知るところとなる。ならば直に対面したほうが受け止めやすかろう。
それゆえアーチャーは口を噤んだのである。
まあ士郎の曇りない純真な笑みが、色々と屈折した身には少々眩しかったというのもあるが。
(世の中には知らない方が幸せなことも、多々ある)
つい昨日のアレを思い出してしまい、眉間の皺がしばし取れなくなったアーチャーはそう、強く思ったのだった。
(……しかし、間桐慎二とカレン・オルテンシアか。この学園以外に何か繋がりがあるのか?)
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閑散とした階段の踊り場。
人の喧騒から遠い、がらんとした縦長の空間で、少年は苛立たしげに腕を壁に打ち付ける。
「くそっ、なんで衛宮なんだよ。あのお人好しめ」
その呟きは誰にも拾われずに、ただ宙に拡散して消えていった。
このワカメはただのワカメではないぞ|д゚)