セシリアの迎撃が成功し、シャルロットの脱走が未遂に終わったことで危機を脱したIS学園はようやく静かな夜を迎えることとなった。落下していたエクスカリバーは完全に消失し跡形も無く消えている。また、エクスカリバーは元々極秘兵器であるため、フランス側からの公式な問い合わせもなく、楯無や教員は国内の各省庁からの問い合わせに対応することとなった。
これらは実際のところ部外者であるマコトやレイラ、セシリアには責任を負う必要もなく、3人はこっそりと寮に戻る。セシリアやレイラは日を跨いでも起きて二人を待っていた箒に謝罪し、温め直した緑茶で冷えた体を温めた。
一方、マコトは乱入してきた簪を連れて部屋に戻ってきていた。簪も飛び出したため電気は点いたままだった。二人は無言だ。マコトは当然、黒騎士のことなどを話せず、簪は形だけとはいえ自身の従者がマコトと刃を交えたという事実があって、口を開けずにいる。
びしょ濡れになったマコトは脱衣所まで行くと制服やダメになった下着を全て脱ぎ、洗濯機に突っ込む。べちゃっ、と搾り取れそうなほど濡れた制服が無くなるとマコトは体から重しが全て抜けたようで、一気に疲れが襲ってくる。
「……簪も」
「…うん」
簪も同じくぐちゃぐちゃに濡れているため、マコトは彼女を呼んで服を脱がせようとする。しかし、簪はマコトの前に立つとしばし服を脱ぐことに迷うそぶりを見せてから居心地悪そうに脱ぎ始める。
「あ…ごめん、見ない方がいいよね」
「……そ、そういうわけじゃ、ないけど」
そもそも簪は他人に体を見せることに抵抗があった。それはマコトに対してもだが、今はその抵抗感よりも恥ずかしさのほうが勝っていた。簪の目の前にあるマコトの裸体はバランスがよく、鍛えているせいかスポーティーだった。だが、それでも筋肉質ではなくまるでアイドルのような整い具合で簪は少し贅肉のある自らの体と比較してしまう。
先ほどまでの罪悪感と、気にしている相手と一つの部屋で裸になるのはあまりにも簪の思考を乱すもので、簪はえいやっ、と半ばやけくそ気味に服や下着を脱ぎ去った。
「待たせて風邪引いちゃうのもよくないから、お風呂一緒に入ろうか。いい?」
「………大丈夫」
大丈夫ではなかったが簪は上手く断る言葉が浮かばなかった。急にマコトがこんな積極的になったのは何故かと簪は考えたがすぐに思い当たる。彼女は“姉”である。特に他意はなく善意だけで一緒に入浴すること提案している。そう考えても簪はモジモジとしてしまう。
「寒い?」
「…え…いや、むしろ…暑い…」
「もしかして熱!?ちょっとごめんね」
「――!」
いきなりマコトが顔を近づけてきて、簪は声にならない悲鳴を上げた。マコトは簪と額をくっつけて簪の体温が高くないか確認するが、特に彼女は熱っぽくなく、すぐに額を離した。
「大丈夫かな。あれ、簪?」
簪は完全に硬直していた。顔は真っ赤で、ぷるぷると震えていた。マコトは全く状況を理解できず困惑する。とりあえず風呂場に入らなければとマコトは簪の手をとって浴室へと二人で入った。マコトの手は温かく、簪には熱いぐらいだ。
「こんなに手も冷えてる。シャワーとにかく浴びようか」
「………」
頷くことしかできず、簪は俯き気味だった。先ほどまでの罪悪感などは良いのか悪いのか考えられないほど簪は恥ずかしさで頭が沸騰しそうになっており、もはや一周回って人形のように大人しくなってしまう。
「あ、ごめん。眼鏡」
「………外す」
強引に浴室へ入ったため、眼鏡を簪はかけたままだった。気がついたマコトが声をかければ、簪は眼鏡を外し、一度浴室の外、脱衣所の洗面台に置いてからまた浴室に戻ってくる。彼女は意を決して浴室の扉を閉めた。普段よりも更に狭い場所でマコトと二人きり、密室で裸で向かい合うという状況が完成する。
マコトは戦闘があったにも関わらずテキパキと水を出して温度をあげると、蛇口からシャワーへとスイッチを切り替えてお湯をシャワーから出す。
簪はあまりにマコトが気にしなさすぎて、逆に不満が溜まり背を向けている彼女に寄りかかるとポカポカと可愛らしく背中を叩いた。
「か、簪さん?どうしたの?怒ってる?」
「怒ってない」
「でも叩いて」
「怒ってないよ…でも、心配だった」
手を止めて、簪はそのままマコトに抱きつく。簪の体は雨で冷え切っていた。マコトはマユが以前学校で何かあったときはこうしてきたなぁ、と簪に聞かれれば怒られるようなことを考えながらそのままシャワーを二人で浴びる。
程よい暖かさのお湯が二人の髪を、肌を濡らしていく。自身と然程変わらないはずの背中に安心感を強く感じながらも簪はほんのわずかに力を入れてマコトを抱きしめる。
「急に飛び出して、追いつけば見たこともないISをつけて、お姉ちゃんたちと戦ってた」
お腹のあたりに回された簪の腕をマコトは触れる。簪は言葉を続けた。
「最初会ったときは、戦うような人じゃないって思ってた。どこにでもいそうな、明るい高校生、そう思ってた」
飛鳥マコトという存在を確かめるように簪は言葉を紡ぐ。初めて見たときはどこにでもいそうな明るい少女で、ただ簪の荷物を見ても特に何も聞かず、それどころか一緒に見たいとまで言ってきた。ただ、稀に強引で簪の人見知りなんて関係ないと言わんばかりにマコトの友人たちの輪に簪を加えようとしたり。
けれど、時折見せる不思議な、十代の少女が纏うにはあまりにも重みのある表情が“未知”で簪の興味を引き立てた。
「でも、違った。あなたはまるで、ヒーローみたい。サイレント・ゼフィルスの時もそう。さっきだって、私がお姉ちゃんに……言いそうになったときも止めてくれた」
もし、あのときハッキリと簪が楯無に拒絶を突きつけてしまえばもう取り返しがつかなくなっていたという確信が簪にも今はあった。簪の知る、正義か悪か、そんな二元論とは隔絶した真の意味でのヒーロー。みんなを救う、とても強い人。
簪のその気持ちは、マコトがコーディネイターとして在るべき姿の一つだったことを知らない。人を守り、繋ぎ、明日へ導く。マコトが、シン・アスカとしてたどり着きたかった場所。
「だから、怒ってなんかない。心配だったけど……帰ってきてくれたから、いいよ」
ゆっくりと、簪の体が温もりを取り戻していく。それは彼女の中で一つの結論が出たからだった。いつかの夜、簪はマコトとどうしたいのか、何がしたいのかわからなかった。だが、今、彼女はそうだ、とわかったのだ。
「(……これが人を好きになるってことなんだ。誰よりも近く、誰よりも長く、一緒にいたい。心の重みが触れてる間は消える相手。追いかけたくなったのも、心配だったから、それだけじゃない…私は…ずっと、この人といたいんだ…)」
更識簪という少女が、一つの階段を上った瞬間が今だった。もはやそれは、恋から愛にまでいきなり昇華されていることを彼女はまだわからない。初めて恋をした相手があまりにも彼女の世界を変えすぎてしまったせいだった。
マコトの反応がない、と簪がマコトから離れれば、眼鏡がないせいでかなり近寄る必要があり、鏡に写ったマコトが涙をシャワーのお湯に混じり流していることに気がついた。
「ま、マコトさん…!?」
「あ、え?ご、ごめん簪さん、なんでもないよ」
「なんでもなくないよ…!今夜は、誤魔化さないで」
そっちが強引ならと簪はもはや開き直っていた。あとで羞恥心で撃沈することなど全く考えずに。マコトは簪に迫られ、涙を流していることにようやく気がついた。誤魔化そうにも簪は肩に両手を掴ませて逃がさないと言わないばかりに密着してきている。
マコトは観念して、何故涙が出てしまっていたのかの理由を考え、白状した。
「…嬉しかったんだ」
「何が?」
「ヒーローみたいだ、って言われて」
まだシンが兵士としては不完全だった頃に告げられた「戦争はヒーローごっこじゃない」という言葉。それは今になって思えば、決して間違っていないともシンは思う。軍人として、兵士としてはヒーローなんてものになろうと思ってはいけないのだ。
しかし、シンの心はどうしてもそれを認められない部分があった。苦しんでいる人がいたら、それを救うのは力を持っている軍人の役割じゃないのかと。
「……あたしさ、こんなことを言われたことがあるんだ。“お前が欲しかったのは本当にそんな力だったのか”って」
「え…」
零れだしたのは涙だけではなかった。マコトの中に眠っていたものが心から溢れてくる。ひび割れた心が、今こうして新しい器に入ったことで、正しくマコトの想いを揺らす。あのときは、もう手遅れだった。シン・アスカの心は、壊れてしまっていたから。
「…あんな力、欲しくなかった。あたしが欲しかったのは、あたしみたいに苦しんで、悲しんで、誰かを失ってしまう人を生み出さない…そのための、守るための力だったんだ」
始まりはオーブでの家族を失ったあの瞬間から。自らの無力さと、祖国への怒り、全てを奪った理不尽な“自由”の力。瞳を怒りに染めて、悲しみを憎しみに変えて銃を手に取った。それでも心の奥に、これ以上かつての自身を生み出さないことを最愛の妹に誓って戦い続けた。
しかし、それは青さだと否定された。いや、“彼”は言葉が足りなかった。“彼”もまた母を失い、当時のシンが“彼”自身と重なって見えていたのだろう。
衝動で、力を振るうなと言われた気がした。シンが持つ力は決して万能ではなく…奪うことでしか、目の前のものを生か死か、2つでしか分けることしかできない。ある種の絶対の正義を示すことしかできないあまりにも不器用すぎる力でしかなかったのだ。正義の名を持つ機体を駆っていた“彼”はきっとそう言いたかったのだと、マコトは思う。
だが、初恋の相手はそんな力の前に無残にも命を散らし、シン自身もそこからは何かが狂っていき、気がつけば“たくさんのシン・アスカ”を生み出す側となっていた。
「…出来るようになったのは“誰かの大切なものを奪うこと”ばかりで、諦めるなって言われたけど、あんなものに縋るなって言われたけど…あたしには…もう、何もなかった」
守りたかった、救いたかった…誰かのヒーローになりたかった。そんな想いは無くなって、力だけしか残らなかった。あの“世界”は最後、皆がそうで、彼もその例に漏れなかったのだ。
だから、マコトは簪に「ヒーロー」だと言われて涙が出た。本当に欲しかった言葉。誰かを、何かを救えたという証。嬉しかった、マコトが戦った後に“花”は残ったのだ。
「けれどね、今、簪に“ヒーロー”みたいだって言われて、あたし、欲しかったものが一つ手に入った気がしたよ。あたしでも、力しか残ってないあたしでも、誰かを守れたんだって」
ありがとう、とマコトは簪の方へと向き直り彼女を抱きしめた。簪は固まったが、すぐに彼女の背に腕を回した。大きかった背中は、簪と同じぐらいの女の子の背だった。このまま、と簪は気になっていたことをマコトに問う。
「…未来人って、本当?」
「……本当だったら、どうする?」
オープンチャンネルでの通信内容は簪にも届いてしまっていた。その中で、マコトが真剣な声音で言った「自身は未来人だ」という言葉。彼女がいた世界も、どんな道を歩んでいたのかも気になる。だが、今の簪が欲しいものは違った。
「もし、未来に戻れるって言われたら、マコトさんは戻りたい?」
「…それは」
マコトがどこかにいかないという確証が欲しかった。
簪に未来の、コズミック・イラのことを聞かれると思っていたせいか少し虚を突かれたマコトは悩む。それは生き返るという意味だ。心残りがないと言えば嘘になる。ギルバートの目指す世界を守りたかった、愛していたルナマリアの行く先が不安だった、彼自身を否定したわかり合えたはずの“彼”の行く末を知りたかった。
だが、それはもう渇望されることはなく…飛鳥マコトの中に残る思い出でしかない。もう、シン・アスカの人生は終わってしまったのだ。確かに、前世と今世の繋がりは曖昧で年齢の2倍分精神は歳をとっている自覚がある。それでも、マコトの今の居場所は――。
「…ううん。もう、あたしは戻らない。戻れない。今あたしが生きてるのはこの“世界”だから」
それは、決別のようなものなのかもしれない。終わってしまった昨日にさよならをして、今歩む明日へと向かう。マコトは抱きしめる簪の体温が、愛おしく感じた。それは、簪が先ほど自覚したものとは違う、もっと大きな……この世界そのものに対して感じる、いとおしさのようなもの。
簪はマコトの答えに安心したかのように身を預ける。
「……そっか、よかった…」
二人の内心を知らないものから見れば、まるでそれは愛し合う者同士のように二人はしばらく抱擁を続けた。さっきまでとは違う暖かな雨は二人の体の境界線をぼやかすように温めて、簪は永遠にこの時が続けばいいのに、と思った。
翌朝、学園には一夏の悲鳴が響いていた。
「う、うわあああああっ!」
その悲鳴は一夏とシャルロットの部屋から上がった。事後の取り調べもあり、一睡も出来ていないシャルロットはまだ男装を解かずにいたが部屋に戻り寝ようとしていたところでこの悲鳴で寝ることができない。
「…い、一夏…どうしたの」
「シャルル!俺の!俺の髪の毛が!」
「——あ」
シャルロットは忘れていた。彼女は脱走前に一夏の毛髪を採取していたのである。もうどうせ会わないからとかなり雑に…具体的な箇所を言えば前髪をカットしていた。
「どうしてオカッパになってるんだ!?なんで!?というかこれ、絶対切ったよな!?切ったの誰だよ!?」
「あ、あはは」
「ま、まさか、シャルル、お前、じゃないよな」
違うよな、といった表情で一夏はシャルロットに問う。シャルロットは既に今回の騒動の沙汰を受けている。そのため“シャルル・デュノア”は退学処分となるため、シャルロット・デュノアということがバレるのは時間の問題である。
ここが潮時かな、とシャルロットは覚悟を決めた。
「……一夏、話があるんだ」
「え?なんだよ、急に」
「まず、君の髪を切ったのは僕だ」
「お、おいぃぃ!嘘だろ!?なんで!?」
「そして!」
シャルロットは一度、一夏に背を向けて寝巻きの前ボタンを外して巻いていたサラシを取り、そのまま一夏の方へと向き直した。
「私は女の子、です!」
「……へ?」
パジャマで肝心な部分こそ上手く隠れていたが、突然男子だと思っていたルームメイトに生乳を見せられた一夏は初めて異性の体をじっくりと見て、そのまま固まって倒れた。
「え?ちょ、ちょっと一夏!?しっかりして!?」
シャルロットは気がつかない。一週間ですっかり、自身が思っている以上に一夏との距離感が狂っていることに。そのまま白目を向いた一夏が目を覚ますのにしばらく時間がかかり、シャルロットたちは大幅に授業を遅刻することとなった。
衛星兵器の落下というとんでもない事態が起きても学園は通常授業が滞りなく行われ、昼休みを迎えていた。食堂にはシャルロットを含めたいつもの7人で席につき、マコトの隣の簪の隙間はいつもより開いていた。
「…マコト、簪さん、どうしたのですか?」
「え?普通じゃない?」
「…………」
マコトは普通だと言うが、5人は絶対普段通りじゃないだろうと微妙な視線を向ける。簪はマコトに視線を向けられておらず、普段であれば密着に近い状態で座っているのに入学当初並に今は隙間がある。レイラは昨晩のことで喧嘩でもしたのか、と思ったが簪の顔が少し赤いことに気がついて得心がいった。
「なるほど…ついに…」
「レイラ?何かご存知なのですか?」
「いいえ、ただ私のカンが——んむぐっ!?」
気が付けばレイラの口に何故かチャーシューが突っ込まれていた。何が、と全員がこの中で唯一チャーシューの入っているものを食べている簪のほうを見れば、ラーメンから立ち昇る湯気でメガネを曇らせた彼女は妙にスタイリッシュな構え方で箸を持っていた。
「……レイラさん、いいですか?」
「…んぐっ、んっ……な、なんでしょうか」
「私は、何も気にしていませんから、気にしないでください」
「…これ、自分が言われると余計気になりますね」
尋常ではない気迫をレイラは受け流しながら「わかりました」と先ほど言いかけていたことを止めた。なお、彼女が言いかけたのは「もしかして一線超えましたか?」だった。前世におけるシンとルナマリアがある朝明らかにぎこちなさそうな姿を見せていたので、二人の間で何が行われたのか聞けば“そういうこと”だったので、その時の二人と簪が少し重なって見えたからだ。
実際には裸で抱き合う…というスキンシップとしては過剰だが、全く性的なものはなく、簪は意識していたがマコトは全く意識していなかったのである。簪は一晩明け、のたうち回って昨晩の自身の行動を思い返して現在このマコトとの距離感である。
「ま、まぁ、お二人はいつも通りですわ。それよりも、問題は…」
セシリアが強引に話題を変えるために一夏の方を向いた。
「で、その髪型がなんですの?一夏さん」
指摘された一夏はため息をつく。昨晩、唯一失われたのは一夏の前髪であった。シャルロットによりおかっぱ頭にされてしまった一夏は髪型を生えてくるまでオールバックにするしかなく、いつもの印象と大きく異なった姿だ。
なお、これは1組の全員に爆笑されており、シャルロットは流石に一夏にデコピンされている。
「いやしかし……ふっ…壊滅的に似合っていないなその頭」
「言うなよ箒…マジで最悪だからさ…」
「ほんとごめんね?一夏」
「いやまぁ……しょうがなかったんだろ…シャル」
朝、気絶して目を覚ましてからシャルロットが一連の出来事や性別を偽っていた理由を一夏に説明していたため、大体彼はシャルロットの事情を理解し、髪以外は納得している。友人がそこまで悩んでいたことに気が付けなかったことも一夏は罪悪感があって、デコピンまでで恨みは消したが、やはり髪が切られたのはショックであった。
「鈴音とか弾に言ったの?」
「言えるわけないだろ!言ったらあいつらも笑うだろ!」
マコトの問いに一夏はクワッとして応える。マコトは半笑いで「じゃあやめておくね、言うの」と言い、一夏はなんともいえない表情だ。
「ってことは言うつもりだったのか?」
「言わないって選択肢がないかな」
「勘弁してくれ…」
シャルロット以外の全員は鈴音と面識があるため、一夏の髪型を見た彼女が腹を抱えて笑う姿が容易に想像できた。セシリアはこっそり連絡をよく取り合っている鈴音に後で写メでも送ってあげようと思った。
「にしても、俺が寝てる間にあんな大変なことがあったなんて」
「学園の寮は防音対策がしっかりなされているからな。生徒もほとんど昨晩の事態に気がついていないようだ。かくいう私もセシリアとレイラを待っている間、何が起きているか把握していなかった」
この7人の中で、唯一昨晩の騒動に関与していないのは一夏と箒である。一夏は髪の毛を切られたが眠っており、箒はセシリアとレイラの帰りを待ち続けていたため、寮から出てもいない。一夏はシャルロットの力になれなかったは悔やんでこそいるが、既に終わったことであり、断片的であるがマコトがシャルロットを説得したと聞いて、一夏自身で出来ることは多くなかっただろうと判断する。
結局、斬ることしかできない。一夏は箒と同じ結論に辿り着いていた。
「それで、シャルロット…でいいのか?お前はどうするのだ」
箒が問う。シャルロットはそうだね、と彼女に下された沙汰を明かした。
「シャルル・デュノアは退学処分、入れ替わりでシャルロット・デュノアが入学、かな」
「つまり男装を辞めるだけ、か」
「そうなるね。一週間とはいえ、色々と大変だったよ…」
「全然気がつかなったぞ」
「一夏。それは流石に…」
マコトが一夏の鈍感具合に苦笑するが、それは一夏がシャルロットに悪意を感じなかったかだろうと考えていた。箒も同様に考えており、もしシャルロットが最初から何かしらの害意を持っていれば一夏はすぐに何かを疑い始めていただろう。未熟でも千冬の弟なだけあり、一夏は悪意などに鋭かった。
ただ、そんなこと露と知らないシャルロットはかなり無理な変装だったのにも関わらず女性と認識されなかったことに若干悔しさがあった。今朝のほぼ生乳を見せてしまった事件も彼女は後から考えれば「何で気がつかないの」という気持ちがあったのかもしれない。
「お母様はどうされるのですか?」
「ここに残るってさ」
レイラの問いにシャルロットはそう答え、食堂内のある箇所を指差した。そこには真耶が何故かシエラに可愛がられていた。
「この学園気に入ったから暫く仕事するって。そしたら…ロゼンタさん……私のもう一人のお父さんみたいな人なんだけど、そっちも暫く日本で仕事するって話になって」
「もう一人のお父さんってなんだ?」
「あー、一夏。私の家庭、ちょっと特殊で……父さんは母さんが好きで私を母さんが生んだけど、ロゼンタさんも母さん好きで、けど父さんとロゼンタさんが公的には夫婦ってことになってるんだ」
「言ってることがよくわからないんだけど」
一夏のポカンとした表情に「だよね!」とシャルロットは言った。マコトもいまいち理解が追いつかなかったが、セシリアは唯一話についていけた。
「失礼でなければ整理しますと、書類上は本妻がロゼンタという方で、実際は2父1妻ということでしょうか」
「そうなるね」
女尊男卑社会となったことで女性同士での結婚というのはよく見られることになり、セシリアも貴族の付き合いとしてそういった結婚式に出席したことがある。レイラもセシリアに同行していたため、彼女の説明でシャルロットの家庭環境を完全に理解した。
「(……つまり、私とマコトさんが付き合っても何もおかしくない…?)」
簪は今の話を聞いて、妄想を頭の中で繰り広げていた。昨晩のことは一先ず置いておくにして、ついにマコトへの好意を自覚した簪はいきなり飛躍して結婚まで想像してしまう。恋愛経験の少なさ故の反応であった。
「日本でも現代ではなかなかないが、歴史を見れば一夫多妻は珍しくない。逆も何もおかしくないだろうな」
「そういうもんか」
シャルロットを除く6人は特に拒否反応を示すことなく当たり前のことのように彼女の家族構成を理解した。シャルロットはそのことに驚きながらも、安堵した。
「(あぁ、やっぱり…この子たちは暖かいや)」
デュノア、ルーセル。2つの姓を持つシャルロットがこれまで名乗ってきたのは母方のルーセルだった。正確にはアルベール、ロゼンタ、シエラ、シャルロットの4人でデュノア家なのだが、特殊な家族構成を変に取られないようアルベールが断腸の思いで決めたことであった。
しかし、祖国から遠く離れたこの東の果ての国で、シャルロットはデュノアと名乗り、それは受け入れられた。初めて、家族を認められたような気がして彼女は嬉しかった。
どこか、別の世界では孤独で、寂しくて、拠り所もないはずだったシャルロットという少女はこの世界では、ちょっと特殊な家族構成である以外はどこにでもいる十代の少女にしか過ぎず……家族であることを堂々と言える、そんな当たり前がようやく出来たことが最大の今の喜びだった。
「みんな、その、改めてよろしく!」
シャルロットの笑顔が輝く。それを遠くの席からシエラが優しげな微笑みで見守っていた。
翌日、正式にシャルル・デュノアは退学処分が行われ、シャルロット・デュノアが入れ替わりで入学する。1組にはそのまま所属することとなったが、クラスの誰しもがシャルロットに詳しいことは聞かず、改めて彼女はこの学園でのスタートを切ることになる。
「こちらにいましたか、本音さん」
「…っ」
シャルロットが1組に戻った当日の放課後、学園の屋上にはいつもの明るい表情などなく暗い空気を纏った本音がフェンスを掴んでいた。そんな彼女に背後から声をかけたのはレイラだった。珍しく彼女は単独行動を行なっていた。
レイラの突然の登場に、本音はぎこちなく振り向く。その表情は明らかにレイラを恐れていた。
「……レイラ、様…」
「おやめください…いつも通り、レイレイ、で構いません」
綺麗な所作でレイラは本音に歩み寄り、フェンスに背を預ける。金糸のような髪が風に揺られ、夕焼けが反射して美しく煌めく。本音は思わず見惚れてしまう。本当の、お姫様。本音の役目もありそれはよく知っているが、目の前にして本音は思い知らされた。
たとえ、もうそうでなくても生まれ持ったものは何一つ彼女から失われていない。
「一昨日は色々ありましたね」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありません。…人には役目というものがあります。あなたは、あなたの為すべきことをした…それだけでしょう?」
優しげな目を向けながらレイラは本音にそう言った。役目、為すべきこと。本音にとってそれは更識家の使用人として、当主の手足として任務を遂行すること。道具として、機械として……それが布仏家に生まれたものとしての宿命。
だがそれ以前に、本音は本音でしかなく、シャルロットの悲鳴が、マコトの裏切られたかのような表情が、レイラの心を押し潰されそうになるほどの怒りが、頭から離れない。
「どうしよう、私、ひどいことをしちゃった……しゃるりんにも…まこりんにも……レイレイラや、かんちゃん……私、私…」
「終わったことです」
「けど…わぶっ!?」
押し潰されそうになる本音にレイラは突如として彼女の頬を両手で挟んだ。息を飲むような愛らしい顔が本音の前にあった。
「あら、とても綺麗な肌…そしてこの柔らかさ。どうしたらこんな風に?」
「ふにゅ、や、やめてよぉ」
「ふふ、ごめんあそばせ。本音さん」
くすくすと、からかうように笑いながらレイラは本音から離れる。ぶーっと本音は口を尖らせたが、レイラは「それですよ」と笑いながら言った。
「あなたにあんな暗い顔は似合いません。あなたが暗いと、1組全体が沈んでしまうじゃありませんか」
「————え」
「私たちは戦争をしているわけじゃないんです。だから、事が終わればいつも通り。それでいいじゃないですか」
レイラは本音に言い切る。殺し殺され、そうして敵であるもの全てを滅ぼして、そんな終わりなき連鎖はこの世界には持ち込みたくないとレイラは思った。本音とは友人で、クラスメイト。彼女は敵ではないのだ。
「結果論ですが、あの夜失われたものはありませんでした…あぁいえ、正確に言えば一夏さんの前髪はなくなりましたが」
「ぷっ…」
「まぁ、気にすることはないでしょう。…たとえ、あなたの手が血で染まっていたことがあったとしても、今のあなたは私とクラスメイトで友人の本音さん。そうでしょう?」
シャルロットにセシリアがそうしたように、レイラは本音に手を差し出す。
「この国では、喧嘩をしたら夕陽の下で仲直りをするのが決まりだそうですね。ですから、仲直りしましょう。本音さん」
「レイレイ…」
「ダメでしょうか」
少し眉根を下げて言うレイラに、本音は降参だ、と思ってレイラの手をとった。しなやかな彼女の手は本音にはあまりにも遠く感じられた。
「これで、仲直りですよ」
「…そうだね!」
笑顔を交わし、二人は手を離す。そのまま、フェンスに背を預ける。
「せっかくですし、ここでもう少しお話していきましょうか」
「うん!レイレイと二人きりって初めてだね〜」
「確かに言われてみれば…でしたら、たまには普段しないお話でもしましょうか」
「え?どんなこと?」
「たとえばそう…恋バナなんて、どうでしょうか?」
嵐は過ぎ去り、雲ひとつない空は夕焼けからゆっくりと星空に変わっていく。少女たちの園に、今再び束の間の平穏と日常が戻るのだった。
「あれ?れーちゃん?一人なんて珍しいね」
「レイラ様、いらっしゃいませ。お茶をお出ししましょうか?」
「博士、クロエ先輩、突然失礼します。申し訳なのですが、急ぎ調べて頂きたいことがあるのです」
「お〜、れーちゃんからの初依頼だね!サービスしちゃうよ!」
「でしたらお言葉に甘えて……私のダイヴトゥ・ブルーに搭載されている改良型BTシステム、これを徹底的に調べてください」
「……あぁ、なるほど。それなら喜んで調べてあげるよ——れーちゃん♪」
悪意は未だ、潜み少女たちに巣食う。深い青に、二つの彗星に……そして、黒い兎の中に。
可能性の宇宙は、未だ遠い。
次々回ぐらいからタッグマッチ編。