藍越市汽車町。かの篠ノ之束の生まれ故郷として有名——ということは全くない都内のベッドタウンだ。ベッドタウンといっても日中もそこそこ人はおり、小学校や中学校などもあるため、僅かながら商店や飲食店も存在している。
そんなわずかな飲食店のうち一つである凰中華料理店は梅雨に入った途端に降り出した大雨のせいで閑古鳥が鳴いていた。
「客こねぇなぁ」
「そうねぇ」
店主である父のぼやきを聞きながら、マコトの友人である鈴音は客席で足を組みながらテレビを見てぼーっとしていた。休日なのにこの人の来なさは大雨ということもあって仕方がなかったが、店を閉めるというわけにもいかないので必然的に仕事がなく時間を浪費することになる。
「…そういえば、新作。一昨日ぐらいにマコトに食べさせたわ」
「飛鳥のとこの嬢ちゃんに?どうだった」
「レモン入れすぎだって」
「手厳しいな。入れすぎつってもよ、かなり分量は少なかったよな」
「そこの微妙な加減みたいね。それ以外は夏向けでさっぱりしてていいんじゃないって」
「そうか。どうする?この分だと暇だし、厨房使うか?」
「そうしようかしら」
ただ時間を無駄にしても仕方がないため、鈴音は父の提案に乗ることにした。そこで席を立ち上がるが、ちょうど店の引き戸がガラリと開けられた。
「いらっしゃいませぇ!」
「おわっ、声デカ!」
「チッ…なんだ弾か」
「ひでぇな!客だぞ!」
ようやく来たと思った客は鈴音の幼馴染み…つまりはマコトや一夏とも幼馴染みである五反田弾であった。赤髪のロン毛、顔の作りはすくなくとも不細工とは言えない。スタイルは実家である五反田食堂を継ぐために鍛え上げられており、弾を知らない女子から見ればちょっと野性味のある男性に見えるだろう。
だが、鈴音は長い付き合いで彼の中身をよく知っているので特にその容姿に思うところはない。
「おう、弾。飯か?」
「うっす、店長。そうっすよ。今日ウチ閉めちゃったんで」
「閉めたのか」
「いやぁ、なんか今日の雨やばいらしいっすよ。それで連絡込みで」
「それでも来るお前さんは相変わらずだな。鈴、弾で今日は仕舞いだ」
「わかったわ」
弾は慣れた様子で席に着き、鈴音もいつものように彼から注文をとる。
「何食うの?」
「あんかけチャーハンで」
「りょーかい。あんかけ焼き1!」
「おう!」
注文はすぐに通る。そうすれば鈴音の父が手を動かし始め、静かだった店内はテレビの音に加えて中華料理店らしい調理音が響く。鈴音はこれで今日の仕事がおしまいだとわかっているので、弾の向いに座った。
「父さん!あたしも食べるから!」
「そう思って二人分やってるよ!」
「あんがと!」
鈴音の父が料理をしている間、鈴音と弾が話すのはもちろん、互いの料理についてだ。
「それで、鈴。どうだったんだよ、この前の」
「ダメだし食らったわ」
「お前もかよ」
「あんたも?マコト手厳しいわね」
「店で食うならともかく、ガチの試作品はいつも厳しいじゃんよ」
「そりゃそうだけどさ」
弾と鈴音。この町の二大料理店の後継たちはこれまでもマコトに試作料理を試食させているが、本当に厳しく審査してほしい、とマコトに頼んでからというもの、前世の名残なのかは不明だが妙に舌が肥えているマコトによって厳しい意見が何度も出されていた。
そのため、二人の父親は最終チェックをマコトにさせて合格させてからでないとメニューに載せないと言われる始末で、二人にとって最大の壁はマコトの舌であった。
「まぁ、実際マコトの意見に沿って微調整するとめちゃくちゃおいしくなるからいいけどさ」
「一夏とは大違いだぜ…あいつなんでもおいしいおいしい言ってくれるから嬉しくてよ」
「あいつは馬鹿舌でしょうが。特に運動したあと」
「…いやまぁ……否定できねぇけど」
一夏にも試食を手伝ってもらうが一夏は大味で基本的になんでもおいしいと言ってしまいがちだ。といっても、それは二人の料理が本当においしいのもあり、絶妙な感覚で指摘してくるマコトがおかしいだけである。
「あいつ元気にしてんのかな」
「この前セシリアから送られてきた前髪の写真は見たでしょ。元気なんじゃない?」
「あー、あれか。あれは爆笑したよな。ルームメイトに悪戯されたんだろ?」
「そうそう。壊滅的に似合ってなくて笑ったわよね」
残念なことに一夏がリークしないでほしいといった写真は予想外にもセシリアから鈴音に渡ってしまっていた。もちろん事故のようなものだったという補足はされたものの、鈴音は相変わらずな一夏に安堵しつつ爆笑してしまった。
「ルームメイトって女の子だろ?悪戯してもらえるって最高じゃん」
「始まった」
「だってそうだろ!?可愛い子に寝てる間にいたずらなんてさぁ。今のあいつのルームメイトってどんな子なんだ?」
「はぁ、あんたはほんと……まあいいや。そんでルームメイトだけど、この子だって」
鈴音が携帯を操作し、セシリアから送られてきた写真を弾に見せる。画面に映っていたのは昼食時に撮られた笑顔のシャルロットが写っていた。
「は?なんだこの美少女」
「フランスからの留学生だって。しかも社長令嬢」
「よぉし、一夏の野郎。あいつには爆裂盛りタイムアタックの刑だ」
「それ春先やったでしょ」
弾はいまにもこめかみが切れんばかりに一夏への嫉妬を募らせており、鈴音は大きくため息をつく。五反田弾とは、こういう人物なのだ。黙って鍋を握っていればいいのに、口から出るのはあくなき性欲に正直すぎる言葉の数々。そのくせ、肝心な時や一夏のフォローに回っていた場合はおおいにまともで、なんともいえない人物であった。
「けどよ、あいつほんと不能なんじゃないのか。こんな美少女に囲まれてぜんっぜん手も出さないんだろ」
「前からじゃない。じゃなかったらとっくに彼女作ってるでしょ」
「持ってる奴はわかんねぇんだ…ほんとうによ…」
あんたも本来ならそっち側だろうに、と鈴音はあきれ返りつつも話を続ける。
「それで、次の試作品いつだすの」
「え?あぁ、来月あたりにでもって考えてるよ」
「なら一緒ね。絶対マコトに美味いって言わせたるわ」
「俺も俺も」
次こそはマコトに勝とう(?)と気合いを入れる鈴音と弾に、鈴音の父は炒飯を作りながら微笑ましいなと思っている。ライバル店とはいえ、子供の付き合いから五反田家と凰家は交流があり、五反田家ほどではないが飛鳥家との付き合いもある。
子供たちの成長は親たちからは輝かしいもので、特に料理人としてしのぎを削り合う様は彼からすれば感涙ものであった。
そんな思いに父が浸っているなど鈴音は知ることもなく、弾との談笑を続けていると、彼女の携帯が鳴った。
「おりょ、誰だろ」
「マコトか?」
「惜しいわね。マユよ」
携帯の画面には「マユ」と表示されていた。マコトの妹であり、鈴音から見れば後輩の一人で、マコトとの関係もあってよく遊ぶ相手だ。鈴音はいつも通りに通話に出た。
「はいほい。どったのマユ」
『鈴ちゃんすぐきて!』
「はい?」
しかし、マユはいつも通りの声を返さなかった。明らかに切羽詰まった様子である。鈴音が表情を凛としたものに変えたことに弾も気がつき、軟派な表情を引き締める。
「どうしたの?何かあったの?」
『あったよ!なんか神社の前で人倒れてるの!』
まず救急車を呼べ、と鈴音は思ったが、気が動転してしまうほどの状態なのか。とにかくマユを焦らせないようにしつつ声をかけた。
「とりあえず落ち着いて。ひどい怪我でもしてるの?」
『ううん!倒れてるだけ!でも服がなんか、病院に入院してる人みたいで』
病衣を着て街中に倒れている。これは確かに普通ではない。鈴音は他に何か周りにあるか問う。
「他に何か、周りにおかしなものがあるの?」
『あ、あるっていうか、なんか、壊れた機械が倒れてる!ISかも!』
「………やばそうね。とにかくあんたは救急車呼んで。今から弾も連れてそっちいくわ」
『ほんと?助かる〜!』
「待ってなさい。でも、その倒れてるやつには近づかないように」
『い、いいの?介抱とか』
「明らかにやばいでしょうが。壊れたIS近くにあってそんな格好してるの普通じゃないわよ」
この町で不可思議なことが起きるのは日常茶飯事であったが、IS絡みのことは束の故郷であるにも関わらず今まで一度もないのである。完全な異常事態に鈴音はすぐに行動を起こした。
「父さん!なんかマユがやばいもんと遭遇したみたいだから行ってくる!」
「俺はいかなくていいか!?」
「弾連れてく!」
「わかった!」
鈴音は携帯を繋いだままマユの状況を確認する。弾は立ち上がった鈴音に続いて席を立った。店の引き戸を開ければ雨は激しさを増しており、鈴音は入り口に立てかけている傘を手に取るとそれを広げて外に出た。
「あ、おい!それ俺の傘!」
「あんたはウチの親父のカッパでも借りてなさい!」
言いつつ、鈴音は駆け出す。マコトが不在の間、マユの姉貴分は鈴音だ。何かあってはマコトに申し訳がたたなかった。
『り、鈴ちゃん!倒れてる人!目を覚ましたみたい!』
「できるだけ離れて!すぐ行く!」
傘を持ちながらでは速度が出ない、と鈴音は傘を畳み、一瞬でずぶ濡れになりながら篠ノ之神社の前まで急いだ。この世界ではただの一般人でしかない鈴音であったが、料理のために体は鍛えており、その素質に違わぬ脚力で彼女は地面を蹴った。
あっという間に篠ノ之神社の前に到着すると、確かにそこにはISらしき大破した機械とふらふらと立ち上がろうとしている影が見えた。赤い傘をさした少女の姿もある。マユだ。
「マユー!」
「鈴ちゃん!」
鈴音が声をかければマユは振り向く。マコトにそっくりだが、髪型は彼女がセミロングに癖っ毛気味で、目もマコトと違って垂れ目だ。活発な印象を受けやすいマコトとは真逆の印象がマユにはあった。
そんな彼女の前でゆらゆらと立ち上がろうとしているのは、マユの言っていた通り病衣に身を包んだ少女で、年の頃は鈴音たちと近くに見える。ただ、肌は病的に白く、艶やかだったであろう栗毛色の髪は汚れていた。
「………ぅ…」
呻き声は少女のもの。顔が鈴音たちを向く。そこにあったのはおぞましいものでもなく、死者のような顔でもなく——死にかけていても尚、その美貌を失っていない顔だった。紫水晶のような瞳は揺れており、明らかに目を回している。
「(なに、この人、こんなんなのに、めっちゃ綺麗だけど…普通じゃない)」
鈴音はマユを庇うように前に出る。
「あんた、なにもんよ」
果敢に彼女は目の前の不審者に問いかける。背にいる後輩のために、彼女は退いた姿など見せられない。
ずぶ濡れの少女は鈴音を見て、しばし何かを考えるようなそぶりを見せた後、口を開いた。
「——わか、らない」
その声は思わず鈴音たちが息を呑むほど美しい。健康的でないはずの体なのに、まるで楽器で奏でられたかのような美しさがあった。同時に、ほのかな愛らしさまで含んでいる。何かの精神的理由で退廃したアイドルのようだと二人は思った。
「わからないって、名前は」
「…………」
「嘘でしょ…どこからきたの」
首が横に振られる。記憶喪失、という言葉が即座に鈴音を過った。大破したISとおぼしきものから、彼女は墜落の衝撃で記憶を失ったのかもしれない。
病衣の少女は次第にふらついた体がしっかりとしてくる。すると、きゅぅ、っと小さなお腹の音が鈴音には聞こえた。
「お腹減ってんの?」
「お腹……減ってる、かも」
そのことに今気がついたかのように彼女はお腹を摩る。鈴音はわずかに悩んだものの、すぐに結論を出す。見るからに怪しいが、だからといってこのまま邪険に扱ったり、安易に救急車を呼んで病院に突っ込んではいけない、というカンがあった。
「(明らかにヤバそうだけど、この様子だと逃げてきたよね、どうみても)」
なんであれ、このままこの少女をここに放置するわけにもいかない。鈴音は墜落したISは放置して、ひとまずこの少女を店まで連れて行くことにした。
「来なさい。おいしいもん食べさせてあげるわ」
「鈴ちゃん!?いいの!?」
「この町で騒ぎを起こそうもんなら町内会の連中にシバかれるわよ。IS持ちこんでようが」
「そうかもだけど」
「それに、どうにも悪そうにみえないのよねぇ、こいつ」
カンではあったが、妙に確信めいたものがあった。鈴音は無茶苦茶なこと考えているなと自ら思いながら、墜落してきた“一等星”を拾うのだった。
弾くん初登場に加えて、成長したマユも久々の出番。
果たして本作で鈴音はISに乗るのだろうか